変われる人、変われない人

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2017年第3回目の孫子女子勉強会は3月17日(金)の夜に開催されました。1日分の休暇をとれば参加できる金曜開催とあれば参加しない手はないと、16日の最終便の東京行きの飛行機に乗りました。

 

この勉強会では、今日はこのテーマについて勉強しましょうとキッチリ決まったものがあるわけではなく、講師の田中先生から呼び水となるテーマが投げかけられた後、参加者が自由に発言をする中で一度限りのカオスな場が動いていきます。ひとつの結論に向かって進んでいくわけでもなく、かといって言いたいことを発散的に言っておしまいというわけでもない不思議な場です。

 

貸し会議室の予約時間のお知らせを告げる呼び出し音が鳴り響いて、「あー、今日も2時間あっという間だったなあ」と感じて勉強会は終了しました。その後のさらにエキサイティングな懇親会を経て帰路についた後、私の中にはモヤモヤが残ったままでした。この勉強会に参加して私の中にどんな変化が起こったのかを言語化したいと思いながら、なかなか言葉にする道筋が見えてこなかったからです。誰に言われたわけでもないけれど、言葉に残しておくことが自分のミッションであるかのように感じて、なんとも言えない気持ち悪さが残りました。今回は諦めるかなとも思ったりもしましたが、ようやく言葉にできました。

 

人が変わること

田中先生からの話題提供のひとつに「変化すること、変化できること」がありました。人口減少、AIなどのテクノロジーの進歩、第四次産業革命、働き方改革と、社会の変化を表す言葉には枚挙にいとまがありません。そんな社会で生きる私たち自身にも変化が求められるのは必然のなりゆきです。「ほとんどの人は変わらなければと言っているけれど、8割くらいの人は変われない」というのが田中先生が感じていることだそうです。

 

人が変わるというのは、その人の価値観が変わるということです。人の価値観が変わるには次の2つのケースがあります。

  • 違う価値観と出会う
  • 体験する

 

違う価値観と出会う

価値観が変わるケースの一つに違う価値観と出会うことがあります。

 

私たちは一人の個人であると同時に、家庭と職場というコミュニティに属しています。それぞれのコミュニティにはコミュニティに共通的な価値観があり、知らず知らずのうちにその共通的な価値観を受け入れてしまっています。

 

ですから、違う価値観と出会うためには、家庭でもない職場でもない第三の場への参加が必要になります。そこでの人との出会いを通して、新しい価値観と出会い、自分が変わっていくことができるわけです。

 

第三の場に参加すればよいのかというと、単に参加すればよいという単純なものではないということが懇親会で判明しました。この日の勉強会には、講師の田中先生以外にもう一人、越後屋さんと呼ばれている男性が参加していました。越後屋さんは、勉強会にお菓子の差し入れを持ってきてくれただけでなく、お菓子を載せる敷紙までご用意くださって、全員に配ってくれるというような気配りの達人です。

 

田中先生は、男性中心の孫子勉強会も開催していると聞いたことがあったので、懇親会で越後屋さんに聞いてみました。

 

: 「孫子男子勉強会と孫子女子勉強会は違いがあるんですか?」

越後屋さん: 「もう全然違います」

 

: 「どんなところが違うんですか?」

越後屋さん: 「男子勉強会の方は自分の知識をひけらかすような発言がありますね。その会の中で自分のポジション取りをするような」

 

: 「へえ、なんだか面白くなさそうですね」

越後屋さん: 「そうなんです。ですから、勉強会も楽しくなくて続かなくなってしまいました」

 

: 「学生の時は変なグループ化があって女子って面倒くさいって言われますけど、社会人になると男子の方が面倒くさそうですね(笑)」

 

越後屋さんから孫子男子勉強会の話を聞いて、その勉強会では第三の場の意味はないなと思いました。会社の価値観をそのまま勉強会にも持ち込んで、閉じたせまい枠内の中でのポジション取りが関心の中心だとすると、違う価値観に触れることもできず、例え触れたとしてもそれを受け入れることもできないでしょうから。

 

それに比べて孫子女子勉強会は、誰もがオープンマインドで語り、自分とは違う価値観が提示されたら、そういう考え方もあることを受け止める度量があります。ですから、孫子女子勉強会は新しい価値観に触れる場として機能しています。孫子女子勉強会は、新しい価値観に触れて、毎回ちょっとずつ自分を変えていく場になっていたことに、これを書きながら気がつきました。

 

体験する

価値観が変わるもう一つのケースが体験することです。

 

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人間の想像力には限界がある。実際に体験して骨身に沁みてわからないと考え方を変えられないと実感したのは、2年前に左手の指を骨折した時でした。片手が使えない不自由さはこういうことだろうという想像はある程度つきました。いざ、実際、その身になると、両手が使えていれば何の問題もなくできていたことも、片手になった途端におそろしく時間がかかったり難しくなりました。その難しさは想像をはるかに超えていました。

 

3週間ほどしてギプスをはずす日も想像を覆される体験をしました。ギプスをはずすことを待ち望んでいたはずなのに、実際にはずした後にやってきたのは、骨折した指を守られていたものがなくなった頼りなさからくる恐怖心でした。そして、3週間、固定された手に何がおこるのかも想像を絶する体験でした。握力が全くなくなり、ハンカチ1枚をもつことすらできなくなっていました。傘が持てるようになるには相当な時間がかかりました。

 

この体験は身体的にはつらいものでしたが、体験から得られたものは大きいものでした。私たちはわざわざ体験しなくてもわかると思いがちですが、それは体験の価値をあまりにも低く見積もっていると言わざるを得ません。

 

変われる人、変われない人

人が変わるメカニズムはわかりました。次に「なぜ変われない人がいるのか?」を考えてみようかなと思いましたが、これを論じることに意味はないことに気づきました。孫子女子勉強会は上にも述べたように、違う価値観に触れる場であり、参加者は勉強会への参加を通じて多かれ少なかれ変化している人達です。

 

私たちは、変わらないといけないという脅迫観念に追われているわけでもなく、変わった方が得という損得勘定で考えているわけでもなく、変わることを純粋に楽しんでいるメンバーです。違う価値観と出会うと驚きと面白さを感じるメンバーです。何かを体験することの価値に疑いをもっていないメンバーです。だからみんなで広島まで遠征に行っちゃったりするわけです。

 

こんなメンバーが、「なぜ変われない人がいるのか?」と問うことは、私たちはプリンが美味しいと思って食べているのに、なぜ美味しいと思わない人がいるのかと問うようなものです。変われない人は変わる楽しさを味わえなくて残念ねという以上に何かを言うことに意味はないと思います。

 

特定のテーマをもたないカオスな会話の中から、自分でこれは面白かったというテーマを見つけて学んでいくのが孫子女子勉強会の醍醐味です。