B人間とはどんな人か

9時間以上も面白く集中した新春オンラインセミナー後に、講師の田中先生から「伝え忘れた大事なことがある」と補講の開催宣言がありました。補講からの学びの言語化に時間がかかってしまいましたが、時間をかけた分だけ大事なことを学ぶことができました。

 

 

自己紹介のわかりにくい人になろう

1月18日に開催された補講は、本編のセミナーのごく簡単な振り返りから始まりました。

  1. 再構築しよう (ゼロから考え直す)
  2. 値決めは大事 (安売りは地獄)
  3. 元をとろう (リターンには色々ある)
  4. 見本となろう (DモードとBモード)

 

「Dモードの人(=D人間)は次世代を勇気づけられないんですね。Bモードの人(=B人間)はまわりを明るくします。Bモードの人になりましょう」 

田中先生は振り返りをこんな言葉で締めくくって、補講の内容に入っていきます。

 

「今日のテーマは前回講義の4点に共通する方向性の話です。『自己紹介のわかりにくい人になろう』が今日のテーマです」

 

社会人になると、自己紹介と聞いてすぐに思い浮かぶのが名刺です。名刺には、名前と所属と肩書が書かれています。

 

この日のダブル講師の田中先生や仲山がくちょが、誰かと名刺交換した後におこる会話はこんな感じだそうです。

 

Aさん: 「会計士をされているんですね」

田中先生: 「会計士の仕事はしてません」

Aさん: ???

 

Bさん: 「楽天大学の学長ってどんなことをしてるんですか?」

がくちょ: 「何もしてません」

Bさん: 「楽天にはどの部署に座席があるんですか?」

がくちょ: 「自分の座席があるかどうか知りません」

Bさん: ???

 

こんな風に、謎めいた感じの人を目指そうと田中先生は言います。

 

 

わかりにくい人になる道のり(アウトプット編)

「わかりにくい人」というわかりにくい概念を、わかりやすくかつ面白く解説するのが田中先生の講義の魅力です。

 

田中先生お得意の孫子の兵法の一節

「正を以って合し、奇を以て勝つ」

を引用しながら、わかりにくい人になる道のりのポイントは「奇襲」にあると解説します。正攻法で基礎的な鍛錬を行い、外に出す瞬間に奇襲(ひと工夫)を行うことで、わかりにくい人に近づけると言います。

 

奇襲の人の例として、かの有名な画家であるレオナルド・ダ・ヴィンチが紹介されます。ダ・ヴィンチがミラノの王様に送った職探しの自己推薦状には、音楽家としてのスキルや軍事技術の知識が10個書かれ、11個目に「絵も結構上手です」と書かれていたそうです。奇襲の例として、ダ・ヴィンチの自己推薦状をもってくるところが田中先生の奇襲ですね。

 

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みんなが気をつけているところは気をつけても大差なく、重要だけどみんなが気づいていないことに気をつけることが奇襲のポイントであると、田中先生の「奇襲」解説が続きます。

 

なぜ奇襲が大事かと言うと、正攻法での戦いは、戦うポイントがみんなと同じになり、結果としてより良いものをより安くの消耗戦になるからです。それに対して、奇襲の戦いは、戦うポイントが違っているので競争になりません。ただし、奇襲をくり出すためには、みんなには見えていないことに気づく観察眼が勝負のポイントになります。

 

「奇襲は考えてやれるものじゃなく、日々の努力の賜物なんですね。奇襲がうまく繰り出せるようになると、わかりにくい人になれます」

 

 

わかりにくい人になる道のり(インプット編)

「わかりにくい人」は奇襲を繰り出せる人だとわかると、関心は自ずと奇襲に向かいます。

  • 奇襲って面白そう!
  • どうやったら奇襲を繰り出せるようになるんだろう?
  • 自分も奇襲を繰り出せるようになりたい!

 

田中先生の話は、面白い例え話が至るところにはさみこまれて、あちこちに話が飛んでいるように聞こえますが、後から振り返ってみると、大事なことに注意が向けられる流れになっています。

 

奇襲への関心が高まったところで、

「奇襲を繰り出すノウハウは◯◯です」

と解説して、有用なことを得られた気分にさせる野暮なことを田中先生は決してしません。

 

そもそも、奇襲の定義からして、ノウハウから出てくるものは奇襲にはなりえません。誰も気づいていないポイントを見つけてこその奇襲ですから、誰かから教えてもらえるものでありません。教えてはもらえませんが、田中先生の講義には自分で考えるためのヒントが含まれています。

 

奇襲を繰り出すポイントは観察眼です。観察眼を高めようとする時に陥りやすい罠が「分析」であると田中先生は言います。

 

「分析というのはバラバラにすることなんですね。科学的でわかりやすく再現性のある分析をしてわかった気になっても、そこから漏れ落ちてしまうものがあります。どんなに分析しても解明できないものがあるんですね。生命と魅力です」

 

観察眼を高める直接的なポイントは語られませんが、「観察眼」と対極にある「分析」のポイントを見ると、観察眼のポイントも見えてきます。

 

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「分析」がわかりやすさを求めて分けることであれば、「観察眼」はわかりやすさを求めず分けないことで磨かれるはずです。

 

「わかりやすいものに納得できない時はいい兆し。わかりやすさに気をつけよう。わかりにくいものを見に行こう」

 

田中先生からの熱のこもった講義が終わった後は、今回も仲山がくちょから講義内容のエッセンスを凝縮したスライドが数枚提示されました。その中の1枚にこう書かれていました。

「複雑なものをわかりやすくしすぎてはいけない。複雑なものは複雑なまま扱う」

 

「わかりにくい人」は、わかりやすさを求めず、わかりにくいものをわかりにくいままにインプットしているに違いありません。

 

 

「わかりにくい人」と「B人間」

補講セミナーを振り返って、

「わかりにくい人」 

→「奇襲」 

→「観察眼」 

→「わかりやすさを求めない」

という流れが整理できました。

 

が、これは、セミナーで聞いた内容を整理しただけです。私の学びが始まるのはここからです。

 

「わかりにくい人」についてのインプットを得たことで、私の中で、「わかりにくい人」と「B人間(=Bモードの人)」はつながるのではないかという感覚が芽生えました。補講セミナー受講で芽生えたこの感覚を言語化するのに時間がかかってしまいましたが、ようやくつながりが見えました。

 

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D人間は行動の起点が義務であり、マインドのベースに苦しさがあり、わかりやすさを求めてしまいます。一方で、B人間は行動の起点がワクワクにあり、マインドのベースには苦がないため、わかりやすさを求めずにすみます。

 

あー、ようやく自分の中で、「わかりにく人」と「B人間」がはっきりとつながりました。わかりやすさを求めない「わかりにくい人」とは「B人間」のことだったのです。

 

 

B人間とはどんな人か

「わかりにくい人」と「B人間」が同じであることがわかれば、「B人間」というわかりにくい概念を理解することができます。

 

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D人間は、「わかりにくいもの」を分けた結果の「わかりやすいもの」を講義や本からインプットします。インプットしたものは「知識・スキル」となり、それをベースにアウトプットした正攻法での戦いの先に待っているのはレッドオーシャンです。

 

B人間は、「わかりにくいもの」をそのままにたくさんインプットします。インプットしたものは「感覚」となり、それをベースにすると奇襲をアウトプットすることができます。その先にはブルーオーシャンが広がっています。

 

データを入れて、推論モデル(AI)をつくるAIの分野で使われる言葉に「Garbage In, Garbage Out」があります。ゴミのデータを入れれば、ゴミの推論モデルが出力されるという意味です。

 

これと同じく、「わかりやすいもの」を入れれば、「わかりやすい」正攻法しか出てこないという原理は考えてみれば当たり前のことですが、案外とみんなが気づいていないポイントなのかもしれません。

 

D人間とB人間がどんな人かわかると、田中先生がことあるごとに「Bモードの人になろう」と言う意味がくっきりと浮かび上がってきます。

 

D人間とB人間がそれぞれを見たらどう感じるかを図にするとこうなります。

 

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義務を起点として想定内を好むD人間にとって、正攻法を繰り出すD人間はわかりやすく見えます。D人間にとって、奇襲を繰り出すB人間はわかりにくい存在です。

 

ワクワクを起点として想定外を好むB人間にとって、正攻法を繰り出すD人間はつまらない存在です。B人間にとって、奇襲を繰り出すB人間は面白く見えます。

 

見る側を子どもであると想定すると、正攻法を繰り出すDモードの大人は「わかりやすい」か「つまらない」かです。Dモードの人間は次世代を勇気づけられないと田中先生が言う所以がこれでわかりました。

 

Bモードの子どもには、ワクワクを起点に奇襲を繰り出すBモードの大人は「面白い」存在に映り、ワクワク生きる見本になります。

 

Dモードの子どもにとって、Bモードの大人はわかりにくい存在です。けれども、わかりにくい大人にたくさん接しているとBモードを感覚として吸収し、いつしかBモードに変わっていけるのではないかと考えられます。

 

「B人間」というわかりにくかった概念が自分の中でストンと腹落ちしました。

 

B人間はワクワクを起点に奇襲を繰り出し、安売り地獄に陥ることがありません。さらに、B人間はワクワク生きる見本となって、まわりにいるDモードの人をもBモードに変えていく人です。

 

 

Bの学びの2つのステージ

「B人間」がどんな人かを言語化できて、めでたしめでたしと言いたいところですが、まだ一つだけ答えられていない問いが残っています。

 

それは、わかりにくい「B人間」を分析してしまって良かったのかに答えることです。「わかりにくいものを分けたらいかん」に反してしまったことをどう意味づけるかです。

 

Bモードの学びのステージには2種類あるというのが私の仮説です。

 

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Bモードの学びのステージ1では、わかりにくいものをそのまま吸収して自分の感覚に取り込みます。

 

わかりにくいものを吸収し続けてBモードの学びがステージ2に進むと、感覚を形式知化できるようになり形式知を他者に伝えられるようになるのだと思います。

 

私がB人間について形式知化できたのは、新春セミナーとその補講で初めてDモードとBモードについて知ったのではなく、田中先生が主宰する孫子女子勉強会で、DモードとBモードについて何度も繰り返し学んできたからです。

 

見返してみたら、過去にDモードとBモードに触れて書いたブログが10個もありました。わかりにくいままにBモードについて学んできた積み上げがあったからこそ、Bモードについての学びのステージがひとつ上がって、形式知化できたのだと思います。

 

この補講がなかったら、B人間とはどんな人かを形式知化するまでにたどり着けませんでした。田中先生が「伝え忘れた大事なこと」を補講でしかと受け取りました!