飲み会の流儀

2023年2月の孫子女子勉強会のテーマは「飲み会」。このテーマですから、勉強会での時間を楽しんで終わりにしたいところでしたが、とある事情でどうしてもブログを書く必要がありました。

 

 

公と私

珍しいことに、始まる前からテーマは「飲み会」と予告されていた2023年2月27日の孫子女子勉強会。テーマの予告があったのにはちょっとした理由があるのですが、それはまた別の機会に。

 

どこで飲み会のつながるの?と思うような「公と私」の話題から勉強会は始まりました。

「公私混同という言葉がありますよね。

例えば、仕事は『公』、家族旅行は『私』と思っていませんか?」

 

はい、思っていました。どこが違うんでしょう?

 

田中先生の話が続きます。

働くのは自らの選択で行うことですよね。

誰かに命令されてするものでもなく、国家のためにするものでもない。

 

仕事は『公』と思っている人が多いのですが、仕事は『私』です」

 

飲み会テーマでどんな楽しい話題が繰り広げられるのかとお気楽に構えていた私は、ガツンと頭を殴られたような気分でした。仕事を「公」と思うか「私」と思うかが違っていたという単純な話ではなく、そこにはとんでもなく根深い問題が潜んでいるように感じたからです。

 

つまりは、拠って立つ前提が違っていたんです。「働くことは公」という前提に立てば、仕事は「公」になります。「自らの意思で行うことは私」という前提に立てば、働くのは自ら選択したことであり、仕事は「私」ということになります。

 

この2つの前提を眺めてみると、どう考えても「自らの意思で行うことは私」という前提に軍配が上がります。異論の余地はありません。この前提に立つと、「働くことは公」と思っている人は、自らの意思で仕事をしていないという結論が導かれます。ガーンという衝撃の理由はこれだったのです。

 

長年会社組織で働いていると、本人も気づかないうちにある考え方が染み付いてしまうことがあります。私は、仕事は上司から命令されて行うものだなんて思ってはいないつもりでした。けれども、仕事を「公」だと思っていたということは、心のどこかで仕事は組織から与えられるものだと思っていたのでしょう。くわばら、くわばら。

 

公私と飲み会の意外な関係

まだまだ公私についての話題が続きます。いつになったら「飲み会」につながるのかと思われるかもしれませんが、もう少しの辛抱です。

 

「家庭、学校、会社と、人数規模は増えていきますが、どれもが特定少数のプライベートコミュニティです。

 

プライベートの対概念がパブリックです。パブリックとは不特定多数の人との交流の場です。

 

パブリックとプライベートの間には断層があります」

 

今度は、交わる人の切り口から、公(パブリック)と私(プライベート)の違いがクリアになりました。「公」と「私」の違いは、不特定コミュニティか特定コミュイティかの違いです。

 

そして、いよいよこの日の核心部分の解説がなされました。

「家族の食事、会社やサークルの飲み会は、知った人の集まりですから敵はいません。見知らぬ人が集まるパーティーはパブリックな場です。

 

日本人はパーティーが苦手です。パブリックな場に行くと、壁の花になったり、知り合いだけでかたまったりと、不特定多数の人との交流ができない人が多いです。

 

飲み会は『公』と『私』の断層を超える練習の場になります

 

「公」と「私」の話が続いてどこに向かっているのかと思いましたが、ここでついに「飲み会」つながりました。「飲み会」の前振りというにはもったいないくらいの深い「公と私」の話題提供の後に続くと、「飲み会」という言葉が崇高なものに見えてくるから不思議です。

 

食事や飲み会は、飲食をともにしながら人と交流する場であるという前提に立つと、そこは他者とのコミュニケーションを行う場になります。飲みニケーションという言葉がありますが、あながち間違いではなかったんですね。

 

不特定多数の人と交流するパーティー(公)の場は、肩書きではなく一人の人間として認めてもらう場だといいます。そこで必要になるのは、信用を得るふるまいと教養ある会話です。

 

飲み会で若い人をつかまえて話し続けるおじさん。同じ会社の人にしか通じない話をする人。こういう人は、パブリックの場では何も話せなくなります。

 

会社やサークルの飲み会を新しい人とのコミュニケーションの練習の場にしましょうというのが田中先生からの提案でした。まさか飲み会にそんな大義を与えられるとは。。。

 

飲み会の流儀

人とのコミュニケーションは古くて新しいテーマです。論語でもコミュニケーションに関して説かれているそうです。論語の中から、目上の人にお仕えする場合の3つのおかしやすい過ちが紹介されました。

・相手が話そうとした話題を言い終わる前に、話をかぶせる

・言うべき時に必要なことを言わない

・相手の顔色を全く見ないで好き勝手に発言する

 

あー、コミュニケーションでやってしまいがちな過ちは2500年経っても変わらないものなんですね。

 

今でもいますよねえ。飲み会の席でも論語に書かれている過ちをやってしまう人が。近頃は若い人が飲み会に行きたがらないとぼやく前に、飲み会の流儀を守って誰もが楽しい飲み会になっているかを省みる必要があるんですね。はああ、飲み会って奥が深い。。。

 

SO!インコ」爆誕

論語から引用されたコミュニケーションの3つの過ちには、それぞれ1文字の名前がついています。

・相手が話そうとした話題を言い終わる前に、話をかぶせる=躁(そう)

・言うべき時に必要なことを言わない=陰(いん)

・相手の顔色を全く見ないで好き勝手に発言する=(こ)

 

この解説を聞いた時、私達の頭の中はこの言葉で占領されてしまいました。

そう・いん・こ

 

と同時に、この言葉から新種のインコを連想して、頭から離れなくなりました。連想はするものの想像力の乏しい私達は、「誰かこの新種のインコにカタチを与えて見せてくれ~」と切に願ったのです。

 

勉強会も終了近くなったその時です。突如、画面に現れたのが。。。

 

 

私達の切なる願いを勉強会仲間のひめが叶えてくれたのです。画面共有で「SO!インコ」を見た私達の盛り上がりようといったら、とても言葉では語り尽くせません。

 

私にしては珍しく今月はすでに3本もブログを書いたので、勉強会ブログはスキップしたい気持ちもありました。それをぐっとこらた理由はもうおわかりですよね。そうです。この爆誕した「SO!インコ」を世にデビューさせるためです。

 

このブログを読んだ方は、これから飲み会に行くたびに「SO!インコ」のイメージが浮かぶはずです。くれぐれも飲み会の流儀も一緒に思い出すことをお忘れなく!

 

おまけ

「SO!インコ」を思い浮かべても、飲み会の流儀を思い出すのは難しいと思っている方に朗報です!

 

 

なんと、飲み会のNG流儀を体現した「SO!インコ3兄弟」が新たに誕生しました。「SO!インコ3兄弟」のイメージを思い浮かべれば、飲み会のNG流儀を自然と思い出せるに違いありません。

 

SO!インコ」と「SO!インコ3兄弟」を描いた人のイラストをもっと見てみたいと思う方は、こちらをどうぞ。


対話を生みだすKP法 -アナログプレゼンテーションのすすめ-

 

スキルを磨くよりアーティストに学ぶ時代がやってくる!?


初心者ながらに軽い気持ちで足を運んだクラシック音楽コンサート。思いがけなく深い学びを得ることになりました。

 

 

アーモンドレクチャーコンサート

2023年3月16日にサントリーホール・ブルーローズで開催されたアーモンドレクチャーコンサートVol.3に行ってきました。アーモンドレクチャーコンサートは、アーモンド社が主催する独自企画の定期的なクラシック音楽コンサートです。Vol.3のテーマは「~イタリアの想い出~」。音楽家は、イタリアのヴェローナ出身のクラリネット、ピアノ、チェロを演奏する4人。

 

私は、子どもの頃にピアノを習っていたぐらいで、特にクラシック音楽ファンというわけでもなく、特に今回の音楽家ファンというわけでもなく、特にイタリアに思い入れがあるわけでもなく。。。むしろ、クラシック音楽はちょっと敷居が高いなあと思っていたクチです。

 

そんな私がこのコンサートに行こうと思った理由は2つあります。1つ目の理由は、勉強会仲間からコンサートのお知らせをいただいて、勉強会仲間と一緒に鑑賞するのなら敷居も下がり(どんな理屈?)、楽しそうだなあと思ったからです。

 

もう1つの理由は、このコンサートが松田亜有子さんが代表を務めるアーモンド社主催のコンサートだったからです。松田亜有子さんとは、3年前にコロナ禍で世界が一変するまさにその直前に、早稲田大学エクステンション講座「クラシック音楽全史」の受講を通じて知り合いました。とても残念なことに、この講座の最終回はコロナ禍の広がりによって中止になってしまったのです。

 

そういうわけで、「クラシック音楽全史」を一緒に受講していた勉強会仲間との再集合も楽しみに、あの時の心残りを晴らすような気持ちで会場に足を運びました。

 

 

初心者でもクラシック音楽コンサートは楽しめる?

初心者でもクラシック音楽コンサートを楽しめるかなあという懸念は全くの杞憂に終わりました。「行ってよかったな」、もっと言うと「行かなかったら後悔したな」と思うくらいに楽しめました。それにはいくつかの要素がありました。それらをひとつずつ紹介していきましょう。

 

(1)一流の音楽

なんと言っても、真っ先に挙げられるのは一流の音楽をライブで聴けたことです。たとえその音楽の背景を知らなくても、聞いたことのない曲でも、一流の音楽は頭を通さずに心に直接響いてくる感じがありました。

 

空間自体が音によって様々に創り変えられていくような感覚があり、音楽の力に驚きました。これが、時代を超えて受け継がれるクラシック音楽と、それを表現する一流の音楽家のなせる技なのでしょう。その空間に身をおいて音楽に浸ることは、日常の雑事から解放してくれる非日常を体験できる時間でした。

 

音楽に浸るとは言いながら、少しはピアノをかじった身としては、疑問や発見が頭をよぎったのも事実です。

 

今回のコンサートでは、ソロ演奏はなく、デュオ、トリオ、カルテットの演奏で構成されていました。「指揮者なしでもこんなにも息がぴったり合った演奏ができるのはなぜ?」は、頭に浮かんだことのひとつです。

 

デュオ、トリオ、カルテットの演奏では、誰か一人の微妙なテンポのズレでも致命的なはずです。プロだからと言ってしまえばそれまでですが、メトロノームにあわせてピアノ練習していた私からすれば、誰一人狂わず正確なテンポで演奏してハーモニーを奏でることは驚きでした。

 

(2)松田亜有子さんの解説

演奏会は亜有子さんのこんな挨拶から始まりました。

 

「皆様、こんばんは。

WBC 日本対イタリア戦が行われる時間にようこそこの会場にいらっしゃいました。

 

今、イタリアからWBCチームのメンバーが日本に来ていますが、この会場にはイタリアから3名の音楽家が来ています」

 

東京ドームではイタリアと日本がスポーツを通じて交流し、サントリーホールではイタリアと日本が音楽を通じて交流する。この国の平和のありがたさを思わずにはいられませんでした。

 

挨拶の後は音楽の解説が続きます。ドレミの読み方や音の強弱を表すフォルテやピアノもイタリア語であること、イタリアの作曲家の作品はオペラが多くて器楽作品が少ないことなど。アーモンドレクチャーコンサートは、音楽家の演奏を聴く前に、亜有子さんの深い音楽知識にもとづいた楽曲についての解説がつくコンサートでした。

 

奏でられる音楽の背景を知らなくても十分に音楽を楽しむことはできますが、知った方がより深く浸ることができるのは言うまでもありません。

 

アーモンドコンサートではなく、アーモンドレクチャーコンサートと名づけられたのは、音楽をより楽しめる解説つきの意味がこめられているのかなと想像しました。アーモンドレクチャーコンサートはクラシック音楽初心者にもやさしいコンサートです。

 

(3)勝手に懇親会

ここまでなら、そうは言ってもやっぱりちょっと敷居が高かったなという感想になったかもしれません。が、そんな感想を吹き飛ばしてくれたのが、勝手に懇親会でした。

 

おなじみの勉強会メンバー8名が同じ会場に集合し、マスク着用も個人の判断になったとなれば、演奏側でもないのに勝手に懇親会になるのは自然の流れ、もとい、必然の流れでした。

 

会場近くのお店を探しましたが、8名というそこそこの人数が入れるお店はすぐには見つかりません。やっと見つかったお店は、屋外席ならOKという条件つきでした。幸いにもこの日は晴れて気温が高めの日ではありましたが、3月の夜に屋外席というのはあまり良いとは言えない条件です。それでも私達はそれにYESと答えました。

 

クラシック音楽コンサートを鑑賞した後の懇親会です。そこで繰り広げられるのは、もちろんさきほど聴いた音楽についての高尚な会話になったと言えるのかどうか。。。

 

まずは、タブレット上の電子楽譜を使っていた話題で盛り上がりました。

「あの曲では画面をタッチして楽譜をめくっていたよね」

「連弾の曲の時は楽譜はめくっていなかったよね」

「今どきは視線で譜めくりができるらしい」

「会場では携帯の電波が届いてなかったよね。あらかじめ楽譜はダウンロードしてるんだろうね」

などなど。

 

他に盛り上がった話題は、ピアニストのヤコポ・ジャコプッツィさん。一番盛り上がったのは、もちろんその演奏の素晴らしさ・・・ではなく、そのいでたち(笑)。真っ白なスーツ、しかも丈短めのスリムパンツ、素足に黒い革靴。舞台に現れた瞬間に誰しも目が釘付けになりました。そのいでたちで、リストの超絶技巧の難曲を華麗に演奏したのですから、その印象の強烈さたるや。それは語らずにはいられないでしょうということで、おおいに盛り上がりったのでした。

 

クラシック音楽コンサート後の懇親会というのに、演奏の話はしなかったのかって?もちろん、しましたよ。

クラリネット奏者のアレッサンドロさん、上手だったよねえ」

 

いやいや、アレッサンドロさんはプロの音楽家、しかも東京フィルハーモニー交響楽団の首席クラリネット奏者なんですから、上手に決まってます。それでも、思わずそう言わずにはいられないくらいに本当にその奏でる音楽に魅了されたのです。

 

今、思い出してみれば、こんな会話で大盛りあがりした私達、屋外席で良かったのかも。。。

 

とまあこんな風に気心の知れた勉強会仲間で、普段ならしない音楽の話題で盛り上がった勝手に懇親会のおかげで、クラシック音楽コンサートはとても楽しい想い出として刻まれることになりました。

 

クラシック音楽コンサートから何を学べる?

この日、一番心をときめかせた発見は、一人の奏者が同じ楽器を演奏しながら変幻自在に異なる音色を奏でることでした。同じ楽器を使っているのにこんなにも異なる音色が出せるものなのかと、そのことがしばらく頭から離れませんでした。音色の違いが何を意味するのかをどうしても知りたいと、ずっと考えていました。

 

音の高さ、音の長さ、音の強さ、テンポは楽譜に書かれていることは知っています。それらを正確に演奏するだけでも長い時間の努力を要することも知っています。

 

一方で、音色については楽譜には書かれていません。どんな音色を出すかはどうやって決まるのでしょうか?楽譜、作曲家の人生、作曲家が生きた国や時代背景、そこから音楽家が想像力を働かせてイメージをつくり、そのイメージに合わせた音色を奏でるのではないでしょうか。

 

楽譜に書かれたことを奏でるために必要なことがスキルだとすれば、音色を出すために必要なことは想像力と表現力です。

 

私は、プロの音楽家がプロたる所以はその卓越した演奏スキルにあると思っていました。けれども、このコンサートを鑑賞して、それは誤りであると気がつきました。もちろんプロの音楽家は卓越した演奏スキルをもっていることは間違いではありません。ただし、それは必要条件ではあっても十分条件ではありません。

 

プロの音楽家のプロフェッショナル性は、想像力と表現力にあるのだと思います。それによって、その音楽家にしか出せない音色を奏でる唯一無二性こそがプロの音楽家たらしめているものなのだと思います。

 

 

オーディエンスがプロの音楽家の演奏を聴いて心を動かされるのは、音楽家が描いたイメージを表現した音色によって、私達オーディエンスもまたそのイメージを共有できるからです。

 

今や、楽譜に書かれたことを音楽として表現することはコンピュータにもできます。昨今、世間の話題を席巻しているChatGPTの登場によって、人間と機械の境界はますます曖昧になってきています。もうプログラムを人間が書く必要はない、もうプレゼン資料を人間がつくる必要はない、そんな声さえ聞こえてきます。

 

これだけAIが進化すれば、人間がやってきたことはすべて機械に代替されていくのでしょうか?いいえ、そんなことは断じてありません。そのことを私はアーモンドレクチャーコンサートから学びました。

 

例えば、プレゼンを例にとって考えてみましょう。プレゼンはAIに置き換えられてしまうものでしょうか?私はそうは思いません。

 

 

素材から的確なプレゼン資料をつくるスキル的なことはAIに置き換えられるかもしれません。けれども、そのプレゼン資料を使って、伝えたいイメージを受け手と共有するためには、伝えたいイメージを想像する力とそのイメージを表現する力が不可欠です。

 

受け手と共有できるイメージを表現するには、テンポ、抑揚、間などを内容と相手にあわせて調整する必要があります。少なくとも今のAIにはそんなことはできません。それができるのは人間だけです。

 

スキルを磨くよりアーティストに学ぶ時代がやってくる!?

こうして考えてみると、人間と機械をわけるものは、表現者であるかどうかだと言えるのではないでしょうか。表現者であるとは、正確にアウトプットするスキルだけでなく、その人にしかできない想像力と表現力をもっていることだと思うのです。

 

スキル的なことは、いずれ機械が人間を追い越していくでしょう。そうなった時に、機械に代替されない人であるために磨くべきは、想像力と表現力ということになります。その2つをもっているのが音楽家を含むアーティストです。これからは、スキルを磨くよりアーティストに学ぶ時代がやってきそうです。

 

お知らせをいただいて軽い気持ちで参加したクラシック音楽コンサート。思いもよらない深い学びを得ることになりました。しかも、学ぶぞという肩肘を張ることなく、上質な音楽をひたすらに浴びただけで。

 

クラシック音楽コンサートに行くなら、亜有子さんの著書を読んでから行くと、より楽しめます。

 


クラシック音楽全史 ビジネスに効く世界の教養

 

一回の飲み代分でこんなに上質で意味ある学びができるアーモンドレクチャーコンサートは超お得。あ、勝手に懇親会がつくから二回の飲み代分が必要か(笑)

フリーランス塾潜入レポート続編

フリーランス塾潜入レポートが好評(?)だったので、調子にのって続編をお届けします。

フリーランス塾潜入レポートはこちら

 

 

「いつかは学部」最終講義

なんとしても参加したかったフリーランス塾「いつかは学部」の3月講義。なぜなら、この日がフリーランス塾0期の最終講義だったから。フリーランス塾潜入レポートを書いたことで潜りだとバレてしまった私は、最終講義に参加できるのかと内心ヒヤヒヤでした。

 

が、案ずるより産むがやすしとはよく言ったものです。田中塾長から退塾を命じられることはありませんでした。まあ、これは想定内。

 

想定外だったのが塾生仲間からの反応。冷たい視線を浴びるどころか、「スパイだったんですね〜。見事な潜入ぶり」とお褒めの言葉(?)までいただきました。でも、まてよ、私は自分の意思で潜入した「潜り」ではあるけれど、誰かに雇われて情報収集する「スパイ」ではないよなあと思ったけれど、細かいことは気にしないことにしましょう。

 

前置きが長くなりました。最終講義の流れはこうでした。

(1)宿題のシェアとフィードバック

(2)田中理事長からの解説

(3)妄想プランのブレストとシェア

(4)田中理事長からの予告

 

自分の商売を考える

最終講義は宿題のシェアから始まりました。今回の宿題は「誰に何を提供すると自分も相手も嬉しいか」を考えることでした。要するに、自分の商売を考えるということですね。

 

もちろん私も宿題をやりましたよ。フリーランス塾の真実を知るために。潜入するのも結構大変なんです(笑)

 

今回の宿題は、前回の宿題「自分の因数分解よりはるかに難易度が高いものでした。〆切が迫る中、考える切り口がつかめず、焦りを感じました。悶々とする中で思い出したのが、前回の潜入レポートに書いた田中理事長の言葉です。潜入レポートを書いておいた自分、Good Job!

 

「自分の因数分解を行って、自分が何によってできているのかを知るのは大事なことです。『孫子の兵法』では、敵、己、天、地の4つを知ることの大切さを説いているんですね。己を知ることは大事ですが、それは大事な4つのうちの1つに過ぎないことも忘れてはいけません」

 

この言葉を手がかりにワークシートを作りました。4つのマスを埋めたら自然と宿題に答えが出せるのではと思ったのです。さしずめフリーランスビジネスモデルキャンバスといったところでしょうか。

 

 

前回、自分の因数分解をしていたので、「己」のマスはすぐに埋めることができました。次に埋めることができたのは、「天」と「地」のマスです。ここは少し熟慮が必要でしたが、変わらないことと今の時代が求めることを考えて、なんとか埋めることができました。

 

最後まで埋めるのが難しかったのが「敵=お客さん」のマスです。自分のことはわからないとよく言われますが、自分のこと以上にお客さんのことはわからないものでした。ここがフリーランスへの道で最初にぶちあたる壁なのかもしれません。

 

本当にそうなのかという迷いがぬぐいきれないまま、〆切直前になんとか「敵」のマスを埋めました。そして、真ん中に宿題の答えになるらしきものを書き込みました。

 

宿題のシェアは、前回同様に少人数のグループにわかれて行いました。少人数だったため、シェアをするだけでなく、他の人からのフィードバックももらうことができました。

 

グループでのシェアの後は、グループの代表者を通じて、全員の宿題のシェアを行いました。当たり前ですが、塾生の商売のネタは単なる思いつきではなく、自分のこれまでの経験やあたためていた妄想に紐付いたものでした。日頃から、「こんなことができたらいいな」、「こんなものがあったらいいな」、「こんなことをやってみたいな」と思いを巡らせておくことが大事ですね。

 

商売の考え方

全員の宿題のシェアが終わった後は田中理事長からの解説が続きます。フリーランス塾が他の塾とは一線を画すのは、この解説にあります。と書きながら、他の塾のことは知らないのですが。。。(汗)

 

自分の心に従って、何をやりたいか」を出発点とするのがいいでしょう。

 

世の中をよく見て、「自分があったらいいなと思うものがどうしてないんだろう?」「どうして誰も提供しないんだろう?」を次に考えてみましょう。これが天と地を知ることです。

 

あったらいいなと思うものを小さくやってみましょう。

 

この解説を聞いて、商売のネタを考える時に、「それがなぜないのか」を考える視点が自分にはなかったことに気づきました。私は「あったらいいな」だけを考えていました。

 

「あったらいいな」と「なぜないのか」では、見えてくるものが違うはずです。ないことにも理由はあるのです。

 

孫子の兵法を引き合いに出しての田中理事長の解説が続きます。

孫子の兵法では、こう説いています。

戦う前に検討しろと。

勝つ者は戦う前に勝とうとする。負ける者は戦ってから勝とうとする。

負けそうなら逃げろ。

 

ないことの理由を知るのは、戦う前に勝つためです。ないことの理由がわかれば、商売の勝算の見通しはぐんと良くなります。

 

ないことの理由に考えられるのもやはり「己」「敵」「天」「地」です。

己:能力がないから、やりたくないから

敵:お客さんがいないから

天:まだ気づいていないから

地:条件が揃っていないから

 

私の作ったフリーランスビジネスモデルキャンバスもあながち的外れではなかったようです。が、使い方は少し変えた方がよさそうです。

 

まずは、「己」と「敵」を考えて、真ん中に商売のネタを書く。次に、その商売をなぜ誰もやっていないのかを考える。その理由を「天」と「地」に書く。その上でもう一度、商売のネタを見直してみる。こうすれば、戦う前に勝てる商売のネタを考えやすくなりそうな気がします。

 

フリーランスへの道

田中理事長は、最後にこう解説をしめくくりました。

 

フリーランスにとって大事なことは、商売を続けることです。そのためにはお金が回る仕組みが必要です。

 

イベントを1回開催することならできても、続けるには関わる人が満足を得なければなりません。

 

人からお金をもらおうとする時、経験のないことを行う時、心の弱さが出てしまいます。そんな時に、励ましたり、相談したりする場が必要で、それがフリーランスです。

 

塾生はみんな心がジーンとなったはずです。さすが理事長を名乗るだけあって、イイコトを言います。誰目線だよという言い方ですが、こうとしか言いようがないのです(にっこり)

 

フリーランスと言えば一匹狼で孤独に戦うイメージがありましたが、そんなに強い人間ばかりじゃないですよね。誰かの役に立つためにこんなことをやってみたい思いはあっても、心の弱さゆえにそれをあきらめてしまう人がいます。

 

つまり、「やってみたい思いはあるけれど、あきらめてしまう人」にフリーランスとしてやりたいことを続ける応援と協力の場」を提供するのがフリーランスなのです。

 

フリーランスとして商売を続けることはもちろん大事です。ですが、その前にもうひとつ大事なことがあります。それは、フリーランスとして商売を始めることです。

 

田中理事長は、商売を続けるためのエンジンはお金であると言いました。それでは、商売を始めるためのエンジンは一体何でしょうか?

 

少人数グループに分かれて、自分の商売のネタをシェアしていた時のことです。同じグループになったとある塾生が、商売のアイデアを披露してくれました。

 

聞いているこちらまで実現したらいいなと思うとても素敵なアイデアでした。当の本人は、そのアイデアを話しているうちに次第に熱気を帯びてきて、思わずこんな言葉を漏らしたのです。

「今の仕事をやっている場合じゃないですね」

 

これを聞いた時、商売を始めるためのエンジンが何であるかを知りました。それは、本人のやりたくてたまらない気持ちです。

 

自分一人では、描いていた妄想は日常に追われる中でいつしか薄れてゆき、変わらない日常にとどまってしまいます。

 

妄想を人前で宣言することで、やりたかった気持ちをまざまざと自覚します。私は、フリーランス塾で自分で自分に火をつける宣言効果の威力を目の当たりにしました

 

あー、私はこの瞬間を目撃するために潜入したのだと自覚しました。フリーランス塾の真実を知るためには、潜入するしかなかったのだと。

 

そう言えば、田中理事長が前回の「いつかは学部」講義の最後で、突然に歌い出したことを思い出しました。

 

この塾はまるで滑走路 フリーランスに続く♪

ユーミンの「中央フリーウェイ」のメロディーで)

 

フリーランス塾は滑走路ですね。

目的はひとつ。飛ぶことです。

いつまでも助走ばかりではしょうがないんですよ。

ロケットのようにいきなり飛ぶのは難しいですが、

フリーランス塾で助走のスピードをあげて

いつか自由に飛んで行ってください。

 

フリーランス塾はフリーランスとして飛び立つまでの滑走路だと田中理事長は言いました。でも、フリーランス塾の意義はそれだけにとどまりません。

 

飛び続けるためのエンジンはお金だけでない。飛び立った後も飛び続けるために塾生仲間の応援や協力がとても大きな力になる。これが、フリーランス塾0期の最終講義を受けての私の結論です。

 

フリーランス塾の田中理事長、イイコトを言うけれど、ちょっと惜しいこともありますね(笑)

 

ブラッシュアップフリーランス

さて、私が潜入したフリーランス塾の最終講義も終了してしまいました。この後のフリーランス塾は一体どうなるのか?気になりますよねえ。

 

と思ったところで、田中理事長からこんな予告が発表されました。

 

みなさんも感じたと思いますが、0期をやってみてわかったのは3ヶ月では短いということです。

 

4月からフリーランス塾1期を6ヶ月コースで開講します。しかーも、4月からは新学部を新たに開設することにしました。

 

近いうちに概要を発表しますので、楽しみにお待ちください。

 

なんと、新学部開設だそうです。新学部とは一体どんな学部なのでしょう?「いつかは」「すでに」とくれば、もしや「かつてはフリーランス学部」とか?(笑)「かつては」学部だとしたら、そこでは何を学ぶというのか。。。

 

近日中に田中理事長から発表されるであろう「ブラッシュアップライフ」ならぬ「ブラッシュアップフリーランス塾」の概要発表に乞うご期待!

フリーランス塾潜入レポート

今回は、にわかに注目を集めている田中先生主宰のフリーランス塾の潜入レポートをお届けしたいと思います。

 

 

プロローグ

2023年1月、田中先生がフリーランス塾を新たに開講しました。田中先生の新刊が「令和フリーランスのすすめ」を提唱していることもあいまって、フリーランス塾にはあちこちから熱視線が送られているそうです。

 

これは気になりますよねえ。ということで、塾生として潜りこむことに成功した私が、内側から見たフリーランス塾をレポートしたいと思います。

 

潜入レポートを公開しても問題ないのかって?

それについては、もちろん田中先生の了承済です。潜りだとは内緒にして、素晴らしい学びをみんなに知ってもらいたい体で交渉をして(笑)

 

このブログで潜りがバレても問題ないのかって?

それについては、フリーランス塾での学びを知らせたいというBモードが、私と田中先生で一致しているので無問題です。潜りがバレたからと言って、塾から追い出されることはないはずです。と先手を打っておくので大丈夫なはず(笑)

 

フリーランス塾って何?

フリーランス塾の塾生募集は、2022年12月22日の田中先生のFacebook投稿記事で行われました。

 

改めて新生「フリーランス塾」を立ち上げます。

 

ビジネス書やビジネススクールが教える「大組織」の経営手法と、フリーランスが学ぶべき「小さな商売」の基本は内容がまるでちがいます。

 

ぜひ一緒に「フリーランス(&志望者)が集い、学び、勇気付け合う」場を作りましょう。

 

新たな仲間よ、来たれ。我々の掲げた旗に「乗った!」と声が掛かるのを待っています。

 

入塾の条件は、募集開始のアナウンスから10日後の2022年12月31日までに応募レポートを提出すること。レポートによる厳しい(?)選考を通過すると、晴れてフリーランス塾生になれるという仕組みです。

 

フリーランス塾の組織図

フリーランス塾は、「すでにフリーランス学部」と「いつかはフリーランス学部」の2つの学部で構成されています。「すでに学部」は、士業や自営業で、すでに独立している人向きの学部。「いつかは学部」は、いまは勤め人だけどいつかは、という人向きの学部です。

 

いやあ、この学部構成とネーミングセンスが抜群にナイスです!

 

ひとくちにフリーランスと言っても、すでにフリーランスになっている人とこれからフリーランスになりたいと思っている人とでは、学びたいことが違います。ですから、これらを分けるというのはとても理にかなっています。

 

塾と言いながら、「すでにフリーランスコース」と「いつかはフリーランスコース」ではなく、「学部」の名称を使うところが、なんともちぐはぐ感があって味わい深いです。

 

また、「すでに」と並ぶ言葉として「これから」でも意味的にはありです。でも、「これからフリーランス学部」より「いつかはフリーランス学部」の方がずっと心をくすぐられますよね。ありましたねえ、CMでも。「いつかはクラウン」というのが。きっとこの言葉選びには、田中先生のこだわりがあったに違いありません。

 

それぞれの学部には学部長がいます。ですから、フリーランス塾の講師陣は3人で構成されています。ちなみに田中先生は、フリーランス塾では理事長の肩書を名乗っています。もしかして、コースではなく学部の名称を使ったのは、理事長を名乗りたかったからなのかな(笑)

 

フリーランス塾は、それぞれの学部別に講座が開講されています。どちらも月1回開催のペースです。業務連絡やコミュニケーションは塾専用のFacebookグループで行われています。

 

ある塾生のFacebook投稿では、いつの間にか、学部長が学長に昇進していたことがありました。それを見た田中理事長からのコメントは「フリーランス塾の肩書はすべていいかげんなので許します」でした。とまあこんな風に和気あいあいとした雰囲気で、講師陣と塾生間のコミュニケーションが行われています。

 

フリーランス塾では何を学んでる?

私が潜り込んだのは「いつかは学部」。フリーランス塾内では、「いつかはフリーランス学部」は、いつしか「いつかは学部」と略されるようになりました。「いつかは学部」のM学部長は、誰もがその名を知る会社で長年働いた後、フリーランスとして今もご活躍されている方です。

 

さて、いよいよここから、「いつかは学部」の2月の回を例に、中の人にしかわからないフリーランス塾の核心に迫ります。

 

「いつかは学部」はオンライン講座の形で開催されています。1月の回の終了時、「いつかは学部」のM学部長からはこんな宿題が出されていました。

 

今までやろうとして、やら(れ)なかったことを何か一つやってみてきてください。

すごく簡単なことでも大丈夫です。

 

この宿題を聞いた時、私の頭に2月の回の様子が瞬時に浮かびました。今までできなかったことができたのはどうしてか、やってみたらどうだったのか、そういう気づきを塾生でシェアするんだろうなあと。そして、踏み出そうと思っている一歩にかけているブレーキは、案外簡単にはずせることに気づく。いつかはフリーランス学部にふさわしい素晴らしい内容ではないですか!

 

2月開催日の2日前、M学部長からFacebookグループに投稿がありました。2月の開催日時、あらかじめ出されていた宿題のリマインドでした。それに加えて、なんと宿題が追加されていたのです。

 

宿題おまけ:「己」を知る回ということで、自分の因数分解をしようと思います。ちょこっと考えてきてくださいね。足し算でも、掛け算でも、微積でもなんでもOK。

 

「えーーーっ、2日前に宿題追加?!和気あいあいとした雰囲気とはうらはらに、意外とスパルタなのか?」

私は思わずつぶやいてしまいました。

 

当日の流れはこうでした。

(1)やってみたことのシェア

(2)自分の因数分解のシェア

(3)田中理事長からの解説

 

と、これだけでは潜入レポートとしては全くもの足りませんね。もう少し詳しくレポートしましょう。

 

(1)やってみたことのシェア

私の予想に反して、やってみての気づきのシェアではなく、自分が何をやってみたかを全員でシェアしました。はじめに口火を切ったのはM学部長。フリーランス塾では、教える/教えられる関係というより、学部長も一緒にやってみるスタイルです。

 

学部長の後に続いて、今度は塾生それぞれが何をやってみたかを発表しました。発表をすると、画面越しに塾生からの拍手とM学部長からのほんわかなコメントをもらえる特典がつきました。スパルタとは程遠い和やかな雰囲気の中で、それぞれの個性が出る発表が続きました。

 

潜りとは言え、もちろん私も宿題はやりましたよ。やってみてわかったのは、「今までやろうとして、やら(れ)なかったこと」が何かを思い出すのに時間がかかることでした。日々の暮らしや目の前の仕事に押し流されていると、自分がやろうとしていたことを忘れてしまうのです。今回の宿題のおかげで、それを思い出すことができました。

 

もうひとつわかったことは、「〆切効果」と「発表効果」の威力です。人が行動を起こすには〆切が必要です。昨日やりましたという塾生が何人かいました。私もそのクチです。宿題というからには発表が待っていることは誰もが予想していたことでしょう。これが行動の背中を押す助けになった割合は決して少なくないはずです。

 

やってみたことをシェアする時間はフリーランス塾の掲げる「集い、学び、勇気付け合う場」ってこういうことなんだなを実感できる時間した。いやほんと、潜入してよかったなと思いました。

 

(2)自分の因数分解のシェア

続いては、2日前に追加で出された宿題「自分を因数分解して表現」のシェアタイム。こちらは少人数のグループに分かれてのシェアになりました。

 

直前に出た宿題にも関わらず、美しく紙にまとめている塾生がいることに驚きました。私は、追加宿題はチラリと考えてみただけで、当日、なんとかなるさと軽く考えて参加したというのに。

 

自分の因数分解といっても表現の仕方はそれぞれ。こういうところにも個性は出てしまうものなんだなあと感心した次第です。

 

グループに分かれている間、田中理事長とM学部長は、各グループを巡回していました。田中理事長やM学部長がやってきて参加者が一人増えただけで、そこでの会話の広がりや方向に変化が生じました。そんな気づきも感じつつ、少人数での会話に花が咲きました。

 

と、その時です。予告されていた終了時間はまだ先というタイミングで、突然、ピンポンパンポーンという音声が流れてきたのです。耳をすましていると、M学部長からの校内放送をもじったアナウンスが流れてきました。声色も変える演出つきです。

 

へえ、Zoomにこんな機能があったんだと、その時初めて知りました。おそらくはほとんどすべての塾生より年上のM学部長。そのお茶目さとデジタルリテラシーの高さには驚くしかありませんでした。

 

(3)田中理事長からの解説

宿題のシェアが終わった後は、田中理事長からこんな解説がありました。

 

自分の因数分解を行って、自分が何によってできているのかを知るのは大事なことです。『孫子の兵法』では、敵、己、天、地の4つを知ることの大切さを説いているんですね。己を知ることは大事ですが、それは大事な4つのうちの1つに過ぎないことも忘れてはいけません

 

田中理事長が「孫子の兵法」をバイブルとしているのはよく知られたことですが、フリーランス塾でも「孫子の兵法」をベース理論とした学びが展開されています。

 

田中理事長はさらに続けました。

 

「分解すると見えるものがありますが、見えなくなるものもあります。MBAは経営に必要な要素に分けて学ぶものなんですよね。分ける時は、一方で大きくとらえて見る目ももっておくことが大事です」

 

なるほどー。フリーランス塾生募集時に田中先生が言ったことの意味がここでつながりました。

ビジネス書やビジネススクールが教える「大組織」の経営手法と、フリーランスが学ぶべき「小さな商売」の基本は内容がまるでちがいます。

 

和気あいあいの雰囲気の中、学びの中身はしっかり濃いフリーランス塾。あっという間にお時間となりました。最後にはまた、M学部長から次回に向けた宿題が発表されました。「いつかは学部」は、話を聞くだけ学部ではありません。自分でやってみる学部です。

 

と書いている私は、まだ宿題に全く手をつけられていません。。。(汗)

 

フリーランス塾の特徴は?

これだけ書いたら潜入レポートとしてはここで終わっても十分な気もします。が、フリーランス塾の特徴をもっと端的に伝えたい思いがムクムクとわいてきてしまいました。そうは言ってもなあ。。。と思ったら、M学部長がちゃんと教えてくれたじゃないですか。因数分解を使えば端的に表現できますよと。

 

ということで、フリーランス塾を因数分解したのがこちらです。

これだけでは、なんのこっちゃわかりませんよね。これからじっくり解説していきましょう。

 

フリーランス塾を成り立たせる要素は、塾生、塾での学び、そして講師陣です。これらのどれが欠けても塾としては成り立ちません。とすれば、フリーランス塾の特徴はそれぞれの要素の特徴に他ならないと考えたわけです。

 

◆塾生

皆さん、とても前向きな方ばかりです。2日前に追加で宿題が出ても、誰一人文句を言ったりしません。講座の中での発言にもネガティブワードが出てくることはありません。

 

「いつかは学部」ですから、今はどこかの組織に所属して働いている人たちの集まりです。ここに集った塾生のいつかはフリーランスへの起点は、不安ではなく役に立ちたい思いです。そんな塾生が集っているのですから、「いつかは学部」の雰囲気が前向きで明るくなるのもうなづけます。

 

◆塾での学び

フリーランス塾では、もちろん田中先生の新刊が教科書的な位置づけになっています。


ただの人にならない 「定年の壁」のこわしかた(マガジンハウス新書)

 

「いつかは学部」の学びは、教科書を講師が解説するような野暮な学びではありません。やってみることが中心のとても実践的な学びです。

 

M学部長は、宿題を出した際にこう言いました。

「試すことに失敗はありません」

 

「いつかは学部」の塾生は、試すことがどんどん楽しくなって、そのうち、みんながこう言い出すのではないかという気がします。

「私、失敗しないので」

 

◆講師陣

最後に講師陣の特徴です。これを思いつくのにはちょっと時間がかかりました。特徴がないからではなく、特徴があり過ぎてどう表現していいのかわからなかったからです。

 

前向き(Proactive)、実践的(Practical)ときたら、Pしばりで考えたくなるのが人情というものです。Pしばりで見つけたのが、これまで生きてきて一度も使ったことがない"Personable"。和訳は「感じの良い」です。これだ!と思いました。3人とも長がついても偉ぶることなど微塵もなく、超がつくほど感じが良いんです。

 

以上をまとめると、こうなります。

フリーランス塾の特徴としては、塾生と学びの特徴だけでも十分とも言えます。が、そこにさらに講師陣の特徴が加わるのですから、これはもう唯一無二の塾と言ってもいいのではないでしょうか。

 

そう言えば、田中理事長は、分けて考えるだけでなく大きくとらえて見る(=共通項を見る)ことも大事だと言っていました。

 

フリーランス塾の因数分解ができたよバンザーイ!で終わっては、ダジャレ好きの理事長からのお叱りが飛んできそうです。共通項も探し出さねばと思ったら、案外簡単に見つかりました。

 

2月の回の終了後に、FacebookグループにM学部長から簡単なまとめの投稿がありました。その投稿の最後にこんなおまけつきで。

おまけ「シン・春の七草

せり、なずな、ごぎょう、はこべら、ほとけのざ、すずな、ズルシロ! (孫子の兵法、詭道変格活用)

 

これを見た瞬間に共通項が見つかりました。

フリーランスはダジャレがお好き。

 

続編に続く。

老後の不安を吹き飛ばすには

2023年初の孫子女子勉強会は、田中先生の新刊発売翌日の1月27日。東京には雪予報が出された寒い日でした。

 

 

老後の不安の正体

この日の勉強会の始まりは、もちろん新刊に関連した話題から。田中先生の新刊タイトルは「ただの人にならない『定年の壁』のこわし方」。老後が長くなったことで、老後資金不足の不安を抱く人が増えました。そんな人に向けて、不安を解消する提案が書かれています。

 

勉強会で、田中先生はこう切り出しました。

「老後に不安を抱く人はお金がないから不安だと言います。私のFacebook投稿に対して、『お金はないけど不安はない』と書いてくれた人がいます。世の中には、お金があるけど不安な人もいます」

 

ん?待てよ。老後の不安は資金不足ではないということか?老後の不安の正体は一体何なのか。それを紐解かねばなりません。

 

お金がないから不安の正体

まずは「お金がないから不安」という人の紐解きから。「お金がない」と言う時のお金は、定年時点のお金を指していると思います。定年後の生活を考えると「収入 < 支出」になる。つまり、定年後はお金がどんどん減っていく。老後が長くなったので、死を迎える前に資金が先に底をついてしまうのではという不安にかられます。これが、「お金がないから不安」の正体です。

 

次は「お金がないけど不安がない」という人の紐解き。「お金がない」は、定年時点のお金を指している点は変わりません。定年後の生活が「収入 < 支出」になったとしても、お金の減り方が「お金がないから不安」の人よりは緩やかです。その理由は、定年後も働いて収入を得ているからです。大金を稼ぐ必要はありません。資金が底をつかない程度に稼げれば、「お金がないから不安」になることはありません。

 

お金があるけど不安の正体

続いて「お金があるけど不安」という人の紐解きです。「お金がある」も、定年時点のお金を指しています。お金がある人は、定年後の生活が「収入 < 支出」になっても、死の前に資金が底をつく可能性はぐんと低くなります。

 

では、お金がある人の不安はどこからくるのでしょう?お金が減っていく。それは変えられない確定事項であることに対する不安です。私はお金がある人ではないので、ほんとかどうかは知らんけど(笑)。これが、「お金があるけど不安」の正体(のはず)です。

 

「お金がないけど不安はない」人との違いは何でしょうか?「お金がないけど不安がない」人にとっては、お金が減ることは自分でコントロールできることです。自分の働きによって収入はコントロール可能です。お金が減らないぐらいに稼ぐことができるかもしれないし、お金の減り方を少なくすることができるかもしれません。

 

「お金がないけど不安はない」人は、例えれば自分で車を運転している状況です。下り坂になればブレーキを踏むこともできるし、ハンドルを切って別の道に迂回することもできる。

 

これに対して、「お金があるけど不安」な人は、下り坂をトロッコに乗っているような状況です。自分では制御不能な状況で坂を下っていくのですから、不安になるのも無理からぬことです。

 

ここまで紐解ければ、老後の不安の正体が見えてきます。不安の正体は、資金不足ではなく、自分ではお金をコントロールできない状況になることです。だとすれば、「老後の貯金はいくら必要ですか?」と問うても老後の不安が解消されないことはもうおわかりですよね。

 

お金を稼ぐには

老後の不安の正体がわかりました。不安の解消法が定年後も働いて収入を得ることもわかりました。次なる問いは、「一体どうやって定年後に稼ぐのか?」です。

 

この誰もが抱く問いをテーマにした田中先生の新刊。かなり話題になっているようです。発売直後から取材の依頼も入っているとか。取材で受けた質問「定年後も働くにはどんなスキルが必要ですか?」に田中先生はこう答えたそうです。

「明るい人になることじゃないでしょうか」

 

取材者さんは、あまりの変化球な答えにキョトンとされたそうです。まあ、そういう反応になりますよね。質問と回答の間には、あまりにも飛躍がありますから。

 

孫子女子勉強会では、この問いと答えのギャップを埋めるヒントが田中先生から提供されました。ああ、なんて贅沢な勉強会なんでしょう!

 

田中先生はいつものように曲線的に、そして考えるヒントを散りばめながら語りました。それらのピースを拾い集めて、私なりに読み解いてみました。

お金を稼ぐには

 

新刊には、商売の基本は「売り物」と「お客様」と書かれています。自分の「売り物」を見つけるためには、小さく色々と試してみることが必要です。今の時代は、副業が認められている会社も多いので、これを利用しない手はありません。

 

副業について、田中先生はこう言います。

副業で大事なことは、いくら稼げるかではなく、どんな経験ができるかです。こうなりたいと思う理想の人の近くにいれば商売のヒントが得られます。お金を稼げなくても、理想の人のお手伝いをすることをおすすめします」

 

「売り物」を見つけるのに必要なのは経験を積み重ねることです。やってみれば、それが好きか嫌いか、得意か不得意かが見えてきます。こういうことは考えただけでは決してわかりません。

 

「お客様」の見つけ方についてもヒントをくれます。

「人と出会っていい関係を築く。もう一度会いたいと思ってもらう明るいキャラであれば、声がかかるようになります

 

お客様は探すのではなく、向こうからお客様がやってくる状況をつくる。その状況をつくるのは、明るいキャラであると。

 

商売には、売り手とお客様の間に必ずコミュニケーションが発生します。スキルによる価値提供だけでなく、コミュニケーションの心地良さまでが購入体験なのです。

 

明るいキャラはどうやってつくられるかというと、これも経験の積み重ねだと私は思います。苦い経験をすれば人の心の痛みがわかります。嬉しい経験をすれば人を喜ばせたくなります。経験がキャラをつくる。これは私の持論です。

 

お金を稼ぐには、スキルよりももっと大切なことがあることがおわかりいただけたでしょうか。「定年後も働くのにどんなスキルが必要か」と質問した取材者さんにも、「明るい人になる」の真意が伝わることを願います。

 

「定年後も働いてお金を稼ぐには」について、田中先生の新刊により広く深く書かれています。ご興味ある人はぜひ。

 

 

老後の不安を吹き飛ばすには

お金を稼ぐのに大切なことは「経験」であることがわかりましたとさ。めでたし、めでたし。

 

とはならないのが、孫子女子勉強会らしいところです。

 

田中先生は、時々、会計士っぽい解説をすることがあります。こんな時、そう言えば田中先生って公認会計士だったなあと思い出します。

 

「『機会原価』というのがありましてね。節約によって失うものがあるんです」

 

機会原価とは、ある意思決定を行った際に得られる利益と最善の意思決定をしていれば得られた利益との差のことです。とかくに専門用語は、言葉で説明されても、わかったようでわからない。なかなかピンと来ないことが多いものです。

 

専門用語を使わずに、はじめからこう言ってくれればすぐわかるのにという解説が続くのが田中先生流です。それが故に田中先生が公認会計士だということを忘れてしまうのです(笑)

 

「暇になったら。。。一段落ついたら。。。そのいつかは来ません。人生後半になると、元気なうちに楽しいことはすぐやった方がいいんです」

 

この言葉で言わんとすることは明々白々にわかります。でも、せっかくなので、田中先生が「機会原価」を使って言いたかったことを図式化してみました。

経験価値曲線

つまり、こういうことです。人生の前半は、健康不安リスクが極めて低く、身体の性能は時間が経っても変わりません。何かを経験して得られる価値は身体を通じて得られます。ですから、人生の前半では、経験価値は時間が経っても変わりません。

 

ところが、人生の後半になると、経年劣化で身体のあちこちにガタがき始めます。ということは、人生の後半では、経験価値は時間とともに下がってしまいます。すなわち、同じ経験をするとしても、今やる方が数年先にやるより経験価値が高くなるというわけですここから導かれる結論が「楽しいことはすぐやった方がいい」です。

 

田中先生は、「今日の勉強会の感想を一言どうぞ」とリアル参加していた私に水を向けてくれました。それで、とっさに思い浮かんだメメント・モリの言葉を紹介して、こんなことを話しました。

メメント・モリという言葉があります。メメント・モリは、自分がいつか死ぬことを意識することです。数年後に先延ばしようとしている楽しみは、突然の死によって味わえないかもしれないと思ったら、今やっておこうという気持ちになりますよね」

 

これを聞いたオンライン参加の仲間がチャットに何かを書き込んだそうです。リアル参加組の私たちにはZoomのチャット欄が見えません。そこで、田中先生が読み上げてくれました。

「何かチャットに書き込まれたので読み上げますね。メメント・モリの和訳は『迷ったらやっとけ』」

 

メメント・モリの和訳として、「自分がいつか死ぬことを忘れるな」より「迷ったらやっとけ」の方が何倍も威力があって、気持ちが明るくなります。さすが孫子女子です!

 

老後の不安を解消するためには定年後も働く。でも、老後の不安の解消という守りの姿勢だけでは私たちは満足しません。不安など吹き飛ばして楽しく生きてこその老後です。そのための答えとして孫子女子が出したのがこれです。

 

おまけ

勉強会が終わってリアル参加組が外に出ると、地面には雪で濡れた痕跡がありましたが、もうすでに雪は降りやんでいました。冷気に肩をすくめながらも、心はなんだかぽかぽかしていました。

 

この日の懇親会は、いつもは満席で入れない人気店に入ることができました。メニューを見るとどれもこれも美味しそうです。一緒にお店に入った仲間たちとメニュー選びに迷っているその横で、田中先生が言いました。

「新年と新刊発売のお祝いに、フランベも頼みましょうか」

 

 

席に運ばれた容器に点火して、目の前で炎が燃えがる演出つきのお料理です。私たちが大いに盛りあがったことは言わずもがなです。もちろん、お味も文句なし。

 

果たしてそのお値段は。。。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

新刊発売直後の著者の喜びがいかなるものかを間近で経験させてもらいましたとさ。ちゃんちゃん。

田中先生の本はなぜ面白いのか

 

田中先生の新刊が2023年1月26日に発売になりました。今回も期待通りに面白く一気読みしました。今回は、田中先生の本はなぜ面白いのかに迫ってみました。

 

 

ただの人にならない「定年の壁」のこわしかた

田中先生の新刊タイトルは、「ただの人にならない『定年の壁』のこわしかた」。タイトルからして定年本です。サラリーマンの定年後のお金と生き方への提案が書かれています。

 

定年後のお金と生き方

 

長寿社会になって定年後の期間が長くなった今の時代、定年後の老後資金への不安をもつ人が増えています。その不安に対しての田中先生の提案が、「定年後も働いて収入を得る」です。これがお金に関する提案。

 

ところが、定年のあるサラリーマンが「定年後も働く」を実行するためには、壁が立ちはだかります。サラリーマンは、定年になったらそこで働くのは終了というルールがあります。ですから、サラリーマンには、定年後は働けないという壁が立ちはだかります。これが「定年の壁」です。「定年の壁」に対しての田中先生の提案が、「定年後に雇われずにフリーランスとして働く」です。これが生き方に関する提案。

 

至ってシンプル、かつ合理的な提案です。その提案にのるとしたら、今までサラリーマンとして働いてきた人がどうやってフリーランスに転身すればいいのか。この本は、その道標を示してくれます。

 

「定年の壁」の正体

「定年の壁」のこわし方と言うからには、「定年の壁」の正体がわからねばなりません。

 

サラリーマンとフリーランスの違いは、「会社に雇われて働くか」と「雇われずに働くか」の雇用形態の違いではないというのが、田中先生の持論でした。この本では、サラリーマンとフリーランスの違いの本質を鋭く突いています。

定年の壁の正体

 

サラリーマンは、会社や上司から与えられた仕事を行ううちに、「好きな仕事=Bモード仕事」がわからなくなります。一方で、フリーランスは、やりたい仕事を自由に行う存在です。それができるのは、「好きな仕事=Bモード仕事」がわかっているからです。

 

サラリーマンとフリーランスの違いは、目に見える雇用の形態の違いではなく、好きな仕事がわかって仕事をしているかどうかのマインドの違いなのです。

 

サラリーマンの前に立ちはだかる「定年の壁」の正体は、定年後に働けないことではなく、好きな仕事がわからないことです。この本では、好きな仕事がわかって仕事をすることをフリーランスマインドと呼び、フリーランスマインドの身につけ方について、あらゆる角度から論じています。

 

 

田中先生の本はなぜ面白いのか

私は、この本にも出てくる「女性限定・孫子の兵法勉強会」に参加しています。ここしばらくの勉強会のテーマは定年や老後に関するものでしたから、この本には、その勉強会を通じてすでに知っていた内容も含まれていました。

 

全部ではないとはいえ、知っている内容もあったにも関わらず、田中先生の新刊を面白く読み進めることができました。読み終わって真っ先に頭に浮かんだのはこれでした。

「あー、田中先生の本はなぜ面白いのかを解明したい」

 

その目線でもう一度パラパラと読み返してみて、私が出した結論はこれです。

田中先生の本の面白さはキレとコクにある

 

料理でも、キレがいいとコクが足りなくなり、コクが強いとキレが悪くなると言われます。田中先生の本が面白いのは、「キレがあるのにコクがある」を成立させているからです。

 

 

 

キレのある表現

田中先生の本には、随所にキレのある表現があり、キレによって読者を新しい世界に誘ってくれます。

 

◆独自視点の洞察

なんといっても田中先生独自の視点による深い洞察を行った表現には、ハッとさせられます。

 

例えば、定年不安の正体をマズローの欲求五段階説と対比して作成した不安五段階説

 

欲求五段階説と不安五段階説

 

マズローの欲求五段階説は、人間の欲求を5つの階層構造でとらえ、欲求は下から上へと向かうことを表したものです。

 

田中先生が作成した不安五段階説では、年をとると不安が階層構造になって心を蝕んでくると説明しています。不安③~⑤が何かは、ぜひ本を手にとって確かめてください。そして、所属と承認欲求を会社に依存していたサラリーマンには、定年によってそれらを喪失することへの警鐘を鳴らしています。

 

◆絶妙な例え方

田中先生の絶妙な例え方によって、腹落ち度は爆上がりします。

 

例えば、商売が下手な人がやっていることを「まずいラーメンを山奥で売る」という例え方

 

これを読んだだけで、商売の基本である「売りもの」と「買ってくれる顧客候補を探す」の意味が一瞬にして腹落ちします。

 

 

コクのある表現

田中先生の本には、キレがある表現だけでなく、コクのある表現もあります。そして、コクのある表現にこそ田中先生らしさがあると私は見ています。コクのある表現によって、読者の興味を高め、読みものとしての面白さを増してくれるのです。

 

◆ユーモア

田中先生の本に挿まれたユーモアは、クスリとした笑いを誘い、緊張をゆるめてくれます。

 

例えば、「定年の前に諦念を学ぶ」の表現

 

「定年の前に諦めを学ぶ」でも意味的には同じですが、「諦念」の言葉を選んでいます。田中先生は、きっとニヤリとしながら「諦念」の言葉を綴ったに違いありません。

 

◆雑学

さり気なく挿入されている雑学には、「へえ~」という楽しい驚きがあります。雑学を披露して終わりではなく、その使い方の解説つきというところに田中先生らしい奇襲を感じます。

 

例えば、「風流」という言葉の由来

 

禅宗では、思い通りにならないときの心のゆらぎが「風流」とされたことが書かれています。それに続いて、レストランで注文とは違う品が届いた時には、心の中で「風流だなあ」とつぶやこうと書かれています。

 

例えば、名の知られていない画家の絵画

 

ヘンドリック・フランズ・ディアメールが描いた「年齢のステップ」の絵画の紹介。一体どこからこんな絵画の知識を仕入れているのでしょうか。「年齢のステップ」には、誕生してからの人生の前半が上り、人生の後半は下りで描かれているように、「50歳を過ぎたら下り坂のプロセスを歩んでいる」ことを自覚しましょうと書かれています。

 

 

この本は定年本であって定年本ではない

この本のタイトルには「定年」がついていますし、内容も定年後をどうするかが中心になっています。誰が見ても定年本と位置づけるでしょう。

 

それでも、私は、この本は定年本であって定年本でないと主張します。定年本の皮をかぶった幸せな生き方の本です。ですから、定年のことなど全く考えてもいない若いサラリーマンにこそ読んでほしいと思います。そう思う理由が2つあります。

 

1つ目の理由は、令和時代のサラリーマンには「令和サラリーマンの壁」があるからです。

 

これまでのサラリーマンは、会社や上司から与えられた仕事をこなし、評価されれば会社で昇進するというキャリアが用意されていました。

 

ところが、昨今では、「キャリアオーナーシップ」という名のもとに会社でのキャリアの考え方が大きく変化しました。キャリアオーナーシップとは、「個人一人ひとりが『自らのキャリアはどうありたいか、如何に自己実現したいか』を意識し、納得のいくキャリアを築くための行動をとっていくこと」です。

 

令和サラリーマンの壁

 

令和サラリーマンには、「好きな仕事=Bモード仕事」がわかっていることが求められるのです。今まで、会社や上司から与えられた仕事をしてきたサラリーマンが、突然に、これからは自分のやりたいことを考えなさいと言われているのです。

 

令和のサラリーマンには、定年など程遠い年代であっても、「定年の壁」と同じく「令和サラリーマンの壁」が立ちはだかるのです。この本に書かれている「定年の壁」のこわし方は、「令和サラリーマンの壁」のこわし方でもあります。

 

2つ目の理由は、令和時代のサラリーマンには健康不安リスクがあるからです。

 

サラリーマンの健康不安リスク

 

令和時代のサラリーマンには、会社から強制的に令和サラリーマンへの転換を求められます。長年しみついた「好きな仕事=Bモード仕事」がわからない状態から、強制的に令和サラリーマンに転換しろと言われることがストレスになることは十分に考えられます。そのストレスによって健康不安を生じるリスクがあるのです。

 

貯蓄や投資よりも大事な健康に不安を生じるリスクを減らすためにも、この本を読んで、「令和サラリーマンの壁」のこわし方を知ってほしいと思います。

 

 

 

この本を脱稿した直後の田中先生と会う機会がありました。お疲れだった田中先生は、こんな言葉を漏らしていました。

「1年前は児童書を書いて、今度は定年本を書いた。守備範囲が広すぎて、疲れるもの当たり前」

 

そう言えば、私も1年前に田中先生が書いた児童書の読書感想文を書いたことを思い出しました。

iwayama.hatenablog.com

 

それを読み返してみて、わかりました。1年前に田中先生が書いたのは、児童書の顔をした幸せな生き方の本。今回、田中先生が書いたのは、定年本の顔をした幸せな生き方の本。どちらも「プレイフルに生きようぜ」という愛あるメッセージにあふれた幸せな生き方の本でした。

 

ですから、田中先生は守備範囲が広いと言ったけれど、案外そうでもないんじゃないかなあ(笑)

 

 

迂直の計

2022年最後の孫子勉強会が行われたのはクリスマスが近づいた12月21日のことでした。コスパやタイパが重視される時代に、立ち止まって考える機会をもらった回でした。

 

 

迂直の計

この日にとりあげられた孫子の兵法からの一節はこれでした。

 

「迂を以て直となす」(迂直の計)

 

孫子の兵法では、遠回りしたり時間をかけたりして敵を油断させたところで、突撃して有利な状況をつくり出す戦略を迂直の計として説いています。

迂回した方が結果的には近道になることがあるという教えであり、迂直の計の迂は回り道すなわち曲線を、直は直線を意味します。

 

2500年以上も前に書かれた孫子の兵法の考えを現在の知恵に読み替えるのが孫子女子勉強会。迂直の計と言われればわかった気にはなりますが、我が身の血肉とするには言葉を知っただけでは足りません。その段差を埋めてくれるのが田中先生の解説です。

 

ToDoリストにみる迂直の計

迂直の計を現在の知恵に読み替えるために、田中先生はToDoリストを引き合いに、こう語りました。

 

ToDoリストに今日やることを書くのはダメです。ToDoリストに書くのは3年後までにやるべきことです。忙しくなると目の前のことに囚われて、直線経路を考えるようになります。

 

3年後までにやることは、すぐに結果を出そうとせずに試行錯誤をする猶予があります。その過程で思わぬ方向での結果につながることもあります。長期視点で考えると、直線経路以外の選択肢を選ぶことができます。

 

一方で、今日やることは、そもそもやる必要があるのか、やることの意味は何かを問う余裕もなく、今日のうちにこなしていくことに集中してしまいます。短期視点に陥ると、決まりきった直線経路だけを選ぶので、相手を驚かせるような意外な結果はおこりません。

ToDoリストにみる迂直の計

ToDoリストに3年後までにやることを書くのは長期視点をもつ迂であり、今日やることを書くのは短期視点に陥る直であるというわけです。

 

2500年前の迂直の計と、現在に生きる私たちの生活に溶け込んでいるToDoリスト。この一見関係なさそうな2つをつなげた解説で、迂直の計の意味するところが浮かび上がってきます。

 

TVドラマにみる迂直の計

田中先生にならって、私も現在に馴染んでいるものを引き合いに、迂直の計の理解を探求してみました。迂と直の対比ができるものとして思い浮かんだのがTVドラマです。

 

TVドラマは、見逃し配信で視聴できるようになりました。うちの子どもは、タイパ(タイムパフォーマンス)重視で、見逃し配信で早送りしてドラマを見ています。ところが、2022年に大ヒットしたドラマ「Silent」だけは通常再生で見ていました。

 

「Silent」だけは通常再生で視聴した理由は、至るところで散々書かれているように、丁寧に描かれたひとつひとつのセリフとシーンをじっくりと味わいたくなるコンテンツだったということに尽きます。ストーリーの結末よりもプロセスを重視して視聴していたということです。

 

怒涛のような展開で、その結末がどうなるのかを知りたいと思わせるドラマの場合は、結論の方に意識が向いて早送り再生で見た方がよいことになるのでしょう。

TVドラマにみる迂直の計

 

通常再生で視聴するようにプロセスを重視することが迂であり、早送り再生のように結果を重視することが直であるというわけです。

 

孫子女子勉強会のあり方

「迂直の計」を現在の知恵に読み替えると、長期視点をもち、プロセスを重視することだとわかりました。こう言ってしまえば、わざわざ「迂直の計」と言われなくてもわかりそうな話です。

 

「迂直の計」の話を聞いて、湯川秀樹博士が残した言葉を思い出しました。

「自然は曲線を創り、人間は直線を創る」

 

自然がつくった曲線と人間がつくった直線

日課の散歩で自然に囲まれた公園を歩いている時にも、湯川博士の言葉を象徴する光景に出会います。悲しいかな、人間は直線をつくってしまう生き物であるからして、「迂直の計」という教えが出てくるのでしょう。

 

実はこの日の田中先生の話は、迂直の計にとどまりませんでした。この日の話に出たキーワードにはこんなものがありました。

サンタクロース、幽霊、未来予測、OODA、迂直の計、区切り、遍歴職人、機動戦

 

そうです、田中先生の話題はいつも曲線的に展開するのです。

 

勉強会で基本的に扱うテーマは、会の名の通りに「孫子の兵法」です。2500年たっても色褪せない長期視点の考え方を学ぶ場です。

 

この勉強会の特徴は、何といっても勉強会の時間そのものを楽しむことです。ここで何か役に立つことを得ようなどと結果を求めている人は誰一人いません。

 

孫子女子勉強会のあり方をまとめると、こうなります。

・田中先生の話題は曲線的に展開(回り道)

・扱うテーマは「孫子の兵法」(長期視点)

・勉強会の時間そのものを楽しむ(プロセス重視)

 

なんと、孫子女子勉強会のあり方は「迂直の計」そのものではありませんか。10年続く勉強会の秘訣が「迂直の計」にあったとは!孫子女子勉強会の奥深さよ。

 

2023年も、学ぶ時間の楽しさを味わうために、勉強会に参加し続けようと自分に誓ったことは言うまでもありません。