今なぜプログラミングなのか?

2020年から小学校教育で必修化されることになっているプログラミング。今なぜプログラミングが注目されているのかを、ものづくりイベントと同時開催したプログラミングワークショップを振り返りながら考察してみます。

 

 

プログラミングワークショップの3つの要素

前回のブログに書いたものづくりイベントの大枠が決まった後、イベントに新しい要素を加えようとして出た案が子ども向けのプログラミングワークショップでした。

前回のブログはこちらです。

iwayama.hatenablog.com

 

まずは今の小学生の保護者がプログラミングに対してどう思っているのかを知ることから始めました。小学生のお子さんがいる知り合いを思い起こしながら連絡をとって聞いてみたところ、すでにプログラミング教室に子どもを通わせている、おおいに関心があるなど、想像していた以上にプログラミングの認知も関心も高いことがわかりました。いつの間にかプログラミング教室があちこちにできていて、子どもに習わせたい習い事ランキングでも上位に入っていることも知りました。

 

ニーズはあることがわかったので、プログラミングワークショップをやると決めました。具体的にどうやるかのカタチが決まるまでには結構な時間がかかりました。プログラミング環境として何を使うか?プログラミングで何をつくるか?プログラミングワークショップで何を経験してもらうか?の3つの要素を決める必要がありました。が、これらは相互に関連しているので、ひとつずつ考えていくのではなく全体を考えていく必要がありました。また、今回はものづくりイベントのひとつの要素の位置づけだったので、大人向けのものづくりイベントとどう整合させるかも合わせて考える必要がありました。

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  プログラミングワークショップの3つの要素

 

プログラミングワークショップの講師を引き受けてくれた人、ものづくりイベントの担当者とあーでもないこーでもないと議論した先にようやくカタチを決めることができました。

 

何を使ってプログラミングするか?

子ども向けのプログラミング環境は大きく2種類に分けられます。1つは、プログラミングのアウトプットがコンピュータ画面上で実行されるソフトウェアだけに閉じたものです。代表的な子ども向け環境にScratchがあります。もう1つは、プログラミングのアウトプットが現実世界で動くフィジカルコンピューティングと呼ばれるものです。代表的な子ども向け環境にIchigoJamがあります。

 

ものづくりイベントの方では、工作機械を使って精巧なカタチをつくり出すにとどまらず、フィジカルコンピューティングを使って今までにないものが生み出されることが予想できました。また、これからおこるとされている社会変化のキーワードであるIoTやロボットもフィジカルコンピューティングをベースにしています。さらに、前回開催したものづくりイベント時に私自身が初めてフィジカルコンピューティングを体験して、フィジカルコンピューティングの面白さを実感していました。そのことを書いたブログ記事はこちらになります。

iwayama.hatenablog.com

 

こういった背景があって、プログラミングワークショップで使う環境はフィジカルコンピューテイング1択でした。ただし、実際にどの環境を使うかについては選択肢が複数あり、何をつくるかにも関わってくるので、すぐには決まりませんでした。

 

子ども向けのワークショップでは、特に、プログラミングの世界への入り口の提供やプログラミングの世界の理解が重要になります。プログラミングの世界の理解のためには、実際に自分の手を動かしてプログラミングをすることになります。プログラミングのそのものを覚えるのに時間をがかかったり難しかったりすると、そこでつまづいてしまって、プログラミングは難しいという印象だけが残ってしまいます。1回のワークショップでも、プログラミングに関して「できる」という体験が必要でした。コンピュータへの命令が視覚的なブロックで表現され、ブロックをマウスで操作して組み合せたり順番を入れ替えたりすることでプログラムが組めるビジュアルプログラミング環境が開発されていて、子ども向けではそれが主流になっています。プログラミングが「できる」体験のために、ビジュアルプログラミング環境であることは必須条件でした。

 

関係者で議論をする中で、ビジュアルプログラミング環境を備えたものとして、Studuinoはどうかという案も浮上しました。講師担当者が、「日本に上陸して間もないmicro:bitという教育用マイコンボードはどうか」とぽろりと口にしました。その場ですぐにmicro:bitの開発環境を立ち上げて画面上で動かしてみました。ソフトをインストールする必要もなくブラウザ上でプログラミングできる手軽さに加えて、マイコンボードがなくても画面上で動きを確認できて「これいいね」となりました。さらに、micro:bitの小さなマイコンボードには、加速度センサー、コンパス、光センサー、温度センサー、ボタンやLEDがあらかじめ搭載されていて、Bluetoothで通信する機能までついています。とっつきやすさのハードルは極めて低く、できることの可能性は極めて高く、関係者一同、自分自身がこれを使ってみたいと思ったことと、まだ日本ではワークショップであまり使われていない目新しさがあることが決め手となってmicro:bitを使うことに決まりました。

 

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       教育用マイコンボードのmicro:bit

 

micro:bitを使うことに決まった後、すぐにmicro:bitを購入しました。自宅にmicro:bitが届いた後は、仕事を終えて帰宅してから、実際に自分の手を動かしながらmicro:bitでつくることをあれこれ試しました。プログラムを組むことはもちろんのこと、組んだプログラムをmicro:bitに転送して単体で動かすことの動作などを自分の手で確かめながら、そのよく練られたインタフェースに感動したものでした。ビジュアルエディタでプログラムを組むことはコードを書くことに比べて10倍の取っ付きやすさを感じました。また、あらかじめセンサーが組み込まれていることで、Aruduinoを使ってブレッドボード上にハード的に配線することに比べて、心理的かつ物理的なハードルが10倍下がりました。要するにArduinoでのプログラミングに比べてmicro:bitは100倍簡単という感覚だったのです。それなのにできることの制約はそれほど感じませんでした。

 

プログラミングで何をつくるか?

プログラミングでは作ろうと思えば、様々なことができます。言うなれば、何をつくるかは無限の中から選ぶに近いことです。今回は、ミニチュア地方車と鳴子をつくるという大人向けのイベントとの整合性という制約があったことで、つくるものを考える範囲を絞り込めました。

 

フィジカルコンピューティングでは、現実世界でのカタチあるものと組み合せる必要があります。が、短時間のワークショップの中で物理的なカタチをつくることとプログラミングの両方を行うことはやめにして、すでにあるものとプログラミングを組み合せることにしました。ものづくりイベントとの整合性からして、組み合せる対象はミニチュア地方車か鳴子の選択肢がありました。

 

はじめは、大人がつくった地方車を子どもがプログラミングで動かすことを検討しました。かなりの重量になることが予想された地方車をモーターで動かす仕組みをつくるのが大変なこと、うまく動かなかった場合にアウトプットできたという達成感をもたせられない可能性があることなどから、この案はなしになりました。

 

残る選択肢の鳴子と組み合わせようかという話を始めた時に、プログラミング環境としてmicro:bit案が浮上して、鳴子は振る楽器であることとmicro:bitの加速度センサーの組み合わせで何かしらできそうだという方向性が見えてきました。

 

自宅でmicro:bitのプログラミング環境を試すと同時に、アウトプットをイメージしながらあれこれ動かしてみました。鳴子を振ったことを加速度センサーで検知することはすぐに決まりました。検知した結果、LEDを光らせることもほぼ決まりました。光るというアクションはわかりやすく、子どもの興味をひくと考えたからです。さらには、音が鳴る鳴子に光るという新しい価値を出せるプログラミングの世界を理解してもらえると考えたからです。

 

micro:bitには5×5のLEDがついていて、どのLEDを光らせるかを制御できるようになっています。25個のLEDがあるのだから、単に光るだけというより、何か意味のある内容を光で表現した方がいいと考えて、今回のイベントの主催者である高知県のコンセプトコピーである「高知家(こうちけ)」を表すことにしました。私達にとっても初めてのプログラミングワークショップ開催だったので、目の届く範囲として4人を募集しようと考えていました。「コ」「ウ」「チ」「ケ」の4文字が光るプログラムをそれぞれにつくってもらい、合作として「高知家」が表現できるようにすればいいなと考えました。実際に4文字を25個のLEDで表現してみましたが、「コ」のような単純な形は簡単でしたが、「ウ」と「チ」と「ケ」は簡単にはできずに試行錯誤しました。プログラミングの良いところは何度でもやり直しができて試行錯誤できる点にあるので、この難しさはワークショップで試行錯誤するのにちょうどいいなと思いました。

 

micro:bitをPCから切り離して単体で動作させるためには電源が必要になります。micro:bitと同時に購入したコイン電池を電源として動かせる電源ボードにはスピーカーがついていて、音が出せることがわかりました。今回のものづくりイベントのテーマが「よさこい祭り」だったので、よさこいのメロディを鳴らせるかを試してみたところ、ちゃんとメロディが鳴りました。メロディを奏でるには1音ずつの音の高さと長さを組み合せることになります。また、LEDを光らせることと音楽の組み合わせとも合わせて、プログラムは単純なことの組み合わせで複雑なことをできることの理解にもつながると考えて、メロディを奏でることもアウトプットにしました。

 

プログラミングで何を経験するか?

何を使って、何をつくるかが決まればプログラミングワークショップができるというわけではありません。プログラミングをやってみて、何かが動けばその時は楽しいと思うでしょう。楽しかっただけで終わらせず、それを作る意味を理解してからつくること、つくったものに対するフィードバックを受けること、プログラミングでこんなこともできるんだと可能性を感じてもらうことを目指して、ワークショップの組み立てを行いました。

 

[つくる意味の理解]

つくる意味を理解してもらうために、プログラミングの対象となる鳴子そのものについて理解してもらうプロセスを入れました。よさこい祭りの動画を見てもらい、そもそも鳴子が何をするものかを知ってもらいました。また、子ども達にも鳴子を振る体験をしてもらい、鳴子を振るという動作を身体的に理解してもらいました。

 

[つくったものに対するフィードバックを受ける]

つくったものを誰かに見せるという場面をつくることで、きちんとアウトプットする必要性がある状況をつくりました。つくったものに対するフィードバックを受けることはつくることの基本でもあり喜びでもあります。

 

[プログラミングの可能性を感じる]

短時間のプログラミングワークショップでできることは限られています。プログラミングの可能性を感じてもらうためには、プログラミングの作例を見せるのが一番です。今回は同時開催のものづくりイベントで、フィジカルコンピューティングを利用して大人でも驚くようなアウトプットが生み出される可能性がありました。ならば、そのアウトプットを見てもらわない手はありません。プログラミングワークショップをやると決めた時、子どもと大人の発表を合同にすることも同時に決めました。さらに、同じ会場内でものづくりが行われている過程を見てもらうまたとない機会を逃すわけにはいきません。どうやってつくっているのか、つくっている大人達がどれほど真剣かつ楽しくものづくりしているのかを見ることは、アウトプットだけを知ることに比べて何倍も深い体験になるだろうということは容易に想像できました。

 

子どもたちの反応は?

私達にとっても初めて開催するプログラミングワークショップでした。提示する資料にはすべてふりがなをふり、使う言葉も難しくないものを意識して選びと、大人向けとはまた違う部分に気をつける必要がありました。あーでもないこーでもないと議論を重ねてあれこれ手探りで進めて、期待と不安の入り混じる気持ちで当日を迎えました。募集人数の4人を超えた6人の子ども達が応募してくれたので、LEDで光らせる2文字をあわてて追加で考えるという嬉しい誤算もありました。

 

考えられるだけの準備をして臨んだプログラミングワークショップは、ガラス超しに見える隣りの空間で大人達のものづくりが佳境に入るのとは対照的に、子ども達の緊張が感じられる空気の中で始まりました。2年生~4年生の6人の小学生は全員がプログラミング初心者でした。緊張がゆるんで雰囲気が和らいだのは、みんなで鳴子を振ってみる段になった時でした。

 

そして、空気が一変したのが、今日使うコンピュータのmicro:bitでどんなことができるかを講師がデモした時でした。1個のmicro:bitをリモコンとして使い、もう1個のmicro:bitはリモコンからの通信を受信してモーターを動かして車を進ませたり、左右に曲がったりするデモでした。子ども達のプログラミングへの好奇心がぐんと高まったようでした。その様子がこちらです。

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この好奇心が高まった状態で、プログラミング環境の使い方を説明した後に、自分でLEDを光らせてみようとなった時は、やってみたくてうずうずしていた気持ちの堰が切れたかのように、どの子も真剣な眼差しで画面を見つめてマウスをすいすい動かしていました。micro:bitのLEDが光ることを確認した時は「おーっ」という喚声があがりました。ここでいったん休憩をとることにしましたが、文字を次々と変えて光らせることに取り組んでいる子どももいました。

 

子ども達にLEDを光らせてどの文字を表示するかを選んでもらいました。自分が選んだ文字が浮き上がるように、点灯するLEDの位置を画面上で選ぶことに集中して取り組んでいました。できなかった場合のことを考えてカンペも用意していましたが、必要になることはありませんでした。LEDで文字をつくった子どもは早く次に進みたいと、講師が説明をする前に音を鳴らすプログラムを組み始めました。よさこいのメロディに関しては、1音ずつの音の高さと長さを書いた手引きをつくって渡し、それをもとにプログラミングしてもらいました。

 

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  よさこいのメロディの手引き

 

想定していた半分以下の時間で、全員が予定していたプログラムを組み終えてしまいました。その後は、ネジ留めしてmicro:bitを鳴子と合体させて、全員で並んで発表の練習をしました。

 

今回のプログラミングワークショプでは、講師の他に若いお兄さん2人がサポーターとして参加してくれました。もし、子どもがプログラミングで行き詰まっていたらサポートしてもらうことにしていましたが、プログラミング時の出番はありませんでした。大人のサポートを必要としないくらいに子ども達だけでプログラムを組むことができました。サポーターのお兄さん達は、プログラミングの場面ではなく、場所の移動時や発表時のかけ声などでのサポートで活躍してくれました。

 

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 子ども達がプログラミングワークショップでつくった作品

 

大人のものづくりワークショップも制作時間が終わり、大人も子どもも全員揃っての発表の時間になりました。大勢の大人が見守る中で、6人の子ども達はものおじせずに鳴子を振ってプログラミングの成果を発表してくれました。大人達から喚声と拍手を浴びて、達成感を感じてくれたことと思います。

 

その後は、大人がつくったアウトプットの発表を最前列でかぶりつきで見ていました。どれもがプログラミングが組み込まれた動きのある作品で、子ども達は思わず立ち上がったり、覗き込むようにして発表に見入っていました。プログラミングでできることの可能性をおおいに感じてくれたに違いありません。大人も子どもに語りかけるように発表してくれて、大人と子どもの合同発表はとてもよい雰囲気になりました。

 

大人のものづくりイベントとプログラミングワークショップの様子の動画はこちらです。

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今なぜプログラミングなのか?

プログラミングワークショップは思った以上に子どもの飲み込みが早くて時間が余るというハプニングはありましたが、大きなトラブルもなく終えることができました。プログラミングの面白さにはまって帰宅してから話がとまらなかったという話や、その後にmicro:bitを購入して親子で楽しんでいるという話も聞きました。数時間というわずかな時間でのワークショップでしたが、プログラミングへの入り口を提供できたようで、とても嬉しく思っています。

 

私達にとっても初挑戦となった子ども向けプログラミングワークショップをやってみて、今なぜプログラミングなのかがわかった気がします。

 

プログラミングは簡単な機能を組み合せて複雑な機能を実現します。つまり、大きなタスクを実現するためには小さなタスクに分けて、小さなタスクの順序や関係を明らかにしてから、それをプログラミングで組んでいきます。これは、プログラミングに限らず、何かを実行しようとする時の考え方や手順としても使えるスキルになります。

 

プログラミングでは、一度で正解にたどりつく必要はなく、何度でもやり直しができます。だから、熟考を重ねる前にまずやってみて、その結果をもとに軌道修正をかけていくというやり方が結果として正解にたどりつく近道だったりします。これもプログラミングに限らず、今の時代に普遍的に通用する考え方になります。

 

今や生活の中のあらゆるところにプログラミングが入りこんでいます。プログラミングを全く知らなければ、それらがどういう仕組みや原理で動いているかを想像することができません。少しでもプログラミングを知っていれば、自分で同じプログラムを組むことができなくてもおおよその原理を理解することができます。また、プログラミングをした経験があれば、プログラミングでどんなことができて、どんなことはできないのかも感覚的にわかります。これからますますIoTやロボット、さらにはAIが社会に実装されてきても、不必要に怯えることなく、人間にしかできない領域で力を発揮していこうと思えるはずです。

 

要するに、プログラミングは現代社会を生きていくために必要な力を身につける恰好の手段と言えるわけです。もちろんこれはプログラミングを学ぶ重要な理由ではありますが、プログラミングの最も重要な点は子ども達の好奇心をかきたてることにあるのではないでしょうか。自分が組んだプログラムが現実の世界での動きになって見えるフィジカルコンピューティングでは、好奇心への働きかけはより大きくなると言えます。

 

プログラミングの対象を現実世界の仕組みとリンクさせることで、関心をもって仕組みを理解することができるようになります。言葉で説明されて仕組みを理解するのと、自分でプログラムすることを通じて理解するのとでは、理解の深さも対象への関心の深さも大きく違ってくるでしょう。

 

プログラミングは表現手段のひとつでもあります。プログラミングという表現の手段が増えることで、できることの世界は確実に広がるはずです。

 

今、なぜプログラミングなのか、その答えを教えてくれたのはプログラミングワークショップに参加してくれた子ども達でした。役に立つことよりも好奇心をかきたてられることに子どもは正直に反応します。教科内容の理解にプログラミングへの関心をうまく利用することで、プログラミング的思考力と教科内容の理解の両方を育むことができる、いわゆる生産性の高い教育ができるようになるというのが、今なぜプログラミングなのかに対する私の答えです。

ものづくりイベントを成功に導くもの

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高知県富士通が官民恊働で行うものづくりイベントをこれまで3回開催してきました。ものづくりイベントはカタチのあるアウトプットが生み出されることが魅力ですが、同時に成否がアウトプットのカタチとなって見えるということでもあります。3回目となるものづくりイベントでも素晴らしいアウトプットが生まれました。その理由について考察しました。

 

 

ものづくりイベントの仕組み

3回目となる官民恊働のものづくりイベントを11月18日と12月2日に開催しました。イベント開催の目的は、ものづくりを通じて首都圏の人に高知県産品である土佐茶と高知トマトを知ってもらうこと、その取り組みの発信を通じてこれらの産品を知ってもらうことでした。ものづくりイベントの内容は、土佐茶と高知トマトの魅力を高知県で生まれたよさこい祭りの必須アイテムである地方車(トラックに装飾をしたもの)と鳴子をつくることでした。

 

ものづくりイベントは、インプット情報とものづくり環境を準備し、イベントの出口を設計し、インプットからアウトプットのアイデア発想に至るプロセスを設計することが運営サイドの行うことになります。

 

インプット情報として用意したのは、よさこい祭り、土佐茶、高知トマトのそれぞれに詳しいゲストの方からのトークに加えて、実際の地方車や鳴子の写真、土佐茶や高知トマトの試食・試飲でした。

 

つくるにあたって用意したものづくり環境は、高知県産の土佐材と土佐和紙、ものづくり工房であるTechShopの工作機械の教育受講権と使用権、ミニチュア地方車の設計図、鳴子の制作キットでした。あらかじめ用意された制作素材以外に参加者の素材持ち込みも可としました。

 

アウトプットはミニチュア地方車と鳴子とし、それらを高知県にあるよさこい情報交流館に展示して、来年よさこいチームを立ち上げる人達の参考にしてもらうことをイベントの出口としました。

 

これらをまとめると下記の図になります。地域と都市、行政と民間がそれぞれの資源を持ち寄って参加者のアイデアとスキルを発揮する場をつくり、そこから生み出したアウトプットを地域に活かすというのがものづくりイベントの仕組みです。

 

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          ものづくりイベントの仕組み

 

過去2回のものづくりイベントでもアウトプットの展示は行いましたが、今回は展示したアウトプットを来年のよさこいチームに参考にしてもらう目標を新たに加えました。この目標を加えたことで、アイデア発想のプロセス設計が思いの外難しくなりました。この手のイベントでは今までにない未来志向のアイデアを出すことが面白さであり、参加者も自由に発想することを楽しみに参加します。けれども、今回は未来志向のアイデアと来年に現実世界で参考になるアイデアという一見矛盾したアイデアを出すようにプロセス設計する必要がありました。一緒にプロセス設計したTechShopの担当者と一番議論をしたのは、自由度と制約をどう調整してこの矛盾を解くかという点でした。

 

ものづくりイベントのアウトプット

ものづくりイベントなので、まずはそのアウトプットがどうであったかが問われます。今回は先に書いた矛盾の懸念に加えて、ミニチュアのトラックをつくるというハードルがあり、アウトプットがどうなるのかわからないという不安を抱えてイベント当日を迎えました。

 

結果的には私たち運営サイドの懸念は全くの杞憂に終わり、3回のものづくりイベントの中でも最もクリエイティブなアウトプットが生まれました。どんなアウトプットであったかは、その制作過程も含めた動画で紹介します。

 

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ものづくりイベントの成功要因

今回のものづくりイベントはアウトプットからして成功と呼べる結果であったと言えます。その成功要因は何だったかというと、参加者に恵まれたことに尽きます。東京では毎日のようにどこかしらでイベントが開催されています。そんな中で2日間の参加が必須となるイベントの参加者を集めるのは並大抵ではありません。今回のイベントも集客が簡単だったかというと決してそんなことはありませんが、幸いにも定員を満たす方に集まっていただくことができました。さらに、無料のイベントにも関わらず、ドタキャンする人が一人もいなかったというのはすごいことでした。

 

参加者がものづくりイベントで行うことは、インプット情報を得て、ものづくり環境を使って、定められた時間内に定められた条件を満たすアウトプットをつくり出すことです。アウトプットをつくり出す過程はアイデア発想と、メイキング(アイデアをカタチにすること)の2つに分けられます。どんなに斬新なアイデアが出ても実際にカタチにするナレッジやスキルがなければいいアウトプットにはなりません。どんなにナレッジやスキルがあっても貧相なアイデアではいいアウトプットにはなりません。つまり、いいアウトプットができるためにはアイデア発想とメイキングの両方の質が高い必要があります。

 

ものづくりイベントの運営者はアイデア発想のプロセス設計を行うので、アイデアの質はプロセス設計にも依存します。が、メイキングは完全に参加者に任せられます。つまり、ものづくりイベントの成否は参加者によって決まると言えるわけです。

 

参加者の何がものづくりイベントを成功に導くのか

ものづくりイベントの成否をわけるのは参加者であることがわかりました。では、参加者の何がものづくりイベントを成功に導くのでしょうか?チームで行うものづくりを観察していると、興味深いことが発見できました。

 

[チームマネジメント]

実際にメイキングの作業を行う過程になると、どうしても分業が必要になります。その日初めて会ってできたチームにも関わらず、それぞれができることをチーム内で共有してスムーズに役割分担を決めるチームマネジメントがどのチームでも自然と行われていました。中にはリーダー的存在がチームのパフォーマンスを最大化するように、それぞれに適したタスクに分解して振り分けるというマネジメントが行われていたチームもありました。チームで出したアイデアを実現するという共通目標と限られた時間という制約と創作意欲をもった参加者が揃うと、チームマネジメントがうまくいくように思います。

 

[ナレッジのシェア]

役割分担のもとに分業を行うとはいえ、実現に向けてそれぞれがもっているナレッジをチーム内でシェアして、いかにして実現するかを全員で考えようとする動きが見られました。さらには、各チームで共通に必要となるミニチュア地方車の設計図を一番先につくった参加者がイベント参加者全体に設計図をシェアしました。同じテーマのものづくりに取り組むことで、チームは違ってもイベント参加者がナレッジをシェアして全体としてよりよいものを生み出そうという雰囲気がありました。

 

[若手へのスキル伝承]

ものづくりは基本的に分業制で行われるため、制作時間は各自の作業に没頭するシーンがほとんどですが、今回は熟練エンジニアが若手エンジニアにナレッジやスキルを伝承するシーンがよく見られました。スキル伝承を受けて制作に取り組むことで若手エンジニアにも活躍の場面ができると同時に制作も進みました。

 

[オーバーアチーバー]

そして、特筆に値するのが、オーバーアチーブする参加者の存在です。今回のイベントはコンテストでも何でもなく、賞金が出るわけでもありませんでした。にも関わらず、11月18日と12月2日の間の試作期間中に、就業後や休日にTechShopや自宅で制作を進めたり、中には徹夜で制作を進める参加者もいました。オーバーアチーブする参加者を特徴づけるのは成長意欲と貢献意欲です。素晴らしいアウトプットを生み出しても、次回はさらによりよいものを生み出したいという無限の成長意欲をもっています。自分のスキルや生み出すもので社会の役に立ちたいという純粋な思いをもっています。こうした参加者の熱が同じチームの参加者にも伝播してアウトプットの質があがり、イベントが熱量を増しました。

 

最後に、参加者の創作意欲をより引き出したのは、アウトプットを展示する場を調整した主催者である高知県の功績にもあることを付け加えておきたいと思います。組織の縦割りが色濃い自治体において、イベント主催部署とは異なる組織に対して展示の調整を行うのはそう簡単なことではありません。

 

お披露目の場を用意した主催者と、誰一人ドタキャンすることなく自分の時間をものづくりに費やす創作意欲をもった参加者の両方が揃ったことで、いいイベントになりました。参加者からの「次回も楽しみにしています」の声は、参加者にとってもいいイベントであったことを物語っていました。

広島・落語&トーク3人会から見えたもの

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落語家の立川晴の輔さん、公認会計士の田中靖浩先生、重富酒店店主の重富寛さんによる落語・トーク3人会が11月25日に開催されました。開催場所は手入れの行き届いた生ビールを体験できる重富ビールスタンドのある広島市。参加者は東京をはじめとして、四国、九州、沖縄など全国から50名もが広島に集結しました。

 

重富ビールスタンドに14時に集合して生ビールを飲んで、トークと落語を聞いて、最後は懇親会でしめるという半日コースに参加するために私も瀬戸内海を渡って広島まで出かけました。大人の遊びとも学びとも区別のつかないゆるりとした会でしたが、振り返ってみると学びの要素が満載でした。

 

 

重富さんの生ビール大学

重富ビールスタンドでは今回も生ビール大学の講義から始まりました。私は昨年も生ビール大学の講義を聞いたのですが、去年から内容は進化していました。

 

昨年、初めて重富ビールスタンドに行った時のブログはこちらです。

iwayama.hatenablog.com

 

美味しいビールをつくるのはビール製造事業者の仕事であり、ビールを最高の状態で提供するのがビールの注ぎ手の仕事という話は昨年も聞きました。そのために重富さんはピカピカに洗ったコップにビールを注ぐことを実践しています。

 

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      グラスの向こうが透けて見えるビール

 

同じくきれいに洗ったコップでも、洗った後に乾いたコップと注ぐ直前に再度洗ったコップではビールの味が違うという内容が新たに加わっていていました。一般常識で考えると乾いたコップの方がいい気がしますが、洗いたてのコップの方がビールは美味しくなるそうです。夏にコップを冷凍庫で冷やしておくのもNG。夏場に冷えたビールを飲みたいなら、冷凍庫で冷やしたコップを一度水洗いする、または氷水で洗うのがおすすめとのことです。

 

乾いたコップと水洗いして濡れたコップの2種類のコップに入れたビールを飲み比べしましたが、確かに違いがありました。なかなか表現するのが難しいのですが、洗いたてのコップの方が滑らかにすーっと喉をすりぬけていくような感じがありました。

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      2種類のコップのビールを飲み比べて違いに驚く晴の輔さん 

 

「誰がはじめにその違いに気がついたんですか?」私はとっさに浮かんだ疑問を重富さんにぶつけてみました。重富さんは「乾いたコップと洗いたてのコップではビールを注いでいる時の感覚が違うことは経験を積んだ注ぎ手ならわかります。乾いたコップにビールを注ぐ時のひっかかりが洗いたてのコップではないんです。多分、時間がなくて乾ききらないコップにビールを注いだ時に発見したんでしょうね」と答えました。何杯もコップにビールを注ぎ続けていると、コップの状態によって注がれるビールの違いがあることがわかるようになるという人間の学習能力と身体感覚には驚きしかありませんでした。

 

広島市内の現在のPARCOがある場所には、かつてはキリンビアホールが建っていたそうです。原爆投下で建物の外壁は壊れなかったキリンビアホールは終戦の年の12月には営業を再開して、精神面で広島市民の復興を支えたそうです。PARCOの外壁の一部にキリンビアホールの壁が使われていることは広島市民でもあまり知られていないと重富さんは言いました。

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 生ビール大学の講義プレゼン資料

 

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PARCOの壁の一部に使われているビアホールの外壁

 

2回目の生ビール大学の講義でしたが、内容が進化していたこともあって飽きることなく新鮮な気持ちで聞けました。重富さんのビールに対するあくなき探求心には驚くばかりです。日本のビールに関することなら重富さんに聞けと言っても過言ではないでしょう。

 

生ビール大学の講義の後は、重富さんの芸の域に達したビール注ぎの実演を目の前で眺めながらビールを味わう時間になり、せまい店内に集まった参加者から次々に感嘆の声があがりました。ビール好きには生ビールの再発明のような感覚を、ビールが飲めない人には生ビールを味わえる楽しみをそれぞれに提供したからです。重富ビールスタンドで飲む飲み物を単に「生ビール」と呼ぶのはもの足りなく、「重富生ビール」と固有名詞で呼びたいくらいです。

 

生ビール大学は、実は3人会の前座的な位置づけで、3人会の会場は重富ビールスタンドの隣りのホテルの会議室に用意されていました。なんて豪華な前座だったんでしょう!

 

3人会の会場に現れた重富さんは、重富ビールスタンドでの正装からスーツ姿に着替えていました。ここでは、ビールの伝道師としてのこれからの構想が語られました。重富さんは、今、映画学校を卒業された娘さんと一緒に全国各地を巡って取材撮影を重ねて、日本のビールの原点を伝える動画をつくっているそうです。生ビール大学ではパワーポイントを使った講義が行われていますが、紙芝居的講義では面白くないと感じているからだそうです。

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  日本ビールの原点の動画制作について語る重富さん

 

田中先生のトーク

重富さんの壮大な構想の後にバトンを受け取った田中先生は「重富さんは自分の世界をつくっていますね。もうビール道と呼んでもいいんじゃないでしょうか」と話を始めました。

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     絶妙なつなぎトークをする田中先生

 

田中先生は日本人の道(どう)について語られました。ご存知のように同じ茶葉が製法の違いによって紅茶になったり緑茶になったりします。イギリスは紅茶の国として知られていますが、紅茶をどう扱ってきたかの歴史は決して優れたものではありません。ボストンティーパーティ事件しかり、アヘン戦争しかり。一方の日本は、お茶を平和をもたらす茶道へと昇華させたと、外国と日本の飲料に対する姿勢の違いに言及しました。

 

「泡立てるドリンクには抹茶やぶくぶく茶があります。ビールは泡に苦味をこめます。泡を楽しむのは日本だけです」と、お茶とビールが泡という共通点でつながることを田中先生はさらりと語りました。さらには「茶道をみればわかるように、味をひきだすまでの様々なことを含めて、ともにお茶を味わうのが日本の文化なんです。ヨーロッパでは味だけを求めます。味だけでない注ぎ方や運び方や器までを含めて日本流の発展を遂げたのが日本の茶道です」と、飲食を考える時には通底する日本の食文化にまで考えを巡らせる必要があることをいつもの軽快な口調で語りました。

 

そして「ということで、そろそろ晴の輔さんにご登場いただきましょう」とバトンを晴の輔さんにつなぎました。

 

晴の輔さんの落語

着物姿に着替えた晴の輔さんはどこから見ても落語家さんの風情で、さきほど重富ビールスタンドで一緒にいた人と同一人物とは思えませんでした。会場につくられた高座にあがり、よく通る声で、「さきほどお茶の話が出ましたが」と田中先生の話を受けてのマクラを語り始めました。

 

マクラは、静岡県の深むし茶発祥の地である菊川市で晴の輔さんが婚活イベントをプロデュースして15組ものカップルを誕生させたという話でした。落語家さんは実に幅広い仕事を手がけるんだなあと思いながらマクラのお話にぐいぐいひきこまれていきました。

 

 

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この日の演目は「茶の湯」。マクラから、羽織をぬいで流れるように自然に演目が始まりました。「茶の湯」は、茶の湯のことを知らない隠居が知ったかぶりをして、青きな粉とムクの皮の粉で泡立てたお茶を飲んでおなかを下し、空き足らずにそのお茶で茶会まで開くというお話。

 

話の中のキーワードに泡が含まれているところがみそでした。観客は晴の輔さんの話芸が作り出す想像の世界にひたりながら、ここぞというポイントでは高らかに笑い声をあげ、会場は不思議な一体感に包まれました。

 

トーク&落語3人会から見えたこと

トーク&落語3人会の2時間はあっという間に過ぎました。落語が終わった後に、高座の仕掛けを見せてくれました。会議室の机の上にビールケースで底上げされ、ちょうどいい高さの高座がつくられていました。落語家さんにとって高座の高さは決定的に重要な要素なのだそうです。

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        高座の仕掛けの種明かし

 

当日は、伝説のビールとトークと落語に酔いしれて、「あー、楽しかった」という何の味気もない感想しか言えなかったのですが、後から振り返ってみると、ジャンルが違う3人が揃った3人会だったからこそ見えてくるものがありました。

 

3人の共通点は、ジャンルは違えどそれぞれがその道を極めていることです。日本の文化に深く根付いている「道」は技術のみならず精神性をも含み、どこに向かうのかというプロセスを指すものです。これで完成ということがなく、永遠に探求していくものでもあります。要するに、3人が道を極めているというのは、それぞれのジャンルにおいて常にアップデートを続けているということです。

 

もうひとつの共通点は、視座を一段あげて俯瞰し、それぞれの領域の技を昇華させて別の領域にも適用していることです。重富さんはビールを注ぐことからビールを提供するシチュエーションをつくることに昇華させて、ビールの原点を伝えることにも領域を広げています。晴の輔さんは落語家の話芸を昇華させて、コミュニケーションのプロデュースをする婚活プロデューサーとしても成果をあげています。

 

さて、田中先生はというと、後から振り返ってみてそのすごさに驚愕しました。私たちは重富ビールスタンドでたっぷりと重富ワールドにひたった後、さあ落語だ落語だと意気揚々と3人会の会場へと移動しました。ビールと落語がセットになったお得な会くらいにしか考えていませんでした。3人会とはいうものの、ビールと落語に気をとられ過ぎていました。当日も、田中先生のトークは、重富さんの話から晴の輔さんへの中継ぎのMCぐらいの気持ちで聞いていました。これが大きな間違いであったと気づいたのは、このブログを書き始めてからでした。

 

田中先生のつなぎのトークによって、ビールと落語という一見無関係なものが、3人会というひとつの作品に結晶化されたのです。おそらくは、当日の演目を何にするかは晴の輔さんと田中先生の間では打ち合わせがされていたと推測できます。

 

田中先生のトークは、ビールとお茶を泡という共通点でつなぎ、重富ビールワールドから晴の輔さんの「茶の湯」へと違和感なく移行できるようにしました。また、茶道を例にひいて味を引き出すまでを含めて、ともに楽しむ日本文化を紹介しました。つまり、田中先生のトークは、落語という日本文化の味をより引き出す演出の役目を果たしていたとも言えるのです。

 

懇親会にて

今回の3人会はセミクローズドに人数制限ありで実施され、3人も参加しての和気あいあいとした懇親会もセットになっていました。懇親会で晴の輔さんが隣の席に来たチャンスに、ちょっとした裏話を聞くことができました。

 

この日は晴の輔さんも重富ビールスタンドから参加していました。他の参加者と同じように晴の輔さんも重富さんの注いだビールを飲みました。落語の一席の前にビールを3杯も飲んだのは初めてのことだそうです。ちょっとまずいと思った晴の輔さんは、ビールスタンドからすぐのところにあるコンビニにこっそり行ってミントを買ってなめたといいます。出されたビールを飲まないわけにはいかない、しかし、その後の本番に備えたフォローを怠らないところにプロ意識を感じました。

 

「マクラはあらかじめ準備しておいた話をするんですか?」の質問に対しては、「準備はするけど、実際に使うのは2割くらい」との答えが返ってきました。目の前にいるお客さんの反応を見ながら、マクラの話はその場で組み立てるのだそうです。マクラのネタを仕入れてストックしておくことが必要で、アウトプットするには相応のインプットが必要なことは落語家さんも変わらないようです。

 

「落語を聞いた聴衆がどうなることをイメージして話すんですか?」の質問に対しては、「落語の中に自分の生活と重なる部分を見つけたり、自分の身近な人と登場人物の重なりに気づいたりと、そういう視点をもってもらえればいい」と答えてくれました。面白おかしい話として聞くだけでなく、その中から何かをつかみとってほしいという願いがこめられていると思うと、落語を聞く姿勢も変わる気がしました。

 

懇親会では晴の輔さんにちょっとしたハプニングが発生しました。相当に焦りを見せる晴の輔さんの口から出た一言に、落語家さんにとっての師匠の存在の影響力を垣間みることができました。ハプニングの内容に関してはここには書けませんが、写真だけは貼っておきたいと思います。後から見返すたびに、焦った様子の晴の輔さんを思い出すことでしょう。

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  懇親会でハプニングに見舞われた晴の輔さん

 

今回は、この3人会に出席するためだけに広島に行き、観光をすることもなく帰ってきました。広島で訪れた場所といえば、重富ビールスタンド、3人会会場、懇親会会場の3ヶ所のみです。けれども、気心の知れた孫子女子勉強会仲間と広島で集結し、遊びの中にある大人の学びを体験したことで、広島が特別な思い入れのある地になったような気がします。

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 重富ビールスタンドに集結した孫子女子勉強会のメンバー

孫子女子勉強会で古典を学ぶ意義

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現代社会の現象を「孫子の兵法」をもとにして読み解くという女性限定の「孫子女子勉強会」。中国古典の専門家であり「孫子の兵法」や「戦争論」の著者である守屋淳先生にスペシャル講師としてご参加いただけたおかげで、女子勉強会でなぜ古典を学ぶのかを明確に説明できるようになりました。

 

守屋先生にお越しいただいたことで、いつもの「孫子の兵法」をもとに古典に学ぶ場が、クラウゼヴィッツの「戦争論」にまで範囲を広げて学ぶ場となり、視野を大きく広げてより大局的な理解を促す場となりました。この学びの場で提供された話題から、自分なりに咀嚼して思考した結果を記録しておきたいと思います。

 

 

欧米の思考の型

守屋先生によると、欧米には「本質をつかめば他の部分もすべて支配することができる」という思考の型があるそうです。この考え方は中世キリスト教の考え方を源流とし、すべての本質は神が一手に握っているという考えからきているそうです。「本質」に対応する言葉として「個別」があり、「本質=神」に対して、「個別=人間」という図式が成り立ちます。すなわち、人間は神の本質をもった個物であり、それぞれがもつ本質の多寡によってそれぞれに違う人間が存在すると考えられてきました。

 

さらには、本質は単純なほど真理に近いとされています。このことには論理的な根拠はなく、審美的な観点によるものだそうです。

 

欧米の思考の型にもとづくと、最も重要なものは何か、すなわち、本質は何かを考え、そこに資源を集中するという行動様式になります。アメリカは、その時代時代に最も重要なものは何かを「宇宙」「サイバー」「周波数帯」と考え、それらを掌握するように国家の資源を投下してきました。周波数帯が重要になるのは、これからの戦争では無人機やロボットの操縦によって戦闘することになるからです。西洋医学では、症状が出ている患部を本質と考え、その患部を徹底的に治療するというアプローチをとります。

 

 

東洋の思考の型

東洋の思考の型は欧米のそれとは違って、全体を構成する基本要素とその関係性を解き明かすという発想が強いそうです。

 

この考え方では、例えば、色彩の基本要素は「青、赤、黄、白、黒」の五つにすぎないが、組み合わせの変化は無限である」ということになります。東洋の思考の型は漢方の考え方にも通じるものがあり、全体のつながりやバランスを重視します。症状が出ている患部のみに注目するのではなく、その患部に症状をおこさせるツボに対して処方するというのが東洋的発想です。

 

欧米と東洋の思考の型の比較

欧米と東洋の思考の型を比較して表にまとめてみました。まとめる過程で、欧米の思考の型には「世の中はシンプルに割り切れる」という世界観があり、東洋の思考の型には「世の中は曖昧でごちゃまぜ」という世界観があるのではないかという考えに至り、この項をつけ加えました。言い換えると、欧米の思考の型では本質をつかめばPDCAを回していけばうまくいくという考えがあり、東洋の思考の型では変化に対応するOODA的対応が必要になるという考えがあるように思われます。

 

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       欧米と東洋の思考の型の比較

 

教育的価値観

守屋先生から、もう一つ、大変興味深い話題提供がされました。それは、アメリカと日本の幼児教育・小学校教育の価値観の違いが、思考の型の違いにも表れているというものです。作文教育と歴史教育において、その違いの輪郭を示してくれました。

 

4枚の絵の書かれたカードを提示され、その絵をもとに作文するという課題に対して、アメリカと日本では明らかな差があったそうです。アメリカの児童は主人公にとってはこんな一日であったと1日の総括から書き始める傾向があるのに対して、日本の児童は一連の出来事を起きた順番に並べて、その展開プロセスに重点をおく傾向があるという結果だったそうです。

 

日本の歴史教育では、教科書には記されていない他者との共感を歴史理解の媒介としており、「共感」の能力が歴史の授業の中では思考力そのものとして位置づけられているそうです。一方で、アメリカの歴史教育では、「因果律」を歴史理解の枠組みとして、結果から振り返って情報を取捨選択する「分析」の能力が児童に要求されているとのことです。

 

日本では、伝統的な共感教育を背景として、作文においても歴史においても時系列の説明スタイルが強調されます。アメリカでは、科学主義による演繹的方法論の重視と価値の多様化に対応するために個人の「分析・決断・批判力」が必要とされることを背景として、因果律の説明スタイルが強調されます。こういった違いは、単一民族国家に近い日本と多民族国家であるアメリカの違い、ひいては、多民族国家での共感の難しさも影響しているようです。

 

日本とアメリカは国家的な成り立ちの違いをもとに、それぞれの教育目標を掲げて教育を実践してきました。結果として異なる教育が行われているわけですが、どちらかの教育だけが上手くいっているわけではなく、互いに相手国の教育を良いと思って自国に取り入れようとしているのが現状だそうです。

 

 

日本企業の現状

守屋先生の研究結果の一通りの解説が終わった後、これらを踏まえて日本企業に何がおこっているかの話題提供がありました。大変興味深い一方で、ちょっと絶望的になるような内容でもありました。

 

欧米の思考の型と東洋の思考の型のどちらが善いかはここでは置いておくとして、古典に学べば、本質をつかんだり、基本要素と関係性から全体をつかむ能力をもった人間を育成し、その能力の高い人が高い地位と権限を得て、世の中に変化をもたらしていくのがあるべき姿のはずです。

 

ところが、伝統的に共感教育が行われている日本では、学校教育の成果として忖度する能力が高い人間が育成されることがおこっています。そして、日本の教育システムに適合して優秀な成績をおさめた学生は、所属組織の中で忖度する能力によって高い地位を得ているというのです。その結果が、今、世の中でおこっている様々な政治や企業の不祥事に他なりません。

 

教育の成果が様々な不祥事をおこすことにつながっているなんて残念すぎる話です。他者に共感する能力は決して悪いことでも不要なことでもありません。それなのになぜこういうことがおこるのかについては2つの理由が考えられます。

 

一つの理由は、昇進制度が人によって判断されているからです。人が判断を行う際には、どうしても判断を行う側の人間の感情が入り込んできます。本来行うべき判断基準だけではなく判断者の基準が入り込む余地によって、判断者への忖度の有無が判断に影響していると考えられます。

 

もう一つの理由は、自ら思考して判断することを放棄して他者の思考への共感だけで行動しようとするからです。

 

 

私たちが学ぶべきこと

勉強会の場で学んだことを後から振り返ってみると、その内容の深さに気づかされます。

 

私たちが学ぶべきことは、まずは現状を知ることです。無意識的に行っている思考の型や教育的価値観は、普段の日常生活の中でその存在に気づくことはなかなかできません。そういったものに気づくために、古典から学んだり、今回のような学びの場に参加することが必要なのです。今回の勉強会に参加して、古典に学ぶ意義がストンと腹に落ちました。

 

もうひとつ大事なことは、思考の型の違いや教育的価値観の違いを知っても、安易な二元論に陥らないことです。対比される2つの事柄が存在しているのは、どちらか一方が正しくて他方が間違っているということではなく、トレードオフの関係にあるはずだからです。

 

守屋先生が、勉強会の最後にこんな話をしてくださいました。

 

ある外資系企業の経営者がこんなことを言っていました。「日本の企業は経営判断をしていない。経営判断とはトレードオフの判断をすること。日本の企業は経営判断をせずに、精神論で現場の頑張りでなんとかしようとする」

 

企業経営に限らず、個人が生きていく時も選択の連続です。人生で遭遇する選択に迷うのは、選択肢がトレードオフの関係にあるからです。何かを選んで何かを捨てるという決断、つまり経営判断をしながら誰もが生きていくことになります。

 

私たちは、自分の人生の経営判断をうまくできるようになるために、この勉強会で経営するとはどういうことかを「孫子の兵法」から学んでいるのです。女性限定勉強会で「孫子の兵法」を学んでいると言うと不思議がられることがよくありますが、今回の勉強会を経て、私たちの学びの場の意義を自信をもって言えるようになりました。

わざわざ行く旅

10月8日(日)、まだ薄暗い中、早朝5時40分発のバスで高松駅を出発しました。大阪駅でバスを乗り換えて向かった先は京都府日本海側にある京丹後市。3連休とあって高速道路の渋滞に巻き込まれ、京丹後市に住む友人の尾崎さんと落ち合えたのは13時30分頃でした。高松駅を出発してから実に8時間も経過していました。長い長い道のりでした。

 

そんな長い道のりをかけた行き先の京丹後については、その昔に訪れた天橋立以外に何があるのかも知らず、事前に調べることもなく向かいました。2泊3日の京丹後への旅のお宿は6月にママになったばかりの尾崎さん宅。東京からやってきた共通の友人である麻美ちゃんを含めて、京丹後で3人での再会を果たしました。

 

 

記憶から薄れる景色と味

 

京丹後では、尾崎さんの車に乗せてもらって透明度の高い日本海の海岸へ行きました。遮るものが何もなく目の前に広がる広大な海と潮の香りで、心に溜まった澱が洗い流されるような気がしました。尾崎さん宅から見える夕焼けの海もとてもきれいでした。

 

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         京丹後から見渡す日本海

 

尾崎さんのアレンジのおかげで、なぜ京丹後にこんな店があるのと思えるような名店での食を味わうことができました。牧場でとれたミルクを使った濃厚なソフトクリーム。フランスで修行して京都市内のホテルのオーナーパティシエが京丹後に開いたケーキ屋さんのとろけるようなチーズケーキ。ナポリで開かれたナポリピッツァ職人の世界大会で2位に入賞したピッツァ職人がいるお店「uRashiMa」の極上ピッツァ。関西の食通の間で名の通った「縄屋」さんの見た目も味も上品な魚菜料理。地元で採れた鮮度の高い食材が腕の磨かれた職人の手にかかった食にかなうものはありません。

 

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                                                  uRashiMaの極上ピッツア

 

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               縄屋さんの魚菜料理

 

景色も味も満足した旅でしたが、1週間たった今、京丹後への旅の記憶として残っているものを聞かれたら、残念ながらそれは景色でも料理でもありません。ですから、もう一度あの景色を見るために、もう一度あの味を求めて京丹後にわざわざ行きたいかと聞かれたとしたら、答えはYESではありません。美しい景色も美味しい料理も京丹後以外でも代替できます。

 

記憶に残る出会った人達

 

京丹後の旅の思い出として記憶に刻まれているのは、景色でも食でもなく、出会った人達です。

 

尾崎さんのコーディネートのおかげで、京丹後に移住してきた人や京丹後にUターンしてきた若い人達と出会うことができました。会話する中で、これからどんなことをやろうとしているのか、それはなぜなのか、どんな価値観をもっているのか、どんな課題があるのかなどを聞くことができました。それぞれの人の話も興味深かったのですが、何よりも注目したのは若い人達のつながり力とオープンさです。

 

京丹後に滞在中、尾崎さんのコーディネートで京丹後に移住してきたAさんのお宅にお邪魔してAさんにお会いすることになっていました。Aさん宅に行くと、約2週間前に京丹後に移住してきてAさん宅の隣りに新しくコワーキングスペースをつくる予定のBさんもやってきました。

 

翌日の午後は竹野酒造さんに見学に行く予定になっていたので、尾崎さんがBさんに「明日の午後、竹野酒造に行くけど良かったら一緒に行く?」と聞きました。Bさんは「行ったことがないので一緒に行きます」と答えて、一緒に行くことに加えて尾崎さん宅でランチを一緒にとることがその場で決定しました。

 

Aさん宅を訪問した日の夜は、京丹後市在住のuber社員のCさんが尾崎さん宅にお越しになって、3日フライングしての尾崎さんの誕生日を一緒にお祝いしました。ここでも尾崎さんが「明日、京丹後に移住してきたばかりのBさんがうちで一緒にランチを食べるけど、Cさんもランチ来る?」と声をかけて、Cさんのランチジョインが決定しました。 

 

翌日の尾崎さん宅でのランチで、BさんとCさんがご対面してつながることに。Bさんが「コワーキングスペースにいつでも遊びに来て」と言っていたので、コワーキングスペースにてCさんに新たな人とのつながりがもたらされることが予想されます。

 

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         尾崎さん宅でのランチ風景

 

Bさんと一緒に向かった竹野酒造では、竹野酒造のDさんから、酒蔵の案内とお酒の銘柄の説明をいただき、試飲もさせていただきました。Dさんから海外にも竹野酒造の日本酒を輸出していると聞いたBさんは、「海外に日本酒を紹介している友人がいるので今度連れてきます」と申し出ていました。

 

わずかな滞在期間中に若い人達がどんどんつながっていくのを目の当たりにして、このつながりから面白い変化がおきそうな期待を感じずにはいられませんでした。ただ会って話を聞いただけでなく、オープンマインドでどんどんつながっていく人達だったからこそ、旅の記憶として強く残ったのだと思います。

 

 

わざわざ行く

わざわざ行くという行動がおこるのはそこにしかない代替のきかないコトがあるからです。京丹後への旅でそのことをはっきりと認識できました。

 

そこにしかない代替のきかないコトとは何でしょうか。例えば、広島の原爆ドームを見た時の突き動かされる衝撃。例えば、直島の地中美術館を見た時の美術館の概念を覆される感覚。例えば、沖縄の海を見た時のもう一度見に来たいと思う気持ち。

 

唯一性の高いモノから受ける圧倒的な体験以外で代替のきかないコトは、そこに住む人に会うことでしょう。私がはるばる時間をかけて京丹後まで行ったのは会いたい人がそこにいたからでした。大切な友人である尾崎さんと生まれて4ヶ月の美和ちゃんに会いに行こうと思い、さらには麻美ちゃんも来るとなれば、行かない理由を見つけることはできませんでした。

 

わざわざ京丹後まで行って良かったと思っています。その理由は、尾崎さん、美和ちゃん、麻美ちゃんと会えたことはもちろんですが、尾崎さんにつないでもらった京丹後で面白いことをおこしそうな人達に会えたからです。

 

わざわざ行くという需要を掘り起こすなら、そこに住む面白いことをやっている人と交流するという視点も必要ではないかと思えました。わざわざ京丹後まで行ったおかげで、わざわざ行く旅について体験的に学ぶことができました。次はどこにわざわざ行くことになるのか楽しみです。

アートがつくる地域の変化

 

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豊島から見た瀬戸内海

 8月19日と9月2日、瀬戸内海の豊島にある島キッチンにこえび隊としてお手伝いに行ってきました。

 

島キッチンは古民家を改修してつくった瀬戸内国際芸術祭2010の作品のひとつです。豊島の食材を使い、丸の内ホテルのシェフと豊島のおかあさん達が恊働で開発したオリジナルメニューを提供しています。こえび隊は瀬戸内国際芸術祭のボランティアサポーターの名称です。

 

こえび隊として参加することで、瀬戸内国際芸術祭が島に大きな変化をもたらしたことを感じ、瀬戸内国際芸術祭の本質を探求しました。

 

 

瀬戸内国際芸術祭

瀬戸内国際芸術祭は、瀬戸内海に浮かぶ島を会場として3年に1度開催される現代アートの祭典です。2010年に初めて開催され、2019年の開催も決定しています。直近で開催された2016年の総来場者数は104万人にも及びました。

 

日本各地で芸術祭が行われていますが、瀬戸内国際芸術祭の特徴のひとつには島が開催会場になっていることにあります。会場に行くための交通は船です。陸海空の交通手段のうち、船に乗る機会はそうそうないのではないでしょうか。船に乗ること自体がいつもとは違う経験ができる楽しみになります。島内の交通はバス、徒歩、レンタサイクルが主流です。バスの本数も限られているため、徒歩やレンタサイクルで回る方が多くいます。車の往来が少ないため、島にいると聞こえてくるのは鳥のさえずりです。車のエンジン音が生活音という社会に暮らしている者には、島に入ると非日常の世界に来た感じがします。島独特の環境が瀬戸内国際芸術祭を色づけているのだと思います。

 

瀬戸内国際芸術祭は3年に1回の開催ですが、開催会期中以外にも一部の作品は公開されていて、常に誘客できる仕組みになっています。

 

島という環境

私がこえび隊として豊島に渡ったのは会期中以外の期間でしたが、高松港から豊島に渡る定員70人の船はほぼ満席でした。帰りに乗る予定の便では積み残しが発生する可能性があるからと、どうしても予定時刻の船に乗らないと困るかどうかの確認がありました。夏休み期間ということもありますが、会期中以外も島に渡る観光客がコンスタントにいる現実を知りました。

 

船に乗っている客層は、一人、友人、カップル、夫婦、家族連れと様々でしたが、若い女性の割合が高いように思いました。アートへの関心が高いのは女性の方が多いのでしょうか。

 

高松港から豊島までは船で1時間弱かかります。そう短くない時間です。8月19日の行きの船では船内の椅子に座りました。船内ではうつむいてスマホの画面を見ている人を見かけました。人数の違いはありますが、都心の電車の中と同じような光景でした。

 

9月2日の行きの船では甲板に立っていました。甲板にいくつかの椅子があり、豊島に観光で向かう人達が座っていました。その中に20代とおぼしき3人連れの女性がいたのですが、彼女達の船上での過ごし方に驚きました。豊島につくまでの1時間弱の間、3人のうちの誰一人として一度もスマホの画面を見ることがなかったのです。スマホで写真を撮っていましたから、スマホを持っていないわけではありませんでした。

 

都心での電車移動の光景から推測すると驚くことではありましたが、瀬戸内の島に向かう船の移動中のできごととしてはごく自然なことでした。なぜなら、私自身も甲板から見る瀬戸内の風景にみとれて50分という時間がとても短く感じたからです。多島美と呼ばれる瀬戸内の風景は船が進むに連れてその景色を様々に変えていき、決して見飽きることがありません。スマホの画面を見るよりもずっと心を奪われる景色でした。島に渡る船の上から、非日常という旅の醍醐味をたっぷりと味わうことができるのです。

 

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                             豊島に向かう船から見える瀬戸内の風景 

 

豊島の家浦港から島キッチンまでは歩いていける距離ではないので、こえび隊のワゴン車に乗せてもらいました。センターラインのない道を走る車の窓から景色を見ていましたが、「何もない」というのが正直な感想でした。畑と民家以外にお店らしきものはほとんど見かけませんでした。信号もひとつも見かけませんでした。木々や草の緑と民家と道路のグレーが島で見た大部分の色でした。その中で、瀬戸内国際芸術祭の作品案内板のブルーが一際目立っていました。

 

そんな島に芸術祭の開催期間以外でも、自転車や徒歩で島の中をめぐる人を呼び込んでくるのはすごいことです。

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レンタサイクルで島をめぐる人達



 

島の価値観

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島キッチン

私がお手伝いした島キッチンは11:00~14:30までランチを提供し、15:30までドリンクを提供しています。島キッチンにはテーブル席とカウンター席があります。テーブル席は、頭に気をつけてくださいと声かけが必要なくらいに低い天井の下に座卓と座布団が並べられたものです。座卓は不揃いなので、おそらく島で使われなくなったものを集めたのだと思います。暑い時期でしたので、扇風機もいくつか並べてあります。扇風機も不揃いです。テーブル席はすべて窓際に配置されていて、網戸ごしに隣りに広がる円形の屋根を冠したテラスが見渡せます。カウンター席はオープンな調理場を囲むようにつくられています。

 

島キッチンオープンの11:00の前には、すでにお客様がやってきて外で待っていました。ランチの提供時間は途絶えることなくお客様が次々にやってきて、ピーク時には外に並んで待っている状態も続きました。予約してやってくるお客様もいます。島キッチンにやってくる客層も女性の割合が多い印象を受けました。海外からのお客様も複数組いらっしゃいました。

 

島キッチンの中に世界地図が貼られていて、どこから来たかをピンで指していくようになっています。日本全国からお客様がやってきているのはもちろんのこと、ヨーロッパからもたくさんの人がやってきています。もちろんアジアからのお客様も少なくありません。島キッチンにやってきたお客様の多くがこの地図の前で足をとめていきます。

 

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島キッチンに貼られている世界地図

 

テーブル席にお客様をご案内すると、誰もが「わあ」と喜びの声をもらします。テーブルも座布団も洗練されたスタイリッシュなものというわけではありません。都心のレストランであれば、店内の内装やテーブルや椅子などの家具のお洒落さに目を奪われますが、島キッチンでは窓から見える開放的な景色に心を奪われるようです。

 

前菜のサラダとオクラを運んだ時、「わあ、オクラ」と喜ばれるお客様がいました。これにはちょっと驚きました。オクラは豊島で採れたものではあるけれど、普通にスーパーでも見かける野菜です。日常的にあるものに対して喜んでもらえるのは、島キッチンという非日常の空間によって特別な体験の意味を帯びるからでしょうか。

 

ピーク時には席は満席になり、注文の品を運ぶことや、お客様からの追加注文の聞き取りが遅くなってしまうことがあります。「お待たせしてすみません」とようやくお客様の対応ができた時に、お客様から嫌な顔をされることは一度もありませんでした。ゆったりとした島の時間の流れの中で、お客様もゆったりと時間を過ごす価値観になっているように感じました。

 

こえび隊

会期中以外のこえび隊の活動としては、島キッチンのお手伝いの他には、展示作品の受付があります。作品会場の開け閉めを行い、作品の入り口に座って、鑑賞に来られた方から費用を徴収し、時間帯ごとの来場者数をチェックし、最後に一日の集計を行います。受付マニュアル、受付集計用紙、電卓、虫除けスプレーなどがセットになったバッグを渡され、1作品1人体制で受付を行います。受付担当の方の話を聞いていると、来場者の方と言葉を交わすのが楽しみのようです。時には一人も来場者がいないこともあり、そういう時の方がしんどいと言っていました。

 

こえび隊活動をする時は、こえび隊の名札をつけて、事務局からいただいたこえび隊専用の船のチケットで乗船します。他のお客さんが乗船した最後に、船の係員の方が「じゃあ、こえびさんどうぞ」と言われてから乗船します。瀬戸内国際芸術祭の開催会場になっている島では、こえび隊という存在が十分に認知されていることを知りました。

 

特別なスキルがなくても、老若男女誰でもこえび隊活動ができるように仕組み化されているのはすごいことだなと思いました。一方で、紙で集計した来場者数等は事務局の人が電子化のために入力作業をしていると聞いて、その部分はIT化して浮いた労力をもっと本質的な活動に使うとよいのではとも思いました。

 

私はこえび隊としてはまだ2回しか活動していませんが、他のこえび隊の方は何度もリピート活動しているようでした。お互いにすっかり顔馴染みになって、移動の間や集合場所でのおしゃべりを楽しんでいるようでした。年齢層も幅広く、男性も女性もいます。年配の方にとっては、こえび隊の活動が生きる活力を生んでいるのではないかと感じるほどでした。

 

私がこえび隊に参加するきっかけになったのは、「せとうちばなし」という瀬戸内国際芸術祭に関するトークイベントに参加したことでした。そこで瀬戸内国際芸術祭が始まるまでの話を聞いたのですが、最も印象深かったのが、四国本土の香川県に住む県民が島に目を背けていたという話でした。瀬戸内国際芸術祭が始まる前の島の課題は、人口減少や高齢化による活力の低下だけでなく、同じ香川県の中で四国本土と島が分断されていたことにもあったようでした。

 

こえび隊活動に参加してみてわかったのは、瀬戸内国際芸術祭においてこえび隊活動がとても重要な意味をもっているということでした。なぜなら、四国本土の香川県民がこえび隊になることで、四国本土と島の交流が生まれるからです。さらには、こえび隊になることが市民性の創造につながるからです。

 

アートがつくる地域の変化

島キッチンでまかないご飯を食べながら店長と話をしました。瀬戸内国際芸術祭開催による豊島の変化について聞いてみたら、それはもう劇的な変化があったそうです。瀬戸内国際芸術祭が始まる前は、島の外から来るのは釣人や海水浴にくる人がわずかにいただけだったそうです。今どうなっているかというと、それは島キッチンの繁盛ぶりを見れば言わずもがなです。

 

これだけ大きな変化を島にもたらした瀬戸内国際芸術祭のことをもっと知りたくなり、北川フラムさんの「アートの地殻変動」を読みました。やはり瀬戸内国際芸術祭は観光客誘致のためのアートフェスティバルではありませんでした。

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北川フラム氏の書籍

 

この本に書かれている中で、瀬戸内国際芸術祭のポイントになると感じたことを以下に抜き出しました。

・瀬戸内国際芸術祭はそこに暮らす人のために、地域を再生させる目的をもっている。

・アートは何の役にも立たないけれど、周囲の人たちのクリエイティビティを引き上げ、可能性を喚起する

・現在の都市化、グローバル化した生活形態、価値観を変えていくことと瀬戸内が元気になっていくことは同じこと。

・美術には祝祭性と恊働性がある。

・瀬戸内国際芸術祭のアートは、その土地の空間、時間が見えるような仕掛け。

・美術作品は空間感覚なので、その場所に行かないと伝わらない

・瀬戸内国際芸術祭に多くの人が来られる理由は、これだけ広範な地域で、人が海を渡っていることが要因のひとつ。海をわたることによって日常をリセットする。プロジェクトそのものの中に旅が内包されている。

・芸術文化による地域づくりは、最後には、一人ひとりが市民としてどう動くかにかかっている。

 

 

このポイントを踏まえて、瀬戸内の島のひとつである豊島をモデルにアートがつくる地域の変化を図でまとめたものが以下です。

 

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アートがつくる地域の変化


 

こうやってまとめてみると、瀬戸内国際芸術祭が単なるアートフェスティバルでも観光客誘致でもなく、地域のエコシステムをつくっていることがわかります。

 

瀬戸内国際芸術祭の仕組みもそのすごさも、実際にこえび隊として活動してみたからこそ理解できました。真の理解は現場に身を置くことからを今回も痛感しました。

Maker Faire Tokyo2017で感じたメイカーの意味

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2017年8月6日、痛いほどの真夏の陽射しが降り注ぐ中、東京ビッグサイトで開催されたMaker Faire Tokyo2017に行ってきました。メイカームーブメントを肌で体感したいと思っていたところ、ものづくり特化型メディアfabcrossの越智プロデューサーにMaker Faire Tokyoの招待状をいただく幸運に恵まれ、意気揚々と出かけていきました。

 

Maker Faire Tokyoはメイカームーブメントのお祭りで、選考された今年の出展者は約450組。受付でもらったプログラムガイドは15pからなり、記載された多彩な出展内容からもメイカームーブメントの一端を感じることができました。

 

 

Maker Faireから見えてくるもの

広大な会場には数多くの来場者が行き来していて熱気を感じました。展示内容は、出展者自身がMakeしてまだ世の中に出ていないものが多く、目新しいものと沢山出会えるのが特徴です。選考を経ているので一定のクオリティが保たれていて、こういう発想もありかという視点のインプットの場としても最適でした。体験型の展示が多く、言葉や写真よりも体験する方が何倍も対象物のことがよくわかります。体験する来場者と出展者との間には頻繁にコミュニケーションが生まれていました。

  

一堂に集まった出展内容を見ると、Makeの領域が実に幅広いことに気づきます。デジタルと掛け合わせることで新しく作り出されたものが出展されていて、ファッション、手芸、フード、モビリティ、音楽など、幅広い分野にデジタルMakeの波が押し寄せていることを感じました。

 

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         ファッション×デジタル

    身体の動きに合わせてデザインが変わるTシャツ 

 

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         モビリティ×デジタル

   回転にあわせてタイヤの見え方が変わる自転車 

 

また、ロボットとVRの展示物が目立ち、それらの流れがきていることも感覚的につかむことができました。VRはスマホタブレット3Dプリンタでつくった箱にはめこんで、回転の向きにあわせて表示される内容が変わるものが多くありました。中には段ボールで枠をつくっているものもあり、今あるものを組み合せるだけで、まだまだできることがあると知りました。

 

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      スマホを段ボールに埋め込んだVR装置

この装置を向ける方向によってスマホの画面で見える映像が変わる

 

 

大人から子どもまで

小学生以下の子どもも沢山来場していました。エデュケーション&キッズゾーンがあり、子どもが参加できるワークショップやプログラミング教室も開催されていて、子どもが楽しめる要素もふんだんに盛り込まれていました。

 

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       子ども向けプログラミング教室 

 

遊園地に行くより楽しそうだなと思うと同時に、Maker Faireが夏休みの時期に開催される意味がわかった気がしました。というのも、夏休みのお決まりの宿題の工作は、親にとっても子どもにとっても頭の痛いものでしたが、Maker Faireに来ると、つくることに対するモチベーションが喚起される気がするからです。

 

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   子どもの名前入りの型を真空成形でつくっている様子 

 

子ども向けのコーナーはあるのですが、キッザニアのように子どもだけが対象ではなく、大人も子どもも対象というのがMaker Faireの意義深さです。大人と子どもが同じ空間にいて、大人が楽しんでいる姿を子どもが見ることがMakeの意味を子どもに伝える最良の方法だからです。何度も迷子のお知らせを告げる会場内放送が流れました。人ごみの中で単純にはぐれたというよりは、子どもが興味のままにドンドン進んでさまよってしまったのか、大人が夢中になっている間に子どもとはぐれてしまったのかのどちらかではないかと私は推測しました。

 

子どもの教育格差は文化資本格差によるという報告があります。文化資本格差とは、例えば美術館や博物館などに連れて行って、文化的な素養を身につける機会の有無が格差となって表れることを指します。これからますますメイカームーブメントが広がるとしたら、Maker FaireのようなMakeする楽しさを知る機会の有無が教育格差となって表れることになるかもしれないという思いが頭をよぎりました。

 

 

テクノロジーの民主化の意味

メインステージでは、いくつかのプレゼンテーションが行われていました。私は「Prototype to Product ープロダクトをつくるということ」のパネルディスカッションを聴きました。

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情報科学芸術大学院大学の小林先生から、メイカームーブメントの背景にテクノロジーの民主化があるとの説明がされました。

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これまでは何かをMakeするのに必要なハードやソフトにアクセスできる人は限られていました。会員制のものづくり工房ができたり、マイコンボードの開発ソフトウェアが無償公開されたりと、Makeするためのテクノロジーは誰に対しても門戸が開かれるようになりました。これがテクノロジーの民主化です。これによって誰もが思いついたアイデアをプロトタイプすることができる時代になりました。

 

パネルディスカッションのテーマはプロトタイプからプロダクトとして世の中に送り出すハードルをどう乗り越えるかでしたが、私はテクノロジーの民主化が意味するところに興味をひかれました。テクノロジーの民主化によって、今まではアイデアのままに埋もれてしまっていたものをカタチにして見える化できるようになりました。つまり、私たちは、イデアをアイデアのままで終わらせずにすむ自由を手に入れたとも言えるのです。

 

3人のパネラーは、それぞれのきっかけをもとにアイデアを思いつき、それをカタチにしたメイカーでした。この3人はMakeできる自由の権利を行使した人達です。今の時代でもアイデアを思いついたけれどカタチにまではしない人は沢山います。その理由はカタチにするハードルが高いからではありません。人間は自由を求めますが、自由を手に入れても、行使することに伴う覚悟をもって自由になる人と自由になることを放棄する人がいます。テクノロジーの民主化は誰もがメイカーになれることをもたらしたと同時、メイカーになる人かならない人かを浮かび上がらせる意味も持っていると思いながら、パネルディスカッションを聴いていました。

 

メイカーになるために必要な条件には学ぶこともあげられます。ハードにもソフトにもアクセスは容易になりましたが、実際にアクセスするためには、そのための基本スキルを学ばなければなりません。テクノロジーは常に進化を続けているので、それにあわせて学び続けることも必要です。学び続けることを良しとできなければメイカーになるのは難しいでしょう。

 

 

メイカーという生き方

このパネルディスカッションでは、自分のためにものづくりをするメイカーではなく、他者が使うためにものづくりをするメイカーを対象にしていました。そのため、プロトタイプからプロダクトにジャンプアップさせる視点がテーマでした。興味深かったのは、プロトタイプができたら応援してくれるコミュニティをつくるという考え方でした。

 

小林先生が注目しているメイカーは辺境にいる人という提示がありました。

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辺境にいるメイカーは、プロモーションのために人やお金を十分にかけることは難しいに違いありません。プロトタイプができてから実用化や量産化には、ものづくりの面でもさらなる壁があります。メイカーが頑張って壁を乗り越えてプロダクトとして世に送り出すのではなく、「クラウドファンディングなどのプロセスを経る過程で、応援してくれるコミュニティをつくってコミュニティと一緒にプロダクトに育てていきたい」と言ったのは、株式会社OTON GLASS代表取締役の島影さんでした。それを受けて、小林先生が、クラウドファンディングで製作にこぎつけた映画「この世界の片隅に」に言及して、「映画のシーンの中で一番感動したのがエンドロールで流れたクラウドファンディングの支援者の名前だった。あれを見て、自分も支援したかったと思った」と言いました。

 

Makeの先には使ってくれる人に届ける必要があります。Makeが完成する前段階から、届けたい人とつながれるのもテクノロジーの民主化のおかげです。ものがあふれる時代、必要不可欠なものは一通り行き渡りました。そんな中でさらに手元におきたいものがあるとしたら、誰かの手によってMakeされたものではなくて、自分もMakeの一端を担ったものかもしれません。自分が一端を担ったものであれば、周囲に語りたくなるのではないでしょうか。応援者の語りによって少しずつ認知が広がり、いつの間にか多くの人が知るところとなり、結果として多くの人に届けられるというのが今の時代のプロモーションのあり方だと思います。

 

今の時代にメイカーとして生きるためには、Makeするだけではなく、周囲を巻き込む力が必要だと言えるのではないでしょうか。辺境にいるメイカーにとっては特に。

 

 

メイカースペースの価値

メイカーの拠点であるメイカースペースの価値についても考えてみたいと思います。

 

多くのメイカーはものづくりの拠点としてメイカースペースを使っていると思います。私もTechShopというメイカースペースに行くことがあり、そこでメイカーの人達が工作機械を使って熱心にMakeしている様子を見かけます。

 

一見すると、メイカースペースは工作機械へのアクセスだけを提供しているように見えますが、実際にはメイカーに必要な学びの支援も提供しています。メイカーが参加するオンライングループは、自分が得たMakeに関する知識を共有したり、質問を投げかけたりと、メイカー同士で相互に学び合う場になっています。自分のノウハウとして独占しようという雰囲気はなく、ノウハウをオープンにすることでメイカームーブメントを盛り上げていこうという雰囲気があります。

 

工作機械へのアクセスと学びの場の提供に加えて、プロモーション支援をメイカースペースができれば、メイカーにとってのメイカースペースの価値がより上がると感じました。考えてみれば、Maker Faire Tokyo2017もメイカーのプロモーション支援の場でもありました。

 

 

メイカーの時代の到来

「メイカームーブメント」の言葉は随分前から聞いていましたが、単なる言葉の流行ではないことをMaker Faire Tokyo2017の会場に実際に足を運んで実感しました。

 

メイカーは、テクノロジーの民主化によって手に入れた自由を謳歌する生き方を選んだ人達です。自由に覚悟が伴うことは承知の上で。自由を謳歌しながら学び続けるメイカーが確実に増えていることを肌で感じました。

 

今はまだメイカーの台頭のインパクトを認識していない人もいるかも知れませんが、メイカーの時代は確実にやってくるでしょう。メイカーとして生きる人が珍しくなくなって、メイカームーブメントという言葉がなくなった時、その時の世界は今よりも面白くなっているに違いない。そう確信させてくれたMaker Faire Tokyo2017でした。