勇気の世界史 ⑦歴史から学ぶピンチをチャンスに変える生き方

2020年4月4日から始まった「勇気の世界史」も今回が最終回となりました。「勇気の世界史」とは何だったのか、私なりに答えを出しました。

 

 

「勇気の世界史」最終回

 

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 「勇気の世界史」最終回のテーマは最終回にふさわしく、「歴史から学ぶピンチをチャンスに変える生き方」でした。

 

 「勇気の世界史」オンラインセミナーは全7回で、無料で開催されてきました。最終回もこれまでと変わらず150名以上が参加しました。無料で開催すると、ありがたみがなくて人数がどんどん減っていくのが常ですが、このセミナーでは人数が減るどころか増えていきました。

 

 人数が減らなかったのは自粛中で暇をもてあましていたからでしょうか?私はそうは思いません。無料のオンラインコンテンツはあふれ返っていて、むしろ見きれないくらいです。知識を得られるありがたさからではなく、面白さを求めて参加し、実際に面白かったから参加し続けた結果だったと思います。

 

 田中先生は「勇気の世界史」というセミナータイトルは告知期限に迫られての思いつきだったと言いましたが、内容にもふさわしい実にいいタイトルだったと思います。

 

 毎回のタイトルも洗練されたものでした。

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 毎回の内容をつくりこみながら、タイトルもそれにあわせて決めていったであろうことは、一番はじめに告知された時のタイトルと比較してみればわかります。こうやって改めて見てみると、告知時にこのタイトル一覧でよく参加者が集まったなあとも思います。

 

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 「勇気の世界史」シリーズを振り返るスライドを見て、このプログラムの巧妙さに唸りました。地理的には南から北へと北上する順序になっています。また、各回には2文字のコンセプトワードが設定されていました。さらに、各回にゲスト講師が田中先生の話とつながるお話をするように組み立てられていたのです。この複層的な条件を満たすようにプログラムを組み立てて実行するのはたやすいことではありません。この仕掛けがあるがゆえに、毎回バラバラな話のように聞こえても「勇気の世界史」として一貫したプログラムとして成立したわけです。

 

「コロナ禍に耐えるだけではくやしい。この得難い体験をピンチをチャンスに変える良い転機と捉えて、みんなで考えていきたい」

 

 考えるための材料が田中先生から提供されたのが最終回でした。

 

智者の慮は必ず利害に雑う

 まず紹介されたのが、田中先生が人生訓にしているという孫子の一説でした。

 

「智者の慮は必ず利害に雑う

利に雑えて、而して務め信ぶべきなり

害に雑えて、而して患い解くべきなり」

 ものごとには必ず両面から捉えよ。いい時には失われたものを考えよう。悪い時にはいい面を見よう。という教えです。

 

「別の面から捉えた人が次の時代をつくっていくんです」

 田中先生の声にひときわ力がこもったことが、画面越しでも伝わってきました。

 

 別の面から捉えて次の時代をつくった事例として、これまでには出てこなかったオーストリアの歴史が紹介されました。今回の表紙スライドにクリムトの絵が貼られていた理由がここにありました。

 

 第一次世界大戦は、火力兵器の性能向上によってそれまでとは戦争の様相が大きく変化しました。戦闘機が作られ、空爆による無差別攻撃が始まりました。これによって、爆撃対象からはずれていた回避地であった教会にも爆弾が落とされるようになり、市民も戦争に巻き込まれることになりました。また、前線の兵士は、塹壕から出て敵陣に突撃せよという命令を受け、命令に従わない場合は背中から味方に撃たれる状況に追い込まれていました。味方が信じられなくなり、精神を病む兵士が続出しました。

 

 フロイトアドラーなど黎明期の心理学者がオーストリアから出てきたのは、無差別攻撃を受けた市民や味方からも銃を向けられた兵士たちをストレスから救うためでした。不幸の礎の上につくられた心理学に私達は感謝をしなければなりません。

 

「歴史から学んで、コロナ禍の状況で自分たちも後世の人達に何かを残せないか?」 

これが「勇気の世界史」誕生の原点でした。

 

コロナ禍でピンチなのは誰?

 時計を第一次世界大戦から現在にぐっと進めて、

「コロナ禍でピンチなのは誰か?」

という問いかけがなされました。

 

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 ①の飲食業・旅行業は今まさにピンチに陥っていますが、印象派に学んだように圧力によって変われるチャンスとも言えます。

 

 ②サービス業フリーランスは身軽であり、まだそれほどのピンチにはなっていませんが、近いうちには「availableだよね」と価格下落が始まると予想されます。無料ブームの後に単価がもどらない可能性があります。

 

 ③今は給料がもらえていいように思えますが、変化の機会を失うとも言えます。国や会社の財力が落ちてきて、わからない形で給料がじわじわ下がってくると予想されます。

 

 つまりは、時間軸のずれはあれ、いずれもピンチになることに変わりはありません。①と②は自分でコントロールの幅をもっている分、幸せとも言えます。

 

 このピンチにどう対処するかを考えるためのヒントとして、すでに出現した近未来も提示されました。

 

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 コロナ自粛でavailableであることに関して、足元を見る価格下落はすでに始まっています。これがabailableデフレです。また、受け手は「ネットで見られるものは無料」の価値観をもっていて、デジタルデフレも始まっています。こちらは特に強烈です。日本人はもともと無形のものにお金を払わない文化があり、それがネットの出現によって加速しました。

 

 田中先生自身も

「だからどうすればよいかという答えを持っているわけではない」

と断言しました。

 

「悩めるっていいことだと思うんです。ゼロから悩む時には仲間が必要です。語り合いたい時です」

 

 どうしていいかわからない壁にぶち当たった時にどう一歩を踏み出せばいいのかのお手本が示されました。下を向くのではなく、歴史に学んで今おこっている状況を整理し、逃げずに自分に向き合い、仲間に呼びかけること。勇気を持つとはこういうことなのかと思わせてくれました。

 

田中先生のひとり言

「ここからはひとり言レベルの話なんですが…」

と切り出した後に続いた言葉は、

「こだわりのものづくりを目指したいんです」

でした。

 

こういう話の後に、

「『楽市楽座』って何がすごかったと思います?」

と、唐突とも思える問いが投げかけられるのが田中先生らしい話の展開です。

 

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 田中先生の楽市楽座の解釈が語られます。

 

楽市楽座は、下界との間に結界をつくったんです。そこに入ったら誰でも自由に売り買いできるんです。下界での商売では客を選んでたんですが、楽市楽座ではどんな客でも買う権利が得られました。これが大量生産につながっていきます」

 

「これからは楽市楽座以前の商売をやろうと思うんです。気に入らない奴には売りません。変な客のストレスに悩まされると、本当にそれがやりたいことなのか?と考えるんです。原点にもどって、自分は何をやりたいのかを考えて、わかってくれる人に届けようと思うんです」

 

 私には、ひとり言というより覚悟を決めた田中先生の決意表明のように聞こえました。「客を選ぶ」とは聞こえのいい言葉ですが、厳しい覚悟を伴うものです。客を選ぶためには、まずは客に選ばれることが条件になります。余人を持って代え難い存在として客に選ばれるからこそ、客を選ぶことができるのです。

 

 そこからさらに、覚悟を決めるに至った思考の軌跡を田中先生はこう語りました。

 

「『誠実』というのは、自分に対して使う言葉だと思うんです。人にいいように思われたい気持ちを『誠実』という言葉でごまかしていないか。近江商人のいう三方良しはもういらない。まずは自分良しが大事。そうしないと自分がなくなってしまいます。勇気をもって、自分に対して誠実にやっていきたい

 

 田中先生の強い意思が、画面越しにひしひしと伝わってきました。画面越しで良かったと思えるほどの迫力でした。

 

「勇気の世界史」で勇気が出たのは誰?

 

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 7回に渡った「勇気の世界史」もついに終わりの時を迎えました。ゲスト講師が一人ずつメッセージをくれて、最後に田中先生からの感動的な挨拶がありました。

 

「皆さん、良く付き合ってくれました。本当にありがとう。画面越しに思いを伝えたのですが、今回やってみて、オンラインでも伝わることがわかりました。画面越しにでも、うなづいてくれたり、聞いてくれているのがわかりました。間接的に皆さんと対話できたと思います。コミュニケーションを見返す機会にもなりました。

 

感動もすぎると言葉を失うものですね。皆さんを勇気づけたいと思って始めた『勇気の世界史』ですが、一番勇気が出たのは私でした」

 

 いつも立板に水を流すように語る田中先生が、最後には少し言葉をつまらせていました。もしかしたら涙ぐんですらいたのかもしれません。これまで数々の講演を経験してきた田中先生ですが、セミナー終了後に田中先生自身が感動する経験はこれまでにもあったのでしょうか。少なくともオンラインセミナーでの経験は初めてのことじゃないかと想像します。

 

「勇気の世界史」とは何だったのか?

 Stay Homeの渦中だったとはいえ、毎回、次の回が楽しみになる「勇気の世界史」でした。もう次回がないと思うと一抹の寂しさを感じます。これほどオンラインコンテンツがあふれていても、「勇気の世界史」を代替できるものはないのだと今になってわかります。

 

 Zoomでのセミナー受講中は、参加者は全員マイクをミュートにして言葉を発することはありませんでしたが、チャット画面に書き込んだり、うなづいたり、拍手をしたりしました。田中先生が言うように、新しい形での対話が行われていたのだと思います。

 

 セミナー終了後には、たくさんの人がセミナーの内容に感化されて考えたことをFacebookグループ書き込みました。私のこのブログも、書きながら考える、考えたことを書くのサイクルをぐるぐる回しながら書きました。誰に考えなさいと言われたわけでもなく、考えることが自然におこりました。セミナーを契機として、自分との対話がおこりました。

 

 ああ、ようやくわかりました。このセミナーが楽しかったのは、セミナーの内容もさることながら、自分で考えることが楽しかったのです。考えたくなる材料がたくさん仕込まれていて、考えてしまう、考えたくなってしまったのです。こんなセミナーは他にはありません。

 

「考えなさいと言った人ではなくて、考えるということを本気でさせた人が一番えらい」

 大村はま先生の言葉によると、「田中先生はえらい!」という結論になりました。

 

 最後なので、ちょっとだけ自分のことを書きます。週2回のペースで行われた「勇気の世界史」のブログを毎回書くのは、私にとってはブログの大量生産とも言えるチャレンジでした。考えるのに時間がかかって、ブログを書くのに相当な時間を要するからです。うまくまとまらなくて、次の回が迫って来る中で途中放棄したくなる衝動にかられたこともありましたが、全7回を書き上げることができました。

 

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 田中先生からいただいた「自分の言葉でブログを綴った岩山さん」のサンクスメッセージは、最高のご褒美になりました。えらい先生に褒めてもらえて感無量です。