高校転入

もう二度と経験したくないと思っていることがあります。今から8年前のちょうど今頃のことでした。長男は、私の転勤による引っ越しのため、高校1年生から2年生に進級するタイミングで高校の転入試験を受けました。

 

当時、すでにインターネットからかなりの情報を得ることができるようになっていました。それでも、高校転入という希少なケースについては思うように情報が得られず、未知なる高校転入に関する情報をひたすらに求めていました。すっかり過去の出来事になってしまいましたが、記憶がこれ以上薄れてしまわないうちに高校転入のことを記録しておきます。

 

  

突然の引っ越し

当時、私と子ども達は兵庫県明石市に住んでいました。子ども達はそれぞれ、明石市の公立高校、公立中学校、公立小学校に通っていました。長男は第一志望の高校に合格し、友達もでき、部活にも勉強にも精を出して、充実した高校生活を送っていました。確か、12月だったと記憶しています。私の所属部署がこぞって明石市の事業所から神奈川県川崎市の事業所に異動するとの発表がありました。事実上の事業所撤退であり、異動を希望しないということは会社を辞めることとほぼ同義でした。

 

家に帰って、その事実を子ども達に伝えると、予想通りに猛反発をくらいました。子どもにとって転校は一大事です。友達との関係も地域での活動コミュニティとも断絶を意味します。住み慣れた場所に住み続けるために、どんなことでも我慢するから仕事を辞めてほしいと懇願されました。一瞬、気持ちがぐらつきました。が、様々な事情を勘案した結果、一家で引っ越しすることにしました。

 

引っ越しが決まって一番心配だったのは、子ども達の転校のことでした。公立中学校への転校は手続きだけの問題だと思いましたが、高校の転校はどうすればできるのかわかりませんでした。とにもかくにも長男の在籍高校に行って、先生に相談しました。

 

高校転入の仕組み

長男の高校の先生から、高校転入の仕組みについて教えてもらいました。高校ごとに転入者受け入れ枠が設けられており、各学期の始まりの前に転入試験があり、転入試験にパスすることが高校転校の条件でした。公立高校の場合、保護者の転勤による転入に対応するため、たいていの高校には転入枠があるとのことでした。ただし、学年ごとに1~2名の枠であり、すでのその学年で転入生を受け入れ済みの場合は枠がなくなっている可能性もあります。

 

まずは住む場所の目安を決め、そこから通える範囲の希望の高校をピックアップし、転入枠を確認し、学力的な可能性を検討するというのが手順でした。住む場所の候補としては、都道府県単位で東京都と神奈川県の2つの選択肢がありました。両方の教育委員会に電話をして、高校転入の手順を確認しました。

 

東京都は全都学区になっているので、都内に在住する場合、どの都立高校へも行けるようになっていました。転入の募集枠は都の教育委員会のHPに掲載されています。だいたい、どの高校も学年に1~2名の転入枠がありました。試験は中学校3年生の内申書、転入試験、面接の3つで判定されるとのことでした。さらに、異なる日程で行われる転入試験を2回受験することができる仕組みがありました。いわゆる第一志望校と第二志望校を二校受験できるというわけです。ただし、必ず第一志望校を先に受験し、第一志望校に合格したら第二志望校は受験しないというルールになっています。

 

神奈川県の場合は、希望の高校を3つほど選んで教育委員会に連絡し、最終的に転入できる高校は教育委員会にて決定されるという仕組みでした。基本的には希望を出した候補高校のいずれかになる可能性が高いとのことでしたが、どの高校に行くかをピンポイントでこちらが決めることはできませんでした。転入試験の判定は中学2年生までの内申書、転入試験、面接の3つでなされるとのことでした。

 

合否判定はゆだねるしかありませんでしたが、どの高校に行くかの決定権が本人にない転入方式の神奈川県は選択肢から消えました。こういった情報は逐次、長男にも共有し、親の意見とともに伝え、最終的な判断は本人が行うように進めました。が、長男は転校するしかないことに不本意ながら納得せざるを得なかった状況であり、どんな選択肢も彼にとっては大した違いはないというのが実際のところでした。

 

転入高校選び

高校転入のおおよその仕組みがわかり、引っ越し先を東京都に絞った次にすべきことは住むエリアを決めることでした。東京都は全都学区のため、理論上はどの都立高校へも通えるとはいえ、現実的な通学時間で通えるようにするためには、居住地と高校の位置関係が重要になります。160校以上もある都立高校のあたりをつける前に、まずは居住エリアを決めることにしました。居住エリアは、次男と長女が転校することになる公立中学校をもとに検討しました。インターネット上の情報を頼りに、通わせたい公立中学校を絞り込み、その中学校の学区から住まいを探すことにしました。私達家族にとって最も重要だったのは子どもの学校教育環境でした。通える範囲であれば親の通勤条件は全く考慮の対象外でした。

 

不動産屋さんに学区を指定して住まい探しの希望を出したら、そんな細かい条件指定は初めてだと言われました。条件制限が厳しかったおかげで、物件候補は少なく、あまり迷う余地なく決められたのはかえってよかったと思っています。実際に住居が決まったのはかなり後でしたが、住居を探すエリアは決まったので、転入高校選びのステップに進むことができました。

 

転入高校を選ぶにあたっての条件は4つありました。

  1. 校風
  2. 学力
  3. カリキュラムの整合性
  4. 通学時間

1. 校風

校風は言葉で説明するのは難しいのですが、学校による校風の違いというのは確かにあります。いい悪いではなく、合う合わないということがあります。ですから、子どもに合う校風の学校を選ぶということはとても重要な要素でした。本来であれば、校風は見学に行って肌で情報を得るものですが、遠く離れた地にある高校の見学に行くのは難しく、学校ホームページやインターネット上のクチコミで得られる情報をもとに判断するしかありませんでした。

 

2. 学力

学力に関しては、大学進学を希望していた長男の進路選択の幅をせばめたくないと考えていました。一方で、転入試験に合格できる学校を選ぶという難しい判断も必要でした。一般の高校入試のように過去の問題が公開されているわけでもなく、判定が出る模擬試験があるわけでもない転入試験に対して合格可能性を見極めるのは至難のわざでした。私が切望した情報は、転入試験の合格可能性を判断するための情報でした。

 

当時でもかなりの情報がインターネット上で得られるようになっていました。学校ホームページもありましたし、都立高校の偏差値一覧の情報もありました。けれども、それらは、一般入試を受けるためには役立つ情報でも、転入試験を受けるための情報としては不十分でした。試験に合格するための戦略や戦術を立てるための情報が圧倒的に不足していました。

 

高校転入に関する書籍も購入しましたが、そこに書かれていたのは、確実に合格するためには現在通学している高校から偏差値を10以上落として受けるのが鉄則ということでした。偏差値を10落とすという文言は衝撃でした。長男は転校前は、地方では進学校と呼ばれる高校に在籍していました。そこから希望の進路を実現するため、友人と切磋琢磨して学習に取り組んでいました。その状況から偏差値を10落とした高校に転校して、進路選択の幅がせばまることがないのか、充実した高校生活を送れるのかという心配がぬぐいきれませんでした。この頃の私の頭の中は長男の高校転入のことでいっぱいでした。寝ても覚めてもそのことが頭から離れませんでした。全くの親の都合で高校を転入せざるを得ないという事態に追い込んでしまったわけですから、せめて転校に関してはあらゆる手を尽くして悔いのない高校生活を送らせてやりたいとひたすらに情報を求めていました。

 

東京都教育委員会には何度も電話で問い合わせをしました。手続き的なことについては教えてくれましたが、学校選びに役立つ情報はほぼ得られませんでした。東京の近隣県であれば、教育委員会の方でもある程度、学力的な転校先の目安はわかるようでしたが、関西の高校となると判断がつかないとのことでした。

 

結局、学力面からの高校選びに最も役立つ情報を提供してくれたのは、転校前の高校でした。頻繁にあることではありませんが、転校生を受け入れるとしたらどんな生徒をとりたいかという当事者としての判断基準をもっていたからです。入試で選抜された生徒が集まる高校が転校生を受け入れるとしたら、学年の上位1/3以上に位置する学力をもつ生徒をとりたいということがあるらしいです。それをどうやって判定するかというと、高校1年生で受けた全国模試の成績からでした。模試受験者には、本人の得点と総受験者内での順位、校内順位だけがフィードバックされますが、高校には、受験したすべての高校ごとの得点の度数分布表の情報がフィードバックされていました。ですから、転校候補の高校の度数分布表と本人の得点から、その高校での学力的な位置づけがわかるというわけです。こうして在籍高校のサポートを受けて、校風や通学時間をもとにピックアップした高校の合格可能性を判断することができました。

 

3. カリキュラムの整合性

転入高校選びで、実はこちらがコントロールできない条件がひとつありました。それは、カリキュラムの整合性です。高校は学校ごとに独自のカリキュラムを編成しているので、どの科目を何年生で履修することになるかは高校ごとに違ってきます。世界史や家庭科の未履修問題が大きく話題になったことがあるので、ご存知の方も多いと思いますが、高校卒業には必修科目の履修が条件になっています。例えば、転校先の学校で1年生で必修科目を履修するカリキュラムが組まれており、転校前の学校では1年生で必修科目を履修していない場合、その科目を履修するチャンスがなくなります。つまり、高校卒業の条件を満たせないため、その高校への転校は原理的にできないことになります。また、必修科目ではなくても、社会や理科をどの学年で習うかも学校ごとに異なります。長男は当時、化学に興味をもっていて、化学のI, IIを履修したいという希望をもっていました。転校前の高校のカリキュラム編成の都合で、転校時点では化学のI, IIともに未履修の状態でした。転校後の高校が1年生で化学Iを履修することになっている場合、長男がその高校に転校した場合、長男は化学Iの授業を受けるチャンスはないことになります。この制約条件も学校選びを難しくしました。

 

4. 通学時間

通学時間は1時間以内を目安としました。部活動をすることと東京での殺人的とも言えるラッシュにもまれての電車通学を考えると、それ以上時間がかかることは負担が大きいと考えたからです。

 

 

校風、学力、カリキュラムの整合性、通学時間を判断基準として、だんだんと高校を絞りこんでいきました。転入の受け入れについて学校側がどう考えているかを知るために、転校先候補の高校に電話をしました。その電話対応も様々でした。保護者の転勤というやむない事情をくみとってくれて、丁寧に対応してくれる高校もあれば、例え転入受験者数が転入枠以内であっても転入試験の結果によっては受け入れしませんと高飛車な口調でぴしゃりと言いきる学校もありました。高飛車な学校は進学校入りを目指しているけれど、世間的にはまだそうは思われていない高校でした。ある高校では、転入前の高校の名前を知っていて、ぜひうちを受験してほしいし、東京に来る機会があれば高校訪問してほしいと言ってくれたりもしました。まだ正式に転入試験を受けると決めていない段階から、転入試験の手続き書類を送ってくれる高校もありました。とにかく、高校の対応は本当に様々でした。同じ高校でも電話口に出た人が違えば異なる対応だったのかもしれませんが、高校に対する印象は電話対応した人の印象に強く引っ張られました。

 

ありとあらゆる手を尽くして集められる限りの情報を集め、ようやく転入試験を受ける高校を決めました。最終的には長男本人が転入試験受験校を決めましたが、様々な条件を勘案すると、あまり選択の幅はないというような状況でした。

 

転入試験を受ける高校は第一志望校にほとんどすべてのエネルギーを注いで決めた後、第一志望校以降の日程で偏差値を思い切り下げて第二志望校も決めました。第二志望校に関しては、正直言って、とりあえず決めたに近い状態でした。日程、カリキュラムの整合性を必須条件として、第一志望校より偏差値が10以上低いという保険的な意味あいで決めました。

 

高校中退を避けるために

こうやって転入試験を受ける高校はなんとか決めたものの、最大の心配事は、万が一、転入試験に合格できなかったら高校中退になってしまうということでした。親の都合で高校中退に追い込むということだけは何としても避けたい。そのために打てる手は何かを来る日も来る日も考え続けました。

 

長男が転校前の高校で、部活動や学校行事を中心に学校生活を楽しんでいたのなら、転校後もその延長で学校生活を楽しんでくれればよいと思えました。が、選抜クラスの試験に不合格になり、同じ高校の普通クラスに進学した長男は、その悔しさをバネにして高校での学習に熱心に取り組んでいました。早朝の補習クラスにも欠かさず参加し、互いに切磋琢磨する良きライバルも得て、学習面でも充実した高校生活を送っていました。ですから、第二志望校も受験できるとはいえ、本当に第二志望校にいかせていいのかという疑問はぬぐいきれないままだったので、第一志望の転入試験合格が至上命題でした。

 

いかにして第一志望校の転入試験に合格するかを考えましたが、どんな試験が出題されるのか、どれくらいの得点をとれば合格するのかの情報がなく、合格するために試験までの間に何ができるのかがわかりませんでした。インターネット検索でわずかに得られた情報では、その学校の定期テストの問題が出題される可能性が高いということでした。それはさもありなんと思えましたが、さらにネット上に掲載されていた情報に私は青ざめました。都内の高校に進学したものの学校が合わないという理由で転入試験を受ける生徒もいて、その生徒は転入希望の学校の定期テストを友人経由で入手して試験に臨むというのです。もし、1~2名の枠をめぐって長男以外にも転入試験を受ける生徒がいて、その生徒は定期テストを入手済みの状態で試験を受けたならと考えると、高校中退の4文字が襲いかかってくる気がしたのです。

 

長男が転校前の高校で真面目に学習に向かっていた姿勢を評価していただいたようで、転入の相談に行った際に学年主任の先生から、「転校させるのが惜しい。親戚の家から通い続けることはできませんか」という言葉をいただきました。私としても、できれば本人が志望して合格を勝ち取った高校に卒業まで通わせてやりたい気持ちがありました。けれども、残念ながら、通える範囲に親類はおりませんでした。長男は料理が好きで、時々、自分でつくったりもしていたので、「住まいさえあれば一人でも暮らせる。一人残って今の高校に通い続けたい」と長男は強く希望しました。私も一瞬、”この子なら本当に一人暮らしでもやっていけるかも。大学生になれば下宿することもあるのだから、それが少し早まったと考えたらそれもありかも。時々、様子を見に来ればいいんじゃないか”との思いがよぎりました。学校の先生にその可能性について打診してみましたが、保護者と同居していない生徒の在籍は認められないというのが回答でした。

 

まかないつきの学生寮も探してみました。通える範囲であれば、大学生向けの寮であっても特例として高校生の入寮を認めてもらえないかを聞いてみるつもりでした。が、残念ながら通える範囲に学生寮は見つかりませんでした。

 

これで万策尽きたかと思いましたが、最後の最後にわらにもすがる思いで、あり得ない可能性を思いつきました。長男には、学童保育時代から仲良くさせてもらっていて、同じ高校に通う友人がいました。小学生の頃は、時々、子どもが家に遊びに行かせてもらうこともありました。学童保育や少年サッカークラブを通じて、母親同士も仲良くさせてもらっていました。今にして思えば、私の頭がどうかしていたとしか思えないのですが、その友人宅に下宿させてもらえないかと思いついたのです。親子で仲良くさせてもらっていたとはいえ、親戚でもない家庭に子どもを下宿させてほしいなど、自分が言われる立場であればどれほど困惑するかなど考えるまでもなくわかることです。が、その時の私はその程度の想像力さえ欠いてしまうほどに気持ちが追いつめられていました。決して高校中退させないという保険をどうしても確保したかったのです。

 

万が一の場合には子どもを下宿させてもらえる可能性があるかを問い合わせるメールを言葉を慎重に選びながら書きあげた後、長いためらいの時間を経て、ついに送信ボタンを押しました。これまでの友情が壊れてしまうかもしれない、返信が来ないかもしれないと、様々な思いがぐるぐると渦巻く時間を過ごしました。返信メールが届いた時、ドキドキしながら開いたのを覚えています。そこには丁重なお断りの言葉が書かれていました。当然のことです。一時的に短期間のことであればいざ知らず、2年間もの間、他人の子どもを預かるなどできるわけがありません。ましてや大学受験のセンシティブな時期を含むこと考えると、自分の子どもだけでも大変なのに、そこに他人の子どもがいることを受け入れられるはずがありません。あまりにも身勝手で、とてつもない困惑を友人に与えてしまったことに、友人に合わせる顔がないと自分の愚かさを深く恥じ入りました。

 

返信メールを受け取った翌日の夜遅くだったと思います。同じ友人から再びメールが届きました。メールを開いて読み始めた途端、涙が溢れ出てくるのをとめることができませんでした。私からの相談事項を友人がご主人に話したところ、「そんな事情ならうちで預かればいいじゃないか。少しせまいけどYと同じ部屋ならなんとかなるだろう」と言ってくれたそうで、大したことはできないが、寝る場所と食事の提供はできると連絡してきてくれたのです。地獄の中で一筋の光明を見たように救われた気持ちになりました。携帯電話を握りしめたまま長男の部屋に駆け込んで、「万が一の場合はY君の家に下宿させてもらえるって。良かったね。でも頑張って試験に合格しないとね」と携帯電話の画面を見せながら話しました。長男は画面を見て「うん」とだけ言いました。

 

おそらくは私よりももっと長男の方が不安を抱えていたことでしょう。突然にふってわいた親の転勤の都合で正体不明の転入試験を受けることになり、不合格になれば高校中退かもしれないという状況に追い込まれたわけですから。合格しなければ高校中退になるという切羽詰まった状況で試験に臨むことで、転入試験で本来の力を発揮できないという負の連鎖に陥ることを避けられたことに、この世の人の温かさに、ただただ感謝するばかりでした。

 

転入試験当日と結果発表

こうして、転入試験を受けるまでの考えられる限りを尽くして事前の準備をなんとか整えることができました。転入試験の前日、私と長男は新幹線に乗って東京に向かいました。高校の近くにとった宿にチェックインした後、受験する高校の場所を確かめに行きました。長男も私も、高校を実際に見たのはこの時が初めてでした。

 

夕食をとって宿の部屋に向かうエレベータで、長男と同じ年頃に見える親子連れ複数組と乗り合わせました。今日、この立地の宿に宿泊しているということは、もしかして同じ高校の転入試験を受ける人達かもしれないと思い、ドキリとしました。新2年生の転入枠は2人。まさか転入試験をうける人が何人もいるとは思ってもいなかったので、焦りを感じました。が、ここまできて焦ったところで仕方がありません。部屋にもどって、面接の練習をした後は、翌日に備えて早めに就寝しました。

 

翌日は長男のお弁当をコンビニで買ってから、学校に向かいました。担当の先生が玄関で出迎えてくれました。試験が終了するおよその時刻を確認して、先生と長男がどこかの部屋に向かっていくのを見送りました。長男が試験を受けている間、一体、何人が受験しているんだろうと気になりながら、私は東京での用事をすませました。

 

教えてもらった試験終了の予定時刻に再び学校に行きました。試験結果を待って長男が待機している小部屋に案内されて、しばらく待つように指示されました。私が開口一番に長男にかけた言葉は「試験を受けたのは何人?」でした。「他の部屋で受けてたらわからないけど、同じ部屋には自分しかいなかった」というのが長男の答えでした。それを聞いて、少しほっとしました。試験や面接の様子を聞いた後は、窓から見える校庭での部活の様子を眺めながら、いつもより時計の針が進むのが遅く感じられる時間を過ごしました。

 

部屋の扉がガチャリと開いて、先生がやって来て「こちらへどうぞ」と言われました。ここで今すぐ結果を教えてほしいという思いをぐっとこらえながら、私も長男も無言で先生の後についていきました。先生は、事務室の前の小さなホワイトボードの前で立ち止まり、「こちらが結果です」と真っ白なホワイトボードをくりると返しました。そこには、たった一人の受験生の長男のために印刷された合格発表の用紙が貼られていました。それを見た瞬間、嬉しいというより安堵の気持ちで、大きく息を吐きながら「良かった~」という言葉が自然と出てきました。涙も目に浮かんできて合格の文字がかすんで見えました。長男の方を見ると、喜ぶでもなく神妙な面持ちでホワイトボードを見つめていました。

 

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先生から「おめでとうございます」と声をかけていただいた後、事務手続きの用紙を受け取り、教科書購入と制服購入についての説明を受けました。学校を後にして、すぐに教科書販売所に向かい、教科書を購入しました。制服は電話注文できると聞いたので、制服販売店には寄らずに新幹線に乗る駅へと向かいました。

 

新幹線に座ってようやく落ち着いて、「おめでとう」と長男に声をかけましたが、長男はちっとも嬉しそうではありませんでした。もともとしたくないと思っていた転校が確定したことで、合格したことより生活が一変することへの不安の方が大きかったのだろうと思います。万が一の場合は下宿させてくれると言ってくれた友人にもメールで合格の連絡をしました。友人からのこの上ない応援がどれほど私達親子の気持ちを救ってくれたかわかりません。

 

転入試験を無事にクリアして、慌ただしくも東京への引っ越しも終えて、長男が初めて転入校へ登校する日がやってきました。その日は少し早めに保護者と一緒に登校するようにとの指示を受けていました。何があるのかと思って登校してみると、校長室でたった一人だけの転入式が行われたのです。校長先生が「以下のものを○○高校に転入することを許可する。岩山○○」と長男の名前を読み上げました。長男が「はい」と返事をして、一礼をして転入式は終わりました。立ち会ったのは、校長先生、担任の先生、長男、私の4人です。その後、長男は担任の先生に連れられて、教室へと向かって行きました。時間にしてわずか5分にも満たない転入式への出席を終えて、私は学校を後にしました。

 

ところで、転入試験の前日、同じ宿でエレベーターに乗り合わせた親子連れは一体なんだったのかと気になっていましたが、どうやら、転入試験の日は国立大学の後期試験の日だったらしく、後期試験を受ける受験生の親子連れだったようです。

 

希少な情報こそインターネットで発信

世の中に転勤族と言われる人は数多くいます。親が転勤族のため、何度も転校したという話も聞きます。が、子どもが高校生くらいになると、父親は単身赴任をして、子どもと母親は引っ越しせず、したがって子どもは転校をしないケースもよくあることでしょう。ですから、高校転入というのはかなりレアなケースだと思います。

 

高校転入のようなレアなケースの希少な情報は、メディアに掲載されることはなかなかありません。けれども、メディアには掲載されない希少な情報だからこそ、求めている人にとっては切実に欲する情報でもあります。8年前の私自身がそうでした。インターネットなら希少な情報も手に入ると思って探しましたが、残念ながら本当に欲しかった実体験にもとづく情報は見つけられませんでした。

 

8年前、無事に高校転入を果たした後、転入に関する情報を発信しようとブログを始めました。何回かにわけて書き始めましたが、まだSNSを利用していなかったこともあってか、せっかく書いたブログも情報の海に埋もれてしまうだけで、必要な人に届くという実感が持てずに続けられませんでした。

 

そういえば8年前の今頃、転入試験を受けたなあと思い出したため、8年も前の情報ですが、当時のことを思い出しながら書きました。私があの時どうしても欲しかった情報を同じように欲している人に届くことを願って。

 

冒頭にも書いたように、高校転入は二度と経験したくない出来事でしたが、私はどんな経験にも意味があると思っています。あの経験は、希少な情報こそインターネットで個人が発信することに価値があると確信させてくれました。だからこそ、どうしてもこのことはブログの記事として残しかったのです。