コロナウィルスに負けない不安攻略法

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3月におこなわれた孫子女子勉強会は初の完全オンライン開催。勉強会の出だしの話題はもちろんコロナウィルス。コロナ騒ぎの終わりはいまだに見えませんが、勉強会が終わる頃には気持ちの中ではコロナ騒ぎが吹き飛んだかのようにすっかり明るい気分になりました。

 

 

初の完全オンライン勉強会

コロナウィルスの影響を受けて、3月の孫子女子勉強会もご多分にもれずに完全オンライン勉強会として開催しました。これまでも会場からZoomでつないで遠地からもオンライン参加する形をとっていたので、急遽の完全オンライン開催のアナウンスにも、誰一人あたふたすることなくスムーズに開催できました。まるで、この日のためにZoom開催の予行練習をしてきたかのようでした。

 

 かくいう私も実はZoomでの参加は初めてのことだったので、事前に家族とZoomでの動作確認をしました。現実は想定とは異なるの原則をすっかり忘れて、準備万端のつもりで当日を迎えました。オンライン参加に必要だったのは、Zoomで接続するソフトウェア環境だけでなく、勉強会に参加する物理的な環境の確保でした。家族が生活している家の中で、しかも夕食の時間帯と重なるタイミングで、勉強会に集中できる場所の確保は意外と難しいものでした。

 

 なんとか居場所をつくりだして、オンライン勉強会に参加しました。初めての全員Zoom参加の勉強会は新たな発見ももたらしてくれました。自宅からの参加でグラス片手に参加した人や、子どもと一緒に参加したした人など、オンラインならではの参加方法が見られました。新出単語が出ると、ささっと検索してチャット画面でURLが共有されるのもオンラインの特徴が活かされた使い方でした。会場参加では視線がレジュメが投影されたスクリーンだけに集中しがちですが、オンライン参加で画面を見ていると、他の仲間がうなづいている様子も見ることができて、一緒に学んでる感を感じることができました。

 

 オンライン勉強会唯一の問題は、会場退出時刻という強制力がないため、予定終了時刻がきてもいつまでも話が尽きずに終わりづらいことでした。

 

DoingとBeing

開始時刻にオンライン上にいつもよりも多めの参加者が集ったところで勉強会は始まりました。今回の勉強会に田中先生が用意してくれた1枚レジュメのタイトルは「コロナ騒ぎを吹き飛ばせ」。

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 勉強会の数日前までヨーロッパに出張中だった田中先生からのコロナウィルスに関する話題提供から始まりました。

 

「2月20日に日本を出発して3月9日に帰国しました。帰国したら、3週間で世界が変わっていました。ヨーロッパではコロナをそんなにびびってはいません。やるべき対策をやって楽しく過ごしています」

 

 それとは対照的に、やめよう、延期しようという日本の停滞した空気に驚いたそうです。そこには、ウィルスにかかるのが嫌というより、ウィルスにかかってしまった時に、会社にあるいは上司になんて言われるかを気にしている心理があるのではないかという議論をしました。

 

 ここで今日の孫子の兵法の一説が提示されました。

戦勝攻取してその功を修めざるは凶なり。これを名付けて費留という

 

 目先の勝利を得ても、なぜ戦うかの大きな目的を達成できなければ、骨折り損のくたびれもうけであるの意です。

 

 この教えは、短期的勝利と長期的平和を分けて考えることの大切さを説いています。これを人の生き方にあてはめて考えるならば、Doing(何を行うか)とBeing(いかに生きるか)を区別せよになります。孫子女子勉強会ではすっかりおなじみになった、DとBの違いが今回も登場です。

           

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                                                      孫子女子勉強会のBeing

 

 今回の孫子勉強会のオンライン開催についても、ウィルス感染を恐れてのことではなく、この状況下だからこそ中止にせずにオンラインでも開催しようという姿勢の表れでした。コロナウィルス騒動のおかげで、孫子女子勉強会のBeingがはっきりと認識できました。

 

 

「~のために」は危険ワード

話題はさらにコロナ騒ぎのひとつとしておこっているトイレットペーパー買い占めに広がりました。お店のトイレットペーパーの棚が空になっている写真をネットにあげている人は、「他の人のために」状況を知らせようという善意の気持ちであろうけれども、それがさらに不安を広げ、ますます買い占めがおこるという悪循環について考えました。

 

 「~のために」の言葉は本当に誰かのために言っているのだろうか、行為への帰結の想像力を欠いてはいないだろうか、と。「~のために」は、自分が言った時にも、人から言われた時にも、どこか違和感を覚えた記憶がある言葉です。違和感は私だけでなく、誰もが感じていたことでした。そして、「~のために」は、孫子女子勉強会では危険ワードと認定されました。

 

 勉強会後に、ゆえあって行動経済学を学びなおしていたところ、「~のために」が危険ワードである理由が見つかりました。

 

利他性には2つのタイプがある

純粋な利他性: 他人の幸福が高まることが、自分の幸福度を高めるもの

ウォーム・グロー: 自分が他人のためにする行動や寄付額そのものから幸福感を感じるもの

 

 私達が認定した危険ワード「~のために」は、ウォーム・グローのことでした。自分が言う時も、人に言われた時も「~のために」は、ウォーム・グローの場合があることの留意が必要です。

 

β値を下げろ

今回のコロナ騒動で、飲食店や旅館業は大きな打撃をうけていることは、すでにニュース等でも報道されています。確かに自粛ムードが高まり、外に出る人が少なくなれば、外食産業や観光業は大きく影響を受けることは想像に難くありません。

 

 けれども、すべて一律に同じ影響を受けているわけではありません。この騒ぎになってからも、コロナの影響などないかのように、あるお店には相変わらず行列ができていました。今回のコロナ騒動が明らかにしたのは、本当にお客様に必要とされていたかどうかなのかもしれません。

 

 大企業の社員が受けているコロナの影響は、今はまだ、テレワークが推進された程度にとどまっているかもしれません。勉強会の中で、大企業の中にいると社会の変化に気づくのが鈍くなることも話題にのぼりました。

 

 ここで、会計業務をしない会計士の田中先生が会計士であることを思い出させてくれるような説明が飛び出しました。

「株の世界にβ値というものがありましてですね。日経平均と個別銘柄の株価の連動性を示す指標なんですが、β値が高い銘柄は日経平均に連動して株価が上下するんです」

 

 さらに、β値で人生を考える説明が続きました。

「これまではいい会社に入ることがいい人生を送ることだとされていました。自分と会社の関連性が高い、つまりβ値が高いことがいいとされてきたんです。これからは、自分と会社のβ値を下げなければなりません。会社にふりまわされず、自分のBeingに従って生きなければなりません」

 

 まるで示し合わせたかのように、Zoomの画面上で全員がシンクロして大きくうなづきました。「会社以外にもうひとつ自分の場所をつくろう」という田中先生のメッセージが画面越しのそれぞれの参加者の心に静かに深く響きました。

 

コロナウィルスに負けない不安攻略法

初の完全オンライン勉強会を終えた後、私の頭の中では、コロナウィルス、不安、Doing、Beingなどのキーワードがぐるぐる回っていました。いつものように、それらを抱えたまま日々を過ごしているうちに、キーワード間のつながりが見えてきました。

 

 コロナウィルスを起点とした不安が生じるメカニズムはつまりこうです。これがわかれば、コロナウィルスに負けないメカニズムも自ずから見えてきます。

 

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         不安になるメカニズムとコロナウィルスに負けないメカニズム

 

 コロナウィルスによって制約が生じ、それによって行動、つまりDoingの一部が制限されます。ここまでは個人ではどうすることもできません。問題はそこから先をどう考えるかです。Doingの一部制限をDoingの制限と考えてしまい、さらにBeingも制限されると考えてしまうことにより、コロナウィルスにがんじがらめにされたように感じて不安が生じます。

 

 不安の正体がわかれば、攻略法も自ずから見えてきます。本当は、Doingの一部が制限されることはあっても、それは一部であって全部ではありません。ですから、Doingの一部は自由なままです。Beingにいたっては全く制限されることはありません。なぜなら、そもそもBeingとは環境変化に関係なくいかに生きるかを問うものだからです。したがって、Doingの一部は自由であり、Beingは完全に自由であるわけですから、不安など感じることなくBeingのままにDoingすることができます。

 

 コロナウィルスを所属組織に置き換えても全く同じ構図が成り立ちます。組織に所属することによって何らかの制約が発生し、それによってDoingの一部に制限がかかることは不可避です。だからといって、Beingまで所属組織の制限を受けるわけではありません。Beingにまで制限を自分でかけてしまうと、所属組織とのβ値が高まってしまいます。

 

 周囲に振り回されずにBeingのままにといっても、ついつい周囲の声の大きさに流されてしまいそうになるのが人の世の常です。そこからBeingに立ち戻ることを思い出させてくれるのが仲間です。

 

 コロナ騒動によって、今まで当たり前に続けてきた中で本当に必要なものは何かがあぶり出されました。孫子女子勉強会も例外ではありません。何がおきても楽しく生き抜くために本音で語り合える仲間こそが孫子女子勉強会の真髄でした。コロナ騒動のおかげで「孫子女子勉強会はつづくよどこまでも」の確信はより一層高まりました。