なぜ話が伝わらないのか?

目の前にいる人に対してであれ、ネットの向こうにいる人に対してであれ、何かを伝えたいけれど伝わらないという経験をしたことがある人は多いのではないでしょうか。私自身も、ここしばらくずっと「どういうメカニズムで話が伝わったり伝わらなかったりするのか」という問いを抱えていました。そんな中で手にとった野矢茂樹さん著作の「哲学な日々」を読んで、なるほどそうだったのかとわかったことがあります。ここでは、相手に伝えたい内容はあることを前提として話を進めます。

 

受け手の状態を知る

誰かに何かを伝えたいと思った時に真っ先に考えるべきことは何でしょうか?私は、どんな手段で伝えるかやどんな順序で伝えるかだと思っていましたが、それは大きな大きな勘違いでした。何よりもまず考えるべきは、受け手が聞きたいという状態なのかそうでないのかということです。最も基本的でありながら忘れがちなことです。

 

私はこれまでに、顧客への紹介に同行を求められて話したり学会で発表したりということを何度か経験していました。その時は、自分が持っている情報を受け手に合わせて伝わるように考えれば良かったのです。訪問した顧客も学会の会場に来ていた聴衆も、私が持っている情報について聞きたいという状態になっていたので、とにもかくにも聞いてくれたのです。

 

最近、話を聞きたいという明確なニーズを持たない人に話をすることを何度か経験しました。受け手が聞きたいという状態かそうでないかで、当然のことながら、話の切り出し方も話の進め方も全く異なるアプローチが必要になります。いやはやこの差たるや衝撃的なものがあります。話を聞きたいという明確なニーズをもっていない相手に何かを伝えるというのは極めて高度なスキルだということを身にしみて感じました。

 

誰かに何かを伝えようとする時、相手が聞きたいという状態になっていることは、実は案外少ないのかもしれません。仕方なく教室に座っている生徒に対して話をする教師、義務的に受講している社員研修生を相手に話をする講師、子どもに助言する親、訓示を述べる上司。目の前にいても聞く状態になっていない相手にいくら話をしても、話が右から左に抜けていくなんてことも少なくないのではないでしょうか。マス広告やSNSで流れてくる文章も同様に、必ずしも聞きたいという状態の人に向かって発せられているわけではありません。

 

問いを発生させる

必ずしも受け手が聞きたいという状態になっていない状況で話を伝えなければいけない時には、一体どうすれば良いのでしょうか?その手がかりが「哲学な日々」に書かれていました。

質問を相手にさせる。これが答えである。しかも、あなたの言いたいことがその答えになるような、そういう質問を相手から引き出さねばならない。問いかけがあれば、相手はその答えに耳を傾け、問いかけがなければ、たとえ同じことを語ったとしても相手は逃げていく。問いのないところに答えだけ言っても失敗する。

 

話を始める前に伝え手と受け手の間に問いが共有されている状態をまずはつくり出さねばならないのです。言われてみれば、なるほどその通りです。クエスチョンマークが浮かんでいるからこそ聞きたいという状態になるわけです。そう言えば、本のタイトルも疑問形になっているものが多いですよね。「なぜ~なのか?」というように。そのタイトルに惹かれて手にとった時点で、著者と読者は問いを共有している状態がつくられるので、本文の内容が伝わるというわけです。

 

それにしても、自分の言いたいことが答えになるような問いを相手に発生させるなどということはどうすればできるのでしょうか。そのためには、まず、自分自身が「自分の伝えたいことはどういう問いの答えになっているのか」を自問する必要があります。伝えたい内容が答えになっている問いはひとつとは限りません。相手が関心を持ちそうな問いは何かもあわせて考えることが必要です。相手の関心がわからない場合は「どういうことだろう?」という疑問の呼び水になるキーワードを散りばめるのでもいいのかもしれません。

 

伝え手としての位置をつくる

問いを発生させる以外に話が伝わる方法があります。伝え手としての位置をつくることです。

 

講演会等で著名なゲストが講演するとなると、講演タイトルに関わらず話を聞きたいと思うことがあります。有名人に会いたいというミーハー心だけでなく、その人の話は聞いて良かったと思えるに違いないという期待がわきおこるからです。

 

こんな経験をしたことがあります。あるテーマの全体像を描くために、そのテーマに関わる人達からヒアリングして情報を集約し、整理する必要がありました。今まで一度も会ったことも話したこともない人からもヒアリングする必要があり、とりあえず電話してみました。運悪く取り込み中とのことで、折り返し電話するという返答をもらって電話を切りました。しばらく待ちましたが折り返しの電話はありません。再度の電話をかけるのもはばかられたので、書きかけの全体像の資料をメールに添付して、問い合わせの背景とヒアリングしたい旨をメールで連絡しました。メール送信後にほどなくして電話がかかってきました。

 

そんなに早くに電話がかかってくると思っていなかった私はびっくりしました。電話で会話してみてわかったのは、どこの誰かも知らない人物であっても描こうとしている全体像を見て話を聞こうと思われたようでした。

 

これとは逆にこんなことにも遭遇したことがあります。ある人が話しているのですが、誰も耳を貸そうとしません。問いの共有がない以前に、日頃の言動を鑑みて、その人が話しているという時点で話が伝わらないのです。

 

これらの事例から言えることは、話を伝えたいなら、聞くに値する人物であると認識される位置をつくる必要があるということです。

 

コミュニケーションの回路を開く

話が伝わる時と伝わらない時を図的に示すとこんな感じになるでしょうか。両者の決定的な違いは、伝え手と聞き手の間にコミュニケーションの回路が開かれているかどうかです。

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話が伝わる時は、伝え手と受け手の間で問いを共有することでコミュニケーションの回路ができ、伝え手の話はその回路を通って受け手に届きます。あるいは受け手の伝え手に対する期待でコミュニケーションの回路ができる場合もあります。

 

一方で、コミュニケーションの回路ができていない状態というのは受け手の手前に見えない壁ができているようなものです。伝え手がどんなに熱心に話をしても、話はその壁に跳ね返されてしまうので伝わりません。

 

受け手が聞くに値しない人物だと評価している時には問いの共有すらできなくなります。こうなると、コミュニケーションの回路を作ることができないので、どうやっても話は届きません。これはかなりやばい状況です。

 

話を伝えようとする時には話の内容や伝え方に目がいきがちですが、その前にコミュニケーションの回路が開かれているのか、開かれていないとしたらいかにして回路を開くかに意識を向けなければなりません。

 

コミュニケーションの回路を開くための大前提は人としてどうであるかということです。考えてみれば当たり前のことです。いかなるコミュニケーションも最終的には人と人の間に生じるものなのですから。

テクノロジー失業?テクノロジー活用?

Facebookに現れた過去記事が、今再びAIというテクノロジーの文脈で考えたい内容だったので、編集してブログに転記したいと思います。元記事は20141220日に子どもが卒業した東京都立西高等学校のOB/OGを講師に迎えた訪問講義の内容です。

 

テクノロジー失業

AIに代替される仕事があるという言葉がよく聞かれるようになりました。言い換えるとテクノロジー失業の可能性がある仕事の話題です。それは未来の話ではなく、ロボットメーカーのマーケティングを担当する講師がすでに経験したことだったのです。

 

大学で応用物理を専攻した講師は、文章を書くのが好きという理由で日経新聞の記者からキャリアをスタートさせました。1997年からシリコンバレー特派員としてき、1998年にまだ社員数が10人だったGoogleのことを日本で初めて記事に書いたそうです。その時にもらったというGoogle Doodle の絵を額に入れて参加者に見せてくれたものを撮影したのがこの写真です。

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日経新聞を退社する時には、10年後をどう生きるかを考え、ロボット大国日本でロボットに焦点を当てたフリーランスジャーナリストになったそうです。ところが、それから10年後、インターネットの発達により、仕事は減らないけれども仕事の単価が下がる「テクノロジー失業」を経験したといいます。

 

テクノロジーに代替される仕事に就いている人の行く末は、仕事がなくなるのではなく、仕事の単価が下がることなのですね。仕事に対する対価は絶対的なものではなく相対的なものであり、テクノロジー失業に陥らないためには希少価値を生み出せるかにかかっているということです。

 

テクノロジー活用

テクノロジー失業を経験した講師は、テクノロジー活用によって転職を果たしました。ロボットというテクノロジーへの関心と造詣を深め、ロボットについて発信する個人のメディアを運営し、たくさんの読者を惹きつけていました。この実績がロボット会社からのオファーにつながり、ロボットメーカーに転職できたそうです。

 

ロボットによる失業かロボット活用か

アーム型の自動機械をロボットと呼んだのは、アメリカ人のジョセフ・エンゲルバーガーだそうです。ジョセフが産業用ロボットとして製品化したものの、職を奪われることを警戒した労働組合の強い反対にあって、アメリカでは全く売れなかったそうです。

 

ジョセフが日本で講演した際には、何百人もの日本人がすぐさまその有効性を理解したことにジョセフは感動したといいます。そして、日本でアーム型ロボットは生産現場に取り入れられたそうです。日本では終身雇用制があり、アーム型ロボットの導入によって、人間は別の労働を行うようになったからだそうです。

 

ロボットによる失業を恐れてロボットをとり入れなかったアメリカと、生産現場にロボットを導入して人間はロボットにはできない仕事に移行した日本。対照的な対応をとった日本とアメリカですが、現代ではどうでしょうか?

 

テクノロジー活用の壁

ソフトバンクからPepperが発売されることになったのは画期的なことで、ソフトバンクだからできたことだという紹介を聞いて、頭の中に?が浮かびましたが、続く説明で、その疑問はすぐに解消されました。ロボットを一般発売すると、家庭で何がおこるかわからず、予期せぬ事故や安全性の保証を考えると、ロボット技術をもっていても製品化に踏み切れないのが多くのメーカーだそうです。

 

ルンバを発売しているアイロボット社でも、弁護士の話を聞いたら製品化はできないと弁護士の話は聞かなかったそうです。そうやって製品化した結果、ルンバは今では世界一売れているロボットになりました。

 

テクノロジーは新しい技術ゆえに予測不可能性がつきまといます。考えられるリスクヘッジはとりながらも予測不可能性をもひっくるめて引き受けてこそテクノロジーを活用できるのです。テクノロジー活用にはある種の覚悟が伴うということでしょう。

 

テクノロジーとは

講師はテクノロジーとは何かをアラン・ケイの言葉を引用してこう説明しました。

『テクノロジーとは、あなたが生まれた時に存在していなかったすべてのものだ』

 

インターネットという言葉がなかった時代に生まれた私達にとって、Googleサーチは画期的なテクノロジーでした。けれども、Google誕生より後に生まれた世代にとってはGoogleAppleはテクノロジーではないのです。

 

今を生きている人にとってはAIはテクノロジーです。けれども、これから生まれてくる子ども達にとっては、もはやAIはテクノロジーではないのです。これから生まれてくる子ども達にとっては、AIにとって代わられる仕事云々の話ではなく、いかにAIを活用するかという発想しかないでしょう。

 

ある時代ではテクノロジーであったものも、時間の経過とともにあたり前のものとして世の中に存在するようになるのです。テクノロジーによる失業に戦々恐々としているというのは、時代の変化に取り残されている状態と言えるのかもしれません。

 

テクノロジー活用の哲学

一人の生徒が「ロボットが人を殺すことに使われることもあるのでしょうか?」という質問をしました。

 

「アメリカで画面の前に座り、無人飛行機ドローンがアフガンの上空を飛び、画面の前のボタン操作でドローンから爆弾が落とされるということが、実際にすでにおこっています」というのが講師の回答でした。

 

テクノロジー自体には善も悪もなく、それを使う人間の哲学こそが問われています。テクノロジーは常に発達していくものではあるけれど、社会がそれに伴って前に進んでいくかどうかは人間の考え方次第ということです。

 

今、AIというテクノロジーに大変な関心が集まり、AIによるテクノロジー失業の話題にもことかきません。けれどもAIに限らず、テクノロジーは過去からずっと形を変えて発明され、発達し、いつの間にかテクノロジーとは呼ばれなくなるくらいに世の中に浸透するということを繰り返してきたのです。

 

今、私達に問われているのは、テクノロジーにどう対抗するかやどう活用するかという次元を超えて、社会をどのような方向に進めていくのかという哲学ではないでしょうか。それに答えることで、テクノロジーとどう向き合うのかに対する答えも自ずと導かれるのではないでしょうか。

重富ビールスタンドから何を学ぶべきか?

11月26日に広島にある噂の重富ビールスタンドについに行ってきました。営業時間は17:00~19:00までの2時間だけ、飲めるビールは2杯まで、おつまみはなしという営業スタイル。美味しいビールの注ぎ方を極めた味を求めて毎日行列ができるそうです。

 

外見はごく普通の酒屋さん。畳三帖程度の広さにテーブルがわりの樽が3個。最近、講義用に壁掛けディスプレイを導入したそうで、なんとも不思議な空間でした。

 

そんな重富ビールスタンドで15:00~17:00まで貸し切りで広島生ビール大学飲食店学部の特別講義が企画され、東京、名古屋、大阪、福岡など全国から受講者が集まりました。私も受講するため瀬戸内海を渡って香川から広島入りしました。

 

No Beer, No Life

重富さんは、生ビール大学の講義の冒頭で「広島生ビール大学の講義ではビールの注ぎ方の話はしません。なぜビールが存在するのかを話します」と言いました。

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実際、講義内容はビールの存在理由をビールの歴史やビールと人との関係から紐解く内容でした。ビールにそんな奥深い歴史があったのかと何度も驚かされ、それがビールへの興味関心を高めます。ビールと人との関係では、話の中に随所に身近な事例が盛り込まれ、聞き手はビールを自分ごと化していきます。会社でのストレスがビールの旨味スパイスになると言われると、ビールがあればやっていけるじゃないかと思ってしまうほどでした(笑)。講義を聞き終わった後には、この世にビールがあって良かったという空気がせまいスタンド内を漂っているのを感じました。

 

ビール講義の内容を一言で言うならば "No Beer, No Life" でしょうか。世界の中心はビールだという錯覚に陥りそうでした。

 

注ぎ方でここまで変わるビールの味

ビール万歳の空気がスタンドを満たしたところで、広島カープのユニフォームからビールスタンド重富のユニフォームに着替えて、いよいよ重富さんのビール実演が始まりました。

 

まずは水道の蛇口でコップを洗うことから。講義でも「手入れの行き届いたビール」を届けるのがミッションとおっしゃったように、きれいなコップに注ぐことに徹底してこだわっていました。

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そして、いよいよビールサーバーの蛇口をひねり、透き通ったグラスにビールが一気に注がれていきます。

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全国各地から集まった16人もの特別講義参加者のうち、初参加者は3人だけ、つまり残りの13人はリピーターという状況だったので、初参加者の代表として私が飲み始め式のビールを味わう光栄にあずかることになりました。両足は肩幅に開き、左手を腰にあて、右手でビールを持って、あごを上にあげて飲むのがビールを飲む正しい姿勢と教えてもらって、その姿勢でごくりと飲みました。

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以前に広島遠征に参加した孫子女子勉強会仲間から忘れられない味と聞いていたので、期待は高まっていました。さらに、重富ビールスタンドの秘密を知りたくて参加したものの、実は、私はビールはダメなんです。人間は期待に対する相対評価を下す生き物なので、普通に美味しいだけなら期待が高まっている分、ちょっと期待はずれと感じるものです。ビールがダメな上に期待が高まった状態で飲んだビール。「うまい!」もうこれ以外の表現はありませんでした。

 

次々にビールが注がれ、参加者に順番にビールがまわっていきます。あちこちで至福の笑顔がこぼれます。この瞬間に理解しました。重富ビールスタンドに行列ができる理由を。並びます、これは。

 

驚きはこれにとどまりませんでした。重富ビールスタンドでは、アサヒの樽生というオーソドックスなビールを注ぎ方を変えて4種類の異なる味で楽しめます。

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最初に飲んだのが一度つぎ。次が二度つぎで、いったんコップをビールで満たしてしばらくおいた後、さらにビールを注ぎます。コップからビールがこぼれ出ても惜しみなく注ぎます。そうしてできるのが二度つぎのビールです。一口飲んでみると、確かに違います。同じビールなのに明らかな味の違いがあります。

 

二度つぎの次は三度つぎです。コップにビールを満たした後、しばらくそのまま置きます。その後、さらにビールを注いで、またしばらく置きます。三度目にビールを注いでできあがりです。こちらもまたまた違った味です。

 

そして、最後が重富さんオリジナルの重富つぎ。これはビールが苦手な方でも飲めるものとのこと。カップのすべてが泡の状態のビールです。苦味が全く感じられないクリーミーな味わいで、これをビールと呼んでいいのかと思うくらいに飲みやすいビールでした。 

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手入れの行き届いたビールとは何かを実例で示すために、あまり洗浄されていないコップにビールを注いたものを見せてもらいました。ビールから気泡が出ています。これは、コップについた汚れをビールが洗い流している状況と聞いて愕然としました。

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重富さんが丁寧に洗ったコップに注いだビールには気泡は出ていません。美味しいビールの秘密は注ぐ前のコップの手入れにも隠されていたのです。

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16:30頃になるとスタンドの外にはすでに列ができ始めていました。

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そんな待ち行列を尻目に、待つこともなくスタンドに入って、しかも特別講義ということで4種類ものビールを一度に味わうことができて、ビールスタンドの中は No Beer, No Life 状態でした。みんなで撮った集合写真からもその様子が伝わってきそうではありませんか?

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生ビール大学の講義の構成

広島生ビール大学の講義は次のように構成されています。

1. ビールの存在理由についての講義

2. ビールの注ぎ方の実演

3. ビールを味わってもらう

 

これは、サイモン・シネックがTEDスピーチで提唱したゴールデン・サークル理論そのものです。

1. Why  なぜビールを提供するのかを話す

2. How  どうやってビールを提供するのかを実演する

3. What  どんなビールを提供するのかを実際に飲んでもらう

 

人はなぜに動かされるというゴールデン・サークル理論にそっているので、講義を聞いた時点でビールが飲みたくなるというわけです。その状態で、目の前で注ぎ方の実演があり、実際に飲んだなら、間違いなく重富ビールスタンドのファンになります。

 

生ビール大学の戦略PR

広島生ビール大学の特別講義を受けて、真っ先に私の頭に浮かんだのが「これは戦略PRだ」ということでした。戦略PRは商品が売れるような空気づくりをするPR手法のことです。ネットの出現、情報洪水、消費市場の成熟という3つの条件によって、ほとんどの広告はスルーされ、消費者の商品を見る目は厳しくなりました。こういう状況の中では、消費者に気づきを与えて「買う理由」を生み出す必要があります。

 

戦略PRで与えるべき気づきは、商品自体への気づきではなく、なぜ商品が必要かという「ニーズへの気づき」です。広島生ビール大学の講義内容はビールの注ぎ方やビールの美味しさではなく、ビールの存在理由についてでした。これはまさに戦略PRそのもです。

 

生ビール大学の目的

ここまでなら、ビール業界に限らず、他にも同様なアプローチをやっている人はいると思います。重富ビールスタンドの何が素晴らしいかというと、その目的の大きさです。広島生ビール大学の目的は「広島を日本一生ビールの旨い街にする」です。「重富酒店を広島一売上高の高い店にする」ではないのです。

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紺野登先生著作の「利益や売上げばかり考える人は、なぜ失敗してしまうのか」の中にこんな記述があります。

 

「第一の顧客」と「支援してくれる顧客」の2種類の顧客が存在する。「第一の顧客」はその活動によって生活が改善される人々、「支援してくれる顧客」はボランティア・メンバー、パートナー、資金提供者、委託先、職員、その他の人々である。

「第一の顧客」と「支援してくれる顧客」を創造し維持することによって、「社会的な目的を実現し、社会、コミュニティ、個人のニーズを満たす」

 

重富酒店にあてはめてみると、「第一の顧客」は広島市内の重富酒店の納入先飲食店であり、その飲食店のお客さんということになります。広島市内の飲食店が、広島生ビール大学で学ぶことによって手入れの行き届いたビールを提供できるようになり、その飲食店の顧客は旨いビールを飲めるようになります。

 

重富ビールスタンドの最大のポイントは「支援してくれる顧客」の創造です。重富酒店が売上や利益を目指して活動していたとしたら、果たして支援してくれる顧客は創造できたでしょうか?支援してくれる顧客の創造ができたのは、目的が自身の利益にとどまらない社会的な目的「日本一旨い生ビールの提供で広島を元気にする」だったからです。この社会的な目的が多くの人の共感をよんで支援してくれる顧客を創造し、その支援してくれる顧客が重富ビールスタンドの価値を自ら発信することで、さらなる支援してくれる顧客を創造するという正のスパイラルがまわっていきます。私を含め、ビールがダメな人がわざわざ遠方から重富ビールスタンドにやってくる人は、第一の顧客ではなく、支援する顧客としてやってくるのです。

 

重富さんから学ぶべきこと

戦略PRや目的の大切さはもちろんですが、それはそれは幸せそうに重富さんが語った「こんなに楽しい50代がやってくるとは思わなかった」の意味するところこそが、私たちが重富さんから学ぶべきことだと思うのです。

 

会社員ならそろそろ定年の先が心配になる50代。50代からが楽しいなんてどういうこっちゃ、やっぱり自営業は定年がないからええなあという話ではありません。重富さんが楽しいと言ったことの意味するところも、同じく「利益や売上げばかり考える人は、なぜ失敗してしまうのか」に書かれている次の一節で理解できるでしょう。

 

社会的な目的に目覚めることが幸福な人生につながる

 

重富さんが50代を楽しんでいるのは、自身の生きる目的を「生ビールで広島を元気にする」という社会的な次元に引き上げたからでしょう。幸福な人生を送りたいというのは万人に共通する願いです。重富ビールスタンドから学ぶべきは、幸福な人生を送りたいのなら自分の生きる目的を社会的な次元に引き上げろということではないでしょうか。

人の魅力とは?

10月30日に瀬戸芸鑑賞で訪れた本島。アート鑑賞以上に惹かれた島の美しさの探求から人の魅力について考察しました。

 

本島

本島は香川県岡山県の真ん中あたりに位置し、周囲が16.4Km、人口500人弱の島です。点在しているアート作品を見てまわるならレンタルサイクルが便利だけれども、早い時間帯に島に着かないと自転車は出払ってしまうという情報がウェブに掲載されていました。実際、この日の来島者数は島の人口の倍近い938人もいました。

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丸亀港を9時に出発した汽船は本島で向かう人でいっぱいでした。天気が良かったので甲板から見える瀬戸内の景色を写真におさめる人もたくさんいましたが、本島が見え始めると甲板にいた人達がぞろぞろと船を降りる階に移動し始めました。レンタサイクルのことを思い出して、私もあわてて甲板から移動しました。

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案の定、降りた途端にレンタサイクルの待ち行列ができました。電動式自転車は早々に売り切れましたが、私はなんとか自転車を借りることができました。晴れた空のもとを海沿いの道を自転車で走るのはとても気持ちのよいものでした。

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笠島町並み保存地区

本島には江戸時代から大正時代にかけての町家形式の住宅が残っている笠島町並み保存地区があります。笠島は本島の観光スポットにもなっているようです。

 

笠島の町並みを歩いていると、過去の時代にタイムスリップしたような気分になりました。町並みという言葉の通り、町全体の統一感のある住宅が並んだ様は美しいの一言に尽きました。

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多島美

アート作品は主に島の東側に集中していましたが、アート作品観賞後に船が出るまで時間があったので、島の西側にもサイクリングに行きました。島の西側は集落を外れると、片側は山の斜面、反対側は海という道がひたすらに続くだけでしたが、島の外形に沿った道を進んで行くと瀬戸内海側に見える景色の変化を楽しめました。

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本島から見た瀬戸内海の景色を美しいと感じた理由は2つあることに気づきました。1つ目は、瀬戸内海に浮かぶ島、それもいくつもの島が重なり合ってつくり出す独特な美しさです。確かに、ひたすらに広がる大海原よりも島がある光景の方が写真映えもします。2つ目は、本島から見る方角によって異なる瀬戸内の景色に出会える楽しさです。島によって瀬戸内の景色が創り出されるがゆえに、目を向ける方角にある島なみによって異なる風景を楽しめるのです。

 

瀬戸内海にはなんと727個もの島があるそうです。瀬戸内の海のどこにいても肉眼でいずれかの島が見えるわけです。瀬戸内海の美しさを一言で言うなれば多島美です。ひとつひとつの島はありふれたものでも、これだけの数の島が集うことで独自の美しさがつくられるというわけです。

 

本島の美しさ

島を自転車で巡っての本島の印象は、一言で言うと美しい島でした。本島の中にある笠島の町並みは美しいことは確かでしたが、それ以外は島から臨む瀬戸内の海の景色の美しさで、それは島の外側にあるものでした。本島からの眺めが360度ひたすらに広大な海原が広がっているのだとしたら、これほど美しい島とは感じなかったに違いありません。本島の美しさとは、本島それ自体と瀬戸内海にある島という環境の両方からなるものでした。

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人の魅力

本島の美しさは、よく考えてみると、人の魅力と同じ構図ではないかと気がつきました。つまり、Aさんという人がいたとすると、Aさんの魅力とは、Aさん自身の魅力とAさんにつながる人々の魅力の総合体ではないでしょうか。

 

SNS時代になって、人の魅力がよく見えるようになりました。これまでも誰とつながっているかはその人の魅力を左右する重要な要素でしたが、そのつながりがSNSで可視化されることによってさらに大きな意味をもつようになりました。


例として、私の尊敬する大好きな勉強会仲間である板谷さんをあげることができます。板谷さんご自身に魅力があることは言うまでもありませんが、SNSにアップされる写真から板谷さんの周りにはいきいきとしている人達がたくさんいるように見うけられます。そのことによって、より板谷さんが魅力的に見えます。個人の魅力によって良き人たちとのつながりができ、新しいつながりによって個人の魅力が増すという好循環が生まれているのでしょう。

 

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SNSで人の魅力に関する情報も可視化されるようになりました。思考は言葉に表れると言われるように、発信される言葉からよくも悪くもその人となりが見えてしまうことがあります。また、個人にどんな人がつながっているのかも見えます。個人の魅力には寄与しない単なる知り合いなのか、個人の魅力を増すgive and takeの関係でつながっているのかもある程度見えます。

一方で、SNSのタイムラインだけを見ているといい人に見えたりすごい人に見えたりしても、実際に何かを一緒にやってみると本当はどうなのかがわかることがあります。本当の人の魅力を知るにはやはりネットの情報だけではなく、実際に会わないとダメだということでしょう。

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ライトアップ

10日間限定でライトアップされている栗林公園に行ってきました。先日、昼間に行った時より人がたくさんいましたが、足を進めるうちにその理由がわかりました。このライトアップを考えついた人に拍手喝采です。

 

暗闇の中にライトアップされた木々だけが浮かび上がる光景のなんと幻想的なこと。この世のものとは思えないほどの美しさにドキドキしました。特に水面に映し出される光景にうっとりしながら、「人は水か光のある場所に集まる」と聞いた言葉を思い出し、そのどちらもが揃っているのですから人が惹きつけられるのも納得です。

 

闇があってこそ光が輝くのだと今更ながらに気づきました。どれほどに趣向を凝らしたクリスマスのイリュミネーションもこの光景の前ではかすんでしまいそうでした。人工美は自然の美しさを超えることはできないのではないかと感じました。

 

「美しい」と表現する以外の言葉が見つかりません。それ以外にふさわしい言葉があるのならば教えてほしいです。

 

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創造的な場から生まれるもの

 

最近、注目されている「創造的な場」。創造的な場というとそこからすごいアイデアが生まれそうなイメージをもたれる方が多いと思いますが、私自身の経験からいうと、イデア以外のものが生まれることの意味が大きいと感じていました。そんな感覚を覚えていた時に偶然に出会ったのが「創造性とは何か」。KJ法で有名な川喜田二郎先生の著書ということもあって、迷わず手にとりました。

 

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この本を読んで、全く異なる3つの場で体験してきたことの共通性とその意味するものが整理できました。3つの創造的な場の事例の紹介とともに創造的な場から生まれるものを考えてみたいと思います。

 

事例1:Motivation Makerのワークショップ

1つ目の事例は、NPO法人Motivation Makerが提供するプログラムの事例です。Motivation Makerは "未来の大人に学びのモチベーションを!" のキャッチフレーズのもと、動機づけに特化した教育プログラムを提供しています。私は数年間、サポーターとしてプログラム運営のお手伝いをしていました。

 

参加者は基本的に小学3年生から6年生の子どもです。半年間で5~6回のプログラムからなり、回によっては親子で恊働作業を行う場合もあります。一連のプログラムに規定回数以上参加すると、Motivation Makerの称号と修了証がもらえます。

 

現在、2016年度冬学期のワークショップ参加者を募集中です。

 

知識の習得でも学び方の習得でもなく、学ぶ動機の獲得をプログラム提供の目的にしていて、一般的な学習塾とは一線を画するものでした。開催場所が東京大学で行われることが多かったこともあってか、福岡からわざわざ参加する参加者もいたのには驚きました。

 

プログラムの流れはこんな感じです。

モチベーションリーダーが仕事内容やそこにいたるキャリアストーリーを話す

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モチベーションリーダーがワークショップで伝えたかったことを話す

 

ワークショップは東大のi.schoolで学ぶメソッドに準じて設計されていて、創造的にものを生み出すプロセスになっています。私がサポーターをしながら最も注目したのは、ワークショップ中の子どもたちの集中ぶりでした。活発な子もおとなしい子も驚くほどにのめりこんでいました。一緒にワークをする保護者も同様に夢中になって絵を描いたり、ものを創ったり、ものを見つけたりしているのが印象的でした。

 

そんな状況だったので、修了証をもらった子どもが、子どもスタッフとして再びプログラムに参加することが珍しくありませんでしたこのプログラムに参加して変わったという子どももいたと聞きます。さらには、このプログラムのおかげで変わったという保護者やサポーターもいました。

 

楽しいプログラムだったことは確かですが、あののめりこみ具合や、プログラムに参加しての変容ぶりを説明する理論をその当時の私はもちあわせていませんでした。

 

 

事例2:TechShopでのものづくり講座

2つめの事例は、高知県の木材の認知を高めると同時に高知県のファンをつくるために、私自身が創った場づくりの事例です。参加者を一般募集して、TechShopというDIY工房で、土佐材とデジタルファブリケーションを組み合わせて高知をPRする作品をつくってもらいました。

 

プログラムの内容と言えばこれだけですが、実際には、限られた時間で良質なアウトプットが出るためにどうすればよいか、制作素材として何を準備するか、工作機械利用のルール決めなど、一緒に場づくりを行ったメンバー間で侃侃諤諤の議論の末にようやく組み上がったプログラムでした。一番難しかったのは、参加者のクリエイティビティを発揮して実際にものを作ってもらうための自由度と制約のさじ加減でした。

 

できる限り、考えられる限りのことは準備したつもりでしたが、当日どうなるかは全くの未知数でした。結果的には、作品自体も期待を超えたものができましたし、何より参加者が昼食も抜かんとばかりの勢いで夢中でつくり続けたことに驚かされました。

 

私自身は、このプロジェクトが始まるまで木材にも工作にもそれほど興味はありませんでしたが、できれば私も参加者になって一緒につくりたいと思いながら撮影を担当していました。誰も彼もの表情がいきいきと輝いていて、「あ、この瞬間」と思うシーンが至るところで生まれて、広い会場を走り回っての撮影になりました。

 

作品がほぼ完成した頃に参加者インタビューをした際、高知県出身で都内大学に通う学生の一言がとても印象的でした。

「自分は高知県出身で、高知県は田舎だと思っていたけど、ここにきて高知県も捨てたもんじゃないなと思った」

 

当日の様子の動画はこちらです。


 

事例3:孫子女子勉強会でのわいがや

3つ目の事例は、上の2つとはかなり趣の異なるもので、東京在住時に参加していた孫子女子勉強会の事例です。基本的に女性限定のクローズドな勉強会で、孫子の兵法をテーマにしていることから、いつしか孫子女子勉強会と呼ばれるようになりました。講師は、公認会計士と一言で片づけてしまえないくらいにいくつもの顔をもつ田中靖浩先生。東京で開催されているにも関わらず、沖縄、福岡、広島、大阪からも時々参加される方がいる人気の勉強会で、かくいう私も香川県に引っ越してからも参加したことがあります。

 

勉強会では、毎回、田中先生が孫子の兵法から一節を抜き出して、その意味するところと現代社会における事例を解説付きで紹介してくれます。これだけを聞くとごく普通の勉強会ですが、ここからがまあ大変な大にぎわいになります。先生の提示した事例をフックとして、次から次へと参加者が自分の身の回りでおこった事例を場に提供し、「あれはこういう意味だったのか。それに対して自分はこういう態度をとってしまったが、本来はこうすべきだったのか」というわいがやが始まります。自分だけが経験しているのかと思ったら、あちらでもこちらでも似たような事柄がおこっていることがわかり、なぜそういう現象がおこっているのかを大局的な視点で捉える議論に発展していきます。

 

単にわいわいがやがや言い合っているだけでなく、私たちが生きている時代背景をあぶり出す恊働作業を行っている感覚に近いものがあります。自分一人の経験からだけでは見ることのできない大きな絵図をみんなで創り上げていくような感覚でもあります。私が孫子女子勉強会を創造的な場の事例として挙げる理由はここにあります。

 

この勉強会の特筆すべき点が2つあります。1つ目は、メンバーの誰もが参加することを熱望し、欠席せざるを得ないことを悔しがることです。2つ目は、共同体感覚があることです。参加者同士は勉強会で何度も顔を合わせることで少しずつお互いのバックグランドを理解していきますが、基本的には相手のことをあまりよくは知りません。勉強会でわいわいがやがやしている関係でしかないにも関わらず、不思議と仲間意識を感じるのです。

 

創造的行為

ここでは「創造性とは何か」に書かれていた内容と照らし合わせながら、3つの事例がなぜ創造的行為であったかを読み解いてみたいと思います。

 

創造的な行為であるとは次の4つの条件をできるだけ高度にそろえていることだと書かれています。 

(1)「自発性」 自発的に行えば行うほど創造的
(2)「モデルのなさ」 モデルやお手本がなければないほど創造的
(3)「切実生」 切実であればあるほど創造的
(4) 実践を伴う

 

事例1のMotivation Makerのワークショップでは、それぞれにカタチの決まっていないアウトプットを生み出すので、(2)と(4)は十分にそろっています。(1)と(3)は提供されたプログラムに沿ってワークを行うので、完全とは言えませんが、全くないとも言えません。

 

事例2のTechShopでのものづくり講座でも同様に(2)と(4)は十分にそろっています。参加者は応募制になっていたので、(1)もそろっていると言えるでしょう。(3)は少し弱いかもしれません。

 

事例3の孫子女子勉強会のわいがやでは、自由意志で参加しているので(1)はそろっています。(2)も特に決まったものがない中で進んでいくのでそろっていると言えるでしょう。(3)は3つの事例のうち一番強くあると言えるでしょう。なぜなら、参加者が自身の切実な経験をもちよって、その背後にあるものをつきとめようとしているからです。(4)も勉強会の場では話をしているだけですが、日々の生活の中で実践したことを勉強会にもちよっているので、そろっていると言えるでしょう。

 

3つの事例は、4つの条件の濃淡はあるものの、おおよそ条件をそろえているという点で共通しており、創造的行為であったと言えることがわかります。

 

 

創造的行為から生まれるもの

続いて、創造的行為から生まれるものによって、3つの事例でおこった現象を解き明かしたいと思います。「創造性とは何か」では、創造的行為の結果として生まれるものを次のように述べています。

(1)創造的行為の達成があると、その人は行ったことへの満足感や、心の高揚を得ることができる。

(2)創造的行為は、まずその対象となるものを創造するが、同時に、その創造を行うことによって自らをも脱皮変容させる。創造的であればあるほど、その主体である人間の脱皮変容には目をみはるものがある。

(3)人間というものは、自分が最も創造的に行動したそこーそこで何かビューティフルなことを達成したときには、そこが第二のふるさとになる。(ふるさと化)

(4)創造的行為に繋がった人々は、また顔を合わせたがる。(同窓会化)

 

事例1のMotivation Makerのワークショップで、参加者が夢中になっていたのは、創造的行為の達成によって心情的な高揚や陶酔に向かっていたためだと説明できます。一種のフロー状態にあったとも言い換えられるでしょう。さらに、子ども、保護者、サポーターがプログラムに参加して変わったというのは、(2)にあるように主体も脱皮変容したということでしょう。そして、子どもスタッフとして継続的に関わることは、(3)ふるさと化と(4)同窓会化によって説明できます。

 

事例2のTechShopでのものづくり講座参加者の集中度合いも事例1と同様に説明ができます。また、高知県出身学生の発言は、ふるさと化による故郷の再認識から出たものと考えられます。

 

事例3の孫子女子勉強会への参加願望や共同体感覚は(4)同窓会化そのものです。単にわいわいがやがやしているから楽しいというのではなく、創造的な営みがあるからこそまた一緒に場に参加したいと思えるのだと納得しました。

 

創造的な場の創造

3つの事例と創造的行為から生まれるもので見てきたことから、現代社会の課題解決へのヒントが浮かび上がってきます。

 

現代社会の課題のひとつにコミュニティをいかにつくるかという課題があります。同窓会化はコミュニティ化とも言い換えられます。つまり、創造的行為でつながるとコミュニティ化がおきるということです。コミュニティをつくりたいならば創造的な場を創造すれば良いということになります。伊藤園さんが行っている茶ッカソンから生まれているのは伊藤園ファンコミュニティと言えるでしょう。

 

地方の切実な課題のひとつは人口減少をどう食い止めるか、特に若者の定着です。事例2の大学生のインタビュー回答とふるさと化という現象から、創造的な場をつくることで若者の意識を地域に向けることができるのではないかという仮説が立てられます

 

創造的行為の結果としての主体の自己変容は教育の目的とするところと一致します。「創造性とは何か」の中でも、川喜田先生が始めた移動大学に参加した若い人々の変化が例として挙げられています。教育の中に創造的な場をつくることで本来の教育目的が達成されることになるのではないでしょうか。ただし、この本の中にも書かれているように、自己変革を目標にするのではなく、具体的なアウトプットを作り出すことによって結果的に自分という主体の方が脱皮変容すると考える必要があります。

 

創造的な場は、必ずしも何らかの新しいアイデアやものづくりを行うためだけに必要なのでなく、現在の課題解決につながるケースがありそうです。言い換えると、創造的な場をいかにつくれるか、それが現代における大きな問いであると言えるのではないでしょうか。

先入観を解き放て

気持ちよく晴れてぽかぽか陽気になった土曜日。散歩のつもりで行った特別名勝栗林公園」で先入観を解き放たれました。 

美しさの正体は?

栗林公園は6つの池と13の築山を配した回遊式大名庭園で、千本もの松の木が植えられているそうです。紅葉にはまだ少し早く、どこを歩いても鮮やかな緑が広がっていました。一歩一景といわれるにふさわしく、飽きることなく散策を楽しめました。

 

とりわけ園内屈指のビューポイントといわれる飛来峰からの眺めは、ため息が出そうなくらいの美しさでした。誰も彼もが「きれい!」と感嘆の声をあげて写真撮影をしていました。

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他にも美しい以外の表現が思い浮かばない景色に出会いました。

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美しい景色を純粋に楽しみながら散策をすれば良かったのですが、誰も彼もに美しいと感じさせる美しさの正体は何だろう?という疑問がわきあがってきました。そこからは、美しさの正体を探す散策になりました。

 

まっすぐ伸びるが正解か?

美しさの正体を探って歩きながら、なぜかふと思い浮かんだのが湯川秀樹博士の言葉でした。

自然は曲線を創り、人間は直線を創る

すると、至るところに植えられている松の木の枝は驚くほどに曲がりくねっていることに気がつきました。けれども、それが独特の雰囲気を醸し出し、なぜか美しさを感じてしまうことにも気がつきました。

 

目標に向かって直線的に進むことを良しとしていたのはひょっとして違うのかもしれないと思いました。クネクネ曲がりながら進んだ軌跡を後から見返してみれば十分に美しく、回り道をすることは決して悪いことばかりではないのかもしれないと感じました。

 

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上に伸びるが正解か?

もうひとつ、松の木を見て気づいたのが、上に伸びているものばかりではないということでした。ある地点からは地面と並行に伸びているものや、枝が下に向かって伸びているものすらありました。

 

誰もが上だと思う方向に進むことが当たり前と思っていたけれど、それとは違う方向に進んだものも十分に美しいのではないかと思わずにはいられませんでした。

 

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周りと一緒が正解か?

栗林公園は南庭回遊コースがメジャーなようですが、時間があったので北庭回遊コースも回ってみました。すると、同じ1本の木なのにひとつの枝は真っ赤に染まり、他の枝は緑のままという紅葉の木がありました。赤く染まった枝がひと際目をひきました。

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その紅葉の木に近づいて見てみると、色づいていない枝の中に1枚だけ赤く染まった葉っぱがあることに気づきました。周囲の葉っぱのことは気にもせずに先頭をきって赤く染まった葉っぱは、すべてが紅葉した枝の赤い葉っぱの1枚とは違う精彩をはなっていました。

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周囲と一緒がいいことばかりとは限らないわけです。周囲と異なっているからこそ惹かれるものがあるわけです。

 

値段は売るためのものか?

栗林公園内にある商工奨励館にて香川漆器の実演と販売が行われていました。全国伝統工芸品展で内閣総理大臣賞受賞者の方が実演されていました。販売されていた工芸品についていた1,200,000万円の値段を見てビックリしていたら、職人さんが「この工芸品、10万でも誰も買いませんよ。賞をとった技法を使ったものなんでこの値段になってます」とおおらかに笑いました。

 

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なるほど、値段は必ずしも売るためにつけるわけではないんだなと気づきました。これだけの値段がつく工芸品を創った職人というストーリーのための値段を見ると、販売用の工芸品についた数万円の値段に納得してしまうのもうなづけます。

 

栗林公園散策の短い時間の間に、いくつもの先入観にとらわれていたことを思い知らされました。時には、いつもとは違う場所に行って、ものごとを違う角度から眺めてみることが必要だと痛感しました。やわらかな秋の陽射しを浴びながら自然の中を歩き回って身体も気持ちもリフレッシュできました。

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