選ばれるプロフェッショナル

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医師は間違いなくプロフェッショナルと呼ばれる人です。かかりつけの歯医者に行った時の体験から、プロフェッショナルも選ばれる側にいると感じました。優れた専門的な知識と技術をもつだけでは選ばれるプロフェッショナルにはなれないとしたら、何が選ばれる決め手になるのでしょうか?

 

 

選ばれるのは組織ではなく人

東京に超してきてから初めて行った歯医者はネットで検索して見つけました。もちろん評判も見ましたが、平日は夜9時まで、土日祝日も診察を受けられる便利さで選びました。その歯医者には複数の歯科医師がいて、はじめに担当してくれた歯科医師A先生が担当医になって、次回以降の予約はA先生の予約をとるシステムになっていました。治療や定期検診でしばらくその歯医者に通っていました。要するに、その歯医者に特に不満はなく、他の歯医者に変えようと思わなかったのです。

 

ある日、いつもの歯医者に検診に行ったら、A先生が歯科医院を独立開業したので、今回から担当医が変わると告げられました。その日は検診を受けて帰りましたが、次回以降、その歯医者に行くかどうかをに迷いがありました。その時、私は、診察の受けやすさというシステムがある歯科医院ではなく、A先生を選んでいたのだとはっきり認識しました。

 

A先生の名前をネットで検索して、開業した歯科医院を見つけました。そして、それ以降の検診はA先生の歯科医院で受けるようになりました。私がA先生の歯科医院に初めて訪れた時は開業してまだ日が浅かったせいか、それほど混んでいませんでしたが、今では検診の予約をとろうとすると1ヶ月先になるほどの繁盛ぶりです。おそらく、以前の歯科医院から流れた患者さんも多いだろうと推測しています。

 

A先生を選んでいたことはわかったのですが、A先生の何を選んでいたのかはあまりはっきりしていませんでした。歯科医師としての技術が優れていたかと言われると、正直言ってわかりませんでした。特に問題を感じなかったので技術的な点でNGではないということはわかりましたが、同じ治療を他の医師が行えばどうなるのかは比べようがないからです。A先生とは話しやすいとは感じていました。

 

専門的な内容をわかりやすく伝える

今回、かぶせもののセラミックの一部が欠けてしまったために歯科医院を受診しました。その時のA先生の対応から、これがA先生を選んだ理由だとわかりました。

 

欠けた部分の補修をしてもらった後で、A先生と私の会話が始まりました。

 

A先生 「マウスピースはしてないんでしたっけ?」

私 「していません」

A先生 「マウスピースをした方がいいかもしれませんね」

A先生 「1日24時間のうち、上の歯と下の歯を噛み合わせる時間はどれくらいだと思いますか?」

私 「食事の時だけですよね?」

A先生 「食事の時だけだと7分くらいです」

A先生 「夜に歯ぎしりを噛む人がいますよね。そうすると噛み合わせる時間が増えて、歯に負荷がかかります。それで人工物であるセラミックがその負荷に耐えきれずに破損することがおこります」

A先生 「デンマークフィンランドで歯ぎしりをやめさせる実験を行い、その結果、歯への負荷が軽減されたという報告が学会でされています」

A先生 「ところが、歯への負荷はかからなくなったのですが、その実験に参加された方はみな精神的な不調をきたしてしまったそうなんです」

私 「へえ。そんなことがあるんですね」

A先生 「日本の学会では、その結果を受けて、歯ぎしりは悪いことではないと考えました。歯ぎしりを無理にやめさせようとするのではなく、歯ぎしりをしても歯に負荷がかからないようにすればよいと考えて、マウスピースを勧めています」

 

「マウスピースをした方がいいですね。どうしますか?」とだけ言われていたら、どうだったでしょう?私はマウスピースを売りつけられるのだろうかと不信感を抱いていたかもしれません。実際には、学会での情報をもとにマウスピースの必要性を難しい専門用語を一切使わず説明してくれたので、私はマウスピースが必要な場合があることを深く理解しました。が、私がその場合にあてはまるのかどうかはまだ確信が持てませんでした。なので、臆することなく質問しました。いつものようにこの日も予約でいっぱいで、A先生が忙しいことはわかっていましたが。

 

私 「マウスピースの必要性はよくわかりました。でも、全員がマウスピースが必要というわけではないですよね?」

私 「マウスピースをした方がいいかどうかの判断はどうやって行うのですか?」

A先生 「ちょっと口の中を見せてください。ああ、ここにぼこっと飛び出ている骨隆起がありますね」

A先生 「砂浜に棒を立てたとします。棒が倒れないようにするためには、棒の根元のところに砂を集めてかためますよね。それと同じように、歯に負荷がかかって支えるのが難しくなると、骨が歯の根元に集まって塊をつくるんです。それが骨隆起とよばれるものです」

私 「へえ、そんなことがおきるんですか」

 

今度はA先生は私の耳の下の顎の骨をおさえながら、

A先生 「ここは痛くないですか?」

私 「少し痛いです」

A先生 「強く噛み合わせる時に、ここの骨に力がかかって痛くなるんです。肩こりと一緒ですね」

A先生 「このように、骨隆起や顎の骨のこり具合をみて、マウスピースをした方が良いかどうかを判断します」

私 「なるほどー」

 

A先生は私の質問に対して、嫌な顔ひとつせずに丁寧に答えてくれました。この時も専門的な内容を噛み砕いてわかりやすく説明してくれたので、A先生の回答を聞いて、私は自分がマウスピースをした方がいいのだということを十分に納得しました。

 

選ばれる決め手はコミュニケーションにあり

今回の受診を経て、私がA先生を歯科のかかりつけ医として選んだのは、この先生とならコミュニケーションをとれると思っているからだとわかりました。A先生と会話しながら、自分の症状を正しくA先生に理解してもらえるように伝えることができると思え、自分がどういう治療を受けるのが良いかを私が十分に理解して納得できると思えるからです。

 

もちろん専門的な知識や技術を持っていることは大前提です。けれども、それ以上にコミュニケーションをとれるかどうかが大事なのです。なぜなら、専門的な知識や技術を発揮してもらうためには、コミュニケーションによって私自身の状態を正しく把握してもらう必要があるからです。

 

と思ったところに、図書館でたまたま見つけて読んでいた本「医者は現場でどう考えるか」にも同じことが書かれていました。

 

医師のすることの大半は、話すことです。コミュニケーションは、優れた医師から切り離すことはできません。診断を得るのに情報が要るし、情報を得る最善の手段は患者との信頼関係です。医師の能力はコミュニケーション能力と不可分のものです。

 

さらにもっと言うと、医師と患者である前に人間と人間なのです。あの人とは話しづらいと感じる人に何かを依頼したいと思うでしょうか?たとえ、その人の専門的な知識や技術が優れていたとしても。プロフェッショナルであることは、時として近寄り難い印象を与えてしまうことがあります。が、選ばれるプロフェッショナルとは、専門性をもちながらも親しみを感じさせる人だと思うのです。

プロフェッショナルとは何か

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2年半の高松での単身赴任生活にピリオドが打たれ、いよいよ引っ越しの荷物が運び出された日、こういう人をプロフェッショナルというんだなという引っ越し担当者に出会いました。その担当者の立ち居振る舞いに、自分の引っ越しであることを忘れるほどに興味をひかれ、その言動を観察するにとどまらず、おそらくは聞かれたことがないであろう質問までしてしまいました。そのおかげで、彼がまさにプロフェッショナルであることがわかりました。

 

 

プロフェッショナルのスキル

2018年10月21日(日)の朝、約束通りの時間に引っ越し業者さんが3人チームでやってきました。3人のうちの1人のリーダーとおぼしき人が、荷物の運搬についての条件を簡単に説明し、詳細を書いた用紙を読んでサインをするようにと言いました。搬出する荷物と部屋のつくりを確認した後は、残りの2人の人に運搬通路に傷がつかないようにする保護シートを貼ることや台車を持ってくるようにとテキパキと指示を出していました。

 

リーダーはずっとはじめから最後まで部屋の中にいて、箱詰めされた荷物に番号シールを貼って、残りの人に手渡した後は、箱詰めされていないものをエアキャップや再利用のダンボールを使って、それはそれは見事な手さばきで梱包していきました。エアキャップをカットする分量、流れるように梱包する動作、計算されつくしたように無駄のない動きと手際のよさは、見ていて惚れ惚れしました。私がこのリーダーに興味を抱いたのは、このあたりからです。

 

チームマネジメントと教育指導

梱包した箱が運ばれ終わった後は、梱包資材をカットするところまでを行っておいて、自分が行う梱包作業にとりかかりました。残りの作業員が部屋にもどってくると、カットした梱包剤を使って梱包するように指示を出し、複数人で同時並行での梱包が行われていきました。梱包資材は巻物状態でひとつだけが持ち込まれているからか、それをカットする部分はリーダーのみに任され、後は梱包するだけという状態で残りの作業員に渡されるという仕組みでした。2人の作業員が手持ちぶさたになる時間をつくらないようにマネジメントしながら、自身の作業も行う様を見て、リーダーなる人物への興味はさらに高まりました。

 

照明器具を梱包する時のことです。エアキャップをカットして照明器具にかぶせた状態をつくっておき、作業員が荷物をトラックに運び終わって部屋にもどってきた時に、照明器具を梱包するように指示を出しました。指示された作業員はエアキャップで梱包した後、再利用のダンボールを2つ重ねた中に照明器具を入れました。ダンボールには内容物を書く必要がありましたが、作業員がマジックをもっていないことを知ったリーダーは腰につけた道具ホルダーからマジックをとって渡しました。この後の作業員とリーダーの会話がまた興味深いものでした。

 

作業員 「何て書けばいいですか?」

リーダー 「照明」 

ここで作業員のマジックをもった手がダンボールの上でしばしとまりました。

リーダー 「漢字がわからんかったらひらがなでええ」

リーダー 「ひらがなで書くのが恥ずかしかったら勉強しい

リーダー 「漢字ドリルを買ってやったらええ」

 

ひらがなでいいという指示の後、作業員が成長できるように具体的な行動を促す教育指導がなされました。決して威圧的に強制する口調ではなく、かといってただただやさしいだけの口調でもなく、厳しさとやさしさの程よい塩梅で。

 

その後も、作業員がダンボールにマジックで書く必要が生じた時には、必要なタイミングで何も言わずにマジックを渡していました。

 

自分が優れたスキルを持っているだけではなく、チーム全体のマンジメントを行い、さらにはメンバーの成長に向けた教育指導も同時並行で行っていました

 

プロフェッショナルの気遣い

部屋の中にあった荷物がすべて運び出され、保護シートを貼付けていた養生テープをはがす段になった時には、さきほどまでのリズミカルでスピーディーな手さばきとはうってかわって、丁寧にゆっくりとはがしていました。

 

すべての保護シートをはずし終わり、後は駐輪場にある自転車をトラックに乗せるだけとなり、リーダーと私が一緒に玄関を出て駐輪場に向かうことになりました。先に玄関を出たリーダーは、脇によせてあった私の靴を履きやすい位置にもってくることを忘れませんでした。ごく自然にあたり前のように靴を移動する所作は、考えて行っているというより、身体にしみついているようでした。

 

プロフェッショナルとは哲学

引っ越し作業の一部始終を見てきて、私のこのリーダーに対する興味はマックスに達し、駐輪場まで移動する間に観察だけではわからないことをどうしても知りたくなって、質問しました。あまり聞かれることのない質問だったようで、少々面食らったような表情をしましたが、真摯に答えてくれました。

 

私 「このお仕事は何年くらいされているんですか?」

リーダー 「3年くらいです」

私 「この仕事で一番大事にしていることは何ですか?」

リーダー 「ぼく自身がですか?」

私 「そうです」

リーダー 「もちろん一番はお客様のお荷物や建物を傷つけないことですが」

リーダー 「引っ越しはお客様にとって大きなライフイベントです。僕たちはただ荷物を運ぶだけでなく、お客様も含めたチームとして、引っ越しというライフイベントを気持ちよく行いたいと思っています

 

この考え方こそがこのリーダーのプロフェッショナルを成り立たせているものだと感じました。こんな質問はそうそうされることはないと思いますが、とっさの質問にも関わらず、よどむことなくはっきりと答えてくれたということは、日頃からその心持ちを持っているからでしょう。

 

どんな領域であってもプロフェッショナルと呼ぶにふさわしい人がいるものです。この仕事を始めてから3年目という、おそらくはまだ20代と思われる引っ越し業者のリーダーは、まさにプロフェッショナルでした。プロフェッショナルとは何かをこの引っ越し業者のリーダーから学ぶとすれば、そのスキルやマネジメント、気遣いもありますが、自分がやっていることの意味を自分なりに語れること、言い換えれば自分なりの哲学をもっていることと言えるでしょう。

 

もし、また引っ越しをすることがあるとすれば、この引っ越し業者というより、この人にお願いしたいと思いました。が、それが叶うことはないでしょう。せめてそう思った気持ちを伝えるべく、最後の荷物である自転車が引っ越しのトラックに積まれた後、「ありがとうございました。気持ちよく荷物を出すことができました。よろしくお願いします」とリーダーに伝えました。

記録のチカラ

Facebookを開くと、2年前の今日は奇麗な青空に感動し、5年前の今日は玄田有史先生の講演に感動したと教えてくれました。日々の暮らしの中ではすっかり忘れていましたが、2年前の写真を見ると、5年前の文章を読むと、その時の感動が鮮やかによみがえってくるのです。記録をすると、過去の自分からプレゼントがもらえるというわけです。

 

写真の記録

何がしか自分の気持ちが動いた瞬間を切り取って撮影した記録が写真です。記録として残るのは視覚的な情報だけですが、その記録を再び見た時には撮影した時の気持ちも一緒に記憶から引き出されます。写真はモノであり記録されるのはモノですが、記録から記憶が引き出される時にはコトになります。

 

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2年前に撮影した写真を見ると、思わずシャッターを切った時と同じように空の美しさに心が洗われるような気持ちになりました。

 

文章の記録

自分が大事だと思ったこと、記憶しておきたいと思ったことを書き留めた記録が文章です。記録として残るのは文字情報だけですが、その記録を再び読んだ時には書き留めた時の思いも一緒に記憶から引き出されます

 

5年前に自分がFacebookに書いた記事を読むと、玄田先生の講義を再び聴いたかのような感覚になり、わからないことにもひるむことなく向かっていこうと前向きな気持ちになれました。書いておいてよかったと思います。これが記録のチカラです。

 

【タフネスなリーダー】

予備校主催で行われた東京大学玄田有史先生の講演を聞いてきました。参加者の大半は高校生で、保護者の参加も少しだけありました。

 

パワーポイントは使わず、時々、黒板に大きな文字を書き、教室の中を歩きながら会場への問いかけを交え、情熱的に語り、笑いを誘い、東北弁で釜石の人の言葉を紹介する。話を聞きながら何度も胸が熱くなり、世界一受けたい授業を受講した気分になりました。

 

東京大学には憲法といえる東京大学憲章が定められています。東京大学の教育目標として、「開拓者精神をもった各分野の指導的人格を養成する」と書かれています。つまり、タフネスなリーダーを育てるということです。

 

「リーダーとはどんな人だと思いますか?」

 

リーダーだと思う人として、次々に生徒があてられましたが、答えた生徒は5人とも「総理大臣」と答えました。

 

リーダーとは、人を引っ張っていく人ではありません。リード・ザ・セルフ、つまり、自らを導いていく人のことです。自分の信じる道を自らを鼓舞して進み、それをもとに人を動かしていく人のことです。

 

筑波の先生に、宇宙飛行士の選び方を聞いたことがあります。最後の面接で大事な質問が1個あるそうです。


あなたは人生を振り返って、どちらの生き方に共感しますか?
1.
桃太郎
2.
浦島太郎

 

桃太郎は、明確な目標をもって実現し、自分にたりない部分を知って協力をあおぎ、きびだんごを渡すというおもてなしの心も持ち合わせています。一方で、浦島太郎には目的もなく、ニュートラルに生きています。

 

JAXAが選ぶのは、浦島太郎の生き方に共感する人です。宇宙はわからないことだらけです。わけのわからないことに向かっていく勇気、好奇心に素直に従うこと。それが宇宙飛行士に求められるものです。

 

タフネスというのは、わからないときに挑んでいく勇気のことです。

 

時々、中高生に進路相談を受けることがあります。得意だからや理解できるからという分野に進むのはやめた方がいい。得意だと思っていても、上には上がいる。わからないと悩んでいたこと、知りたいと思ったことにトライした方がいい。

 

ある中学生に「勉強する意味がわからない。勉強なんて役に立つのか?」と聞かれたことがあります。「勉強しても役に立ちません。勉強はわからないことから逃げ出さない練習です」と答えました。社会に出て大事なことは、わからないことから逃げ出さないことです。

 

2005年から希望学を研究しています。希望はつくれます。希望は4つの柱からなっています。希望がないと感じているなら、4つのうちの何かが足りていないのです。何が足りていないのかを考えれば、どうすれば希望がもてるかが見えてきます。

 

Hope is
a Wish 気持ち
for Something  具体的な何か
to Come True 実現しようとすること
by Action.  行動すること

 

希望学の研究で釜石に通い、そこで聞いた言葉があります。
「希望に棚からぼた餅はねえな。与えられた希望は本当の希望でねえ。動いて、もがいて、ぶちあたって、そん時に見つかるもんだ」
これを聞いて、希望の柱に by Action を付け加えました。

 

希望は社会を動かす原動力です。

 

今の世の中で、わかりやすいのがすべてになっていることに恐さを感じます。わかりやすいことは、何かをスキップしていて、ウソがある。わかりにくいことを追求する中に大事なことがあります。

 

オンライン教育では代替できない授業がある。そう確信させられる時間でもありました。

 

 

ブログという記録

私がブログを始めたのは2016年10月23日、約2年前です。その時は蓄積すること、すなわち記録することの価値を確かめてみようと思って始めました。どこまで続くかわからないと思いながら、なんとか2年間続けてきました。

 

iwayama.hatenablog.com

 

 

私のブログの更新はだいたい月一ペースです。Facebookで更新のお知らせをするので、当然のことながら更新した直後はブログへのアクセス数が伸びます。数日するとアクセス数は落ちてきます。

 

ブログを始めた頃はアクセス数がゼロになることも珍しくありませんでした。けれどもブログ記事を積み重ねていくにつれて、更新しない日でもゼロになることはなくなりました。必ず毎日、誰かがブログの記事を参照してくれているのです。

 

また、ブログを始めた頃はブログへの流入経路の大部分はFacebookからでした。Facebookでブログ更新を知らせたのを見たFacebookでつながっている友達が読んでくれたのでしょう。ところが、ブログ記事が蓄積されてくると、自然検索での流入経路が一番多くなりました。自分とつながりのある人だけでなく、全く見ず知らずの人からも参照されるようになったということです。続けてきた結果わかったことは、記録したものは共有され続けるということです。これが記録することのチカラです。

 

経験という記録

写真や文章、はたまた音声や映像といったように外部に対して行われるものばかりが記録ではありません。日々の暮らしの中で経験したことは、その人らしさをつくる記録として蓄積されてゆきます

 

人となりをつくるものとして記録された経験の引き出され方は他のものとは少し違っています。写真や文章の記録は引き出すフックになるものがあって初めて引き出されますが、経験の記録はその人の発する言葉や仕草や行動に自然と表れてきます。経験の記録ほどチカラを発揮するものはありません

 

記録のチカラ

記録は、記録した時ではなく、それが引き出される時にチカラを発揮します。忘れてしまっていた感動を思い出したり、他の誰かが知りたい情報として参照されたり。

 

今、IoTやビッグデータなどデータの蓄積に関する言葉が話題になっていますが、これらの本質も、データの蓄積、すなわち記録をしておくと、それが引き出される時に価値を生むからなのです。

笑いと言葉の力で人を元気にする

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「元気をもらえた」それが高松市で行われた大谷由里子さんの講演会終了直後の感想でした。よく使われるありふれた言葉です。でも、その言葉が一番ピッタリな表現でした。確かに、90分の講演のはじめから終わりまで、大谷さんのお話に惹きつけられました。けれども基本的には、お話を聞いただけです。それが元気をもらえたと感じたのはなぜでしょう?今回は「元気をもらえた」の理由を探求しました。

 

 

笑いの力

大谷さんの講演を聞いている間、ほぼ満員の会場は何度も笑いに包まれました。大谷さんの講演の特長は、笑う場面がいっぱいあることです。さすが、元吉本興行のマネージャーです。笑いのツボはしっかり押さえています。

 

大谷さんが新人向けの研修会でのエピソードを紹介した時も笑いがドッとおきました。

 

平成生まれの人とは明らかに価値観が違うんです。新人研修をした時のことです。

「電話が鳴ったら、新人が真っ先に電話をとりましょう」って言ったら、

「なんで明らかに自分にかかってきてないとわかってる電話をとらないといけないんですか?」という反応なんです。

平成生まれにとって、電話と言えば個人のものという認識なんです。

皆さんも自分の携帯を人に見られたら嫌ですよね?私も嫌です。

例え夫でもそんなことされたら離婚にさえ発展しかねません。

 

スマホの電話のマークのアイコンだって、「なんであんな形なん?」って、平成生まれの人にはわからないんです。

それくらいジェネレーションギャップがあるんです。

お互い何がわかっていて、何がわかっていないのかのすりあわせをすることがコミュニケーションの前提なんです。

 

紹介されるエピソードは、大谷さんが登場人物になりきってセリフでお話されるので、もう今目の前で新人研修が繰り広げられているかのように感じました。それがより一層、笑いを誘うのです。

 

笑いは場の空気をやわらげます。一種のアイスブレークです。それによって、大谷さんの話が頭を通って入ってくるというより直接的に身体にしみこんでくる気がしました。

 

言葉の力

何度も笑いがおきた講演でしたが、単に面白おかしいというだけでなく、ところどころにグっと心をつかまれるような格言とも言える言葉が織り込まれてもいました

 

「食べたもので身体がつくられると言いますが、聞いた言葉で心がつくられるんです。話した言葉で未来がつくられるんです」

 

「人生の長さは神様が決めるかもしれないけれど、人生の幅は自分で決められます」

 

 

言葉はその瞬間だけでなくずっと心に残ります。笑いを呼ぶ話とは対照的に、ストレートに表現された言葉はより際立って響いてきます。

 

 

笑いと言葉が人を元気にする理由

元気だから笑うんじゃない。笑うから元気になるんです。行動、考え方を変えると感情も変わります」と大谷さんが言ったように、笑うと気分がスカっとします。人間誰しも大小の差はあれ悩みを抱えているものです。いつも物事がうまくいくわけではなく落ち込むことがあるのは当たり前です。そんな時は、なかなか自分だけの力で笑うことはできません。笑えるシチュエーションに身をおいて、声をあげて笑うことで、沈んだ心も元気になることができます

 

「言葉の力」とはよく聞きますが、わかったようで案外わからない言葉です。自分の中でモヤモヤしていたことを誰かがズバっと言語化してくれると、何にモヤモヤしていたのかわからないという気持ち悪さから解放されます。モヤモヤの原因が解消されるわけではないけれど。言葉は考え方でもあります。言葉を聞いて、その言葉の意味を自分の中に落とし込んで考え方が変わると、感情が変わって、やっぱり元気になるのです。

 

 

大谷さんの講演を聞いた人が元気になる理由

大谷さんの講演は、笑いの力と言葉の力がかけあわさってできています。どちらも人を元気にする力を持っているので、それがかけあわさると、元気さも倍増されます。

 

笑いと言葉は、その力を引き出すための演出があって初めて、笑いの力になり、言葉の力になります。大谷さんは、その演出がまた見事なのです。

 

大谷さんの話し方はリズムがあって耳に心地いいのです。大事なところはゆっくりと力強く話すので、大事なところが自然と入ってきます。

 

どんなにリズムとテンポがあるお話でも、ずっと聞きっぱなしでは、集中力が続きません。周囲の人とハイタッチをしたり、周囲の人との共通点を話し合ったり、聴衆が動く場面をつくることで集中力を途切れされないだけでなく、気分があがるような場にデザインされていました。

 

パワポは一切使いませんでした。パワポがあると、ついついスライドに目がいってしまうのですが、視覚的な情報は何も与えられずに言葉だけで表現されると、自分の頭で想像する余地ができて、頭がより働きます。そうすると、発せられる言葉への集中力が増します。

 

大谷さんの講演を一言で表現するならばエンターテインメントですエンターテインメント仕立ての演出が、笑いと言葉の力をより一層引き出し、それが講演を聞いた人をより一層元気にするのです。大谷さんの講演を聞いた人が元気なる理由は、このエンターテイメント仕立ての演出にあったのです。

AIと人間を分けるもの

AIという言葉は都市部だけでなく地方でも一定の認知度を得るようになりました。AIを使った実証実験の事例の記事もよく目にするようになりました。先日読んだAIに関するある記事の中で強い違和感を感じるフレーズがありました。その違和感が何からくるのかを探るべく、AIがどんな役割を果たしたのか、さらにはAIと人間の役割の違いについて考察しました。

 

 

AIが決めました」では納得しない?

働く母親が増え、保育所の待機児童問題は今や社会課題のひとつになっています。私の友人も、自分の子どもが保育園に入れるかどうかで職場復帰可能か決まると入所選考結果の通知にやきもきしていました。

 

2018年8月1日の日経新聞地域版に、高松市が2019年度から保育所の入所選考にAIを活用するとの記事が掲載されていました。高松市では、2018年度に約1万人の入所希望者の申請処理に約2,000時間かかったそうです。入所選考の過程での点数の並び替え処理をAIに置き換えることで人手で600時間かかっていた作業が数秒に短縮できる見込みと書かれています。

 

これだけの時間短縮ができるならば、結果を首を長くして待っている入所希望者への結果通知が早くできるようになります。子どもを保育所に預けながら共働きをするためには、保育所に預かってもらえるのかが最大のポイントになります。入所できなかった場合には次の手を打たなければなりませんし、入所できた場合には、保育所の場所によって送迎をどのように行うかの計画を立て、保育所生活に必要な準備品を揃える必要があります。ですから、保育所入所申請を出した親にとっては、結果通知は1分1秒でも早く知りたいという実情があります。さらには、働き方改革という名のもとに、いかに業務を効率化して働く時間を削減するかが注目される昨今では、保育所選考を行っていた職員の労働時間短縮になることは疑う余地がありません。

 

AIの導入によってこれだけの期待効果が明らかになっているのであれば、導入費用問題以外にAIを活用しない理由はないと思えます。

 

ところが、同じく保育所の入所申請処理に2017年にAI活用の実証実験を行ったさいたま市の担当者の意外なコメントが、2018年8月2日の日刊工業新聞に掲載されていました。

 

「選考に落ちた場合、『AIが決めました』では納得しない可能性もある」

 

さいたま市では、8,000人以上の入所希望者の約300施設への割り振りが職員の手作業で3日以上かかっていたものがAIによって数秒で終わったという実証実験の結果が出ていて、しかもAIと人手の結果の合致率はほぼ100%だったにも関わらずのコメントです。

 

私がこのコメントに強い違和感を抱いたのは、明らかな結果が出ているのにも関わらずであること以上に、そもそも「AIが決めました」と言えるのかということに対してでした。

 

保育所割り当てにおけるAIの役割

「AIが決めました」と言えるのかを考察するためには、保育所割り当てにおけるAIの役割を明らかにする必要があります。

 

保育所割り当てにおける処理の流れを簡略化して表したものが下記の図1です。

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      図1:保育所入所選考におけるAIの役割

 

保育所割り当ての処理は2つの処理からなると言えます。まず、入所申請書に記載された内容を点数化して申請者の優先順位を決めます。次に、優先順位を守りながらきょうだいは同じ保育所に入所するなどのルールにもとづいて申請者の保育所割り当てを行います。①と②の2つの処理のうち、AIが行うのは②の部分です。

 

①の処理が何を意味するかというと、判断の根拠を決めることです。②は①の根拠にもとづいて判断することです。②の判断をAIが代行しているので、一見すると「AIが決めました」と言えそうです。が、判断するにあたって重要なのは判断の根拠です。判断の根拠が決まれば、その後の判断の処理は誰がやっても同じになるはずです。つまり、保育所割り当てを決めたと言えるのは、②の処理ではなく①の処理です。①の処理は人間が行っているので、②をAIが代行したとしても、保育所割り当てを決めたのはAIではなく人間だと言えるはずです。

 

私が違和感を感じたのは、こういうことだったわけです。

 

 

AIと人間を分けるもの

保育所入所選考の事例をもとに一般化して、何かを判断するということのプロセスを整理すると3つの処理プロセスからなります。

 

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         図2:何かを判断するプロセス

 

①何を判断するか?

今おこっている問題を解決するために何を判断しなければいけないかを決める必要があります。

保育所入所選考の事例で言うと、保育所入所希望者の希望をできるだけ叶える形で本当に必要としている人を適切な保育所に入所するための仕組みを考えることにあたります。

 

②何で判断するか?

次に行うのは、何で判断するかを決めることです。

保育所入所選考の事例で言うと、入所申請書に何を書いてもらうかと、入所申請書の内容をもとにどんなルールで入所保育所を判断するかを考えることにあたります。ルールの具体的な例としては、必要性の高い人が高い点数がつくような点数化の仕方やきょうだいはできるだけ同じ保育所に入れるというようなことです。

 

③判断する

そして、最後に、②のルールにそって実際に判断します。

 

これらのプロセスのどこを機械化でき、どこは人間にしかできないかを保育所入所選考の事例で考えてみた結果が以下です。

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    図3:判断プロセスにおけるAIと人間の役割分担

 

①はそもそも解くべき問題の設定なので、ここは人間にしかできません。

 

②は入所申請書の設計、判断ルールの設計と、それらの設計にもとづいて申請内容の点数化という3つのタスクに分けられます。入所申請書の設計も判断ルールの設計も人間にしかできません。もし、入所申請書に自由記述欄があって、その内容を人間が主観で点数化するというのでなければ、申請内容の点数化は判断ルールにもとづいた機械的な処理になるので、機械化できる可能性があります。今、AIと同じく注目を集めているRPA(Robotic Process Automation)が使えるはずです。

 

③はルールにもとづいた申請者の保育所割り当ての処理になるので、すでに実証が行われているようにAIで行うことができます。

 

このように分解してみると、「人間の仕事がAIに奪われるのではなく、仕事の一部のタスクがAIに置き換わる」と言われる言葉の意味がはっきりします。

 

さらに、「設計」というタスクは人間にしかできないということも見えてきます。なぜ、「設計」というタスクが人間にしかできないかというと、設計にはこうしたいという意志が含まれるからです。限られた定員の保育所に本当に必要な人が入れるように、できるだけ申請者の希望が叶うように入所選考を行いたいという人間の意志の表れが「設計」に反映されます。AIは人間が膨大な時間をかけて行っていた判断の実行を瞬時に行うことはできます。けれども、意志をもたないAIには「設計」はできません。

 

あらゆるリーソスには限りがあります。人口減少によって、人間というリソースが減っている今、人間は人間にしかできないタスクに注力して、人間ではなくてもできるタスクは機械化するというのは極めて正しい戦略ではないでしょうか。AIに仕事を奪われるかもと怯えるのではなく、私たち人間は、社会をよりよくしたいという意志をもって、それを設計というカタチにする力こそを磨く必要があるのではないでしょうか。

まちづくりに一番大事なもの

今やアートプロジェクトによる地域活性化は全国各地で行われていますが、その中でも成功事例としてとりあげられることが多い瀬戸内国際芸術祭。

 

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2018年7月21日の夜に開催された「せとうちばなし第4話」では、瀬戸内国際芸術祭開催以前から島の情報発信に取り組んでいた小西智都子さんとこえび隊事務局の若い2人から、瀬戸内国際芸術祭(以下、瀬戸芸)が始まる前とその後の島の変化のお話がありました。そのお話をもとに、瀬戸芸の活動の本質は何であり、それが何をもたらしたのかを考察しました。

 

 

瀬戸内国際芸術祭が始まる前

香川県には24島の有人島があるそうです。「せとうちばなし」の話題提供者でもあり、瀬戸芸の運営に深く関わる3人でさえ、瀬戸芸が始まる前は有人島のことをあまりよく知らなかったそうです。

 

2010年に第1回瀬戸内国際芸術祭を開催することが決まって、瀬戸芸公式ガイドブックの制作に関わっり、島の情報を集めようとした小西さんは、電話はつながらない、メールアドレスはない、FAXは紙切れで届かず、とにかく情報が集まらなかったと言います。島に行って直接島の人から聞くしかなく、島に通ったと言います。四国本土側では瀬戸芸の広報を行いましたが、「島は不便。そんな島に誰も来ん」というのが大方の反応だったと、こえび隊事務局から話がありました。物理的な境界線がはっきりした島は、瀬戸芸が始まる前は、内側からも外側からも閉じられていたという状況だったといえます。

 

瀬戸内国際芸術祭でおきたこと

そんな状況の中、瀬戸芸の開催に向けて粛々と準備が勧められ、2010年に第1回の芸術祭が開催されました。島内外の人の予想に反して、島に向かう乗船所の切符売り場には長蛇の列ができ、大勢の観光客がやってきたのをみた島の人は「島が沈むかと思ったわ」と言ったとか。

 

「Pen」や「Casa」などのメイン雑誌に瀬戸芸がとりあげられ、櫻井翔君が芸術祭に訪れたこともあり、「瀬戸内」がおしゃれなイメージとして認知度がアップし、観光客がどっと押し寄せたようです。

 

2013年に開催された第2回目の芸術祭では、島の飲食店が増え、島民が自主的に動き始める変化がおきたそうです。

 

2016年に開催された第3回目の芸術祭では、芸術祭を支えるボランティアであるこえび隊が1,100人になり、そのうち11%が海外からのボランティア参加者となり、瀬戸芸の国際化が進んだそうです。

 

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     瀬戸芸に海外から参加したボランティア

 

瀬戸内国際芸術祭の波及効果

2016年の瀬戸内国際芸術祭の来場者数は107万人、経済波及効果は139億円と試算されています。芸術祭開催の直接的な効果以外に、様々な変化が瀬戸内の島におこったそうです。

 

瀬戸芸による島の認知度向上によって、瀬戸芸開催以外の期間でも外国人宿泊者数が伸びています。2016年の観光客数伸び率は香川県が日本一になったそうです。これらを背景に高松市にはゲストハウスが16件できたそうです。

 

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島の認知度向上によって、移住者も増えています。また、移住者層もリタイヤした人から若い人へと変化したそうです。

 

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子どもの人口減少によって一時は休校に追い込まれた男木島の小中学校が再開したりもしています。

 

瀬戸芸の会場にはなっていない島にも波及効果は及び、人口わずか20人の志々島にもゲストハウスができたことに小西さんは驚いたと言います。高齢のため亡くなる人がいますが、移住者によって志々島の人口は変わらず20人を維持し、住民の平均年齢は20歳も若返っているとか。

 

島が開かれた

瀬戸芸がきっかけとなって、瀬戸芸の開催期間以外にも開催会場以外にも様々な変化が島におこっています。これらの変化がおこった理由は、島が開かれたことに起因することが見えてきました。

 

こえび隊の活動は、瀬戸芸の作品展示にとどまらず、人口減少により島内だけでは維持が困難になった島の運動会やお祭りにも参画しています。本来、島内の人の交流のために開かれているこういった活動に文化的背景を共有していない島外の人が参加するのは難しいことです。それを可能にしたのは、人口減少により存続への危機感を島民がもったこと、こえび隊が継続的に島に足を運んで島の人との交流を深めたことであると、お話を聞いて感じました。

 

まちづくりに一番大事なもの

私がこえび隊活動を始めた約1年前、瀬戸芸の活動の仕組みを読み解いてブログを書きました。「せとうちばなし」でのインプットと私自身がこえび隊として1年間様々な活動に参加して見えてきたことからすると、およそ1年前に書いた瀬戸芸の仕組みの読み解きは浅かったと言わざるを得ません。

 

およそ1年前に瀬戸芸の仕組みについてブログがこちらです。

iwayama.hatenablog.com

 

 

今回、瀬戸芸をきっかけとした島内外の交流の仕組みを改めてまとめてみた図が下記です。

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          島内外の交流の仕組み

 

サイトスペシフィックなアートで島固有の文化や歴史を浮かび上がらせる瀬戸芸によって、アートに関心をもつ層を島に呼び込むことができました。それによって、瀬戸芸来場者と島民の交流がおこります。これは3年に1回開催される瀬戸芸開催期間におこるイベント的かつ大規模な交流です。

 

瀬戸芸の開催期間以外に継続的に行われているのがこえび隊活動です。瀬戸芸関連で、作品受付や作品メンテナンス、瀬戸芸の作品として生まれた島キッチンやカフェ・シヨルの運営等を行っています。瀬戸芸関連以外でも、豊島で毎月開催される島のお誕生会の運営や、豊島、女木島、男木島の運動会やお祭り参加の活動も行っています。こえび隊活動は外からはなかなか見えにくいものですが、小規模ながらも継続的に島に足を運ぶ流れをつくる重要な役割をもっています。

 

瀬戸芸開催とこえび隊活動の両輪によって島内外の交流が継続的に生み出されます。交流によって、島民の島に対する誇りが醸成され、島民の自主的な活動がおこり始めます。また、交流を通じて島の暮らしに魅了された人が島に移住することもおこっています。島民の活動の活性化と島外からの移住者という新しい視点が入ることで、島の活力が向上します。島の活力向上の具体的な例としては、飲食店やゲストハウスのオープンなど、外からの人を迎える環境の向上があります。それによって、さらに瀬戸芸の来場者数が増えるという好循環が生まれます。

 

「せとうちばなし」が開催された同じ日の昼間に、直島にて安藤忠雄さんの講演会がありました。講演会の冒頭で安藤さんは、「まちづくりは人の気持ちが大きい」と言いました。まちづくり、言い換えると地域活性化は、地域に関わる人の活動が増すということであり、そのためには人の気持ちがまず先に動く必要があるということを安藤さんは指摘したのだと思います。

 

はじめのきっかけとしてアートが島外からの人を呼び寄せる力になったことは間違いありませんが、島内外の交流が島民と島外の人の双方の気持ちを動かしたことがこの仕組みの最大のポイントだと言えるでしょう。島内外の交流にとって重要な役割を果たしているこえび隊活動を成り立たせているのは、継続的に参加するボランティアメンバーとその運営事務局であるNPO法人瀬戸内こえびネットワークの存在があってこそです。

 

進む過疎高齢化と文化的活動

「せとうちばなし」でのインプットは、瀬戸芸をきっかけとした島内外の交流の仕組みに以外にも、2つの新たな視点に気づかせてくれました。

 

1つ目は、島の過疎高齢化への対応についてです。瀬戸芸によって過疎高齢化が深刻だった島に奇跡的ともいえる変化がおこりました。しかし、残念ながら島の人口減少にも高齢化にも歯止めはかかっていません。

 

「せとうちばなし」の3人のスピーカーから何度も発せられたのは「高齢化」という言葉であり、「瀬戸芸がなかったら島がどうなっていたか」という起こり得たかもしれない最悪のシナリオへの想像力をもった発言でした。島の過疎高齢化という課題を自分ごととして捉え、なんとかしようと考えていることを象徴する発言でした。こえび隊活動をしている人達は、顕在的であれ潜在的であれ、多かれ少なかれ、同じような思いをもっていることでしょう。

 

過疎高齢化に直面しているのは、瀬戸内の島に限りません。大都市を除く日本全国各地で同じ課題に直面している地域は多数あります。香川県内の島以外の地域も例外ではありません。果たして、ある地域の過疎高齢化の問題を、行政やその地に住む人以外に自分ごととして捉えて活動している人がこれほどたくさんいるという地域はどれほどあるでしょうか。

 

瀬戸芸が始まる前は島のことをあまり知らなかったという人達を、島が直面する深刻な問題に一緒に取り組む人に変えたことが、瀬戸芸がもたらした最大の変化ではないかと思えるのです。

 

2つ目は、文化的活動についてです。

 

人口減少は社会のあらゆる面に影響を与えます。産業界では人手不足がクローズアップされ、人手不足を補う手段として人間が行ってきたタスクのうち可能な限りの機械化を進めようという動きがあります。

 

人口減少は運動会や祭りの存続にも大きなインパクトをもたらします。けれども、このような地域の文化活動は人の代わりに機械化することで代替できるものではありません。例えば、神輿をかつぐ人が足りないからといって、神輿をかつぐロボットをつくればすむ話かと言えば、全くそうではありません。文化はその地に関わる人が担うことに意味があるもので、タスクとして実行されることに意味があるものではないからです。

 

テクノロジーの発達によってあらゆるものがデジタル化されていく社会において、文化的な活動はデジタル化できない人間固有の活動であるというのは、見落としていた視点でした。

 

文化活動はその地域の固有性を特徴づけるものであり、それがなくなると地域の独自性も薄れてしまいます。また、文化活動はどんなにテクノロジーが発達しようとも機械でおきかえることはできません。なぜなら、文化活動の結果に意味があるのではなく、活動そのものに意味があるからです。日本全体の人口減少が続く中で、どの地域でも人口減少をとめることは難しいでしょう。地域の固有性を維持する文化活動を続けるためには、こえび隊のように外から関わってくれる人を増やすしかありません。人口減少が続く地域で移住者を増やすことだけでなく、関係人口をいかに増やすかにもっと意識を向ける必要があるのではないでしょうか。

 

この2つの新たな視点に気づけたのは、1年間こえび隊として活動する中で、こえび隊として活動することの意味や島内外の交流が島民からどう受け止められているかを肌で感じることができたからでした。現場に身を置かなければ得られない情報や感覚があり、それらはものごとの本質を理解するためには欠かせないものでした。

売り方のイノベーション

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新刊書籍の発売日前日に著者のサイン入り書籍が郵送で届きました。届いた書籍は、楽天大学学長であり、自由すぎるサラリーマンとして知られる仲山進也さんの「組織にいながら、自由に働く。」です。この書籍を手にとった時、これは売り方のイノベーションだと感じました。

 

 

発売前に新刊書籍が届いた理由

ある書籍をテーマにした読書会は色々なところで開催されています。著者のサイン入り書籍を読書会で購入する、あるいは、あらかじめ書籍購入を前提として読書会に参加し、読書会で著者にサインをもらうということは珍しくありません。この場合、読書会は書籍発売後に行われるのが一般的です。

 

今回、発売前に新刊書籍が郵送されてきたのは、書籍発売前に開催された読書会に参加したからです。この読書会参加には参加費が必要でしたが、希望者には新刊発売と同時に書籍が送られてくることになっていました。つまり読書会参加者は読書会参加と同時に新刊を予約購入したというわけです。

 

一般的な書籍発売と読書会の流れと今回の場合の流れを図にしたものが下記になります。

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プロセスの順番が入れ替わっただけに見えますが、そこには大きな違いがありました。その違いを理解するためには、発売前読書会の構造を読み解く必要があります。

 

発売前読書会の構造

発売前読書会のプレーヤーは著者と参加者(読み手)になりますが、それぞれが提供したものと得られたものを整理すると下記になります。

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発売前読書会参加者へのアンケートがこれでした。著者からすれば、書籍のタイトルを決める前に読み手からこの情報が得られるのはどれほど貴重なことでしょう。

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     発売前読書会のアンケート用紙

  

著者、参加者それぞれが、持てるものを発売前読書会に差し出し、その結果、それぞれが自分だけでは得られないものを発売前読書会から得たというわけです。今はやりのワードでいうと、発売前読書会は著者と参加者の共創の場とも言い換えられるでしょう。

 

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          発売前読書会の構造

 

発売前読書会の価値はそれだけにとどまりません。発売前読書会参加という特別な体験をした参加者は、書籍はもちろん著者のファンになるというおまけつきです。書籍の中味をチラ見して、まだ読んでもいないうちから書籍への期待は否が応でもでも高まります。直に話を聞いて著者の人柄に触れて、著者のファンにもなります。

  

ファンによるクチコミ発信の効果

書籍と著者のファンになった参加者の手元に発売と同時に著者のサイン入り書籍が届くと何がおきるでしょうか。新刊書籍の写真がアップされ、著者である仲山ガクチョがタグづけされたFacebook記事が次々に流れてきます。

 

発売前読書会は2回行われたそうですが、2回あわせた読書会参加者の人数はどんなに多くても100人に満たないでしょう。100人にも満たない人が書籍のファンになってSNSに投稿したところでどうなるものでもないと思うかもしれません。

 

佐藤尚之さんの著作「明日のプランニング~伝わらない時代の伝わる方法~」には、こう書かれています。

・2010年に世界中で流れた情報は1ゼタバイト(世界中の砂浜の砂の数)を超えた(情報砂の一粒時代)

・情報砂の一粒時代の人は、友人・知人からの言葉でしか動かない

・友人・知人の勧めが人を動かすのは、誰からも頼まれない友人の「本音の言葉」「自然な言葉」だから

 

つまり、情報が溢れる時代には、著者や出版社から情報を発信するよりも、書籍や著者のファンになった発売前読書会参加者からその友人・知人に自然な言葉で発信するクチコミの方が伝わるというわけです。そこからさらにクチコミが広がっていくことを考えると、最初にクチコミをしてくれる人数は少なくても、そこから友人・知人の熱意を伴ってソーシャルグラフに拡散されて、結果として多くの人に伝わるというわけです。

 

発売前読書会は売り方のイノベーション

発売前読書会というアイデアは売り方のイノベーションと言えるでしょう。タイトルはその書籍の売上を左右する重要なファクターです。どんなタイトルが読み手に刺さるのかは、読み手に聞くのが一番確実です。読み手である参加者は、自分の書いたタイトル案が採用されるかもしれないという期待をこめて、真剣に考えてアンケートに回答しました。このアンケート結果から読み手に刺さるタイトルのヒントが得られたに違いありません。

 

さらに、発売と同時または発売前にサイン入りの書籍、しかもその中味の一部を著者自身から聞いたものが届いたという特別な体験は、参加者の書籍への愛着を増すに違いありません。それが、参加者に書籍についてのSNS投稿を促したのでしょう。

 

発売前読書会というアイデア自体は誰でも実行できそうに思えますが、実際のところは誰にでもできることではないでしょう。なぜなら、発売前読書会の参加者を集めることは簡単ではないからです。今回、楽天に出店している店舗の方が何人か参加していました。仲山ガクチョの発売前読書会なら参加しようという人が何人か存在していたからこそ成立したと言えます。

 

さらに、この読書会の参加者が、著者すなわち仲山ガクチョのファンになったのは、ひとえに仲山ガクチョの人間的な魅力ゆえだと思います。私は読書会で初めて仲山ガクチョとお会いしましたが、事前にもっていたイメージとはずいぶん違っていました。流れるように流暢に語る話術で人を惹きつけるイメージを持っていましたが、実際は淡々と静かに語る方でした。ただし、発する言葉には誠実さを感じました。読書会に参加しての感想は「書籍の内容の役立つ話が聞けて良かった」ではなく、「仲山ガクチョの話が聞けて良かった」でした。売り方のイノベーションの本質は、どう勧めるかというより、誰が勧めるかということだと思います。