使う能力と創る能力

 

AIの進化により学びの転換点を迎えている今、孫子女子勉強会で、能力を高める学びについての深い示唆を得ることができました。

 

 

「自分軸」のシェア

2023年度はじめの孫子女子勉強会は、前回出された宿題のシェアから始まりました。てっきり田中先生は宿題を出していたことなど忘れて、いつものように最近あった興味深い話から始まると思いきや。。。

 

田中先生は、勉強会の冒頭にこう切り出したのです。

「では、宿題の「自分軸」を一人ずつ発表してもらいましょうか」

 

まるで勉強会のような展開ではありませんか。孫子女子勉強会は、勉強会という名から想像できるものとはひと味もふた味も違った場なのです。ですから、私は、孫子女子勉強会でのこの展開で一体何がおこるのかと、固唾を飲んでことの成り行きを見守りました。

 

なぜ、かくも傍観者的にこんな風に語れるのかと言うと、「私はすでにブログに書きました、以上」と言えばよかったからです(にっこり)

 

で、実際はどうなったかと言うと。。。

 

 

 

 

 

次々に、「私の軸は。。。」というシェアがなされたのでした。「私はパスです」とか、「私は宿題はやってません」とは誰一人言うことなく、それぞれに個性的な「自分軸」が語られました。

 

宿題にとりかかる前に私の勉強会ブログを読んだと言ってくれた人が何人かいました。「宿題なんだっけ?」「どういう経緯で宿題が出たんだっけ?」と思い出すために私のブログが役に立ったようで、これは嬉しい誤算でした。これなら、時々、宿題を出してもらうのもいいかも(笑)

 

良いとされていることの裏に潜むトラップ

「自分軸」のシェアが終わった後は、いつのように田中先生からの投げ込みテーマで勉強会が繰り広げられました。

 

「良いとされていること、いい言葉だと思っていることには注意が必要です。例えば、『わかりやすい説明』は良いとされていますよね。『集中しなさい』はいい言葉だと思っていませんか?『具体的』であることは良いことだと思っていませんか?」

 

わかりやすい説明に慣れていくと、想像力が衰えていくと田中先生は警鐘をならします。

 

良いとされていることに潜むトラップ

 

わかりやすい説明、集中、具体的、これらに共通するのは人間が考える負荷を軽減することです。コスパやタイパが重視される時代に負荷軽減が良いとされるのは当然の帰結とも言えます。

 

でも、ちょっと待て。それは本当にいいことなのか?実はそこにはトラップがあるぞ。そう田中先生は投げかけます。

 

考える負荷が下がるということは、考える力の衰えの裏返しです。コスパやタイパに気をとられていると、そこには知らず知らずのうちに自分の能力を失ってしまう危険性が潜んでいるのです。孫子の兵法で言うところの「智者の慮は必ず利害に雑う」の視点です。

 

田中先生はこうも言いました。

「オリジナルなものをつくるというのは、抽象的にものを考えることです」

 

能力を高める学びの歴史

良いとされることの裏返しとして、考える能力の衰えの危険性に着目した次は、能力を高める学びの歴史へと話は展開します。

 

人間の能力を高める学びには、「エデュケーション」と「トレーニング」の2種類があるというのです。

 

エデュケーションとトレーニン

 

ふむふむ。確かに、そう言われれば、「エデュケーション」と「トレーニング」は似て非なるものだと納得します。

 

そして、田中先生の場合はここからの展開が独特なのです。長い人類の歴史の中で、「エデュケーション」と「トレーニング」の比率がどう変遷してきたかに目を向けたと言うのです。長期の時間軸で歴史的な学びの変遷を捉えようとするのは、さすがベストセラーになった「会計の世界史」の著者ならではです。


会計の世界史 イタリア、イギリス、アメリカ――500年の物語 (日本経済新聞出版)

 

 

それはさておき、産業革命は、能力を高める学びの転換点になったと解説が続きます。産業革命以前はエデュケーションの比率が圧倒的に高かった。産業革命によって分業が進み、各自に決まった役割が与えられることでトレーニングの比率が高まった。特に移民の多い国では、わかりやすく、行動レベルで能力を高めることが行われた。

 

今、再び、学びの転換点を迎えていると、田中先生の熱気を帯びた解説が続きます。転換点がおきている背景にあるのはもちろんAI革命です。単純作業はどんどんAIに置き換えられていく。それによって、トレーニングの比率は以前より下がり、エデュケーションの比率が増えて、同程度になってきていると。

 

産業革命が人間の能力にもたらした影響

勉強会が終わった後、私には引っかかりを覚えることが2つありました。

 

1つ目のひっかかりは、産業革命によって肉体志向のトレーニングの比率が増えたというロジックです。人間の肉体を使った活動が機械に置き換えられたのなら、肉体志向の能力を高める比率は下がる方が自然では?と思えたからです。

 

2つ目のひっかかりは、AI革命によって精神志向のエデュケーションの比率が増えるとされたことです。AIと精神は直接的にはつながらないのでは?と思えたのです。

 

そこから私の朝の散歩の時間には、この引っかかりを解消するべく思考を巡らせる比率が増えることになりました。

 

まずは、産業革命とAI革命が人間の能力にどんな影響を及ぼしたのかを整理することから始めました。

産業革命とAI革命

 

産業革命は、人間の肉体を使う代わりに機械を使ったアウトプットを可能にしました。やがては、人間の肉体を超えたスピードや量のアウトプットも可能になりました。一方で、職人技と呼ばれるような機械には代替できないアウトプットも残っています。

 

AI革命はどうかというと、人間の頭脳を使う代わりにAIを使ったアウトプットを可能にしたと言えます。こちらも一部では、すでに人間の頭脳を超えたアウトプットが可能になっていますが、まだまだ人間の頭脳を使う方が勝っている部分が多いです。

 

こうやってみると、産業革命で肉体労働が機械に代替されて、人間は頭脳を使う方にシフトするのが良さそうに思えます。それなのに、なぜ肉体志向のトレーニングが増えたのでしょうか?

 

ここで、私は、完全自動化された醤油工場を見学した時のことを思い出しました。かつての醤油づくりは、何人もの人が肉体を使って、混ぜたり、運んだり、絞ったりを行って製造されていました。それが、いまや全く人の手を介さずに、原材料が色々な製造機械の中を流れていって、最後には容器に入った醤油ができあがる様子を見学しました。ここまで自動化が進んでいるのかと驚愕したことを覚えています。

 

私は説明員の方に質問しました。

「この工場で働いている人は何をしているのですか?」と。

返ってきた答えは

「機械が故障した時の修理、機械の点検、そして、見学者の対応」

でした。この答えを聞いて、私は、機械は意思をもたない高度化した道具に過ぎないことをはっきりと認識しました。

 

産業革命では様々な機械が発明されましたが、それはあくまでも道具です。その新しい道具を使う人間が大量に必要だったのです。これで、1つ目の引っかかりの疑問が解けました。機械という新しい道具を使うためにトレーニングの比率が増えたのです。

 

使う能力と創る能力

次に解くべきは、AI革命が人間の能力にもたらしつつある影響です。これを解くには少々時間がかかりました。

 

AIは、判断や予測といった人間が頭脳を使って行う能力を代替できるようになりました。さらに、画像生成や文章生成ができるAIまでもが登場しました。

 

人間の頭脳にとって代わるAIの進化は今後も続くことでしょう。産業革命の時と同様に、進化を続けるAIを使いこなすAI人材の不足が声高に叫ばれています。AIという新しい道具を使うためのトレーニングが必要とされているのです。

 

一方で、コスパやタイパに潜むトラップに目を向けてみると、また違った景色が見えてきます。想像力、発想力、抽象化力は頭脳を使う能力ですが、当分は、AIには代替できない能力です。これらのAIにはできない能力を高める学びが精神志向のエデュケーションです。

 

想像力、発想力、抽象化力を発揮するプロセスを分解してみました。

 

想像力、発想力、抽象化力を発揮するプロセス

 

はじめに、外界から何らかのインプットを五感(肉体)を通して感知します。感知した情報は、蓄積された経験と紐付けられて精神で知覚(=情報への意味づけ)されます。美しい、楽しい、良き、そういった意味づけが行われるのは精神においてです。精神での知覚の結果として、想像力、発想力、抽象化力が頭脳で発揮されます。

 

想像力、発想力、抽象化力の源泉は頭脳ではなく精神にあります。ですから、これらを高めるには、精神志向のエデュケーションが必要になるというわけです。

 

これで、2つ目の引っかかりの疑問も解けました。あー、スッキリしました。

 

ここまで解きほぐせば、さらに見えてくるものがあります。田中先生の「オリジナルなものをつくるというのは、抽象的にものを考えることです」の言葉を思い出すと、想像力、発想力、抽象化力は創る能力だということが浮かび上がってきます。

 

ここから導かれる結論はこうです。

レーニングによって高められるのはすでにあるもの(道具)を使う能力

エデュケーションによって高められるのは新しいものを創る能力

 

AI時代には、トレーニングもエデュケーションもどちらも必要なのです。

 

「自分軸」の行く末

最後に、宿題にまでなって全員が発表をした「自分軸」の行く末を紹介しましょう。

 

宿題の発表という異例の事態はあったものの、今回もいつものように新たな視点が得られた勉強会でした。リアル参加組は充実した気分で勉強会後の懇親会に向かいました。そこにあるのは、美味しい料理とお酒と楽しい会話。

 

それを眺めながら、田中先生はぼつりとつぶやきました。

「皆さんには、『自分軸』なんていらないですね。自分にとって楽しいことは何かを知っていますから」

 

それを聞いて気をよくした私達は、さらに楽しい会話に花を咲かせました。気がつけば「こんなに飲んだ?」と驚くほどにお酒も進んでいました。

 

懇親会が終わった後の再びの田中先生のつぶやき。

「軸は酒」

 

「自分軸」の発表をさせた後に、次には「自分軸なんていらない」ときて、挙げ句の果てに「軸は酒」って。。。

 

まあ、人間、こんなもんですね(笑)