ブログを書くということ

ブログを書くのがお決まりになっていた孫子女子勉強会。2020年8月28日の勉強会では、勉強会ブログは書けませんでした。代わりに、ブログに書けなかった理由をブログに書きました。

 

 

ブログに書けない勉強会

 この日の孫子女子勉強会の出だしで、田中先生が言いました。

「ばらばらとまとまらない話になるので、今日はブログは書けないと思います」

 

 毎回、孫子女子勉強会でのインプットを聞いている時は、「ほーっ」「へえ~」「えーっ!」「なるほど!」「そうそう」など、ほとんど言葉にもならない感想が浮かんで、その瞬間瞬間が過ぎていきます。ところが、後から振り返ると、それぞれの内容は無関係でなく、実はつながっていることに気づくことが多いのです。つまり、勉強会の最中には、まとまらない話のように聞こえるのはいつものことです。

 

 今回はまとまらない話とわざわざ前置きがあったわけですから、いつも以上に期待に胸をふくらませて参加しました。田中先生の話は、まとまらない話の方が面白いのです。

 

勉強会のまとまらない話

 この日の勉強会はどんな話だったかを時系列順にざっくりと書くとこうなります。

 

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 スライドの表紙にはルーブル美術館の中で模写している写真が貼られています。ルーブル美術館は世界ではじめて絵画を一般市民に公開した美術館です。これによって、市民の美術レベルが向上しました。

 

 孫子の兵法をテーマにした勉強会ですから、毎回、何かしらの孫子の兵法の一説が紹介されます。この日紹介された一説です。

「人を致して人に致されず」

主導権は自分で握るべしの意です。

 

 この日は、田中先生が最近感じた2つの言葉、「自己責任」と「公私混同」に対する違和感の話題が提供されました。

 

[自己責任]

 日本では明治の頃より「努力したら上にいける」、「努力しない奴はだめ」という考え方があり、できない奴は自分が悪いという自己責任論がある。自己責任論が最近だんだん強まってきているように感じる。うまくいかない組織の問題を個人の問題に換言しているのではないか。

 

[公私混同]

 そもそも公とは何か、私とは何か。どこに住むか、何を食べるかは私ごと。それと同じように、どこで働くかも私ごとなのに、なぜか会社で働くことが公であるとみなされている。会社での肩書は会社の中でだけ通じるもので、会社での評価と個人の評価は違う。

 

 公、すなわちPublicとは何かがこの日のテーマ。公共の場で自分が何者でもない瞬間にどうふるまうかが個人の評価であり、個人と個人のつながりがPublicである。

 

 9月2日に発売される田中先生の新刊対談本に「美意識とPublicが不可分になってきた」と書かれている。美意識とは、もう一人の自分が自分のふるまいを見ている感覚である。

 

「とても大きなテーマで、私も考えていきたいと思っているのですが、Publicに生きる意味を自分なりに考えましょう」

と田中先生は話を締めくくりました。

 

 田中先生は話を終えて、

「みなさんどうですか?」

と問いかけました。

 

 私は、Publicとは何かという壮大なテーマを前にして立ちすくんでしまったような感じでした。同じように感じた人が他にもいたんじゃないかと思います。

 

 この日の話を聞いて浮かんだと、参加者の一人が吉田健一さんの言葉を紹介してくれました。

「戦争に反対する唯一の手段は、各自の生活を美しくして、それに執着することである」

 

 この言葉を聞いて、立ちすくんでいたところに爽やかな風がスーっと吹き抜けたような気がしました。

 

 

ブログの書き方

 勉強会が終わった時、やっぱりブログには書けないかなと思いました。

 

 これまでの勉強会が終わった時にはブログに書けると思っていたかというと、実は、そうではありません。毎回、書けるか書けないかわからないと思っていたので、勉強会が終わった時点では、今回と今までとで、明らかな差は感じなかったというのが正直なところでした。

 

 今回ブログを書けないのはよしとして、田中先生が言ったように、まとまりのない話だったからなのか、それとも別の理由からなのかに俄然興味がわいてきました。その理由を明らかにするには、まずは自分自身がどうやってブログを書いているかを客観視する必要がありました。

 

 あらためて自分のブログの書き方を整理すると、3つのステップを経てブログを書いています。

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 第1ステップのインプット時は、キーワードを拾って時系列にメモをとっていきます。

 

 第2ステップでは振り返りを行います。この時は、時系列メモをみながら、構造化したメモをつくります。

 

 今回の勉強会でつくった構造化メモはこんな感じです。ちなみに、このメモはブログ用に丁寧に書いたもので、普段は試行錯誤しながら構造化するのでもっとぐちゃぐちゃなメモです。

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 「これはこういう意味かな?」

と図的に表現したり、

「これとこれがつながるのかな?」

と矢印でつないでみたりと、あれこれ思考を巡らせていると、インプット時にはわからなかったことが見えてくる楽しい時間です。

 

 例えば、構造化メモをつくることでこんなことに気づきました。最後に紹介していただいた吉田健一さんの言葉は、美意識と関連づけてみると、「各自の生活を良くして」ではなく「各自の生活を美しくして」となっていることに深い意味がありそうです。

 

 最後の第3ステップで、構造化メモを見ながら文章化してブログにします。前のステップで構造化メモができていますが、文章にするには2つのポイントがあります。

 

 1つ目のポイントは、ブログの「落ち」を見つけることです。「落ち」とは、インプットに対して自分が納得できる意味をつけることです。2つ目のポイントは、落ちに向かうストーリーを組み立てながら文章を書くことです。

 

 いったん仮の落ちを見つけてから書き始めますが、書きながら新たな落ちが見つかることもあり、最終的にどんな落ちになるかは書き上げた時に決まります。書きながらの新たな発見を楽しむ一方で、ストーリーとしてつながる文章を書くのに苦しむ時間でもあります。

 

ブログを書くということ

 今回の勉強会でも第2ステップの構造化メモはつくることはできました。話を聞いた時にはわからなかった新たな発見もいくつかありました。なので、ブログのネタはあったわけです。

 

 けれども、今回はやっぱりブログには書けないという結論に至りました。その理由は、まとまらない話だったからではありません。私が落ちを見つけられない、否、落ちを見つけたつもりになりたくないと思ったからです。

 

 構造化メモのネタからそれなりの落ちを見つけて書くことはできたかもしれません。けれどもそうはしたくありませんでした。「Publicとは何か?」という、そんなことは考えてもみなかったという問いを投げかけられたことに対して、安易に落ちをつけたくなかったからです。この先しばらくこの問いを自分の中にもってゆっくり考えてみたいと思ったからです。

 

 私にとってブログを書くということは、自分の学びや経験に意味づけをすることです。表層的に意味づけしたつもりのことをブログに書くことは、私の美意識に反します。

 

 結果的には、田中先生の言ったように、今回の勉強会ブログは書けませんでした。田中先生が言ったように、まとまりのない話だから書けなかったのではなく、私にとってブログを書くということはどういうことかを考えた結果、書けないという結論に至ったのです。

 

 勉強会ブログは書けませんでしたが、勉強会での孫子の兵法からの学び「人に致されず」は実践できたかな。