アドラー心理学に学ぶ人間理解

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2019年初回の孫子女子勉強会は、特別講師として熊野英一さんをお迎えしての勉強会でした。熊野さんは、田中先生の教え子であり、かつ、アドラー心理学にもとづくコミュニケーションを伝えるプロフェッショナルということで、この日のテーマは「アドラー心理学に学ぶ勇気づけコミュニケーション」でした。

 

このテーマへの関心が高い人が多く、参加者はいつもにも増して多く集まりました。私もこの日は何としてでも参加したいと積み上がる仕事を投げ打って、開始時刻に間に合うようにと会社を出たにも関わらず、こともあろうに反対方向の電車に乗ってしまい、結局は30分も遅刻してしまうという失態をやらかしてしまいました。あーやってしまったという何とも残念な気持ちを抱えたまま、いつもの貸し会議室に入りました。急いで席について、話に耳を傾け始めるやいなや、電車の乗り間違えなどはすっかり忘れてしまうほどに熊野さんの提供する話題に夢中になりました。

 

 

アドラー心理学とは

アドラー心理学オーストリア精神科医であるアルフレッド・アドラーが打ち立てた心理学の理論です。「勇気づけ(encouragement)」がキーワードになっています。

勇気づけとは、

・困難を克服するチカラを与えること

・自分の課題に向き合えるように援助すること

とされています。

 

親子関係で言うと、ほめない、叱らない、教えすぎないことを推奨し、子どもを操作できる対象とみなさないという立場をとります。

 

放任と見守る

私が大部分を聞き逃した前半のお話が一段落したところで、質問タイムがもうけられました。孫子女子勉強会では、聞きたいことがまとまっていなくても自分の思うがままの質問を発することができる心理的安全性が保たれています。この日は、それぞれに日頃から抱いていた疑問が場に提供されました。

 

興味深かったのは、「◯◯は英語では何と言われていますか?」という質問が複数出たことです。日本語は多義性に富んだ言葉が多くあります。外国からもたらされた新しい概念は、訳された日本語の言葉だけではどうも意味がつかみづらい時があります。そんな時は、訳される前の言葉を知ることで、概念を正しく理解できるようになります。アドラー心理学をより理解したいという知的欲求に満ちた空気が感じられる勉強会でした。

 

私も積年の疑問が解けそうな気がして、質問しました。

子どもがお世話になった高校は本当に素晴らしい高校でした。入学式の日、生徒が担任の先生に連れられて教室にもどった後、保護者は体育館に残って学年主任の先生からのお話を聞きました。その時に、言われました。

「これからは、お子様の自立に向けて保護者の皆様は3Mを実践してください。3Mは『待つ、任せる、見守る』です。もし、子どもが成績表を親に見せなかったとしたら、『見せなさい」と言って無理矢理見ようとせずに、見せたくないんだなと思ってそっとしておいてください。お子様の学習については私たちが責任をもちますから」

 

私たち保護者は先生がおっしゃったことを忠実に守って、子どもが見せなかった成績表を見ることもなく卒業を迎えました。3年生になるまでは子ども達は、部活や遊びにあらん限りのエネルギーと時間を注ぎ込んでいました。3年生になると、クラスの中から1人、2人と勉強に向かい始める生徒が現れ、その影響が波紋のように広がって、最終的にはクラスが集団となって受験に向かう態勢ができていました。

 

先生がおっしゃった3Mを保護者が実践したことが、子どもの自立を支えたのだと思います。入学式で3Mのお話を聞いた時、確かにそれが保護者としてとるべき姿勢だと感じました。が、一方で、3Mは放任ではないかということがずっと引っかかっていました。この違いは何でしょうか?

 

熊野さんは、ホワイトボードに「待つ、任せる、見守る」と「放任」と書いて、まるで私の質問を事前に知っていたかのように、「この2つの間には明確な違いがあります」と即答しました。結論としては、関心を持っているか、もっというと、相手の関心に関心を持っているかどうかの違いとのことでした。

 

放任と3M、付け加えて過保護との関係を図で表すとこんな感じです。

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放任と3Mは違うことは理解していましたが、その違いを明確に言語化できないモヤモヤをずっと抱えていました。熊野さんの解説で積年の疑問がスカッと晴れました。

 

信用と信頼

放任と3Mと同様に似て非なるものに、信用と信頼があります。信用と信頼についても、熊野さんはその違いをすっきりと説明してくれました。信用と信頼の違いは条件の有無にあると。

 

信用と信頼の違いを図に表すと、こんな感じです。

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その話を受けて、勉強会仲間がすかさずに補足のコメントをしました。

「相手を信頼していることは説明できない。根拠がないんです。説明できるとしたら、その説明ができなくなったら信頼しなくなるということですから。それは信頼じゃないんです」

さらに続けて、田中先生が「信頼」について非常に深い示唆的なコメントをくれました。

「英英辞典で信頼を調べたことがあるのですが、信頼というのは、される側のことを指すのではなく、信頼する側の腹のすわり具合のことを指すと書かれてあるんですね」

 

私が孫子女子勉強会が大好きなのは、こんな風に、講師からの話をただみんなで聞くだけでなく、それぞれが自分の考えや関連した内容ををその場に差し出すことによって学びの深度がぐんと深まるからです。それは自分一人だけでは決して得られない学びの感覚です。

 

この話を聞きながら、私は自分が子育てのまっただ中にいた時の気持ちを思い出していました。子どもは色んなことをやらかします。時には子どもらしいことを、時には全く理解不能なことを。そのたびに私の脳裏には「私は今、親として試されている。この状況でもこの子を信じられるかを」という言葉が浮かんでいました。子どもが何をしでかそうと子どもを信頼できるかを何度も試され、そのたびに私は信頼するということを体得していったのです。

 

勇気づけ

アドラー心理学のキーワードは勇気づけです。人間は自己理想に向かって伸びていこうとするチカラを本質的にもっているのだから、他者は手を貸すのではなく、勇気づけによって自走することを後押しするというのがアドラー心理学の立場です。

 

アドラー心理学では、勇気づけは「困難を克服するチカラを与えること」とされています。このお話を聞いた時、熊野さんも書籍で書かれているように、アドラー心理学は子育ての心理でもあるとわかりました。私が子育てでぶつかったエピソードを思い出したからです。

 

子どもがいよいよ高校受験の志望校を確定させなければいけない時期にさしかかった頃でした。塾には通っていませんでしたが、せめて冬期講習ぐらいは行ってもいいのではと、冬期講習の説明会に子どもと参加しました。参加者アンケートで志望校を書く欄で、子どもの手がとまっています。子どもの志望校はかなり前から1校にしぼられていたので、おかしいなと思って尋ねました。

私「志望校、書かないの?」

子「もうあの学校には行けない」

私「どうして?」

子「内申点が悪かったから、もう無理」

私「・・・」

 

そんなことならもっと早く言えばいいものを、なぜこのタイミングまで黙ってたのかと言いたい気持ちをぐっとこらえました。私もショックを受けましたが、それ以上に子どもはショックを受けていたであろうことが想像できたからです。

 

子どもの前に立ちはだかった試練に対して、親としてどう向き合うべきかに悩みました。「内申点が悪くても志望校を受験するよう励ましても合格する確率は低い。不合格のつらさを味あわせるよりは、無難に合格できる高校へと進路変更を促した方がいいのだろうか。そうやって困難から逃げて、志望ではない高校への合格を果たしたとしても、それが子どもにとって果たして良いことなのだろうか」そんなことが頭の中をぐるぐるかけ巡る日々でした。

 

そうやって私が悩んでいた時にある言葉に出会いました。その言葉はまさに「勇気づけ」のことを指していました。そして、私の腹は決まりました。

「教育とは子どもに困難をさせないことではなく、子どもに困難を乗り越えさせることだ」

 

また、勇気とは不完全な自分を認めることとされています。つまり、不完全な自分を認める勇気をもつからこそ、その不完全さを埋めるべく伸びていこうとすることができるのです。

 

自分が完璧な人間だと思っていたら、もうそこから先の成長はありません。人間は決して到達し得ない理想に向かって永遠に成長し続ける存在であり、だからこそ生涯学び続けようとするのです。自分が不完全であることを恥じる必要など全くなく、むしろ、不完全であるからこそ成長しようとするのです。不完全であるからこそ、お互いに助け合おうとするのです。

 

アドラー心理学に学ぶ人間理解

勇気づけによって精神的に自立した人間になることができるとアドラー心理学は説きます。子育ては子どもの自立に向けた営みです。つまりは、言葉で言ってしまうならば、「親から子どもへ勇気づけのコミュニケーションを行うこと」というたった27文字で表せることです。けれども実際には、これほど難しいことはないと思います。なぜならば、子育ては、この世で最も愛おしい存在である子どもが自分から離れていくことを目指す矛盾をはらんだ営みだからです。子育ては親育てであると言われるのは、この子育ての矛盾を昇華させるプロセスで親自身が人間として成長していくからです。

 

アドラー心理学は人間への絶大なるリスペクトをベースにしているというのが私の理解です。手を差しのべなくても、自分のチカラで自立していくのが人間であるという信念をベースにしているのがアドラー心理学です。たとえ今がどうであろうと、信頼することによって信頼にたる存在になっていくのが人間であるという信念をベースにしています。

 

アドラー心理学に関心をもつ人が多いのは、人間の悩みの大部分を占める人間関係にダイレクトにきくコミュニケーションを扱うものだからでしょう。今回の勉強会でコミュニケーションへの理解が進みましたが、わかるとできるの間には大きな隔たりがあります。アドラー心理学で学んだ勇気づけのコミュニケーションを実践できるように精進しようと思います。

 

発見と学びの旅はまだまだ続きます。