育児経験は仕事の役に立つ

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購入したものの積ん読状態になっていた「育児は仕事の役に立つ」を読了しました。この本の対象とされているのは、子どもが保育園児や小学生くらいの育児が中心なので、子どもがまだ小さかった頃の育児生活を懐かしく思い出しながら読みました。本文中に出てきた「経験ベースの学び」という言葉を深めたいと思って、ジョン・デューイの「経験と教育」にも手を伸ばしました。この2冊をあわせて、自己教育力の観点から育児経験が仕事の役に立つこと紐解いてみたいと思います。

 

 

チーム育児がもたらすもの

「育児は仕事の役に立つ」では、育児をプロジェクトと捉え、夫婦を中心とするチームが恊働して達成するプロセスで、育児以外にももたらされるものがあるとしています。

 

「育児の実行」と「育児の体制づくり」の両方を含む育児をチームで行うことは、「リーダーシップ能力」の向上に効果があることが調査分析の結果で明らかになったことが説明されています。

 

また、育児をチームで行うことは、「マネジメント的役割を担うことは魅力的である」との認識を向上させる分析結果も示されています。

 

さらに、育児をチームで行うことは、親の人格的発達にも促すこともデータで示されています。

 

育児の経験は育児以外にも様々な効果をもたらすという説明の中で、私が最も関心をもったのは、親の人格的発達を促すという点です。子どもが生まれた瞬間に突然に親に変わるのではなく、子どもが育つにつれて親としても育っていきます。親という新しい視点で世界を見ることで、人間的にも成長していく実感をもっている人は多いのではないでしょうか。

 

経験と教育

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ジョン・デューイ著の「経験と教育」はとても薄い本で、出てくる単語は難しくないのですが、その思考をたどるのはやや難解な本でした。思い切り要約すると下記になります。

 

  • 真実の教育はすべて経験を通して生じる。
  • 経験は連続性と相互作用の原理をもつ。
  • 経験は連続的におこるものであるため、経験の効果はそれ単独の快/不快ではなく、その経験が未来による望ましい経験をもたらすかで判断される。
  • 経験は個人の内部だけで進行するものではなく、客観的条件と内的条件の相互作用によって成り立っている。
  • 経験の中に教材を発見する。

 

教育は経験を通じてなされるけど、 教育的な経験と非教育的な経験があり、教育的な経験は連続性と相互作用の原理をもっていると書かれています。被教育者の経験の中に教材を発見していくことについても触れられています。

 

育児経験という教材と自己教育力

育児は、親が子どもを育てると同時に親が親として育っていくプロセスを含みます。人が育つ、つまり教育がおこる際には、教育者と被教育者が存在します。学校では、教育者は教師であり被教育者は子どもです。家庭では、教育者は親であり被教育者は子どもです。会社では、実態はともかくとして、教育者は上司であり被教育者は部下です。

 

親が親として育っていく場合には、誰が教育者に相当するのでしょうか?この場合は、親が教育者でもあり被教育者でもあると言えるのではないでしょうか。育児を行う経験の中に教材を発見し、経験を通じて自己教育を行っていると見ることができます。

 

育児経験の中でおこる教育の代表的なものを表にまとめたものが下記です。

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私自身が育児経験を通して、様々な教材をもとに育てられた事例を挙げてみましょう。

 

(1)教材が子どもの事例

育児経験を通して親が自己教育を行う教材としての最たるものが子どもです。

 

「育児は仕事の役に立つ」の中に中原先生が書かれていたように、子育てを通して、子どもと一緒に子ども時代をもう一度生き直している感覚があります。その中で、いかに自分が固定観念にしばられているのか、新鮮な目で世の中を見る目を失っていたかに気づかされます。

 

育児を通して最も磨かれたと感じるのは観察力です。子どもが保育園に通っていた時に、保育園の先生と保護者の間で子どもの様子を情報共有する仕組みとして連絡帳がありました。体調の変化や気になることなどを記入して、子どもに適切な対応をするのが目的のものでしたので、子どもがいつも通りに元気にしている場合は記入しなくてもよいものでした。私は、忙しさにまぎれて、目覚ましく成長していく幼少期の変化を見逃さないために、毎日必ず何がしかの子どもの変化を連絡帳に記載することを自分に課していました。そのおかげで、子どもを観察することが必要になり、観察を通じて変化を察知する能力が磨かれたと感じます。

 

人は一人一人が個性をもった存在であり、個々に向き合うしかないということも子育てを通じて理解しました。同じ親から生まれても、生まれた瞬間から違う個性をもち、同じ環境で育てても、まるで正反対とも言える人物に育つということはちょっとした衝撃でもありました。

 

PDCAなど全く通用しないくらいに突発的なことが次々おこるのが子育てです。初めての子どもの時は親としても初体験のことばかりでしたが、3人目になると、自分の経験値もあがっているので新しい状況に遭遇することはそうそうないだろうと高をくくっていましたが見事に裏切られました。自分の想像を超えたことが次々におこって、何が正しいのかわからなくても親として何らかの対処をせざるを得ない状況に常にさらされて、精神的に鍛えられました。

 

こんな行動をとるのはこういう心理が働いているのか、こういう言い方をするとこういうことがおこるのかなど、人間に対する理解が深まったのも子育てを通じてでした。

 

働きながら1人目の子育てをしている時、もうこれ以上何かを増やすのは無理だなと感じていました。2人目が生まれて、1人の子育てで限界と思っていたことが限界ではなかったと悟りました。2人目の時も2人の子育てが限界と思っていましたが、3人目が生まれた時も同様に、2人の子育てが限界ではなかったと悟りました。これが限界と思うのは、自分がそう規定しているだけなんだなということも育児経験から学んだことでした。

 

(2)教材が子どもの先生の事例

子どもが学校に通うようになると、子どもの先生から教わることもたくさんありました。

 

ある時期、子どもがブックオフに入り浸って、マンガの立ち読みに明け暮れていたことがありました。何時になっても帰って来ず、様子を見に行くと逃げてしまいました。この件で学校の先生に相談した時、先生から言われたのは「行き先がわかっているのだから安心じゃないですか」でした。そういう見方もあるのかと自分の視点の狭さに気づかされました。

 

高校の先生には、長期の視野で子どもの成長を考えることの大切さを教わりました。大学受験に役に立つかどうかでなく、成長する機会になるかどうかを考えて、子どもを見守るように教わりました。今考えると、デューイの言うところの経験の連続性を意識されていたのだとわかります。

 

(3)教材が子どもに関わるコミュニティの事例

子どもができると、学校のPTAや子ども会、学童保育、少年サッカー団など、子どもに関わるコミュニティに親も関わるようになります。「育児は仕事の役に立つ」にも書かれていましたが、職場とは異なるコミュニティには、様々な価値観や家庭環境の人がいることを知ることになりました。PTAの役員をしていた時には、パソコンを使えるだけで驚かれて、そのこと自身に私が驚きました。自分が普段属しているコミュニティを見ているだけでは、社会のほんの一面しか見えていないことを痛感しました。

 

(4)教材が子どもの環境の事例

子どもが保育園や学校に通うようになると、家庭で準備しないといけないものが色々とあります。保育園の時はお昼寝用の布団を持参する必要がありましたが、布団を入れて持ち運ぶ用の入れ物が必要でした。赤ちゃん用の布団とはいえ、布団が入るような袋はどこにも売っていなかったので自分で作る以外ありませんでした。裁縫が苦手だったので、自分で何かをつくるなどという発想はなく、ミシンも持っていませんでした。が、必要にかられてミシンを購入し、すっかり忘れてしまっていたミシンの使い方を自力で勉強して、悪戦苦闘しながら布団袋をつくりました。子育てで必要になっていなかったら、きっと苦手だったことに取り組むことはなかったと思います。

 

子どもが学校から持ち帰る学年便りも学びの扉になりました。学年便りに掲載された子ども達の作文から、今の子どもがどんなことを感じ、考えているのかを知ることができました。

 

育児経験は仕事の役に立つ

育児経験は様々な教材を通じて、自己を教育し、人間的成長を促すことを事例を挙げて述べました。

 

野村克也氏の「弱者の兵法」に、「人間的成長なくして技術的進歩なし」というフレーズが書かれています。ここで言う技術的進歩とは野球の技術的進歩のことであり、仕事上のスキル向上を指します。

 

育児経験は人間的成長を促す

人間的成長なくして仕事上のスキル向上なし

この2つを合わせると、「育児経験は仕事の役に立つ」と言えます。

 

子どもの人数を聞かれて3人と答えると、「大変ですね」と言われることがよくありますが、私は「大変ですね」と言われることにいつも違和感を感じていました。なぜなら、育児を通して得られることは大変さをはるかに超えるものだと感じていたからです。

 

育児を通して、確実に人間的に成長したという実感があります。3人の子どもに恵まれて、自分の人生と合わせて4人分の人生を味わうことができています。こんな幸せなことはありません。

 

今日は母の日です。このブログを書きながら、育児経験を振り返って、私を母親にしてくれてありがとうという気持ちで1日を過ごしました。