勇気の世界史 ④新技術が巻き起こした熱狂と動揺

「勇気の世界史」シリーズ第4回目はフランス編の後編。特に凝った仕掛けもないいたって真面目な回ではありましたが、その根底には深いメッセージが込められていました。

 

 

第4回のテーマ

 「勇気の世界史」第4回は4月14日(火)19:00から始まりました。第4回は、第3回のフランス編前半での絵画の歴史に続く後半でした。今回は珍しく、頭の部分で今回のテーマのお話がありました。

 

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 ナポレオン没後の19世紀後半は戦争が拡大し、政治・経済は混乱しました。そんな中でも新技術が生まれてきます。新技術は一部支持者には熱狂的に受け入れられる一方で、新技術に怯えた人達もいました。

 

 19世紀に発展した写真技術に大きく影響を受けたのが画家たちでした。何しろ写真は肖像画を描くよりも正確に描写できるのですから。画家たちは、写真の出現に怯ることなく、写真にできないことは何かを考え、自分たちはなぜ絵を描いているのかを考えました

 

「新技術の登場はどんな影響を与え、それを前にした人々は何を考えたのかを学びましょう。そこから、一人ひとりが現在の新技術であるAIへの向き合い方について考えるきっかけにしてもらいたい。この『勇気の世界史』がAIに怯えずに立ち向かう勇気の起点になればと思います」

と、まるで学校の先生がはじめに授業の目あてを話すような第4回の始まり方でした。

 

ナポレオンを巡る軍事理論

 早速に前回の新古典派からの続きが始まると思いきや、そうは問屋がおろさないのが田中流です。

 

「この全7回の『勇気の世界史』シリーズも今回で折り返しになりました。ちょっとここらで手を抜いて、今回はのんびりと自分の好きな分野のお話をしようと思います」

と言って、共有画面に映し出されたのがこのスライドです。

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「実は、私、軍事オタクでしてね。軍事戦略論が大好きなんです。

 

ナポレオンは多方面に分かれて戦うために、師団編成という組織編成を採り入れました。師団編成のことを英語でdivisionと言うんですね。

 

これがビジネスの世界に入ってきまして、日本では松下幸之助が採用しました。いわゆる事業部制というやつです」 

と、息もつかせぬ勢いで、熱弁をふるいます。

 

 今回のテーマとして紹介された新技術やフランス絵画の話はどうなった?と思う間もなく、田中先生の熱い語りに惹き込まれていきます。

 

 続いて、2人の軍人がナポレオンの強さについて分析した対照的な結果の話題へと展開します。

 

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 腹心の部下であったジョミニは、ナポレオンの強さの秘訣は勝利の方程式に忠実に従ったからだと分析します。

 

勝利の方程式とはこうです。

①現在地を正確に把握せよ

②決戦地を割り出せ

③現在地から決戦地へ速やかに移動せよ

 

 一方のクラウゼヴィッツはナポレオンの強さの秘訣は天才だったからだと分析し、天才とは何かについて、その人物像、メンタルのあり方、リーダーシップなどについて考察を深めます。

 

 さて、この2冊の書物が世に出てどうなったかというと、ジョミニのわかりやすい方程式がヨーロッパの軍人に大きな影響を与えました。

 

 軍事戦略論好きの田中先生が本領を発揮するのはここからです。単に好きな軍事戦略論を読み込むにとどまらず、それが現在の世の中にどういう影響を与えているかに思いを巡らせます。

 

 田中先生には、ジョミニが示した勝利の方程式がこの図のように見えました。

 

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 そして、このレンズを通して世の中を見てみると、いたるところに同じ図式が採用されていることを見抜いたわけです。

 

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ジョミニが勝利の方程式としたこのフォーマットはビジネス界にも大きな影響を与えました。ビジネスセミナーもダイエット本もこのフォーマットに従っています」

 

 確かに、言われてみれば、A地点からB地点に直線的に向かう図式があちこちで見受けられます。19世紀のヨーロッパの軍人も現在の日本人もわかりやすいものに飛びついてしまう点では全く変わらず、時代が流れても人間は変わらないようです。

 

ピラミッド組織の誕生

 次なる田中先生の見立ては、ピラミッド組織がいかにして生まれたかについてです。

 

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 まず、カトリック教会組織によってピラミッド組織の形がつくられます。次に、ナポレオンの国民軍によって、上から下に流れる命令系統で支えるピラミッド組織の運用方法が確立されます。最後に、鉄道会社によってピラミッド組織形態と運用が一般化されることになります。

 

 この最後の発想が凡人にはなかなかできないところです。鉄道会社が退役軍人を多く雇っていたことと、鉄道の運営は究極の分散型であることが田中先生の発想の根拠です。

 

「こうやってできた組織は男の気持ちでつくられた男性的ピラミッド組織として確立します。男の気質にフィットした男社会のフォーマットです。

 

男にフィットしているということは、女性にはフィットしないということですね」

 

 新技術へもフランス絵画へも一向に近づく気配はなく、ここから話は男女の違いに進んでゆきます。田中先生の話が一体どこに向かっているのかわからないままに、オーディエンスはますます田中ワールドにのめり込んでいきます。

 

「男はジョミニが大好きなんですね。スタート地点からゴールに向かって一直線。だから、中期経営計画や予算が大好き。女性の回りくどい話を聞くのが苦手で、すぐに結論を求めます。

 

 それに対して、女性の話はあっちに行ったりこっちに行ったり。途中で窒息しそうになるくらいです。けれども、女性のあっち行ったりこっち行ったりは真実を探し出すプロセスなんですね。ですから、先に結論を言えと話を止めたらダメなんです」

 

 今回のテーマとまるでかけ離れていたにも関わらず、この部分は特に反響が大きく、チャット画面には次々に書き込みがなされていきました。

 

印象派の登場

「ここで絵画の話にもどります」

と、ようやく今回のテーマのお話が始まりました。この時点ですでに開始から40分が経過していました。実に田中先生の持ち時間の2/3が過ぎたところで、ようやく本題に入りました。

 

 勇壮なナポレオンの姿を描いたダヴィッドに代表される新古典派の次に出てきたのが印象派です。王立絵画彫刻アカデミーに落ちた画家たちがサロンに対する反発から独創的な画法を編み出し、印象派と呼ばれます。印象派の仲間たちは、互いにいい意味でのライバル心をもち、次々に新しい絵画を生み出します。この時代は奇跡のような時代と呼ばれるほどでした。

 

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 モネは筆触分割の画法を編み出しました。絵の具を混ぜずに色を並べて配置し、離れて見ると並んだ色が一体化してきれいに見えます。

 

 スーラは筆触分割を発展させて、細かい点の集合でひとつの絵を描写する点描の技法を確立しました。

 

 ゴッホは非常に吸収力が高く、色々な新しい画法をとりいれた画家でした。ジャポニズムの影響を受けて描かれた絵が「タンギー爺さん」です。

 

 こうした独創的な画家たちが生まれた理由はその時代背景にあります。産業革命によって蒸気機関車が走るようになりました。また、チューブ式の絵の具が開発され、絵の具を外に持ち出せるようになりました。つまり、画家たちはアトリエから外に出て絵を描き始めたのです。さらにカメラの登場によって、絵を描く意味の再考を迫られます。テクノロジーからの圧力に反発した画家たちが新しい絵画を生み出したのです。

 

 ここで田中先生のお話は終わり、5分間の休憩の後、今回のゲスト講師である夏野葉月さんにバトンが渡りました。

 

芸術を巡る写真の歴史

 夏野葉月さんは小笠原諸島の父島に住む写真家です。この日も父島から参加して、写真の歴史についてお話してくれました。

 

 写真発明につながる歴史は驚くほど古くて、なんと紀元前4世紀にまでさかのぼります。その後、いくつかの過程を経て、世界最古の写真が撮影されたのは1826年でした。見たものを記録に残したいというのは古来から連綿と続く人間の欲求なんですね。

 

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 フランスの写真家ナダールは芸術と深い関わりのある人物です。クールベドラクロワカミーユ・コローといった画家たちの肖像写真を撮影しました。また、ナダールの写真館は芸術家のサロン的役割を果たしました。「第一回印象派展」はナダールのアトリエで開かれました。

 

 正確無比に写し取る点では絵画は写真に劣ります。写真の登場によって絵画の写実主義は終わりを告げ、画家たちは自分はどういう絵を描きたいかを問い直し、そこから印象派が誕生しました。

 

 単なる写真史ではなく芸術とリンクさせた写真史の紹介は、田中先生の話と見事なハーモニーを奏でるものでした。

 

 夏野さんの話が終わった後に、田中先生が、

「第一回印象派展のスライドを出してもらっていいですか。夏野さんがこの写真をよくぞもってきてくれたと思ったのですが、ひとつ会計士らしいコメントをするとですね・・・」

と切り出しました。

 

 どうやら田中先生は、私たちと同じくこの日初めて夏野さんのお話を聞いたようでした。田中先生とゲスト講師は、お互いが話す内容の詳細についての事前打ち合わせなしで本番を迎えるのが「勇気の世界史」流のようです。

 

歴史に学んで勇気を手に入れる

 田中先生が「AIへの向きあい方について考えるきっかけに」とおっしゃった言葉を受け止めて、考えを巡らせようとしたところで、はたと気づきました。田中先生自身がAIへの向き合い方を考えたからこその結果がこの回だったのだと。

 

 印象派の画家たちが、写真の登場によって自分たちはなぜ絵を描いているのかを問い直したように、田中先生もまた、AIの登場を受けて自分の内なる動機を掘り下げたのだと思います。そこから導き出した結論が、「自分の好きな話題(軍事理論)を語りたい、単なる史実をなぞるのではなくそこから考えた自分なりの新しい見立てを語りたい」にゆきついたのだと思います。

 

 「勇気の世界史」シリーズが折り返し地点になって手を抜いたというのはカムフラージュで、自分の好きな話題を語ることがオーディエンスを楽しませ、その結果として学びも豊かになるとの仮説にもとづいた話題構成だったのだろうと思います。今回は珍しく、仕込みのない回だなあと思っていましたが、田中先生に限ってそんなことはあろうはずがありませんでした。

 

 話の展開もあっちに行ったりこっちに行ったりで、どこにも向かっていないように思えました。田中先生がスライドで提示した女性の回りくどい話し方にそっくりでした。

 

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 しかしながら、よくよく振り返ってみると、ひとつの真実にたどりつく話でもありました。軍事戦略論からの始まりは男社会のフォーマットにゆきつきます。男社会のフォーマットに対する反発をエネルギーに変えようという女性へのエールにも聞こえました。

 

 画家たちが写真技術への反発から独創的な絵を生み出したことから学べるのは、AIなんかに負けるものかという気持ちが新しいものを生み出すエネルギーになることです。そうです、「歴史に学んで勇気を手に入れる」という真実に向かってちゃんと話は進んでいたのです。

 

 今回の田中先生の話を聞いてわかりました。田中先生自身が、歴史に学んでAIに負けずに立ち向かう勇気を手に入れたのです。ですから、「勇気の世界史」に参加した私たちは、歴史に学んで勇気を手に入れると同時に、歴史に学んで会計士の枠を超えた新境地を切り開こうとしている田中先生からもまた勇気をもらっているのです。一回で二倍の勇気が手に入る。それが「勇気の世界史」です。