続・勇気の世界史 Day2

面白すぎて書くのが難しかった「続・勇気の世界史 Day2」。極めてまじめで重要な内容がこんなに面白いセミナーになるとは。。。もうセミナーの革新といっても過言ではない気がします。

 

 

オープニング

 田中先生の新刊発売を記念して2夜連続で開催された続・勇気の世界史。Day1は、新刊に入り切らなかったイタリアの画家カラヴァッジョのお話。Day2は、Day1からガラリとテーマが変わって、新刊には掲載されていない音楽のお話。

 

 Zoomのルームに入ると、「勇気の世界史」ではすっかりおなじみになった岩ちゃんこと岩倉さんの「青い影」のピアノ演奏が流れています。画面の向こうから聞こえてくる音に耳を傾けていると、昼間のうだるような暑さも、いまだ出口の見えないコロナ禍のことも忘れて、音楽の世界へと誘われます。

 

 すっかりいい雰囲気になったところで、画面上に田中先生が登場しました。

 

「今日はどんな話の流れになるかわかりませんが、まじめな話になる予感がします。最後なので、私と岩ちゃんと2人で進行します」

 

 田中先生の話はいつだってまじめな話ですが、田中先生がわざわざまじめな話と前置きすると、期待がいやおうなく高まります。

 

中世後期の新しいモデル(田中先生)

「これは重要なスライドです」

と田中先生が1枚のスライドを提示しました。

 

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 中世後期のイタリアに、同時期に様々な新しいモデルが現れたことを1枚で表したスライドです。

 

 ビジネスの分野では簿記が登場しました。音楽の分野では楽譜が登場しました。絵画の分野では、数学的に計算された遠近法が登場しました。航海では、新しい地図とコンパスが誕生しました。生活面では、それまでは教会や塔の鐘の音でしか知ることをできなかった時間を知らせる機械時計が誕生しました。

 

 様々な分野で新しいモデルがバラバラに生まれたのではなく、同時期のイタリアから生まれたのは必然だというのが田中先生の見立てです。

 

 ルネサンスは、神からの離脱として、気持ちの面での復興とされます。けれども、田中先生は、気持ちの前に技術的進化があったと読んでいます。その技術とは、紙と書籍、そしてインドアラビア数字です。

 

 インド・アラビア数字の登場で、取引という見えないものが具体的に記号化されるようになりました。紙ができて本をつくることができるようになり、情報が一般に広まることになりました。音楽というカタチのないものを記号化したのが楽譜です。

 

 田中先生は声に力をこめて言いました。

暮らし、仕事のルーツがここにあります。中世後期におこった革命は産業革命よりはるかに大きく、ここ1000年で一番大きな革命です。

 

危機がおこった時に革命がおこります。中世後期の時の危機はペストという圧力でした」

 

 重要なスライドと言った意味はこういうことだったのです。

 

インドアラビア数字登場の衝撃(田中先生)

 インドアラビア数字が登場するまでは、四則演算という特殊な技法ができる偉い人が公証人だったそうです。そこに登場したのが数量化革命ともいえるインドアラビア数字です。これによって公証人以外にも商売人が数字を使い始めました。見えないものを数量的に把握するために。

 

 インドで0が発明されたことはもちろん知っています。けれども、四則演算を小学校で習う現在の私達には、インドアラビア数字が数量化革命と言われてもピンときません。そんなことはお見通しの田中先生は、私達を「おおお!」とうならせてくれるスライドを仕込んでいました。

 

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 左の足し算は、私達にもおなじみのアラビア数字の足し算です。

 

 右の足し算は、アラビア数字が発明される前のローマ数字の足し算です。

 

 ローマ数字の各文字が表すものはこれです。

D: 500

C: 100

L: 50

X: 10

V: 5

I : 1

 

 例えば、700を表現するには、500+100+100と換算して、DCCになります。ローマ数字では、足し算以前にある数を表現する時点で面倒です。例えば、700+200であれば、DCC+CC=DCCCCになるので、足し算自体はまあそれほど難しくなさそうです。

 

 しかーし、この表記法でかけ算や割り算となると、それがどれほど大変なことかは想像に難くありません。四則演算ができる人が特殊技能の持ち主とされるのも納得です。同時にアラビア数字登場のインパクトも腹落ちです。

 

 ここでバトンが岩倉さんに渡ります。

 

楽譜の革命(岩倉さん)

 岩倉さんのお話は今から1400年以上前のカトリック教会のグレゴリオ聖歌から始まりました。グレゴリオ聖歌の特徴は、単旋律、無伴奏ラテン語の歌詞の3つです。楽譜がなかった当時、聖歌は口伝で伝承されていました。

 

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 現代につながる記譜法の祖先は、抑揚が記号で記されたネウマ譜と呼ばれるものです。今私達が知っている楽譜とは大きく異なり、音の高低も長さもわかりません。ですから、原曲を知らない状態でネウマ譜を見ても演奏はできません。

 

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 約1000年前の中世イタリアで、グイード・ダレッツォが4本線の記譜法を考案しました。これが現代の記譜法につながっています。

 

 「へえー、楽譜って1000年ぐらい前にできたのね」

というちょっとした驚きはあっても、楽譜があることが当たり前になってしまった私達には、記譜法の発明の価値がまだピンときません。

 

 ここですかさず岩倉さんが、記譜法の登場が音楽にもたらしたインパクトについて語ります。記譜法がなければ、人間が記憶したものを口伝えによって音楽を伝える以外の方法がありませんでした。記譜法の発明によって、音楽はこの制約から解放されました。それによって、メロディは複雑になり、単旋律がハーモニーに発展しました。

 

 あー、確かに音楽を口伝えで広めるのはいかにも大変そうですし、その制約から解放されて音楽表現の幅が広がっていったというのは理屈ではわかります。けれども、まだちょっと腹落ちまでには距離がある感じです。

 

 ここで、ピアニストである岩倉さんの本領が発揮されたもしもシリーズが展開されます。画面にはもしもシリーズのスライドが順々に映し出されていきます。

 

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 もしもシリーズのスライドが共有画面に映し出されたまま、岩倉さんによって単旋律のグレゴリオ聖歌のメロディの一部がピアノ演奏されます。なるほど、グレゴリオ聖歌ってこういう感じなのねと頭を通さず身体で理解します。

 

 オクターブでハモらせた同じメロディ、4度でハモらせた場合、5度でハモらせた場合と、次々にピアノで奏でられます。同じ主旋律でも音の重なりの違いで受ける印象が異なることをこれまた身体で理解します。

 

 当時は、3度のハモりは教会では禁止されていました。その一方で、民間では人に心地よい3度ハモりが使われていました。

 

 この話の後で、もしもシリーズの最後としてグレゴリオ聖歌の3度ハモりが演奏されます。

 

 おぉ!この演奏で、単旋律をハーモニーに発展させた記譜法発明のインパクトが腹落ちです。

 

 岩倉さんのお話はさらに続きます。宗教改革がおこり、「神はわがやぐら」というプロテスタントの讃美歌をマルティン・ルターが作曲します。この讃美歌の特徴は、歌いやすいメロディー、覚えやすいドイツ語の歌詞、楽器伴奏OKの3つです。

 

 カトリックでは聴くものだった音楽が、プロテスタントでは信者が歌うものになりました。ですから、歌いやすく、おぼえやすく、キャッチーである音楽がつくられるようになったのです。記譜法の発明に端を発して、音楽の民主化がおこったのです。

 

 ここでいったん休憩になり、岩倉さんのピアノ演奏が流れます。この日は講師でもあった岩倉さんのピアノの上には譜面の代わりにノートPCが置かれていました。

 

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模倣と革新(田中先生)

 休憩の後は、再び田中先生にバトンが戻って、新しいものをどう活かすかのテーマにうつります。ここで田中先生が重要な公式を提示します。

 

美しさ = 懐かしさ + 新しさ

 

 美しさや素晴らしさは、懐かしさと新しさの両方を含んでいるものだそうです。完全に新しいものだと人がついてこれないからダメなんです。

 

 日本人が印象派絵画を好きなことがこの公式から説明できると田中先生は言います。浮世絵の影響を受けた印象派絵画に日本人はなつかしさを感じるのだそうです。同じアジアでも、中国や韓国では印象派はあまり人気がないとか。

 

 重要な公式はこう書き換えることができます。

美しさ = 模倣 + 革新

 

 古典のような良きものを模倣することで懐かしさを生むことができ、そこに自分なりの革新を加えることで、美しさを生み出すことができるようになります。

 

 この時に大事なのは、適当ではなくきっちり模倣することと、模倣していることの自覚をもつことです。そして、自分なりに加える新しさは客観的に説明できることが必要です。

 

 ここで田中先生から問いかけがなされます。

「この模倣と革新の割合ってどれくらいだと思います?」

 

 模倣の方が多いだろうとは誰もが思ったことです。実際の割合は、なんと、模倣99%、革新1%だそうです。

 

 田中先生ご自身もこの割合をとある方から伺った際には、

「やっぱり模倣か!」

と思ったそうです。

 

音楽の模倣と革新(岩倉さん)

 再び岩倉さんにバトンが渡ります。音楽の世界でも模倣が行われてきたことが解説されます。

 

 イギリスのロック・バンド、プロコル・ハルムが1967年に発表したデビュー曲「青い影」はバッハの「G線上のアリア」にインスピレーションを受けてつくられました。

 

 絵画であれば、共有画面に2枚の絵が映し出されれば、構図を模倣したのねと一目でわかります。ところが音楽となると、話を聞いても、スライド上の文字を見ても、いまひとつ実感がわきません。

 

 ここでもピアニストの岩倉さんならではの講義が展開されます。そうです。ピアノ演奏の実演です。

 

 「G線上のアリア」のメロディがピアノで奏でられ、続いて「G線上のアリア」にインスパイアされた「青い影」のメロディが奏でられます。あー、確かに模倣してる!

 

 そして、松任谷由実の「ひこうき雲」は「青い影」にインスパイアされた曲ですと説明したそのすぐ後に、「ひこうき雲」のメロディーを奏でるピアノ演奏が流れます。

 

 「おぉ!今まで何度も聞いた曲だけど、こんな視点で聞いたことはなかったわぁ」

と興奮がとまりません。

 

 興奮冷めやらぬままに、懐かしさと新しさの音楽的解説は続きます。

 

 日本の歌はドレミファソファシドの7音階ではなく、ドレミソラドの5音階(ペンタトニックスケール)が主流です。原曲はスコットランド民謡にも関わらず、「蛍の光」が耳に馴染むのはペンタトニックスケールだったからです。

 

 さらに、爆発的ヒットのレシピはペンタトニックスケールに現代要素を加えたものであり、その代表曲が、米津玄師の「パプリカ」や「Lemon」, 鬼滅の刃のテーマソング「紅蓮華」ですと、解説が続きます。

 

 音楽の世界でも模倣と革新がヒットにつながるという話に、Zoomのチャット欄には「楽しい」「面白い」の書き込みがとまりません。

 

メキシコ壁画に描かれたUnsung Hero(田中先生)

「歴史は様々な人の様々な努力でできています」

そう言って、田中先生がこの日最後に提示したスライドがこれでした。

 

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 新刊「名画で学ぶ経済の世界史」の最後に登場するメキシコの画家ディエゴ・リベラが描いたメキシコの壁画です。この絵には庶民が描かれています。

 

 そして、このスライドには「Unsung Hero」の文字が書かれていました。

 

勇気の世界史の終わり方

 今回の「続・勇気の世界史 Day2」は、私にとって、これまでで最も面白い回であり、最もブログに書くのが難しい回でした。あまりに面白すぎると、どう書いてもその面白さが伝わりそうにないからです。

 

 とりあえず書いてみようと、苦しみながらも書いているうちに見えてきたものがありました。

 

 今回のセミナーは、これまでの「勇気の世界史」よりも一段上の視座から俯瞰して歴史を見た内容になっていました。それが重要な1枚として提示されたスライドに凝縮されていました。

 

 田中先生が

「中世後期におこった新しいモデルは産業革命よりもはるかに影響が大きい」

と言った意味を私はこう解釈しました。

 

 産業革命は確かに大きな変化をもたらしましたが、それは産業という枠の中での革命で、その産業に関わる人たちに影響を与えるものでした。けれども、中世後期の新しいモデルは、進化した技術の民主化によって、民衆の生活や仕事を大きく変えました。そう捉えると、中世後期の新しいモデルの影響の大きさに気づかされます。

 

 この日はおなかいっぱい過ぎて、どこで終わっても満足したと思える回でした。けれども何を終わりにもってくるかでその回の余韻は大きく変わります

 

 これまでアンコールと続編を含めて計11回にわたって開催された「勇気の世界史」では、画家を中心として後世に名を残した人の生き方を学んできました。そういう画家たちから学べることはたくさんありました。けれども心のどこかで、歴史に名を刻んだ人と自分は違うと、一線をひいていたところがありました。

 

 田中先生が最後にもってきたメキシコ壁画と「Unsung Hero」の言葉で、この考えは吹き飛ばされました。

 

「一部の優秀な人だけが歴史をつくるんじゃない。たとえ歴史に名が刻まれることがなくても、その時代に生きる一人ひとりがどう生きるかが歴史をつくっていくんだ 

 最後のスライドから田中先生のこんな声が聞こえてくるようでした。その声に勇気をもらって背中をおされる気がしました。

 

 新刊にも同じメキシコ壁画の写真が掲載されていますが、「Unsung Hero」の言葉は出てきません。今回のテーマである音楽にちなんで「Unsung Hero」という言葉を選んだのかもしれません。そのことに気づいたのもブログを書いたからこそです。