何を「すごい」と思うのか?

私達はあるものを見たり聞いたりして「すごい」と思うことがあります。この時、実のところ一体何に対してすごいと思っているのでしょうか?「すごい」を解明することで、「すごい」という領域に近づく手がかりを探ってみたいと思います。

 

 

「すごい」と思った経験

はじめに、最近、私が「すごい」と思った経験を2つ紹介します。1つ目の経験は、写真館で娘の成人記念の撮影をしてもらったことです。出来上がりの写真はこんな感じです。

 

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     写真館で撮影した成人記念の写真

 

親の私でさえ別人かと思うほどによく写った写真の仕上がりを見て、真っ先に浮かんだ言葉は「すごい」でした。カメラのデジタル化や高性能カメラつきスマホのおかげで、私達は写真を撮ることが日常化しました。さらにはInstagramの写真加工技術などで、素人でも見映えのよい写真を撮ることができるようになりました。デジタル化される以前に比べて、私達の写真に対する目は明らかに肥えています。さらには、高い料金を支払うわけですから、その料金に見合う結果への期待値は上がっていました。それでもなお「すごい」と思わざるを得ませんでした。

 

2つ目の経験は、国立西洋美術館で開催されている「北斎ジャポニスム」展を鑑賞した時のことです。

 

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北斎漫画の人物画とその影響を受けたとされるドガの<踊り子たち、ピンクと緑> 

 

私が北斎の展覧会に行くのはこれが2回目でした。昨年、すみだ北斎美術館北斎の一連の作品を鑑賞しました。その時は、正直言って北斎をそこまですごいと思いませんでした。が、今回の「北斎ジャポニスム」を見て「北斎、すごい!」と思ったのです。それだけでなく、同じ北斎の作品を1年前にすみだ北斎美術館で見た時よりもはるかに興味深く楽しく鑑賞できました。

 

何を「すごい」と思ったのか?

私は2つの経験で、何を「すごい」と思ったのでしょうか?結論を先に言うと、すごいと思ったのは「目のつけどころ」に対してです。

 

写真館での撮影の経験では、実は、出来上がりの写真を見る前に撮影現場を見ている時点で「すごい」と思いました。袖がしわにならずにピンと張って見えるように、袖の先端に板状のモノを入れていました。なるほど、こういう小道具を使って袖を美しく見せているのかと感心しました。カメラマンは、撮影の間、娘に対して語りかける口調でポーズについて絶え間なく指示を出していました。出される指示の中で特に驚きを感じたのは「左足をちょっとだけ内側に曲げて」というものでした。着物を着ているので、足を少し曲げたことはほとんど見えません。が、そのわずかなポーズの差で受ける印象が驚くほどに変わるのです。

 

どうすれば人物が美しく見えるのかについて、外からは見えない細部にまでこだわりを持って撮影するのです。その目のつけどころがすごさを感じさせるのです。

 

北斎ジャポニスム展では、北斎の作品とそれが影響を与えた作品を対比して展示することによって、西洋美術と北斎作品のどこに共通点があるのかという視点をもって鑑賞できるようになっていました。北斎が影響を与えた芸術家は、モネ、ドガゴッホセザンヌといった誰もが知る著名画家を含んで多数にのぼります。影響を与えたジャンルは絵画にとどまらず、彫刻、装飾工芸、音楽などにも及びます。影響の与え方のバリエーションは、ポーズ(ドガの「踊り子たち、ピンクと緑)、構図(モネの「陽を浴びるポプラ並木)、絵画の対象(クールベの「波」、ゴッホの「ばら」)、連作(リヴィエールの「エッフェル塔三十六景)と複数に渡ります。それぞれの共通点を探しながら鑑賞することで、北斎の影響力がいかに多岐にわたるものかもわかるような仕掛けになっています。

 

どうすれば西洋近代芸術の展開とその美術作品を誰もが面白く鑑賞できるのかを考え抜かれた展覧会でした。特に美術に造詣が深いというわけでない者にとっては、美術作品のどこに注目して見ればよいのかというのがいつも悩みの種でした。それを、北斎作品と並べることによって、北斎作品との共通点を見出すという視点を自然にもつことができる展示方法の目のつけどころにすごさを感じるのです。

「すごい」という領域に近づくためには?

「すごい」と思うのが「目のつけどころ」だとしたら、私達が「すごい」という領域に少しでも近づくために必要なのは、目のつけどころを良くすることになります。では、目のつけどころを良くするにはどうすればいいのでしょうか?

 

答えは、課題意識をもってアウトプットしようとすることではないでしょうか。私が経験した2つの事例に含まれる共通のキーワードは「どうすれば~できるのか」です。

 

どうすれば人物が美しく見えるのかについて、外からは見えない細部にまでこだわりをもって撮影する

どうすれば西洋近代芸術の展開とその美術作品を誰もが面白く鑑賞できるのかを考え抜かれた展覧会

 

両者ともに「どうすれば~できるのか」と課題意識をもってアウトプットしようとした結果にたどりついたのがあの目のつけどころだったのではないでしょうか。

 

写真館での娘の撮影を終えた後で、ダイレクトメールで送られてきていた振り袖の写真カタログを見てみると、正面を向いて立っている写真は、左足を少し曲げていることに気づきました。何度か見ていたにもかかわらず、私はそのことには気づかなかったのです。私は、どうすれば人物が美しく見えるのかの課題意識ももっていませんでしたし、人物を美しく見せるように撮影しようとしていなかったので、その細部に気づくことができなかったのです。私が人物を美しく撮影する状況に迫られていたとしたら、カタログの写真ををもっとよく見て、気がついていたかもしれません。

 

北斎ジャポニスム」展は、北斎との出会いによって花開いた西洋美術の傑作を北斎の作品と同時に展示する世界で初めての展覧会でした。西洋の美術作品を専門とする美術館である西洋国立美術館は、西洋の美術作品をどうすればもっと鑑賞者に楽しんでもらえるかを考え続けて、あの結果にたどりついたのではと推測します。西洋美術館でありながら「北斎ジャポニスム」という展覧会タイトルをつけたのも心憎い演出です。

 

目のつけどころを良くする、言い換えるとセンスを磨く方法は、漠然と考えているだけでなく、アウトプットしてみることに尽きるのかもしれません。