セレンディピティと知性

 

長男におこったセレンディピティ的出来事

私が子ども達に是非とも伝えたいと思っていた概念のひとつに「セレンディピティ」があります。言葉で説明するよりも事例で説明した方が圧倒的に理解が進むと思っていたところ、この春から大学院に進学して一人暮らしを始める長男にセレンディピティとも言える出来事がおこりました。

 

冷たい雨の降った3月の最終日、新生活に必要なものを揃えるために、会社を休んで長男の下宿先に向かいました。あれこれと買い物をして、2人で両手いっぱいの荷物になり、お昼も過ぎておなかもすいてきたので、いったん荷物を置きに部屋にもどることにしました。

 

これから始まる新生活のことを二人で話しながら歩きました。大学院での研究は学校外に出かけることが多いので電車代がかさむこと、電車代を補うために飲食店でのバイトを見つけたいと思っていること、下宿の近くでバイト募集中のお店を何軒か見つけたこと、次の日にでも電話してみようと思っていることなどなど。

 

話題の中心がバイトの話になり、学部生時代の友人の多くは家庭教師や塾講師のバイトをしていたと長男は言いました。それを聞いた私は、家庭教師や塾講師は比較的時給が高いことが理由に挙げられるけれど、アルバイト、もっと言えば労働は、時間とお金を交換するだけのものではないことを長男に伝えました。時間と体力や知力を差し出して得られるのはお金の他に経験という価値があること、自分の成長につながる経験ができるかも働く場所を選ぶ重要なポイントになることを話しました。

 

長男も学生時代の飲食店でのバイト経験から時給以外の選択基準を自分の中にもったようで、チェーン店ではなく個人経営の飲食店でのバイトを希望していました。その理由は、チェーン店では行動がマニュアル化されていて面白くないこと、個人経営のお店ではまかないご飯が出るからだそうでした。それを聞きながら、我が子ながら色々考えているんだと感心して、ちょっとは成長したかなと心の中でつぶやいているうちに下宿につきました。

 

両手いっぱいに買い物をした荷物を下宿に置いて、午後からの買い出しに備えて腹ごしらえに行くことになりました。雨も降っているし、午後もまだ買い物に行かなければならないしということで、近場のお店に行くことで合意し、歩いて5分程度の場所にある焼肉屋さんに行くことになりました。引っ越したばかりのことなので、当然のことながら長男も初めて行くお店です。

 

ランチタイムをとうに過ぎた遅めの時間でしたが、店内には常連さんらしきお客さんが何人かいました。あいた席に座ってランチメニューから選んで注文をして食事が出てくるのを待ちました。待ちながら、見るともなく店の様子に目をやると、お店は年配のご主人とその奥さんらしき2人で切り盛りしていました。

 

席にお茶とコップを持ってきてくれた愛想の良いおかみさんが、息子に話しかけました。

 

おかみさん 「A大の学生さん?」

長男 「そうです。4月から大学院1年生になります」

おかみさん 「A大の工学部の学生さんがうちでバイトすることになってるのよ」

長男 「大学時代の3年間、僕も焼肉屋でバイトしてたんです」

おかみさん 「あら、そうなの」

長男 「バイト募集中の貼り紙がないから、この店ではもうバイトの募集はしてないですよね?」

おかみさん 「もう募集はしてないのよ。うちは、結構すぐにバイトが埋まるのよ。ご飯がおいしいからね」

おかみさん 「またご縁があったらね」

 

長男は店に入る前にバイト募集の貼り紙があるかをチェックしていたようです。初対面の人から話しかけられて、聞かれたことに答えるだけでない会話ができるようになったのは学部生時代のバイト経験からだろうなあと思いながら2人の会話を聞いていました。

 

なかなかに美味しい焼肉を食べ終えて、お勘定をしようとしたら、厨房からご主人が出てきて代金受け取りの対応をしてくれました。そして、驚くべきことに、お金を支払った私ではなく、長男に話しかけたのです。

 

ご主人 「焼肉屋でアルバイトしてたの?」

長男 「はい」

ご主人 「アルバイトが4人いるんだけど、土日の人手が足りないんだよね」

長男 「土日なら入れます」

ご主人 「一度、面接に来てくれる?」

長男 「明日、面接に来てもいいですか?」

ご主人 「じゃあ、2時くらいに来て」

 

どうやら、焼肉屋でのバイト経験があるA大学の大学院生がバイトを探しているようだという話をおかみさんがご主人にして、それを聞いたご主人がアルバイト候補として長男に話しかけたようでした。バイト募集の貼り紙は出していませんでしたが、人手が不足しがちな土日に入れるいいバイトがいたら雇いたいと思っていたという事情があったようです。

 

長男と二人でお店を出た後は、たった今おこった出来事についての話題に花が咲きました。私は期せずしてバイト先が見つかるという幸運が訪れた場に立ち会ったことへの興奮を感じながら、「こういうのをセレンディピティって言うのよ。たまたま入ったお店でしたバイトの会話のどれかひとつでも欠けていたらこんな展開にはならなかった。いくつもの偶然が重なっての結果だね」と長男に言いました。「明日の面接でバイトが決まればラッキーだね」とも付け加えて。

 

飲食店では慢性的に人手不足であること、飲食店で新しくバイトを始めた人はすぐに辞めてしまう人が多いこと、新しくバイトを始めた人が接客等の色々な仕事を覚えるのには時間がかかること、あのお店の規模なら4人のバイトで回すのは厳しいことなどから総合的に判断して、バイトが決まる確度は100%に近いと踏んでいるというのが長男の見方でした。さらには、常連客がいるお店はお店としても悪くないという経験値も働いたようでした。

 

午後からは、また入用なものの買い出しに出かけ、買ってきたものを部屋にしまってなどをしていると、あっという間に時間が過ぎていきました。一通りの入用なものの買い出しは終えたので、後は長男に任せて私は高松へと帰ってきました。

 

次の日の夜、長男にバイトの面接がどうだったかを聞いたところ、基本的に土日にバイトに入れるかだけの確認で他には何も聞かれずに4月からバイトをすることがあっさり決まったとの返信でした。こうして長男のバイト探しはあっけないくらいに簡単に、理想的なバイト先が見つかるという結末を迎えました。これをセレンディピティと言わずして何と言えばいいのでしょうか。

 

バイトで身につけた意外な力

バイト先になる焼肉屋さんで昼食を食べた日、夕食を食べながらの話題もバイトのことになりました。「学部生の時のバイトで一番難しかったことは何?」という私からの質問に対して返ってきた長男の答えは「予測すること」でした。私はお客さんとの接し方というようなコミュニケーションに関するものを予想していたので、意外な答えに驚きました。

 

詳しく聞いてみると、飲食店ではいかに空いた席をつくらないかが重要であり、来店客をどこに座らせるかというのが非常に大きなキーファクターになるそうです。

 

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例えば、図のような空き席の状況で、待っているお客さんが1番目がお二人様、2番目が4人様だった場合、1番目に待っているお二人様を案内する可能性はB席とC席の2通りがあります。何も考えずにB席に案内してしまった場合、A席があいて合計の空き席数が4つになっても、A席とC席は離れているので、4人様のお客様を案内できずに席をあけておくことになってしまうというわけです。したがって、単に空いている席を確認するだけでなく、常に全体を観察して、注文の状況等から、A席とD席のどちらのお客さんが先に帰りそうかの予測のもとに1番目のお二人様の席を決定しなければならないそうです。

 

バイトとはいえ、飲食店では、予測という非常に高度な思考が要求され、予測をするためには観察する力が磨かれることをこの話を聞いて初めて知りました。この話を聞いて、長男が学部生時代のバイト経験でいかに成長したかも知りました。

 

セレンディピティの要素

セレンディピティとは「偶然の幸運に出会う能力」と言われます。単なる運というよりは、個人に備わった能力という側面があることを意味します。

 

セレンディピティに何よりも必要なこととして言われるのが、行動することです。動かないことには幸運に出会うこともないですから。しかし、闇雲に動いていればいつか幸運に出会うというのはあまりにも芸がなさ過ぎます。セレンディピティは行動すること以外にもうひとつの要素があると思えるのです。もうひとつの要素は予測する能力だと思うのです。闇雲に行動するのではなく、自分の期待することがおこる可能性があるというある程度の予測のもとに行動するからこそ、実際に幸運に出会うことができるのではないでしょうか。

 

長男は学部生時代のバイトで予測する力を身につけていたからこそ、焼肉屋さんでのおかみさんとの会話で自分のバイト経験の話をし、ご主人との会話で人手の足りない土日に自分が入れることを話し、面接の日時をその場で翌日に設定して決めるという行動ができたのだと思います。これらの行動は、おそらくは無意識のうちに直感的に行ったものだと思います。その結果が幸運な出会いにつながったのです。

 

セレンディピティと知性

私が偶然にも読んでいた「日本の反知性主義」という本の中にこんな一説が書かれていました。

 

まだわからないはずのことが先駆的・直感的にわかる。それが知性の発動の本質的様態だろうと思う。

 

つまり、予測する能力とは知性とも言い換えられるわけです。このことから、セレンディピティには知性をもって行動することが必要だと結論づけられます。

 

「予測できるようになるために、お店の人はどんなことを教えてくれたのか?」と長男に聞いてみました。答えは「考え方」でした。

 

考え方を聞けばすぐに予測ができるようになるわけではありません。うまく予測できなくて失敗してしまうことも当然あるわけです。そんな時、その具体的な事象に対して、どう考えればうまく予測できるかの指導がなされたそうです。決して、思考をすっとばして、こういうパターンの時にはこうするというパターン化した行動を教えられたわけではなかったそうです。「状況は無限に存在する。だからマニュアル化はできない。自分で考える他にない」と長男は言いました。

 

久しぶりにじっくり向き合って話をした長男の受け答えに知性を感じたのは言うまでもありません。新しく始まる大学院生活も一人暮らしも、何があってもセレンディピティを存分に発揮して進んでいくであろう長男の姿が想像できました。そんな長男の姿を見ると、パターン化やマニュアル化という言葉とはおさらばして、知性を磨いて偶然の幸運に出会うワクワクな人生を歩んでいきたいと思わざるを得ませんでした。