記録のチカラ

Facebookを開くと、2年前の今日は奇麗な青空に感動し、5年前の今日は玄田有史先生の講演に感動したと教えてくれました。日々の暮らしの中ではすっかり忘れていましたが、2年前の写真を見ると、5年前の文章を読むと、その時の感動が鮮やかによみがえってくるのです。記録をすると、過去の自分からプレゼントがもらえるというわけです。

 

写真の記録

何がしか自分の気持ちが動いた瞬間を切り取って撮影した記録が写真です。記録として残るのは視覚的な情報だけですが、その記録を再び見た時には撮影した時の気持ちも一緒に記憶から引き出されます。写真はモノであり記録されるのはモノですが、記録から記憶が引き出される時にはコトになります。

 

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2年前に撮影した写真を見ると、思わずシャッターを切った時と同じように空の美しさに心が洗われるような気持ちになりました。

 

文章の記録

自分が大事だと思ったこと、記憶しておきたいと思ったことを書き留めた記録が文章です。記録として残るのは文字情報だけですが、その記録を再び読んだ時には書き留めた時の思いも一緒に記憶から引き出されます

 

5年前に自分がFacebookに書いた記事を読むと、玄田先生の講義を再び聴いたかのような感覚になり、わからないことにもひるむことなく向かっていこうと前向きな気持ちになれました。書いておいてよかったと思います。これが記録のチカラです。

 

【タフネスなリーダー】

予備校主催で行われた東京大学玄田有史先生の講演を聞いてきました。参加者の大半は高校生で、保護者の参加も少しだけありました。

 

パワーポイントは使わず、時々、黒板に大きな文字を書き、教室の中を歩きながら会場への問いかけを交え、情熱的に語り、笑いを誘い、東北弁で釜石の人の言葉を紹介する。話を聞きながら何度も胸が熱くなり、世界一受けたい授業を受講した気分になりました。

 

東京大学には憲法といえる東京大学憲章が定められています。東京大学の教育目標として、「開拓者精神をもった各分野の指導的人格を養成する」と書かれています。つまり、タフネスなリーダーを育てるということです。

 

「リーダーとはどんな人だと思いますか?」

 

リーダーだと思う人として、次々に生徒があてられましたが、答えた生徒は5人とも「総理大臣」と答えました。

 

リーダーとは、人を引っ張っていく人ではありません。リード・ザ・セルフ、つまり、自らを導いていく人のことです。自分の信じる道を自らを鼓舞して進み、それをもとに人を動かしていく人のことです。

 

筑波の先生に、宇宙飛行士の選び方を聞いたことがあります。最後の面接で大事な質問が1個あるそうです。


あなたは人生を振り返って、どちらの生き方に共感しますか?
1.
桃太郎
2.
浦島太郎

 

桃太郎は、明確な目標をもって実現し、自分にたりない部分を知って協力をあおぎ、きびだんごを渡すというおもてなしの心も持ち合わせています。一方で、浦島太郎には目的もなく、ニュートラルに生きています。

 

JAXAが選ぶのは、浦島太郎の生き方に共感する人です。宇宙はわからないことだらけです。わけのわからないことに向かっていく勇気、好奇心に素直に従うこと。それが宇宙飛行士に求められるものです。

 

タフネスというのは、わからないときに挑んでいく勇気のことです。

 

時々、中高生に進路相談を受けることがあります。得意だからや理解できるからという分野に進むのはやめた方がいい。得意だと思っていても、上には上がいる。わからないと悩んでいたこと、知りたいと思ったことにトライした方がいい。

 

ある中学生に「勉強する意味がわからない。勉強なんて役に立つのか?」と聞かれたことがあります。「勉強しても役に立ちません。勉強はわからないことから逃げ出さない練習です」と答えました。社会に出て大事なことは、わからないことから逃げ出さないことです。

 

2005年から希望学を研究しています。希望はつくれます。希望は4つの柱からなっています。希望がないと感じているなら、4つのうちの何かが足りていないのです。何が足りていないのかを考えれば、どうすれば希望がもてるかが見えてきます。

 

Hope is
a Wish 気持ち
for Something  具体的な何か
to Come True 実現しようとすること
by Action.  行動すること

 

希望学の研究で釜石に通い、そこで聞いた言葉があります。
「希望に棚からぼた餅はねえな。与えられた希望は本当の希望でねえ。動いて、もがいて、ぶちあたって、そん時に見つかるもんだ」
これを聞いて、希望の柱に by Action を付け加えました。

 

希望は社会を動かす原動力です。

 

今の世の中で、わかりやすいのがすべてになっていることに恐さを感じます。わかりやすいことは、何かをスキップしていて、ウソがある。わかりにくいことを追求する中に大事なことがあります。

 

オンライン教育では代替できない授業がある。そう確信させられる時間でもありました。

 

 

ブログという記録

私がブログを始めたのは2016年10月23日、約2年前です。その時は蓄積すること、すなわち記録することの価値を確かめてみようと思って始めました。どこまで続くかわからないと思いながら、なんとか2年間続けてきました。

 

iwayama.hatenablog.com

 

 

私のブログの更新はだいたい月一ペースです。Facebookで更新のお知らせをするので、当然のことながら更新した直後はブログへのアクセス数が伸びます。数日するとアクセス数は落ちてきます。

 

ブログを始めた頃はアクセス数がゼロになることも珍しくありませんでした。けれどもブログ記事を積み重ねていくにつれて、更新しない日でもゼロになることはなくなりました。必ず毎日、誰かがブログの記事を参照してくれているのです。

 

また、ブログを始めた頃はブログへの流入経路の大部分はFacebookからでした。Facebookでブログ更新を知らせたのを見たFacebookでつながっている友達が読んでくれたのでしょう。ところが、ブログ記事が蓄積されてくると、自然検索での流入経路が一番多くなりました。自分とつながりのある人だけでなく、全く見ず知らずの人からも参照されるようになったということです。続けてきた結果わかったことは、記録したものは共有され続けるということです。これが記録することのチカラです。

 

経験という記録

写真や文章、はたまた音声や映像といったように外部に対して行われるものばかりが記録ではありません。日々の暮らしの中で経験したことは、その人らしさをつくる記録として蓄積されてゆきます

 

人となりをつくるものとして記録された経験の引き出され方は他のものとは少し違っています。写真や文章の記録は引き出すフックになるものがあって初めて引き出されますが、経験の記録はその人の発する言葉や仕草や行動に自然と表れてきます。経験の記録ほどチカラを発揮するものはありません

 

記録のチカラ

記録は、記録した時ではなく、それが引き出される時にチカラを発揮します。忘れてしまっていた感動を思い出したり、他の誰かが知りたい情報として参照されたり。

 

今、IoTやビッグデータなどデータの蓄積に関する言葉が話題になっていますが、これらの本質も、データの蓄積、すなわち記録をしておくと、それが引き出される時に価値を生むからなのです。