年をとることを味方につける

年をとることが楽しみになる。2022年6月の孫子女子勉強会は、そんな希望がわいてくる回でした。

 

 

年をとることは衰えることか?

田中先生のこんな問いかけから勉強会は始まりました。

年をとることは衰えることでしょうか?

 

こういう問いかけは、無意識のうちにそう思い込んでいませんかという問いかけでもあります。実際、年をとるというと真っ先に連想するのは身体的な衰えであり、それをもって、「年をとる=衰える」と思い込んでいたことに気づかされます。

 

この問いかけに続く田中先生の言葉は変化球的なもので、一瞬のたじろぎを感じました。

年をとることを味方につけましょう。同じ事実を捉えながら、異なる発想をするのです。

 

成長期と成熟期

異なる発想をするための手がかりとして、まず提示されたのが、成長期と成熟期の違いについてです。

 

成長期と円熟期

 

学校を卒業して社会人と呼ばれるようになってから60歳頃までを成長期、60歳以降を成熟期として、それぞれの区分ごとのあり方と行動基準の解説がなされました。

 

成長期は社会的に成長する時期です。社会人として幸せになるために、社会のルールを守り、良き社会構成員として評価されるようふるまいます。

 

長寿社会になった今は、60歳以降、つまり円熟期になっても働いて過ごすことが珍しくありません。しかし、円熟期には個人として幸せになるために、ルールを手放し、社会責任の鎧を脱ぎ捨ててよいのではというのが田中先生からの投げかけでした。

 

年をとることを味方につけるとは、円熟期をどう生きるかであることが見えてきました。

 

上手くいく円熟期と上手くいかない円熟期

ここからは、心技体の枠組みから、円熟期の生き方についてさらに掘り下げていきました。体力があり、精神的にも技能的にも成長していく成長期と同じように円熟期を過ごせないことは想像に固くありません。

 

円熟期は、成長期とは何をどう変えればいいのか。それが、そう簡単にわかることでもありません。そこで、参考にするのが孫子の兵法の考え方です。

 

敵を知り己を知れば百戦危うからず

 

敵を知るとは、上手くいかない円熟期の過ごし方を知ることです。それがわかれば、上手くいく円熟期の過ごし方も見えてきます。

 

上手くいかない円熟期と上手くいく円熟期

 

[上手くいかない円熟期]

心: 我が強い。正義感が巨大化。

技: 稼ぐ選択肢が1択。これがだめになったらという不安にかられる。

体: 足腰が弱って自由に動けない。

 

[上手くいく円熟期]

心: 人のことは気にせず放っておく。

技: 稼ぐ選択肢を増やす。人と関わる機会をつくる。

体: 自由に動けるぐらいの健康。

 

技の選択肢を増やして、心を軽くし、体力はそこそこに。年をとることを味方につける円熟期の生き方の解像度が高まります。

 

囚われから自分を解放する

田中先生は、円熟期の過ごし方についてこう締めくくりました。

円熟期の過ごし方では、心のあり方を変えるのが最も難しい。足りないものは考えやすいけれど、手放していいものは考えるのが難しいんです。

 

何を手放すかに絶対的な正解はなく、それぞれが考えるべきことです。

 

少し前に老後資金2,000万円問題が大きな話題になりました。老後(=成熟期)の最大の課題は、貯蓄額ではなく、手放していいものを手放し、いかに軽やかに生きられるか。これが、勉強会での結論でした。

 

勉強会でもらった「何を手放すか」という問いに、すぐに答えが出るはずもなく、数日間悶々とした後で、私は「べき」「ねば」「たられば」を手放そうと決めました。

 

べき: ~すべき(正義感への囚われ)

ねば: ~せねば(義務感への囚われ)

たられば: ~したら、~していれば(仮定への囚われ)

 

手放すことを決めたものの、成長期の数十年に渡って、良き社会構成員(母親であったり、妻であったり、社会人であったり)として評価される生き方をしてきたわけですから、その囚われから自分を解放するのはたやすいことではありません。

 

それでも、

「きっと大丈夫。手放したいものを手放して、円熟期を軽やかに生きていける」

という心の声が聞こえてきます。

 

なぜなら、私たちは、孫子女子勉強会での仲間との学びを通じて、様々な囚われに気づき、その囚われから自分を解放することを9年間も続けてきたのですから。