学びたいことしか学べない

「面白そう」の直感に従うことに間違いはない。そう教えてくれたのが1月から通い始めた早稲田大学エクステンション講座「クラシック音楽全史」でした。講座自体の面白さはもちろんのこと、思わぬ方向から得られた学びがまた面白くて、書かずにはいられなくなりました。

 

 

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社会人のための必須教養講座「 クラシック音楽全史」

早稲田大学エクステンション講座に関心をもったのは、孫子女子勉強会講師の田中先生が絵画の講座を受け持っていたことからでした。スキルが身につく役立つ系でもなく、趣味として楽しむだけでもなく、そのどちらでもない学びの奥深さと面白さ孫子女子勉強会で知り始めたところに、早稲田大学エクステンション講座の冬学期に面白い講座があるという話を聞いたものですから、これは面白いことがおこるに違いないと受講を決めました。

 

 講師は音楽プロデューサーの松田亜有子先生。第2回のテーマは「印象派の登場 ドビュッシー」でした。音楽史ではベートーヴェンの死後~1900年頃までがロマン派と呼ばれ、作曲家と演奏家が独立し、ピアニストや指揮者といった専門職が生まれ、鉄道の敷設によって音楽家が移動して演奏するようになるなど、当時の音楽家をとりまく環境の変化が語られました。続いて、ドビュッシーの作品に影響を与えたものとして、北斎の浮世絵や日本の陶器、同時代を生きた詩人のポール・ヴェルレームやマラルメ印象派の絵画が紹介されました。

 

 さらには、ドビュッシーの音楽をドイツ音楽を代表するベートヴェンの音楽と対比した解説の後に偉大な作曲家の2曲を聴き比べることで、ドビュッシーベートーヴェンの音楽の違いや、ドビュッシーが音楽における印象派であることが感覚として理解できました。

 

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         フランス音楽とドイツ音楽の対比

 

 この後に聞いた亜有子先生の言葉は、理屈抜きに染み入るようにすーっと入ってきました。

音楽は言葉です。フランス語はささやくように聞こえ、ドイツ語がアクセントに特徴があるように、その違いはフランス音楽とドイツ音楽にも表れています」

 

 ドビュッシーについての話はまだまだ続きます。今では日本人である私達も、音階といえば「ドレミファソラシ」の7音階だと思っていますが、日本を含む東洋の音階は「ドレミソラ」の5音階だそうです。ジャポニスムに影響を受けたドビュッシーの曲は5音階と全音階からなり、それがクラシック音楽に新しい扉を開いたと言われているそうです。

 

 ドビュッシーといえば交響詩「海」が有名です。その楽譜の表紙には葛飾北斎の浮世絵「神奈川沖裏浪」が使われていますが、ラヴェルも同じ浮世絵にインスピレーションを受けて「洋上の小舟」という楽曲をつくっているそうです。同じ浮世絵からインスピレーションを受けて作曲しても、ドビュッシーラヴェルの着眼点も曲想も違うところがなんとも興味深い限りです。

 

 亜有子先生の圧倒的な知識をもとに、ドビュッシーという一人の作曲家について、生きた時代環境と楽曲が生まれた背景が重層的に語られ、もうこれだけで美味しい料理をおなかいっぱいに食べたような気分でした。「面白そう!」という直感に従って受講を決めて良かったと心底思いました。

 

 

受講後の懇親会

2回目の講座が終わって外に出ると、寒風が吹きすさび、思わず「寒い~」と声に出さずにいられませんでした。本来ならば早く家へと足が急ぐ状況ですが、寒さに肩をすくめながら駅までの結構な距離を歩いた上に、駅の反対側まで足をのばしてお店に入ったのでした。その理由は、同じ講座を孫子女子仲間が受講していたからです。

 

 気心の知れたメンバーで駅に向かう道すがら、さきほど受けた講義についてそれぞれの口から出てくる思ったままの言葉で会話をかわしていると、寒さも心なしかやわらぐような気がして、ごく自然にお店に向かったのでした。

 

「私、大学でフランス語をとったんだけど、なんだかあわなくてドイツ語に変えたのよね。音楽は言葉というお話を聞いて、ベートーヴェンが好きな理由が今日わかったわ」

 

「作曲者の気持ちまで楽譜に書き入れてるなんて驚きました」

 

「みんな、それぞれに学んだことが違うんですね」

 

ドビュッシーラヴェルが同じ浮世絵を見ても違う楽曲をつくったように、同じ講義を受けても学ぶことは違うんですね」

 

 ドビュッシーを学んだ後はフランス料理がマッチしたのでしょうが、残念ながら入れそうなお店がなくて、講義の内容とはまるで関係のないタイ料理のお店に入りました。タイ料理をほうばりながら、店内に流れるエキゾチックなタイの音楽にひたりながら、

「この音楽は何音階なんでしょうねえ」

と、やっぱり講義の内容にちなんだ言葉が口をついて出てきました。

 

 今日の講義で聞いたドビュッシー自身の演奏はどうやって記録されていたのだろうという疑問に端を発して、音楽を記録するレコードの話になり、初めて買ったレコードやよく聞いていたレコードの話題へと展開しました。孫子女子勉強会後の懇親会では音楽の話題が出ることはあまりなかったなあと、それぞれの新しい一面が垣間見えた楽しい懇親会でした。

 

 懇親会を終えて足早に家へと向かっている時は、まさかここから先にさらに深い学びがあるとは思ってもみませんでした。

 

学びたいことしか学べない

翌日、一緒に講義を受けた孫子女子仲間の板谷さんがこの日のことをFacebook投稿していた記事を見ました。昨夜のことを思い出しながら、うんうんと頷きながら読み進めていったのですが、最後に出てきた「タイ音楽にどっぷり浸かり爆笑の学び定着会」のくだりを読んで、「定着会」の単語で視点がピタリと止まりました。

 

 そして、懇親会ではなく定着会という視点でもう一度振り返ってみると、あの日の出来事から、学びの4つの重要な要素が浮かび上がってきたのです。

 

 

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          学びのInputとInspiration

 

 1つめの要素はいうまでもなく「Input」です。私達は教室で亜有子先生から、ドビュッシーについて量的に十分なだけでなく、心が踊るような質の高いInputをいただきました。

 

 2つめの要素は「Inspiration」です。私達はInput情報をすべて平等に受け取っているわけではありません。Input情報から自分なりに選択しています。自分が学びたいと思っているものにInspirationを与えてくれる情報を選択して受け取っています。InspirationはInput情報と自分の中にある学びたいことをつなぐものですから、それが何かを自分では意識していなくても、自分の中に学びたいと思っているものを持っていなければ、どんなに質の高いInputを受けてもInspirationを得ることはできません。それゆえに学ぶこともできません。学びたいことは人それぞれに違うので、同じ講義を聞いても、選択して受け取る情報は人それぞれに違います。そう、講義からの帰り道での会話で「みんな、それぞれに学んだことが違うんですね」とあったように、それぞれに学びたいことが違ったから学んだことが違ったのです。

 

 

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            学びのOutput

 

 3つめの要素は「Output」です。講義を聞いただけで終わってしまうと、講義から自分が何を学んだのかがはっきりしないままになりがちです。講義の後に言葉を発してみると、そこには必ず自分が学んだことが反映されています。ここで重要なのが、構えて言葉を発することでなく、自然に言葉が出てくる状況であることです。今回の場合、孫子女子仲間と一緒に学び、講義後の時間をともにすることで、自然と言葉が出てくる状況がつくられました。学んだことを自然にOutputができる場になっていたのですから、それは懇親会でもあり、定着会でもあったというわけです。いい仲間とともに学ぶことがいかに大事かを気づかせてくれたのは、「定着会」という言葉でInspirationをくれた板谷さんでした。

 

 

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                       学びのReflection 

 

 4つめの要素は「Reflection」です。Reflectionすることで自分がOutputした内容から自分が学びたいことを知ることができます。Inspirationを得た時点では何かはっきりしなかったものもOutputすることで浮かび上がってきます。これがわかれば、その学びたいことをさらに自分で深く掘っていくことができます。

 

 学びの構造を4つの要素で整理してみると、学びについて見えてくることがあります。人はどんなInputを得ようと、学びたいことしか学べないのです。別の見方をすれば、どんなことからでも学びたいことは学べます。学びたいことがわからないから学べないというのは正しくありません。学びたいことは学んだ後に事後的にわかるのです。ですから、学びたいことを学ぼうという姿勢よりは、学びの4つの要素を意識しながら、面白そうな学びの場に身をおくようにすればいいのです。

 

 学びの構造が整理できたことで、次回の講義と定着会がますます楽しみになりました。