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人生90年時代を幸せに生きるには

 

久しぶりに参加した女子のための「孫子の兵法」勉強会。ルノアールの貸会議室に参加者が入ってくるたびに、ドアを開けた方も先に座って迎える方も笑顔になり、そのたびに会議室が明るくなりました。

 

今回のテーマは「人生90年時代の生き方」。今回の孫子の兵法からの一節は、「戦いは正を以て合し、奇を以て勝つ」と「勢に求めて人を責めず」でした。

 

「合格/不合格」と「幸せ/不幸せ」

「皆さん、こう思ってませんか?」勉強会講師の田中先生はこう問いかけました。

合格 ≒ 幸せ

不合格 ≒ 不幸せ

 

折しも世間は受験シーズン真っ盛り。点数で言えばわずか1点の違いでも、明確に線引きされる結果の合格か不合格かの違いは大きい。合格すればこれで明るい未来が開けると狂喜乱舞し、不合格であればこれから先に希望はないと決まってしまったかのように落ち込むなんてこともあります。言ってみれば、合格したら幸せになれて、不合格になったら不幸せになると思っているようなものです。

 

田中先生がこのような問いかけをしたのには理由がありました。先日、20年近く前に先生が教えた生徒達と一緒に飲んで、懐かしい思い出話に花を咲かせたそうです。その生徒さん達は、今、それぞれの道で活き活きと仕事をしているそうです。ですが、実は、その生徒さん達、先生が教えていた当時に目指していた資格試験の不合格組だったそうです。

 

もうひとつ、田中先生から合格/不合格にまつわる話題が提供されました。この冬休みに中学校、高校、大学と同窓会があったそうです。中学校の同級生の多くは地元でそれぞれに家業をついだりと小さな商売をやっている人が多く、定年もなく人生の後半の勢いを感じたと田中先生は言いました。それぞれが幸せそうであり、3つの同窓会のうちで一番面白かったと話した時の田中先生は、心底楽しそうに笑っていました。一方で、大学の同窓会では、皆、世間一般でいうところの成功的な地位についているものの、社内出世が興味の中心で、生き方の幅がせまいと感じたと言いました。

 

合格、不合格、幸せ、不幸せの4つの単語をホワイトボードに書きながら、「合格したからそれで幸せになれるというものではない。不合格になっても幸せな人生を送ることもある」と田中先生は言いました。資格試験や大学受験の合否は人生の運命が決まるかのように思えたりするものですが、合否の結果とその後の人生が幸せか否かは対応していないことを表すのに十分な事例が示されて、勉強会参加者は全員、先生の言葉に大きく深くうなずきました。

 

貯金と貯人

この日の勉強会のもうひとつのテーマが「貯金とは何か?」でした。貯金とは将来のために今を我慢してお金を貯めることというのが一般的な解釈です。田中先生は、お金を貯めようとすると視野狭窄になることに気づいたそうです。将来のためと言いながら、視野狭窄になってしまうのでは将来のためにならないのではないかという疑問が、貯金とは何かについて考えるきっかけを田中先生に与えたようです。

 

ここで田中先生は2つの事例を提示しました。

 

1つ目の事例は、とある地方での朝市でのできごと。おばあさん達が集まって野菜市を開き、その地で採れたの野菜を売っていたそうです。そこで売っているものを全部買い占めできそうなくらいの値段をつけて。田中先生がおばあさんに「これで儲かるの?」と聞いたところ、「儲けるために売ってるんじゃないよ」とにこやかな笑顔で答えが返ってきたそうです。それを聞いた田中先生は、野菜を買い占めて買い物客と会話する楽しみをおばあさんから奪ってはダメだと、少しだけ野菜を買ってその場を去ったそうです。

 

初対面のおばあさんに「これで儲かるの?」と直球の言葉を投げかけ、返ってきた返答から瞬時におばあさんの楽しみを理解し、おばあさんの楽しみを奪わなかったところに田中先生のすごさが表れています。

 

2つ目の事例は、田中先生のお友達のコラボの達人カメラマンのお話。お友達のカメラマンは、着付け教室、葬儀屋さん、ヨガ教室など、次々と異業種とコラボしながら写真撮影の新しいシーンや価値を生み出していることを紹介してくれました。

 

ここで、いよいよ現在社会でおきた事例と孫子の兵法の一節が結びつきます。

戦いは正を以て合し、奇を以て勝つ

→奇襲が大事(異種とのコラボは奇襲になる)

 

勢に求めて人に責めず

→勢いが出るのはサプライズがある時、つまり奇襲の時

 

要するに、誰かと一緒に何かをやっていくことが勢につながる。人生90年時代になると定年後の人生も長い。定年後に備えて貯めるべきは、お金ではなく人間関係。それも一緒に何かをやってお金を稼げる友人。100万の貯金より一緒に100万稼げる友人の方が大事なんじゃないかというのが、この日の勉強会の問題提起でした。

 

これは結論ではありません。この勉強会では問題提起はされても結論は出しません。参加者それぞれが、提起された問題に自分自身で答えを出していく。だからこそ創造的な場なのです。

 

誰の評価軸で生きるか

この勉強会での問題提起を受けて、人生90年時代に幸せに生きるために私が見出した視点は「誰の評価軸で生きるか」でした。合格か不合格かを決めるのは自分ではありません。けれども、幸せか不幸せかを決めるのは自分です。他者の評価軸で決まる合否と自分の人生を関係づけるのは、他者の評価軸で生きることを意味します。自分の人生を他者にゆだねることは、常に他者の目を気にして、どういう評価がされるのかと戦々恐々とすることでしょう。

 

未来に投資する貯金をお金で考えることも他者の評価軸で生きることです。なぜなら、お金に換算する価値を決めているのは自分ではないからです。一緒に何かをできる友人を決めるのは自分です。お金と友人の対比では、もうひとつ決定的な違いがあります。お金は使えば減っていきますが、友人とは関わりをもっても関係が深まることはあっても薄まることはありません。さらに、友人が友人を紹介してくれて増えていくことさえあります。

 

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女性が幸せに生きられる時代?

何ごとも一括りにはできませんが、人とのコラボは女性の方が進みやすい気がします。男性はまず自分と相手の位置関係を把握しようとするらしいのですが、女性は初めて会った人でもそのバックグラウンドは気にせずに会話を始めてしまいます。そもそも、この女性だけの勉強会が始まったきっかけも、田中先生が女性限定のイベントで講師をつとめた際、イベントが始まる前に一瞬にして参加者がうちとけて話している様子に衝撃を受けたことに由来します。勉強会でもたびたび、人の関係が、ピラミッド型からネットワーク型に変化してきているという話題が出ます。

 

また、概して女性(女性的な思考の人と言った方が適切かもしれません)の方が自分の評価軸で生きている人が多い気がします。だから、眼前の損得でなく、自分が楽しいかどうかで選択しているように思います。

 

勉強会が終わった後のいつもの懇親会に、勉強会には参加できなかったけれど懇親会から参加してくれた仲間がいました。この勉強会に参加すると、いつも参加者に勢いを感じます。女性は奇襲が得意だとも感じます。人生90年時代は女性が幸せに生きられる時代なのかもしれません。

 

この日はとりわけ寒い日でした。懇親会が終わって外に出ると、身体の芯まで突き抜けそうな冷たい風が吹いていました。けれども、凍てつく空気がむしろ気持ちいいと感じるくらいに私たちの気持ちは熱くなっていました。人生90年時代、誰かの評価軸で生きたりしない、自分の人生のリーダーシップは自分で握ると誰もが思っていたに違いありません。

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21世紀型の学び

冬休みの自由研究的に電子工作を一から学びました。電子工作が少しできるようになった以上に、21世紀型の学びとはこういうものなのかと学ぶことについての学びを得られました。

 

電子工作の世界に足を踏み入れることになった理由

 

昨年末に生まれて初めて秋葉原に電子部品を買いに行きました。そういうことになったいきさつはこうです。

 

  1. 和紙を使った作品をつくるイベントを仕事で企画することになった
  2. どうすればより面白い企画になるかを考えた末、電子工作を組み合せることにした
  3. 電子工作で何がどこまでできるのかを理解するために、TechShopで開催された電子工作入門編「Arduinoで電子工作をはじめよう!」講座を受講した
  4. イベントから生まれた作品は公共の場所に期間展示することになっていたので、電子工作で作品展示を見た人数をカウントしたいと思った
  5. 受講した電子工作入門講座の講師をつとめた有山さんに人数カウントについて相談したら、自作を条件にハンズオンで教えてくれることになった
  6. 有山さんに制作に必要な部品や購入できるお店のアドバイスをもらって、部品の買い出しに行った

  

正直に告白すると、5.の相談した時、有山さんが作ってくれるんじゃないかと甘い期待を抱いていました。今にして思えば、ここが運命の分かれ目でした。有山さんが「いいよ、そんなの朝飯前だ。作ってあげるよ」と言っていたら、私が電子工作の世界に足を踏み入れることはなかったでしょう。

 

実際のところ、どれくらい難しいのかはその時点ではあまりわかっていませんでした。Arduinoという名前だけは以前から聞いたことがあったけれど、こんなに小さくて安価なコンピュータが一般的に手に入り、開発環境がフリーで公開されていて、自作できる環境がここまで整っていることは入門講座を受講して初めて知りました。入門講座では、Lチカと呼ばれるArduinoを使った電子工作のはじめの一歩を動かしました。入門講座を受講して、プログラムは書けそうかもと思ったけれど、物理が苦手だった私に回路図の配線ができるイメージはもてませんでした。

 

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           ArduinoでLEDライトを光らせるLチカ

 

でも、どうしても人数カウントはとりたかったので、「自分で作ります。わからないことがあったら教えてください」と有山さんに伝えました。どんな電子部品を買えばいいか、どこで買えるのかを有山さんに親切に教えてもらって、いざ秋葉原の秋月商店に向かいました。

 

秋月商店に行ってみてびっくりしました。せまい店内には所せましと何種類もの電子部品が並べられていました。店内で動く範囲はせまいのですが、膨大な種類の陳列商品の中からお目当ての品をどうやって探せばいいのかと途方にくれました。焦電センサーと距離センサーはなんとか自力で見つけたものの、SDカードシールドは分類カテゴリー名がわからず自力での発見をあきらめ、お店の人に聞きました。

 

もうひとつお店に行って驚いたのは、お客さんがいっぱいいたことです。その店に売っていたのは電子部品なので、基本的に自作する人しか来ないはずです。今やありとあらゆるものが商品として売られている時代に、自分でモノづくりをする人がこんなにもたくさんいるんだとお店に行って初めて知りました。しかも、私が行った時間帯のお客さんは男性ばかりでした。この手のモノづくりは男性の方が多いのは、その昔、中学校の技術家庭では、男子は技術、女子は家庭と分かれていたことを考えるとわかる気がします。

 

インターネット以後の学び

 

秋葉原で所望の電子部品は買ったものの、部品に添付されていたのは、部品の技術仕様と回路図が書かれた資料1枚だけでした。電気製品についてくる詳細なマニュアルとは大違いで、添付されていた資料は、私にとっては何の情報にもならないに等しいものでした。

 

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                 焦電センサー

 

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            焦電センサーの添付資料

 

インターネット以前であれば、先生から教えてもらうか、教科書的なものやマニュアルで学ぶかが主流でした。今回の場合、そのどちらも不可だったわけです。そこでどうしたかというと、インターネットで検索しました。本当に今はどんな情報でもネット上にあるものです。私が購入したセンサーをArduinoにつなぐ回路図もセンサーからの値を取得するプログラム例も見つかりました。検索結果の回路図の画像を参考にして自分で回路をつなぎ、プログラム例を参考にしてプログラムを書きました。そうしたら、ちゃんと動いて、センサーから値が取得できました。

 

第一弾で購入した、焦電センサー、距離センサー、SDカードシールドの3種類の電子部品をArduinoに接続して動作を確認することは、インターネット検索を駆使して、思っていたほどに難しくなくできました。

 

ここまでできたら、時刻情報も取得して、人が来たタイムスタンプつきでカウントできるようにしたいと欲が出てきました。そのためには、RTCモジュールという現在時刻を取得する電子部品が追加で必要になります。こちらもインターネットで色々調べてみると、種類が複数あるし、第一弾で購入したものとはちょっと違って、ハンダ付けが必要になりそうな感じでした。「あー、ハンダ付けまではちょっと手が出せないなあ」と思って、ここでまた有山さんにハンダ付けなしで動かせる部品を教えてほしいと相談しました。またもや有山さんが親切に部品とお店を教えてくれました。

 

年始休暇が明けてから、今度は秋葉原のaitendoというお店に電子部品を買いに行きました。ところが残念なことに、お目当ての電子部品は在庫切れでした。次の納入時期を店員さんに尋ねると、2~3週間先になるとのことでした。

 

aitendoの店員さんは全員が女性でした。しかもアジア系の外国人。店内での様子を観察すると、店員さんがもっているスキルは、日本語での会話、レジでの精算、商品IDから陳列場所を探す、部品を袋に詰めるであることがわかりました。おそらく、「Arduinoで制御できるハンダ付けなしのRTCモジュールはありますか?」と聞いても店員さんは答えられなかったのではないかと想像します。店員さんには扱っている商品の専門知識は要求しない、aitendoはそういうお店だと思えました。

 

冬休み中の時間があるうちに一通り試しておきたかった私は、「今、秋葉原のaitendoにきてるけど、教えてもらった部品が在庫切れ。他にハンダ付けなしで使えるRTCモジュールを教えてほしい」とメッセージで有山さんに連絡しました。今この場で部品を手に入れたいと思いましたが、自力でのネット検索では部品購入の知識が足りないことはお店に来る前にわかっていたので、有山さんに連絡しました。有山さんとは数ヶ月前に知り合ったばかりです。電話でなければ連絡がとれないのであれば有山さんへの連絡は断念していたと思いますが、メッセージでの連絡は相手に選択権があるので連絡しやすいというハードルの低さがありました。これもインターネット以後だからこそできたことです。幸いなことに、有山さんから返信をもらうことができて、aitendoでRTCモジュール部品を無事にゲットしました。

 

つくりながら学ぶ

 

人数をカウントをしたいと有山さんに相談した時に、「焦電センサー」か「距離センサー」を使ってみればよいと教えてもらいました。焦電センサーは、別名で「人感センサー」と呼ばれています。そうです、人がくると自動で電気がつき、いなくなると消灯する時に使われているあのセンサーです。距離センサーはその名の通り、センサーからの距離の測定値を返すものです。この2つのセンサーを教えてもらった時、人数をカウントするなら人感センサーで決まりじゃないか、距離センサーはその機能からすると用途に適していないんじゃないかと思いました。でも、何度も秋葉原に買いに行くのも面倒だったので、それぞれ1個ずつ購入しました。

 

まずは焦電センサーをArduinoにつなげて、センサーからの値をとってみました。自分で動いてセンサーの感知範囲に入ってみると、仕様にある通りセンサーから返ってくる値が大きくなりました。ここまでは予想通りでした。感知範囲内でちょっと動くと、やっぱりセンサーからの値が大きくなりました。感知範囲内から出る方向に動いても、センサーからの値が大きくなりました。人感センサーという名前と、人感センサー付きの照明の動きの経験から、感知範囲内に人がいる場合といない場合の区別をセンサーからの情報でとれると思い込んでいた私の予想は見事に裏切られました。

 

焦電センサーは、感知範囲内で物体が動いた場合と、感知範囲内で何も動きがない場合の区別をセンサー値で返すものでした。人感センサーつきの照明器具の場合にはこのセンサーが適しているわけです。

(a)感知範囲内で物体の動きを検知したら照明を点灯する

(b)感知範囲内で物体の動きを検知してから、一定時間内に感知範囲内で物体の動きの検知がなければ照明を消灯する

 

(a)によって、部屋に人が入ってくれば自動点灯でき、部屋の中で動いている限り、点灯したままになります。

(b)によって、部屋から人が出ていってから一定時間が経過すると、自動消灯できます。

 

私がやりたかったのは、ある範囲内に入ってきた人数をカウントすることだったのですが、焦電センサーでは、「感知範囲内に人が入って来た時」、「感知範囲内で人が動いた時」、「感知範囲内から人が出て行った時」のいずれの場合かを区別できません。焦電センサーは私のやりたいことに使うのは適していないと判断しました。

 

次に、距離センサーをArduinoにつなげて、センサーからの値をとってみました。距離センサーの前に立つと、センサーから返ってくる値が大きくなりました。立つ位置を距離センサーから遠ざけると、それに応じてセンサーからの値が小さくなりました。距離センサーからの距離を測れる範囲に制限があるので、その範囲を超えると、センサーから返ってくる値はほとんど同じ値に変わりました。

 

距離センサーは、距離センサーのほぼ真正面の感知範囲内で、物体がある場合と、物体がない場合の区別をセンサー値で返すことができました。距離センサーのほぼ真正面の位置という制約はつきますが、ある範囲内に入ってきた人の人数カウントができそうだという感触を得ました。

 

有山さんから聞いた時には、距離センサーなんて関係あるのかなと思っていましたが、実際に動かしてみて、距離センサーの現実世界での動きを確認して、ようやくその意味を理解しました。やっぱり、やってみないとわからないものです。

 

焦電センサーも距離センサーも、その動作確認はできましたが、何の問題もなくできたというわけではありません。PC上で書いたプログラムをArduinoに書き込もうとしたのにできなかったり、センサーからの値が何をやっても同じ値しかとれなかったりと、それなりに問題はおこりました。何しろ、特に回路図なんかは何だかわからないままに、見よう見まねでつないで動かしてみるということをやっていたのですから。

 

「つないでみる→動かしてみる→結果を見る→思った結果にならない→つなぎ直してみる→動かしてみる」を何度も繰り返しながら、思った通りに動いたところでようやく、なるほど、こういうことかと理解していきました。例えば、ArduinoのONの緑色のランプが点灯していなければ、配線がうまくできていないので、プログラムをArduinoに書き込むことはできないわけです。何度か試してみて、書き込みがうまくいった場合とうまくいかなかった場合では、このランプが点灯しているかどうかの違いがあることにようやく気づきました。これに気づいてからは、ランプの点灯をまず確認するようになりました。

 

インターネットに参考情報が載っているとはいえ、正しく設定したつもりでも動かないことはおこります。そんな時、隣りに先生がいない状況では、わからなくても試行錯誤する以外にありません。わからないからといって手をとめない。わからない状態でも手を動かすことでわかるようになるのは、プログラミングしたものは、目の前でリアルタイムに何らかのフィードバックを得られるからです。例えそれが動かないというフィードバックであってもです。

 

冬休みの間に読んでいた、鷲田清一先生著作の「おとなの背中」の中にこんな一節がありました。

子育て、介護、失業者支援など、正解というものがないままに、それでも眼をそらさずに取り組まないといけない問題は、身近なところにもいっぱいある。そのとき、わたしたちに必要なのは、わかりやすい解決ではなく、わからないものをわからないままにあれこれと吟味する、しぶとい知性というものだろう。

 

わからないものをわからないままにあれこれと吟味することに、電子工作はとてもむいていると感じました。

  

つくることで学ぶ

 

今やIoTが時代のキーワードとなって、センサーからデータを取得するといった話題には事欠きません。センサーからのデータ取得なんて専門的な知識や技術が必要なんだろうと思っていましたが、案外簡単にできることなんだとやってみてわかりました。しかもセンサー1個の値段は1000円以下です。自分で試しに作ってみるのに十分に手が出る値段です。自分でプログラムを組んでみると、どういう仕組みでセンサーと連動して動くのかも何となく理解できました。

 

今回、ある場所に来た人数をカウントをするという、ごく簡単な仕組みを自作してみてわかったことは、つくり手になることで人は賢い消費者になれるということです。技術の複雑化によって、技術が使われた仕組みはブラックボックス化してしまい、何がどうなっているのか一消費者にはわからなくなりつつあります。けれども、簡単なものでもつくってみると、何となくはわかるようになります。そうすると、動かなくなった時にも完全にお手上げになるのではなく、多分、こういうことがおこってるんじゃないかという見通しが立てられるようになります。

 

また、価格的にもどれくらいのものなのかの目安がつくようになります。自分には全くわからないものであれば、それくらいの値段がしても仕方がないのかなと思ってしまいますが、材料の原価がわかって、どうやってつくれるのかがわかれば、相手の言い値の妥当性が判断できるようにもなります。

 

そして何よりもモノをつくる喜びは実際につくることでしか学べません。この喜びを学べることの重要性は強調してもしすぎることはありません。

 

 

最も重要なのは好奇心

 

電子部品を購入して自作することをやってみて一番驚いたことは、有山さんのまさにハンズオン支援を受けて、なんとかRTCモジュールをゲットしてお店を出た後の私自身の行動でした。なんと私は小走りで秋葉原の駅に向かったのです。別に急ぐ必要なんて何もなかったのです。普通に歩いて駅に向かえばいいものを、はやる気持ちに後押しされて、自然と足を運ぶスピードが速くなっていました。

 

どうしても人数カウントの仕組みを作りたいと思っていたことに加えて、年末に電子工作に取り組んでみて、現実に何かが動くフィードバックがある面白さに目覚め、「早くRTCモジュールを試してみたい」という気持ちが私を小走りで駅に向かわせたのです。モノづくりの根底に必要なのは好奇心だとはっきりわかりました。

 

変化の激しい時代には、トライアンドエラーを素早く回すことが大事だと言われます。「まずやってみろ」という言葉があちこちで聞かれます。でも、「やってみろ」と言われたからやってみるというほど人間は単純にはできていないことは誰もが知っています。

 

私は、自分のとった行動を振り返って、気鋭の国語教師だった大村はま先生の言葉を思い出しました。

"考えなさいといった人"ではなくて、"考えるということを本気でさせた人"が一番えらい」

 

「考える」を「やってみる」に置き換えるとこうなります。

"やってみなさいといった人"ではなくて、"やってみるということを本気でさせた人"が一番えらい」

 

今回の例で言うと、やってみるということに本気になった原因がプログラミングだったわけです。プログラミングをすれば、現実にモノが動き、失敗しても何度でもやり直しができます。そのことを体験的に学んで、どんどんプログラミングをやってみたくなったのです。その上、現実世界でモノを動かせることは好奇心をそそります。

 

今、文科省でプログラミング教育の必修化についての検討がなされています。確かにIT人材が不足していると言われるけれど、全員にプログラミングは必要なのかな?と疑問に思っていました。が、今回の経験で、ようやくプログラミング教育の本質的な意義を理解できました。IT人材の不足を補うためではなく、やってみる人になるために、好奇心を育むために、プログラミング教育は必要なのです。言い換えれば、21世紀型の学びをできるのがプログラミング教育なのです。

 

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なぜ話が伝わらないのか?

目の前にいる人に対してであれ、ネットの向こうにいる人に対してであれ、何かを伝えたいけれど伝わらないという経験をしたことがある人は多いのではないでしょうか。私自身も、ここしばらくずっと「どういうメカニズムで話が伝わったり伝わらなかったりするのか」という問いを抱えていました。そんな中で手にとった野矢茂樹さん著作の「哲学な日々」を読んで、なるほどそうだったのかとわかったことがあります。ここでは、相手に伝えたい内容はあることを前提として話を進めます。

 

受け手の状態を知る

誰かに何かを伝えたいと思った時に真っ先に考えるべきことは何でしょうか?私は、どんな手段で伝えるかやどんな順序で伝えるかだと思っていましたが、それは大きな大きな勘違いでした。何よりもまず考えるべきは、受け手が聞きたいという状態なのかそうでないのかということです。最も基本的でありながら忘れがちなことです。

 

私はこれまでに、顧客への紹介に同行を求められて話したり学会で発表したりということを何度か経験していました。その時は、自分が持っている情報を受け手に合わせて伝わるように考えれば良かったのです。訪問した顧客も学会の会場に来ていた聴衆も、私が持っている情報について聞きたいという状態になっていたので、とにもかくにも聞いてくれたのです。

 

最近、話を聞きたいという明確なニーズを持たない人に話をすることを何度か経験しました。受け手が聞きたいという状態かそうでないかで、当然のことながら、話の切り出し方も話の進め方も全く異なるアプローチが必要になります。いやはやこの差たるや衝撃的なものがあります。話を聞きたいという明確なニーズをもっていない相手に何かを伝えるというのは極めて高度なスキルだということを身にしみて感じました。

 

誰かに何かを伝えようとする時、相手が聞きたいという状態になっていることは、実は案外少ないのかもしれません。仕方なく教室に座っている生徒に対して話をする教師、義務的に受講している社員研修生を相手に話をする講師、子どもに助言する親、訓示を述べる上司。目の前にいても聞く状態になっていない相手にいくら話をしても、話が右から左に抜けていくなんてことも少なくないのではないでしょうか。マス広告やSNSで流れてくる文章も同様に、必ずしも聞きたいという状態の人に向かって発せられているわけではありません。

 

問いを発生させる

必ずしも受け手が聞きたいという状態になっていない状況で話を伝えなければいけない時には、一体どうすれば良いのでしょうか?その手がかりが「哲学な日々」に書かれていました。

質問を相手にさせる。これが答えである。しかも、あなたの言いたいことがその答えになるような、そういう質問を相手から引き出さねばならない。問いかけがあれば、相手はその答えに耳を傾け、問いかけがなければ、たとえ同じことを語ったとしても相手は逃げていく。問いのないところに答えだけ言っても失敗する。

 

話を始める前に伝え手と受け手の間に問いが共有されている状態をまずはつくり出さねばならないのです。言われてみれば、なるほどその通りです。クエスチョンマークが浮かんでいるからこそ聞きたいという状態になるわけです。そう言えば、本のタイトルも疑問形になっているものが多いですよね。「なぜ~なのか?」というように。そのタイトルに惹かれて手にとった時点で、著者と読者は問いを共有している状態がつくられるので、本文の内容が伝わるというわけです。

 

それにしても、自分の言いたいことが答えになるような問いを相手に発生させるなどということはどうすればできるのでしょうか。そのためには、まず、自分自身が「自分の伝えたいことはどういう問いの答えになっているのか」を自問する必要があります。伝えたい内容が答えになっている問いはひとつとは限りません。相手が関心を持ちそうな問いは何かもあわせて考えることが必要です。相手の関心がわからない場合は「どういうことだろう?」という疑問の呼び水になるキーワードを散りばめるのでもいいのかもしれません。

 

伝え手としての位置をつくる

問いを発生させる以外に話が伝わる方法があります。伝え手としての位置をつくることです。

 

講演会等で著名なゲストが講演するとなると、講演タイトルに関わらず話を聞きたいと思うことがあります。有名人に会いたいというミーハー心だけでなく、その人の話は聞いて良かったと思えるに違いないという期待がわきおこるからです。

 

こんな経験をしたことがあります。あるテーマの全体像を描くために、そのテーマに関わる人達からヒアリングして情報を集約し、整理する必要がありました。今まで一度も会ったことも話したこともない人からもヒアリングする必要があり、とりあえず電話してみました。運悪く取り込み中とのことで、折り返し電話するという返答をもらって電話を切りました。しばらく待ちましたが折り返しの電話はありません。再度の電話をかけるのもはばかられたので、書きかけの全体像の資料をメールに添付して、問い合わせの背景とヒアリングしたい旨をメールで連絡しました。メール送信後にほどなくして電話がかかってきました。

 

そんなに早くに電話がかかってくると思っていなかった私はびっくりしました。電話で会話してみてわかったのは、どこの誰かも知らない人物であっても描こうとしている全体像を見て話を聞こうと思われたようでした。

 

これとは逆にこんなことにも遭遇したことがあります。ある人が話しているのですが、誰も耳を貸そうとしません。問いの共有がない以前に、日頃の言動を鑑みて、その人が話しているという時点で話が伝わらないのです。

 

これらの事例から言えることは、話を伝えたいなら、聞くに値する人物であると認識される位置をつくる必要があるということです。

 

コミュニケーションの回路を開く

話が伝わる時と伝わらない時を図的に示すとこんな感じになるでしょうか。両者の決定的な違いは、伝え手と聞き手の間にコミュニケーションの回路が開かれているかどうかです。

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話が伝わる時は、伝え手と受け手の間で問いを共有することでコミュニケーションの回路ができ、伝え手の話はその回路を通って受け手に届きます。あるいは受け手の伝え手に対する期待でコミュニケーションの回路ができる場合もあります。

 

一方で、コミュニケーションの回路ができていない状態というのは受け手の手前に見えない壁ができているようなものです。伝え手がどんなに熱心に話をしても、話はその壁に跳ね返されてしまうので伝わりません。

 

受け手が聞くに値しない人物だと評価している時には問いの共有すらできなくなります。こうなると、コミュニケーションの回路を作ることができないので、どうやっても話は届きません。これはかなりやばい状況です。

 

話を伝えようとする時には話の内容や伝え方に目がいきがちですが、その前にコミュニケーションの回路が開かれているのか、開かれていないとしたらいかにして回路を開くかに意識を向けなければなりません。

 

コミュニケーションの回路を開くための大前提は人としてどうであるかということです。考えてみれば当たり前のことです。いかなるコミュニケーションも最終的には人と人の間に生じるものなのですから。

テクノロジー失業?テクノロジー活用?

Facebookに現れた過去記事が、今再びAIというテクノロジーの文脈で考えたい内容だったので、編集してブログに転記したいと思います。元記事は20141220日に子どもが卒業した東京都立西高等学校のOB/OGを講師に迎えた訪問講義の内容です。

 

テクノロジー失業

AIに代替される仕事があるという言葉がよく聞かれるようになりました。言い換えるとテクノロジー失業の可能性がある仕事の話題です。それは未来の話ではなく、ロボットメーカーのマーケティングを担当する講師がすでに経験したことだったのです。

 

大学で応用物理を専攻した講師は、文章を書くのが好きという理由で日経新聞の記者からキャリアをスタートさせました。1997年からシリコンバレー特派員としてき、1998年にまだ社員数が10人だったGoogleのことを日本で初めて記事に書いたそうです。その時にもらったというGoogle Doodle の絵を額に入れて参加者に見せてくれたものを撮影したのがこの写真です。

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日経新聞を退社する時には、10年後をどう生きるかを考え、ロボット大国日本でロボットに焦点を当てたフリーランスジャーナリストになったそうです。ところが、それから10年後、インターネットの発達により、仕事は減らないけれども仕事の単価が下がる「テクノロジー失業」を経験したといいます。

 

テクノロジーに代替される仕事に就いている人の行く末は、仕事がなくなるのではなく、仕事の単価が下がることなのですね。仕事に対する対価は絶対的なものではなく相対的なものであり、テクノロジー失業に陥らないためには希少価値を生み出せるかにかかっているということです。

 

テクノロジー活用

テクノロジー失業を経験した講師は、テクノロジー活用によって転職を果たしました。ロボットというテクノロジーへの関心と造詣を深め、ロボットについて発信する個人のメディアを運営し、たくさんの読者を惹きつけていました。この実績がロボット会社からのオファーにつながり、ロボットメーカーに転職できたそうです。

 

ロボットによる失業かロボット活用か

アーム型の自動機械をロボットと呼んだのは、アメリカ人のジョセフ・エンゲルバーガーだそうです。ジョセフが産業用ロボットとして製品化したものの、職を奪われることを警戒した労働組合の強い反対にあって、アメリカでは全く売れなかったそうです。

 

ジョセフが日本で講演した際には、何百人もの日本人がすぐさまその有効性を理解したことにジョセフは感動したといいます。そして、日本でアーム型ロボットは生産現場に取り入れられたそうです。日本では終身雇用制があり、アーム型ロボットの導入によって、人間は別の労働を行うようになったからだそうです。

 

ロボットによる失業を恐れてロボットをとり入れなかったアメリカと、生産現場にロボットを導入して人間はロボットにはできない仕事に移行した日本。対照的な対応をとった日本とアメリカですが、現代ではどうでしょうか?

 

テクノロジー活用の壁

ソフトバンクからPepperが発売されることになったのは画期的なことで、ソフトバンクだからできたことだという紹介を聞いて、頭の中に?が浮かびましたが、続く説明で、その疑問はすぐに解消されました。ロボットを一般発売すると、家庭で何がおこるかわからず、予期せぬ事故や安全性の保証を考えると、ロボット技術をもっていても製品化に踏み切れないのが多くのメーカーだそうです。

 

ルンバを発売しているアイロボット社でも、弁護士の話を聞いたら製品化はできないと弁護士の話は聞かなかったそうです。そうやって製品化した結果、ルンバは今では世界一売れているロボットになりました。

 

テクノロジーは新しい技術ゆえに予測不可能性がつきまといます。考えられるリスクヘッジはとりながらも予測不可能性をもひっくるめて引き受けてこそテクノロジーを活用できるのです。テクノロジー活用にはある種の覚悟が伴うということでしょう。

 

テクノロジーとは

講師はテクノロジーとは何かをアラン・ケイの言葉を引用してこう説明しました。

『テクノロジーとは、あなたが生まれた時に存在していなかったすべてのものだ』

 

インターネットという言葉がなかった時代に生まれた私達にとって、Googleサーチは画期的なテクノロジーでした。けれども、Google誕生より後に生まれた世代にとってはGoogleAppleはテクノロジーではないのです。

 

今を生きている人にとってはAIはテクノロジーです。けれども、これから生まれてくる子ども達にとっては、もはやAIはテクノロジーではないのです。これから生まれてくる子ども達にとっては、AIにとって代わられる仕事云々の話ではなく、いかにAIを活用するかという発想しかないでしょう。

 

ある時代ではテクノロジーであったものも、時間の経過とともにあたり前のものとして世の中に存在するようになるのです。テクノロジーによる失業に戦々恐々としているというのは、時代の変化に取り残されている状態と言えるのかもしれません。

 

テクノロジー活用の哲学

一人の生徒が「ロボットが人を殺すことに使われることもあるのでしょうか?」という質問をしました。

 

「アメリカで画面の前に座り、無人飛行機ドローンがアフガンの上空を飛び、画面の前のボタン操作でドローンから爆弾が落とされるということが、実際にすでにおこっています」というのが講師の回答でした。

 

テクノロジー自体には善も悪もなく、それを使う人間の哲学こそが問われています。テクノロジーは常に発達していくものではあるけれど、社会がそれに伴って前に進んでいくかどうかは人間の考え方次第ということです。

 

今、AIというテクノロジーに大変な関心が集まり、AIによるテクノロジー失業の話題にもことかきません。けれどもAIに限らず、テクノロジーは過去からずっと形を変えて発明され、発達し、いつの間にかテクノロジーとは呼ばれなくなるくらいに世の中に浸透するということを繰り返してきたのです。

 

今、私達に問われているのは、テクノロジーにどう対抗するかやどう活用するかという次元を超えて、社会をどのような方向に進めていくのかという哲学ではないでしょうか。それに答えることで、テクノロジーとどう向き合うのかに対する答えも自ずと導かれるのではないでしょうか。

重富ビールスタンドから何を学ぶべきか?

11月26日に広島にある噂の重富ビールスタンドについに行ってきました。営業時間は17:00~19:00までの2時間だけ、飲めるビールは2杯まで、おつまみはなしという営業スタイル。美味しいビールの注ぎ方を極めた味を求めて毎日行列ができるそうです。

 

外見はごく普通の酒屋さん。畳三帖程度の広さにテーブルがわりの樽が3個。最近、講義用に壁掛けディスプレイを導入したそうで、なんとも不思議な空間でした。

 

そんな重富ビールスタンドで15:00~17:00まで貸し切りで広島生ビール大学飲食店学部の特別講義が企画され、東京、名古屋、大阪、福岡など全国から受講者が集まりました。私も受講するため瀬戸内海を渡って香川から広島入りしました。

 

No Beer, No Life

重富さんは、生ビール大学の講義の冒頭で「広島生ビール大学の講義ではビールの注ぎ方の話はしません。なぜビールが存在するのかを話します」と言いました。

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実際、講義内容はビールの存在理由をビールの歴史やビールと人との関係から紐解く内容でした。ビールにそんな奥深い歴史があったのかと何度も驚かされ、それがビールへの興味関心を高めます。ビールと人との関係では、話の中に随所に身近な事例が盛り込まれ、聞き手はビールを自分ごと化していきます。会社でのストレスがビールの旨味スパイスになると言われると、ビールがあればやっていけるじゃないかと思ってしまうほどでした(笑)。講義を聞き終わった後には、この世にビールがあって良かったという空気がせまいスタンド内を漂っているのを感じました。

 

ビール講義の内容を一言で言うならば "No Beer, No Life" でしょうか。世界の中心はビールだという錯覚に陥りそうでした。

 

注ぎ方でここまで変わるビールの味

ビール万歳の空気がスタンドを満たしたところで、広島カープのユニフォームからビールスタンド重富のユニフォームに着替えて、いよいよ重富さんのビール実演が始まりました。

 

まずは水道の蛇口でコップを洗うことから。講義でも「手入れの行き届いたビール」を届けるのがミッションとおっしゃったように、きれいなコップに注ぐことに徹底してこだわっていました。

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そして、いよいよビールサーバーの蛇口をひねり、透き通ったグラスにビールが一気に注がれていきます。

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全国各地から集まった16人もの特別講義参加者のうち、初参加者は3人だけ、つまり残りの13人はリピーターという状況だったので、初参加者の代表として私が飲み始め式のビールを味わう光栄にあずかることになりました。両足は肩幅に開き、左手を腰にあて、右手でビールを持って、あごを上にあげて飲むのがビールを飲む正しい姿勢と教えてもらって、その姿勢でごくりと飲みました。

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以前に広島遠征に参加した孫子女子勉強会仲間から忘れられない味と聞いていたので、期待は高まっていました。さらに、重富ビールスタンドの秘密を知りたくて参加したものの、実は、私はビールはダメなんです。人間は期待に対する相対評価を下す生き物なので、普通に美味しいだけなら期待が高まっている分、ちょっと期待はずれと感じるものです。ビールがダメな上に期待が高まった状態で飲んだビール。「うまい!」もうこれ以外の表現はありませんでした。

 

次々にビールが注がれ、参加者に順番にビールがまわっていきます。あちこちで至福の笑顔がこぼれます。この瞬間に理解しました。重富ビールスタンドに行列ができる理由を。並びます、これは。

 

驚きはこれにとどまりませんでした。重富ビールスタンドでは、アサヒの樽生というオーソドックスなビールを注ぎ方を変えて4種類の異なる味で楽しめます。

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最初に飲んだのが一度つぎ。次が二度つぎで、いったんコップをビールで満たしてしばらくおいた後、さらにビールを注ぎます。コップからビールがこぼれ出ても惜しみなく注ぎます。そうしてできるのが二度つぎのビールです。一口飲んでみると、確かに違います。同じビールなのに明らかな味の違いがあります。

 

二度つぎの次は三度つぎです。コップにビールを満たした後、しばらくそのまま置きます。その後、さらにビールを注いで、またしばらく置きます。三度目にビールを注いでできあがりです。こちらもまたまた違った味です。

 

そして、最後が重富さんオリジナルの重富つぎ。これはビールが苦手な方でも飲めるものとのこと。カップのすべてが泡の状態のビールです。苦味が全く感じられないクリーミーな味わいで、これをビールと呼んでいいのかと思うくらいに飲みやすいビールでした。 

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手入れの行き届いたビールとは何かを実例で示すために、あまり洗浄されていないコップにビールを注いたものを見せてもらいました。ビールから気泡が出ています。これは、コップについた汚れをビールが洗い流している状況と聞いて愕然としました。

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重富さんが丁寧に洗ったコップに注いだビールには気泡は出ていません。美味しいビールの秘密は注ぐ前のコップの手入れにも隠されていたのです。

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16:30頃になるとスタンドの外にはすでに列ができ始めていました。

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そんな待ち行列を尻目に、待つこともなくスタンドに入って、しかも特別講義ということで4種類ものビールを一度に味わうことができて、ビールスタンドの中は No Beer, No Life 状態でした。みんなで撮った集合写真からもその様子が伝わってきそうではありませんか?

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生ビール大学の講義の構成

広島生ビール大学の講義は次のように構成されています。

1. ビールの存在理由についての講義

2. ビールの注ぎ方の実演

3. ビールを味わってもらう

 

これは、サイモン・シネックがTEDスピーチで提唱したゴールデン・サークル理論そのものです。

1. Why  なぜビールを提供するのかを話す

2. How  どうやってビールを提供するのかを実演する

3. What  どんなビールを提供するのかを実際に飲んでもらう

 

人はなぜに動かされるというゴールデン・サークル理論にそっているので、講義を聞いた時点でビールが飲みたくなるというわけです。その状態で、目の前で注ぎ方の実演があり、実際に飲んだなら、間違いなく重富ビールスタンドのファンになります。

 

生ビール大学の戦略PR

広島生ビール大学の特別講義を受けて、真っ先に私の頭に浮かんだのが「これは戦略PRだ」ということでした。戦略PRは商品が売れるような空気づくりをするPR手法のことです。ネットの出現、情報洪水、消費市場の成熟という3つの条件によって、ほとんどの広告はスルーされ、消費者の商品を見る目は厳しくなりました。こういう状況の中では、消費者に気づきを与えて「買う理由」を生み出す必要があります。

 

戦略PRで与えるべき気づきは、商品自体への気づきではなく、なぜ商品が必要かという「ニーズへの気づき」です。広島生ビール大学の講義内容はビールの注ぎ方やビールの美味しさではなく、ビールの存在理由についてでした。これはまさに戦略PRそのもです。

 

生ビール大学の目的

ここまでなら、ビール業界に限らず、他にも同様なアプローチをやっている人はいると思います。重富ビールスタンドの何が素晴らしいかというと、その目的の大きさです。広島生ビール大学の目的は「広島を日本一生ビールの旨い街にする」です。「重富酒店を広島一売上高の高い店にする」ではないのです。

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紺野登先生著作の「利益や売上げばかり考える人は、なぜ失敗してしまうのか」の中にこんな記述があります。

 

「第一の顧客」と「支援してくれる顧客」の2種類の顧客が存在する。「第一の顧客」はその活動によって生活が改善される人々、「支援してくれる顧客」はボランティア・メンバー、パートナー、資金提供者、委託先、職員、その他の人々である。

「第一の顧客」と「支援してくれる顧客」を創造し維持することによって、「社会的な目的を実現し、社会、コミュニティ、個人のニーズを満たす」

 

重富酒店にあてはめてみると、「第一の顧客」は広島市内の重富酒店の納入先飲食店であり、その飲食店のお客さんということになります。広島市内の飲食店が、広島生ビール大学で学ぶことによって手入れの行き届いたビールを提供できるようになり、その飲食店の顧客は旨いビールを飲めるようになります。

 

重富ビールスタンドの最大のポイントは「支援してくれる顧客」の創造です。重富酒店が売上や利益を目指して活動していたとしたら、果たして支援してくれる顧客は創造できたでしょうか?支援してくれる顧客の創造ができたのは、目的が自身の利益にとどまらない社会的な目的「日本一旨い生ビールの提供で広島を元気にする」だったからです。この社会的な目的が多くの人の共感をよんで支援してくれる顧客を創造し、その支援してくれる顧客が重富ビールスタンドの価値を自ら発信することで、さらなる支援してくれる顧客を創造するという正のスパイラルがまわっていきます。私を含め、ビールがダメな人がわざわざ遠方から重富ビールスタンドにやってくる人は、第一の顧客ではなく、支援する顧客としてやってくるのです。

 

重富さんから学ぶべきこと

戦略PRや目的の大切さはもちろんですが、それはそれは幸せそうに重富さんが語った「こんなに楽しい50代がやってくるとは思わなかった」の意味するところこそが、私たちが重富さんから学ぶべきことだと思うのです。

 

会社員ならそろそろ定年の先が心配になる50代。50代からが楽しいなんてどういうこっちゃ、やっぱり自営業は定年がないからええなあという話ではありません。重富さんが楽しいと言ったことの意味するところも、同じく「利益や売上げばかり考える人は、なぜ失敗してしまうのか」に書かれている次の一節で理解できるでしょう。

 

社会的な目的に目覚めることが幸福な人生につながる

 

重富さんが50代を楽しんでいるのは、自身の生きる目的を「生ビールで広島を元気にする」という社会的な次元に引き上げたからでしょう。幸福な人生を送りたいというのは万人に共通する願いです。重富ビールスタンドから学ぶべきは、幸福な人生を送りたいのなら自分の生きる目的を社会的な次元に引き上げろということではないでしょうか。

人の魅力とは?

10月30日に瀬戸芸鑑賞で訪れた本島。アート鑑賞以上に惹かれた島の美しさの探求から人の魅力について考察しました。

 

本島

本島は香川県岡山県の真ん中あたりに位置し、周囲が16.4Km、人口500人弱の島です。点在しているアート作品を見てまわるならレンタルサイクルが便利だけれども、早い時間帯に島に着かないと自転車は出払ってしまうという情報がウェブに掲載されていました。実際、この日の来島者数は島の人口の倍近い938人もいました。

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丸亀港を9時に出発した汽船は本島で向かう人でいっぱいでした。天気が良かったので甲板から見える瀬戸内の景色を写真におさめる人もたくさんいましたが、本島が見え始めると甲板にいた人達がぞろぞろと船を降りる階に移動し始めました。レンタサイクルのことを思い出して、私もあわてて甲板から移動しました。

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案の定、降りた途端にレンタサイクルの待ち行列ができました。電動式自転車は早々に売り切れましたが、私はなんとか自転車を借りることができました。晴れた空のもとを海沿いの道を自転車で走るのはとても気持ちのよいものでした。

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笠島町並み保存地区

本島には江戸時代から大正時代にかけての町家形式の住宅が残っている笠島町並み保存地区があります。笠島は本島の観光スポットにもなっているようです。

 

笠島の町並みを歩いていると、過去の時代にタイムスリップしたような気分になりました。町並みという言葉の通り、町全体の統一感のある住宅が並んだ様は美しいの一言に尽きました。

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多島美

アート作品は主に島の東側に集中していましたが、アート作品観賞後に船が出るまで時間があったので、島の西側にもサイクリングに行きました。島の西側は集落を外れると、片側は山の斜面、反対側は海という道がひたすらに続くだけでしたが、島の外形に沿った道を進んで行くと瀬戸内海側に見える景色の変化を楽しめました。

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本島から見た瀬戸内海の景色を美しいと感じた理由は2つあることに気づきました。1つ目は、瀬戸内海に浮かぶ島、それもいくつもの島が重なり合ってつくり出す独特な美しさです。確かに、ひたすらに広がる大海原よりも島がある光景の方が写真映えもします。2つ目は、本島から見る方角によって異なる瀬戸内の景色に出会える楽しさです。島によって瀬戸内の景色が創り出されるがゆえに、目を向ける方角にある島なみによって異なる風景を楽しめるのです。

 

瀬戸内海にはなんと727個もの島があるそうです。瀬戸内の海のどこにいても肉眼でいずれかの島が見えるわけです。瀬戸内海の美しさを一言で言うなれば多島美です。ひとつひとつの島はありふれたものでも、これだけの数の島が集うことで独自の美しさがつくられるというわけです。

 

本島の美しさ

島を自転車で巡っての本島の印象は、一言で言うと美しい島でした。本島の中にある笠島の町並みは美しいことは確かでしたが、それ以外は島から臨む瀬戸内の海の景色の美しさで、それは島の外側にあるものでした。本島からの眺めが360度ひたすらに広大な海原が広がっているのだとしたら、これほど美しい島とは感じなかったに違いありません。本島の美しさとは、本島それ自体と瀬戸内海にある島という環境の両方からなるものでした。

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人の魅力

本島の美しさは、よく考えてみると、人の魅力と同じ構図ではないかと気がつきました。つまり、Aさんという人がいたとすると、Aさんの魅力とは、Aさん自身の魅力とAさんにつながる人々の魅力の総合体ではないでしょうか。

 

SNS時代になって、人の魅力がよく見えるようになりました。これまでも誰とつながっているかはその人の魅力を左右する重要な要素でしたが、そのつながりがSNSで可視化されることによってさらに大きな意味をもつようになりました。


例として、私の尊敬する大好きな勉強会仲間である板谷さんをあげることができます。板谷さんご自身に魅力があることは言うまでもありませんが、SNSにアップされる写真から板谷さんの周りにはいきいきとしている人達がたくさんいるように見うけられます。そのことによって、より板谷さんが魅力的に見えます。個人の魅力によって良き人たちとのつながりができ、新しいつながりによって個人の魅力が増すという好循環が生まれているのでしょう。

 

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SNSで人の魅力に関する情報も可視化されるようになりました。思考は言葉に表れると言われるように、発信される言葉からよくも悪くもその人となりが見えてしまうことがあります。また、個人にどんな人がつながっているのかも見えます。個人の魅力には寄与しない単なる知り合いなのか、個人の魅力を増すgive and takeの関係でつながっているのかもある程度見えます。

一方で、SNSのタイムラインだけを見ているといい人に見えたりすごい人に見えたりしても、実際に何かを一緒にやってみると本当はどうなのかがわかることがあります。本当の人の魅力を知るにはやはりネットの情報だけではなく、実際に会わないとダメだということでしょう。

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ライトアップ

10日間限定でライトアップされている栗林公園に行ってきました。先日、昼間に行った時より人がたくさんいましたが、足を進めるうちにその理由がわかりました。このライトアップを考えついた人に拍手喝采です。

 

暗闇の中にライトアップされた木々だけが浮かび上がる光景のなんと幻想的なこと。この世のものとは思えないほどの美しさにドキドキしました。特に水面に映し出される光景にうっとりしながら、「人は水か光のある場所に集まる」と聞いた言葉を思い出し、そのどちらもが揃っているのですから人が惹きつけられるのも納得です。

 

闇があってこそ光が輝くのだと今更ながらに気づきました。どれほどに趣向を凝らしたクリスマスのイリュミネーションもこの光景の前ではかすんでしまいそうでした。人工美は自然の美しさを超えることはできないのではないかと感じました。

 

「美しい」と表現する以外の言葉が見つかりません。それ以外にふさわしい言葉があるのならば教えてほしいです。

 

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