楽しむ気持ちの先にある学び

f:id:n-iwayama:20190630140143j:plain

 

一般社団法人経営学習研究所(MALL)の企画イベントには、楽しそうだなと思えるものがあります。2月に音楽座のスタジオで開催された音楽を素材にしたチームづくりのイベントも、楽しそうと思って参加しました。参加してみたら期待以上に楽しめた上に気づきと発見がありました。その続編となる音楽座ミュージカル公演ツアー(2019年6月23日開催)も、純粋に「音楽座のミュージカルが楽しそう!」と思って参加しました。ミュージカルを楽しめたのはもちろんですが、結果的に、またしても気づきと学びを得ることになりました。

 

 

音楽座ミュージカル公演ツアーのプログラム

2月のイベントで練習風景を見せてもらった音楽座の本番ミュージカルを一緒に楽しみましょうと、田中理事の粋な計らいで企画された音楽座ミュージカル公演ツアー。MALLの理事を含めた20名以上が今回のツアーに参加しました。

 

 ツアーのプログラムには、ミュージカル鑑賞の前にリハーサル見学と舞台裏ツアー、鑑賞後には打ち上げリフレクション会のオプションが組まれ、ミュージカル鑑賞だけにとどまらないところにMALLらしさを感じました。

 

音楽座ミュージカル公演ツアープログラム

  • リハーサル見学
  • 舞台裏ツアー
  • 質疑応答
  • チケット座席抽選・休憩
  • 開場
  • 開演
  • 終演
  • 打ち上げリフレクション会

 

舞台裏見学ツアー

ツアーの集合時刻はミュージカル開演の2時間前。一般の観客が集まり出すはるか前に集合したおかげで、ミュージカルのリハーサルを客席で見るという得難い体験ができました。普段着のままで役者さん達があるシーンを切り出して舞台上で演じると、客席で観ていた音楽座の関係者数人からの指摘が飛び交います。この日は東京公演の千秋楽の日でした。つまりすでに何度か舞台で演じてきたわけですから、細部への指示かと思いきや、意外と大筋な部分への指摘であったりもしました。とは言うものの、素人が見る分には気づかないようなことに対しての指摘であり、そういう視点で切り込むのかという面白さがありました。

 

「段取りしてるように見えるんだよね。もっとこう衝動に突き動かされるように言葉が出て来るシーンなんじゃないの」

 例えば、こんな指摘がありました。脚本があって演じているのは間違いないわけで、段取りしているように見えるのと衝動にかられているように見えるの違いはなんだろうと疑問がわいてきます。

 

 リハーサルの指摘で飛び交う言葉がとても抽象的で、それで通じるのかなと思うほどでした。

「もっとニュアンスを出して。そこは後ろ髪を引かれるように立ち去る場面なんだから」

ニュアンスを出す?なんとなくわかったような気にはなるけれど、それを聞いて、どう修正できるんだろう?とリハーサルを見せてもらいながら疑問符が浮かんできました。

 

 何より驚いたのは、指摘を受けて、舞台上の役者さんが「わかりました」と答えるものの、やり直しをしないことでした。舞台上には何人もの役者さんがいて、とあるシーンで、とある役者さんの動きが変わるということは、舞台をつくる役者さん全員に関わってくることなのに、本番までどうなるかわからないままでリハーサルは進んでいくのです。

 

 リハーサルを見せてもらった後は、舞台上にあがって舞台装置を間近で見たり、舞台から客席を見るというなかなかできない体験をしました。その後は、役者さん達が舞台から裏手にまわる暗いトンネルを抜けて、バックステージを見学。バックステージツアーの案内をしてくれた役者さんが、せまいスペースに所せましと置かれた楽器を指さしながら、「ここで生演奏をするんです」と説明してくれました。ミュージカルは繰り返し上演されるものだから、てっきり音楽は録音したものを流しているのかと思っていたのに、なんと舞台裏で生演奏をしていたとは。これを知っただけでもバックステージツアーに参加したかいがありました。

 

 舞台裏を抜け出した後は、バックステージツアーを案内してくれた役者さんが答えてくれる質問コーナーまで設けられていました。普段見ることのないものを見た後には、色々な疑問がわいてくるものです。そのままにしておけば、時間とともに消え失せてしまう疑問を受けてくる場があると、そこからさらなる発見や気づきが得られたり、ますます興味がわいたりするものです。実際、この質問コーナーでのやりとりを聞いて、ミュージカルの奥深さを知ることになりました。

 

せっかくの機会なので、私もひとつ質問をしました。

私:「リハーサルではとても抽象的な言葉で会話がなされていました。私には抽象的過ぎて意味がわからなかったのですが、音楽座の人達にはそれで通じるのでしょうか?」

 

役者さん:「具体的にここをこうしてと言ってしまうと、それ以上の可能性が広がりません。言っている方にも正解があるわけではありません。抽象的な表現をすることで解釈の幅ができて、新しい表現が生まれてくる可能性が出てきます

 

 こんな風にどの質問にも即答でよどみない回答が返ってきました。何を聞かれてもスラスラとゆるぎなく答えてくれるのは、音楽座の哲学が身体知化されているからでしょう。

 

ミュージカル鑑賞

f:id:n-iwayama:20190630133227j:plain

      座席のくじを引く様子 

 

バックステージツアー後は休憩タイムをはさんで、いよいよミュージカル鑑賞です。田中理事が手配してくれていたチケットの配布はくじ引き方式。どの座席になるかは引いてみるまでわからない仕掛けに、ドキドキしながらチケットを受け取りました。ちょっとした仕掛けで鑑賞前の気分はさらにあがります。

 

f:id:n-iwayama:20190630135936j:plain

    音楽座ミュージカル公演のポスター

 

 ミュージカルの演目は、ルーマー・ゴッデン原作の「ねずみ女房」をもとにした「グッバイマイダーリン★」。

主人公は家ねずみの奥さん。夫ねずみが「食べることより大事なことがあるか?」と言うように、他の家ねずみは食べ物のことが関心の中心になる家の中が全世界。けれども、家ねずみの奥さんは、それとは対照的に、かごの中に捕らわれたキジバトから聞く窓の外の世界に心を踊らせていく。最後には必死の力でかごの鍵をあけて、キジバトを外に逃がしてやる。

これがこのミュージカルのざっくりとしたストーリーです。登場人物の関係が複雑過ぎるわけでもなく、深みはあるけれど難解過ぎるわけでもないストーリーです。

 

 公演が始まると、舞台で繰り広げられる世界を感じながら楽しみました。リハーサルで見たシーンになると、あれからどう変わったのかなと特に注意を向けたり、狂うことなくベストなタイミングで音楽が流れてくると、この舞台裏で生演奏している様子に想像がふくらんだりして、一味違った鑑賞もできました。

 

打ち上げリフレクション会

ミュージカルを観た余韻を残したままに、会場から場所を移しての打ち上げリフレクション会に参加者しました。リフレクション会と名がついてはいるものの、基本は話したいことを話す会でした。形式ばって一人ずつミュージカルの感想を述べましょうなんてしない方が会が楽しくなるし、話したいことを話している中で必然的にリフレクションが含まれるからです。

 

例えば、こんな風に。

Aさん:「ミュージカルは食わず嫌いだったんですが、今日は楽しかったです」

私:「ミュージカルのどういうところに壁があったんですか?」

Aさん:「唐突に歌い出すところです(笑)」

私:「それが、今日鑑賞してどう変わりました?」

Aさん:「話の流れの中で、歌で表現することが自然に感じられました」

私:「映像の8割はBGMで決まるとプロの方から聞いたことがあります。セリフを言うだけより、歌で表現する方が観客の感情を喚起するのかもしれませんね」

 

 ミュージカル鑑賞という同じ体験をした後ですから、話題はどうやったって必然的にそれに関係したものになるに決まってます。これまでにいくつもの場づくりを行ってきたMALL理事のみなさんは、そこのところをようくわかっていらっしゃいます。

 

f:id:n-iwayama:20190630133138j:plain

     リフレクション会での板谷理事

 

楽しむ気持ちの先にある学び

私達が鑑賞した公演では、ミュージカル終演後に國學院大學久我山中学高等学校武蔵越生高等学校吹奏楽コンサートがありました。演奏のみならず、生徒によるダンスありという演出つきでした。この吹奏楽コンサートの何が楽しかったかというと、指揮者の先生がそれはそれは楽しそうに全身で楽しさを表現していたことです。当然ながら、生徒達も楽しみながら演奏やダンスをしている様子が伝わってきます。音楽って音を楽しむものだったなと今更ながらに思い出させてくれました。演者が楽しんでいると、観客にも伝染して、こちらも楽しくなってきます。

 

 私達が音楽座のミュージカルを楽しめたのは、きっと役者さん達自身が楽しんで演じていたからに違いありません。楽しんで演じる秘訣は、音楽座のメンバー誰もが意見を掛け合わせて即興的につくりあげていく一回限りの舞台にあるのかもしれません。上演までの稽古で徹底して作り込んで、それを繰り返し上演するのだとしたら、人間の飽きるという習性によって、演ずることを楽しめなくなってしまうのではないかという考えがふと頭をよぎりました。

 

 それぞれの役者さんの解釈によって創造的につくり上げていくことが音楽座をミュージカル劇団としてユニークな存在にしていることは、2月のイベントで知りました。今回、リハーサルを見学して、その創造の源は役者さんの日常生活の経験がベースになっているであろうことがわかりました。なぜなら、「もっとニュアンスを出して」の解釈は、あの時の気持ちという生活経験の引き出しがなければできないからです。役者さん達にとって、演じる仕事と日常生活は地続きなのだろうと思います。

 

 楽しんで演じたもの/つくったものは、その楽しさが受け手にも伝播する。仕事と日常生活は地続き。これらは、役者さんに限らず、誰にでもどんな仕事にも当てはまることではないでしょうか。楽しむつもりで参加した音楽座ミュージカル公演ツアーでしたが、結局、あれやこれやと大切な気づきを得ることになりました。これは、前回のブログに書いたBの学びに他なりません。

 

 私達は、ついつい、今すぐに役に立ちそうなものを学ぼうとしがちです。けれども、役に立つからこれを学ぼうというマインドで学べるものは、その枠内におさまるものに限られてしまいます。自分の役に立ちそうな領域から遠く離れた領域での体験は、純粋に楽しめて、なおかついつもとは違う視点が得られます。私にとっての今回のミュージカル鑑賞がまさにそれでした。

 

 役に立つか立たないかで経験することを選んでしまうと、思いもかけずに学べてしまうものを取りこぼしてしまいます。楽しむ気持ちで経験すれば、受容する幅がぐんと広がって、そこから学べることの可能性も大きく広がります。楽しむ気持ちの先にある学びから得られるものは大きいのです。

 

 「役に立つことより大事なことってありますか?」と聞かれたら、きっぱりとこう即答します。「楽しむことです」