島で癒されたわけ

癒される

「癒された」という言葉をよく目にするようになった気がするのは気のせいでしょうか。私も時々使います。少し前に訪れた女木島に行った感想を一言で言うと「癒された」です。

瀬戸内国際芸術祭のアート作品以外は、はっきり言って本当に何もない島でした。島の中を歩きましたが、信号もコンビニもありませんでした。瀬戸芸の会期中に訪れたので、芸術祭に来た人はちらほら見かけましたが、車にはほとんど出会いませんでした。車がないってこんなに静かなんだと新鮮な驚きでした。静かなおかげで鳥の声がよく聞こえました。

帰りの船の出発時間が来るまで海岸で時間を過ごしました。高松からフェリーでわずか20分の場所にあるので肉眼で高松のまちが見えます。この島から見ると、高松が大都会のように思えるのが不思議でした。

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海岸に座って、波の音に耳を傾け、寄せてはかえすを繰り返す波を飽きもせずに見ていました。この島にいると時間の流れもゆったりに感じられ、日常では閉じがちな五感が解放されていくように感じました。そして、癒されると感じたのです。

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生きることは基本的には辛い

「癒される」の意味は「辛い思いなどがやわらぎ、穏やかな気分になる」と書かれています。癒されると感じるのは何がしかのストレスを抱えているからこそでしょう。

 

これまで生きてきてわかったことは、生きるということは基本的には辛いということです。SNSに投稿されている多くは、美味しそうな料理の写真であったり、笑顔の写真であったりと、楽しいことであふれているような錯覚に陥りますが、うまくいかないことや、人間関係で嫌な思いをすることは日常茶飯事です。

 

世の中は理不尽なことだらけです。「なんで好き嫌いで評価されるのか?」だったり、「なんで成功したら俺の手柄になり、失敗したらお前のせいになるのか?」だったり。自分のいる場所がたまたま運が悪いのかと思いきや、どこもかしこも同じように理不尽なことがおこっていると知ったのは、勉強会で披露される驚くべき数々のエピソードを聞いたからです。SNSにアップされる楽しそうな様子の裏にそんなこともあるんだなあという現実を知りました。

 

これではストレスも溜まるわけです。そして、そういうストレスは気づかないうちに自分の意識を占有して、モヤモヤする気持ちを抱えながら日々を過ごすことになります。

 

自分と向き合う

このストレスから解放されるためには自分と向き合う必要があります。自分の内面に目を向けて、自分が何をストレスに感じているのか、ストレスを感じないようにするためにはどうなればいいのか、そのために自分ができることは何かと冷静に見極める必要があります。冷静になって自分と向き合うと、気持ちが整理できて解決できることも多いのですが、自分に向き合うこと自体が案外、難しいことに気づきます。

 

自分に向き合うためには、ストレスを抱えている日常を離れた場所が適しています。女木島に行って癒されたと感じたのは、刺激が何もないからこそ、自然と自分の内面に目が向けることができたからでしょう。ストレス社会を生きるためには、時々は、モノがあふれる日常から離れた中に身をおくことが必要ですが、島はそれに最適な場所でした。