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なぜ話が伝わらないのか?

仕事 考え方

目の前にいる人に対してであれ、ネットの向こうにいる人に対してであれ、何かを伝えたいけれど伝わらないという経験をしたことがある人は多いのではないでしょうか。私自身も、ここしばらくずっと「どういうメカニズムで話が伝わったり伝わらなかったりするのか」という問いを抱えていました。そんな中で手にとった野矢茂樹さん著作の「哲学な日々」を読んで、なるほどそうだったのかとわかったことがあります。ここでは、相手に伝えたい内容はあることを前提として話を進めます。

 

受け手の状態を知る

誰かに何かを伝えたいと思った時に真っ先に考えるべきことは何でしょうか?私は、どんな手段で伝えるかやどんな順序で伝えるかだと思っていましたが、それは大きな大きな勘違いでした。何よりもまず考えるべきは、受け手が聞きたいという状態なのかそうでないのかということです。最も基本的でありながら忘れがちなことです。

 

私はこれまでに、顧客への紹介に同行を求められて話したり学会で発表したりということを何度か経験していました。その時は、自分が持っている情報を受け手に合わせて伝わるように考えれば良かったのです。訪問した顧客も学会の会場に来ていた聴衆も、私が持っている情報について聞きたいという状態になっていたので、とにもかくにも聞いてくれたのです。

 

最近、話を聞きたいという明確なニーズを持たない人に話をすることを何度か経験しました。受け手が聞きたいという状態かそうでないかで、当然のことながら、話の切り出し方も話の進め方も全く異なるアプローチが必要になります。いやはやこの差たるや衝撃的なものがあります。話を聞きたいという明確なニーズをもっていない相手に何かを伝えるというのは極めて高度なスキルだということを身にしみて感じました。

 

誰かに何かを伝えようとする時、相手が聞きたいという状態になっていることは、実は案外少ないのかもしれません。仕方なく教室に座っている生徒に対して話をする教師、義務的に受講している社員研修生を相手に話をする講師、子どもに助言する親、訓示を述べる上司。目の前にいても聞く状態になっていない相手にいくら話をしても、話が右から左に抜けていくなんてことも少なくないのではないでしょうか。マス広告やSNSで流れてくる文章も同様に、必ずしも聞きたいという状態の人に向かって発せられているわけではありません。

 

問いを発生させる

必ずしも受け手が聞きたいという状態になっていない状況で話を伝えなければいけない時には、一体どうすれば良いのでしょうか?その手がかりが「哲学な日々」に書かれていました。

質問を相手にさせる。これが答えである。しかも、あなたの言いたいことがその答えになるような、そういう質問を相手から引き出さねばならない。問いかけがあれば、相手はその答えに耳を傾け、問いかけがなければ、たとえ同じことを語ったとしても相手は逃げていく。問いのないところに答えだけ言っても失敗する。

 

話を始める前に伝え手と受け手の間に問いが共有されている状態をまずはつくり出さねばならないのです。言われてみれば、なるほどその通りです。クエスチョンマークが浮かんでいるからこそ聞きたいという状態になるわけです。そう言えば、本のタイトルも疑問形になっているものが多いですよね。「なぜ~なのか?」というように。そのタイトルに惹かれて手にとった時点で、著者と読者は問いを共有している状態がつくられるので、本文の内容が伝わるというわけです。

 

それにしても、自分の言いたいことが答えになるような問いを相手に発生させるなどということはどうすればできるのでしょうか。そのためには、まず、自分自身が「自分の伝えたいことはどういう問いの答えになっているのか」を自問する必要があります。伝えたい内容が答えになっている問いはひとつとは限りません。相手が関心を持ちそうな問いは何かもあわせて考えることが必要です。相手の関心がわからない場合は「どういうことだろう?」という疑問の呼び水になるキーワードを散りばめるのでもいいのかもしれません。

 

伝え手としての位置をつくる

問いを発生させる以外に話が伝わる方法があります。伝え手としての位置をつくることです。

 

講演会等で著名なゲストが講演するとなると、講演タイトルに関わらず話を聞きたいと思うことがあります。有名人に会いたいというミーハー心だけでなく、その人の話は聞いて良かったと思えるに違いないという期待がわきおこるからです。

 

こんな経験をしたことがあります。あるテーマの全体像を描くために、そのテーマに関わる人達からヒアリングして情報を集約し、整理する必要がありました。今まで一度も会ったことも話したこともない人からもヒアリングする必要があり、とりあえず電話してみました。運悪く取り込み中とのことで、折り返し電話するという返答をもらって電話を切りました。しばらく待ちましたが折り返しの電話はありません。再度の電話をかけるのもはばかられたので、書きかけの全体像の資料をメールに添付して、問い合わせの背景とヒアリングしたい旨をメールで連絡しました。メール送信後にほどなくして電話がかかってきました。

 

そんなに早くに電話がかかってくると思っていなかった私はびっくりしました。電話で会話してみてわかったのは、どこの誰かも知らない人物であっても描こうとしている全体像を見て話を聞こうと思われたようでした。

 

これとは逆にこんなことにも遭遇したことがあります。ある人が話しているのですが、誰も耳を貸そうとしません。問いの共有がない以前に、日頃の言動を鑑みて、その人が話しているという時点で話が伝わらないのです。

 

これらの事例から言えることは、話を伝えたいなら、聞くに値する人物であると認識される位置をつくる必要があるということです。

 

コミュニケーションの回路を開く

話が伝わる時と伝わらない時を図的に示すとこんな感じになるでしょうか。両者の決定的な違いは、伝え手と聞き手の間にコミュニケーションの回路が開かれているかどうかです。

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話が伝わる時は、伝え手と受け手の間で問いを共有することでコミュニケーションの回路ができ、伝え手の話はその回路を通って受け手に届きます。あるいは受け手の伝え手に対する期待でコミュニケーションの回路ができる場合もあります。

 

一方で、コミュニケーションの回路ができていない状態というのは受け手の手前に見えない壁ができているようなものです。伝え手がどんなに熱心に話をしても、話はその壁に跳ね返されてしまうので伝わりません。

 

受け手が聞くに値しない人物だと評価している時には問いの共有すらできなくなります。こうなると、コミュニケーションの回路を作ることができないので、どうやっても話は届きません。これはかなりやばい状況です。

 

話を伝えようとする時には話の内容や伝え方に目がいきがちですが、その前にコミュニケーションの回路が開かれているのか、開かれていないとしたらいかにして回路を開くかに意識を向けなければなりません。

 

コミュニケーションの回路を開くための大前提は人としてどうであるかということです。考えてみれば当たり前のことです。いかなるコミュニケーションも最終的には人と人の間に生じるものなのですから。