二宮金次郎の遺題が教えてくれたこと

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2020年7月の孫子女子勉強会のテーマは二宮金次郎。この意外なテーマから学んだことのなんと多かったことか。二宮金次郎孫子の兵法とも深くつながっていました。

 

 

二宮金次郎ってどんな人

 二宮金次郎って誰?という人は日本人にはまずいません。名前も知っていますし、すぐにイメージも思い浮かべることができます。そう、あの薪を背負って本を読んでいる姿です。けれども、どんな人かと言われると、ほとんど誰も知りませんでした。

 

 今回、なぜ二宮金次郎がテーマに取り上げられたのかを田中先生はこう語りました。

「皆さんは、歩きながら本を読む人という二宮金次郎銅像のイメージにとらわれすぎです。二宮金次郎は幼少期から少年期まで、強い向学心をもちながら、水害によって不遇の人生を歩んだ人です。九州地方の水害で、二宮金次郎を思い出しました。恵まれない時にどう生きるかという孫子の兵法とも通じるものがあります」

 

 ここで、今回の孫子の兵法の一節が紹介されました。

兵は多きを益とするにあらざるなり

 

 今回の一節は、難解な言葉も含まれず、その意味も「兵の数が多ければいいと思うな」と極めてわかりやすい一節でした。

 

 田中先生は、この解説にこう付け加えました。

「数を頼るな、やり方に頼れということですね。

 金持ちなら幸せになれるのか?頭がよければ金儲けができるのか?という問いかけでもあります。時間がない、お金がない、頭がよくないといった不利な時、恵まれない時にどう生きるかが今日のテーマです。二宮金次郎は実に孫子の兵法的な生き方をした人です」

 

 二宮金次郎孫子の兵法が結びつくとは思ってもみなかった私達ですが、田中先生の言葉を聞いて、まさに孫子女子勉強会にふさわしいテーマだと腹落ちしました。

 

二宮金次郎の生涯

 二宮金次郎は一体どんな生き方をした人なのかと関心が最高潮に達したところで、二宮金次郎の生涯がまとめられた1枚のスライドが提示されました。

 

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 1枚のスライドでは表しきれない二宮金次郎の生き方の意味を田中先生の解説が補ってくれます。

 

 金次郎が4歳の時に出身地の小田原にある酒匂川が氾濫し、付近の田畑は全滅しました。金次郎一家も財を失い、田畑の開墾での多忙から父が亡くなります。父が亡くなった後、貧しい身なりの母は親戚の葬儀に参列させてもらえなかったという苦い経験をします。その後に母も亡くなり、3人の兄弟は離散することになります。

 

 奉公に出て一家再建を目指した金次郎は、度重なる酒匂川の氾濫で田畑が流されるのを目の当たりににして、

「このまま農業だけをやっていていいのか?」

と疑問をもちます。当時の税金は米に対する課税で、収穫した米の約半分が税金でした。一方、奉公でもらう給金は非課税です。金次郎は奉公しながら余った時間で農業を行いました。

 

 25歳の時に金次郎は山を購入して不動産王になります。奉公人仲間を連れて自分の山へ行き、拾った薪を売って収入を得ました。電気がまだひかれていなかった当時、薪は貴重なエネルギー源でよく売れました。しかも自身の山で拾った薪ですから原価率はゼロです。

 

 こうして貯蓄を行い、五常講というファンドを始めます。苦労して頑張っている人にのみお金を貸し、返済プランつきの経営改善始動も行いました。無利息でしたが、完済後、感謝の気持ちとして推譲と呼ばれる余裕資金を供託してもらっていました。

 

 おそらく、参加者の誰もが「推譲」という言葉をこの時初めて聞いたことと思います。私もこの時初めて聞いた「推譲」の意味も漢字もわからず、ひらがなでメモをとりました。

 

 その後、小田原藩の財政改革コンサルタントとして手腕をふるい、藩の収入と支出の数値管理を始めました。さらに、藩に税金を下げる交渉を行い、実現させました。幕府に召し抱えられての財政改革も行い、全国各地からの財政改革依頼に弟子と一緒にリモートで対応しました。

 

 二宮金次郎自身は書物を残していませんが、弟子が二宮金次郎の教えを著した書は松下幸之助らも参考にしたと言われています。

 

 ここまで聞くと、薪を背負って読書した勤勉な人だけではない二宮金次郎の生き方に、なるほどとうなづかされます。

 

二宮金次郎の教えに学ぶ

 知らなかった二宮金次郎の生涯を知って終わりにならないのが孫子女子勉強会です。田中先生が、

一緒に考えたいのはここからです

と言って、次のスライドを提示しました。そして、少しの解説を加えます。

 

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「江戸時代後期は円熟期で、飢饉や火事が増えました。経済成長が終わった後で人口が減り出し、贅沢三昧した後は借金まみれになっていました」

 

 今と重なる状況に、誰もが遠い過去の話としてではなく、自分ごととして考えようと前のめりになったところで、田中先生から二宮金次郎の3つの教えが述べられました。

 

 1つ目は、分度です。収入を見極め、それに見合った支出を行う至極当たり前の教えです。

 

 2つ目は、「ケチと倹約は違う」という二宮金次郎が残した言葉です。人間は何でもかんでもケチになりがちです。自分に許される無駄遣いがあるのではないかと問いかけがありました。

 

 3つ目は、欲を肯定することと推譲の精神です。おいしいものを食べたい、旅行に行きたい、いい暮らしがしたいというのは誰もがもつ欲です。これは肯定した上で、欲に上限を設けろと二宮金次郎は説きます。欲に上限がないのは獣と同じで、あるところまできたら幸せであると知るのが推譲の精神です。

 

 ここから先は、提供された話題をもとに、それぞれが思うことを自由に発言しました。その発言を田中先生が拾ってふくらませます。これを繰り返すことで、二宮金次郎の教えの腹落ち感が高まります。

 

言葉の意味

 議論になったことのひとつに「欲の肯定」がありました。私達はなんとなく「欲」と聞くと、マイナスのイメージをもっていました。だからこそ、あえて「欲の肯定」と言う表現がなされたのだと思いました。

 

 知らず知らずのうちに、「欲=貪欲」と思い込んでいたのかもしれません。「夢」や「希望」と言えばプラスのイメージがわき、それらと「欲」の違いをはっきりとは言えないことにも気づきました。

 

 さらによく考えてみると、「欲」「夢」「希望」などの名詞自体には、プラスの意味もマイナスの意味もないことに気づきます。「夢に向かって進む」の表現はプラスの意味になり、「夢に押しつぶされる」の表現はマイナスの意味になります。結局は、動詞で言葉の意味は変わります。

 

 人の行い次第で良くも悪くもなるのに、私達は無意識のうちに名詞の言葉の意味を規定していたように思います。

 

二宮金次郎の遺題が教えてくれたこと

 議論ともおしゃべりとも区別がつかない流れの中で、田中先生が、こんな話題を投げ込んでくれました。

 

「日本の江戸時代の数学はレベルが高かったんです。『塵劫記』という算術書が出版され、関孝和らに影響を与えました。『新編塵劫記』は、遺題(解答が書かれていない数学の問題)を載せた書で、後世の学者に解を求めさせました。これによって、オープンな高めあいが行われて数学力が向上したんです」

 

 あー、なるほど!この日の勉強会は、分度、ケチと倹約、欲の肯定と推譲を現在社会にあてはめるとどう生きればいいのかという二宮金次郎の遺題をもとに議論する場だったんです。一人で本を読んで考えるのではなく、議論することによって多角的にとらえて高めあうのが孫子女子勉強会の流儀です。

 

 孫子の兵法は2500年以上も前に書かれた兵法書です。それを女子だけで学ぶ勉強会というと不思議がられることがよくあります。が、孫子の兵法は不利な状況でどう生きるかの指南書でもあります。つまりは、孫子の兵法は、自分が今おかれている状況にあてはめてどう生きればいいのかという遺題とも言えるわけです。

 

 二宮金次郎の遺題のおかげで、孫子女子勉強会って何?がまたひとつクリアになりました。孫子の兵法という遺題をもとに議論して高め合う場。それが孫子女子勉強会です。