「友情」と「怒り」。これが2023年5月の孫子女子勉強会のトピックでした。ブログを書くのが難しい回でしたが、書いてよかったと思える結論になりました。
友情について
田中先生の話題提供は、今最も注目を集めているテクノロジーであるChatGPTのキーワードから始まりました。
「ChatGPTの登場で私が心配しているのは、子どもの学力が下がることではありません。ChatGPTを友達にする子どもが出てくるのではないかということです」
「ChatGPTを友達に」と聞いて、どこからそんな発想が出てくるのかと驚きました。が、田中先生がそんな心配を抱くに至る背景を順を追って聞いて、納得しました。
その背景とはこうです。
①インターネットの発達により、連絡手段が増え、頻繁につながることができる世の中に。
↓
②無視による仲間はずれ、例えばLINEグループから削除されるタイプの仲間はずれがおこるように。
↓
③子どもに仲間はずれにされる恐怖心が生まれる。
↓
④子どもは友達との衝突を回避しようとする。
↓
⑤子どもは人に対して心を開かず、いつも気を遣うようになる。
↓
⑥人と友達になれない子どもたち。
↓
⑦ChatGPTが友達になる
これだけの論理展開を経ての「ChatGPTが友達に」説ですから、その発想に驚くのも無理はありません。この論理展開を裏付けるデータもあります。ユニセフの調査では、子どもが孤独を感じる割合は日本が断トツなんだとか。
怒りについて
「ChatGPTが友達に」説から始まり、いつの間にか話題は「怒り」に移っていました。インターネットの発達した時代では、子どものうちから喜怒哀楽の感情を出しにくくなってきているのです。
喜怒哀楽の中でも、田中先生は「怒り」に注目すると言います。なぜなら、自分以外の人への対応に対して怒りを感じるのは人間だけだからです。
はああ、怒りをそんな視点から考えたことなかったなあと感心する間もなく、さらに話題は展開してゆきます。
怒りと友情の意外な関係
田中先生は友情の定義をこう語ります。
・自己犠牲ができること
・自分ごとのように怒れること
一見、関係なさそうに思えた「友情」と「怒り」は、実は深くつながっていたのです。人間が他者への対応に対して怒りを感じるといっても、その他者とは誰彼なしにというわけではありません。
続けて、田中先生は語ります。
「仲間集団を守るというのは人間の本能です。仲間と外敵の間に境界線を引いて、仲間の領土を守ろうとすることから戦争がおこります。怒りは、仲間を結束させると同時に、敵との争いを生みます」
あー、わかるぅ。合わないと思っていた人でも、怒りの対象を同じくする共通の敵が現れると急に仲間意識が生まれますからねえ。人類皆兄弟というフレーズもありましたが、人間は仲間と外敵に分ける境界線を引きたがる生き物です。その境界線と怒りは不可分なものだったとは。
ChatGPTに負けない思考法
今回の勉強会のトピックは「友情」と「怒り」でした。どちらもはるか昔から存在するよく知られた概念です。田中先生の話を聞いている時には、トピックが「友情」から「怒り」へと遷移する流れに何の違和感も感じなかったのですが、いざブログに書こうとすると、「友情と怒りがなぜ同時にとりあげられたのか?」という疑問にぶち当たります。
時代を超えて普遍的なものと思っていた「友情」が時代背景によってそのあり方が変わってくること。「怒り」について考えたこともない視点。相反するように思える「友情」と「怒り」が実は同根のものであること。などなど、ブログを書くことで、日常の中では得られない思考を巡らせることになりました。
今回の勉強会で学ぶべきは、当たり前を問い直したり、一見無関係に見えるものの関係を考えるという田中先生の思考法です。いわゆるクリティカル・シンキングです。
あることがらについて調べてまとめて回答することは、ChatGPTが人間よりも圧倒的な速さでできるようになりました。ChatGPTが出す回答はかなりいよくできており、正しそうに見えます。が、そこにクリティカル・シンキングの要素はありません。
試しにChatGPTに友情の定義を聞いてみました。「信頼」、「共感」、「喜びの共有」などがキーワードで、「怒り」については触れられていませんでした。友情についてのレポートを書くならば、ChatGPTに聞くより田中先生の話を聞いた方が圧倒的に面白いものが書けるなと思いました。
クリティカル・シンキングはChatGPTに負けない思考法なのです。孫子女子勉強会は田中先生の思考法をたどることでもあり、クリティカル・シンキングを内包しています。
つまり、孫子女子勉強会はChatGPT時代になってますますその威力が増す勉強会であるというわけです。時代背景が変わってなおその重要性が高まる孫子女子勉強会、やめられるわけがないですなあ。