2023年2月の孫子女子勉強会のテーマは「飲み会」。このテーマですから、勉強会での時間を楽しんで終わりにしたいところでしたが、とある事情でどうしてもブログを書く必要がありました。
公と私
珍しいことに、始まる前からテーマは「飲み会」と予告されていた2023年2月27日の孫子女子勉強会。テーマの予告があったのにはちょっとした理由があるのですが、それはまた別の機会に。
どこで飲み会のつながるの?と思うような「公と私」の話題から勉強会は始まりました。
「公私混同という言葉がありますよね。
例えば、仕事は『公』、家族旅行は『私』と思っていませんか?」
はい、思っていました。どこが違うんでしょう?
田中先生の話が続きます。
「働くのは自らの選択で行うことですよね。
誰かに命令されてするものでもなく、国家のためにするものでもない。
仕事は『公』と思っている人が多いのですが、仕事は『私』です」
飲み会テーマでどんな楽しい話題が繰り広げられるのかとお気楽に構えていた私は、ガツンと頭を殴られたような気分でした。仕事を「公」と思うか「私」と思うかが違っていたという単純な話ではなく、そこにはとんでもなく根深い問題が潜んでいるように感じたからです。
つまりは、拠って立つ前提が違っていたんです。「働くことは公」という前提に立てば、仕事は「公」になります。「自らの意思で行うことは私」という前提に立てば、働くのは自ら選択したことであり、仕事は「私」ということになります。
この2つの前提を眺めてみると、どう考えても「自らの意思で行うことは私」という前提に軍配が上がります。異論の余地はありません。この前提に立つと、「働くことは公」と思っている人は、自らの意思で仕事をしていないという結論が導かれます。ガーンという衝撃の理由はこれだったのです。
長年会社組織で働いていると、本人も気づかないうちにある考え方が染み付いてしまうことがあります。私は、仕事は上司から命令されて行うものだなんて思ってはいないつもりでした。けれども、仕事を「公」だと思っていたということは、心のどこかで仕事は組織から与えられるものだと思っていたのでしょう。くわばら、くわばら。
公私と飲み会の意外な関係
まだまだ公私についての話題が続きます。いつになったら「飲み会」につながるのかと思われるかもしれませんが、もう少しの辛抱です。
「家庭、学校、会社と、人数規模は増えていきますが、どれもが特定少数のプライベートコミュニティです。
プライベートの対概念がパブリックです。パブリックとは不特定多数の人との交流の場です。
パブリックとプライベートの間には断層があります」
今度は、交わる人の切り口から、公(パブリック)と私(プライベート)の違いがクリアになりました。「公」と「私」の違いは、不特定コミュニティか特定コミュイティかの違いです。
そして、いよいよこの日の核心部分の解説がなされました。
「家族の食事、会社やサークルの飲み会は、知った人の集まりですから敵はいません。見知らぬ人が集まるパーティーはパブリックな場です。
日本人はパーティーが苦手です。パブリックな場に行くと、壁の花になったり、知り合いだけでかたまったりと、不特定多数の人との交流ができない人が多いです。
飲み会は『公』と『私』の断層を超える練習の場になります」
「公」と「私」の話が続いてどこに向かっているのかと思いましたが、ここでついに「飲み会」つながりました。「飲み会」の前振りというにはもったいないくらいの深い「公と私」の話題提供の後に続くと、「飲み会」という言葉が崇高なものに見えてくるから不思議です。
食事や飲み会は、飲食をともにしながら人と交流する場であるという前提に立つと、そこは他者とのコミュニケーションを行う場になります。飲みニケーションという言葉がありますが、あながち間違いではなかったんですね。
不特定多数の人と交流するパーティー(公)の場は、肩書きではなく一人の人間として認めてもらう場だといいます。そこで必要になるのは、信用を得るふるまいと教養ある会話です。
飲み会で若い人をつかまえて話し続けるおじさん。同じ会社の人にしか通じない話をする人。こういう人は、パブリックの場では何も話せなくなります。
会社やサークルの飲み会を新しい人とのコミュニケーションの練習の場にしましょうというのが田中先生からの提案でした。まさか飲み会にそんな大義を与えられるとは。。。
飲み会の流儀
人とのコミュニケーションは古くて新しいテーマです。論語でもコミュニケーションに関して説かれているそうです。論語の中から、目上の人にお仕えする場合の3つのおかしやすい過ちが紹介されました。
・相手が話そうとした話題を言い終わる前に、話をかぶせる
・言うべき時に必要なことを言わない
・相手の顔色を全く見ないで好き勝手に発言する
あー、コミュニケーションでやってしまいがちな過ちは2500年経っても変わらないものなんですね。
今でもいますよねえ。飲み会の席でも論語に書かれている過ちをやってしまう人が。近頃は若い人が飲み会に行きたがらないとぼやく前に、飲み会の流儀を守って誰もが楽しい飲み会になっているかを省みる必要があるんですね。はああ、飲み会って奥が深い。。。
「SO!インコ」爆誕
論語から引用されたコミュニケーションの3つの過ちには、それぞれ1文字の名前がついています。
・相手が話そうとした話題を言い終わる前に、話をかぶせる=躁(そう)
・言うべき時に必要なことを言わない=陰(いん)
・相手の顔色を全く見ないで好き勝手に発言する=瞽(こ)
この解説を聞いた時、私達の頭の中はこの言葉で占領されてしまいました。
そう・いん・こ
と同時に、この言葉から新種のインコを連想して、頭から離れなくなりました。連想はするものの想像力の乏しい私達は、「誰かこの新種のインコにカタチを与えて見せてくれ~」と切に願ったのです。
勉強会も終了近くなったその時です。突如、画面に現れたのが。。。
私達の切なる願いを勉強会仲間のひめが叶えてくれたのです。画面共有で「SO!インコ」を見た私達の盛り上がりようといったら、とても言葉では語り尽くせません。
私にしては珍しく今月はすでに3本もブログを書いたので、勉強会ブログはスキップしたい気持ちもありました。それをぐっとこらた理由はもうおわかりですよね。そうです。この爆誕した「SO!インコ」を世にデビューさせるためです。
このブログを読んだ方は、これから飲み会に行くたびに「SO!インコ」のイメージが浮かぶはずです。くれぐれも飲み会の流儀も一緒に思い出すことをお忘れなく!
おまけ
「SO!インコ」を思い浮かべても、飲み会の流儀を思い出すのは難しいと思っている方に朗報です!
なんと、飲み会のNG流儀を体現した「SO!インコ3兄弟」が新たに誕生しました。「SO!インコ3兄弟」のイメージを思い浮かべれば、飲み会のNG流儀を自然と思い出せるに違いありません。
「SO!インコ」と「SO!インコ3兄弟」を描いた人のイラストをもっと見てみたいと思う方は、こちらをどうぞ。
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