大人の学びは役に立ってしまう

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大人になると全く新しいことを学ぶ機会というのは、なかなかないものです。やったことがなくても、少しくらいは聞きかじったことがあることがあるものだからです。フラッシュモブダンスを全くのゼロから学ぶという貴重な機会に恵まれたので、それを通じて感じた大人の学びが今回のテーマです。

 

 

はじまりはシアターモールの秘密企画

私はこれまでダンスを習ったこともやったこともありませんでした。それが、フラッシュモブダンスを踊ることになった経緯はこういうことです。

 

一般社団法人経営学習研究所(MALL)主催の「音楽を素材にしたチームづくり」をテーマにしたイベントが2月24日(日)に行われるとの告知があり、その参加者募集が行われました。それとほぼ同時に、そのイベントで行う秘密企画の参加者募集が行われました。秘密企画の参加者募集では、2月24日(日)のイベント当日に参加することと、2月16日(土)に2時間の企画準備に参加することだけが書かれており、企画内容については書かれていませんでした。企画者が一度お会いしたことがある三原さんで人となりを多少でも知っていたことと、未知のことにチャレンジすることを今年のモットーにしていた私は、日程の都合が合うことを確認して、秘密企画の参加者に手を挙げました。そして、企画内容がイベント当日にフラッシュモブダンスを踊ることだと知ったのです。

 

私はフラッシュモブダンスはおろか、これまでにダンスを習ったことも踊ったこともありません。企画内容を知った時、「えっ、ダンス?」という驚きが一瞬立ち上がりましたがそれはすぐに消えて、ダンス経験ゼロの私がたった2時間の練習でフラッシュモブを踊るようになるというプロセスでどんなことが起こるのだろうという興味に占領されてしまいました。

 

フラッシュモブダンス企画者の三原さんは、5歳からバレエを、大学時代からダンスを続けていて、今回の企画で振付・指導を担当してくれました。これまでにも結婚式等でダンス未経験者と一緒に踊ったことがあるそうです。

 

フラッシュモブダンス参加メンバーは、最終的に三原さんを入れて7名になり、そのメンバーでのFacebookグループが作成されました。グループ内で、フラッシュモブの振付の事前イメージをもつために、三原さんが踊っている動画が共有されました。ダンス歴の長い三原さんのダンスはまさにダンサーらしい動作で、これが自分にできるようになるとはとても思えないと思うと同時に、経験ゼロの状態と三原さんのダンスとのギャップがどこまでどうやって埋まっていくのかということにまたしても興味を掻き立てられたのでした。

 

できるための学び

企画準備に用意されていた2月16日はダンス練習をするためで、三原さんが借りてくれたスタジオで行いました。待ち合わせ場所で待っている間に、今までにフラッシュモブダンスをやった時の練習時間を三原さんに尋ねてみました。今までは複数日練習していて、2時間の練習というのは今回が初めてとのことでした。2時間の練習でできる想定での振付になっていたのだと思いますが、どんなスキルを持った人が参加するかわからない状況で練習時間の見積もりをしないといけないのは相当難しいだろうなと思いました。

 

練習日当日、体調不良で1名が欠席になりました。即席で結成されたMALLダンサーズは6名になり、ほとんどが初対面、三原さん以外全員がダンス未経験者というメンバーでした。私と同様に何をやるかわからない企画に応募するという好奇心あふれるメンバーだけあって、初対面のメンバーではありましたが和気あいあいとした雰囲気の中でダンス練習ができました。

 

ダンススタジオに入ると、自己紹介から始まり、簡単なストレッチをした後は、三原さんの教えてくれるがままに身体を動かしていきました。その時は、とにかく言われたままに身体を動かすのに精一杯でしたが、後から振り返ってみると、ダンスはモジュールの組み合わせでできていて、三原さんはモジュールごとに区切って身体の動きを教えてくれていたことがわかりました。しかも、モジュールの中でも足の動きだけを先に行い、次に手だけの動きを行い、最後に手と足を組み合わせて行うといった風に段階的に難易度を上げていくように練習が組み立てられていたので、初心者でもなんとかついていけました。足だけ、手だけの動きならできても、手足を同時に動かすとなると、途端に難しくなるものでした。

 

見ると単純な動きが、いざ自分でやってみようとすると、どうすれば望みの動きができるのかがわからないということがおこりました。そうかと思うと、見ると難しそうと思ったターンやヒゲダンスと呼ばれる動きが、やってみると意外とすんなりできることに驚きました。難しそうに見えるものがそうでもなかったり、簡単そうに見えるものが難しかったりと、難しさというのは実際にやってみないとわからないものでした。

 

また、身体の動きを真似るというのは、見ただけで真似るというのはとても難しいものでした。どこに重心を置くのかなど、外からでは見えないことが身体の動きを成り立たせているからです。指導してくれる三原さんと、あるいは一緒にレッスンしている人と、実際に身体を動かしながら、「こう?」「こんな感じ?」などと自然にコミュニケーションがおこりました。

 

モジュールの動きを一通りさらった後は、全体を通しての練習をしましたが、一連の動きというのはわずか1分程度のものでもなかなか覚えられないものです。三原さんの「1、2、3、4」や「右にまわりまーす」などの掛け声が、あの動きだと記憶を呼び覚ましてくれて、なんとか動けるという感じでした。

 

わずか1分程度のダンスを2時間かけて練習したわけです。つまり、かなりの部分は、同じことの繰り返しを行ったことになります。飽きてしまったりしんどくなったりしてもおかしくない状況ですが、そうはならなかったのは、1人ではなくみんなで一緒に練習したからだったと思います。もくもくと練習したのではなく、時には談笑も交えてコミュニケーションをとりながら行ったことが、2時間の練習を楽しい時間にしてくれました。

 

この日は、ゼロから何とかカタチになってできるというところまでもっていくための学びの機会でした。それに必要だったのは、指導してくれる人と一緒に学ぶ仲間だったと言えます。全員が初心者だったわけですから、他のダンサーメンバーも私と同様に本当に踊れるようになるだろうかと不安な気持ちを抱えていたと思います。2時間の練習で得られたものは、ダンスが間違いなくできるようになったことというよりは、仲間としての信頼と、当日たとえ間違ったとしてもこのメンバーと一緒になら最後まで踊りきれるという自信だったように思います。最後に通して踊った時に、ダンサーメンバーが自然と発した言葉がそれを象徴していました。

「できるような気がする~」

「いけるいける」

「いける~」

 

 

わかるための学び

2月16日の練習後は、時々、イメージトレーニングはしていましたが、実際に体を動かすことはできないままに時間が過ぎました。2月24日本番の前日、覚えているかなあと思って、みんなで練習した時の動画を見ながら、通して踊ってみようとしたところ、もうすっかり身体の動きを忘れていることにあせりました。これはまずいと思って、そこから動画を見ながら、一人で練習をはじめました。

 

みんなで練習した時と同じようにモジュールごとにおさらいをしました。身体を動かし始めると、モジュール単位では身体が覚えた記憶が蘇ってきましたが、モジュールとモジュールのつなぎの部分がどうもスムーズにいきません。モジュールのつなぎの部分が重要なんだなということに、この時初めて気づきました。モジュールのはじめで右に動くのか左に動くのか、右足から出すのか左足から出すのかがわからなくなりがちでした。が、頭で右、左と考えるよりも、前のモジュールの終わりからのつなぎを考えると、どちらに動いた方がスムーズか、どちらの足を先に出した方がスムーズかは自然とわかるということにも気づきました。ダンスの振り付けは、つながりが合理的になるようにできているものでした。

 

動画を見ながら、一人で何度も何度も繰り返して練習して、ようやく全体を通してスムーズに動けるようになってきました。この時に見ていた動画は、みんなで一緒に踊った時の動画です。三原さん一人が踊っている動画よりもみんなで一緒に踊った時の動画の方がやりやすいと感じたのは、ところどころで三原さんの掛け声が入っていて、その声を頼りにしていたからでした。

 

一通りの動きができるようになると、色々な感覚が変わってきます。自分でも驚いたのが、量的な感じ方が変わったことです。具体的には、ダンスを踊る一連のタスクを結構長いと思っていたのが、「なんだ、たったこれだけか」と短く感じるようになったことです。

 

次に変わったのは、視点です。はじめはどう動くのかという大きなくくりのことに気が向いていましたが、それらができるようになると、もっと細かいところが気になり出しました。例えば、右周りに大きく回転するように動くモジュールでは、手はどう動かせばいいんだろうといったようなことです。そうすると、三原さん一人で踊っている動画を見た方がわかりやすくなりました。この動きの時は手を大きく動かした方が格好良く見えるだなとか、手の位置はもっと上なんだなとか、同じ動画を見ても見る視点が変わっていきました

 

また、自分が踊らなければいけないタスクとしてのダンスから、ダンスとはどういうものかというダンスそのものへと興味が広がりました。そして、ダンスはいったん止まる静と動の組み合わせからなることや、左右への動きと回転の組み合わせからなることなどにも気づくようになりました。ひとつひとつの動きは単純な動きでも組み合わせることでダンスらしくなることもわかりました。初めて三原さんのダンス動画を見た時は、ただダンスを見たというだけに過ぎませんでしたが、この時点では、2時間の練習でも十分にできるようになるものでありながらダンスとして成立するよく考えられた振り付けであることものだということも見えてきました。

 

自分が納得いくまでとダンス練習を続けていると、動画の再生・停止を何度も繰り返しながら、一人でひたすら踊る練習をして1時間ほどが経過していました。この時間は、ひとつひとつの動きや組み合わせの意味を考え、単にできるようになるにとどまらず、ダンスそのものをわかろうとする学びの時間でもありました。

 

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こうなってくると、身体の動きを通じてダンスをわかるだけでなく、そもそもダンスとは何かということを知識としても知りたくなってきます。この気持のおもむくままに図書館に向かってダンスに関する本を借りてきました。ダンスの起源は、心臓の鼓動や自然界から聞こえる音などにリズムを感じて本能のままに身体を動かすことから始まったと知りました。一通りダンスを踊ることをやってみた後で、こういった知識を知ると、正しく踊ることよりも音楽のリズムに乗ることの方が大事だという意識に変わって、身体の動かし方がまた少し違ってきます。

 

より夢中になれたのは本番よりもプロセス

そんなこんなでゼロから始めたダンスを披露するシアターモール当日がやってきました。MALLダンサーズは、シアターモールのイベントが始まる前に集合して会場リハーサルを行いました。実際にダンスを踊る位置を確認し、みんなであわせて踊る練習をしました。

 

シアターモールのイベント自体は、参加者として存分に楽しみました。ペッカー橋田さんのファシリテーションのもと参加者全員でパーカッションを演奏したり、ミュージカル劇団「音楽座」の劇団員が独自の創作メソッドでミュージカル作品をつくりあげていく一端を垣間みたり、参加者全員で声高らかにミュージカル音楽を歌ったり、心も身体も楽しんで解き放ちました。

 

そういう場の空気ができあがっていた最後に全員で集合写真を撮った後、突然証明が消えて音楽が鳴り出し、そこから私たちMALLダンサーズのフラッシュモブが始まるという流れになっていました。

 

実際の本番がどうなったかというと、全くの予想外の展開になりました。突然証明が消えて音楽が鳴り出し、私たちが音楽にあわせてフラッシュモブを楽しく踊るというところまでは計画通りでした。ダンスを踊っている後半からは音楽座の劇団員の方もダンスに加わって、踊っている方も見ている方もテンションは異常なほどまでにあがりました。さらに、劇団員の方が見ていた人の手をとって、次々に踊る側に呼び込み、結局は全員で踊るというちょっと信じられないような状況になりました。会場にいた60人以上のいい大人が、しかも大学教授だったり会社の取締役だったりといった肩書をもった方も残らず含めてその場にいた全員が音楽にあわせて踊ったのです。踊り狂ったという表現の方が適切かもしれません。1分半ほどの予定だったフラッシュモブダンスは、全員の血湧き肉躍る8分弱の大イベントになるという結末で終えました。

 

当日、本番で踊り終わった後、どんな気持ちがするんだろうと思っていました。企画としてはとんでもなく成功したと言っていいと思います。やっぱり本番が一番楽しかったかというと、意外とそうでもなかったりします。

 

本番が楽しくなかったというわけではありません。楽しかったのは間違いありません。ただ、それよりも本番に向かって練習している時の方がより夢中になれた気がします。本番で踊ることに向かって練習していたのですが、本番そのものよりもそこに向かおうとする過程にいる時の方が印象に残っているのです。

 

大人の学びは役に立ってしまう

今回、ひょんなことから全く未知の領域であったダンスを学ぶことになりました。しかもダンスを学ぶ目的は、何かの役に立つからという理由では全くありませんでした。これが何の役に立つのかと問われがちな世の中にあって、役に立つか立たないかと問うことなしに、純粋に企画として楽しんでもらうため、また自らも楽しむためにダンスを学びました。役に立てようという肩肘をはる必要がなかっただけに楽しく学べました。

 

ダンスの練習を始めるにあたって、三原さんは、「間違えずに踊ることを目指すのではなく、間違えたとしても楽しく踊りましょう」と言いました。所詮は2時間練習しただけの素人ダンサーズです。踊りのテクノックで観客を魅了できるはずもありません。ですから、ダンサーズが楽しく踊ることで、見る側の人に楽しんでもえらえばよいので、とにかく一通り踊れればよかったのです。とすると、それなりにダンスを学べば十分であったとも言えます。けれども、2時間の練習で私たちは楽しみながらも真剣に取り組みました。

 

私はさらに1時間の自主練を追加しました。誰に言われたわけではありません。ダンスの学びが何かの役に立つという情報をキャッチしたからでもありません。やると言ったからには、自分が納得できるところまでもっていきたかったからです。そして、練習し始めると、ダンスに関して次々に新しい気付きが得られるようになり、それが面白くてさらに練習を続けるというスパイラルが回り始めました

 

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     できるための学びとわかるための学びの構造

 

ダンスに関しての気づきを得たにとどまらず、学ぶことそのものに関しての気づきも得ました。何かの目的に向かって学んでも、学ぶことの醍醐味は学んでいるプロセスにあると体験したこともそのひとつです。また、できるための学びでも、わかるための学びでも、何度も踊ってみることの繰り返しが必要でした。繰り返すことをドライブしてくれたのは、できるための学びでは仲間の存在であり、わかるための学びではもっと知りたいという好奇心であり、どちらの学びも同じ構造をしていることがわかりました。

 

ダンスを学ぶことで何か役に立つことを得たいなどとはこれっぽちも思っていませんでした。けれども、結果的には学びの構造が明らかになるという副産物を得ることができて、ダンスを学んだことが役に立ってしまいました

 

それなりの時間を生きていると、色々なことが自分の中に蓄積されていきます。新しい学びを得ると、それをそのまま吸収するだけでなく、すでに蓄積されていたものと自然と結びついて、副産物的な学びも得ることができてしまうのです。だから大人になってからの学びは楽しいのです。何かの役に立てようと思って学ばなくても、結果的に大人の学びは何かの役に立ってしまうものなのです。

 

年齢を重ねるほどに自分の中に蓄積が増え、蓄積が増えるほどに学びが楽しくなるのなら、学び続ける限り年をとることを悲観する必要なんか全くないわけです。人生100年時代の到来には期待しかありません。

 

発見と学びの旅はこれからもずっと続けようと思います。