面白くなければ伝わらない

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孫子女子勉強会の講師である田中先生の最新刊「会計の世界史」の出版を記念した講演会があると聞いて、仕事が終わった後にいそいそと出かけて行ったのは11月20日のことでした。単なる出版記念講演会と思いきや、そこかしこに散りばめられた仕掛けと学びにあふれたエンターテインメントでした。

 

 

出版記念講演会

出版記念講演会なるものに参加するのは、実は、今回が初めてでした。ですから、出版記念講演会とはどういう感じで行われるのか、本の一部を紹介するのか、はたまた本ができるまでのエピソードを紹介するのか、一体どんな話をするのだろうと、高まる好奇心とともに会場に向かいました。高松に住んでいた期間は孫子女子勉強会にもすっかりご無沙汰しており、田中先生にお会いするのはお久しぶりのことに加えて、スペシャルゲストの講談師神田京子さんにも久しぶりにお会いできるとあって、会場に向かう足取りは自然と軽くなったものでした。

 

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出版記念講演会場となった八重洲ブックセンター8階奥のイベントスペースには、真っ赤な毛氈が敷かれた高座が用意されていました。さらに、珍しく田中先生がパワーポイントを使った講演をするとのことで、パソコンと大きなスクリーンも用意されていました。パソコンの横には守屋先生ご夫妻から届けられたお祝いのお花が飾られていました。よくある会議机の上に置かれたこれまたよくある黒いPCという味気ない小道具の横に、お花がおかれることでこんなにも雰囲気が変わるのかと驚きました。ご自身も書籍を出版されている守屋先生だけあって、出版記念講演会に花を添える演出をよくご存知です。

 

会場に並べられた椅子の数はざっと見たところ5~60脚。私が会場に着いた頃には半分くらいの席が埋まっている状態でした。今回は出版記念講演会初参加だったので、色々観察したいという欲求もあって、運良くあいていた最前列の席をゲットしました。その後、続々と人が集まり、講演が始まる頃には満席になりました。ビジネス関係の講演会によくあるように参加者は圧倒的男性多数という状況とは違って、聴衆の男女比は6:4くらいでした。男性だらけの聴衆が集まる会では、ダーク系のスーツのおかげで会場が黒いイメージになるのですが、今回は女性参加者が多かったため、華やかな雰囲気になりました。華やかさの演出には、会場にかけつけた孫子女子勉強会仲間もおおいに貢献しました。

 

講演会が始まる前に、注意事項として撮影・録音は禁止の旨が告げられました。なので、残念ながら、京子さんの講談中のナイスなショットも田中先生の講演中のショットも撮影することはできませんでした。

 

講演会開始の時刻になると、紫のストライプが目を惹く着物に身を包みいつものようにおだんごに結い上げた京子さんとスカーフをおしゃれに首に巻いた田中先生が舞台裏から登場しました。田中先生が今日の講演会のトピックスについて軽く解説をしました。

 

田中先生の横に立った京子さんは、ニコニコ笑いながら、時折、深く大きくうなずいて田中先生の話を聞いていました。聴衆の中にこういう風にうなづいてくれる人がいるとどれだけ話しやすいことかと思うモデルのような傾聴ぶりでした。田中先生は聴衆の方を見て、隣りの京子さんを見ていないにも関わらずです。講談師は話のプロですが、話し上手は聞き上手でもありました。

 

新刊は、会計を500年の歴史から紐解く壮大な物語ですが、この日は16世紀に焦点をあててのお話になるとの紹介がありました。16世紀といえば、日本では戦国時代。ということで、京子さんの「山内一豊の妻」のお話から講演会は始まりました。

  

講談という伝え方

高座にあがった京子さんは、講談は講談師によって話がデフォルメされていますよという前置きをして、張り扇で釈台を小気味よくポンポンと叩きながら、はりのある声で話し始めました。

 

話している言葉はまぎれもなく日本語なのですが、日本語とは別の言語のようにも聞こえます。話しているというより歌っているように聞こえるという方が適切かもしれません。リズミカルにテンポよく、言葉がよどみなく流れていきます。物語を頭で理解しているというより、身体に沁みてくるような感覚でした。聞こうと意識せずとも自然と聞き入ってしまうのです。

 

京子さんの講談は「山内一豊の妻」と「レンブラント」の2席。2席を聞いて分かったのは、話の筋書き以前に、講談という伝え方に引き込まれてしまうということでした。耳からテンポよく入ってくるだけでなく、京子さんの顔が表情豊かに七変化する様に目も釘付けになりました。耳も目も身体全身が自然と京子さんに集中してしまうのです。かといって、極度に集中してしまうのではなく、ところどころに笑いを誘うところがミソです。笑いの瞬間にふっと緊張がほぐれるので、話を聞き続けられるのです。話の最初から最後まで、筋書きの大事な部分を集中して聞けてしまうが故に、結果としてストーリーがスーっと入ってくるのです。

 

山内一豊の妻の話は、要約すると、こういう話でした。

一豊は市で名馬で見つけて一目惚れし、馬揃え(騎馬を集めて優劣を競いあう行事)のために是非とも手に入れたいと思うが、お金がなく断念した。家に帰って、妻の千代にそのことを話すと、千代は何かあった時のためにと嫁入りの時に渡されていたへそくりを一豊に差し出した。そのおかげで、一豊は名馬を買うことができ、名馬に乗って参加した馬揃えで衆目を集め、信長の目にもとまって出世できた。

 

 

実は、私はこの話は知っていたはずなのです。なぜなら、仕事で何度か訪れた高知県にある高知城に千代と馬の像があり、私はそれを見たことがあるからです。その像の前にある解説文も読みました。でも、記憶に残っていませんでした。山内一豊の名前はもちろん知っていましたし、土佐にゆかりのある人だということまでは理解していました。が、その妻の話はすっかり抜け落ちていたのです。それほど複雑な話ではなく、一度聞けば覚えられる話のはずなのにです。

 

けれども、この先はもう二度と忘れることはないだろうと思います。京子さんの講談で、腹の底に染みわたるように入ってきたからです。講談というのは、伝え方としてすごいフォーマットなんだなと驚嘆しました。

 

画家の人物秘話という構図を用いた伝え方

京子さんの2席が終わった後は、新刊の著者である田中先生にマイクが渡りました。マイクを握った田中先生は、京子さんの講談を褒めちぎりました。

「初めて京子さんと会った時はまだ二つ目だったんですが、その頃から比べると、どこがどうとは言えないのですが、抜群に上手くなりましたね」

と。それを聞いた京子さんは、すかさず

「今は真打ちですから」

と合の手を入れて、会場に笑いがおこりました。

 

前方の大きなスクリーンにはパワーポイントが映し出されています。田中先生がパワーポイントを使ってお話をするのは珍しく、私はどんな内容がパワーポイントに書かれているのか興味津々でした。

 

表紙のスライドには「Gouden Eeuw」のタイトル文字が書かれていました。オランダ語で黄金時代という意味です。1枚目のスライドはヨーロッパの地図。オランダの位置が色づけされていました。

 

その後のスライドには次々と絵画が映し出されました。宗教改革で二分した、カトリック系の画家ルーベンスが描いた教会に飾られる巨大壁画と、プロテスタント系の画家レンブラントフェルメールが描いた市民の肖像画を並べて対比できるように。そして、ここがこう違う、この絵が描かれた背景にはこんなことがあるという話が田中先生から解説されるわけです。「へえ」「なるほど」と聴衆の目はスクリーンに耳は田中先生の声に集中する状態が続きます。集中するということは、京子さんの講談と同じように、その話を理解する結果につながるのです。

 

冷静になって考えてみると、「会計の世界史」という新刊の出版記念講演会のはずが、なぜにオランダ絵画の解説が中心のお話だったのか。もちろん新刊でも第一部は絵画に絡めて構成されていますが、今回の話ほど詳しく絵画について解説されているわけではありません。確かに、この日の田中先生の話は面白く聞き入りましたが、出版記念講演会は書籍の内容の紹介ではないのかという疑問が頭をよぎりました。

 

「以上、オランダ物語外伝でした」

講演の最後を田中先生はこう締めくくりました。なるほど、出版記念講演会のお話は、著作におさめきれなかった内容だったのだと納得しました。

 

さらには、よく考えてみると、話の中に会計に絡んでの先生のメッセージがこめられていました。

「歴史を動かすのは商人です」

と力強く言った後、この時代のオランダでは、市民がまちで絵画を売買・取引するようになり、世界で初めての株式会社と証券取引所がオランダにできたと話されました。絵画は商売につながる話だったわけです。

 

先日、映像制作を職業としている方から、

「どう伝えたいかによって構図が変わってくる」

というお話を聞きました。田中先生は、16~17世紀のオランダにおきた商売にまつわる出来事を好奇心とともに理解するように伝えたいがために、その当時の画家の人物秘話という構図を用いてお話されたということだと私は理解しました。

 

面白くなければ伝わらない

「面白くない話に集中することは、人間としては難しいことです」

とは、国語教育研究者であった大村はま先生の言葉です。

 

誰かに何かを伝えようと思うなら、まずその話に耳を傾けてもらわなければいけません。その話に集中してもらわなければなりません。けれども、面白くない話には集中してもらえないのです。言い換えると、面白くなければ伝わらないのです。

 

京子さんは講談というフォーマットを用いて、田中先生は画家の人物秘話という構図を使って伝えることで、面白さを演出しました。その目論見は見事に当たりました。どちらも人物のストーリーに焦点をあてています。今から何百年も昔の人物のことであっても画家という職業の人物のことであっても、いつの世でも人間ドラマに人は興味をそそられるものなのです。

 

京子さんの2席のお話と田中先生の講演、それぞれが面白いだけでなく、講演会全体の構成としても実によく練られていました。

 

京子さんの2席目のお話は「レンブラント」。講談という日本の伝統芸能の枠組みを用いてオランダの画家であるレンブラントのストーリーを伝えるという試みでした。それにはもちろん理由がありました。その後に続く田中先生の講演がレンブラントにまつわるものでしたから、そこへの伏線として演目が選ばれていました。じゃあ、なぜ、「山内一豊の妻」の演目が選ばれたのかというと、山内一豊レンブラントもともに、妻の内助の功があってこそ偉業を成し遂げられたという共通点があったからだと推測されます。

 

田中先生のお話がオランダ絵画に中心がおかれていたことにも理由が考えられます。講演のテーマは、今現実におこっていることにつながっている話の方が面白いのです。ルーベンスフェルメールはどちらも、今、東京の美術館で企画展が開催されています。「是非、実物を見てください」という田中先生の声を受けて、この講演会の翌日に展覧会に足を運んだ人もいました。だからこそ500年を描いた著書の中からこの時代を選んだのだと、これまた講演会の構成の絶妙さにうならされました。

 

懇親会こぼれ話

1時間半の濃厚なエンターテインメントを堪能した後、孫子女子勉強会仲間とともに懇親会に参加しました。懇親会には、田中先生はもちろん、京子さんも、今回の新刊の編集者さんも参加していました。

 

聞いてみたい質問を率直にぶつけられるのが懇親会の醍醐味です。私はまず、京子さんに、田中先生が、どこがとは言えないが京子さんの講談が上手くなったという理由を京子さんご自身はどう分析しているのかを尋ねました。その答えに、思わずなるほどと膝を打ちたくなりました。京子さんの答えはこうでした。

「自分と話の位置関係の違いですね。はじめの頃は、自分より話の方が上にあって、話をするので精一杯でした。今は、話より自分が上にあって、その話を自分の中に完全に落とし込んで、自分を出しています

同じ話をしていてもこの違いは大きいに違いありません。講談というフォーマットの面白さに引き込まれるのは、もちろん後者の場合のはずです。

 

編集者さんには、発売から1ヶ月未満で増刷を重ねた今回の新刊の売れ行きをどうよんでいたのかを聞いてみました。

「本が仕上がった時、面白い本ができたとは思いましたが、正直言ってどれくらい売れるかは予想がつきませんでした」

とのこと。商売とはやってみないとわからない部分が多いのですね。なるほどなるほど。

 

続けて、編集者さんにぶつけた質問は

「今まで手がけた本で最も印象に残っているものは?」

でした。てっきり、今までで一番売れた本かと思いきや、「新しいジャンルを切り開いたと思えるものですね。今回の『会計の世界史』もそれに当てはまります」と。

 

あー、なんと的確な打ち返しをしてくれる編集者さんでしょう。新しいジャンルを切り開く、それは、数が売れることよりもはるかに面白いことでしょう。会計の本といえば、それこそすでに山のように出版されているでしょう。もう掘り尽くされて何も残っていないと思うような分野のようにも思えます。それでも、まだまだ切り口を変えて新しい伝え方ができるのだと「会計の世界史」は勇気づけてくれました。

 

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田中先生にいただいたサインと編集者さんが用意してくれた白い用紙

 

田中先生が近くの席にいらっしゃった時、この機会にと書籍にサインをいただきました。田中先生がおもて表紙の裏にサインを描き終えるのを見計らって、編集者さんは自分の鞄から白い用紙をそっと田中先生に差し出しました。それを受け取った田中先生は、サインを描いたページの間に用紙をはさみました。サインが閉じたページの反対側にうつらないようにするための用紙でした。編集者さんは、そういう用紙を常に持ち歩いているという発見ができた懇親会でした。

 

私が孫子女子勉強会に参加し続ける理由

懇親会で隣りの席になった方に田中先生とのつながりを聞かれました。「孫子女子勉強会のメンバーです」と答えると、「ああ、孫子女子勉強会ね」との応答があり、田中先生周辺での孫子女子勉強会の認知度の高さを実感しました。

 

「あの勉強会、もう10年くらい続いてるんですよね?」と言われましたが、さすがにそこまで長くは続いていません。ちょうど5年が経ったところです。にしても、4~5人から始まった勉強会が5年も続き、その人数も参加者が住む範囲も広がり続けているのはなんともすごいことです。始めることはできても続けることは実に難しいからです。

 

勉強会が続くためには2つの条件が必要です。1つは講師である田中先生が続けたいと思うこと、もう1つは参加者が参加し続けたいと思って参加することです。高松に住んでいた2年半のブランクがありながらも、私が孫子女子勉強会に参加し続けたいと思う理由が、今回の講演会ではっきりしました。

 

田中先生のお話は何よりもまず面白くて聞いてしまうのです。その結果、新たな知識を得ることができるのです。でも、それだけにはとどまりません。勉強会での田中先生からの知識提供や参加者の応答に知的好奇心が刺激されて、勝手に思考が動き始めるのです。今日聞いたことは実はあのことと同じじゃないかとか、あれをもっと突き詰めるとこうも言えるんじゃないかとか。そうやって世界を見る新しい視点を得られることが面白いのです。面白くなければ聞けない。面白くなければ考えられない。学ぶことにおいて「面白い」は正義なのです。