勇気の世界史 ③パンを欲する市民たちの怒りと革命

「勇気の世界史」シリーズ第3回目はフランス編の前編。今回は田中先生とゲスト講師の話のマリアージュが見事にマッチしたとりわけ素敵な回でした。

 

 

「勇気の世界史」の魅力

 「勇気の世界史」シリーズも、はや3回目となりました。主催側の皆さんは毎回それぞれに準備等でご苦労されていると思いますが、参加者側は3回目ともなると、参加するのもスムーズになり、雰囲気にも慣れてきます。

 

 慣れるのは一見いいことのように思えますが、飽きると表裏一体でもあります。はじめは面白いと思って全回参加のつもりでも、飽きてくればシリーズから離脱していくこともおこりえます。

 

 普段は有料のものが今だけ無料というコンテンツも含めて、オンライン上にはアクセスできるコンテンツがあふれています。それにも関わらず、「勇気の世界史」シリーズは、参加人数が減る気配がないのはすごいことだと思います。私が見た限りでは、今回は132名が「勇気の世界史」オンラインセミナーに参加していました。

 

 「勇気の世界史」には、毎回、異なるゲスト講師がいます。田中先生の話が終わった後、ゲスト講師がそれに関連づいた話をして、田中先生の話の面白さをより一層引き出す仕掛けになっています。これが「勇気の世界史」が飽きない魅力のひとつです。

 

 第3回の「勇気の世界史」のゲスト講師はニューヨーク在住のキャスター兼メトロポリタン美術館ガイドの吉川さん。ニューヨークではマスクは病気の人がするものと思われていましたが、今は誰もがマスクをしていて、ニューヨクでもマスクは手に入らなくなっているとのことでした。

 

 日本で家の外に出ればマスクをしていない人を見かけることがほとんどなくなりましたが、オンラインセミナーではマスクをしていない人の顔が見えて、なんだかほっとします。

 

フランスこぼれ話

 この回の田中先生は、出囃子で登場するような演出はなく、ごくオーソドックスな話の入りではありましたが、かといっていきなり本題に入るような野暮なことはしません。オーディエンスの気持ちを自然とフランスに寄せていくお話から始まります。

 

「フランスは『会計の世界史』には出てこない国なんですね。なぜなら、金融面で、「何かを発明した」や、「何かが変わった」というものがないんですね。しかし、美術や絵画については話すことが満載なんです」

 

 そうです、そうです。フランスといえば芸術の国というのが私達がもっているイメージです。が、フランスもはじめから芸術が盛んな国だったわけではありません。前回のオランダと同様、イケてない国から芸術が花開く国へと変貌をとげた、その変遷を学ぶのが「勇気の世界史」です。

 

 もうひとつ、田中先生ならではのフランス話が披露されました。2月末から3月上旬にかけて、コロナウィルスがあれよあれよという間にイタリアで勢いを増していったちょうどその頃、田中先生はイタリアとフランスで取材をしていました。

 

 ルーブル美術館で行われていたダ・ヴィンチ展が終了した2月29日の翌日から、なんとルーブル美術館は閉館してしまったそうです。つまり、イタリアから借りていたダ・ヴィンチの絵画はイタリアに返せなくなったというわけです。イタリア人は怒っているに違いありません。

 

 コロナ騒ぎがおさまった後、フランスで開催される絵画展にイタリアが所有する絵画は展示されないだろうというのが田中先生の予想です。この未来予想が当たったかどうかを笑って話せる日が早く来てほしいものです。

 

パンを欲する市民たちの怒りと革命

 

f:id:n-iwayama:20200412232823p:plain

 

 さて、いよいよここからが本題です。経済・芸術No.1だったイタリアに比べて、中世のフランスはイケてない国でした。そこから芸術が花開くまでの変遷を知るためには、長い連鎖を紐解く必要がありました。

 

フランソワⅠ世即位

 フランソワⅠ世が即位した1515年、フランスはイケてない国でした。ルネッサンスにあこがれ、イタリアが大好きだったフランソワⅠ世はレオナルド・ダ・ヴィンチをイタリアからフランスに呼び寄せました。富裕層たちはイタリアから絵画を購入し、フランスからイタリアに金銀が流出する状況がおこりました。

 

王立絵画彫刻アカデミー誕生

 イタリアに金銀が流出するのはまずいと考えたフランスは、1648年に王立絵画彫刻アカデミーを設立します。当時、画家として生きていくためには職人の集まりであるギルドに参加する必要があり、それはコネか金がある者にだけ道が開かれていることを意味しました。教育の場としてのアカデミーができたことで、誰もが絵を描けるようになり、市民達は大喜びしました。

 

 言ってみれば、絵画の民主化ですね。絵画の民主化によって、今、私達はフランスで中世に描かれたたくさんの絵画を楽しむことができているわけです。400年近く前のフランスでの出来事と現在の日本が時空を超えてつながっていることを感じられるのが歴史を学ぶ意義です。

 

 アカデミー設立と同時に、芸術作品発表および販売の場としての「サロン」も開かれました。アカデミー(インプットの場)とサロン(アウトプットの場)を同時につくったわけですね。

 

 はっ、もしや、田中先生は、アカデミー設立+サロンの開催からヒントを得て、フリーランス塾(インプットの場)と「勇気の世界史」オンラインセミナー(アウトプットの場)をつくったのでは…

 

フランソワ・ブーシェ誕生

 

f:id:n-iwayama:20200412233052p:plain

 

 話を1703年のフランスに戻します。この年、ロココ絵画で有名なフランソワ・ブーシェが誕生します。ブーシェが「ポンパドゥール夫人」を描いた頃、絵画の模写が流行し、模写した絵画を市民が家に飾りだしました。

 

 この事実を知った後の田中先生のぶっ飛んだ発想が、私達を知的エンターテインメントの世界へといざなってくれるのです。

 

「ポンパドゥール婦人はアイドルの始まりだと思うんです。だって家族でもない知らない人の肖像画を家に飾ったわけですよ。これは、アイドルつまり他人のポスターを部屋に飾るのと同じだと思うんです」

 

市民革命

 貴族階級で絵画の広まりを見せる一方で、市民や農民は重税に苦しんでいました。パリにあるピカソ美術館は別名「塩の館」と呼ばれています。元は塩税徴収官の館であり、塩成金を揶揄してつけられたのが「塩の館」です。

 

 フランス市民がパンもなく重税に苦しんでいるのを横目に、イギリスは産業革命で潤っていました。それを見たフランス市民は焦りと怒りを抑えきれず、パンが食べられるようにしようと立ち上がったのが市民革命です。この当時の市民の様子をパンを盗んだ男として描かれているのが「レ・ミゼラブル」です。

 

 革命後には国有地が払い下げられることになります。大口では買い手がつかないため、小口で払い下げられ、小規模農地で農業を営む小作農が増えます。フランソワ・ミレーが農民画を描いたのはこうした小作農が増えたことと関係しています。

 

ナポレオンの台頭

 市民革命を見て危機を感じたフランス周辺国の国王がフランスに圧力をかけてきます。この時に颯爽と登場したのがナポレオンです。ナポレオンは数学に秀でていて、等高線付き地図を使って大砲を撃つ位置を計算しました。情報活用の天才だったのです。スピーチもうまく、人心掌握に長けていました。

 

 ナポレオンが活躍していた頃になると、それまで絵画の主流だったロココが否定されるようになり、新古典主義と呼ばれる様式が支配的になっていきます。ナポレオンの勇壮な姿を描いたダヴィッドも新古典主義の画家です。

 

 ナポレオンは戦いに勝利するたびに美術品を略奪しました。こうして収集した美術品は市民に一般公開しました。これによって絵画は公共財であるという意識が広まりました。名画に触れる機会を市民に開放したことによって、名画に感動した市民から印象派と呼ばれる画家たちが登場することになります。その話は第4回につづきます。

 

 絵画の話題が満載だったこの回の田中先生のお話はここまでで、

「ここで5分間の中入りにします」

と、前回までにはなかった新しいパターンが取り入れられました。

 

f:id:n-iwayama:20200412233545p:plain

 

 リアルな会場であれば、幕がおりたり、登壇者が舞台袖にさがったりするのが中入りです。オンラインでの中入りはこうやるのかと、またしても田中先生の仕掛けにやられました。

 

フランス絵画と美術館の楽しみ方

 中入り後は、ニューヨークの吉川さんからメトロポリタン美術館にある3枚の絵画が紹介されました。さすがキャスターだけあって、カメラ目線も話し方もプロでした。

 

1枚目はギアール作の「2人の弟子のいる自画像」

ロココ

 

f:id:n-iwayama:20200412233638p:plain

 

 ギアールはフランス王立絵画彫刻アカデミーの女性画家わずか4人のうちの1人。絵を描くには似つかわしくないシルクのドレスを着て2人の弟子を従えた画家としての自画像は、成功し自立した女性としてのプロパガンダの1枚です。

 

2枚目はダヴィド作の「ソクラテスの死」

新古典派

 

f:id:n-iwayama:20200412233738j:plain

 

 まわりは引き立て役でソクラテスが主人公の絵。ソクラテスには死を選ぶ恐怖は微塵も感じられず、ソクラテスの身体は理想的な美の完璧な身体として描かれています。この絵のテーマは新しい時代を願う気持ちです。

 

3枚目はエドワール・マネ作の「女とオウム」

印象派の絵画

 

f:id:n-iwayama:20200412233924p:plain


 これまでよそゆきのドレスを着た女性を描いていた絵の価値観を変え、室内着を着たふつうのパリの女性が描かれています。マネはパリのカフェで「今を描こう、現実を描こう、生活を描こう」と画家たちに語りました。

 

 流れるように滑らかな語りで、3枚の絵の紹介した後、吉川さんが言いました。

 

「美術館に足を運んで本物を見てください。写真とは絵のオーラ、輝きが違います。本物の絵の前に立つと、絵筆の動きまでが感じられます」

 

 吉川さんのこの3枚のチョイスが秀逸でした。田中先生のお話とシンクロした3つの時代の画家を選んだことに加えて、それぞれの時代の伝統を打ち破ろうとした画家のお話は勇気を冠したセミナーにピッタリでした。

 

4人目の画家紹介

 いつものようにしめのバトンが田中先生に渡った後、田中先生から飛び出したのが4人目の画家の紹介でした。

 

「ここで4人目の画家を紹介したいと思います。いつもこのセミナーのグラレコを描いてくれているひめこと岸さんです」

と言って、岸さんのグラレコ講座が掲載されている日経WOMANを田中先生が画面越しに紹介しました。

 

f:id:n-iwayama:20200412234136j:plain

 

 岸さんのことを紹介するならこの回しかないというベストタイミングを選ぶ田中先生の心憎い演出でした。日経WOMAN5月号は発売されたばかりですし、画家の話が満載だった今回に「4人目の画家」として紹介するのが粋だからです。

 

 回が始まってすぐに田中先生が、

「岸さん、いますか?」

と呼びかけたのは単なる偶然ではなかったわけです。

 

 うーん、またしてもやられた感。終わり方が毎回さわやかすぎるのも「勇気の世界史」の魅力です。