やめられないとまらない孫子女子勉強会

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7月の孫子女子勉強会は、孫子の兵法の第一人者である守屋淳先生をゲスト講師に迎えての特別講義の会。今回はどんな学びがあるだろうと楽しみにしながら、都内での打ち合わせを終えた後に会場に向かいました。この日のZoom参加者は途中抜けの人もいましたが最大で5人、接続地域は4箇所と、Zoomでつなぐ勉強会もすっかり定着しました。勉強会記録を書こうとしたら、またしても孫子女子勉強会の不思議に迫ることになりました。

 

 

将軍の条件

守屋先生が勉強会にご用意くださったテーマは「孫子の将軍の条件」。『孫子』の始計篇には、将軍の条件は「智謀」「信義」「仁慈」「勇気」「威厳」の5つであると書かれています。

 

 それぞれの意味の簡単な解説の後、守屋先生からの問いかけで、このうちで自分に足りないと思うものを一つだけ選んで答えることを順番に一人ずつ行いました。もちろん、Zoom参加者も含めてです。自分にとってはどうかと考えることで、5つの要素への理解が否応なく深まりました。

 

 智と勇、仁と厳は、対極的な要素であり、どちらか片方を持っていれば片方が欠けてしまうことが多いそうです。また、信は他人との関係で成り立つもので、他の4つの要素が備わっていても、信は備え難く、これら5つの要素をすべて持ち得ることは難しいそうです。良きリーダーとは、これら対極的な要素をバランスよく持ち、「決断力に富みながら、思慮深い」というように、その場その場で必要な要素を臨機応変に活かしていくものとされています。はるか昔からリーダー論が論じられるほどに、リーダーとは求められながらも、リーダーになるのが難しいものであることが伝わってきます。

 

人との関係の築き方

続いて、組織を率いる際の将軍の「仁と厳」の使い分けに話が進みます。孫子でいうところの組織は戦時の組織ですから、将軍がいかにして兵士を動かすかが論じられています。その要諦は、仁(やさしさ)と厳(厳しさ)のバランスであり、はじめに仁ありきというのが孫子の教えです。

 

 さらに、「史記」「三国志」「戦後策」からの引用を用いて、将軍が兵士から強い信服を得る方法を学びました。

許されないことを許してくれたと兵士が感じた時

守りにくい約束を守ってくれたと兵士が感じた時

あの人だけは自分のことをわかってくれたと兵士が感じた時

  

 「仁と厳」の使い分けも信服を得る方法も、人との関係の築き方のことです。十分な関係ができていないのに、厳しい条件だけを課しても相手が受け入れることはない。まずはこちらが敬意をもった態度を示して相手の心をつかまなければいけない。当たり前にしてなかなか実行が難しいことを教えてくれます。

 

 いずれの時代も、いかに相手との関係を築くかは最重要命題です。そして、時代が変わっても人間の心理はそう大きくは変わらないので、古典から学べることは多いのです。

 

やめられないとまらない孫子女子勉強会

守屋先生から、一通りの講義が終わった後は、たっぷりのフリートークの時間になりました。守屋先生の講義内容を起点として、それぞれの問題意識や知り得た知識や経験を場に提供しながら、縦横無尽なテーマでのフリートークが進みました。

 

 アイデンティティに話題が及んだ時には、こんな言葉が飛び出して、いかに日常ではアイデンティティについて考えていないかにハッとさせられました。

アメリカ人は、多民族国家であるがゆえに、毎日、自分のアイデンティティについて考えている。

日本人は、思春期と退職の時にしか自分が何者かを考えない

  

 また、師匠に話題が及んだ時には、こんな言葉が共有されました。

いい師匠になるには、いい師匠をもつこと。

いい師匠に出会うには、いい問いを持っていること。

 

 出会いは縁と言われますが、その縁を引き寄せるのは、いい問いを持つという自分次第でもあるということです。学びも同じく、いい学びをできるかは、いい問いを持っているかどうかに大きく影響します。この勉強会でも、同じ場に参加していても、それぞれがもっている問いの違いによって、学んだものは違うはずです。

 

 この日のフリートークで、私が一番強く印象づけられた言葉はこれでした。

好奇心は欲求。食欲や睡眠欲と同じ。だから、教えることはできない

 

 智(学び)と勇(行動)を起動する源は好奇心にあることは、誰もがうっすらとでも気づいています。この好奇心をどうやって育てられるかに関心が集まっていますが、それは欲求であり、教えることができないものだったのです。

 

 好奇心が欲求であるならば、人が生まれた時からあらかじめプログラムされているものと考えられます。それにも関わらず、好奇心を育てなければならないということは、意識的にせよ無意識的にせよ、誰かがいずれかの形で好奇心という欲求を奪ってしまっているということになります。関心を向けるべきは、いかにして好奇心を育てるかではなく、いかにして好奇心を殺してしまわないかではないでしょうか。

 

 私達が仕事帰りに孫子女子勉強会に集まったり、遠方からでもZoomで参加したりするのは、欲求に突き動かされているからに他なりません。義務ではこんなことは続きません。私達は孫子女子勉強会に出会って、好奇心という欲求を失わずにすみました。それどころか、参加を重ねるごとに欲求が大きくなるのを感じています。

 

 好奇心を誰かに教えられたわけではありません。ひとつ言えることは、役に立つことを得ようというマインドをはずしたことで、面白いと思って拾える範囲が広がりました。もちろん、提供される話題が、すぐには役に立ちそうにないけれど、後からじわじわ効いてくるような面白さを含んだ内容であることも大きな理由のひとつです。だから、孫子女子勉強会はやめられないとまらないのです。