孫子女子勉強会とは何か

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月に一度、その日が来るのを楽しみにしている孫子女子勉強会。勉強会という名がついてはいるものの、その言葉からイメージされる内容と実態は違っています。じゃあ、孫子女子勉強会とはいかなるものかと言われると、これがなかなか説明しづらいのです。が、前回のブログに引き続いて、今回も孫子女子勉強会を解剖することにチャレンジしました。

 

 

勉強会開始前から学びの姿勢になる

2ヶ月前から始めたzoomで遠隔地とつないでの開催も定着しつつある孫子女子勉強会。物理的な制約条件のないオンライン参加は一見ハードルが低そうに見えますが、実のところはわざわざ足を運ぶ会場参加よりも難しいのではないかと思います。なぜなら、気軽に参加できるオンライン参加は、参加しないという選択も気軽にできてしまうからです。オンライン参加は、気軽さゆえの参加しやすさとハードルの高さという矛盾をはらんでいるのです。

 

 オンライン参加のハードルの高さをいともたやすくクリアして、今回もヒューストンと福岡からの参加表明が事前にありました。それを知った東京側のメンバーからは、それならばと、PCやスピーカー、プロジェクタを持って行くという声が次々にあがりました。さらに、田中先生からは、「電気屋祭り」になるならばと、いつものテキストだけの紙のレジュメをパワーポイントにアップグレードするという宣言が飛び出しました。

 

 そんなやりとりをオンライン上でなされるのを見ているうちに、いつもにもまして気分が上がってきて、勉強会開始前からワクワクが始まりました。会場に向かう足取りは自然と軽くなり、何がおこるかわからないけど、いやむしろ何がおこるかわからないことを勉強会に期待している自分がいました。孫子女子勉強会は、会が始まる前からすでに学びの姿勢になるのです。

 

人生100年時代の「攻めと守り」

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     オンライン接続セッティング中の様子

 

ここのところの勉強会はオンライン接続のセッティングから始まります。田中先生渾身作(?)のパワポ資料とヒューストンと福岡からの参加者の顔がプロジェクタに投影されると、その時点ですでに「おおっ!」とちょっとした盛り上がりを見せます。

 

 パワポの1枚目のスライドには、東京都美術館で開催されているクリムト展のポスターが貼られていました。そのスライドをプロジェクタで映し出しながら、オーストリアの画家であるクリムトが当時の絵画の伝統をどのように革新していったかの解説が田中先生からなされました。「孫子の兵法を勉強するはずの会でクリムトの話?」なんて野暮なことを思う参加者は一人もいません。ベストセラーになった「会計の世界史」執筆以来かどうかは知りませんが、絵画について微に入り細に入りの知識を仕入れている田中先生からのクリムトについての解説に、「へ~」「ほ~」と今まで知ることのなかった絵画の世界へと誘われて、私達はクリムトへの興味関心を高めていったのでした。

 

 2枚目のスライドには、本日のテーマ「攻めと守り」の文字とともに、その考え方のもとになる孫子の兵法からの一説が書かれていました。

「それ勝敗攻取してその功を修めざるは凶なり。これを名付けて費留という」

 

目先の戦いに勝っても大きな目的を果たせなければ意味がない」という孫子の教えです。ここから攻めと守りの使い分けが大事という論へと展開していきます。

 

 3枚めのスライドでは、孫子の兵法の一説から抽出した「攻めと守り」を自分達の生活に当てはめるとどうなるかを考えるキーワードとして、「貯金2000万円より健康と小商い力」が書かれていました。金融審議会の報告書で大きな話題になっている「貯金2000万円」のキーワードが、現実味を帯びて私達に問いかけてきます。

 

 2000万円の貯金をする(守る)より、健康で小商いをする(攻める)方が、人生100年時代を長期的に生き残る戦略になるのではないかというのが田中先生からの問いかけでした。小商い力には好奇心をもって学ぶという姿勢が必要であると、学びのあり方へとテーマがうつっていきます。

 

 学びのあり方としては、孫子女子勉強会ではすっかりおなじみになったマズローのD動機(欠乏の不安から生じる動機)とB動機(こうありたいという欲求から生じる動機)にあてはめて、「Dの学び」と「Bの学び」があることを田中先生自身が教えてきた経験にもとづいて説明してくれました。「Dの学び」と「Bの学び」の違いを整理するとこうなります。

 

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      「Dの学び」と「Bの学び」の違い

 

 そして、再び、伝統的な絵画をよしとする人達に対抗して分離派を築いたクリムトの話題にもどって、「何を守り、何を破壊すべきか?」を、時代の大きな変化点にいる今こそ考えていこうと勉強会は締めくくられました。

 

孫子女子勉強会とは何か

こうやって文字にしてみると、クリムト孫子人生100年時代に生き残る戦略、「Dの学び」と「Bの学び」、とあちこちにとっちらかった内容をかじっただけのようにも思えますが、勉強会に参加していると、1本の筋が通った内容を学んでいる感覚があるのが不思議です。で、結局、「この勉強会に参加して何が得られたの?」という質問への答えには窮します。孫子女子勉強会は典型的な「Bの学び」の場で、明確な役立ちについては説明ができないのです。でも、私達にとっては、孫子女子勉強会は「Bの学び」の場であることがあまりにも当たり前過ぎて、何が得られたかを問う発想自体がないのです。

 

 いつものように勉強会後に出かけた懇親会で、田中先生が、「Bの学びというものがどうやってもわかってもらえないんですよね」と言葉を漏らしました。それを聞いた私は、これは体験者にしかわからないだろうなあと思いながら、孫子女子勉強会という「Bの学び」の体験者として、「Dの学び」と「Bの学び」の違いをもっと端的に言えないものかという問いが浮かんできて、頭から離れなくなってしまいました。そして、その問いを持ち帰ることになったのです。

 

 家に帰ると、読み終わりかけていた1冊の本「人はなぜ物語を求めるのか」が目にとまりました。この本の中に持ち帰った問いのヒントがあった気がして、目次をパラパラとめくりました。そして、この箇所にたどりつきました。

 

知らないには2種類の様態がある。

1つは、自分がそれを知らないということは知っていること。問いを立てた結果「知らないこと」になったこと

もう1つは、自分がそれを知らないということすら知らないこと。自分の意思で問いを立てること自体ができないこと

  

 「Dの学び」と「Bの学び」の違いはまさにこの違いだと確信しました。私が孫子女子勉強会で学んでいるのは、自分だけでは問い自体が浮かばないような内容です。別の言い方をすれば、孫子女子勉強会とは、ある問いに対する答えを得る場ではなく、問いが立ち上がってくる経験を得る場です。

 

 田中先生の膨大な知識から時代にあわせてチョイスされたキーワードとその解説から、心理的安全性が保たれた場で参加者から飛び出してくるここだけの話から、自分が知っていた世界の狭さを見事に打ち破られるという衝撃を受ける場が孫子女子勉強会です。おそらく、田中先生にとってもそういう場であるからこそ、毎回のキーワードチョイスに手抜きがないのだと思います。

 

 Bの学びの楽しさの正体は、まだまだ知らない世界がこんなにも広がっているという感覚からくるものです。知らないことがまだまだあるという自覚は、もっと知りたいという好奇心を呼び起こします。短期的には確かに「Bの学び」の役立ちの説明はできませんが、長期的には好奇心を呼び起こされて学び続ける姿勢が必ず役に立つと私は信じています。人生100年の長期戦では学び続けることが必須条件になり、「Dの学び」では「それ勝敗攻取してその功を修めざるは凶なり。これを名付けて費留という」になってしまいます。「Bの学び」は長期的に生き残るための「攻め」なのです。

孫子女子勉強会が長く続くワケ

孫子の兵法をテーマに月に1回貸し会議室に集まって開かれる女性限定の孫子女子勉強会も6年目に突入。講師の田中先生の周囲では孫子女子勉強会の知名度がじわじわと向上し、2019年4月に発売された守谷淳先生の新著「マンガ 最高の戦略教科書 孫子」に「孫子女子勉強会」の言葉が掲載されるという快挙も成し遂げました。講師がボランタリーで行う勉強会はいつの間にか自然消滅するパターンが多い中で、孫子女子勉強会はなぜこんなにも長く続いているのでしょうか。令和初回の勉強会は、孫子女子勉強会のこれまでを振り返る総集編として開催されました。私自身もあらためて「孫子女子勉強会とは」を振り返る中で、この勉強会が長く続いているワケが見えてきました。

 

 

孫子女子勉強会のテーマ

勉強会では、講師の田中先生が選定した毎回のテーマが設定されていて、1枚程度のレジュメにまとめられて参加者に配布されます。このレジュメだけを見ても、その勉強会がどんな内容だったのかはほとんどわかりません(笑)。なぜなら、このレジュメは例えていてば湖に投げるための小石のようなもので、それを投げた後にどんな波紋が広がるかは小石を見ただけでは全くわからないのと同じだからです。

 

毎回のテーマは基本的に孫子の兵法からの1節をとりあげています。例えば、「百選百勝は善の善なるものにあらず。戦わずして人の兵を屈するは、善の善なるものなり」というような一説をとりあげ、勝つことより不敗を目指すべきという解説の後、参加者が差し出す事例も交えて、時には真剣に時には大笑いしながら、解説と自由な発言によって会が進みます。

 

また、ある時には、孫子の兵法とは別の文献から、男女がわかりあえない理由を解説した一説をテーマにとりあげ、「なるほどそうだったのか!」「全く理解できない」などとおおいに盛り上がることもあります。

 

孫子の兵法を体系的に勉強しようというより、適時にかなった一説をテーマとしてとりあげ、それをもとに考えていくのが孫子女子勉強会です。時には、以前にもとりあげたテーマを再びとりあげることがありますが、その時の時流によってまた違った意味合いをもって物事を見る指針となってくれます。孫子の兵法にからめて、別の文献からもテーマをとりあげることがあります。ですから、孫子の兵法をテーマにしながら無限に勉強会を続けることができるようになっています。

 

 

孫子女子勉強会で学んでいること

女子限定の勉強会で「孫子の兵法」がテーマと言うと、大抵の場合、???という反応が返ってきます。孫子の兵法は戦いのための指南書で、ビジネス応用として学ぶ男性が多いものですが、私達は人生の指南書として孫子の兵法を学んでいます

 

勉強会が始まった当初は、まだまだ男性中心の会社組織の中で、女性がどのようにして生きていくのかを学びのメインテーマとしていました。男性に勝つのではなく、少数派の女性が負けないためにどうすればいいかは、敵多数の中で生き残る方法を説く孫子の兵法から学べることが多くありました。

 

男女がわかりあえない理由を学んだのは、「彼を知り、己を知れば百戦殆ふからず」と孫子が説くように、男性と女性の思考スタイルの違いを学ぶためでした。

 

勉強会を続けているうちに、「人生100年時代」という言葉が時代のキーワードとして注目されるようになりました。それに合わせて、勉強会のメインテーマは、「会社組織の中でどう生き残るか」から、「いかに自立するか」に移行していきました。

 

ある回では、マズローのBe動機とDo動機をテーマにし、自立している人はBe動機で生きていることを中心に意見交換しました。

 

総集編となった今回もBe動機とDo動機が話題にのぼりました。

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              Be動機とDo動機の生き方

 

勉強会で意見交換しながら、子ども時代は誰もがBe動機で生きていても、社会人になると自分の能力の不足に気づいてDo動機で生きるようになることが明らかになりました。その後、Be動機で生きて自立する人と、組織の論理にしばられたままDo動機で生きる人に分かれるだろうという議論になり、いかにしてDo動機からBe動機への転換を成し遂げられるかという次回テーマも浮かび上がってきました。こうやってテーマが次回へとつながっていくことで、途切れることなく次回もますます楽しみに勉強会は続いていきます。

 

ちなみに、このブログを書きながら、子ども時代のBe動機とDo動機を経てからのBe動機は異なるのではないかと気づきました。子ども時代のBe動機は本能的にありたいままに生きることですが、Do動機から転換したBe動機は、己と己をとりまく社会の動きを知った上で自分はかくありたいというBe動機だと思うからです。

 

私達はこうやって、孫子の兵法をテーマにしながら、変わりゆく時流の中でいかに楽しくハッピーに生きていくかをこの勉強会で学んでいるのです。

 

 

孫子女子勉強会の開催方法

孫子女子勉強会は、田中先生を含めて5人とこじまんまりと始まりました。少人数の貸し会議室を借りてスタートしたのですが、ある時、大人数の会議室しか予約がとれなかったことを機会に、参加者をクチコミで広げることになりました。その後も、参加者の紹介制で少しずつ参加者が増え、東京以外に住む参加者にも広がりをみせました。

 

参加者が増えても、貸し会議室で行うスタイルは変えずに、参加できる人、参加したい人がその回ごとに集まって勉強会を開くスタイルをずっと続けてきました。その回によって人数の多少はありますが、参加者がゼロになることはなく、例え少人数開催になっても、少人数だからこそのざっくばらんな語らいを中心として途切れることなく続けてきました。

 

立派な会場で行うのではなく、いつもの貸し会議室を借りて、会議室費用を割り勘で支払いするスタイルも無理なく勉強会を続けてこられた理由のひとつです。

 

孫子女子勉強会メンバーは、東京だけでなく他の地域にもいます。九州や沖縄在住の仲間は東京に来る予定とあった時、または来られるタイミングで東京に来て、勉強会に合流する形をとっていました。とはいえ、毎回は参加できないのが東京から離れて住む参加者にとっての悩みどころでした。私も一時期、四国に赴任していたことがあり、その時は、参加できない悔しさを毎回かみしめていたのでその気持はよくわかります。

 

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      孫子女子勉強会のZoom中継

 

これまでは東京の貸し会議室を会場にして集まれる人が参加するスタイルを踏襲してきましたが、孫子女子勉強会も今どきのテクノロジーを取り入れ、離れた地に住む参加者への参加の門戸を開けるようになりました。アメリカのヒューストンに赴任した勉強会仲間の強い熱意と熱烈サポートする東京メンバーのおかげで、前回からZoomを使って遠隔地とも結んで中継する勉強会の試みを始めました。前回はヒューストンと東京をつなぎましたが、今回はヒューストン、東京、九州2地点の4拠点をつないで実施しました。これで、東京以外に住む参加者も勉強会に参加できるようになりそうです。

 

 

孫子女子勉強会のコミュニティ

勉強会コミュニティは参加者の数を少しずつ広げてはきましたが、大きく拡大することはありませんでした。参加メンバーのFB投稿に対して、「私も参加したい」というコメントがつくことがありますが、あくまでも顔の見える関係をキープできるサイズで、参加者のおすみつきのある人に限ってメンバーを増やしてきました。

 

それがゆえに、勉強会の中で、「ここだけの話なんだけど・・・」という本音トークを交えて意見交換できる場ができています。いわゆる心理的安全性が保たれています。私達は心理的安全性が保たれるコミュニティであることに細心の注意を払ってきました。これが、コミュニティが崩壊したり自然消滅することなく勉強会が続いているワケのひとつです。

 

ですから、遠隔配信ができるようになったからと言って、誰でも参加できるオープンな勉強会になることはないと思います。私達は参加人数という量の拡大を目指しているのではなく、顔が見える範囲でともに学ぶコミュニティとしての質を重視しているからです。

 

勉強会メンバーには、初期からのメンバーでみんなが大好きで、みんなを大好きでいてくれる象徴的な存在の人がいます。肩書を聞けば「おっ」と思うような方もいます。けれども、参加期間や肩書は全部取っ払ったフラットな関係で、ともに学ぶ仲間という関係でつながっています。

 

 

孫子勉強会が長く続くワケ

このコミュニティの質を維持してきたことこそが、勉強会が6年もの長きに渡って続いてきたワケであり、これからも続くであろうと思えるワケです。

 

あらためて振り返ってみると、勉強会が続いてきたのは不易流行を実践してきたからでもあります。孫子の兵法という勉強会の大きなテーマとコミュニティの質は変えずに、勉強会から学ぶことや開催方法は「兵の形は水に象る」がごとく、その時々で臨機応変に実践してきました

 

長く続くものには続くなりのワケがあり、目に見えない地道な工夫がきちんとなされているのです。だからこそ、これだけ長く続いても飽きることなく楽しい勉強会であり続けられるのです。そして、これから先も続いていくことを誰も疑わずにいられるのです。

アドラー心理学のライフスタイルから学ぶ点と線の生き方

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デパ地下がいつもと違う客層でにぎわった3月14日の孫子女子勉強会は、再び熊野さんを講師に迎えてアドラー心理学について学びました。年度末がせまっていることもあって欠席者がちらほらいて、こじんまりとした人数での開催となりました。私は、前回、不覚にも電車の乗り間違えによる遅刻という失態をやらかしてしまったため、今回は遅刻してなるものかと気合を入れて貸し会議室に向かったところ、なんと1番のりでした。

 

 

アドラー心理学とライフスタイル

孫子女子勉強会でアドラー心理学を学ぶのは2回目となり、アドラー心理学の基本的な考えは知った上で、今回は「ライフスタイル」という切り口から、幸せに生きることについて学びを深めました。

 

熊野さんは、ともにオーストリア出身のユダヤ人であり心理学者であるフロイトアドラーを対比して、アドラーの立ち位置を解説してくれました。

 

f:id:n-iwayama:20190330194117p:plain             アドラーフロイト

 

アドラーフロイトは二人とも第一次世界大戦を経験し、その経験からそれぞれの問いを生み出しました。フロイトは「なぜ人は戦うのか?」と問い、アドラーは「どうすれば人は仲間になれるのか?」との問いを立てました。フロイトは過去から現在を見ようとし、アドラーは現在から未来を見ようとしたとも言えます。

 

アドラーは、立てた問いを探求するために、自分自身と他者の心のクセや行動パターン、すなわちライフスタイルを理解する必要があると考えました。アドラー心理学の根幹をなすライフスタイルがこの日のテーマでした。

 

ライフスタイルは、その人特有の思考、感情、行動の特性のことを指します。別の言い方をすれば、パーソナリティであり、性格のことです。アドラー心理学では、ライフスタイルは自己の世界の現状と理想に関する本人の信念の体系とされ、次の3つの要素からなるとされています。

  • 自己概念
  • 世界像
  • 自己理想

 

「自己概念」は、「私って~」と思っているセルフイメージのことです。「世界像」は、「世の中って~」と思っている人生の現状のことです。「自己理想」は、「私は~でありたい」と思っている自分のありたい姿のことです。

 

この3つの要素のうち、ライフスタイルに一番影響を与えるのは「自己理想」であり、自己理想という妄想に突き動かされて性格が形成されると、熊野さんは付け加えました。

 

私は、新しい概念を学んだ時には、その概念を構成する要素間の関係を考えます。たいていの場合、単純に並列されるものではなく何らかの関係があり、その関係を考えることで理解が深まるからです。ライフスタイルの3つの要素の関係は、次のような関係であると私は理解しました。

 

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         アドラー心理学のライフスタイル

 

自己概念と自己理想は現在と未来の関係で、現在の自分が未来の自分を見据えて進んでいくイメージです。どのように進んでいけるかを象徴するのが世界像です。私達は一人の世界に生きているのではなく、社会という世界の中で生き、その社会環境の影響を受けているからです。

 

ライフスタイル診断

ライフスタイルとは何であるとの説明を受けるよりも具体的に自分のライフスタイルを知る方が、関心も理解もぐんと深まります。そのことを熟知している熊野さんがこの日の勉強会に用意してくださっていたのはアドラーバージョンのライフスタイル診断でした。30問の設問に○△で答え、答えを点数化します。さらに、ライフスタイルの分類でグループ化された設問ごとに点数を合計すると、自分がどのライフスタイルタイプの要素が高く、どのタイプの要素が低いかがわかるという仕組みです。田中先生も含めて参加者全員でこのライフスタイル診断を行いました。

 

アドラーバージョンのライフスタイルタイプは6つに分類され、それぞれのタイプに特徴解説がつけられています。解説は良い面と悪い面が両論併記されています。例えば、ライフスタイルのタイプには「エキサイトメント・シーカー」タイプがあります。このタイプは、好奇心旺盛なのが特徴で、元気で勢いもあるけれども自分自身でも訳がわからなくなったりすることもありそうというような解説が書かれています。

 

血液型や星座をはじめとして、世の中には人をいくつかのタイプに分類するシステムがありますが、数個のタイプに分類できるほど人は単純でないことは、孫子の教えをテーマにもう何年も勉強会を続けている私達は十分に承知していました。それでも、ライフスタイル診断にはおおいに盛り上がりました。

 

ライフスタイル診断で、いつもとはまた一味違った盛り上がりを見せている最中に遅れて勉強会に参加したメンバーがいました。そのメンバーが席につくと、熊野さんはライフスタイル診断の用紙を差し出して設問への答え方を説明しました。点数計算の段階になると、「俺がやってやる」と、隣に座っていた田中先生が診断用紙を自分の手元に引き寄せて計算を始めました。熊野さんの心配りと田中先生のタスク分担のおかげで、遅れて参加したメンバーも含めて全員がライフスタイル診断を行うことができました。

 

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ライフスタイル診断の計算をする田中先生

 

各自の診断結果にひとしきりわいた後で、熊野さんはこうおっしゃいました。

「ライフスタイルに優劣はありません。100人いれば100通りのライフスタイルがあるほどに人間は多様性にとんでいます。でも、面白いことに、コミュニティにはライフスタイルの特徴が同じ人が集まる傾向にあるんですね

 

そういう話を聞けば、もちろん孫子女子勉強会メンバーの特徴は何か?と知りたくなるのが人情というものです。そうしたらやっぱりありました。全員が「エキサイトメント・シーカー」タイプの要素が高かったのです。まあ、言われてみれば当たり前です。仕事が終わってから貸し会議室に集まって、孫子をテーマにした勉強会に参加しようというメンバーですから、好奇心が旺盛に決まっています。

 

早期回想

ライフスタイルについて体感的に理解した後で、熊野さんは、私達に質問を投げかけながら、ライフスタイルについての学びを進めていきました。

 

はじめの質問は

「ライフスタイルが形成されるのは何歳だと思いますか?」

でした。私は「12歳」と答えました。ドンピシャではなくてもかなりいい線を言っているはずという確信をもって。なぜなら、3人の子ども達のことを思い浮かべると、小学生の間にはっきりとそれぞれのライフスタイルが確立されていたと思えたからです。

 

私の他には、「25歳」や「40歳」と答えた人がいました。きっと、そう答えた背景には、そう答えるに至った何がしかの経験をもっていたのだと思います。

 

アドラー心理学では、はじめのライフスタイルが形成されるのは10歳と考えられているそうです。生まれてからライフスタイルが形成されるまでの10年を長いとみるか短いとみるかは捉え方次第ではありますが、人生100年と考えると、かなり早い段階でライフスタイルが形成されることになります。

 

熊野さんからの次の質問は、

10歳くらいまでのエピソードで強烈に覚えていることは何ですか?

というものでした。

 

これに答えたのが、孫子女子勉強会の誰もが大好きな板谷さんでした。

私、すごく覚えていることがあるの。ピアノを習いたくて習いたくて。それもお友達が習いに行っていた同じ先生に習いたかったの。だけど、うちにはオルガンしかなかったから、その先生に「オルガンしかないからあなたはダメ」と言われて、すごく悲しかったの。

 

大人になった私達にとっては、「そうそう世の中ってそういう不条理なことがあるのよねえ」ですませるかもしれませんが、この世に生を受けてから10年に満たない時の経験としては、人生の生きづらさがどれほど深く心に刻まれることでしょう。ああ、いつ見ても満面の笑顔でいる印象の板谷さんでもそんな経験があったんだなあと思ったのですが、このエピソードには続きがありました。

それからしばらくしてから、家にピアノが届いたの。その嬉しかったことは今でもはっきり覚えているわ。

 

いつものように華が咲いたように明るい笑顔で板谷さんは言いました。板谷さんの身におこったドラマチックな展開に、その場にいた誰もの口元が思わずほころびました。願いが叶わない深い悲しみから一転して、願いを叶えてくれるピアノが届いた時の喜びはどれほどだったか。

 

この10歳くらいまでの、ある日あの時の強烈な思い出のことは「早期回想」と呼ばれて、ライフスタイルの世界像の形成に影響を与えるのだそうです。ある出来事をどう捉えるか、どうストーリーに組み立てるかの語りから、その人の世界像がわかると熊野さんから解説がありました。

 

その解説を聞いた板谷さんが再び言葉を発しました。

あー、私がなぜ私なのかがわかったわ!私、「人生って面白いわー」と思っているけれど、この経験があったからなのねー。

 

きっと誰にでも早期回想があるはずです。私にもあります。私の早期回想はこんなエピソードです。

 

確か夏休みの最終日だったと思います。どういういきさつだったのかの記憶は定かではありませんが、宿題の絵画ができていなかった私を見かねた母が、床の間に生けてあった花の絵を描いてくれました。絵を描き終わった母が出かけた後、私は一人、床の間の前に立って母が描いた絵を見つめていました。

 

その時の私の気持ちはどうだったかというと、「ラッキー、これで宿題ができなかったと言わずにすむわー」などというものでは全くなく、ただひたすらに悲しい気持ちでいっぱいでした。

 

それから大急ぎで新しい画用紙を取り出し、自分の手で絵を描きました。うまくは描けませんでした。けれども、その絵に自分の名前を書くことには微塵の後ろめたさも感じることはありませんでした。

 

このエピソードから、私は、自分の手を動かしていないものに自分の名前をつけることは自分のアイデンティティを放棄することだと深く心に刻みました。

 

10歳までの強烈な体験がライフスタイル形成に影響し、10歳頃にはライフスタイルが決まっている。10歳までがライフスタイル形成のひとつの大きな区切りであることが明らかになりました。

 

「何歳までならライフスタイルは変えられるか?」

という弟子の問いかけに対して、

「死ぬ直前まで変えられる」

アドラーは答えたそうです。

 

アドラーは、自分の人生の脚本家は自分であり、ライフスタイルは固定化されたものではなくいつでも自己決定できると説きました。不完全な自分を知って、変わりたいという思いを誰しもが持っています。ライフスタイルは死ぬ直前まで変えられるとするアドラー心理学は、変わりたいと願う人にとって希望を与えてくれるはずです。

 

ライフスタイルの自己決定性

いつもは明るく笑っている田中先生が、この日の勉強会では途中から神妙な面持ちで何か考え込んでいることに気づきました。その理由は田中先生のこの一言に凝縮されていました。

「今日の内容は親としたらドキッとしますね」

 

確かに、10歳までにはじめのライフスタイルが形成され、その形成への親の影響の大きさは計り知れません。それは板谷さんの早期回想エピソードからもわかります。私も子をもつ親として、親が子に与える影響の大きさを思うと、その責任の大きさに立ちすくんでしまいそうになります。

 

その一方で、たとえ子どもが小さくとも親が子どもに与える影響力はそんなにないのではないかとも思っていました。もし、親の影響が大きいのなら、同じ家庭に育った子どもは似通ったライフスタイルが形成されてもおかしくありません。けれども実際には、同じ親から生まれ、同じ家庭環境で育っても、こんなにも違いが出るのかと思うほどに、3人の子ども達は3者3様に個性あふれるライフスタイルが形成されました。

 

この勉強会でライフスタイル形成という重要なキーワードを得たのですが、あと一歩、つかみきれないモヤモヤを抱えてしまったのです。その日から、私は無意識下のうちに、いつもライフスタイル形成のことを考えていました。少しずつ言語化できる見通しが立って、ようやく書けるようになりました。

 

早期回想は、自分が経験したある出来事からライフスタイルが形成されることを教えてくれます。このことを紐解いてみると、まず始めに動くのは感情です。その後で意識的/無意識的に考え、行動にいたります。感情から行動までの一連の流れは経験と呼ばれるものです。そして、ライフスタイルとはその人特有の思考、感情、行動であるという定義を思い出してみると、経験とはライフスタイルそのものです。さらに、私達は経験をするだけでなく、遭遇した出来事に意味づけを行います。板谷さんの早期回想の例で言えば、「人生って何がおこるかわからない面白いものなんだ」というような意味づけがされるようなイメージです。

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         出来事と経験

 

経験する時にはまず感情が動くとすると、この感情はどうやっておこってくるのかという疑問が次にわいてきます。例えば、嬉しいという感情は、嬉しいと思おうと思っておこってくるものではありません。思考はコントロールできても感情はコントロールできません。私は、感情はその人のライフスタイルからおこるのだと思います。同じ出来事に遭遇しても、人によって異なる感情を抱くのはそれぞれがもつライフスタイルの違いからくると考えられます。

 

経験の後に行う意味づけが、ライフスタイルをカタチづくる元となってその人に還元されます。こうやって、私たちは様々な出来事を経験し、意味づけを行い、それによってライフスタイルを少しずつ更新しながら生きているのではないでしょうか。

 

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    意味付けとライフスタイル

 

だとすれば、子どもが遭遇する出来事に対して親は影響力をもち得ますが、意味づけには影響力をもち得ないのではないでしょうか。反面教師という言葉があるように、客観的には望ましくない出来事に遭遇したとしても、その出来事をプラスの経験として意味づけすることはできます。アドラーが言うように、自分のライフスタイルは自分で決めているのです。それはたとえ年齢がどんなに小さくてもです。

 

強烈に覚えているエピソードが早期回想でしたが、板谷さんのエピソードにしても私のエピソードにしても、出来事そのものは特殊なものではなく、ごくありふれた日常の出来事です。おそらく、私達は日々の出来事を経験する積み重ねによって、意識的であれ無意識的であれ意味づけを行い、日々、ライフスタイルを更新し続けているのだと思います。板谷さんにしても、早期回想されたエピソードだけが板谷さんたらしめているのではなく、これまで生きてきたすべての経験が板谷さんのライフスタイルをつくりあげたのであって、どんなに真似ようとしても板谷さん以外の誰も板谷さんのライフスタイルに近づくことはできないのです。板谷さんに限らず、私もあなたも誰もが自分にしかないライフスタイルをもっていて、そのライフスタイルは自分で決めたものなのです。

 

時間的展望という点と線の生き方

ここまで書いて、アドラーのライフスタイルについてのモヤモヤは晴れたのですが、もう少し探求できそうな気がしたので、もうしばらく自分の中でこのテーマを抱えることにしました。そして、アドラーのライフスタイルの理論は、ユダヤ系心理学者であるクルト・レヴィンが築いた時間的展望理論と根幹は同じであることに気づきました。時間的展望とは、現在から再構成された過去や現在から予期された未来を含んで統合した「今」を指します。私達は点としての今を生きているのではなく、過去と現在と未来をつないだ線としての今を生きているという考え方です。

 

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     時間的展望

 

ライフスタイルが過去の出来事の意味づけによって形成され、ライフスタイルには未来の自分である自己理想を含むということは、ライフスタイルもまた、現在の点としてあるのではなく、現在と過去と未来をつなぐ線としてあることを意味しています。これは、時間的展望の考え方と同じです。

 

時間的展望は、現在の行動に深く関わっています。意味ある過去と未来の目標という視点で今を見つめることで、困難な状況にあってもそれを乗り越える行動をとることができると考えられています。つまりは時間的展望の考え方をもつことは、行動への後押しになるということです。どんな状況であっても、その状況の捉え方は自分の考え方次第であり、それが行動に反映されるということです。

 

私達は、今という点を精一杯に生きながら、過去と未来をつなぐ線としての今をも生きることで、自分の行動もライフスタイルも変えることができるのです。

 

アドラー心理学のライフスタイルを学んだことで、自分の行動がどうやって生み出されているのか、自分の過去の経験を今にどういかしていけるのか、目標をもつことがなぜ大切なのかがわかりました。

 

今回は自分の中でアドラー心理学のライフスタイルを消化するのに時間がかかって、なかなか言語化できませんでしたが、あきらめずにテーマを抱え続けてよかったと思います。思うようにはならない事情は色々あっても、先人が残してくれた考え方を学ぶことで、すべてのことには意味があると希望をもって生きていけます。いくつになっても学び続けて、考え方をアップデートしていこうと決意をあらたにしました。

発見と学びの旅は死ぬ直前まで続けようと思います。

大人の学びは役に立ってしまう

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大人になると全く新しいことを学ぶ機会というのは、なかなかないものです。やったことがなくても、少しくらいは聞きかじったことがあることがあるものだからです。フラッシュモブダンスを全くのゼロから学ぶという貴重な機会に恵まれたので、それを通じて感じた大人の学びが今回のテーマです。

 

 

はじまりはシアターモールの秘密企画

私はこれまでダンスを習ったこともやったこともありませんでした。それが、フラッシュモブダンスを踊ることになった経緯はこういうことです。

 

一般社団法人経営学習研究所(MALL)主催の「音楽を素材にしたチームづくり」をテーマにしたイベントが2月24日(日)に行われるとの告知があり、その参加者募集が行われました。それとほぼ同時に、そのイベントで行う秘密企画の参加者募集が行われました。秘密企画の参加者募集では、2月24日(日)のイベント当日に参加することと、2月16日(土)に2時間の企画準備に参加することだけが書かれており、企画内容については書かれていませんでした。企画者が一度お会いしたことがある三原さんで人となりを多少でも知っていたことと、未知のことにチャレンジすることを今年のモットーにしていた私は、日程の都合が合うことを確認して、秘密企画の参加者に手を挙げました。そして、企画内容がイベント当日にフラッシュモブダンスを踊ることだと知ったのです。

 

私はフラッシュモブダンスはおろか、これまでにダンスを習ったことも踊ったこともありません。企画内容を知った時、「えっ、ダンス?」という驚きが一瞬立ち上がりましたがそれはすぐに消えて、ダンス経験ゼロの私がたった2時間の練習でフラッシュモブを踊るようになるというプロセスでどんなことが起こるのだろうという興味に占領されてしまいました。

 

フラッシュモブダンス企画者の三原さんは、5歳からバレエを、大学時代からダンスを続けていて、今回の企画で振付・指導を担当してくれました。これまでにも結婚式等でダンス未経験者と一緒に踊ったことがあるそうです。

 

フラッシュモブダンス参加メンバーは、最終的に三原さんを入れて7名になり、そのメンバーでのFacebookグループが作成されました。グループ内で、フラッシュモブの振付の事前イメージをもつために、三原さんが踊っている動画が共有されました。ダンス歴の長い三原さんのダンスはまさにダンサーらしい動作で、これが自分にできるようになるとはとても思えないと思うと同時に、経験ゼロの状態と三原さんのダンスとのギャップがどこまでどうやって埋まっていくのかということにまたしても興味を掻き立てられたのでした。

 

できるための学び

企画準備に用意されていた2月16日はダンス練習をするためで、三原さんが借りてくれたスタジオで行いました。待ち合わせ場所で待っている間に、今までにフラッシュモブダンスをやった時の練習時間を三原さんに尋ねてみました。今までは複数日練習していて、2時間の練習というのは今回が初めてとのことでした。2時間の練習でできる想定での振付になっていたのだと思いますが、どんなスキルを持った人が参加するかわからない状況で練習時間の見積もりをしないといけないのは相当難しいだろうなと思いました。

 

練習日当日、体調不良で1名が欠席になりました。即席で結成されたMALLダンサーズは6名になり、ほとんどが初対面、三原さん以外全員がダンス未経験者というメンバーでした。私と同様に何をやるかわからない企画に応募するという好奇心あふれるメンバーだけあって、初対面のメンバーではありましたが和気あいあいとした雰囲気の中でダンス練習ができました。

 

ダンススタジオに入ると、自己紹介から始まり、簡単なストレッチをした後は、三原さんの教えてくれるがままに身体を動かしていきました。その時は、とにかく言われたままに身体を動かすのに精一杯でしたが、後から振り返ってみると、ダンスはモジュールの組み合わせでできていて、三原さんはモジュールごとに区切って身体の動きを教えてくれていたことがわかりました。しかも、モジュールの中でも足の動きだけを先に行い、次に手だけの動きを行い、最後に手と足を組み合わせて行うといった風に段階的に難易度を上げていくように練習が組み立てられていたので、初心者でもなんとかついていけました。足だけ、手だけの動きならできても、手足を同時に動かすとなると、途端に難しくなるものでした。

 

見ると単純な動きが、いざ自分でやってみようとすると、どうすれば望みの動きができるのかがわからないということがおこりました。そうかと思うと、見ると難しそうと思ったターンやヒゲダンスと呼ばれる動きが、やってみると意外とすんなりできることに驚きました。難しそうに見えるものがそうでもなかったり、簡単そうに見えるものが難しかったりと、難しさというのは実際にやってみないとわからないものでした。

 

また、身体の動きを真似るというのは、見ただけで真似るというのはとても難しいものでした。どこに重心を置くのかなど、外からでは見えないことが身体の動きを成り立たせているからです。指導してくれる三原さんと、あるいは一緒にレッスンしている人と、実際に身体を動かしながら、「こう?」「こんな感じ?」などと自然にコミュニケーションがおこりました。

 

モジュールの動きを一通りさらった後は、全体を通しての練習をしましたが、一連の動きというのはわずか1分程度のものでもなかなか覚えられないものです。三原さんの「1、2、3、4」や「右にまわりまーす」などの掛け声が、あの動きだと記憶を呼び覚ましてくれて、なんとか動けるという感じでした。

 

わずか1分程度のダンスを2時間かけて練習したわけです。つまり、かなりの部分は、同じことの繰り返しを行ったことになります。飽きてしまったりしんどくなったりしてもおかしくない状況ですが、そうはならなかったのは、1人ではなくみんなで一緒に練習したからだったと思います。もくもくと練習したのではなく、時には談笑も交えてコミュニケーションをとりながら行ったことが、2時間の練習を楽しい時間にしてくれました。

 

この日は、ゼロから何とかカタチになってできるというところまでもっていくための学びの機会でした。それに必要だったのは、指導してくれる人と一緒に学ぶ仲間だったと言えます。全員が初心者だったわけですから、他のダンサーメンバーも私と同様に本当に踊れるようになるだろうかと不安な気持ちを抱えていたと思います。2時間の練習で得られたものは、ダンスが間違いなくできるようになったことというよりは、仲間としての信頼と、当日たとえ間違ったとしてもこのメンバーと一緒になら最後まで踊りきれるという自信だったように思います。最後に通して踊った時に、ダンサーメンバーが自然と発した言葉がそれを象徴していました。

「できるような気がする~」

「いけるいける」

「いける~」

 

 

わかるための学び

2月16日の練習後は、時々、イメージトレーニングはしていましたが、実際に体を動かすことはできないままに時間が過ぎました。2月24日本番の前日、覚えているかなあと思って、みんなで練習した時の動画を見ながら、通して踊ってみようとしたところ、もうすっかり身体の動きを忘れていることにあせりました。これはまずいと思って、そこから動画を見ながら、一人で練習をはじめました。

 

みんなで練習した時と同じようにモジュールごとにおさらいをしました。身体を動かし始めると、モジュール単位では身体が覚えた記憶が蘇ってきましたが、モジュールとモジュールのつなぎの部分がどうもスムーズにいきません。モジュールのつなぎの部分が重要なんだなということに、この時初めて気づきました。モジュールのはじめで右に動くのか左に動くのか、右足から出すのか左足から出すのかがわからなくなりがちでした。が、頭で右、左と考えるよりも、前のモジュールの終わりからのつなぎを考えると、どちらに動いた方がスムーズか、どちらの足を先に出した方がスムーズかは自然とわかるということにも気づきました。ダンスの振り付けは、つながりが合理的になるようにできているものでした。

 

動画を見ながら、一人で何度も何度も繰り返して練習して、ようやく全体を通してスムーズに動けるようになってきました。この時に見ていた動画は、みんなで一緒に踊った時の動画です。三原さん一人が踊っている動画よりもみんなで一緒に踊った時の動画の方がやりやすいと感じたのは、ところどころで三原さんの掛け声が入っていて、その声を頼りにしていたからでした。

 

一通りの動きができるようになると、色々な感覚が変わってきます。自分でも驚いたのが、量的な感じ方が変わったことです。具体的には、ダンスを踊る一連のタスクを結構長いと思っていたのが、「なんだ、たったこれだけか」と短く感じるようになったことです。

 

次に変わったのは、視点です。はじめはどう動くのかという大きなくくりのことに気が向いていましたが、それらができるようになると、もっと細かいところが気になり出しました。例えば、右周りに大きく回転するように動くモジュールでは、手はどう動かせばいいんだろうといったようなことです。そうすると、三原さん一人で踊っている動画を見た方がわかりやすくなりました。この動きの時は手を大きく動かした方が格好良く見えるだなとか、手の位置はもっと上なんだなとか、同じ動画を見ても見る視点が変わっていきました

 

また、自分が踊らなければいけないタスクとしてのダンスから、ダンスとはどういうものかというダンスそのものへと興味が広がりました。そして、ダンスはいったん止まる静と動の組み合わせからなることや、左右への動きと回転の組み合わせからなることなどにも気づくようになりました。ひとつひとつの動きは単純な動きでも組み合わせることでダンスらしくなることもわかりました。初めて三原さんのダンス動画を見た時は、ただダンスを見たというだけに過ぎませんでしたが、この時点では、2時間の練習でも十分にできるようになるものでありながらダンスとして成立するよく考えられた振り付けであることものだということも見えてきました。

 

自分が納得いくまでとダンス練習を続けていると、動画の再生・停止を何度も繰り返しながら、一人でひたすら踊る練習をして1時間ほどが経過していました。この時間は、ひとつひとつの動きや組み合わせの意味を考え、単にできるようになるにとどまらず、ダンスそのものをわかろうとする学びの時間でもありました。

 

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こうなってくると、身体の動きを通じてダンスをわかるだけでなく、そもそもダンスとは何かということを知識としても知りたくなってきます。この気持のおもむくままに図書館に向かってダンスに関する本を借りてきました。ダンスの起源は、心臓の鼓動や自然界から聞こえる音などにリズムを感じて本能のままに身体を動かすことから始まったと知りました。一通りダンスを踊ることをやってみた後で、こういった知識を知ると、正しく踊ることよりも音楽のリズムに乗ることの方が大事だという意識に変わって、身体の動かし方がまた少し違ってきます。

 

より夢中になれたのは本番よりもプロセス

そんなこんなでゼロから始めたダンスを披露するシアターモール当日がやってきました。MALLダンサーズは、シアターモールのイベントが始まる前に集合して会場リハーサルを行いました。実際にダンスを踊る位置を確認し、みんなであわせて踊る練習をしました。

 

シアターモールのイベント自体は、参加者として存分に楽しみました。ペッカー橋田さんのファシリテーションのもと参加者全員でパーカッションを演奏したり、ミュージカル劇団「音楽座」の劇団員が独自の創作メソッドでミュージカル作品をつくりあげていく一端を垣間みたり、参加者全員で声高らかにミュージカル音楽を歌ったり、心も身体も楽しんで解き放ちました。

 

そういう場の空気ができあがっていた最後に全員で集合写真を撮った後、突然証明が消えて音楽が鳴り出し、そこから私たちMALLダンサーズのフラッシュモブが始まるという流れになっていました。

 

実際の本番がどうなったかというと、全くの予想外の展開になりました。突然証明が消えて音楽が鳴り出し、私たちが音楽にあわせてフラッシュモブを楽しく踊るというところまでは計画通りでした。ダンスを踊っている後半からは音楽座の劇団員の方もダンスに加わって、踊っている方も見ている方もテンションは異常なほどまでにあがりました。さらに、劇団員の方が見ていた人の手をとって、次々に踊る側に呼び込み、結局は全員で踊るというちょっと信じられないような状況になりました。会場にいた60人以上のいい大人が、しかも大学教授だったり会社の取締役だったりといった肩書をもった方も残らず含めてその場にいた全員が音楽にあわせて踊ったのです。踊り狂ったという表現の方が適切かもしれません。1分半ほどの予定だったフラッシュモブダンスは、全員の血湧き肉躍る8分弱の大イベントになるという結末で終えました。

 

当日、本番で踊り終わった後、どんな気持ちがするんだろうと思っていました。企画としてはとんでもなく成功したと言っていいと思います。やっぱり本番が一番楽しかったかというと、意外とそうでもなかったりします。

 

本番が楽しくなかったというわけではありません。楽しかったのは間違いありません。ただ、それよりも本番に向かって練習している時の方がより夢中になれた気がします。本番で踊ることに向かって練習していたのですが、本番そのものよりもそこに向かおうとする過程にいる時の方が印象に残っているのです。

 

大人の学びは役に立ってしまう

今回、ひょんなことから全く未知の領域であったダンスを学ぶことになりました。しかもダンスを学ぶ目的は、何かの役に立つからという理由では全くありませんでした。これが何の役に立つのかと問われがちな世の中にあって、役に立つか立たないかと問うことなしに、純粋に企画として楽しんでもらうため、また自らも楽しむためにダンスを学びました。役に立てようという肩肘をはる必要がなかっただけに楽しく学べました。

 

ダンスの練習を始めるにあたって、三原さんは、「間違えずに踊ることを目指すのではなく、間違えたとしても楽しく踊りましょう」と言いました。所詮は2時間練習しただけの素人ダンサーズです。踊りのテクノックで観客を魅了できるはずもありません。ですから、ダンサーズが楽しく踊ることで、見る側の人に楽しんでもえらえばよいので、とにかく一通り踊れればよかったのです。とすると、それなりにダンスを学べば十分であったとも言えます。けれども、2時間の練習で私たちは楽しみながらも真剣に取り組みました。

 

私はさらに1時間の自主練を追加しました。誰に言われたわけではありません。ダンスの学びが何かの役に立つという情報をキャッチしたからでもありません。やると言ったからには、自分が納得できるところまでもっていきたかったからです。そして、練習し始めると、ダンスに関して次々に新しい気付きが得られるようになり、それが面白くてさらに練習を続けるというスパイラルが回り始めました

 

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     できるための学びとわかるための学びの構造

 

ダンスに関しての気づきを得たにとどまらず、学ぶことそのものに関しての気づきも得ました。何かの目的に向かって学んでも、学ぶことの醍醐味は学んでいるプロセスにあると体験したこともそのひとつです。また、できるための学びでも、わかるための学びでも、何度も踊ってみることの繰り返しが必要でした。繰り返すことをドライブしてくれたのは、できるための学びでは仲間の存在であり、わかるための学びではもっと知りたいという好奇心であり、どちらの学びも同じ構造をしていることがわかりました。

 

ダンスを学ぶことで何か役に立つことを得たいなどとはこれっぽちも思っていませんでした。けれども、結果的には学びの構造が明らかになるという副産物を得ることができて、ダンスを学んだことが役に立ってしまいました

 

それなりの時間を生きていると、色々なことが自分の中に蓄積されていきます。新しい学びを得ると、それをそのまま吸収するだけでなく、すでに蓄積されていたものと自然と結びついて、副産物的な学びも得ることができてしまうのです。だから大人になってからの学びは楽しいのです。何かの役に立てようと思って学ばなくても、結果的に大人の学びは何かの役に立ってしまうものなのです。

 

年齢を重ねるほどに自分の中に蓄積が増え、蓄積が増えるほどに学びが楽しくなるのなら、学び続ける限り年をとることを悲観する必要なんか全くないわけです。人生100年時代の到来には期待しかありません。

 

発見と学びの旅はこれからもずっと続けようと思います。

本の読み方を選ぶ時代へ

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孫子女子勉強会仲間の柏原さんがファシリテーターデビューしたABD読書会に参加しました。この日の読書会の対象書籍は仲山進也さん著作の「組織にいながら自由に働く」でした。ABDは私にとって新しい読書体験でした。ABDを体験して得られた本を読むことに関する新たな気づきを記します。

 

 

ABDとは

ABDとは、アクティブ・ブック・ダイアログ®の略称で、1冊の本を複数人で分担して短時間で読む読書法です。

 

ABDが開催される会場に着くと、4人ずつのグループに席が分かれていてました。グループ分けはカードをひいて決まるくじ引き方式でした。

 

ABDの流れはこんな感じでした。

(1)ABDの紹介

(2)自己紹介(グループ)

(3)「はじめに」のパートでABD体験(グループ)

(4)担当パート決め(全体)

(5)担当パートを読み、指定枚数以内でA4白紙にKP法でまとめる(各自)

(6)各自のパートをKP法でまとめた用紙を使ってプレゼン(全体)

(7)読後の感想等シェアタイム(グループ)

 

(1)のABDの紹介で、ABDの特徴はKP法とジグソー法の組み合わせからなるとわかりました。

 

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   KP法とジグソー法をKP法で説明したもの 

 

KP法とは「紙芝居プレゼン」の略で、読んだ内容を思い切り削ぎ落し、A4白紙の用紙に要約する方法で、図やイラストもOKと説明がありました。白紙にイラストOKの表現と聞いた瞬間、私にはグラレコの4文字が浮かびました。 

 

ジグソー法は、協同学習を促すために編み出された方法で、1つの長い文を3分割して、3人がそれぞれに担当部分を学び、学びをもちよって紹介するものです。分担したものをもちよることによって、ジグソーパズルを解くように全体像を浮かび上がらせる方法です。これを応用して、ABDでは、1冊の本を参加者人数分に分割したパートをそれぞれが読み、それぞれの要約を全員でシェアすることで本の全体像がわかるという仕掛けになっています。 

 

ABD体験

ABDの紹介を聞いて、ABDの手法はだいたいわかりました。が、実際に体験してみると、色々な気づきを得られるのが体験することの面白さです。

 

 (3)のABD体験では、本の「はじめに」のパートを4分割した原稿がテーブルに置かれていて、4人それぞれが各自のパートを読んで1枚の白紙に要約をまとめます。私のグループには3人しかいませんでした。あらかじめ想定した人数分に分割されているので、人数が足りない場合は成立しないのがABDの難しいところです。そこは、運営スタッフが参加することで人数あわせを行うように調整されていました。

 

 2ページという短い文章を読んで1枚の白紙に要約するのですが、3分という短い時間制限の中で行うので、いつにない集中力を要しました。私は、読みながら要点部分に線をひき、自分のパートを読み終えた時点で線を引いた部分からさらに厳選した内容をA4用紙に書き出しました。その際、イメージしやすくなるように、下手ながらにもイラストを加えました。文字だけで書かれたパワポがいかに興味をそがれるかを実感していたからです。 

 

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             はじめの部分をKP法で要約した例 

 

本の「はじめに」の部分には、その本が書かれることになった背景が記されています。この部分をABD体験で全員で共有すると、その後の本文をジグソー法で読む下準備になります。 

 

「はじめに」の部分を除いた本文の原稿が、参加者人数分の担当パートごとに原稿が分割されていました。書籍をコピーして分割するのは準備が大変です。参加者に書籍購入や持参を要請すると、興味はあるけど購入には至っていない参加者への門戸が開かれません。そこで、「組織にいながら自由に働く」の出版社は、ABD開催向けにゲラを無償提供しています。こういう出版社の後押しがABD読書会の広がりを後押ししていくことになると思います。

 

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  目次と担当パートごとに分割されたゲラ

 

 (5)の各自の担当パートを読む際に、私が担当したページは13ページでした。13ページを読んで5枚以内に要約する制限時間は20分でした。仲山さんの文章は読みやすいとはいえ、かなりハードなワークです。時間が制限されていたので、まるでセンター試験の問題を解くかのような集中力で読みました。さらに、アウトプットする前提で読むので、短時間でも読み飛ばしでなく理解しようという意識が働きます。この部分は個人ワークなので、自宅で読む時にも使えそうな気がしますが、みんなでやるからできるという集団のパワーがあってこそだと感じました。

 

 (6)のプレゼンタイムは、本の内容順に各自のパートを全員の前で90秒ずつで紹介します。これによって、自分が読むのは一部のパートだけでも全体像がわかるようになります。

 

 (7)の読後のシェアタイムでは、みんなで1冊の本を読んで終わりというだけでなく、気になったことや感想をシェアします。これはみんなで集まったからできる読書会の大きな利点です。

 

 ABDはワークショップ型の読書会で、個人ワーク、グループワーク、全体ワークがバランスよく混在していて、限られた時間の中で1冊の本を読むことと本を読んだ個人の感想をシェアすることまでができるようになっています。 今回の対象書籍は「組織にいながら自由に働く」で、この本はどこから読んでもわかるようになっていました。が、本によっては、前から順番に読んでいけば理解できるけれど、途中から読むとなんだかわからないというものもあります。例えば、小説などがそうでしょう。ですから、ABDに向く本とそうでない本があるように思います。ABD読書会がうまく機能するかは、そのプログラムの組み立てのみならず、どの本を対象にするかも大きな要因だと考えられます。ここは、ABDファシリテーターの力量が試されるところでしょう。

 

 広がる読書法

 

自己紹介をした時、同じグループになった人から読書に関して下記のような話を聞きました。 

・本を読むのが遅いので時間がかかってしまう

・最後まで読めずに途中でやめてしまう

  

読書が嫌いなわけではないけれど、なかなか本が読めない理由としてよく聞く話です。

 

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        様々に広がる読書法

 

読むのが遅いという課題に関しては、速読法やオーディオブックという読み方が開発されています。最後まで読み切れないという課題に関しては、みんなで分担して読む輪読や読書会という読み方が開発されています。 「1人読み」という読書法から、速く読むという方向性とみんなで読むという方向性の2つの方向に読書法が広がっているように思います。この中で、ABDは両方向への広がりをもった読書法と位置づけられます。最近、ワークショップ型の様々な読書会の開催案内を見かけますが、細かい手法の違いはあれ、おそらくはそれらも速くとみんなでの方向性に位置づけられるものと推測されます。 

 

本というメディア自体は変わらないのに(電子書籍という形態の変化はありますが)、その読み方のバリエーションがこれほどまでに広がっているのは、本には大きな価値があると認めているからでしょう。そして、その価値を様々な方法で引き出そうとしているからでしょう。本に変わる新しいメディアが次々に誕生しても、本というメディアの価値は他には置き換えられないものであることの証左であるとも言えます。 

 

本の読み方を選ぶ時代へ

ABDは1人読みに比べて、速くみんなで読めるという特徴があります。1人読みよりもいいことづくめのように見えますが、果たしてそう単純に片づけられるものでしょうか。ABDで確かに全体像はつかめますが、一言で言うと「目次以上全文未満」です。私達が本を読むことを通して吸収するのは本の内容だけではありません。文章の中に現れる珠玉の言葉や文体といったものも本を通して自分の中に取り入れていきます。ABDでは、自分が担当したパート以外は、要約はつかめても著者が魂をこめて精選した言葉や文章に触れることはできません。また、本を通してひとりでじっくりと自己と対話することもABD読書会の短時間の中ではできません。 

 

ABDを含んだ読書会は、他者を必要とします。そうなると複数人が集まる読書会の場所が必要になります。読む時間を自由に決められず、複数人の予定があう日程の調整が必要になります。一方、1人読みはひとりでじっくりと読む時間を要します。本を通じて徹底的に自分に向き合うことが必要になります。つまりは、ABDと1人読みはどちらが読書法として優れているかではなく、トレードオフなのです。だとすれば、どちらかをあきらめるというのではなく、まずはABDでざっくりと全体像をつかんでから、気に入った本はさらにじっくりと1人読みするという組み合わせもありです。 

 

新しい読書法が開発されたおかげで、私達は本を読むことに関して更なる自由を手に入れました。これからは、どの本を読むかだけでなく、どのように読むかも選べる時代になったのです。 

 

発見と学びの旅はこれからも続きます。

アドラー心理学に学ぶ人間理解

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2019年初回の孫子女子勉強会は、特別講師として熊野英一さんをお迎えしての勉強会でした。熊野さんは、田中先生の教え子であり、かつ、アドラー心理学にもとづくコミュニケーションを伝えるプロフェッショナルということで、この日のテーマは「アドラー心理学に学ぶ勇気づけコミュニケーション」でした。

 

このテーマへの関心が高い人が多く、参加者はいつもにも増して多く集まりました。私もこの日は何としてでも参加したいと積み上がる仕事を投げ打って、開始時刻に間に合うようにと会社を出たにも関わらず、こともあろうに反対方向の電車に乗ってしまい、結局は30分も遅刻してしまうという失態をやらかしてしまいました。あーやってしまったという何とも残念な気持ちを抱えたまま、いつもの貸し会議室に入りました。急いで席について、話に耳を傾け始めるやいなや、電車の乗り間違えなどはすっかり忘れてしまうほどに熊野さんの提供する話題に夢中になりました。

 

 

アドラー心理学とは

アドラー心理学オーストリア精神科医であるアルフレッド・アドラーが打ち立てた心理学の理論です。「勇気づけ(encouragement)」がキーワードになっています。

勇気づけとは、

・困難を克服するチカラを与えること

・自分の課題に向き合えるように援助すること

とされています。

 

親子関係で言うと、ほめない、叱らない、教えすぎないことを推奨し、子どもを操作できる対象とみなさないという立場をとります。

 

放任と見守る

私が大部分を聞き逃した前半のお話が一段落したところで、質問タイムがもうけられました。孫子女子勉強会では、聞きたいことがまとまっていなくても自分の思うがままの質問を発することができる心理的安全性が保たれています。この日は、それぞれに日頃から抱いていた疑問が場に提供されました。

 

興味深かったのは、「◯◯は英語では何と言われていますか?」という質問が複数出たことです。日本語は多義性に富んだ言葉が多くあります。外国からもたらされた新しい概念は、訳された日本語の言葉だけではどうも意味がつかみづらい時があります。そんな時は、訳される前の言葉を知ることで、概念を正しく理解できるようになります。アドラー心理学をより理解したいという知的欲求に満ちた空気が感じられる勉強会でした。

 

私も積年の疑問が解けそうな気がして、質問しました。

子どもがお世話になった高校は本当に素晴らしい高校でした。入学式の日、生徒が担任の先生に連れられて教室にもどった後、保護者は体育館に残って学年主任の先生からのお話を聞きました。その時に、言われました。

「これからは、お子様の自立に向けて保護者の皆様は3Mを実践してください。3Mは『待つ、任せる、見守る』です。もし、子どもが成績表を親に見せなかったとしたら、『見せなさい」と言って無理矢理見ようとせずに、見せたくないんだなと思ってそっとしておいてください。お子様の学習については私たちが責任をもちますから」

 

私たち保護者は先生がおっしゃったことを忠実に守って、子どもが見せなかった成績表を見ることもなく卒業を迎えました。3年生になるまでは子ども達は、部活や遊びにあらん限りのエネルギーと時間を注ぎ込んでいました。3年生になると、クラスの中から1人、2人と勉強に向かい始める生徒が現れ、その影響が波紋のように広がって、最終的にはクラスが集団となって受験に向かう態勢ができていました。

 

先生がおっしゃった3Mを保護者が実践したことが、子どもの自立を支えたのだと思います。入学式で3Mのお話を聞いた時、確かにそれが保護者としてとるべき姿勢だと感じました。が、一方で、3Mは放任ではないかということがずっと引っかかっていました。この違いは何でしょうか?

 

熊野さんは、ホワイトボードに「待つ、任せる、見守る」と「放任」と書いて、まるで私の質問を事前に知っていたかのように、「この2つの間には明確な違いがあります」と即答しました。結論としては、関心を持っているか、もっというと、相手の関心に関心を持っているかどうかの違いとのことでした。

 

放任と3M、付け加えて過保護との関係を図で表すとこんな感じです。

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放任と3Mは違うことは理解していましたが、その違いを明確に言語化できないモヤモヤをずっと抱えていました。熊野さんの解説で積年の疑問がスカッと晴れました。

 

信用と信頼

放任と3Mと同様に似て非なるものに、信用と信頼があります。信用と信頼についても、熊野さんはその違いをすっきりと説明してくれました。信用と信頼の違いは条件の有無にあると。

 

信用と信頼の違いを図に表すと、こんな感じです。

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その話を受けて、勉強会仲間がすかさずに補足のコメントをしました。

「相手を信頼していることは説明できない。根拠がないんです。説明できるとしたら、その説明ができなくなったら信頼しなくなるということですから。それは信頼じゃないんです」

さらに続けて、田中先生が「信頼」について非常に深い示唆的なコメントをくれました。

「英英辞典で信頼を調べたことがあるのですが、信頼というのは、される側のことを指すのではなく、信頼する側の腹のすわり具合のことを指すと書かれてあるんですね」

 

私が孫子女子勉強会が大好きなのは、こんな風に、講師からの話をただみんなで聞くだけでなく、それぞれが自分の考えや関連した内容ををその場に差し出すことによって学びの深度がぐんと深まるからです。それは自分一人だけでは決して得られない学びの感覚です。

 

この話を聞きながら、私は自分が子育てのまっただ中にいた時の気持ちを思い出していました。子どもは色んなことをやらかします。時には子どもらしいことを、時には全く理解不能なことを。そのたびに私の脳裏には「私は今、親として試されている。この状況でもこの子を信じられるかを」という言葉が浮かんでいました。子どもが何をしでかそうと子どもを信頼できるかを何度も試され、そのたびに私は信頼するということを体得していったのです。

 

勇気づけ

アドラー心理学のキーワードは勇気づけです。人間は自己理想に向かって伸びていこうとするチカラを本質的にもっているのだから、他者は手を貸すのではなく、勇気づけによって自走することを後押しするというのがアドラー心理学の立場です。

 

アドラー心理学では、勇気づけは「困難を克服するチカラを与えること」とされています。このお話を聞いた時、熊野さんも書籍で書かれているように、アドラー心理学は子育ての心理でもあるとわかりました。私が子育てでぶつかったエピソードを思い出したからです。

 

子どもがいよいよ高校受験の志望校を確定させなければいけない時期にさしかかった頃でした。塾には通っていませんでしたが、せめて冬期講習ぐらいは行ってもいいのではと、冬期講習の説明会に子どもと参加しました。参加者アンケートで志望校を書く欄で、子どもの手がとまっています。子どもの志望校はかなり前から1校にしぼられていたので、おかしいなと思って尋ねました。

私「志望校、書かないの?」

子「もうあの学校には行けない」

私「どうして?」

子「内申点が悪かったから、もう無理」

私「・・・」

 

そんなことならもっと早く言えばいいものを、なぜこのタイミングまで黙ってたのかと言いたい気持ちをぐっとこらえました。私もショックを受けましたが、それ以上に子どもはショックを受けていたであろうことが想像できたからです。

 

子どもの前に立ちはだかった試練に対して、親としてどう向き合うべきかに悩みました。「内申点が悪くても志望校を受験するよう励ましても合格する確率は低い。不合格のつらさを味あわせるよりは、無難に合格できる高校へと進路変更を促した方がいいのだろうか。そうやって困難から逃げて、志望ではない高校への合格を果たしたとしても、それが子どもにとって果たして良いことなのだろうか」そんなことが頭の中をぐるぐるかけ巡る日々でした。

 

そうやって私が悩んでいた時にある言葉に出会いました。その言葉はまさに「勇気づけ」のことを指していました。そして、私の腹は決まりました。

「教育とは子どもに困難をさせないことではなく、子どもに困難を乗り越えさせることだ」

 

また、勇気とは不完全な自分を認めることとされています。つまり、不完全な自分を認める勇気をもつからこそ、その不完全さを埋めるべく伸びていこうとすることができるのです。

 

自分が完璧な人間だと思っていたら、もうそこから先の成長はありません。人間は決して到達し得ない理想に向かって永遠に成長し続ける存在であり、だからこそ生涯学び続けようとするのです。自分が不完全であることを恥じる必要など全くなく、むしろ、不完全であるからこそ成長しようとするのです。不完全であるからこそ、お互いに助け合おうとするのです。

 

アドラー心理学に学ぶ人間理解

勇気づけによって精神的に自立した人間になることができるとアドラー心理学は説きます。子育ては子どもの自立に向けた営みです。つまりは、言葉で言ってしまうならば、「親から子どもへ勇気づけのコミュニケーションを行うこと」というたった27文字で表せることです。けれども実際には、これほど難しいことはないと思います。なぜならば、子育ては、この世で最も愛おしい存在である子どもが自分から離れていくことを目指す矛盾をはらんだ営みだからです。子育ては親育てであると言われるのは、この子育ての矛盾を昇華させるプロセスで親自身が人間として成長していくからです。

 

アドラー心理学は人間への絶大なるリスペクトをベースにしているというのが私の理解です。手を差しのべなくても、自分のチカラで自立していくのが人間であるという信念をベースにしているのがアドラー心理学です。たとえ今がどうであろうと、信頼することによって信頼にたる存在になっていくのが人間であるという信念をベースにしています。

 

アドラー心理学に関心をもつ人が多いのは、人間の悩みの大部分を占める人間関係にダイレクトにきくコミュニケーションを扱うものだからでしょう。今回の勉強会でコミュニケーションへの理解が進みましたが、わかるとできるの間には大きな隔たりがあります。アドラー心理学で学んだ勇気づけのコミュニケーションを実践できるように精進しようと思います。

 

発見と学びの旅はまだまだ続きます。 

パフォーマンスを上げる最強の方法

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慶應SDMの前野先生のFacebook投稿で、フローに入るメソッドを体験できる「フロー体験ワークショップ」が開催されると知って、直感的にピンときました。直感は大当たりで、想定外含めて多くの気づきが得られました。

 

 

フローの概念

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       フローについて説明する前野先生

 

はじめに、前野先生から、チクセントミハイ教授が提唱したフローの概念の紹介がありました。フローとは「タスクに集中し、時間や身体感覚がなくなるほど没入している状態」を言います。スポーツの分野ではゾーンと呼ばれたり、働き方の分野ではワークエンゲージメントと呼ばれたりします。

 

フローといってもその没入感には濃淡があり、集中力が増している小さなフロー状態から、完全没入の大きなフローまで色々あります。

 

チクセントミハイ教授はフローになる条件として下記3つをあげました。

(1)目標が明確である

(2)迅速なフィードバックがある

(3)スキルとタスクの難易度のバランスがとれている

 

特に(3)の条件の調整が重要であり、スキルに比べてタスクの難易度が低ければ退屈になり、反対にタスクの難易度が高ければストレスになります。退屈ゾーンにいるならば、難易度の高いタスクにチャレンジすることでフロー状態になれるし、不安ゾーンにいるならば、スキルをあげてタスクに取り組むことでフロー状態になれるとしています。

 

フロー体験エクササイズ

ここからは前野先生のもとでフローへの入り方を研究している針谷さんにバトンタッチになりました。針谷さんはこれまでに3回、フロー体験をしたことがあるそうです。

1回目のフロー体験は7歳の時。小学校の運動会のリレーで、2位でバトンを受け取った針谷さんは、あるコーナーを回ったところでそれまで聞こえていた応援の歓声が全く聞こえなくなったそうです。それから、自分の前にいる1位の選手が動きがスローモーションで見えて、自分はそれまでと同じスピードで走っているので追い越せると確信して実際に追い越したそうです。追い越した後は、聞こえなくなっていた歓声がまた聞こえるようになったそうです。

 

音が聞こえなくなるとか、スローモーションで見えるとか、7歳にして完全没入のフロー体験をされたことが針谷さんをフローの研究に導いたのでしょう。

 

f:id:n-iwayama:20181202231804j:plain        エクササイズについて説明する針谷さん

 

針谷さんのフロー体験の紹介の後は、今日のワークショップの流れの説明に移りました。7つのフローに入るエクササイズを行い、それぞれのエクササイズの後で2桁の足し算20問を時間を測って解き、答え合わせをするというのが大まかな流れでした。

 

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    フローへの入り方について書かれた本

 

7つのフロー体験エクササイズ

① 呼吸法 by 石川善樹さん

② シンクロジャンプ by 松葉健司さん

③ レジェンドブレス by 葛西紀明さん

④ 雑談 by 茂木健一郎さん

⑤ 呼吸法 by 室伏広治さん

⑥ 呼吸法 by パトリック・マキューンさん

⑦ コピー&シンクロ法 by 針谷さん

 

①~③、⑤~⑥は個人エクササイズで、指示通りに呼吸法等をやってみましたが、特にフロー的感覚の変化を感じることはありませんでした。

 

④と⑦は近くの人とペアを組んで行うエクササイズ。④の雑談エクササイズは、ペアを組んだ人と5分間何でもいいので雑談をするというもの。⑦のエクササイズは、はじめの1分は一方の身体の動きをコピーして同じ動きをし、次の1分は立場を交代、最後の1分はどちらがリードするわけでもないけれどもお互いにシンクロして同じ動きをするというもの。

 

たまたま私の前に座っていたのが、なんとあのオリンピックメダリストの田中ウルヴェ京さん!ということで、私は京さんとペアを組んでエクササイズを行うという幸運に恵まれたのです

 

⑦のエクササイズは身体を使ったもので、こんなポーズ、あんなポーズとお互い笑いながら楽しく取り組みました。最後の1分のシンクロエクササイズは、シンクロナイズドスイミングのプロフェッショナルである京さんとシンクロな動きをするというこの上ない光栄な機会でした。どちらがリードするというわけでもなく、なんとなくシンクロした動きになるのが不思議な感覚でした。身体を使うということもあって、フローとまではいかなくてもかなり夢中になって楽しめました。

 

⑦のエクササイズにも増して、夢中になったのが④の雑談エクササイズでした。お互いに挨拶をしてから、「何について話しましょうか?」と京さんが言ったので、私は間髪をいれずに「今日のテーマであるフローについて話しましょう」と提案しました。そこから、京さんのフローのお話を独り占めして聞くことになったわけです。

 

あえてフローに入らない

京さんの話しはじめの一言が衝撃的でした。

私はあえてフローに入らないようにしています

と京さんは言いました。

 

えっ、フローに入らないようにしている?この時、何の疑いもなく、フローに入ることはいいことで誰もがそれを望んでいるという前提をおいてしまっている自分に気がつきました。誰もそんなことは言っていなかったのに。この瞬間から、著名人とお話できてラッキーなどという気持ちはすっとんで、京さんが語る言葉にぐいぐいと引き込まれていきました。

 

18歳のオリンピック競技中にフローを体験しました。自分で身体を動かしているのではなく、身体が自然と動いている感覚でした。その時の評価は高かったです。でも、22歳のオリンピックの時にはあえてフローに入らないようにしました。ひとつひとつの演技を自分で丁寧に行いたかったからです。

 

私は

「フロー状態になると無意識的になると言ってましたよね。それは自分でコントロールしているという感覚とは違ってきますよね」

と相づちをうちました。

 

フロー状態でパフォーマンスが上がることよりも、自分の意識下で自分の納得のいく演技を行うことに価値をおく。超一流の思考は私達の想像を超えたところにありました。

 

その後は、フローへの入り方は画一的ではなくその人にあったものがあるのではないかなどと、フローに関するお話をあれこれしていたら、あっという間に5分が経ってしまいました。

 

パフォーマンス向上体験

そして、雑談を終えた後に、さらに京さんの驚異的な能力を知ることになったのでした。

 

ワークショップでは、フロー体験の効果測定のために、エクササイズ直後に20問からなる2桁の足し算の課題に取り組む必要がありました。私は与えられた課題として淡々とこなしました。①~④のエクササイズ後の計算に要した時間はどれも約50秒でした。

 

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        課題となった計算問題

 

久しぶりにこういう計算をやると計算の感覚忘れてるなあとか、計算遅くなったなあとか、使わないスキルは衰えるんだなあという、フロー体験とは全く関係のない感想が自分の中にわきあがりました。

 

そして、そもそもこの計算課題でフロー状態に入るということに無理があるのではないかという疑問がよぎりました。京さんとの雑談エクササイズ後の計算課題を終えた時、同じく課題を終えていた京さんに

「このタスクでフローに入るというのも難しいですよね」

と話しかけました。それに対して返ってきた答えが、

「私、この計算問題に楽しんで取り組んでいるの。1回目のタイムは1分28秒だったんだけど、今のタイムは39秒まで短縮したの♪」

だったのです。満面の笑みを浮かべながら。

 

ええっ!!!たった数回でタイムが6割以上も短縮された?!京さんの驚異的なパフォーマンス向上に、あえてフローに入らないと聞いたこと以上に衝撃を受けました。超一流のアスリートはその競技種目に対してのスキルが高いだけでなく、どんなことにも取り組む姿勢そのものが優れているのだと感動しました。

 

京さんの驚異的なパフォーマンス向上の話を聞いて、私の好奇心はおおいに刺激されました。5回目の計算課題に取り組む時、せっかくのこの時間を単にやらされ課題として取り組むのはもったいないと思考を転換し、課題に取り組む時間を楽しむことにしたら何がおこるかを試してみたくなりました。試してみることで何がおこるかと思うと、計算問題に取り組むことにワクワクした気持ちになり、実際、それ以前よりも明らかに夢中になって取り組めました。その結果、なんと28秒というタイムが出ました。京さんほどではありませんが、50秒から28秒ですから、約4割もタイムが縮まるという結果になったのです。これには私自身が驚きました。

 

4回目まで計算課題に取り組んだ際、決して、手を抜いていたわけではありません。でも、自分の全力は出し切っていなかったのでした。5回目はおそらく全力を出し切れたのだと思います。手抜きしているわけでなくても全力を出し切れない時があり、全力を出し切れる時とではこんなにもパフォーマンスは違ってくるものなのです。

 

パフォーマンスを上げる最強の方法

これほどのパフォーマンスの違いが出たからには、何が理由だったのかを明らかにしないわけにはいきません。そもそものフロー理論とあわせて、パフォーマンス向上へのアプローチを整理してみました。

 

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    タスクのパフォーマンス向上へのアプローチ

 

もともとのフロー理論では、タスクの難易度とスキルのバランスがとれているとタスクに没入するフロー状態になるというものです。ここでは、タスクに没入するとタスクのパフォーマンスは上がる前提で考えます。したがって、タスクのパフォーマンスを上げる問題は、いかにしてフロー状態に入るかという問題に置き換えられます。

 

フロー状態はタスクの難易度とスキルのバランスによるものなので、タスクの難易度かスキルを調整するとフロー状態に入れることになります。ところが、私たちが日々向き合う仕事や生活上のタスクでは、その難易度を調整するのはなかなか難しかったりします。また、スキルも一朝一夕には向上するものではありません。そうすると、現実問題としてフロー状態に入ることは難しくなります。

 

そこで、タスクやスキルとは関係なくフロー状態に入る方法を使うことが考えられます。今回のフロー体験ワークショップでは、針谷さんが編み出したメソッドを含めて、フローに入るメソッドを体験するものでした。が、体験してみた実感としては、どのメソッドでもフロー状態に入ることはなかなかに難しいということでした。京さんとペアワークを行った④と⑦は、そのエクササイズそのものに夢中になれた感覚はありました。これをフローと呼べなくもありません。けれども、その状態がその後に行う計算問題を解くというタスクを行う時にも続いているかというと、決してそんなことはありませんでした。異なるタスクに切り替わった途端に、夢中になれた感覚は消えていました。

 

京さんの驚異的なパフォーマンス向上のお話を聞いた後、計算問題のタスクの難易度も私のスキルも全く調整していないにも関わらず、私もパフォーマンスが明らかに上がる体験をしたということは、私がフロー状態になったからと仮定をおくことができます。では、なぜフロー状態になったかと言うと、取り組むタスクにお試しの要素を自分で追加したからです。私の場合は、京さんに触発されて、課題を楽しんでみるというお試し要素を追加しました。人間は試したことの結果を知りたくなるものです。結果に関心が向くということは、そのプロセスに夢中になる、つまりはフロー状態になるということです。

 

このことから言えるのは、取り組むべきタスクが例えルーチン的なものでも、何かを試すような要素を追加してみることで、小さくてもフロー状態をつくり出し、パフォーマンスを上げられるということです。お試し要素を追加することは、タスクに意味を見出すこととも言い換えられます。タスク自体にも自分のスキルにも変わりがなくても、自分の思考をほんの少し転換するだけでフロー状態に入れるのですから、最小コストでパフォーマンスを上げられる最強の方法と言えます。

 

仕事にも日常生活のタスクにもこの考え方を取り入れれば、パフォーマンスをあげられるだけでなく、楽しく取り組めそうです。早速、色々と試してみたいと思います。そう思っただけで、ワクワクする気持ちがわいてきます。ああ、直感に従って、ワークショップに参加して本当に良かった。これからも直感に従うことを大事にしようと思います。