骨折り損のくたびれ儲けにならないたった一つの方法

いつものように自由奔放に話題が展開する中に、ほとんどの問題はこれで解決するんじゃないかと思える大切なメッセージがこめられていました。

 

 

孫子の兵法」より

2024年2月の孫子女子勉強会は風邪ひき中だったため、久しぶりのオンライン参加になりました。この日の勉強会で引用された「孫子の兵法」の一節はこれでした。

 

敵を攻め破り、敵城を奪取しても、戦争目的を達成できなければ、結果は失敗である。これを「費留」ー 骨折り損のくたびれ儲けという。

という意味です。

 

大きな目的はどうだったんでしたっけ?を忘れてはいけません。大きな目的を考えると、実は撤退する方がよいというこもとあり得ます」と田中先生は力説しました。

 

いい人同士のトラブルの原因

田中先生が目的の大切さを力をこめて説いたのには理由がありました。田中先生自身が、そもそも何のためにやっているのかと首をかしげたくなるような事態に遭遇したからのようでした。

 

その内容についてはとてもここに書けません。勉強会のクローズドな場だけで共有できる話です。おそらく当のご本人たちは目の前の課題について、いたって真面目に取り組んでいたのでしょうが、その人達の本来的なミッションを考えると、私達にでもわかる「そこじゃない感」に笑いをこらえることができませんでした。

 

事態に遭遇した田中先生の冷静な解説が続きます。

「万事に言えることなんですが、いい人同士のトラブルの原因は正義の範囲の違いです。やってはいるけれど、自分たちの範囲のことしかやっていない。範囲が狭いんです。まさに費留です。目先にとらわれて視野狭窄に陥っているんですね」

 

笑うだけの私達とは対照的に、しびれるように本質を突いた解説です。「孫子の兵法」メガネをかけて世の中を見れば、こんな風に言えるようになるのでしょうか。その日が自分にやってくるのはいつになるのやら。。。

 

家訓大喜利

そこから一転、田中先生の郷里である三重県出身の三井高利の話題に移ります。

 

「三井家には家訓が多いんです。昔の偉い人は財産と家訓を残しているんですね」

 

へええ、家訓かあと聞いていたら、いきなりお題が出されるという急展開。

「今日は、みなさんに家訓を考えてもらいたいと思います。『+ ー ÷ < >』を使って、自分が大切にしていることを表現してみてください」

 

予告なしにお題が出されても、誰からも「ええっ」という反応が出ないのが孫子女子勉強会らしいところです。すんなりと各自で考えるモードに突入し、しばし沈黙の時間が流れます。

 

このあと、それぞれの家訓を発表し、勉強会はいつもとは違った盛り上がりを見せることになります。

 

「+ ー ÷ < >」を使った家訓は単純明快ながら、その人の思いが十分に表現されています。単なる家訓を考えようではなく、「 ÷ >」を使った家訓というお題の秀逸さに驚嘆しました。

 

それぞれの家訓が発表されるたびに共感の嵐がわきおこり、「笑点みたいで面白い!」と、お題を出した田中先生自身も大盛りあがりです。

 

えっ、私がつくった家訓が何かって?

 

私はこれにしました。

 

はじめは「+」を使ったありきたりなものを先に思いつきました。あまりにもありきたりすぎだと思い直しました。そこで思い出したのが、先日の「はじめの一歩」イベントで学んだ脱力の大切さです。それを家訓に採用したというわけです。

 

大いに盛り上がった後に、田中先生のまたしても冷静な解説が続きます。

家訓は子孫に残すものではありますが、実は本人のためでもあります。考えることで自分が何を大切にするかが整理されるんですよね」

 

日米マネジメントの違いとOODA成立の要件

家訓大喜利で終わっても十分に満足する勉強会になったと思いますが、この後も田中先生から2つの話題提供がありました。

 

1つ目は、日米マネジメントの違いについて。

「欧米のマネジメントは、何かうまくいかないことがおこった時に、現場に無理をさせずに根本のルールを変えるんですね。対して、日本のマネジメントは、ルールを変えずに現場の運用でなんとかしようとします」

 

2つ目は、OODA成立の要件について。

「前にOODAのお話をしましたが、OODAというのはミッション・コマンドなんですね。ミッションという大きな目的を伝えて、具体的な任務遂行に関しては部下に任せるというものです。

 

米軍がOODAにシフトしたのは、兵士の質が上がったからなんです」

 

骨折り損のくたびれ儲けにならないたった一つの方法

家訓大喜利の印象が強く残る勉強会ではありましたが、いざブログを書いてみると、驚くべき発見がありました。それが何かを見てきましょう。

 

①いい人同士のトラブルの原因

いい人同士のトラブルの原因である正義の範囲の違いを図示するとこうなります。

 

正義の範囲の違い

田中先生の言った視野狭窄とは、相手の正義の範囲が見えていないことではなく、一段上の目的が見えていないことがわかります。

 

②家訓を考える

家訓を考えるが何をしていたかを図示するとこうなります。

家訓を考える

大いに盛り上がった家訓大喜利は、目的に目を向けさせることでした。『+ ー ÷ < >』を使うことで、家訓はいやが応でもシンプルになります。シンプルになることは本質、つまり目的に近づくことです。

 

③日米マネジメントの違い

日米マネジメントの違いを図示するとこうなります。

日米マネジメントの違い

日米マネジメントの違いとしては、ルールに対する見方の違いを指摘していました。これはつまり、目を向けるレイヤーの違いを指摘したものです。

 

OODA成立の要件

OODA成立の要件を図示するとこうなります。

OODA成立の要件

OODA成立の要件とは、田中先生が言っていたOODAを実行できる兵士の質を解明することに他なりません。

 

兵士は手足を使って任務を遂行しますが、OODAの定義からいって、任務遂行は目の前の出来事の観察から始まります。つまり、手足を動かす任務レベルの範囲に目を向ける必要があるのです。

 

それにとどまらず、目的にも目を向け、目的と目の前の両方に目を行き来させながら、任務を遂行することが必要になります。兵士の質が上がったというのは、それができる兵士がいたことを意味します。

 

日米マネジメントの違いを聞いた時、「日本は現場の運用でなんとかしようとするですって?そもそも、それではマネジメントと言えないのでは?」というツッコミをマネジメント層に入れたくなりました。

 

その後、OODA成立の要件を聞いて、現場層でも目的を意識しながら目の前の任務遂行ができている人がどれだけいるだろうかと考えさせられました。

 

この日の勉強会では色々な話題提供がなされましたが、それらは一貫して、「骨折り損のくたびれ儲けにならない秘訣は目的に目を向けること」を説くものでした。

 

田中先生から提供される次々に移り変わる話題を聞いている時には、そこに通底するメッセージを読み取ることは難しいものです。ですが、ブログを書くと、バラバラな話題に見えても、ひとつの「勉強会訓」がこめられていることに気がつくのです。

 

最近は、勉強会仲間のひめさんが勉強会ブログを驚くほどのスピードで書いてくれます。もう私のブログは洋梨、もとい、要なしと思っていたのですが、実はそうではありませんでした。

 

私がブログを書くことは、家訓と同じく、実は私自身のためなのでした。ですから、これからも自分のために、自分のペースでブログを書き続けようと思います。

幸せに生き残るための孫子女子勉強会

2023年10月の孫子女子勉強会の内容は、ブログをスキップするにはあまりにももったいない内容でした。なので、忘却の彼方になりつつある内容をなんとか思い出しつつ書きました。

 

 

音楽の神様ジョージ・マーチン

この日の勉強会は、ジョージ・マーチンという聞き慣れない名前の人物のお話から始まりました。ジョージ・マーチンは音楽会の神様とも5人目のビートルズとも呼ばれる知る人ぞ知る人物です。軍人を辞めた後にEMIに入社し、新人担当としてデモテープをチェックする日々を送りました。

 

当時、音楽デビューに向けたオーディションに落ちまくっていたビートルズのテープを聞いたジョージ・マーチンは、ビートルズの才能を見出し、マネージャー兼プロデューサーとしてビートルズをデビューに導きました。

 

ジョージ・マーチンはジェフ・ベックのプロデュースも行った人物で、色々なミュージシャンの才能を引き出した人物だと、ロック好きの田中先生は熱く語りました。

 

長寿社会の生き残りゲームをクリアする4つのチェックポイント

ジョージ・マーチンの話からどんな展開になるのかという期待は裏切られ、話題はガラリと変わりました。転換した話題は、人生の生き残りゲーム。

 

人の寿命が延びたことで、もはや60歳で定年して引退というのは現実的ではなくなりました。つまり、60歳を過ぎても働き続けることになるということです。しかしながら、70歳で元気に現役で仕事をしているのは奇跡に近いと田中先生は言います。

 

長寿社会で元気に仕事をする生き残りゲームには4つのチェックポイントがあるというのが田中先生の見立てです。

 

チェックポイントの1つ目は「健康」です。

健康を害してしまうと、働く能力があっても、働く意欲があっても、働き続けられません。第一の関門は経年劣化する身体とともに元気な状態をいかに維持するかです。

 

チェックポイントの2つ目は「知力」です。

とりわけ定年を過ぎてから仕事をするには、知的なネタが必要になります。

 

チェックポイントの3つ目は「魅力」です。

「知力」と「魅力」は似て非なるものです。「知力」は、どういう知力であるかという分析が可能であり、こうやれば身につけられるというやり方があります。一方で、「魅力」は分析不可能です。ある人に魅力があるかどうかは判断できるけれども、どういう魅力かは分析不可能です。どうすればその魅力が身つけられるかもわかりません。

 

最後のチェックポイントは「顧客」です。

会社員であってもいわゆる定年を過ぎると雇用継続の壁は高くなります。70歳になっても自分にお金を払ってくれる顧客を見つけるのは至難の技です。

 

これら4つのチェックポイントを全クリアして初めて、70歳でも活き活きと働くことができるというわけです。どのチェックポイントも簡単にクリアできるものではない上に、4つの全クリアとなると、70歳で元気に現役仕事が奇跡というのもうなづけます。

 

長寿社会での生き残りゲームは非常にシビアであると言わざるを得ません。

 

人生の生き残りゲーム

ここで、この日の「孫子の兵法」の一節が紹介されました。

兵は国の大事にして、死生の地、存亡の道なり。察せざるべからず。

 

勉強会でも何度か紹介された一節です。戦争は一大事であり、事前に入念な検討が必要であると孫子は説きました。

 

田中先生は、人生におきかえても同じだと言います。人生のゲームで生き残ることも一大事であり、事前の検討が必要であるという点において。

 

さらに、会社員としての生き残りゲームと会社員卒業後の生き残りゲームの違いにについて、田中先生の鋭い洞察が続きます。

会社員としての生き残りゲーム: 限られた椅子の取り合い

会社員卒業後の生き残りゲーム: みんなで生き残ることが可能

 

会社員時代と会社員卒業後では、生き残りゲームのルールが変わるのです。ルールが変わる会社員卒業後の世界で生き残るためには、生き残るための友達を増やすことが重要であるという田中先生の持論が続きます。

 

さらに、田中先生はこんな仮説を持ったそうです。

健康寿命が長い集団と健康寿命が短い集団があるのではないか?」

 

そこから導き出した問いが

「自分が健康寿命が長い集団に属するためには、どんな友達をつくればよいか?」

だそうです。

 

益者三友、損者三友

友達の重要性に意識が向いたところで紹介されたのが、論語にある「益者三友、損者三友」でした。

 

直きを友とし、諒を友とし、多聞を友とするは、益なり。

便辟を友とし、善柔を友とし、便佞を友とするは、損なり」

 

この意味するところは、こうです。

益者、すなわち良き友とは、素直・誠実・博識の人。

損者、すなわち悪しき友とは、媚びへつらい・不誠実・口先だけの人。

 

言われてみれば当たり前のことです。こんな当たり前のことが2000年も残り続けているのはおかしいと思った田中先生は、「益者三友、損者三友」意味を深読みしていったそうです。

 

益者と損者は表裏の関係にありますが、人間はそうきれいに益者と損者に分けられるものだろうか。一人の人間の中に益者の部分も損者の部分もあるのではないか。

 

そう考えた田中先生は、「益者三友、損者三友」の意味をこう捉えたと言います。

「益者」とは、自分の素直・誠実・博識を引き出してくれる人。
「損者」とは、自分の敵愾心・自己弁護・ストレスを引き出す人。

 

つまり、ある人物が絶対的に「益者」であるか「損者」であるかではなく、自分との関係において「益者」であるか「損者」であるかに分かれるということです。

 

そう言われると、田中先生の解釈の方がしっくりきますよね。いやあ、2000年も語り継がれてきた「益者三友、損者三友」の解釈にさえ疑いの目を向けて、独自解釈に書き換えてしまう田中先生、恐るべしです。

 

勉強会の冒頭で紹介されたジョージ・マーチンの話がここでつながります。ビートルズジェフ・ベックもジョージ・マーチンという益者に出会ったからこそ成功したのだと。

 

長寿社会で生き残る鍵

ここまでくると、田中先生が立てた問い「自分が健康寿命が長い集団に属するためには、どんな友達をつくればよいか?」に対する答えも自ずと見えてきます。そうです。自分にとっての「益者」となる友達をつくればよいのです。

 

「益者」となる友人と長寿社会での生き残りゲームの関係について、もう少し掘り下げてみましょう。

 

まずは、田中先生が立てた問いから、「健康」と関係することがわかります。「益者」となる友人がいることで、1つ目のチェックポイントである「健康」を維持できる可能性が高まります。

 

「益者」の田中流解釈により、益者は「知力」と「魅力」にも深く関係していることがわかります。「益者」となる友人がいることで、2つ目のチェックポイントである「知力」と3つ目のチェックポイントである「魅力」を引き出してもらえます。

 

友人から「知力」や「魅力」が引き出されるというのは少し奇妙に聞こえるかもしれませんが、孫子女子勉強会メンバーならそれを実感していることでしょう。学ぶ仲間の存在によって知的好奇心が活性化され、自然と知力が増すのです。

 

孫子女子勉強会では生き残りをかけて必死の形相で学んでいるのではなく、Bモードで学んでいます。楽しみながら知力を増している人は、自ずとその人の魅力も増すでしょう。

 

すなわち、「益者」は4つのうちの3つのチェックポイントを高めてくれるのです。残る1つのチェックポイントである「顧客」ばかりは、自分でなんとかするしかありません。

 

ただし、「顧客」を見つけるために必要なのは、「知力」と「魅力」です。だとすれば、間接的にはやはり「益者」が関係しているのです。

 

図で表すとこうなります。

 

益者と4つのチェックポイント

 

つまり、4つのチェックポイントを全クリアするために、4つのことに意識を向ける必要はないのです。長寿社会で生き残る鍵はただひとつ、「益者」となる友人がいればよいのです。

 

なあんだ、そんな簡単なことかと思うなかれ。益者となる友人を見つけることも決してたやすくはありません。相手から一方的に何かを受け取るだけの関係では友人にはなり得ません。つまり、相手から椅子を奪い取る椅子とりゲームのマインドをもったままでは、益者以前に友人を見つけること自体に困難があるのです。

 

そして、椅子とりゲームのマインドは、長い間の会社員生活で骨の髄まで身に染みついています。そのマインドチェンジは、会社員を卒業すればすぐにできるほどに簡単なことではありません。

 

長寿社会で生き残る鍵は「益者」となる友人を見つけることだとわかりました。やるべきことがわかったのに、マインドチェンジができずに生き残れないとは。。。なんて人間は複雑な生き物なんでしょう。

 

幸せに生き残るための孫子女子勉強会

この日、リアルで勉強会に参加したメンバーは、いつもより30分早く勉強会を切り上げて、とある場所へと向かいました。向かった先は、閉店時間が早めのドイツ料理店。いつもの懇親会の店とは趣向を変えて、ドイツ料理を食べようという話になり、さっさと勉強会を切り上げたというわけです。

 

 

いつもとは違う飲み物、いつもとは違う料理を前に話もはずみ、幸せな時間を過ごしました。ああ、この日も楽しい勉強会だったなあと思い出しながら、このブログを書き始めたところで、孫子女子勉強会のまたまた新たなる偉大な一面を発見することになったのです。

 

孫子女子メンバーの大多数は会社員として働いています。会社という組織の中で負けずに生き残るために「孫子の兵法」を学んでいるつもりでした。

 

でも、実際には、私達が10年という長い歳月をかけて学んできたのは、組織の中での椅子とりゲームのマインドから、みんなで幸せに生き残るマインドへと転換することでした。

 

孫子女子勉強会の偉大さはこれだけにとどまりません。

 

素直になれる場

この日の勉強会もリアルとオンライのハイブリッドで行われました。リアル参加した私達以外にも画面の向こうに参加者はいました。それにも関わらず、主宰者である田中先生を含むリアル参加組は「勉強会から早退します」宣言とともに、いそいそとドイツ料理店へと向かったのです。

 

それに対して、オンライン参加組は嫌な顔ひとつせず、笑顔で見送ってくれました。そうなることが予想できたからこそ、早退宣言を素直に言い出せたわけです。

 

つまり、孫子女子勉強会は忖度せずに素直になれる場なのです。

 

知的好奇心を引き出される場

孫子女子勉強会が知的好奇心を引き出される場であることに説明は不要でしょう。博識が引き出されるのは知的好奇心なくしてはあり得ません。

 

現実に誠実に向き合う場

孫子女子勉強会では、「孫子の兵法」の一節をとりあげてその解釈について学んでいるわけではありません。身近にある現実に目を向けて、それに向き合う指針として「孫子の兵法」を学んでいます。その現実がたとえ自分にとって不都合なことであっても、誠実に向き合う姿勢を勉強会で学びました。

 

ここまで書けばもうお気づきかと思います。そうです、孫子女子勉強会という場が益者だったのです。私達は孫子女子勉強会で長寿社会になっても幸せに生き残る術を身につけていたのです。さすれば、10年という長い歳月をかけてもお釣りがくるほどに価値ある場と言えるのではないでしょうか。

 

孫子女子勉強会で笑いがおこらない回はありません。笑うことによって、健康寿命(チェックポイント①)は確実に延びたことでしょう。

 

ことあるごとに、「孫子の兵法でいうところの◯◯ですね」と言えるくらいには知力(チェックポイント②)が増しました。

 

チェックポイント③の魅力増しについては、

今後に乞うご期待として、これからも勉強会に参加し続けようと思います(にっこり)

困難なBモード

珍しくゲスト参加者を迎えた勉強会は、DモードとBモードに鋭く切り込みました。

Take off

10年前にこの勉強会が始まることになったきっかけは、田中先生が女性限定セミナー講師として登壇したことでした。まる10年を迎えた勉強会が開催される数日前のこと。不思議なめぐり合わせで、田中先生は、再び、女性だけを対象にしたセミナー講師をつとめるました。その時に感じたのが語感の大切さ。

 

そもそも「定年後」「セカンドキャリア」という語感がよくないと言います。人から決められた定年。ファーストキャリアの延命のように聞こえるセカンドキャリア。確かに、語感は私達の無意識に影響を与えています。

 

「定年後」に変わって田中先生が提唱するのが「Take off」。日本語で言うと「離陸後」。その他にも「抜け出す」「成功する」という意味もあるとか。

 

田中先生は、「Take off」にこめた思いをこう語りました。

「雇われて働く期間は滑走路を走っているようなものです。たくさんのルールに縛られているんですね。離陸後は、地上を走るルールから開放されて大空を自由に飛べます。小さなセスナ機でもいいから自分の力で飛んで、自由に働きましょう。もちろん墜落のリスクはありますけどね(笑)」

 

確かに、「定年後はどうする」と聞くと、その語感からなんとなく暗いイメージが想起されます。一方で、「離陸後はどうする」と言われると、なんだか明るい希望をを感じます。会社を辞めた後という同じ事実の話をしているのに、言葉を変えるだけでこの違いはなんなんだというぐらいに、受ける印象が全く異なります。

 

DモードとBモード

この日の孫子女子勉強会でとりあげられた話題にDモードとBモードがあります。つい先日の田中先生登壇セミナーで初めて聞いたという人もいるので、まだまだ知らない人も多い概念です。

 

この勉強会ではすっかりお馴染みのテーマですが、孫子女子勉強会が始まった時には、田中先生自身もまだこの概念を知らなかったそうです。DモートとBモードに限らず、田中先生が仕入れた最新の視点を惜しむことなく披露いただけるのが孫子女子勉強会の特権です。

 

おっと、話が少し横道にそれてしまいました。話をもとにもどします。

 

同じ行動に対するDモードとBモードの違いが例で示されました。

 

DモードとBモードの例

見ての通りに、Dモードの出発点は不安です。対して、Bモードの出発点は未来への欲です。同じ行動でも、その動機がDモードかBモードかによって、その行動の結果がもたらす人生の豊かさはまるで違ってくるのです。

 

 

困難なBモード

対比の例によって、DモードとBモードの違いは理解できたと思います。理解ができたら、Bモードになれるかというと、そう単純な話でもありません。

 

Bモードになることを困難にしているのは、日本人に長らく染み付いた残念な特性かもしれません。その特性とは何かを外国人にズバリ見抜かれたという記事があります。

gendai.media

 

Bモードになることは人生を楽しむことに他なりません。人生を楽しむことに反対する人は誰もいないでしょう。それなのに、会社員生活を長く続けるうちに、人生を楽しむことを忘れてしまうのです。そんな人が、会社を辞めた後、急にBモードになれるはずもありません。

 

その結果、田中先生が言うような事態に陥ってしまうのです。

「離陸後は自由になれるのに、自由になることに悩んでいる人が多いんですよね」

 

孫子女子仲間は、自分が今どちらのモードかを自覚できるくらいにBモードを身体知化しています。何しろ、孫子女子勉強会でDモードとBモードが語られるようになってから、少なくとも4年以上(本ブログ調べ)が経ちますから。

 

孫子女子勉強会でのBモード登場以降、すべての回はBモードに通じていました。それを毎月継続してきたからこそ、定年後、もとい、離陸後に最も大切なBモードを手に入れることができたのです。

 

このことから導かれる結論はこれです。

Bモードは1日にしてならず

 

だから孫子女子勉強会に参加する

勉強会が行われた2023年9月25日は、田中先生のベストセラーである「会計の世界史」の発売5周年記念日でした。他にも勉強会仲間のおめでたいことが複数ありました。そうとくればその喜びを形で表さないわけにはいきません。

 

 

 

ということで、この日のリアル参加組はグラス片手に勉強会に参加するという贅沢ぶり。もちろん田中先生も飲みながらの講義。いつも以上に勢いのある語り口であったことは言うまでもありません。「リアル参加予定がオンライン参加に変更になったIさん、さぞかし悔しがるよね」と盛り上がりましたとさ(笑)

 

すでにいい気分になったリアル参加組は勉強会が終わると、おとなしく解散。

 

となるはずもなく、当然のごとくに懇親会へ。10年前に始まった初回から勉強会と懇親会はセットでした。懇親会の前振りのために勉強会があるという話もあるとか、ないとか。。。

 

 

田中先生のダブルブッキング事件により、急遽、勉強会に参加することになったゲスト参加者もまじえて、懇親会場であらためて乾杯!

 

少し緊張していたというゲスト参加者も、懇親会ではすっかり場に馴染んで、楽しいおしゃべりに花を咲かせました。これを孫子の兵法的に言うと「患を以って利となす」になります。

 

勉強しないと不安だから孫子女子勉強会に参加する人は誰一人としていません。定年後に備えて孫子女子勉強会に参加する人もいません。

 

私たちが孫子女子勉強会に参加するのは楽しいからです。勉強会仲間におめでたいことがあれば、一緒に祝杯をあげたいからです。そして、リアル参加するのは懇親会が楽しいからです(にっこり)。

 

この日の懇親会も終わりに近づいた頃、勢いづいたゲスト参加者から出た一言「◯◯◯◯け」は、何十年も前のドラマの中でしか聞いたことのない単語。その場にいた人は、目の前にいるゲスト参加者におこった運命に衝撃を覚えると同時に、その運命の顛末への好奇心をおさえられなくなりました。いつか、「◯◯◯◯け」をテーマに勉強会が開催される日が待ち遠しくてたまりません。

学びと懇親会のマリアージュ

一足早い夏祭り気分でリアル開催された20236月の孫子女子勉強会。得られた最大の学びは勉強会の内容ではなく。。。

 

 

働くに関する問題

人生100年時代の言葉の定着とともに、働く期間の長期化と働くに関する問題にも関心が高まっている今日この頃です。孫子女子勉強会でも頻繁にとりあげられるようになったテーマでもあります。

 

これに関して、田中先生から2つの切り口で問題提起がありました。

 

1つは、スキルのミスマッチの問題です。人口が減り続ける中で、人材不足の問題は深刻さを増しています。深刻な人材不足がある一方で、仕事がないと嘆く人がいます。スキルの要求水準が高い募集側と要求水準に届かないスキルの応募側。スキルのミスマッチが生じていると田中先生は言います。

 

私自身もつい先日、こんな経験をしました。ランチをしようと訪れたお店が閉まっていたのです。ドアには「人手不足のためしばらく休業します」という貼り紙が貼られていました。その貼り紙は、これから至るところで人手不足を原因とする事業継続困難がおきる予兆を告げているようでした。

 

人材不足なんだから、仕事がなくなることはなく給料も上がると思うのは短絡的過ぎます。なぜなら、人材不足に対するソリューションとしてのAIが現実化しているからです。今や競争相手はAIでもあるのです。

 

もう1つの問題は、自分のリズムに合わない働き方からくるストレスです。スキルに問題がなくても自分のペースに合わない仕事をしていると、それがストレスの原因になり、ひいては健康を害する結果を招くことにもなりかねません。

 

働く問題にリズムの視点をもってくるところが田中先生ならではです。仕事といえばスキルの問題にばかり目が行きがちですが、実は、リズムが合うかどうかはスキル以上に大事なことです。リズムはスキルを発揮する土台となるものだからです。

 

長く働くための孫子の兵法的アプローチ

問題が提起された後に紹介された問題解決へのアプローチは、巷で言われるところのリスキリングなどとは一線を画しています。紹介されたのは孫子の兵法からの一節です。

 

孫子の兵法の軍争篇には有利に戦うための4つのポイントが説かれています。

気(士気) 気力のバイオリズムにあわせて戦う

心(心理) 敵の心理状態が乱れたところで戦う

力(戦力) 敵が疲れたところで戦う

変(変化) 正面衝突を避ける

 

孫子の兵法は精神論ではなく現実的なロジックであると田中先生は言います。要求されるスキルやリズムに根性で合わせようとするのではなく、自分にとって有利な組織や内容、リズムで戦うのが孫子の兵法的アプローチです。

 

相手が人間であれば、気・心・力・変の4つがポイントになるのでしょうが、相手がAIとなると話は違ってきます。何しろ、AIには士気もなければ心理戦も通用しない、疲れることもないのですから。

 

リズムもなく疲れを知らない相手と戦うとなれば、自分のリズムを知って、自分が一番のっている状態で戦うしかありません。あとは、AIが得意なことに真正面から勝負を挑むことは避けることでしょうか。

 

いずれにしても、ただがむしゃらに頑張って仕事をするだけでは、長く働き続けることはできません。自分はどこで何の仕事をどんな時間ペースでやれば心地よく働けるのか。それを知り、その状況にゆっくりでも確実にシフトしていく。それが長く働くための唯一最適なソリューションなのだろうと思います。

 

学びと懇親会のマリアージュ

 

この日は勉強会仲間のオフィスを借りて、一足早い夏祭り気分での開催となりました。福岡と群馬からの参加者も加わって、久しぶりに大人数がリアルに集まりました。テーブルには、それぞれが懇親会用に持ち寄った食べ物がずらりと並んでいました。

 

目の前に広がる美味しそうな食べ物に我慢しきれず、いつもより早めに勉強会は終了。そしてオンライン参加組とつなげたままに懇親会に突入。ひたすらにおしゃべりして、笑って、食べて、あっという間に時間が過ぎました。

 

コロナ前の当たり前にあった景色が戻ってきた感慨深さに浸りつつ、この得も言われぬ感覚はなんだろうと考えていました。勉強会で共に学ぶ充実感だけでもない、美味しいものを一緒に食べる楽しさだけでもない。

 

共に学んだ後に食事をしながら語りあう喜び。ああ、これだー。頭で考えるより身体が教えてくれました。

 

今回の勉強会での最大の学びは、勉強会の内容よりも断然にこれ。

学びと懇親会のマリアージュの素晴らしさ

 

コロナで長らくオンライン勉強会を経験したからこそ気づけたことでした。これも「患をもって利となす」と言ってよいんですよね、きっと。

ChatGPTに負けない思考法

 

「友情」と「怒り」。これが2023年5月の孫子女子勉強会のトピックでした。ブログを書くのが難しい回でしたが、書いてよかったと思える結論になりました。

 

 

友情について

田中先生の話題提供は、今最も注目を集めているテクノロジーであるChatGPTのキーワードから始まりました。

 

「ChatGPTの登場で私が心配しているのは、子どもの学力が下がることではありません。ChatGPTを友達にする子どもが出てくるのではないかということです」

 

「ChatGPTを友達に」と聞いて、どこからそんな発想が出てくるのかと驚きました。が、田中先生がそんな心配を抱くに至る背景を順を追って聞いて、納得しました。

 

その背景とはこうです。

①インターネットの発達により、連絡手段が増え、頻繁につながることができる世の中に。

②無視による仲間はずれ、例えばLINEグループから削除されるタイプの仲間はずれがおこるように。

③子どもに仲間はずれにされる恐怖心が生まれる。

④子どもは友達との衝突を回避しようとする。

⑤子どもは人に対して心を開かず、いつも気を遣うようになる。

⑥人と友達になれない子どもたち。

⑦ChatGPTが友達になる

 

これだけの論理展開を経ての「ChatGPTが友達に」説ですから、その発想に驚くのも無理はありません。この論理展開を裏付けるデータもあります。ユニセフの調査では、子どもが孤独を感じる割合は日本が断トツなんだとか。

 

怒りについて

「ChatGPTが友達に」説から始まり、いつの間にか話題は「怒り」に移っていました。インターネットの発達した時代では、子どものうちから喜怒哀楽の感情を出しにくくなってきているのです。

 

喜怒哀楽の中でも、田中先生は「怒り」に注目すると言います。なぜなら、自分以外の人への対応に対して怒りを感じるのは人間だけだからです。

 

はああ、怒りをそんな視点から考えたことなかったなあと感心する間もなく、さらに話題は展開してゆきます。

 

怒りと友情の意外な関係

田中先生は友情の定義をこう語ります。

・自己犠牲ができること

・自分ごとのように怒れること

 

一見、関係なさそうに思えた「友情」と「怒り」は、実は深くつながっていたのです。人間が他者への対応に対して怒りを感じるといっても、その他者とは誰彼なしにというわけではありません。

 

続けて、田中先生は語ります。

「仲間集団を守るというのは人間の本能です。仲間と外敵の間に境界線を引いて、仲間の領土を守ろうとすることから戦争がおこります。怒りは、仲間を結束させると同時に、敵との争いを生みます

 

あー、わかるぅ。合わないと思っていた人でも、怒りの対象を同じくする共通の敵が現れると急に仲間意識が生まれますからねえ。人類皆兄弟というフレーズもありましたが、人間は仲間と外敵に分ける境界線を引きたがる生き物です。その境界線と怒りは不可分なものだったとは。

 

ChatGPTに負けない思考法

今回の勉強会のトピックは「友情」と「怒り」でした。どちらもはるか昔から存在するよく知られた概念です。田中先生の話を聞いている時には、トピックが「友情」から「怒り」へと遷移する流れに何の違和感も感じなかったのですが、いざブログに書こうとすると、「友情と怒りがなぜ同時にとりあげられたのか?」という疑問にぶち当たります。

 

時代を超えて普遍的なものと思っていた友情」が時代背景によってそのあり方が変わってくること。「怒り」について考えたこともない視点。相反するように思える「友情」と「怒り」が実は同根のものであること。などなど、ブログを書くことで、日常の中では得られない思考を巡らせることになりました。

 

今回の勉強会で学ぶべきは、当たり前を問い直したり、一見無関係に見えるものの関係を考えるという田中先生の思考法です。いわゆるクリティカル・シンキングです。

 

あることがらについて調べてまとめて回答することは、ChatGPTが人間よりも圧倒的な速さでできるようになりました。ChatGPTが出す回答はかなりいよくできており、正しそうに見えます。が、そこにクリティカル・シンキングの要素はありません

 

試しにChatGPTに友情の定義を聞いてみました。「信頼」、「共感」、「喜びの共有」などがキーワードで、「怒り」については触れられていませんでした。友情についてのレポートを書くならば、ChatGPTに聞くより田中先生の話を聞いた方が圧倒的に面白いものが書けるなと思いました。

 

クリティカル・シンキングはChatGPTに負けない思考法なのです。孫子女子勉強会は田中先生の思考法をたどることでもあり、クリティカル・シンキングを内包しています。

 

つまり、孫子女子勉強会はChatGPT時代になってますますその威力が増す勉強会であるというわけです。時代背景が変わってなおその重要性が高まる孫子女子勉強会、やめられるわけがないですなあ。

使う能力と創る能力

 

AIの進化により学びの転換点を迎えている今、孫子女子勉強会で、能力を高める学びについての深い示唆を得ることができました。

 

 

「自分軸」のシェア

2023年度はじめの孫子女子勉強会は、前回出された宿題のシェアから始まりました。てっきり田中先生は宿題を出していたことなど忘れて、いつものように最近あった興味深い話から始まると思いきや。。。

 

田中先生は、勉強会の冒頭にこう切り出したのです。

「では、宿題の「自分軸」を一人ずつ発表してもらいましょうか」

 

まるで勉強会のような展開ではありませんか。孫子女子勉強会は、勉強会という名から想像できるものとはひと味もふた味も違った場なのです。ですから、私は、孫子女子勉強会でのこの展開で一体何がおこるのかと、固唾を飲んでことの成り行きを見守りました。

 

なぜ、かくも傍観者的にこんな風に語れるのかと言うと、「私はすでにブログに書きました、以上」と言えばよかったからです(にっこり)

 

で、実際はどうなったかと言うと。。。

 

 

 

 

 

次々に、「私の軸は。。。」というシェアがなされたのでした。「私はパスです」とか、「私は宿題はやってません」とは誰一人言うことなく、それぞれに個性的な「自分軸」が語られました。

 

宿題にとりかかる前に私の勉強会ブログを読んだと言ってくれた人が何人かいました。「宿題なんだっけ?」「どういう経緯で宿題が出たんだっけ?」と思い出すために私のブログが役に立ったようで、これは嬉しい誤算でした。これなら、時々、宿題を出してもらうのもいいかも(笑)

 

良いとされていることの裏に潜むトラップ

「自分軸」のシェアが終わった後は、いつのように田中先生からの投げ込みテーマで勉強会が繰り広げられました。

 

「良いとされていること、いい言葉だと思っていることには注意が必要です。例えば、『わかりやすい説明』は良いとされていますよね。『集中しなさい』はいい言葉だと思っていませんか?『具体的』であることは良いことだと思っていませんか?」

 

わかりやすい説明に慣れていくと、想像力が衰えていくと田中先生は警鐘をならします。

 

良いとされていることに潜むトラップ

 

わかりやすい説明、集中、具体的、これらに共通するのは人間が考える負荷を軽減することです。コスパやタイパが重視される時代に負荷軽減が良いとされるのは当然の帰結とも言えます。

 

でも、ちょっと待て。それは本当にいいことなのか?実はそこにはトラップがあるぞ。そう田中先生は投げかけます。

 

考える負荷が下がるということは、考える力の衰えの裏返しです。コスパやタイパに気をとられていると、そこには知らず知らずのうちに自分の能力を失ってしまう危険性が潜んでいるのです。孫子の兵法で言うところの「智者の慮は必ず利害に雑う」の視点です。

 

田中先生はこうも言いました。

「オリジナルなものをつくるというのは、抽象的にものを考えることです」

 

能力を高める学びの歴史

良いとされることの裏返しとして、考える能力の衰えの危険性に着目した次は、能力を高める学びの歴史へと話は展開します。

 

人間の能力を高める学びには、「エデュケーション」と「トレーニング」の2種類があるというのです。

 

エデュケーションとトレーニン

 

ふむふむ。確かに、そう言われれば、「エデュケーション」と「トレーニング」は似て非なるものだと納得します。

 

そして、田中先生の場合はここからの展開が独特なのです。長い人類の歴史の中で、「エデュケーション」と「トレーニング」の比率がどう変遷してきたかに目を向けたと言うのです。長期の時間軸で歴史的な学びの変遷を捉えようとするのは、さすがベストセラーになった「会計の世界史」の著者ならではです。


会計の世界史 イタリア、イギリス、アメリカ――500年の物語 (日本経済新聞出版)

 

 

それはさておき、産業革命は、能力を高める学びの転換点になったと解説が続きます。産業革命以前はエデュケーションの比率が圧倒的に高かった。産業革命によって分業が進み、各自に決まった役割が与えられることでトレーニングの比率が高まった。特に移民の多い国では、わかりやすく、行動レベルで能力を高めることが行われた。

 

今、再び、学びの転換点を迎えていると、田中先生の熱気を帯びた解説が続きます。転換点がおきている背景にあるのはもちろんAI革命です。単純作業はどんどんAIに置き換えられていく。それによって、トレーニングの比率は以前より下がり、エデュケーションの比率が増えて、同程度になってきていると。

 

産業革命が人間の能力にもたらした影響

勉強会が終わった後、私には引っかかりを覚えることが2つありました。

 

1つ目のひっかかりは、産業革命によって肉体志向のトレーニングの比率が増えたというロジックです。人間の肉体を使った活動が機械に置き換えられたのなら、肉体志向の能力を高める比率は下がる方が自然では?と思えたからです。

 

2つ目のひっかかりは、AI革命によって精神志向のエデュケーションの比率が増えるとされたことです。AIと精神は直接的にはつながらないのでは?と思えたのです。

 

そこから私の朝の散歩の時間には、この引っかかりを解消するべく思考を巡らせる比率が増えることになりました。

 

まずは、産業革命とAI革命が人間の能力にどんな影響を及ぼしたのかを整理することから始めました。

産業革命とAI革命

 

産業革命は、人間の肉体を使う代わりに機械を使ったアウトプットを可能にしました。やがては、人間の肉体を超えたスピードや量のアウトプットも可能になりました。一方で、職人技と呼ばれるような機械には代替できないアウトプットも残っています。

 

AI革命はどうかというと、人間の頭脳を使う代わりにAIを使ったアウトプットを可能にしたと言えます。こちらも一部では、すでに人間の頭脳を超えたアウトプットが可能になっていますが、まだまだ人間の頭脳を使う方が勝っている部分が多いです。

 

こうやってみると、産業革命で肉体労働が機械に代替されて、人間は頭脳を使う方にシフトするのが良さそうに思えます。それなのに、なぜ肉体志向のトレーニングが増えたのでしょうか?

 

ここで、私は、完全自動化された醤油工場を見学した時のことを思い出しました。かつての醤油づくりは、何人もの人が肉体を使って、混ぜたり、運んだり、絞ったりを行って製造されていました。それが、いまや全く人の手を介さずに、原材料が色々な製造機械の中を流れていって、最後には容器に入った醤油ができあがる様子を見学しました。ここまで自動化が進んでいるのかと驚愕したことを覚えています。

 

私は説明員の方に質問しました。

「この工場で働いている人は何をしているのですか?」と。

返ってきた答えは

「機械が故障した時の修理、機械の点検、そして、見学者の対応」

でした。この答えを聞いて、私は、機械は意思をもたない高度化した道具に過ぎないことをはっきりと認識しました。

 

産業革命では様々な機械が発明されましたが、それはあくまでも道具です。その新しい道具を使う人間が大量に必要だったのです。これで、1つ目の引っかかりの疑問が解けました。機械という新しい道具を使うためにトレーニングの比率が増えたのです。

 

使う能力と創る能力

次に解くべきは、AI革命が人間の能力にもたらしつつある影響です。これを解くには少々時間がかかりました。

 

AIは、判断や予測といった人間が頭脳を使って行う能力を代替できるようになりました。さらに、画像生成や文章生成ができるAIまでもが登場しました。

 

人間の頭脳にとって代わるAIの進化は今後も続くことでしょう。産業革命の時と同様に、進化を続けるAIを使いこなすAI人材の不足が声高に叫ばれています。AIという新しい道具を使うためのトレーニングが必要とされているのです。

 

一方で、コスパやタイパに潜むトラップに目を向けてみると、また違った景色が見えてきます。想像力、発想力、抽象化力は頭脳を使う能力ですが、当分は、AIには代替できない能力です。これらのAIにはできない能力を高める学びが精神志向のエデュケーションです。

 

想像力、発想力、抽象化力を発揮するプロセスを分解してみました。

 

想像力、発想力、抽象化力を発揮するプロセス

 

はじめに、外界から何らかのインプットを五感(肉体)を通して感知します。感知した情報は、蓄積された経験と紐付けられて精神で知覚(=情報への意味づけ)されます。美しい、楽しい、良き、そういった意味づけが行われるのは精神においてです。精神での知覚の結果として、想像力、発想力、抽象化力が頭脳で発揮されます。

 

想像力、発想力、抽象化力の源泉は頭脳ではなく精神にあります。ですから、これらを高めるには、精神志向のエデュケーションが必要になるというわけです。

 

これで、2つ目の引っかかりの疑問も解けました。あー、スッキリしました。

 

ここまで解きほぐせば、さらに見えてくるものがあります。田中先生の「オリジナルなものをつくるというのは、抽象的にものを考えることです」の言葉を思い出すと、想像力、発想力、抽象化力は創る能力だということが浮かび上がってきます。

 

ここから導かれる結論はこうです。

レーニングによって高められるのはすでにあるもの(道具)を使う能力

エデュケーションによって高められるのは新しいものを創る能力

 

AI時代には、トレーニングもエデュケーションもどちらも必要なのです。

 

「自分軸」の行く末

最後に、宿題にまでなって全員が発表をした「自分軸」の行く末を紹介しましょう。

 

宿題の発表という異例の事態はあったものの、今回もいつものように新たな視点が得られた勉強会でした。リアル参加組は充実した気分で勉強会後の懇親会に向かいました。そこにあるのは、美味しい料理とお酒と楽しい会話。

 

それを眺めながら、田中先生はぼつりとつぶやきました。

「皆さんには、『自分軸』なんていらないですね。自分にとって楽しいことは何かを知っていますから」

 

それを聞いて気をよくした私達は、さらに楽しい会話に花を咲かせました。気がつけば「こんなに飲んだ?」と驚くほどにお酒も進んでいました。

 

懇親会が終わった後の再びの田中先生のつぶやき。

「軸は酒」

 

「自分軸」の発表をさせた後に、次には「自分軸なんていらない」ときて、挙げ句の果てに「軸は酒」って。。。

 

まあ、人間、こんなもんですね(笑)

AIに学ぶ「自分軸」の見つけ方

田中先生の異次元の勉強会準備対策のおかげで「自分軸」の見つけ方を明らかにすることができました。

 

 

珍しく出された宿題

3月の孫子女子勉強会は、2022年度も残りわずかとなった2023年3月27日にありました。

 

 

勉強会会場に向かう途中で見た夜桜がちょうど満開で、驚くほどきれいでした。この日は、福岡在住で東京出張に来ていた勉強会メンバーと対面で初めてお会いすることもできました。そんなこんなで、いつも以上にご機嫌な気分で勉強会の始まりを迎えました。

 

ところがです。勉強会が始まった途端に気分曲線は急降下。なぜなら、田中先生のこんな言葉から勉強会が始まったからです。

 

「今日は3月末ということで、いつもとは趣向を変えて新年度に向けた宿題を出そうと思います」

 

年度変わりの節目に出された宿題は、「自分軸」を考えることでした。「自分軸」とは、自分が何かをするか/しないかの判断軸であり、自分が大切にしていることです。

 

宿題を出すトリガーは国会中継

年度変わりの節目の時期でもあり、働くことに対する「自分軸」をこのタイミングで改めて認識することは悪いことではありません。が、田中先生がこの宿題を出そうと思うに至ったのは、単に年度末だからというだけではなかったようです。その思考プロセスは大変興味深いものでした。

 

どれくらい前のことだったか忘れましたが、この勉強会仲間の間で「就活の軸」について話題になったことがありました。大人が就活生に対して、「就活の軸」を見つけてから就活することが必要だとあおり、その結果、就活生は「就活の軸」を見つけなければという呪縛に苦しんでいることが話題になりました。言われてみればそんな話があったなあと思い出しましたが、言われるまでは忘却の彼方のことでした。

 

ある日、国会中継を聞いていた田中先生は、「ブレてるんじゃないか」と言う言葉に引っかかりを覚えたそうです。しかも、その言葉は攻撃的な意味として聞こえたというのです。国会中継の中で「ブレる」の言葉に反応するのも珍しいと思いますが、そこからの思考の展開がさらに面白いのです。

 

「ブレる」というのは、軸になるものがある前提の言葉である。「ブレる」が攻撃用語として使われるのは、「軸」があり、その「軸からブレてはいけない」というルールがある土俵での話である。

 

田中先生の思考をトレースしてみると、「ブレる」から「軸」を連想し、「軸」から、はるか以前に勉強会で話題になった「就活の軸」を思い出したということになります。そこからさらに思考を展開して、田中先生はこう言いました。

 

『自分軸』というものは、振り返って後づけでわかるものだと思うんですね。だとすると、働く前の就活生が『就活の軸』を見つけられないのは当然なんですね。

 

ですから、特に若い子に対して、『軸がない』『ブレている』という言葉を攻撃用語として使わないようにしましょう。

 

もう十分に働いてきた私達は、『自分軸』を今一度考えてみましょう。これを宿題として出します」

 

国会中継を聞いて「就活の軸」を思い出し、そこから「軸がない」「ブレている」の言葉が就活生には攻撃用語になる発想に展開するのは、凡人では考えられない思考プロセスです。国会中継がトリガーとなって「自分軸」を宿題に出す発想に至っては、異次元の勉強会準備対策と言えるのでは?(笑)

 

「自分軸」とAIは似ている?

次の勉強会の時には、田中先生は自分が宿題を出したことなど覚えていない確率が99.9%です。しかーし、私は田中先生が覚えている確率0.1%の可能性に賭けて、不本意ながら宿題をすることにしました。

 

そうは言ったものの、「自分軸」は何だろうと考えてみたところでなかなかすぐには答えられないものです。これだけ年を重ねても「自分軸」を即答できないのですから、自分の軸がわからないと悩む必要なんてないんですよ、そこの若い人(って誰のことだ?)。

 

軸という言葉からは一本の直線が思い浮かびます。もし、「自分軸」が一本の直線だとしたら、一言で言い表せるもののような気がします。

 

ですが、自分の判断軸は一本の直線のイメージとは合わない感じがするし、一言で言い表せるほど単純ではない気もします。そんなことを考えていたら、AIも何かを判断するものだし、後づけで判断軸を見つける点を考えても、「自分軸」とAIは似ているのではと思い至りました。

 

まずは、犬と猫を見分けるAIについて考えてみましょう。AIについて考える時には、AIモデルを作成する「学習フェーズ」とAIモデルを使って判断する「推論フェーズ」に分けて考える必要があります。

 

AIの学習フェーズ

 

まずは「学習フェーズ」です。犬と猫を見分ける「犬猫判別AIモデル」を作成するには、犬の画像データと猫の画像データを学習します。学習に使われた画像データは、アルゴリズムによって数値化され、それぞれの数値に応じた位置にプロットされます。プロットされた犬と猫を分ける境界線が「犬猫判別AIモデル」になります。良いAIモデルが作れるかは、どんなアルゴリズムを選択するかにもかかっており、アルゴリズムを選ぶAIエンジニアの腕の見せ所になります。

 

AIの推論フェーズ

 

次は「推論フェーズ」です。犬か猫かわからない未知の動物の画像データを「犬猫判別AIモデル」に入力すると、学習時と同じアルゴリズムで数値化され、数値に応じた位置にプロットされます。プロットされた位置と境界線との位置関係によって犬か猫かを推論し、その結果を出力します。

 

「自分軸」を見つけることは、AIモデルを作成する「学習フェーズ」に似ています。

 

「自分軸」を見つけるフェーズ

 

何しろ「自分軸」ですから、学習のもとになるのは自分の経験です。何かの経験をした時に、その経験に「好き・得意」か「嫌い・苦手」かのラベルをつけて自分の中に蓄積してゆきます。

 

そうすると、自分の中でAIモデルを作成する時と同様な学習がおこります。学習時にどんなアルゴリズムを選択するかを考えなくても、経験をいい感じにプロットしてくれます。ここが人間の素晴らしいところです。プロットされた「好き・得意」な経験と「嫌い・苦手」な経験を判別する境界線が「自分軸」というわけです。

 

こうしてみると、やはり「自分軸」は一本の直線じゃないという直感はあたっていましたねえ。

 

「自分軸」を使った判断フェーズ

 

「自分軸」が見つかれば、たとえそれが未知の事柄でも、「自分軸」に照らし合わせて、それを行う前に「好き・得意」か「嫌い・苦手」かがわかります。

 

いやあ、AIと人間の学習と推論の仕組みはそっくりですね。学習しなければAIモデルを作成できないように、働いた経験のない就活生が「自分軸」を見つけられるはずがないんです。田中先生が言うように、就活生を含む若い人に対して「軸がない」と責めるのは、あまりにも酷な話ですよね。

 

AIに学ぶ「自分軸」の見つけ方

「自分軸」の見つけ方はAIモデル作成と似ているとは言いましたが、これだけでの情報では「自分軸」を見つけるのはやはり困難です。さらにAIに学んで、「自分軸」の見つけ方を深堀りしていきましょう。

 

AIモデルを作成するには、アルゴリズムとデータが重要です。「自分軸」を見つける際には、人間はよきに計らったアルゴリズムを選ぶ能力を備えているので、データが成否を握ることになります。成否を握る良いデータとは何かということもAIから学べます

 

良いデータであるためのポイントは3つあります。

 

(1)データの量

AIモデルの作成にはある程度以上のデータ量が必要です。少なすぎる量のデータでは、AIモデルは作成できません。

 

(2)データのバリエーション

データのバリエーションも大事です。たとえ量が十分であっても、そのデータがほとんど同じものであれば、違いを判別するAIモデルは作成できません。

 

(3)データの粒度

犬猫判別AIモデルの場合は、学習用のデータが画像なので粒度は問われません。ですが、時系列データの場合や広がりのある面のデータの場合は、どんな粒度でデータを取得するかがAIモデルの精度に影響します。

 

例えば時系列データであれば、1秒単位のデータ、1分単位のデータ、1時間単位のデータと、どの粒度のデータを使うかでAIモデルの精度は全く違ってきます。推論したい対象によってデータの粒度を適切にコントロールする。これが良いデータになるかどうかを決定づけることになります。

 

同様に、「自分軸」を見つけるためのポイントも3つです。

 

(1)経験の量

ある程度の数の経験を積まなければ、自分の「好き・得意」と「嫌い・苦手」を分ける精度のよい「自分軸」は見つかりません。

 

(2)経験のバリエーション

経験の量も大事ですが、経験のバリエーションも大事です。やってみたら「好き・得意」だった経験だけでなく、やってみたけど「嫌い・苦手」だった経験がないと、学習できないんです。無駄な経験はないと言うのは本当にそうなんです。

 

「好き・得意」の経験も「嫌い・苦手」の経験も両方ともに、できるだけ多様な経験をした方が望ましいです。経験のバリエーションが増えるとプロットされる点が散らばって、「好き・得意」と「嫌い・苦手」を分けるいい感じの「自分軸」が見えてくるからです。

 

(3) 経験を学習する粒度

一口に経験を学習すると言っても、一体どのような粒度で経験を学習すればいいのでしょうか?ある業界の会社で働いて自分には合わないと感じた時、その業界が「嫌い・苦手」と学習すればよいのでしょうか?

 

自分の気分に注意を向けて、気分が動く粒度で、気分が動いた(ご機嫌になった/不機嫌になった)要因となる経験を学習の単位とするのがよいと私は考えています。そうすれば、自分がご機嫌でいられるかどうかを分ける「自分軸」が見つかるからです。

 

経験を学習する粒度を調整する重要性こそAIに学べる最大のポイントだと思います。

 

宿題の答え

AIの学習と推論になぞらえてわかったことは、「自分軸」は一本の直線ではなく、したがって簡単に言い表せるものではないということです。私は「自分軸」を言葉では表現できませんが、未知なる経験を前にした時にそれをやりたいか/やりたくないかは判断できます。ですから、私には「自分軸」があると言えます。

 

そう言えば、勉強会が始まった途端に気分曲線が急降下した理由は「宿題」というキーワードが出たからでした。このキーワードがこんなにも気分に影響を与える言葉だったとは自分でも驚きでした。宿題は誰かから指示されて行う行為です。それが私にとっては気分が降下する理由でした。

 

勉強会後にこんなブログを書いているくらいですから、勉強会後に何かの作業を行うことが嫌なわけではないんです。ブログは、誰かからの指示(=Dモード)で行うわけではなく、自分の意思(=Bモード)で書いているから気分が上がるんです。

 

ああ、ここまで書いたらわかりました。「自分軸」を言葉で表現できないというのは誤りでした。私の「自分軸」は、ご機嫌でいられるかどうか、Bモードで行えるかどうかです。やっぱり最後はBモードか否かに行き着きました。

 

「自分軸」に従ってブログを書いていたら、いつの間にか嫌だと思っていた宿題もできちゃいました。これでスッキリした気分で新年度の勉強会を迎えられそうです(にっこり)。