ブリューゲルの1枚の絵を中心に展開された6月の孫子女子勉強会。孫子の兵法に書かれていることが何であるかを初めて知った衝撃の回でもありました。
ブリューゲルの絵に描かれているもの
「ピーテル・ブリューゲルは画家として興味が尽きない人なんですよね」
6月の孫子女子勉強会のZoomの画面にブリューゲルの絵を映し出しながら、田中先生はこう切り出しました。
そして、1560年頃に描かれたブリューゲルの絵について、立て板に水を流すように解説が続きました。
「まず、左下を見てください。銭勘定をしている人が描かれています。手の下にあるのは帳簿です。
その隣には画家が描かれています。この頃の絵画では遠近法が使われるようになりました。
中央上部の地球の右側に立っている人はコンパスで地球を測っています。この頃に測量技術が発達して、地図や海図が作られました。
地球の左側にはオルガン奏者が見えます。そこに楽譜が見えますか?メロディーの伝達のために楽譜が発明されたのもこの頃です。
最後に右下を見てください。書物を使って学生たちに教えている先生が見えます。」
つまり、この絵の中には、同時多発的に発達した、帳簿、遠近法、地図、楽譜という当時の最先端のテクノロジーが描かれているというのです。それらに共通するのが、数量化という手法によるものであり、紙に記され、書物を通して広まったことが表されているのです。
今となっては当たり前になっていることなので、そのインパクトがどれほどのものかを知るには、もう少し解説が必要でした。田中先生は、楽譜を例にとって、こう説明してくれました。
楽譜がなかった時代は、誰かがつくった歌を他の人に伝えるためには、その歌を耳で聞いた人が歌って口伝えで伝えるしかありませんでした。
楽譜の発明によって、つくられた歌の広がるスピードと範囲は飛躍的に増えました。なぜなら、楽譜はコピーできるからです。人が移動して人に会って伝達することから、モノが移動して伝達できるようになったからです。
ブリューゲルからのメッセージ
当時の最新テクノロジーのインパクトを説明した後で、田中先生はこう続けました。
「ブリューゲルの絵のタイトルは『節制』なんです。最新のテクノロジーを全部並べた絵に、虚しい快楽や邪欲に溺れて節度のない生活を送ってはならない、欲望にとりつかれて汚濁と無知のうちに生きてはならない、と書かれているんです。
調子にのるなよ、大事なものが失われているんじゃないかと問いかけているんですね。
つまり、この絵は、事実とメッセージと先行きを詰め込んだ絵なんですね」
テクノロジーが発達すると人間は万能感をもつようになると、田中先生は言いました。数量化はシミュレーションを可能にし、管理志向が強まる傾向があるとも言いました。
例えば、音楽の分野では、楽譜の発明によって楽譜通りに正確に演奏することが良しとされ、アドリブが禁止されることもおこったそうです。
デジタル化革命
1560年頃に起こった数量化革命と同じように、デジタルデータ化、インターネット、スマートフォンなどのテクノロジーの発達によって、新たなデジタル化革命が、今、おこっています。
数量化革命では、数量化されたものは紙で表現され、紙がコピーされて広がりました。
デジタル化革命では、音楽の場合は、演奏した音そのものがデジタル化技術によってデジタルで表現され、コピーされることもなくインターネットを通じて配信されて広がります。
デジタル化革命によるインパクトは、数量化革命の比ではありません。なにしろ、コピーする手間も必要なければ、モノが移動する必要もないわけですから。届くまでに要する時間はほぼゼロ、届く範囲はインターネットでつながっていればどこでも届くことになります。
つまり、デジタルデータ化できるものは、時間的制約も物理的制約もなくなるわけです。それらの制約があるために、口伝えを含めて人が担っていたことは、すべて不要になるということです。
デジタル化時代の価値とは何か
デジタル化革命によって、やはり人の仕事は奪われていくという結論のようにも見えます。果たして、本当にそうでしょうか?
「みんなが見ていないものを見る力が大事になる」
と、田中先生は言いました。
デジタル化時代には、多くのものがデジタルデータ化され、コピーされたり配信されたりして、均質化していきます。価値を出すためには、あらゆるものが均質化に向かう中で個性化した価値を創り出すという矛盾にぶち当たります。
均質化の中での価値を出すことに関して、子どもが参加したピアノコンクールでの経験を思い出しました。ピアノコンクールは与えられた課題曲の演奏を評価するものです。参加者はみな、同じ課題曲をピアノで演奏します。
コンクール会場は課題曲という均質化された世界に封じ込められることになります。私は、コンクール会場で、何人もの子どもたちによる演奏で、同じ課題曲を繰り返し聞きました。そこは、均質化された世界では全くありませんでした。
誰もが楽譜通りに弾いているにも関わらず、同じ楽譜を演奏しているとは思えないほどに、奏でられる音の世界は違っていました。音の高さや長さ、曲のテンポのようには楽譜に書かれていないこと、例えば、タッチなどが、その差を生み出していたのだと思います。
数量化革命によって音楽は楽譜のカタチで表現できるようにはなったけれど、音楽が表現し得るすべてが楽譜に表現できるようになったわけではないということです。
この例のように、デジタル化時代といえども、デジタルデータ化され得ないものがあり、そこに価値をつくり出すヒントがあるのだと思います。
もうひとつ、均質化の中での価値に関連して、勉強会の中で最も興味深く耳を傾けたのが、コピーがうまくいっている例として紹介された落語の話です。
古典落語は、コピーされた台本をそれぞれの落語家さんが高座で演じるものです。落語の芸の質を担保するために、師匠が保証人になるというカタチがとられているそうです。
実際に会場に足を運んで落語を聞いた経験から、落語の台本には表現しきれない、落語家さん独特の間のとり方や声色の使い分けなどがあることは感じていました。これは、ピアノコンクールと同じ構図です。
落語にはもうひとつ、台本に表現されていないものがあります。「まくら」です。まくらは、台本に書かれていないのはもちろんのこと、落語家さんがあらかじめ用意しているものでもないらしいです。その時、その場にいるお客さんを見て、即興で語られるのが「まくら」です。
この「即興性」もデジタル化時代に価値を生む源泉になるキーワードだと思います。
孫子の兵法に書かれていること
500年近く前のブリューゲルの1枚の絵から、今の時代の価値は何かを学べるのですから、歴史の力恐るべしです。今回も学びの多い孫子女子勉強会でした。
えっ、今回は「孫子の兵法」は出てこなかったのかって?いえいえ、そんなことはありません。今回は、孫子の兵法から3つもの節が紹介されました。
・勢に求めて人を責めず
・迂直の計
・智者の慮は利害に雑う
3つとも、その意味するところをすっかり覚えてしまうほどに、勉強会で幾度となく取り上げられた節です。
田中先生は、孫子の兵法の節を紹介した後に、こう続けました。
「孫子は矛盾の捉え方がうまいんですね。孫子の兵法に書かれているのは、矛盾に対する決着のつけ方とも言えるんです」
この3つの節は、今回の勉強会テーマ「デジタル化時代の価値」と、「矛盾」のキーワードでつながっていたのです。
あー、なんということでしょう。まだまだ孫子の兵法の本質を理解できていませんでした。それなのに、「3つの節については、もう理解しています」と思ってしまった自分の愚かさを恥じ入ります。
孫子の兵法は、弱者の戦略と言われることは知っていました。けれども、そこからさらに一歩踏み込んで、弱者でありながら戦いに負けないという矛盾について書かれたものであり、矛盾への対峙法を説いたものであるという読み取りは全くもってできていませんでした。
デジタル化時代うんぬんの前に、いつの時代も変わらず人の世は割り切れない矛盾に満ちています。その矛盾をどう乗り越えるかについての指南が書かれているからこそ、孫子の兵法は2500年にも渡って読み継がれているのです。
「孫子の兵法」という1冊から学べることは、まだまだ尽きそうにありません。だからこそ、「孫子の兵法」という1冊の本をテーマにした勉強会がこれほど長く続くわけです。