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テクノロジー失業?テクノロジー活用?

Facebookに現れた過去記事が、今再びAIというテクノロジーの文脈で考えたい内容だったので、編集してブログに転記したいと思います。元記事は20141220日に子どもが卒業した東京都立西高等学校のOB/OGを講師に迎えた訪問講義の内容です。

 

テクノロジー失業

AIに代替される仕事があるという言葉がよく聞かれるようになりました。言い換えるとテクノロジー失業の可能性がある仕事の話題です。それは未来の話ではなく、ロボットメーカーのマーケティングを担当する講師がすでに経験したことだったのです。

 

大学で応用物理を専攻した講師は、文章を書くのが好きという理由で日経新聞の記者からキャリアをスタートさせました。1997年からシリコンバレー特派員としてき、1998年にまだ社員数が10人だったGoogleのことを日本で初めて記事に書いたそうです。その時にもらったというGoogle Doodle の絵を額に入れて参加者に見せてくれたものを撮影したのがこの写真です。

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日経新聞を退社する時には、10年後をどう生きるかを考え、ロボット大国日本でロボットに焦点を当てたフリーランスジャーナリストになったそうです。ところが、それから10年後、インターネットの発達により、仕事は減らないけれども仕事の単価が下がる「テクノロジー失業」を経験したといいます。

 

テクノロジーに代替される仕事に就いている人の行く末は、仕事がなくなるのではなく、仕事の単価が下がることなのですね。仕事に対する対価は絶対的なものではなく相対的なものであり、テクノロジー失業に陥らないためには希少価値を生み出せるかにかかっているということです。

 

テクノロジー活用

テクノロジー失業を経験した講師は、テクノロジー活用によって転職を果たしました。ロボットというテクノロジーへの関心と造詣を深め、ロボットについて発信する個人のメディアを運営し、たくさんの読者を惹きつけていました。この実績がロボット会社からのオファーにつながり、ロボットメーカーに転職できたそうです。

 

ロボットによる失業かロボット活用か

アーム型の自動機械をロボットと呼んだのは、アメリカ人のジョセフ・エンゲルバーガーだそうです。ジョセフが産業用ロボットとして製品化したものの、職を奪われることを警戒した労働組合の強い反対にあって、アメリカでは全く売れなかったそうです。

 

ジョセフが日本で講演した際には、何百人もの日本人がすぐさまその有効性を理解したことにジョセフは感動したといいます。そして、日本でアーム型ロボットは生産現場に取り入れられたそうです。日本では終身雇用制があり、アーム型ロボットの導入によって、人間は別の労働を行うようになったからだそうです。

 

ロボットによる失業を恐れてロボットをとり入れなかったアメリカと、生産現場にロボットを導入して人間はロボットにはできない仕事に移行した日本。対照的な対応をとった日本とアメリカですが、現代ではどうでしょうか?

 

テクノロジー活用の壁

ソフトバンクからPepperが発売されることになったのは画期的なことで、ソフトバンクだからできたことだという紹介を聞いて、頭の中に?が浮かびましたが、続く説明で、その疑問はすぐに解消されました。ロボットを一般発売すると、家庭で何がおこるかわからず、予期せぬ事故や安全性の保証を考えると、ロボット技術をもっていても製品化に踏み切れないのが多くのメーカーだそうです。

 

ルンバを発売しているアイロボット社でも、弁護士の話を聞いたら製品化はできないと弁護士の話は聞かなかったそうです。そうやって製品化した結果、ルンバは今では世界一売れているロボットになりました。

 

テクノロジーは新しい技術ゆえに予測不可能性がつきまといます。考えられるリスクヘッジはとりながらも予測不可能性をもひっくるめて引き受けてこそテクノロジーを活用できるのです。テクノロジー活用にはある種の覚悟が伴うということでしょう。

 

テクノロジーとは

講師はテクノロジーとは何かをアラン・ケイの言葉を引用してこう説明しました。

『テクノロジーとは、あなたが生まれた時に存在していなかったすべてのものだ』

 

インターネットという言葉がなかった時代に生まれた私達にとって、Googleサーチは画期的なテクノロジーでした。けれども、Google誕生より後に生まれた世代にとってはGoogleAppleはテクノロジーではないのです。

 

今を生きている人にとってはAIはテクノロジーです。けれども、これから生まれてくる子ども達にとっては、もはやAIはテクノロジーではないのです。これから生まれてくる子ども達にとっては、AIにとって代わられる仕事云々の話ではなく、いかにAIを活用するかという発想しかないでしょう。

 

ある時代ではテクノロジーであったものも、時間の経過とともにあたり前のものとして世の中に存在するようになるのです。テクノロジーによる失業に戦々恐々としているというのは、時代の変化に取り残されている状態と言えるのかもしれません。

 

テクノロジー活用の哲学

一人の生徒が「ロボットが人を殺すことに使われることもあるのでしょうか?」という質問をしました。

 

「アメリカで画面の前に座り、無人飛行機ドローンがアフガンの上空を飛び、画面の前のボタン操作でドローンから爆弾が落とされるということが、実際にすでにおこっています」というのが講師の回答でした。

 

テクノロジー自体には善も悪もなく、それを使う人間の哲学こそが問われています。テクノロジーは常に発達していくものではあるけれど、社会がそれに伴って前に進んでいくかどうかは人間の考え方次第ということです。

 

今、AIというテクノロジーに大変な関心が集まり、AIによるテクノロジー失業の話題にもことかきません。けれどもAIに限らず、テクノロジーは過去からずっと形を変えて発明され、発達し、いつの間にかテクノロジーとは呼ばれなくなるくらいに世の中に浸透するということを繰り返してきたのです。

 

今、私達に問われているのは、テクノロジーにどう対抗するかやどう活用するかという次元を超えて、社会をどのような方向に進めていくのかという哲学ではないでしょうか。それに答えることで、テクノロジーとどう向き合うのかに対する答えも自ずと導かれるのではないでしょうか。