勇気の世界史 ②弱虫達の負けん気が花開く瞬間

「勇気の世界史」シリーズ第2回目はオランダ編。田中先生のお話はとどまるところを知らない勢いでしたが、それだけ内容が深いものでもありました。

 

 

出囃子で登場

 第2回目の「勇気の世界史」は平日の19:00からの開始でした。第1回目と同じく、開始10分前にはすでに50人近い人がオンライン会議室に参加していて、田中先生が場をなごますべくお話をされていました。

 

「あー、緊張するなあ。短く話すのは難しいんですよ」

 

 前回とはマイクを変えると聞いていた通り、この日の田中先生の声は前回に比べて格段に通りよく聞こえました。それにしても、田中先生からは最も縁遠いと思われる「緊張」という単語を聞くとは思いませんでした。

 

 

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 19:00の開始時刻になると、田中先生が画面から姿を消しました。ロックな音楽が流れ出し、田中先生が颯爽と登場しました。さきほどまでかけていたメガネをはずして。そして、画面に向かって深々と頭を下げました。画面にほぼ頭だけが見えているという不思議な構図を体験したのはきっとこの回の「勇気の世界史」の聴講者以外にはそうそういないことでしょう。

 

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 こうして、第2回目の「勇気の世界史」はロックな音楽の出囃子から始まりました。前回はイタリア編でしたが、今回はオランダ編ということで、タイトルスライドにはオランダ出身のロックバンド「ヴァン・ヘーレン」の写真が貼られていました。ヴァン・ヘーレンは田中先生が中高時代にのめり込んだバンドだそうで、出囃子はヴァン・ヘーレンの「アムステルダム」だったとのことでした。

 

弱虫達の負けん気が花開く瞬間  

 中世にはイケてない地域だったオランダがどうやってイタリアに次ぐヨーロッパ第2位の経済的地位を築くまでに上り詰めたのかが今回のテーマです。そこに至るには、これまた様々な要素が複雑に絡み合っています。それを丹念な調査で解きほぐしていく田中劇場のはじまりはじまり~。

 

ヨーロッパ南部と北部

 まずは、ヨーロッパの北部と南部の地政学的な理解から。

 

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 ヨーロッパの南部と北部は地理的な特徴から、中世には南部の国々は豊かで、北部の国々は貧しくありました。同じヨーロッパといっても北と南では文化圏が違ったのです。

 

 そして、北の国から生まれた技術と南の国から生まれた素材が組み合わさって、新しいものが生まれました。

 

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 ドイツ生まれの油絵技術とイタリア生まれのキャンバスのマリアージュでオイルオンキャンバスが生まれ、ドイツ生まれの活版印刷技術とイタリア&スペイン生まれの紙のマリアージュから書物が生まれました。これは、文化圏の異なる国から生まれたものの新結合、つまりイノベーションに他なりません。多様な文化を包摂することの大切さを教えられる事例です。

 

カトリック vs. プロテスタント

 次なる解きほぐしは、日本人にはなかなか理解しがたいカトリックプロテスタントの対立のお話。実はこの解きほぐしは田中先生の積年の宿題でもあったそうです。

 

 今の田中先生からは想像もつきませんが、まだうら若き頃、外資系コンサルに勤めていたことがあったそうです。当時、外国人の同僚の話に唯一入れなかったのが、カトリックvs.プロテスタントのジョーク。聞いても解説してくれず、

「日本人のお前達にはわかんないよーだ。お前達はクリスマスでも祝っとけ。アッカンベー」

と言われたとか言われなかったとか。その時の田中先生の心中やいかに。

 

仕事の話がわからないのは我慢できても、笑いについていけないのは許せん!人間として疎外されたも同然。ちきしょー、いつか必ずカトリックプロテスタントについて理解してやる~」

 その時、田中先生は心の中でこう叫んだそうです。それから長い月日が流れ、ようやくその誓いが守られたというわけです。それはもう、この解きほぐしへの気合の入りようが違うわけです。

 

 カトリックプロテスタントの対立の火種は聖書の誕生に端を発します。さきほどの北部と南部のマリアージュで書物がうまれたことが聖書の誕生へとつながるわけで、北部と南部の話が先になされたのはこういう理由だったわけです。

 

 聖書の誕生から何がどうしてこうしてと、カトリックvs.プロテスタントの熱のこもったお話は実に20分にも及んだわけですが、要するにこうですとまとめられたスライドはたったの2枚。ここまで簡潔にまとめるには、自分の中でとことん腹落ちしていないとできません。

 

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 カトリックでは、神の教えは教会を通じてなされました。カトリックは「教会へいらっしゃ~い」方式でお布施を集めました。こうして教会組織が拡大すると、今度は相続問題がおこります。規模が大きくなることはいいことばかりではないのはいつの時代も同じです。

 

 この相続問題の解決策として編み出されたのが、なんと「神父は独身」ルール。跡継ぎをつくらなければ相続問題もおきないという発想からできたルールです。それで本当の問題の解決になってるの?と笑ってしまうような話ですが、きっと今の時代のルールも後世の人から見たら笑われてしまうようなことをやってしまっているに違いありません。あー、なんて人間とは何百年たっても成長しない愚かな生き物でしょうか。

 

 それはさておき、カトリック教会が金儲けのために次に編み出したのが免罪符です。お金で罪ほろぼしができるとしたわけです。よく考えたものです。もっと頭をいい方に使ってくれればと思うような悪知恵を働かせるのも時代を超えた普遍的な人間の性なんでしょうか。。。

 

 こうなってくると、こんなやり方をするカトリックに反抗する人間が出てくるのは必然です。それがプロテスタント(反抗する者)です。

 

 プロテスタントの勢力拡大に大きな役割を果たしたのが、かの有名なマルティン・ルターでした。ルターはカトリックの「労働は苦役」という考えへのネガティブキャンペーンとして「労働は善」であると説き、北のイケてない労働者の支持を増やしていきました。そして、聖書があれば教会がなくても神とつながれるとしました。聖書を読むことで、プロテスタント識字率が上がり、自立志向が高まり、ビジネスマインドの形成へとつながっていきました。

 

 田中先生が今、タイムマシンにのって数十年前にもどることができたなら、カトリックvs.プロテスタントのジョークを聞いても一緒にガハハと笑い、

「日本人にもこのジョークがわかる奴がいたのか」

と、外国人同僚に一泡吹かせたことでしょう。

 

 

オランダ独立戦争

 さて、ここからようやくオランダの話です。複雑に絡み合ったオランダの話を理解するには、丹念に糸を解きほぐしていかなければなりません。

 

 オランダの前身であるフランドル地方はスペインの属国でした。フランドル地方を統治していたフェリペ二世はプロテスタントを弾圧します。ただでさえやせた土地に住んで貧しかったフランドル地方の人々は、こんなひどい仕打ちをうけてまで生きている意味があるのかとスペインに反発して立ち上がりました。

 

 兵隊を擁したスペインに、フランドル地方の商売人が戦いを挑んだわけです。田中先生が読んだ当時の日記によると、チーズ屋の親父はチーズ桶をかぶって戦ったと書かれているそうです。戦力からしてスペインの勝利は明らかに見えたものの、この戦いは長く続くことになります。

 

 ライデンの街に籠城した商人たちは街全体を水没させる奇襲をかけて、スペイン兵を追い払うことに成功します。誰が見てもオランダに勝ち目がないと思えるような戦いに勝利したオランダ市民の勇気をたたえ、この日はライデン記念日として祝日になっています。

 

オランダ黄金期とその終焉

 ライデンの地にはスペインへの勝利を記念してつくったライデン大学があり、オランダの誇りとされています。オランダを代表する画家であるレンブラントはこのライデン大学に入学しますが、半年で落ちこぼれて退学し、画家の道を進みます。

 

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 レンブラントの代表作である「夜警」は壁一面の大きな絵で、アムステルダム国立美術館に展示されています。その大きさを写真で残そうとした田中先生は、カメラに写らないようによけようとする警備員の腕をつかんで絵の横に立たせて、シャッターを切ったそうです。

 

 こんな話を聞いていたら迷うことなくアムステルダム美術館に行きたくなりますが、はるか昔に出張でアムステルダムを訪れた時の私は絵画に全く興味がなく、実物の「夜警」を見ることなく帰国してしまいました。あー、なんてもったいことをしてしまったのでしょう。できることなら時計をあの時まで巻き戻したい気分です。田中先生を見習って、いつかこの宿題を果たしたいと思います。

 

 オランダ独立戦争は、いわばカトリック(スペイン)とプロテスタントの戦争であったとも言えます。そうであれば、戦争が終わった後もオランダはカトリック信者と対立が続いても不思議ではありませんが、オランダは宗派に関係なく商売が好きな人を受け入れました。そのおかげで様々な商売好きな人が集まり、結果としてオランダはイタリアに次ぐ商売大国になりました。その秘訣は対立軸を消す寛容の精神にありました。

 

 オランダの黄金期には、世界初の株式会社である東インド会社ができ、世界初の証券取引所ができました。その後、世界初のバブルであるチューリップ・バブルを経験して、オランダの黄金期も終焉を迎えます。

 

 レンブラントの黄金期とオランダの黄金期はシンクロしています。レンブラントが晩年に描いた自画像は自身の晩年の有様を表すかのように醜いものが多いと言われています。

 

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 ロンドンのウォレスコレクション美術館には、レンブラントと息子のティトゥス肖像画が向かい合わせに飾られているそうです。不幸だった親子がせめて絵画は向かい合わせにという美術館オーナーのやさしさではないかというのが田中先生の見立てです。

 

 

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 そして、田中先生のお話の最後に、意外なオランダとして、ジンのルーツはオランダにあり、オランダではジュネヴァと呼ばれる色付きの美味しいお酒であることが紹介されました。イギリス人はジュネヴァを「勇気の酒」と名づけて自国に持ち帰り、模倣したものがジンだそうです。

 

 緊張すると言いながら、話し始めると立板に水を流すように熱く語り続けた田中先生。ゲスト講師のトークが続くにも関わらず、気がつけば残り時間は10分に。。。

 

 

苦手な人とコミュニケーションをとる術

 第2回目のゲスト講師はコーチングをされている河合さん。残り時間10分という過酷な状況の中でも、ポイントを的確におさえて、苦手な人とのコミュニケーションの方法について話してくれました。

 

苦手な人の嫌なところは自分の中にもあります。それが苦手な人に対するイライラの原因です。相手は自分を映す鏡です。苦手な人とのコミュニケーションをとる秘訣は相手を知ること、知れば好きになります。

 

 

田中先生の話はなぜ面白いのか

 

 田中先生が終わりの挨拶をしたと思ったら、

「これがジュネヴァです。オランダで買ってきました」

 

と、おもむろにアルコールの瓶を画面に映し出しました。

 

 

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 さらに、

「皆さんもいつかオランダに行って、ぜひ、飲んでみてください」

と、満面の笑みでジュネヴァを注いだグラスを差し出しました。確かに、無色透明ではなくきれいな赤い色がついています。

 

 今回も、本筋とはちょっと離れた「意外なオランダ」話は、ジュネヴァのグラスを掲げるための仕込みだったわけです。

 

 田中先生の話の面白さは、オランダ中世時代の人々の生き方を地政学、宗教、戦争、商売、絵画などから多面的に浮かび上がらせてくれるからです。あるものごとをひとつの切り口から語る専門家はたくさんいますが、田中先生は、ものごとがすべてつながっているものとして語ります。ですから、聞いている私達はものごとを立体的にとらえることができるのです。

 

 若き日の田中先生のエピソードから、田中先生がいかに「笑い」にこだわっているかも知ることができました。ところどころに笑いの小ネタを仕込ませる演出の理由はこれだったのです。