異文化に身をおくということ

アメリカ人男性と結婚してカルフォルニア州に住む友人を訪ねたのは、かれこれ4ヶ月ほど前のことでした。私がアメリカに足を踏み入れたのはこの時が初めてでした。友人の家を訪ね、いくつかの観光地をめぐる旅を一緒にしました。アメリカ旅行で得られたのは異文化と出会うことの衝撃でした。

 

 

地理的条件とマインドセット

アメリカ旅行の行き先は、友人とメールでやりとりしながら決めました。アメリカで行きたいところを聞かれましたが、特に思いつかず、世界の行きたいところリストを作っているらしい娘に聞いて返ってきたのが「アンテロープキャニオン」でした。その時、初めて、アンテロープキャニオンのことを知りました。ネットでアンテロープキャニオンを調べて、ここに行くことをはじめに決めました。それならばと友人が案を出してくれて、ラスベガス空港からレンタカーを借りて3つの国立公園とアンテロープキャニオンをめぐる旅のプランが決まりました。

 

  • ラスベガス空港→ウィリアムズへ移動(ウィリアムズ泊)
  • グランドキャニオンサウスリム観光
  • グランドキャニオン → ペイジへ移動(ペイジ泊)
  • アンテロープキャニオン、ホースシューベント観光
  • ホースシューベント → パンギッチへ移動(パンギッチ泊)
  • ブライスキャニオン観光
  • ブライスキャニオン → トカーヴィルへ移動(トカーヴィル泊)
  • ザイオン観光
  • ザイオン → ラスベガスへ移動(ラスベガス泊)

 

 グランドキャニオン、ブライスキャニオン、ザイオンは、行くまでに想像していたものとはかけ離れたスケールの大きさに圧倒されました。

 

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                       グランドキャニオン国立公園

 

 グランドキャニオンは言うまでもなくアメリカを代表する国立公園で、何度も写真で見たことがありましたが、写真で見たものとは同じでもあり全く違ってもいました。確かに、カメラレンズのフレームにおさまる部分を切り取ってみれば、写真で見た通りなのですが、その壮大なスケールはその地に立ってみないとわからないものでした。何しろ、深さは約1.2kmもあり、長さにいたっては約450kmにも及んで東京から京都までの距離に相当するというのですから。

 

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      ブライスキャニオン国立公園

 

 ブライスキャニオンは、海抜2,400~2,700mの地にあります。私達が訪れた日は小雨まじりの日で、ブライスキャニオンに到着した時は、5月だというのになんと雪が降り始めました。アメリカの国土の広さは十分に実感していましたが、水平方向だけでなく垂直方向にも広大な広がりがあることを知りました。ブライスキャニオンにはビューポイントがいくつかありますが、ビューポイント間の距離が離れ過ぎていて、多くの観光客と同様に私達も次のビューポイントへは車で移動しました。つまり、日本でいうところの歩いてめぐる公園のイメージとは程遠く、公園には壮大な敷地が広がっているわけです。

 

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       ザイオン国立公園

 

 ザイオン国立公園も観光スポットが点在しています。公園内は自家用車の乗り入れ禁止で、スポット間はシャトルバスで移動します。こちらも公園と呼ぶには広すぎて、およそ園内を歩いて移動できるものではありません。

 

 この3つの国立公園の魅力はその壮大な景観にありますが、そのスケール感はとてもカメラではおさめきれませんでした。果てしなく広がる光景を前にした時の感覚はその地に身をおく以外にはわからないものでした。

 

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      アンテロープキャニオン 

 

 アンテロープキャニオンは、流線美の岩肌にわずかな隙間から差し込む光が幻想的な雰囲気をつくりだし、息をのむような美しい峡谷でした。その曲線美を作り出したのは鉄砲水とのことで、ここでもやはり自然のスケールの大きさを感じました。

 

 アンテロープキャニオン観光については、もうひとつアメリカの広大さを実感したできごとがありました。アンテロープキャニオンの観光は、ツアー参加が必須となっており、私達は朝8時からのツアーに予約をしていました。宿泊したペイジからGoogleマップを頼りにツアーガイドとの待ち合わせ場所に向かいました。距離的にはおよそ車で40分ほど走った場所だったので、7時過ぎに宿泊したAirbnbの家を出ました。Googleマップ上には到着予定時刻がなぜか8時50分と表示されています。1時間もかからない場所のはずなので、何かの間違いかと思っていました。ツアーガイドと会話している中でこの謎が解けました。ペイジとアンテロープキャニオンの場所とは時差が1時間あったのです。アメリカ国内を車で走っていて、ある地点を通過した瞬間に時刻が1時間進むという経験をしたわけです。ひとつの国の中で時差が存在するほどに国土が広かったのです。

 

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       アメリカの国道 

 

 アメリカ国土の広さを最も感じたのは、国立公園の地に立った時よりも国内時差を体験したことよりも、次の観光地へ向かって車を走らせている時でした。360度の視界が広がる中に1本の道が通っていて、走っても走っても同じ景色が延々と続き、気持ちまでスケールが大きくなるようでした。そういう景色を見ていると、どんなこともささいなことのような気がして、なんとかなるさという気分になってきました。この時初めて、地理的な条件が人間のマインド形成に与える影響の大きさを知りました。

 

 アメリカの国土が日本の何倍もの大きさであることは地図を見れば明らかで、知識としては知っていました。けれども、広い国土の中で暮らすことがどういう意味をもつのかは行ってみるまではわかりませんでした。アメリカ人が小さいことを気にせず、よく言えばおおらか、悪く言えば大雑把でアバウトになるのはこの国土の広さゆえなのだとその地に行って初めてわかったのです。

 

治安が良いということ

日本は治安が良いと言われます。けれども治安が良いということが具体的にどういうことなのかはアメリカに行って初めてわかりました。

 

 米国在住の友人の2人のお嬢さんは、家から離れた地に住んで仕事をしています。「2人の子どもが家を出てしまって寂しいですか?」と友人の夫に尋ねました。返ってきた答えはこうでした。

「寂しくはない。アメリカでは、妊娠やドラッグ、就職の問題があるが、娘たちがそれらの問題を抱えることなく育ってくれて幸せだ」

 

 日本でも子育てに心配はつきものですが、その心配ごとの中にドラッグが含まれることはめったにありません。アメリカ社会にドラッグが深く浸透していることをこの返答から知りました。

 

 友人宅を訪ねた後、サンフランシスコ空港からラスベガス空港まで国内線で移動しました。国内での移動にも関わらず、空港でのセキュリティチェックの厳しさに驚きました。保安検査場を通過する際には、靴も脱ぐ必要がありました。早朝で気温が低かったため上着を重ね着していた友人は、重ねていた上着も脱ぐように指示されました。上着を脱ぐ必要があった理由を友人に尋ねると、「上着の中に銃を隠し持っているケースがあるからよ」という返事でした。友人との会話の中に銃という言葉が出てくるとは全く予想もしていなかったので、何よりもそのことに驚きました。

 

 ブライスキャニオンからその日の宿泊先に移動中のことでした。それまでつながっていたWiFiがなぜかつながらなくなりました。Googleマップを頼りに移動していましたし、Airbnbの宿泊先に連絡して鍵の受け取り方を確認する必要もあったので、WiFiがつながらないことは死活問題でした。道路沿いにあった大きめのショップの駐車場に車を泊めて、どうにかしてWiFi接続を復活させようということになりました。少し時間がかかりそうだったので、一人の友人はショップでおみやげを見に行くことになりました。ほどなくしてWiFiは復活しましたが、友人は車に戻ってきません。私が店の中を一周して探しましたが見つかりません。見つからなかったことを車で待っていたアメリカ在住の友人に告げると、よくあることのように「拉致られたかな」という言葉が返ってきました。日本で人が見つからない場合にその理由として「拉致された」と考えることはまずありません。ですから、その言葉がごく自然に出てきたことに驚くとともに、日本がいかに安全な国かを知りました。

 

 銃とドラッグが日常生活に浸透していない社会であることがどれほど安心感をもたらすことかは、そうではない社会に身をおいてみたからこそわかったことでした。

 

カルチャーを知る

友人宅から旅行に出かける時、空港まで友人の夫が車で送ってくれました。送ってくれた夫が車で家に戻ろうとする前に、友人夫妻はごく自然にハグをかわしていました。旅立つ家族を見送る時にハグで見送る光景は日本ではなかなか見かけません。私が米国に滞在していた間に友人と夫がハグをしているのを見たのはこの時だけでした。アメリカでは挨拶代わりにハグすることを知っていましたが、どういう場面でハグをするのかは、そこに身をおいてみないとわかりませんでした。

 

 アメリカ滞在中に日本独自のカルチャーを知ることにもなりました。私達は驚いた時、知らなかったことに遭遇した時に「えーっ!」という言葉をごく自然に発します。それは当たり前過ぎて、自分がそういう言葉を発していることにすら気づきませんでした。日本のテレビで「えーっ!」と何度も言っているのを見た友人の夫が、日本人は「えーっ!」をよく発することを発見したそうです。なので、私達が友人宅で「えーっ!」を発するたびに、友人の夫が面白がって真似ました。その時、初めて、日本人が「えーっ!」を頻発していることに気づきました。

 

 もうひとつ、日本のカルチャーとして面白がられたことが、自分のことを指差す時に人差し指で鼻の頭を指すことです。これも言われてみるまで全く気づきませんでしたが、よくよく考えてみれば、なぜ鼻の頭を指差すのかわかりませんし、不思議な行為でもあります。これが不思議な行為であるということは日本に住んでいたらわかりませんでした。誰もがそうしていて、それが普通だと思いこんでいるからです。異なるカルチャーをもつ人との交わりがなければ、日本のカルチャーに決して気づくことはできませんでした。

 

異文化に身をおくということ

地理的条件がマインド形成に影響を与えること、治安が良いとはどういうことか、自国のカルチャーが何かを知ったことが、アメリカ旅行で得られた大きな収穫でした。これらは、ネットがどれだけ発達して他国の情報をたやすく入手できるようになったとしても日本にいては知り得ないことでした。異国の地に実際に身をおいてみたからこそわかったことでした。

 

 自国の中にいると、自国の独自性がどこにあるのかはなかなかわからないものです。外から自国を見る目に触れて、初めて自国のことが見えてきます。同じ環境にだけ身をおいていては見えないものがあることは心に留めておかねばなりません。

 

 異文化に身をおくことは、単にその文化を経験することにとどまりません。その経験によって、今まで見ていたものを新たな見方で捉えたり、想像する力の幅を広げて世界を見る視座を一段上げたりと、世界の見方をアップデートすることができます。人間は気づかないうちに、自分が経験した範囲、つまり自国のカルチャーを基準にしてものごとを理解するバイアスにとらわれてしまいます。異文化に身をおくことは、自分がもっているバイアスに気づかせてくれる絶好の機会になるのです。