Bの学びがおこるとはどういうことか

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2019年は、孫子女子勉強会に参加するたびにBの学びについて考えてきました。まるで1年のテーマとして、Bの学びが与えられていたかのようでした。2019年最後の月に出かけた「ビジネス×アート」イベントで、ようやくBの学びが腑に落ちた気がします。

 

 

ビジネス×アートのイベント

タイトルも定かではないイベントに行ったのは2019年12月3日(火)の夜のことでした。タイトルが定かでないと書いたのはこういうことです。

 

田中先生のFacebook告知:

 お笑い系アートイベント

 会計士と落語家と画商とコンサルタントによる『ビジネスマンのためのアートを楽しむ夕べ』

 

申込後のリマインダーメール:

 会計士・落語家・画商・コンサルタントが集まるイベント

 

イベント会場の貼り紙: 

 「ビジネス×アート」4人会

 

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   イベント会場の貼り紙

 

 媒体によってイベントタイトルがてんでバラバラだったのです。そんなイベントに出かけていった理由は、この登壇者で面白くないわけがないと直感したからです。

会計士: 田中靖浩(孫子女子勉強会の講師)

落語家: 立川晴の輔

画商: 山本豊津(東京画廊代表取締役社長)

コンサルタント: 御立尚資(BCG前日本代表)

 

 ここのところ「ビジネス×アート」のイベントや出版が増えていて、ビジネスとアートの関係が気になっていたことも参加した理由のひとつでした。

 

 イベントの感想を一言で言うと、会場に集まった孫子女子勉強会仲間が口を揃えて言ったように「楽しかった」に尽きます。楽しかった内容は何だったのかと聞かれると、私の力量ではとても書けないのです。パワーポイントにそって順序よく論理展開された話なら文章で表現することもできたかもしれません。けれでもこの日繰り広げられたのは、登壇者から登壇者へキーワードのバトンが受け渡され、キーワードを受け取った登壇者が自身の叡智をもとに思わぬ方向に話題を広げていく展開でした。ビジネスとアートに関わる内容であったことは確かなのですが、バックグラウンドの異なる登壇者がゆえにそれぞれに異なる切り口から語り、展開は終始発散的で、どこに向かっていくのかもわからず、オチもなくでした。その多様性と即興性が楽しかったのでしょう。

 

 イベントが終わって登壇者を交えた懇親会場に向かう途中で、孫子女子勉強会仲間に「ブログ楽しみにしてるね」と声をかけてもらいましたが、「これをブログに書くのは無理!」と即答しました。孫子女子勉強会もかなり発散的な内容ですが、それでも主たる話題提供者が田中先生一人なので、何がしかの筋道が見える感触をもてるのですが、この不思議な4人のイベントが終わった後は1本の筋道につなげられる感覚をもてず、とても書けないと思っていました。

 

 

イベント後におこったBの学び

イベントの翌日はよく晴れていて、飛行機から富士山がくっきりと見えました。

 

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     イベントの翌日に飛行機から見た富士山

 

「ああ、やっぱり富士山は美しい。何度見ても美しい。何度見てもまた見たいと思う」

心の中でそうつぶやきながら富士山に見とれていた時、ふいに昨夜のイベントのことを思い出しました。落語も富士山と同じだなあと。聞いたことのある噺でもまた聞きたくなるところが。それならば絵画も同じだなあと。見たことがあってもまた見たくなるところが。この共通性は何だろうと勝手に思考が動き始めて、繰り返しの体験を欲するものがアートなのかもしれないと自分で答えを出していました。

 

 富士山を見て落語や絵画を連想するなんて思ってもみませんでした。これまでは、富士山を見てもこんな連想は一度もおこりませんでした。きっと前夜のイベントで落語を聞き、アートの話を聞いた余韻のままに富士山を見たことで、私の中で富士山と落語と絵画がアートという共通性でつながったのでしょう。

 

 それ以降の2~3日はイベントのことをすっかり忘れていました。正確に言うと、忘れていたと思っていました。それが不思議なことに、イベントから数日経った頃、御立さんが語った

ビジネスとアートは根っこでつながっている

という言葉が意識にあがってきていることに気がつくようになりました。そうなると、ビジネスとアートがどうつながっているのか気になってしかたなくなりました。

 

 もともとビジネスとアートの関係に関心があったこともあって出かけたイベントでした。それらしきタイトルのイベントで、それらしき登壇者のイベントでしたが、イベントで語られたことの中に、ビジネスとアートの関係はこうですとはっきりと語られることはありませんでした。イベントの場で紡ぎ出される言葉に耳を傾けているうちに、それを知りたかったことすら忘れてしまっていました。それなのに、イベントが終わってからしばらく時間が経過してから、

ビジネスとアートがどうつながっているのか?

が、何となく知りたいから問いに変わっていたのです。

 

 私の中ではっきりとした問いに変わってからは、その問いがつねに意識下にあるようになりました。かといって、何かを調べたり、ずっと考え続けたりというわけではなく、カバンに入れて持ち歩いているような感じでした。そんな状態で問いに対する答えが出るとも思えませんでした。けれども、何かを見たり聞いたりした時に、無意識のうちに、これは問いに関係あるかもと思っている自分がいました。ただぼんやりとそう思う程度で、それを深く掘り下げようとはせず、時間が経つにつれて問いに関係があると思ったことも意識から遠のいていきました。

 

 ある日の朝、通勤電車で本を読んでいた時のことです。ふと本から顔をあげた時に、

問いが大事とは言われるけれど、問いの何が大事なんだろう

という疑問が唐突に降ってきました。そこから、急速に思考が回転し始めました。

 

「問いで大事なことは、『どんな問いか』よりも『自分で立てた問いか』ではないだろうか。なぜなら、自分で立てた問いは自分の内側から湧き上がってきた問いであり、どうしても知りたいという欲求に突き動かされて、その問いについて考え続けることができるから

 

 ここでとまらず、

「アートは問いでありデザインは問題解決」

という言葉を思い出して、あの富士山を見た時の感覚ともつながって、さらに思考が動いていきました。

 

「自分で立てた問いは繰り返し考え続けることができる。その理由は論理では説明できない無意識的な欲求である。

 

 富士山を見た時、富士山と落語と絵画の中に共通性を見出して、アートは繰り返しの体験を欲するものだと自分で答えを出した。その時は、繰り返しの体験を欲する理由は自分が美しいと思うことにあると暗黙のうちに考えていた。

 

 自分で立てた問いも繰り返しの体験を欲するものに加わったということは、自分で立てた問いもまたアートだということができる。そうならば、問いを考え続ける無意識的な欲求とは自分が美しいと思うことに駆動されているのではないか。これを美意識というのではないか 

 

「ビジネスにおいて大事なことは、自分で問いを立て、その問いに答えを出すことである。自ら立てた問い、アートな問いでなければ、答えを出すまで考え続けることはできない。自らの美意識がなければ問いを考え続けて答えにたどりつくことはできない。つまり、ビジネスには美意識が必要なのだ

 

 それまで回転していた思考がピタリととまり、その瞬間に、自然と目を大きく見開き、あごをあげて目線を上げ、ハッと息を大きく吸い込みました。私の中でビジネスとアートがどうつながっているかが腑に落ちた瞬間でした。この時の感覚は、例えるならば、絶景に出会った時のような感覚です。言葉が出るよりも先に体が反応してしまうあの感覚です。

 

 

Bの学びがおこるとはどういうことか

私が体験した学びはまさにBの学び(知りたいという欲求から生じる学び)でした。ビジネス×アートのイベントに参加したことが起点となった学びでしたが、そのイベントの最中に私におこったことは、いくつかのキーワードを拾ったことと、楽しんだことだけでした。イベント直後には、ブログに書けることは何もないという状態でした。けれども今から考えると、このイベントでBの学びの種が蒔かれていたのです。

 

 Bの学びの種とは、一つのテーマについてわかりやすく筋道立てて知識を教えることではなく、本質的なキーワードを散りばめて、何だかわからないけど面白いと思わせることなのかもしれません。この何だかわからないというところが肝です。わからないけれどキーワードは散りばめられているという間のとり方があるからこそ、わかりたくなるのです。

 

 異なる、それも普通では交わらないようなバックグラウンドをもつ複数人からの話を同時に聞くと、何だかわからない状態になりやすくなります。会計士と落語家と画商とコンサルタント、それぞれの視点から語るので、ビジネスとアートのことが何だかわからなくなります。それを自分の頭の中でいい感じに混ぜ合わせると、バラバラに思えた話から鮮やかなつながりが見えてきます。先月の孫子女子勉強会で学んだ印象派の筆触分割と同じ原理です。

 

 肥沃な土地に種が蒔かれれば、根を生やし、芽が出てきます。学び手がBの学びモードになっている時にBの学びの種が蒔かれれば、Bの学びが起動します。役に立つ知識を得ようとする姿勢ではなく、何だかわからないものを面白いと受け入れた後に、自分の頭で混ぜ合わせると、自分の中に問いが生まれてきます。こうなれば、勝手に思考が動き始めていきます。意識しなくても、何を見ても関係ありそうなものを自然と拾って、つながりを見つけようとします。ふとした瞬間に、「そういえば・・・」と、ずいぶん前に聞いた話や読んだ話を思い出して関連づけていきます。

 

 そして、ある日突然に、すべてのピースが揃ってピタっとはまるように、問いに対する答えが見つかります。その瞬間の快感は先に書いたように、目の前に絶景が広がるような感覚です。たとえ、その問いや答えが世界で初めて見つけられたものでなくてもいいのです。すでに誰かが言っていることだとしても、自分自身の思考を通して答えにたどりつくことは特別な意味をもちます。その思考プロセスを経たことで世界の見方が変わりますそれがBの学びの面白さなのです。

 

 問いに対する答えが見つかって終わりにするのはもったいないのです。そこでとまってしまうと、やがては、問いも答えも、答えを出すまでのプロセスで自分の中に何がおこっていたかも忘れてしまうからです。私は、ここから、もうひとつのBの学びを始めます。自分が何を学んだのか、学びのプロセスで何がおこったのかを内省し、ブログに綴ります。自分におこったことではありますが、さらりと言語化できるわけではなく、それを表すのに最もふさわしい言葉を見つけるために何度も試行錯誤するなかなかに苦しい時間を過ごします。それでも書くのは、自分の学びに意味づけをして書き記しておきたいという衝動にかられるからです。最もふさわしい言葉で残したいという美意識に駆動されているからです。つまりは、ブログを書くこともまたアートなのだと気づかされます。

 

 今回ばかりは書けないと思っていましたが、「ビジネス×アート」イベントからずいぶん時間が経ってしまいましたが、ようやくイベントを起点にしたBの学びをブログに書くことができました。このブログを書いたからといって日々の仕事にすぐに役立つことはおそらくないでしょう。けれども、絶景を見た人は再び絶景を見たいと思うように、Bの学びを経験した人は再びBの学びを経験したい欲求がわいてくるのです。来年もまたBの学びができる場に出かけて、その学びをブログに綴っていこうと思います。