まちづくりに一番大事なもの

今やアートプロジェクトによる地域活性化は全国各地で行われていますが、その中でも成功事例としてとりあげられることが多い瀬戸内国際芸術祭。

 

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2018年7月21日の夜に開催された「せとうちばなし第4話」では、瀬戸内国際芸術祭開催以前から島の情報発信に取り組んでいた小西智都子さんとこえび隊事務局の若い2人から、瀬戸内国際芸術祭(以下、瀬戸芸)が始まる前とその後の島の変化のお話がありました。そのお話をもとに、瀬戸芸の活動の本質は何であり、それが何をもたらしたのかを考察しました。

 

 

瀬戸内国際芸術祭が始まる前

香川県には24島の有人島があるそうです。「せとうちばなし」の話題提供者でもあり、瀬戸芸の運営に深く関わる3人でさえ、瀬戸芸が始まる前は有人島のことをあまりよく知らなかったそうです。

 

2010年に第1回瀬戸内国際芸術祭を開催することが決まって、瀬戸芸公式ガイドブックの制作に関わっり、島の情報を集めようとした小西さんは、電話はつながらない、メールアドレスはない、FAXは紙切れで届かず、とにかく情報が集まらなかったと言います。島に行って直接島の人から聞くしかなく、島に通ったと言います。四国本土側では瀬戸芸の広報を行いましたが、「島は不便。そんな島に誰も来ん」というのが大方の反応だったと、こえび隊事務局から話がありました。物理的な境界線がはっきりした島は、瀬戸芸が始まる前は、内側からも外側からも閉じられていたという状況だったといえます。

 

瀬戸内国際芸術祭でおきたこと

そんな状況の中、瀬戸芸の開催に向けて粛々と準備が勧められ、2010年に第1回の芸術祭が開催されました。島内外の人の予想に反して、島に向かう乗船所の切符売り場には長蛇の列ができ、大勢の観光客がやってきたのをみた島の人は「島が沈むかと思ったわ」と言ったとか。

 

「Pen」や「Casa」などのメイン雑誌に瀬戸芸がとりあげられ、櫻井翔君が芸術祭に訪れたこともあり、「瀬戸内」がおしゃれなイメージとして認知度がアップし、観光客がどっと押し寄せたようです。

 

2013年に開催された第2回目の芸術祭では、島の飲食店が増え、島民が自主的に動き始める変化がおきたそうです。

 

2016年に開催された第3回目の芸術祭では、芸術祭を支えるボランティアであるこえび隊が1,100人になり、そのうち11%が海外からのボランティア参加者となり、瀬戸芸の国際化が進んだそうです。

 

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     瀬戸芸に海外から参加したボランティア

 

瀬戸内国際芸術祭の波及効果

2016年の瀬戸内国際芸術祭の来場者数は107万人、経済波及効果は139億円と試算されています。芸術祭開催の直接的な効果以外に、様々な変化が瀬戸内の島におこったそうです。

 

瀬戸芸による島の認知度向上によって、瀬戸芸開催以外の期間でも外国人宿泊者数が伸びています。2016年の観光客数伸び率は香川県が日本一になったそうです。これらを背景に高松市にはゲストハウスが16件できたそうです。

 

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島の認知度向上によって、移住者も増えています。また、移住者層もリタイヤした人から若い人へと変化したそうです。

 

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子どもの人口減少によって一時は休校に追い込まれた男木島の小中学校が再開したりもしています。

 

瀬戸芸の会場にはなっていない島にも波及効果は及び、人口わずか20人の志々島にもゲストハウスができたことに小西さんは驚いたと言います。高齢のため亡くなる人がいますが、移住者によって志々島の人口は変わらず20人を維持し、住民の平均年齢は20歳も若返っているとか。

 

島が開かれた

瀬戸芸がきっかけとなって、瀬戸芸の開催期間以外にも開催会場以外にも様々な変化が島におこっています。これらの変化がおこった理由は、島が開かれたことに起因することが見えてきました。

 

こえび隊の活動は、瀬戸芸の作品展示にとどまらず、人口減少により島内だけでは維持が困難になった島の運動会やお祭りにも参画しています。本来、島内の人の交流のために開かれているこういった活動に文化的背景を共有していない島外の人が参加するのは難しいことです。それを可能にしたのは、人口減少により存続への危機感を島民がもったこと、こえび隊が継続的に島に足を運んで島の人との交流を深めたことであると、お話を聞いて感じました。

 

まちづくりに一番大事なもの

私がこえび隊活動を始めた約1年前、瀬戸芸の活動の仕組みを読み解いてブログを書きました。「せとうちばなし」でのインプットと私自身がこえび隊として1年間様々な活動に参加して見えてきたことからすると、およそ1年前に書いた瀬戸芸の仕組みの読み解きは浅かったと言わざるを得ません。

 

およそ1年前に瀬戸芸の仕組みについてブログがこちらです。

iwayama.hatenablog.com

 

 

今回、瀬戸芸をきっかけとした島内外の交流の仕組みを改めてまとめてみた図が下記です。

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          島内外の交流の仕組み

 

サイトスペシフィックなアートで島固有の文化や歴史を浮かび上がらせる瀬戸芸によって、アートに関心をもつ層を島に呼び込むことができました。それによって、瀬戸芸来場者と島民の交流がおこります。これは3年に1回開催される瀬戸芸開催期間におこるイベント的かつ大規模な交流です。

 

瀬戸芸の開催期間以外に継続的に行われているのがこえび隊活動です。瀬戸芸関連で、作品受付や作品メンテナンス、瀬戸芸の作品として生まれた島キッチンやカフェ・シヨルの運営等を行っています。瀬戸芸関連以外でも、豊島で毎月開催される島のお誕生会の運営や、豊島、女木島、男木島の運動会やお祭り参加の活動も行っています。こえび隊活動は外からはなかなか見えにくいものですが、小規模ながらも継続的に島に足を運ぶ流れをつくる重要な役割をもっています。

 

瀬戸芸開催とこえび隊活動の両輪によって島内外の交流が継続的に生み出されます。交流によって、島民の島に対する誇りが醸成され、島民の自主的な活動がおこり始めます。また、交流を通じて島の暮らしに魅了された人が島に移住することもおこっています。島民の活動の活性化と島外からの移住者という新しい視点が入ることで、島の活力が向上します。島の活力向上の具体的な例としては、飲食店やゲストハウスのオープンなど、外からの人を迎える環境の向上があります。それによって、さらに瀬戸芸の来場者数が増えるという好循環が生まれます。

 

「せとうちばなし」が開催された同じ日の昼間に、直島にて安藤忠雄さんの講演会がありました。講演会の冒頭で安藤さんは、「まちづくりは人の気持ちが大きい」と言いました。まちづくり、言い換えると地域活性化は、地域に関わる人の活動が増すということであり、そのためには人の気持ちがまず先に動く必要があるということを安藤さんは指摘したのだと思います。

 

はじめのきっかけとしてアートが島外からの人を呼び寄せる力になったことは間違いありませんが、島内外の交流が島民と島外の人の双方の気持ちを動かしたことがこの仕組みの最大のポイントだと言えるでしょう。島内外の交流にとって重要な役割を果たしているこえび隊活動を成り立たせているのは、継続的に参加するボランティアメンバーとその運営事務局であるNPO法人瀬戸内こえびネットワークの存在があってこそです。

 

進む過疎高齢化と文化的活動

「せとうちばなし」でのインプットは、瀬戸芸をきっかけとした島内外の交流の仕組みに以外にも、2つの新たな視点に気づかせてくれました。

 

1つ目は、島の過疎高齢化への対応についてです。瀬戸芸によって過疎高齢化が深刻だった島に奇跡的ともいえる変化がおこりました。しかし、残念ながら島の人口減少にも高齢化にも歯止めはかかっていません。

 

「せとうちばなし」の3人のスピーカーから何度も発せられたのは「高齢化」という言葉であり、「瀬戸芸がなかったら島がどうなっていたか」という起こり得たかもしれない最悪のシナリオへの想像力をもった発言でした。島の過疎高齢化という課題を自分ごととして捉え、なんとかしようと考えていることを象徴する発言でした。こえび隊活動をしている人達は、顕在的であれ潜在的であれ、多かれ少なかれ、同じような思いをもっていることでしょう。

 

過疎高齢化に直面しているのは、瀬戸内の島に限りません。大都市を除く日本全国各地で同じ課題に直面している地域は多数あります。香川県内の島以外の地域も例外ではありません。果たして、ある地域の過疎高齢化の問題を、行政やその地に住む人以外に自分ごととして捉えて活動している人がこれほどたくさんいるという地域はどれほどあるでしょうか。

 

瀬戸芸が始まる前は島のことをあまり知らなかったという人達を、島が直面する深刻な問題に一緒に取り組む人に変えたことが、瀬戸芸がもたらした最大の変化ではないかと思えるのです。

 

2つ目は、文化的活動についてです。

 

人口減少は社会のあらゆる面に影響を与えます。産業界では人手不足がクローズアップされ、人手不足を補う手段として人間が行ってきたタスクのうち可能な限りの機械化を進めようという動きがあります。

 

人口減少は運動会や祭りの存続にも大きなインパクトをもたらします。けれども、このような地域の文化活動は人の代わりに機械化することで代替できるものではありません。例えば、神輿をかつぐ人が足りないからといって、神輿をかつぐロボットをつくればすむ話かと言えば、全くそうではありません。文化はその地に関わる人が担うことに意味があるもので、タスクとして実行されることに意味があるものではないからです。

 

テクノロジーの発達によってあらゆるものがデジタル化されていく社会において、文化的な活動はデジタル化できない人間固有の活動であるというのは、見落としていた視点でした。

 

文化活動はその地域の固有性を特徴づけるものであり、それがなくなると地域の独自性も薄れてしまいます。また、文化活動はどんなにテクノロジーが発達しようとも機械でおきかえることはできません。なぜなら、文化活動の結果に意味があるのではなく、活動そのものに意味があるからです。日本全体の人口減少が続く中で、どの地域でも人口減少をとめることは難しいでしょう。地域の固有性を維持する文化活動を続けるためには、こえび隊のように外から関わってくれる人を増やすしかありません。人口減少が続く地域で移住者を増やすことだけでなく、関係人口をいかに増やすかにもっと意識を向ける必要があるのではないでしょうか。

 

この2つの新たな視点に気づけたのは、1年間こえび隊として活動する中で、こえび隊として活動することの意味や島内外の交流が島民からどう受け止められているかを肌で感じることができたからでした。現場に身を置かなければ得られない情報や感覚があり、それらはものごとの本質を理解するためには欠かせないものでした。