こだわりが生み出すもの

約1年ぶりに開催された「勇気の世界史」シリーズで語られたのは「こだわり」についてでした。この意味が深すぎて、消化できずに悶々とした日々を過ごしましたが、理解のヒントは意外なところからもたらされました。

 

再び勇気の世界史

初めての緊急事態宣言に重苦しい空気が漂っていた昨年の春、田中先生とフリーランス塾のメンバーによるオンラインセミナー「勇気の世界史」全7回が開催されました。その後、アンコールが2回、続編が2回と続き、「勇気の世界史」と冠したオンラインセミナーは11回も開催されました。

 

あれから1年経って、「勇気の世界史」で語られた内容は、NHKカルチャーラジオ 歴史再発見「会計と経営を巡る500年の歴史」シリーズとして、再び私達に届けられました。12回シリーズのラジオ番組は3月23日に放送最終回を迎えました。

 

ラジオ番組最終回の放送終了日にあわせて、さらには放送終了時刻にあわせて、「再び勇気の世界史 ~呼ばれてないのにアンコール講演〜」Zoomオンラインセミナーを開催すると、田中先生がFacebook投稿で宣言しました。NHKラジオの最終回「アメリカ編」にちなんで、アメリカを代表する「ウォルト・ディズニー」を取り上げるというのです。

 

いまや田中先生と言えば絵画というほど画家や絵画のテーマが多かったところに、今度は「ウォルト・ディズニー」という奇襲を仕掛けてきたのです。これを視聴しない選択肢はありません。オンラインセミナー開始時刻から逆算して、夕食の時間、仕事を終える時間を計算したのは言うまでもありません。

 

「再び勇気の世界史」は、

会計士の田中先生

弁護士の伊藤さん

ピアニストの岩倉さん

の3人が講師で、それぞれの視点からウォルト・ディズニーを語る3部構成でした。

 

ピアニストの岩倉さんはともかく、接点が見えない会計士や弁護士とウォルト・ディズニーという組み合わせが「勇気の世界史」の面白さです。最近流行りのClubhouseではなくZoom開催というのに、田中先生と伊藤さんはスライドなしの語りでした。これが成立したのは、昨年の11回の開催がつくりあげた「勇気の世界史」という場のもつ力のおかげでした。

 

こだわりの人 ウォルト・ディズニー

田中先生からは、ウォルト・ディズニーはこだわりの人だったと紹介されました。そして、こんな問いかけがなされました。

 

「こだわりと聞くと、いい意味だと思いますか?それとも悪い意味だと思いますか?」

 

普段何気なく使っている「こだわり」という言葉の前で、いったん立ち止まらせてくれる問いかけがされるのが田中先生のお話の特徴です。「こだわりとは・・・」なんて書かれたスライドが提示されるような興ざめな展開には決してなりません。

 

始まりから、こだわりの意味の深さに気づかされた状態の中で、ディズニーを引き合いに出しながらのこだわりの解説が続きます。

 

自分の世界にこだわる人というのは、何度失敗しても立ち上がる人なんですね。ここで言う失敗は世間的に見た失敗であって、当の本人にとっては未完成という状態のことなんです」

 

「こだわりには『こだわりA』と「こだわりB』の2種類があるんですね。『こだわりA」は自己満足はするけれど、商業的にうまくいかないもの。『こだわりB』は自己満足をして、商業ラインにのせられるものです。ウォルト・ディズニーは『こだわりB』の人だったんです」

 

「『こだわりA』か『こだわりB』のどちらかが大事なのではなく、商品化するものと商品化しないものの選択権をもてることが大事なんです」

 

「こだわりA」と「こだわりB」についてのくだりが、少し難解な概念でした。「オフレコですが。。。」と前置きをして、田中先生は、この難解な概念の理解を深めるための例え話を語りだしました。この興味深いオフレコの話に、思わず画面に身を乗り出して聞き入ったのは私だけではないはずです。

 

「ディズニーが生きた時代も技術革新の激しい時代でした。その時代の中で、ディズニーはコンテンツに集中しました。音なし映画から音ありの映画へ、そしてテレビへと。ディズニーにとってテレビ番組は、ディズニーランドを告知する手段でした。ディズニーは商業化へのこだわりをもっていたんです」

 

なるほど、なるほど。ウォルト・ディズニーの華々しい成功の光の部分に注目するのではなく、ディズニーを動かしていたのが商業化へのこだわりだったというのがわかります。

 

続いて、伊藤さんからは、ディズニーと元トランプ大統領の共通点が語られました。

 

「ディズニーとトランプは2人とも会社を何回かたたんでいます。そのたびに領域を広げていきました。失敗して、修正して、を繰り返して、そして成功に至るというのがアメリカン・ドリームです」

 

「会社をたたんだ人に投資しようと思わせる、面白いと思わせるのは、パーソナリティです。このパーソナリティーが田中先生の言うこだわりのことです」

 

弁護士がディズニーをどう語るんだろうと想像できませんでしたが、それは私の勝手な思い込みでした。人間の生き方を語る時に、会計士だからとか弁護士だからとかは関係ないんだなと、お二人の話を聞いてわかりました。

 

岩倉さんからは、音楽の専門家らしく、ミッキーマウスの動きと音楽がシンクロする「ミッキーマウンジング」やディズニー音楽制作の特徴について語られました。このお話から、ディズニーの作品に対するこだわりを知ることができました。

 

こだわりとは

3人からのお話が終わった後、田中先生がセミナーの締めくくりにこんな言葉を残しました。

 

「気力、つまり、こだわりがなくなると、もう戦えなくなるんですね。自分の中のルール、つまり、こだわりをつくれば、自由に生きられます。失敗はなくなります。失敗はもっと良くなるためのチャンスになるんです」

 

このセミナーで、田中先生と伊藤さんは、「こだわり」を色々な言い換えで語りました。

 

  • こだわりとは、面白いと思わせるパーソナリティである
  • こだわりは、気力である
  • こだわりは、自分の中のルールである

 

  • 自己満足するけれど、商業的にうまくいかないこだわりがある
  • 自己満足をして、商業ラインにのせられるこだわりがある

 

  • こだわりの人は、失敗しても立ち上がる
  • こだわりの人は、失敗を失敗とは思わない
  • こだわりをつくれば、自由に生きられる

 

この日の学びの重要なキーワードが「こだわり」であることは間違いありませんでした。けれども、その意味するところをすぐに自分の中に落とし込めるほど、「こだわり」はやさしいものではありませんでした。

 

こだわりが生み出すもの

「こだわり」のもつ意味のひっかかりを抱えたままに日々を過ごす中で、その意味を教えてくれたのは働き始めて2年になる子どもがとった行動でした。

 

大学院で学んだ栄養学をいかせる仕事に就いていた子どもは、今の時代の栄養指導方法をつくりたいと、仕事が終わった後に独学でデータサイエンスを学んでいました。SNSを使って最新情報を収集することも当たり前のように行っていました。そして、大学でデータサイエンスを1年間学べるコースの受講者を募集している情報をSNSで見つけて応募し、合格を果たしました。ここまでは、まあ普通にある話です。

 

合格後にシラバスを見た子どもは、週5日フルタイムで仕事をしながら大学の授業の履修をするのは無理と判断しました。オンデマンド配信が多いとはいえ、聴講に加えて実習的な課題をこなす必要があったからです。この状況ですぐに思いつく選択肢は、大学をあきらめる、仕事を辞める、1年間休職する、です。

 

けれども、彼がとった選択肢はそのいずれでもありませんでした。彼は自ら選択肢をつくり出したのです。

  • ルフレックス勤務(勤務開始時刻も勤務終了時刻も制約なし)
  • 1週間の勤務時間は32時間(週4日勤務相当)
  • 年収は5分の4

 

会社が決めたルールにのっとれば、フレックス勤務にすらならなかった彼が、会社と交渉して、自分がつくり出した新しいルールを見事に勝ち取ったのです。

 

この様子を横で見ていて、ああ、こだわりってこういうことなんだなと腹落ちしました。彼は実務を行うことと大学で学ぶことの両立にこだわっていました。どちらかをあきらめるなんてことは、まるで考えていませんでした。だからこそ、新しいルールをつくり出せたのです。

 

f:id:n-iwayama:20210411193921p:plain

       「自分の中のこだわりと「自分の外に広げるこだわり」

 

こだわりが自分の中で閉じている分には、自分だけでいかようにもできます。けれども、こだわりを自分の外に広げようとすると、そこには何がしかのルールが存在します。その時に、ルールは与えられるものと思ってしまえば、既存のルールに縛られて、自分のこだわりを捨ててしまうことになります。

 

とことんまでこだわる人は、ルールはつくり出せるものと思って、既存のルールに縛られることなく、自由に生きられるのです。

 

こだわりと聞くと、深くせばまっていくイメージがありましたが、こだわりは、既存のルールから自分を解放して自由にしてくれるものだったのです。こだわりをもって仕事をするとは、仕事をする主導権を自分が握るということです。

 

そう言えば、田中先生が、約1年前の「勇気の世界史セミナー」の7回目で「こだわりのものづくりを目指したいんです」と言っていたことを思い出しました。

 

1年前から(あるいはもっと前から)、田中先生は「こだわり」の意味にこだわってきたからこそ、ウォルト・ディズニーをこだわりの人として見ることができたのだと気づきました。

 

1年前の「勇気の世界史」で語られたことがつながっていたわけですから、「再び勇気の世界史」とつけられたタイトルは伊達ではなかったわけです。