孫子女子勉強会で古典を学ぶ意義

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現代社会の現象を「孫子の兵法」をもとにして読み解くという女性限定の「孫子女子勉強会」。中国古典の専門家であり「孫子の兵法」や「戦争論」の著者である守屋淳先生にスペシャル講師としてご参加いただけたおかげで、女子勉強会でなぜ古典を学ぶのかを明確に説明できるようになりました。

 

守屋先生にお越しいただいたことで、いつもの「孫子の兵法」をもとに古典に学ぶ場が、クラウゼヴィッツの「戦争論」にまで範囲を広げて学ぶ場となり、視野を大きく広げてより大局的な理解を促す場となりました。この学びの場で提供された話題から、自分なりに咀嚼して思考した結果を記録しておきたいと思います。

 

 

欧米の思考の型

守屋先生によると、欧米には「本質をつかめば他の部分もすべて支配することができる」という思考の型があるそうです。この考え方は中世キリスト教の考え方を源流とし、すべての本質は神が一手に握っているという考えからきているそうです。「本質」に対応する言葉として「個別」があり、「本質=神」に対して、「個別=人間」という図式が成り立ちます。すなわち、人間は神の本質をもった個物であり、それぞれがもつ本質の多寡によってそれぞれに違う人間が存在すると考えられてきました。

 

さらには、本質は単純なほど真理に近いとされています。このことには論理的な根拠はなく、審美的な観点によるものだそうです。

 

欧米の思考の型にもとづくと、最も重要なものは何か、すなわち、本質は何かを考え、そこに資源を集中するという行動様式になります。アメリカは、その時代時代に最も重要なものは何かを「宇宙」「サイバー」「周波数帯」と考え、それらを掌握するように国家の資源を投下してきました。周波数帯が重要になるのは、これからの戦争では無人機やロボットの操縦によって戦闘することになるからです。西洋医学では、症状が出ている患部を本質と考え、その患部を徹底的に治療するというアプローチをとります。

 

 

東洋の思考の型

東洋の思考の型は欧米のそれとは違って、全体を構成する基本要素とその関係性を解き明かすという発想が強いそうです。

 

この考え方では、例えば、色彩の基本要素は「青、赤、黄、白、黒」の五つにすぎないが、組み合わせの変化は無限である」ということになります。東洋の思考の型は漢方の考え方にも通じるものがあり、全体のつながりやバランスを重視します。症状が出ている患部のみに注目するのではなく、その患部に症状をおこさせるツボに対して処方するというのが東洋的発想です。

 

欧米と東洋の思考の型の比較

欧米と東洋の思考の型を比較して表にまとめてみました。まとめる過程で、欧米の思考の型には「世の中はシンプルに割り切れる」という世界観があり、東洋の思考の型には「世の中は曖昧でごちゃまぜ」という世界観があるのではないかという考えに至り、この項をつけ加えました。言い換えると、欧米の思考の型では本質をつかめばPDCAを回していけばうまくいくという考えがあり、東洋の思考の型では変化に対応するOODA的対応が必要になるという考えがあるように思われます。

 

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       欧米と東洋の思考の型の比較

 

教育的価値観

守屋先生から、もう一つ、大変興味深い話題提供がされました。それは、アメリカと日本の幼児教育・小学校教育の価値観の違いが、思考の型の違いにも表れているというものです。作文教育と歴史教育において、その違いの輪郭を示してくれました。

 

4枚の絵の書かれたカードを提示され、その絵をもとに作文するという課題に対して、アメリカと日本では明らかな差があったそうです。アメリカの児童は主人公にとってはこんな一日であったと1日の総括から書き始める傾向があるのに対して、日本の児童は一連の出来事を起きた順番に並べて、その展開プロセスに重点をおく傾向があるという結果だったそうです。

 

日本の歴史教育では、教科書には記されていない他者との共感を歴史理解の媒介としており、「共感」の能力が歴史の授業の中では思考力そのものとして位置づけられているそうです。一方で、アメリカの歴史教育では、「因果律」を歴史理解の枠組みとして、結果から振り返って情報を取捨選択する「分析」の能力が児童に要求されているとのことです。

 

日本では、伝統的な共感教育を背景として、作文においても歴史においても時系列の説明スタイルが強調されます。アメリカでは、科学主義による演繹的方法論の重視と価値の多様化に対応するために個人の「分析・決断・批判力」が必要とされることを背景として、因果律の説明スタイルが強調されます。こういった違いは、単一民族国家に近い日本と多民族国家であるアメリカの違い、ひいては、多民族国家での共感の難しさも影響しているようです。

 

日本とアメリカは国家的な成り立ちの違いをもとに、それぞれの教育目標を掲げて教育を実践してきました。結果として異なる教育が行われているわけですが、どちらかの教育だけが上手くいっているわけではなく、互いに相手国の教育を良いと思って自国に取り入れようとしているのが現状だそうです。

 

 

日本企業の現状

守屋先生の研究結果の一通りの解説が終わった後、これらを踏まえて日本企業に何がおこっているかの話題提供がありました。大変興味深い一方で、ちょっと絶望的になるような内容でもありました。

 

欧米の思考の型と東洋の思考の型のどちらが善いかはここでは置いておくとして、古典に学べば、本質をつかんだり、基本要素と関係性から全体をつかむ能力をもった人間を育成し、その能力の高い人が高い地位と権限を得て、世の中に変化をもたらしていくのがあるべき姿のはずです。

 

ところが、伝統的に共感教育が行われている日本では、学校教育の成果として忖度する能力が高い人間が育成されることがおこっています。そして、日本の教育システムに適合して優秀な成績をおさめた学生は、所属組織の中で忖度する能力によって高い地位を得ているというのです。その結果が、今、世の中でおこっている様々な政治や企業の不祥事に他なりません。

 

教育の成果が様々な不祥事をおこすことにつながっているなんて残念すぎる話です。他者に共感する能力は決して悪いことでも不要なことでもありません。それなのになぜこういうことがおこるのかについては2つの理由が考えられます。

 

一つの理由は、昇進制度が人によって判断されているからです。人が判断を行う際には、どうしても判断を行う側の人間の感情が入り込んできます。本来行うべき判断基準だけではなく判断者の基準が入り込む余地によって、判断者への忖度の有無が判断に影響していると考えられます。

 

もう一つの理由は、自ら思考して判断することを放棄して他者の思考への共感だけで行動しようとするからです。

 

 

私たちが学ぶべきこと

勉強会の場で学んだことを後から振り返ってみると、その内容の深さに気づかされます。

 

私たちが学ぶべきことは、まずは現状を知ることです。無意識的に行っている思考の型や教育的価値観は、普段の日常生活の中でその存在に気づくことはなかなかできません。そういったものに気づくために、古典から学んだり、今回のような学びの場に参加することが必要なのです。今回の勉強会に参加して、古典に学ぶ意義がストンと腹に落ちました。

 

もうひとつ大事なことは、思考の型の違いや教育的価値観の違いを知っても、安易な二元論に陥らないことです。対比される2つの事柄が存在しているのは、どちらか一方が正しくて他方が間違っているということではなく、トレードオフの関係にあるはずだからです。

 

守屋先生が、勉強会の最後にこんな話をしてくださいました。

 

ある外資系企業の経営者がこんなことを言っていました。「日本の企業は経営判断をしていない。経営判断とはトレードオフの判断をすること。日本の企業は経営判断をせずに、精神論で現場の頑張りでなんとかしようとする」

 

企業経営に限らず、個人が生きていく時も選択の連続です。人生で遭遇する選択に迷うのは、選択肢がトレードオフの関係にあるからです。何かを選んで何かを捨てるという決断、つまり経営判断をしながら誰もが生きていくことになります。

 

私たちは、自分の人生の経営判断をうまくできるようになるために、この勉強会で経営するとはどういうことかを「孫子の兵法」から学んでいるのです。女性限定勉強会で「孫子の兵法」を学んでいると言うと不思議がられることがよくありますが、今回の勉強会を経て、私たちの学びの場の意義を自信をもって言えるようになりました。