孫子女子勉強会とは何か

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月に一度、その日が来るのを楽しみにしている孫子女子勉強会。勉強会という名がついてはいるものの、その言葉からイメージされる内容と実態は違っています。じゃあ、孫子女子勉強会とはいかなるものかと言われると、これがなかなか説明しづらいのです。が、前回のブログに引き続いて、今回も孫子女子勉強会を解剖することにチャレンジしました。

 

 

勉強会開始前から学びの姿勢になる

2ヶ月前から始めたzoomで遠隔地とつないでの開催も定着しつつある孫子女子勉強会。物理的な制約条件のないオンライン参加は一見ハードルが低そうに見えますが、実のところはわざわざ足を運ぶ会場参加よりも難しいのではないかと思います。なぜなら、気軽に参加できるオンライン参加は、参加しないという選択も気軽にできてしまうからです。オンライン参加は、気軽さゆえの参加しやすさとハードルの高さという矛盾をはらんでいるのです。

 

 オンライン参加のハードルの高さをいともたやすくクリアして、今回もヒューストンと福岡からの参加表明が事前にありました。それを知った東京側のメンバーからは、それならばと、PCやスピーカー、プロジェクタを持って行くという声が次々にあがりました。さらに、田中先生からは、「電気屋祭り」になるならばと、いつものテキストだけの紙のレジュメをパワーポイントにアップグレードするという宣言が飛び出しました。

 

 そんなやりとりをオンライン上でなされるのを見ているうちに、いつもにもまして気分が上がってきて、勉強会開始前からワクワクが始まりました。会場に向かう足取りは自然と軽くなり、何がおこるかわからないけど、いやむしろ何がおこるかわからないことを勉強会に期待している自分がいました。孫子女子勉強会は、会が始まる前からすでに学びの姿勢になるのです。

 

人生100年時代の「攻めと守り」

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     オンライン接続セッティング中の様子

 

ここのところの勉強会はオンライン接続のセッティングから始まります。田中先生渾身作(?)のパワポ資料とヒューストンと福岡からの参加者の顔がプロジェクタに投影されると、その時点ですでに「おおっ!」とちょっとした盛り上がりを見せます。

 

 パワポの1枚目のスライドには、東京都美術館で開催されているクリムト展のポスターが貼られていました。そのスライドをプロジェクタで映し出しながら、オーストリアの画家であるクリムトが当時の絵画の伝統をどのように革新していったかの解説が田中先生からなされました。「孫子の兵法を勉強するはずの会でクリムトの話?」なんて野暮なことを思う参加者は一人もいません。ベストセラーになった「会計の世界史」執筆以来かどうかは知りませんが、絵画について微に入り細に入りの知識を仕入れている田中先生からのクリムトについての解説に、「へ~」「ほ~」と今まで知ることのなかった絵画の世界へと誘われて、私達はクリムトへの興味関心を高めていったのでした。

 

 2枚目のスライドには、本日のテーマ「攻めと守り」の文字とともに、その考え方のもとになる孫子の兵法からの一説が書かれていました。

「それ勝敗攻取してその功を修めざるは凶なり。これを名付けて費留という」

 

目先の戦いに勝っても大きな目的を果たせなければ意味がない」という孫子の教えです。ここから攻めと守りの使い分けが大事という論へと展開していきます。

 

 3枚めのスライドでは、孫子の兵法の一説から抽出した「攻めと守り」を自分達の生活に当てはめるとどうなるかを考えるキーワードとして、「貯金2000万円より健康と小商い力」が書かれていました。金融審議会の報告書で大きな話題になっている「貯金2000万円」のキーワードが、現実味を帯びて私達に問いかけてきます。

 

 2000万円の貯金をする(守る)より、健康で小商いをする(攻める)方が、人生100年時代を長期的に生き残る戦略になるのではないかというのが田中先生からの問いかけでした。小商い力には好奇心をもって学ぶという姿勢が必要であると、学びのあり方へとテーマがうつっていきます。

 

 学びのあり方としては、孫子女子勉強会ではすっかりおなじみになったマズローのD動機(欠乏の不安から生じる動機)とB動機(こうありたいという欲求から生じる動機)にあてはめて、「Dの学び」と「Bの学び」があることを田中先生自身が教えてきた経験にもとづいて説明してくれました。「Dの学び」と「Bの学び」の違いを整理するとこうなります。

 

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      「Dの学び」と「Bの学び」の違い

 

 そして、再び、伝統的な絵画をよしとする人達に対抗して分離派を築いたクリムトの話題にもどって、「何を守り、何を破壊すべきか?」を、時代の大きな変化点にいる今こそ考えていこうと勉強会は締めくくられました。

 

孫子女子勉強会とは何か

こうやって文字にしてみると、クリムト孫子人生100年時代に生き残る戦略、「Dの学び」と「Bの学び」、とあちこちにとっちらかった内容をかじっただけのようにも思えますが、勉強会に参加していると、1本の筋が通った内容を学んでいる感覚があるのが不思議です。で、結局、「この勉強会に参加して何が得られたの?」という質問への答えには窮します。孫子女子勉強会は典型的な「Bの学び」の場で、明確な役立ちについては説明ができないのです。でも、私達にとっては、孫子女子勉強会は「Bの学び」の場であることがあまりにも当たり前過ぎて、何が得られたかを問う発想自体がないのです。

 

 いつものように勉強会後に出かけた懇親会で、田中先生が、「Bの学びというものがどうやってもわかってもらえないんですよね」と言葉を漏らしました。それを聞いた私は、これは体験者にしかわからないだろうなあと思いながら、孫子女子勉強会という「Bの学び」の体験者として、「Dの学び」と「Bの学び」の違いをもっと端的に言えないものかという問いが浮かんできて、頭から離れなくなってしまいました。そして、その問いを持ち帰ることになったのです。

 

 家に帰ると、読み終わりかけていた1冊の本「人はなぜ物語を求めるのか」が目にとまりました。この本の中に持ち帰った問いのヒントがあった気がして、目次をパラパラとめくりました。そして、この箇所にたどりつきました。

 

知らないには2種類の様態がある。

1つは、自分がそれを知らないということは知っていること。問いを立てた結果「知らないこと」になったこと

もう1つは、自分がそれを知らないということすら知らないこと。自分の意思で問いを立てること自体ができないこと

  

 「Dの学び」と「Bの学び」の違いはまさにこの違いだと確信しました。私が孫子女子勉強会で学んでいるのは、自分だけでは問い自体が浮かばないような内容です。別の言い方をすれば、孫子女子勉強会とは、ある問いに対する答えを得る場ではなく、問いが立ち上がってくる経験を得る場です。

 

 田中先生の膨大な知識から時代にあわせてチョイスされたキーワードとその解説から、心理的安全性が保たれた場で参加者から飛び出してくるここだけの話から、自分が知っていた世界の狭さを見事に打ち破られるという衝撃を受ける場が孫子女子勉強会です。おそらく、田中先生にとってもそういう場であるからこそ、毎回のキーワードチョイスに手抜きがないのだと思います。

 

 Bの学びの楽しさの正体は、まだまだ知らない世界がこんなにも広がっているという感覚からくるものです。知らないことがまだまだあるという自覚は、もっと知りたいという好奇心を呼び起こします。短期的には確かに「Bの学び」の役立ちの説明はできませんが、長期的には好奇心を呼び起こされて学び続ける姿勢が必ず役に立つと私は信じています。人生100年の長期戦では学び続けることが必須条件になり、「Dの学び」では「それ勝敗攻取してその功を修めざるは凶なり。これを名付けて費留という」になってしまいます。「Bの学び」は長期的に生き残るための「攻め」なのです。