スキルを磨くよりアーティストに学ぶ時代がやってくる!?


初心者ながらに軽い気持ちで足を運んだクラシック音楽コンサート。思いがけなく深い学びを得ることになりました。

 

 

アーモンドレクチャーコンサート

2023年3月16日にサントリーホール・ブルーローズで開催されたアーモンドレクチャーコンサートVol.3に行ってきました。アーモンドレクチャーコンサートは、アーモンド社が主催する独自企画の定期的なクラシック音楽コンサートです。Vol.3のテーマは「~イタリアの想い出~」。音楽家は、イタリアのヴェローナ出身のクラリネット、ピアノ、チェロを演奏する4人。

 

私は、子どもの頃にピアノを習っていたぐらいで、特にクラシック音楽ファンというわけでもなく、特に今回の音楽家ファンというわけでもなく、特にイタリアに思い入れがあるわけでもなく。。。むしろ、クラシック音楽はちょっと敷居が高いなあと思っていたクチです。

 

そんな私がこのコンサートに行こうと思った理由は2つあります。1つ目の理由は、勉強会仲間からコンサートのお知らせをいただいて、勉強会仲間と一緒に鑑賞するのなら敷居も下がり(どんな理屈?)、楽しそうだなあと思ったからです。

 

もう1つの理由は、このコンサートが松田亜有子さんが代表を務めるアーモンド社主催のコンサートだったからです。松田亜有子さんとは、3年前にコロナ禍で世界が一変するまさにその直前に、早稲田大学エクステンション講座「クラシック音楽全史」の受講を通じて知り合いました。とても残念なことに、この講座の最終回はコロナ禍の広がりによって中止になってしまったのです。

 

そういうわけで、「クラシック音楽全史」を一緒に受講していた勉強会仲間との再集合も楽しみに、あの時の心残りを晴らすような気持ちで会場に足を運びました。

 

 

初心者でもクラシック音楽コンサートは楽しめる?

初心者でもクラシック音楽コンサートを楽しめるかなあという懸念は全くの杞憂に終わりました。「行ってよかったな」、もっと言うと「行かなかったら後悔したな」と思うくらいに楽しめました。それにはいくつかの要素がありました。それらをひとつずつ紹介していきましょう。

 

(1)一流の音楽

なんと言っても、真っ先に挙げられるのは一流の音楽をライブで聴けたことです。たとえその音楽の背景を知らなくても、聞いたことのない曲でも、一流の音楽は頭を通さずに心に直接響いてくる感じがありました。

 

空間自体が音によって様々に創り変えられていくような感覚があり、音楽の力に驚きました。これが、時代を超えて受け継がれるクラシック音楽と、それを表現する一流の音楽家のなせる技なのでしょう。その空間に身をおいて音楽に浸ることは、日常の雑事から解放してくれる非日常を体験できる時間でした。

 

音楽に浸るとは言いながら、少しはピアノをかじった身としては、疑問や発見が頭をよぎったのも事実です。

 

今回のコンサートでは、ソロ演奏はなく、デュオ、トリオ、カルテットの演奏で構成されていました。「指揮者なしでもこんなにも息がぴったり合った演奏ができるのはなぜ?」は、頭に浮かんだことのひとつです。

 

デュオ、トリオ、カルテットの演奏では、誰か一人の微妙なテンポのズレでも致命的なはずです。プロだからと言ってしまえばそれまでですが、メトロノームにあわせてピアノ練習していた私からすれば、誰一人狂わず正確なテンポで演奏してハーモニーを奏でることは驚きでした。

 

(2)松田亜有子さんの解説

演奏会は亜有子さんのこんな挨拶から始まりました。

 

「皆様、こんばんは。

WBC 日本対イタリア戦が行われる時間にようこそこの会場にいらっしゃいました。

 

今、イタリアからWBCチームのメンバーが日本に来ていますが、この会場にはイタリアから3名の音楽家が来ています」

 

東京ドームではイタリアと日本がスポーツを通じて交流し、サントリーホールではイタリアと日本が音楽を通じて交流する。この国の平和のありがたさを思わずにはいられませんでした。

 

挨拶の後は音楽の解説が続きます。ドレミの読み方や音の強弱を表すフォルテやピアノもイタリア語であること、イタリアの作曲家の作品はオペラが多くて器楽作品が少ないことなど。アーモンドレクチャーコンサートは、音楽家の演奏を聴く前に、亜有子さんの深い音楽知識にもとづいた楽曲についての解説がつくコンサートでした。

 

奏でられる音楽の背景を知らなくても十分に音楽を楽しむことはできますが、知った方がより深く浸ることができるのは言うまでもありません。

 

アーモンドコンサートではなく、アーモンドレクチャーコンサートと名づけられたのは、音楽をより楽しめる解説つきの意味がこめられているのかなと想像しました。アーモンドレクチャーコンサートはクラシック音楽初心者にもやさしいコンサートです。

 

(3)勝手に懇親会

ここまでなら、そうは言ってもやっぱりちょっと敷居が高かったなという感想になったかもしれません。が、そんな感想を吹き飛ばしてくれたのが、勝手に懇親会でした。

 

おなじみの勉強会メンバー8名が同じ会場に集合し、マスク着用も個人の判断になったとなれば、演奏側でもないのに勝手に懇親会になるのは自然の流れ、もとい、必然の流れでした。

 

会場近くのお店を探しましたが、8名というそこそこの人数が入れるお店はすぐには見つかりません。やっと見つかったお店は、屋外席ならOKという条件つきでした。幸いにもこの日は晴れて気温が高めの日ではありましたが、3月の夜に屋外席というのはあまり良いとは言えない条件です。それでも私達はそれにYESと答えました。

 

クラシック音楽コンサートを鑑賞した後の懇親会です。そこで繰り広げられるのは、もちろんさきほど聴いた音楽についての高尚な会話になったと言えるのかどうか。。。

 

まずは、タブレット上の電子楽譜を使っていた話題で盛り上がりました。

「あの曲では画面をタッチして楽譜をめくっていたよね」

「連弾の曲の時は楽譜はめくっていなかったよね」

「今どきは視線で譜めくりができるらしい」

「会場では携帯の電波が届いてなかったよね。あらかじめ楽譜はダウンロードしてるんだろうね」

などなど。

 

他に盛り上がった話題は、ピアニストのヤコポ・ジャコプッツィさん。一番盛り上がったのは、もちろんその演奏の素晴らしさ・・・ではなく、そのいでたち(笑)。真っ白なスーツ、しかも丈短めのスリムパンツ、素足に黒い革靴。舞台に現れた瞬間に誰しも目が釘付けになりました。そのいでたちで、リストの超絶技巧の難曲を華麗に演奏したのですから、その印象の強烈さたるや。それは語らずにはいられないでしょうということで、おおいに盛り上がりったのでした。

 

クラシック音楽コンサート後の懇親会というのに、演奏の話はしなかったのかって?もちろん、しましたよ。

クラリネット奏者のアレッサンドロさん、上手だったよねえ」

 

いやいや、アレッサンドロさんはプロの音楽家、しかも東京フィルハーモニー交響楽団の首席クラリネット奏者なんですから、上手に決まってます。それでも、思わずそう言わずにはいられないくらいに本当にその奏でる音楽に魅了されたのです。

 

今、思い出してみれば、こんな会話で大盛りあがりした私達、屋外席で良かったのかも。。。

 

とまあこんな風に気心の知れた勉強会仲間で、普段ならしない音楽の話題で盛り上がった勝手に懇親会のおかげで、クラシック音楽コンサートはとても楽しい想い出として刻まれることになりました。

 

クラシック音楽コンサートから何を学べる?

この日、一番心をときめかせた発見は、一人の奏者が同じ楽器を演奏しながら変幻自在に異なる音色を奏でることでした。同じ楽器を使っているのにこんなにも異なる音色が出せるものなのかと、そのことがしばらく頭から離れませんでした。音色の違いが何を意味するのかをどうしても知りたいと、ずっと考えていました。

 

音の高さ、音の長さ、音の強さ、テンポは楽譜に書かれていることは知っています。それらを正確に演奏するだけでも長い時間の努力を要することも知っています。

 

一方で、音色については楽譜には書かれていません。どんな音色を出すかはどうやって決まるのでしょうか?楽譜、作曲家の人生、作曲家が生きた国や時代背景、そこから音楽家が想像力を働かせてイメージをつくり、そのイメージに合わせた音色を奏でるのではないでしょうか。

 

楽譜に書かれたことを奏でるために必要なことがスキルだとすれば、音色を出すために必要なことは想像力と表現力です。

 

私は、プロの音楽家がプロたる所以はその卓越した演奏スキルにあると思っていました。けれども、このコンサートを鑑賞して、それは誤りであると気がつきました。もちろんプロの音楽家は卓越した演奏スキルをもっていることは間違いではありません。ただし、それは必要条件ではあっても十分条件ではありません。

 

プロの音楽家のプロフェッショナル性は、想像力と表現力にあるのだと思います。それによって、その音楽家にしか出せない音色を奏でる唯一無二性こそがプロの音楽家たらしめているものなのだと思います。

 

 

オーディエンスがプロの音楽家の演奏を聴いて心を動かされるのは、音楽家が描いたイメージを表現した音色によって、私達オーディエンスもまたそのイメージを共有できるからです。

 

今や、楽譜に書かれたことを音楽として表現することはコンピュータにもできます。昨今、世間の話題を席巻しているChatGPTの登場によって、人間と機械の境界はますます曖昧になってきています。もうプログラムを人間が書く必要はない、もうプレゼン資料を人間がつくる必要はない、そんな声さえ聞こえてきます。

 

これだけAIが進化すれば、人間がやってきたことはすべて機械に代替されていくのでしょうか?いいえ、そんなことは断じてありません。そのことを私はアーモンドレクチャーコンサートから学びました。

 

例えば、プレゼンを例にとって考えてみましょう。プレゼンはAIに置き換えられてしまうものでしょうか?私はそうは思いません。

 

 

素材から的確なプレゼン資料をつくるスキル的なことはAIに置き換えられるかもしれません。けれども、そのプレゼン資料を使って、伝えたいイメージを受け手と共有するためには、伝えたいイメージを想像する力とそのイメージを表現する力が不可欠です。

 

受け手と共有できるイメージを表現するには、テンポ、抑揚、間などを内容と相手にあわせて調整する必要があります。少なくとも今のAIにはそんなことはできません。それができるのは人間だけです。

 

スキルを磨くよりアーティストに学ぶ時代がやってくる!?

こうして考えてみると、人間と機械をわけるものは、表現者であるかどうかだと言えるのではないでしょうか。表現者であるとは、正確にアウトプットするスキルだけでなく、その人にしかできない想像力と表現力をもっていることだと思うのです。

 

スキル的なことは、いずれ機械が人間を追い越していくでしょう。そうなった時に、機械に代替されない人であるために磨くべきは、想像力と表現力ということになります。その2つをもっているのが音楽家を含むアーティストです。これからは、スキルを磨くよりアーティストに学ぶ時代がやってきそうです。

 

お知らせをいただいて軽い気持ちで参加したクラシック音楽コンサート。思いもよらない深い学びを得ることになりました。しかも、学ぶぞという肩肘を張ることなく、上質な音楽をひたすらに浴びただけで。

 

クラシック音楽コンサートに行くなら、亜有子さんの著書を読んでから行くと、より楽しめます。

 


クラシック音楽全史 ビジネスに効く世界の教養

 

一回の飲み代分でこんなに上質で意味ある学びができるアーモンドレクチャーコンサートは超お得。あ、勝手に懇親会がつくから二回の飲み代分が必要か(笑)