わからなさへの向き合い方

「知りたいには2種類あるのではないか?」10月の孫子女子勉強会に参加して、私の中に生まれた問いがこれでした。10月の孫子女子勉強会は勉強会仲間のスペシャルニュースに湧きました。いつものように孫子の一節をとりあげることもなく、発散的な話題の展開で終わりました。だからといって、楽しかっただけに終わらず、何がしかの問いが生まれるのが孫子女子勉強会たる所以です。

 

 

孫子女子勉強会のスペシャルニュース

スペシャルニュースの1つ目は、11月発売予定の田中先生の新刊でした。著作多数の田中先生の新刊が出ること自体は驚くべきことではありませんが、初めての翻訳本でしかも絵本という発表に会場にどよめきがおこりました。

 

 しかも、なんとなんと勉強会仲間でヒューストン赴任中の大加瀬さんとの共同翻訳だったのです。それを聞いた私達は驚くやら嬉しいやら。それを聞いた途端に会場がぱあっと明るい雰囲気になり、大きな拍手に包まれました。

 

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         共同翻訳者の大加瀬さん

 

 今回もヒューストンからZoomで参加していた大加瀬さんから、初めての翻訳に挑戦した際のエピソードとともに、翻訳するひとつの言葉を選ぶことにどれだけの重さがあったかが語られました。勉強会仲間の思いもかけない活躍ぶりと、しかもそれがこの勉強会での田中先生と大加瀬さんの出会いがきっかけとなったことは、本当に嬉しいニュースでした。

 

 2つ目のスペシャルニュースは、男性でありながら女子限定の孫子女子勉強会の参加者として公認されている越後屋さんの大きなキャリアチェンジのお知らせでした。こちらのニュースにももちろん大きなどよめきと拍手がわきおこりました。田中先生からそのニュースの紹介とともに、こんなコメントがありました。

「2人で会う時にはこの孫子女子勉強会のこともよく話題になります。この勉強会に参加してよかったと。きっとこの勉強会に参加したことも今回の大きな決断に影響していると思います」

 

 

 田中先生と越後屋さんの出会いは田中先生の講演会。講演後に越後屋さんがナイスな質問をしたことから、田中先生との交流が始まったそうです。

 

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     田中先生とキャリアチェンジした越後屋さん

 

 いつもは後ろの席に座って、ジャストなタイミングでお茶やお菓子の準備をして、私達をもてなしてくださる越後屋さんが、田中先生の横に座って、孫子女子勉強会以外の勉強会に参加して感じたことを話してくれました。お話を聞いた勉強会は、孫子女子勉強会とは真逆と言ってもいいほどに楽しくなさげでした。楽しくないものは当然続かず、自然消滅してしまったとのことです。楽しくない勉強会に自主的に集まって参加した人たちは、一体何を知りたかったのだろうと私の中に疑問が芽生えました。

 

 

知りたいの意味

スペシャルニュースの共有がなされた後は、田中先生からの話題提供がありましたが、いつものように孫子の一節をテーマにとりあげての内容ではありませんでした。

 

 プロジェクタの画面に映し出された1枚のスライドには数字の列が並び、列の最後には□が書かれていました。数字の列はある一定の法則に従っているように見えました。見た瞬間に高校数学で習った数列を想起しました。田中先生から、問いかけがありました。

「この□に入るのは何だと思いますか?」

 

 高校数学の数列の問題だとしたら、そこに入る数字には1つの正解があります。が、この場合の答えは「わからない」でした。これまでの経験則では次はこうなるであろうと予測できたことがこれからも起こるとは限らない、つまり未来は誰にもわからないという例として、この数字の列が示されたのでした。

 

 これまでに経験したことのない大雨が降り、日本に甚大な被害をもたらした台風19号が過ぎ去った直後ということも手伝って、私達は誰もが「これから先のことはわからない。世の中には答えがわからないことがある」と深く共感したものでした。

 

 この同じ話を田中先生がとある講演会でしたところ、講演会終了後に、こんな質問をした人がいたそうです。

「ところであの□に入るものの答えは何ですか?」

 

 この話を聞いて、「世の中には答えがわからないことがあるという話を聞いたにも関わらず、答えを知りたいというのは何を意味しているのだろう」と、私の関心はさらに深みへと導かれたのです。

 

 私達が勉強会に参加している動機のひとつに、確かに「知りたい」ということがあります。けれども、それは、講演後に田中先生に質問した人の知りたいとは明らかに違う気がしました。そして、私の中に、「知りたいには2種類あるのではないか?」という問いが生まれたのです。それに対する答えはすぐに見つかるものではありませんでした。この問いの答えのわからなさを抱えたままに日常の出来事を眺めているうちに、わからなさへの向き合い方に鍵があるのではないかと考えるようになりました。

 

 

わからなさへの向き合い方

わからないことに遭遇した時に取り得る対応方法は2つです。

1.わからなさを抱えながら過ごす

2.とりあえず決めて前に進む

 

 1.  は、今すぐに何らかのアクションが必要でない場合の対応方法です。何かのアクションがすぐに必要でなく、わからないなら、そのわからなさを抱えるしかありません。人間は、結果のいい悪いに関わらず白黒はっきりさせたいという習性をもつ生き物です。わからないことにストレスを感じる生き物です。ですから、わからなさを抱えて過ごすには胆力が必要になります。

 

 「ところであの□に入るものの答えは何ですか?」と質問した人は、わからなさのストレスに耐えられなかったのではないでしょうか。□に入るものを知ったからといって、その人の生活に影響があるとは思えません。わからないものをわからないものとして抱えることができず、どうしても答えを知りたいという欲求に抗えずに質問をしたのではないでしょうか。

 

 わからなさを抱えるというのは確かにストレスフルではありますが、わからなさ、言い換えれば、ある種の問いを抱えることによって見えてくるものがあるのも事実です。今回の私がまさにそうでした。「知りたいには2種類あるのでは?」という問いを抱えて過ごさなければ、このブログは書けませんでした。

 

 2.は、わからないことだらけでも、今すぐに何らかのアクションが必要な場合の対応方法です。何はともあれアクションが必要なわけですから、わからないなりにも、とりあえず決めること、決めたことに従って前に進むことが必要です。わからない中で決めることも、そうやって決めたことに従って進むことも、リスクと言えばリスクには違いありません。けれども、わからないからといって立ち止まってしまうというのでは、アクションが必要な場面においては、もっと高いリスクになります。

 

 とりあえず進んでみれば、それが良かったのか悪かったのかが見えてきます。進む前には見えなかった新たな選択肢が見えてくることもあります。つまり、進む前にはわからなかったことがわかるようになるわけです。わかるということは、アクションする前ではなく、アクションした後におこるものなのです。

 

 初めての翻訳にチャレンジした大加瀬さんも、わからなさを抱えながらの翻訳作業だったに違いありません。わからなさを抱えながらも翻訳作業を進めたことで、翻訳とは言葉を単に他国語の対応単語に置き換えることではないということがわかったに違いありません。

 

 現代はVUCAの時代と言われます。わからないことだらけの時代を私達は生きているわけです。わからなさへの向き合い方が問われる時代を生きています。それに対する心構えを整理できたのは大きな収穫でした。私が孫子女子勉強会に参加して知りたいのは、世界の整理の仕方なのだということもわかりました。こんな風に思いもよらない方向への学びを得られるのが、孫子女子勉強会の面白さなのです。