売り方のイノベーション

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新刊書籍の発売日前日に著者のサイン入り書籍が郵送で届きました。届いた書籍は、楽天大学学長であり、自由すぎるサラリーマンとして知られる仲山進也さんの「組織にいながら、自由に働く。」です。この書籍を手にとった時、これは売り方のイノベーションだと感じました。

 

発売前に新刊書籍が届いた理由

ある書籍をテーマにした読書会は色々なところで開催されています。著者のサイン入り書籍を読書会で購入する、あるいは、あらかじめ書籍購入を前提として読書会に参加し、読書会で著者にサインをもらうということは珍しくありません。この場合、読書会は書籍発売後に行われるのが一般的です。

 

今回、発売前に新刊書籍が郵送されてきたのは、書籍発売前に開催された読書会に参加したからです。この読書会参加には参加費が必要でしたが、希望者には新刊発売と同時に書籍が送られてくることになっていました。つまり読書会参加者は読書会参加と同時に新刊を予約購入したというわけです。

 

一般的な書籍発売と読書会の流れと今回の場合の流れを図にしたものが下記になります。

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プロセスの順番が入れ替わっただけに見えますが、そこには大きな違いがありました。その違いを理解するためには、発売前読書会の構造を読み解く必要があります。

 

発売前読書会の構造

発売前読書会のプレーヤーは著者と参加者(読み手)になりますが、それぞれが提供したものと得られたものを整理すると下記になります。

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発売前読書会参加者へのアンケートがこれでした。著者からすれば、書籍のタイトルを決める前に読み手からこの情報が得られるのはどれほど貴重なことでしょう。

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     発売前読書会のアンケート用紙

  

著者、参加者それぞれが、持てるものを発売前読書会に差し出し、その結果、それぞれが自分だけでは得られないものを発売前読書会から得たというわけです。今はやりのワードでいうと、発売前読書会は著者と参加者の共創の場とも言い換えられるでしょう。

 

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          発売前読書会の構造

 

発売前読書会の価値はそれだけにとどまりません。発売前読書会参加という特別な体験をした参加者は、書籍はもちろん著者のファンになるというおまけつきです。書籍の中味をチラ見して、まだ読んでもいないうちから書籍への期待は否が応でもでも高まります。直に話を聞いて著者の人柄に触れて、著者のファンにもなります。

 

 

ファンによるクチコミ発信の効果

書籍と著者のファンになった参加者の手元に発売と同時に著者のサイン入り書籍が届くと何がおきるでしょうか。新刊書籍の写真がアップされ、著者である仲山ガクチョがタグづけされたFacebook記事が次々に流れてきます。

 

発売前読書会は2回行われたそうですが、2回あわせた読書会参加者の人数はどんなに多くても100人に満たないでしょう。100人にも満たない人が書籍のファンになってSNSに投稿したところでどうなるものでもないと思うかもしれません。

 

佐藤尚之さんの著作「明日のプランニング~伝わらない時代の伝わる方法~」には、こう書かれています。

・2010年に世界中で流れた情報は1ゼタバイト(世界中の砂浜の砂の数)を超えた(情報砂の一粒時代)

・情報砂の一粒時代の人は、友人・知人からの言葉でしか動かない

・友人・知人の勧めが人を動かすのは、誰からも頼まれない友人の「本音の言葉」「自然な言葉」だから

 

つまり、情報が溢れる時代には、著者や出版社から情報を発信するよりも、書籍や著者のファンになった発売前読書会参加者からその友人・知人に自然な言葉で発信するクチコミの方が伝わるというわけです。そこからさらにクチコミが広がっていくことを考えると、最初にクチコミをしてくれる人数は少なくても、そこから友人・知人の熱意を伴ってソーシャルグラフに拡散されて、結果として多くの人に伝わるというわけです。

 

発売前読書会は売り方のイノベーション

発売前読書会というアイデアは売り方のイノベーションと言えるでしょう。タイトルはその書籍の売上を左右する重要なファクターです。どんなタイトルが読み手に刺さるのかは、読み手に聞くのが一番確実です。読み手である参加者は、自分の書いたタイトル案が採用されるかもしれないという期待をこめて、真剣に考えてアンケートに回答しました。このアンケート結果から読み手に刺さるタイトルのヒントが得られたに違いありません。

 

さらに、発売と同時または発売前にサイン入りの書籍、しかもその中味の一部を著者自身から聞いたものが届いたという特別な体験は、参加者の書籍への愛着を増すに違いありません。それが、参加者に書籍についてのSNS投稿を促したのでしょう。

 

発売前読書会というアイデア自体は誰でも実行できそうに思えますが、実際のところは誰にでもできることではないでしょう。なぜなら、発売前読書会の参加者を集めることは簡単ではないからです。今回、楽天に出店している店舗の方が何人か参加していました。仲山ガクチョの発売前読書会なら参加しようという人が何人か存在していたからこそ成立したと言えます。

 

さらに、この読書会の参加者が、著者すなわち仲山ガクチョのファンになったのは、ひとえに仲山ガクチョの人間的な魅力ゆえだと思います。私は読書会で初めて仲山ガクチョとお会いしましたが、事前にもっていたイメージとはずいぶん違っていました。流れるように流暢に語る話術で人を惹きつけるイメージを持っていましたが、実際は淡々と静かに語る方でした。ただし、発する言葉には誠実さを感じました。読書会に参加しての感想は「書籍の内容の役立つ話が聞けて良かった」ではなく、「仲山ガクチョの話が聞けて良かった」でした。売り方のイノベーションの本質は、どう勧めるかというより、誰が勧めるかということだと思います。

若者は時代を映す鏡

「今どきの若者は・・・」というのはいつの時代にも言われることです。最近、臨床栄養学の研究をしている大学院2年生の長男を見て私自身もそう思いました。ただし、「・・・」の部分はネガティブな意味ではなく、ポジティブな意味で。そう思ったいくつかのエピソードをここに記しておきます。

 

テクノロジーへの感性

大学院で研究する中で、離れた場所で生活する栄養指導が必要な人との連絡手段がいまだに紙を使っていることに長男はいたく驚いたそうです。そのことに関して会話した際の長男のセリフは「なんでテクノロジーを使わへんねん!」でした。その言いっぷりから、どんな理由もテクノロジーを使わないという理由にはなり得ないと思っているようにさえ感じられました。デジタルネイティブ世代の彼にはテクノロジーを使うことによる圧倒的な利点が感覚的にしみついているのでしょう。

 

栄養学を専攻して、管理栄養士の資格を取れば、大学や大学院からの紹介で病院の管理栄養士の職に就くというのが通常のキャリアルートになりますが、研究を通して現場の実際を知った長男は、こんなやり方をやっていたら栄養指導を通じた健康への貢献ができるのにどれだけ時間がかかるかわからないと、大学院卒業後の進路は民間企業にと決意したそうです。今やネットで世の中の動きを誰でもキャッチできるようになったおかげで、長男もご多分にもれず、ネットからの影響を受けて、それも進路の舵を切ることを後押ししたようです。血糖値が測れるウェアラブルバイスのことを知って医療を受ける仕組み自体が変わると感じたり、栄養学の知識を持っているだけでは管理栄養士の仕事はAIに置き換えられると思ったと言っていました。

 

そんな話を聞いていたので、ヘルステック系ベンチャー企業の資金調達が活発化しているニュースの情報を送ったLINEへの返信がこれでした。

 

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正直、この反応にはちょっと驚きました。まだ社会に出ていない学生が言う言葉とは思えなかったからです。

 

今どきの就活

通常ルートとは違う道を進むと決めた長男は、就職希望する民間企業を自力で探し始めたそうです。いわゆる就活です。就活の話を聞いていると、今どきはそういうやり方もあるのねという驚きを感じました。

 

長男の就活はこんな感じでした。

 

まずはじめに就活の入り口がWantedlyなのかという驚きあり、Skypeで面談するのかという驚きありで、はるか昔の自分の頃の就活とは全く違う就活のやり方に驚くばかりでした。

 

今どきインターンシップ

大阪で下宿している長男は、最終的に、東京にある2社で大学院の研究を1ヶ月休めそうな夏にインターンシップをすることになったそうです。1ヶ月の間に2社でインターンシップと聞いたので、てっきり2週間ずつインターンシップに行くのかと思いきや、1週間のうち2日をA社に、残りの3日をB社にというスケジュールでインターンシップを行うことをそれぞれの会社との調整で決めたそうです。インターンシップ期間の複業的な働き方の発想はなかなかあっぱれです。

 

さらに、1社からは、オンラインでできるインターンシップも提案されたそうで、6月からオンラインインターンシップも始めるそうです。

 

企業を見る視点

同じヘルステック企業でもアプローチが違う2社でインターンシップをすることになった長男は、インターンシップ後に就職希望の企業を決めようと考えているようです。両方の企業の創業者と面談して健康へのアプローチの考え方を聞いた長男は、どちらの企業にも魅力を感じてはいるものの、自分なりにもっている考えからすると、「A社は俺が生きている間にはなくなっていると思う」と感じたそうです。

 

まだ社会人になっていない学生が、企業を見る時に、その企業の存続期間を自分の人生の長さと比較してみるという発想に驚きました。自分が学生の頃には、その企業があとどれだけ存続しそうかを考えるという発想自体がありませんでしたから。

 

若者の思考行動様式は時代を映す鏡

長男の思考様式や行動様式を見聞きして、自分が今学生だとしたら果たしてそのような思考行動ができるだろうかという思いがよぎりました。今どきの若者はたいしたもんだとも思いました。けれどもよく考えてみると、若者の思考様式や行動様式は、鋭敏な感性でその時代の潮流を感じて吸収した結果ではないかと思えるのです。

 

新しく生まれたテック系ベンチャー企業のサービスが瞬く間に社会に浸透していくかと思えば、老舗企業の倒産や事業売却も珍しいニュースではなくなり、企業のマーケットでの入れ替わりを当然と認識する。「AIが仕事を奪う」「人生100年時代」「働き方改革」などのキーワードがこれでもかというくらいに飛び交い、肌身にしみてゆく。日常的に携帯するスマホを通じて新しいテクノロジーを当たり前のように使う。そういったことが自然と若者の思考様式や行動様式に反映されていくのではないでしょうか。言い換えれば、若者の思考や行動を見れば、今という時代が見えてくるということができます。年を重ねると、自分の経験したことからなかなか脱皮できずに時代の潮流を読めないことがおこってしまいがちです。私達はもっと若者から学ぶべきなのだと思います。

コミュニティの力

 

4月7日(土)、高松駅近くに位置して瀬戸内海を一望できるNPO法人瀬戸内こえびネットワークの事務所にて、バースデーカードをつくる活動に参加しました。このアナログで地道な活動が地域力を高める大きな力になっていることは、参加したからこそわかったことでした。

 

島のお誕生会とバースデーカードづくり

2010年に開催された瀬戸内国際芸術祭の作品のひとつとして、豊島の集落の空き家を建築・再生して島キッチンが生まれました。島キッチンにはオープンなテラスがあって、イベントやワークショップが開催できるようになっています。

 

島キッチンのテラスなどを利用して2014年から毎月、「島のお誕生会」が開催されています。島のお誕生会は、ゲストを招いた催しと開催月生まれの人を参加者みんなでお祝いするというもので、豊島の人と島外の人の交流の場となっているそうです。島のお誕生会に参加した人のうち、その月に生まれた人に配られるバースデーカードは、こえび隊(瀬戸内国際芸術祭のボランティアサポーター)によって作られています。私はこえび隊として、このバースデーカードづくりに参加したというわけです。

 

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    今回つくったバースデーカードのデザイン

 

バースデーカードづくりは、これまで平日の夕方に行われていたそうですが、今回、新しい試みとして土曜日の10:00~16:00、途中参加/途中退室OK、飛び入り参加OKで行われました。途中参加の人も含めると最終的に8人が集まり、楽しくおしゃべりしながら和やかな雰囲気の中でのバースデーカードづくりになりました。

 

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      バースデーカードづくりの様子

 

この活動のリーダー的なこえび隊メンバーが2人いて、1人は小学校の先生を定年退職した方でした。白い画用紙、色画用紙、シール、マスキングテープ、メッセージカードを組み合せてつくるバースデーカードのデザインは、教室の飾り付け作成で培った専門的スキルをいかして、元先生がつくってくださったものでした。

 

私達は一通りのつくり方の説明を受けた後は、それぞれがシールやマスキングテープを貼り、カードを作成していきました。メッセージカードにメッセージを書く人が必要だったので、途中からは、私ともう一人がメッセージを書く担当になり、カードにマジックで文字を書き続けました。手書きすることがめっきり少なくなったこの頃、こんなに文字を書き続けたのは久しぶりで、ペンだこができそうになりました。

 

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         メッセージカード

 

1時間のランチタイムとおやつタイムをはさんで、約5時間近くの間、こえび隊メンバーでせっせとバースデーカードづくりに励みました。最終的に60枚近くのバースデーカードが出来上がり、2~3ヶ月先の島のお誕生会までの分のストックができました。

 

島のお誕生会がプラットフォームになる理由

今回、バースデーカードづくりに参加して、島のお誕生会はプラットフォームなのだとわかりました。

 

バースデーカードに参加したこえび隊は8人。遅れてきた人はいるけど、まあそれはおいといて、8人が5時間かけてつくったバースデーカードが60枚なので、1人あたり1時間につくったバースデーカードは1.5枚の計算になります。今はやりの生産性という観点では、ずいぶん生産性の低い活動と言えなくもありません。何種類ものシールやマスキングテープや画用紙の材料費コストも考慮に入れると、おそらくは100円ショップに売っていると思われるバースデーカードを買ってきた方が効率的かもしれません。参加者がボランティアとはいえ、募集をかけることだって手間なはずです。

 

バースデーカードづくりの活動をバースデーカードというアウトプットが目的と見ると見誤ります。参加者はバースデーカードをつくるという作業を行いましたが、それだけのために参加していたわけではないことは活動中の会話からわかりました。

 

参加者の2人は岡山県から船に乗ってやってきていました。1人は愛媛県から電車に乗ってやってきていました。香川県内からの参加者も高松市以外からそれなりの時間をかけてやってきた人がいるようでした。みんなで食べようとおやつも持ってきてくれた方がいました。活動の場にやってくるためにかかる時間と費用を負担してもなおその活動に参加するという意味を感じているからこそ、遠方からはるばるやってくるのでしょう。

 

作業をしてアウトプットするというだけの目的のためなら、一通りの説明を聞いた後に各自が持ち帰って自宅で作業した方がいいかもしれません。でも、参加者の目的はそうではありません。リーダー的存在の元小学校の先生はこんなことを言っていました。それはそれは嬉しそうに目を輝かせて。

「こえび隊の活動で私の第二の人生がひらけた。次はどんなバースデーカードにしようかと考えるのが楽しくて楽しくてしかたがない。バースデーカードに貼るための飾りを折り紙で家で折り続けて腱鞘炎になったこともあるの」

 

そして、次のバースデーカードの案もできつつあるようでした。介護施設の職員さんから教えてもらったという、開くと立体的に蝶が浮かび上がる飛び出すカードの見本を持ってきて見せてくれました。生活の中で常にカードづくりのネタを探していて、それが毎日の暮らしをいきいきとさせている様子が伝わってきました。

 

生産性を上げるためにもくもくと手を動かすのではなく、こんな会話が流れるあたたかい雰囲気の中でバースデーカードづくりは行われました。ありふれた事務所の真ん中におかれたテーブル代わりの卓球台の上でバースデーカードをつくるという作業でしたが、居心地の良さと不思議な達成感を味わいました。

 

岡山から参加した2人は30才とのことでした。土曜日なら遊びに出かけたり休養したりに時間を使いそうなところを、わざわざ船に乗ってやってきたのは、居心地のよい時間を求めてきたのかもしれません。モノを消費することからの価値観のシフトの表れなのかもしれません。

 

参加者の1人は中学の英語教師をしていてこの3月で定年退職された方でした。定年になったので、ずっとやりたいと思っていたこえび隊活動を始めたと言っていました。

 

島のお誕生会には20~100人ぐらいが集まるそうです。もちろん豊島の人も参加するし、島外からもこえび隊やその他の人が参加するそうです。こえび隊にはメールで島のお誕生会開催のお知らせが届きます。バースデーカードづくりもお誕生会参加のきっかけになるでしょう。こえび隊以外の島外の人にはFacebookページやウェブサイト、クチコミで情報が届いていると想像されます。そして、豊島の人には、毎月発行される「島キッチン新聞」がこえび隊によって、島の1軒1軒に手渡しで配られます。「島キッチン新聞」に次回のお誕生会のお知らせが掲載されています。適切な情報ルートを通じて、それぞれの人に島のお誕生会開催の情報が届けられています。

 

こうやって、島のお誕生会には様々な人が集まってきます。私はまだ参加したことはありませんが、おそらくは気持ちのいい人達が集まる島のお誕生会では、バースデーカードづくりと同じように心地よい時間を過ごせることでしょう。それが次の参加につながり、クチコミでの勧誘につながり、継続的な情報発信とあいまって、島のお誕生会がプラットフォームになっていったに違いありません。

 

コミュニティの力

バースデーカードづくりに参加して、コミュニティの力を感じました。今、世の中では人手不足が大きな問題になっています。そんな中でボランタリーで活動に参加しようという人がこえび隊には集まってきています。しかも元教師という専門的なスキルをもった人や若い人が。活動の場である香川県にとどまらず県外からも人が集まってきます。活動を通じて集まった人達の間につながりが生まれ、コミュニティに育っていきます。

 

バースデーカードづくりは一人で出来る作業内容ではあるけれど、おそらくは一人では続かないでしょう。みんなで集まってつくるから作り続けられます。島のお誕生会も沢山の人が集まってお祝いするから思い出深いお誕生会になります。コミュニティになるから持続できるということが確かにあります。

 

バースデーカードづくりのリーダーである元先生が興味深い発言をしました。

「健康診断で数値が悪くなったから、島キッチン新聞を配る活動に参加したの。1万歩くらい歩くのよ。一人でジムに行くよりよほど楽しいわ」

 

健康増進活動にいかに参加してもらうかも現在の課題のひとつにあげられますが、島キッチン新聞配りはポイントなんかもらえなくても参加する人がいて、おまけに歩いて健康増進になるという驚くべき解決策になっていたわけです。これもコミュニティの力のなせるわざでしょう。

 

こえび隊がコミュニティになって地域での地道な活動を続けることで、地域の力が高まっていることは間違いありません。瀬戸内国際芸術祭が地域にもたらした恵みの大きさははかりしれません。

高校転入

もう二度と経験したくないと思っていることがあります。今から8年前のちょうど今頃のことでした。長男は、私の転勤による引っ越しのため、高校1年生から2年生に進級するタイミングで高校の転入試験を受けました。

 

当時、すでにインターネットからかなりの情報を得ることができるようになっていました。それでも、高校転入という希少なケースについては思うように情報が得られず、未知なる高校転入に関する情報をひたすらに求めていました。すっかり過去の出来事になってしまいましたが、記憶がこれ以上薄れてしまわないうちに高校転入のことを記録しておきます。

 

  

突然の引っ越し

当時、私と子ども達は兵庫県明石市に住んでいました。子ども達はそれぞれ、明石市の公立高校、公立中学校、公立小学校に通っていました。長男は第一志望の高校に合格し、友達もでき、部活にも勉強にも精を出して、充実した高校生活を送っていました。確か、12月だったと記憶しています。私の所属部署がこぞって明石市の事業所から神奈川県川崎市の事業所に異動するとの発表がありました。事実上の事業所撤退であり、異動を希望しないということは会社を辞めることとほぼ同義でした。

 

家に帰って、その事実を子ども達に伝えると、予想通りに猛反発をくらいました。子どもにとって転校は一大事です。友達との関係も地域での活動コミュニティとも断絶を意味します。住み慣れた場所に住み続けるために、どんなことでも我慢するから仕事を辞めてほしいと懇願されました。一瞬、気持ちがぐらつきました。が、様々な事情を勘案した結果、一家で引っ越しすることにしました。

 

引っ越しが決まって一番心配だったのは、子ども達の転校のことでした。公立中学校への転校は手続きだけの問題だと思いましたが、高校の転校はどうすればできるのかわかりませんでした。とにもかくにも長男の在籍高校に行って、先生に相談しました。

 

高校転入の仕組み

長男の高校の先生から、高校転入の仕組みについて教えてもらいました。高校ごとに転入者受け入れ枠が設けられており、各学期の始まりの前に転入試験があり、転入試験にパスすることが高校転校の条件でした。公立高校の場合、保護者の転勤による転入に対応するため、たいていの高校には転入枠があるとのことでした。ただし、学年ごとに1~2名の枠であり、すでのその学年で転入生を受け入れ済みの場合は枠がなくなっている可能性もあります。

 

まずは住む場所の目安を決め、そこから通える範囲の希望の高校をピックアップし、転入枠を確認し、学力的な可能性を検討するというのが手順でした。住む場所の候補としては、都道府県単位で東京都と神奈川県の2つの選択肢がありました。両方の教育委員会に電話をして、高校転入の手順を確認しました。

 

東京都は全都学区になっているので、都内に在住する場合、どの都立高校へも行けるようになっていました。転入の募集枠は都の教育委員会のHPに掲載されています。だいたい、どの高校も学年に1~2名の転入枠がありました。試験は中学校3年生の内申書、転入試験、面接の3つで判定されるとのことでした。さらに、異なる日程で行われる転入試験を2回受験することができる仕組みがありました。いわゆる第一志望校と第二志望校を二校受験できるというわけです。ただし、必ず第一志望校を先に受験し、第一志望校に合格したら第二志望校は受験しないというルールになっています。

 

神奈川県の場合は、希望の高校を3つほど選んで教育委員会に連絡し、最終的に転入できる高校は教育委員会にて決定されるという仕組みでした。基本的には希望を出した候補高校のいずれかになる可能性が高いとのことでしたが、どの高校に行くかをピンポイントでこちらが決めることはできませんでした。転入試験の判定は中学2年生までの内申書、転入試験、面接の3つでなされるとのことでした。

 

合否判定はゆだねるしかありませんでしたが、どの高校に行くかの決定権が本人にない転入方式の神奈川県は選択肢から消えました。こういった情報は逐次、長男にも共有し、親の意見とともに伝え、最終的な判断は本人が行うように進めました。が、長男は転校するしかないことに不本意ながら納得せざるを得なかった状況であり、どんな選択肢も彼にとっては大した違いはないというのが実際のところでした。

 

転入高校選び

高校転入のおおよその仕組みがわかり、引っ越し先を東京都に絞った次にすべきことは住むエリアを決めることでした。東京都は全都学区のため、理論上はどの都立高校へも通えるとはいえ、現実的な通学時間で通えるようにするためには、居住地と高校の位置関係が重要になります。160校以上もある都立高校のあたりをつける前に、まずは居住エリアを決めることにしました。居住エリアは、次男と長女が転校することになる公立中学校をもとに検討しました。インターネット上の情報を頼りに、通わせたい公立中学校を絞り込み、その中学校の学区から住まいを探すことにしました。私達家族にとって最も重要だったのは子どもの学校教育環境でした。通える範囲であれば親の通勤条件は全く考慮の対象外でした。

 

不動産屋さんに学区を指定して住まい探しの希望を出したら、そんな細かい条件指定は初めてだと言われました。条件制限が厳しかったおかげで、物件候補は少なく、あまり迷う余地なく決められたのはかえってよかったと思っています。実際に住居が決まったのはかなり後でしたが、住居を探すエリアは決まったので、転入高校選びのステップに進むことができました。

 

転入高校を選ぶにあたっての条件は4つありました。

  1. 校風
  2. 学力
  3. カリキュラムの整合性
  4. 通学時間

1. 校風

校風は言葉で説明するのは難しいのですが、学校による校風の違いというのは確かにあります。いい悪いではなく、合う合わないということがあります。ですから、子どもに合う校風の学校を選ぶということはとても重要な要素でした。本来であれば、校風は見学に行って肌で情報を得るものですが、遠く離れた地にある高校の見学に行くのは難しく、学校ホームページやインターネット上のクチコミで得られる情報をもとに判断するしかありませんでした。

 

2. 学力

学力に関しては、大学進学を希望していた長男の進路選択の幅をせばめたくないと考えていました。一方で、転入試験に合格できる学校を選ぶという難しい判断も必要でした。一般の高校入試のように過去の問題が公開されているわけでもなく、判定が出る模擬試験があるわけでもない転入試験に対して合格可能性を見極めるのは至難のわざでした。私が切望した情報は、転入試験の合格可能性を判断するための情報でした。

 

当時でもかなりの情報がインターネット上で得られるようになっていました。学校ホームページもありましたし、都立高校の偏差値一覧の情報もありました。けれども、それらは、一般入試を受けるためには役立つ情報でも、転入試験を受けるための情報としては不十分でした。試験に合格するための戦略や戦術を立てるための情報が圧倒的に不足していました。

 

高校転入に関する書籍も購入しましたが、そこに書かれていたのは、確実に合格するためには現在通学している高校から偏差値を10以上落として受けるのが鉄則ということでした。偏差値を10落とすという文言は衝撃でした。長男は転校前は、地方では進学校と呼ばれる高校に在籍していました。そこから希望の進路を実現するため、友人と切磋琢磨して学習に取り組んでいました。その状況から偏差値を10落とした高校に転校して、進路選択の幅がせばまることがないのか、充実した高校生活を送れるのかという心配がぬぐいきれませんでした。この頃の私の頭の中は長男の高校転入のことでいっぱいでした。寝ても覚めてもそのことが頭から離れませんでした。全くの親の都合で高校を転入せざるを得ないという事態に追い込んでしまったわけですから、せめて転校に関してはあらゆる手を尽くして悔いのない高校生活を送らせてやりたいとひたすらに情報を求めていました。

 

東京都教育委員会には何度も電話で問い合わせをしました。手続き的なことについては教えてくれましたが、学校選びに役立つ情報はほぼ得られませんでした。東京の近隣県であれば、教育委員会の方でもある程度、学力的な転校先の目安はわかるようでしたが、関西の高校となると判断がつかないとのことでした。

 

結局、学力面からの高校選びに最も役立つ情報を提供してくれたのは、転校前の高校でした。頻繁にあることではありませんが、転校生を受け入れるとしたらどんな生徒をとりたいかという当事者としての判断基準をもっていたからです。入試で選抜された生徒が集まる高校が転校生を受け入れるとしたら、学年の上位1/3以上に位置する学力をもつ生徒をとりたいということがあるらしいです。それをどうやって判定するかというと、高校1年生で受けた全国模試の成績からでした。模試受験者には、本人の得点と総受験者内での順位、校内順位だけがフィードバックされますが、高校には、受験したすべての高校ごとの得点の度数分布表の情報がフィードバックされていました。ですから、転校候補の高校の度数分布表と本人の得点から、その高校での学力的な位置づけがわかるというわけです。こうして在籍高校のサポートを受けて、校風や通学時間をもとにピックアップした高校の合格可能性を判断することができました。

 

3. カリキュラムの整合性

転入高校選びで、実はこちらがコントロールできない条件がひとつありました。それは、カリキュラムの整合性です。高校は学校ごとに独自のカリキュラムを編成しているので、どの科目を何年生で履修することになるかは高校ごとに違ってきます。世界史や家庭科の未履修問題が大きく話題になったことがあるので、ご存知の方も多いと思いますが、高校卒業には必修科目の履修が条件になっています。例えば、転校先の学校で1年生で必修科目を履修するカリキュラムが組まれており、転校前の学校では1年生で必修科目を履修していない場合、その科目を履修するチャンスがなくなります。つまり、高校卒業の条件を満たせないため、その高校への転校は原理的にできないことになります。また、必修科目ではなくても、社会や理科をどの学年で習うかも学校ごとに異なります。長男は当時、化学に興味をもっていて、化学のI, IIを履修したいという希望をもっていました。転校前の高校のカリキュラム編成の都合で、転校時点では化学のI, IIともに未履修の状態でした。転校後の高校が1年生で化学Iを履修することになっている場合、長男がその高校に転校した場合、長男は化学Iの授業を受けるチャンスはないことになります。この制約条件も学校選びを難しくしました。

 

4. 通学時間

通学時間は1時間以内を目安としました。部活動をすることと東京での殺人的とも言えるラッシュにもまれての電車通学を考えると、それ以上時間がかかることは負担が大きいと考えたからです。

 

 

校風、学力、カリキュラムの整合性、通学時間を判断基準として、だんだんと高校を絞りこんでいきました。転入の受け入れについて学校側がどう考えているかを知るために、転校先候補の高校に電話をしました。その電話対応も様々でした。保護者の転勤というやむない事情をくみとってくれて、丁寧に対応してくれる高校もあれば、例え転入受験者数が転入枠以内であっても転入試験の結果によっては受け入れしませんと高飛車な口調でぴしゃりと言いきる学校もありました。高飛車な学校は進学校入りを目指しているけれど、世間的にはまだそうは思われていない高校でした。ある高校では、転入前の高校の名前を知っていて、ぜひうちを受験してほしいし、東京に来る機会があれば高校訪問してほしいと言ってくれたりもしました。まだ正式に転入試験を受けると決めていない段階から、転入試験の手続き書類を送ってくれる高校もありました。とにかく、高校の対応は本当に様々でした。同じ高校でも電話口に出た人が違えば異なる対応だったのかもしれませんが、高校に対する印象は電話対応した人の印象に強く引っ張られました。

 

ありとあらゆる手を尽くして集められる限りの情報を集め、ようやく転入試験を受ける高校を決めました。最終的には長男本人が転入試験受験校を決めましたが、様々な条件を勘案すると、あまり選択の幅はないというような状況でした。

 

転入試験を受ける高校は第一志望校にほとんどすべてのエネルギーを注いで決めた後、第一志望校以降の日程で偏差値を思い切り下げて第二志望校も決めました。第二志望校に関しては、正直言って、とりあえず決めたに近い状態でした。日程、カリキュラムの整合性を必須条件として、第一志望校より偏差値が10以上低いという保険的な意味あいで決めました。

 

高校中退を避けるために

こうやって転入試験を受ける高校はなんとか決めたものの、最大の心配事は、万が一、転入試験に合格できなかったら高校中退になってしまうということでした。親の都合で高校中退に追い込むということだけは何としても避けたい。そのために打てる手は何かを来る日も来る日も考え続けました。

 

長男が転校前の高校で、部活動や学校行事を中心に学校生活を楽しんでいたのなら、転校後もその延長で学校生活を楽しんでくれればよいと思えました。が、選抜クラスの試験に不合格になり、同じ高校の普通クラスに進学した長男は、その悔しさをバネにして高校での学習に熱心に取り組んでいました。早朝の補習クラスにも欠かさず参加し、互いに切磋琢磨する良きライバルも得て、学習面でも充実した高校生活を送っていました。ですから、第二志望校も受験できるとはいえ、本当に第二志望校にいかせていいのかという疑問はぬぐいきれないままだったので、第一志望の転入試験合格が至上命題でした。

 

いかにして第一志望校の転入試験に合格するかを考えましたが、どんな試験が出題されるのか、どれくらいの得点をとれば合格するのかの情報がなく、合格するために試験までの間に何ができるのかがわかりませんでした。インターネット検索でわずかに得られた情報では、その学校の定期テストの問題が出題される可能性が高いということでした。それはさもありなんと思えましたが、さらにネット上に掲載されていた情報に私は青ざめました。都内の高校に進学したものの学校が合わないという理由で転入試験を受ける生徒もいて、その生徒は転入希望の学校の定期テストを友人経由で入手して試験に臨むというのです。もし、1~2名の枠をめぐって長男以外にも転入試験を受ける生徒がいて、その生徒は定期テストを入手済みの状態で試験を受けたならと考えると、高校中退の4文字が襲いかかってくる気がしたのです。

 

長男が転校前の高校で真面目に学習に向かっていた姿勢を評価していただいたようで、転入の相談に行った際に学年主任の先生から、「転校させるのが惜しい。親戚の家から通い続けることはできませんか」という言葉をいただきました。私としても、できれば本人が志望して合格を勝ち取った高校に卒業まで通わせてやりたい気持ちがありました。けれども、残念ながら、通える範囲に親類はおりませんでした。長男は料理が好きで、時々、自分でつくったりもしていたので、「住まいさえあれば一人でも暮らせる。一人残って今の高校に通い続けたい」と長男は強く希望しました。私も一瞬、”この子なら本当に一人暮らしでもやっていけるかも。大学生になれば下宿することもあるのだから、それが少し早まったと考えたらそれもありかも。時々、様子を見に来ればいいんじゃないか”との思いがよぎりました。学校の先生にその可能性について打診してみましたが、保護者と同居していない生徒の在籍は認められないというのが回答でした。

 

まかないつきの学生寮も探してみました。通える範囲であれば、大学生向けの寮であっても特例として高校生の入寮を認めてもらえないかを聞いてみるつもりでした。が、残念ながら通える範囲に学生寮は見つかりませんでした。

 

これで万策尽きたかと思いましたが、最後の最後にわらにもすがる思いで、あり得ない可能性を思いつきました。長男には、学童保育時代から仲良くさせてもらっていて、同じ高校に通う友人がいました。小学生の頃は、時々、子どもが家に遊びに行かせてもらうこともありました。学童保育や少年サッカークラブを通じて、母親同士も仲良くさせてもらっていました。今にして思えば、私の頭がどうかしていたとしか思えないのですが、その友人宅に下宿させてもらえないかと思いついたのです。親子で仲良くさせてもらっていたとはいえ、親戚でもない家庭に子どもを下宿させてほしいなど、自分が言われる立場であればどれほど困惑するかなど考えるまでもなくわかることです。が、その時の私はその程度の想像力さえ欠いてしまうほどに気持ちが追いつめられていました。決して高校中退させないという保険をどうしても確保したかったのです。

 

万が一の場合には子どもを下宿させてもらえる可能性があるかを問い合わせるメールを言葉を慎重に選びながら書きあげた後、長いためらいの時間を経て、ついに送信ボタンを押しました。これまでの友情が壊れてしまうかもしれない、返信が来ないかもしれないと、様々な思いがぐるぐると渦巻く時間を過ごしました。返信メールが届いた時、ドキドキしながら開いたのを覚えています。そこには丁重なお断りの言葉が書かれていました。当然のことです。一時的に短期間のことであればいざ知らず、2年間もの間、他人の子どもを預かるなどできるわけがありません。ましてや大学受験のセンシティブな時期を含むこと考えると、自分の子どもだけでも大変なのに、そこに他人の子どもがいることを受け入れられるはずがありません。あまりにも身勝手で、とてつもない困惑を友人に与えてしまったことに、友人に合わせる顔がないと自分の愚かさを深く恥じ入りました。

 

返信メールを受け取った翌日の夜遅くだったと思います。同じ友人から再びメールが届きました。メールを開いて読み始めた途端、涙が溢れ出てくるのをとめることができませんでした。私からの相談事項を友人がご主人に話したところ、「そんな事情ならうちで預かればいいじゃないか。少しせまいけどYと同じ部屋ならなんとかなるだろう」と言ってくれたそうで、大したことはできないが、寝る場所と食事の提供はできると連絡してきてくれたのです。地獄の中で一筋の光明を見たように救われた気持ちになりました。携帯電話を握りしめたまま長男の部屋に駆け込んで、「万が一の場合はY君の家に下宿させてもらえるって。良かったね。でも頑張って試験に合格しないとね」と携帯電話の画面を見せながら話しました。長男は画面を見て「うん」とだけ言いました。

 

おそらくは私よりももっと長男の方が不安を抱えていたことでしょう。突然にふってわいた親の転勤の都合で正体不明の転入試験を受けることになり、不合格になれば高校中退かもしれないという状況に追い込まれたわけですから。合格しなければ高校中退になるという切羽詰まった状況で試験に臨むことで、転入試験で本来の力を発揮できないという負の連鎖に陥ることを避けられたことに、この世の人の温かさに、ただただ感謝するばかりでした。

 

転入試験当日と結果発表

こうして、転入試験を受けるまでの考えられる限りを尽くして事前の準備をなんとか整えることができました。転入試験の前日、私と長男は新幹線に乗って東京に向かいました。高校の近くにとった宿にチェックインした後、受験する高校の場所を確かめに行きました。長男も私も、高校を実際に見たのはこの時が初めてでした。

 

夕食をとって宿の部屋に向かうエレベータで、長男と同じ年頃に見える親子連れ複数組と乗り合わせました。今日、この立地の宿に宿泊しているということは、もしかして同じ高校の転入試験を受ける人達かもしれないと思い、ドキリとしました。新2年生の転入枠は2人。まさか転入試験をうける人が何人もいるとは思ってもいなかったので、焦りを感じました。が、ここまできて焦ったところで仕方がありません。部屋にもどって、面接の練習をした後は、翌日に備えて早めに就寝しました。

 

翌日は長男のお弁当をコンビニで買ってから、学校に向かいました。担当の先生が玄関で出迎えてくれました。試験が終了するおよその時刻を確認して、先生と長男がどこかの部屋に向かっていくのを見送りました。長男が試験を受けている間、一体、何人が受験しているんだろうと気になりながら、私は東京での用事をすませました。

 

教えてもらった試験終了の予定時刻に再び学校に行きました。試験結果を待って長男が待機している小部屋に案内されて、しばらく待つように指示されました。私が開口一番に長男にかけた言葉は「試験を受けたのは何人?」でした。「他の部屋で受けてたらわからないけど、同じ部屋には自分しかいなかった」というのが長男の答えでした。それを聞いて、少しほっとしました。試験や面接の様子を聞いた後は、窓から見える校庭での部活の様子を眺めながら、いつもより時計の針が進むのが遅く感じられる時間を過ごしました。

 

部屋の扉がガチャリと開いて、先生がやって来て「こちらへどうぞ」と言われました。ここで今すぐ結果を教えてほしいという思いをぐっとこらえながら、私も長男も無言で先生の後についていきました。先生は、事務室の前の小さなホワイトボードの前で立ち止まり、「こちらが結果です」と真っ白なホワイトボードをくりると返しました。そこには、たった一人の受験生の長男のために印刷された合格発表の用紙が貼られていました。それを見た瞬間、嬉しいというより安堵の気持ちで、大きく息を吐きながら「良かった~」という言葉が自然と出てきました。涙も目に浮かんできて合格の文字がかすんで見えました。長男の方を見ると、喜ぶでもなく神妙な面持ちでホワイトボードを見つめていました。

 

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先生から「おめでとうございます」と声をかけていただいた後、事務手続きの用紙を受け取り、教科書購入と制服購入についての説明を受けました。学校を後にして、すぐに教科書販売所に向かい、教科書を購入しました。制服は電話注文できると聞いたので、制服販売店には寄らずに新幹線に乗る駅へと向かいました。

 

新幹線に座ってようやく落ち着いて、「おめでとう」と長男に声をかけましたが、長男はちっとも嬉しそうではありませんでした。もともとしたくないと思っていた転校が確定したことで、合格したことより生活が一変することへの不安の方が大きかったのだろうと思います。万が一の場合は下宿させてくれると言ってくれた友人にもメールで合格の連絡をしました。友人からのこの上ない応援がどれほど私達親子の気持ちを救ってくれたかわかりません。

 

転入試験を無事にクリアして、慌ただしくも東京への引っ越しも終えて、長男が初めて転入校へ登校する日がやってきました。その日は少し早めに保護者と一緒に登校するようにとの指示を受けていました。何があるのかと思って登校してみると、校長室でたった一人だけの転入式が行われたのです。校長先生が「以下のものを○○高校に転入することを許可する。岩山○○」と長男の名前を読み上げました。長男が「はい」と返事をして、一礼をして転入式は終わりました。立ち会ったのは、校長先生、担任の先生、長男、私の4人です。その後、長男は担任の先生に連れられて、教室へと向かって行きました。時間にしてわずか5分にも満たない転入式への出席を終えて、私は学校を後にしました。

 

ところで、転入試験の前日、同じ宿でエレベーターに乗り合わせた親子連れは一体なんだったのかと気になっていましたが、どうやら、転入試験の日は国立大学の後期試験の日だったらしく、後期試験を受ける受験生の親子連れだったようです。

 

希少な情報こそインターネットで発信

世の中に転勤族と言われる人は数多くいます。親が転勤族のため、何度も転校したという話も聞きます。が、子どもが高校生くらいになると、父親は単身赴任をして、子どもと母親は引っ越しせず、したがって子どもは転校をしないケースもよくあることでしょう。ですから、高校転入というのはかなりレアなケースだと思います。

 

高校転入のようなレアなケースの希少な情報は、メディアに掲載されることはなかなかありません。けれども、メディアには掲載されない希少な情報だからこそ、求めている人にとっては切実に欲する情報でもあります。8年前の私自身がそうでした。インターネットなら希少な情報も手に入ると思って探しましたが、残念ながら本当に欲しかった実体験にもとづく情報は見つけられませんでした。

 

8年前、無事に高校転入を果たした後、転入に関する情報を発信しようとブログを始めました。何回かにわけて書き始めましたが、まだSNSを利用していなかったこともあってか、せっかく書いたブログも情報の海に埋もれてしまうだけで、必要な人に届くという実感が持てずに続けられませんでした。

 

そういえば8年前の今頃、転入試験を受けたなあと思い出したため、8年も前の情報ですが、当時のことを思い出しながら書きました。私があの時どうしても欲しかった情報を同じように欲している人に届くことを願って。

 

冒頭にも書いたように、高校転入は二度と経験したくない出来事でしたが、私はどんな経験にも意味があると思っています。あの経験は、希少な情報こそインターネットで個人が発信することに価値があると確信させてくれました。だからこそ、どうしてもこのことはブログの記事として残しかったのです。

何を「すごい」と思うのか?

私達はあるものを見たり聞いたりして「すごい」と思うことがあります。この時、実のところ一体何に対してすごいと思っているのでしょうか?「すごい」を解明することで、「すごい」という領域に近づく手がかりを探ってみたいと思います。

 

 

「すごい」と思った経験

はじめに、最近、私が「すごい」と思った経験を2つ紹介します。1つ目の経験は、写真館で娘の成人記念の撮影をしてもらったことです。出来上がりの写真はこんな感じです。

 

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     写真館で撮影した成人記念の写真

 

親の私でさえ別人かと思うほどによく写った写真の仕上がりを見て、真っ先に浮かんだ言葉は「すごい」でした。カメラのデジタル化や高性能カメラつきスマホのおかげで、私達は写真を撮ることが日常化しました。さらにはInstagramの写真加工技術などで、素人でも見映えのよい写真を撮ることができるようになりました。デジタル化される以前に比べて、私達の写真に対する目は明らかに肥えています。さらには、高い料金を支払うわけですから、その料金に見合う結果への期待値は上がっていました。それでもなお「すごい」と思わざるを得ませんでした。

 

2つ目の経験は、国立西洋美術館で開催されている「北斎ジャポニスム」展を鑑賞した時のことです。

 

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北斎漫画の人物画とその影響を受けたとされるドガの<踊り子たち、ピンクと緑> 

 

私が北斎の展覧会に行くのはこれが2回目でした。昨年、すみだ北斎美術館北斎の一連の作品を鑑賞しました。その時は、正直言って北斎をそこまですごいと思いませんでした。が、今回の「北斎ジャポニスム」を見て「北斎、すごい!」と思ったのです。それだけでなく、同じ北斎の作品を1年前にすみだ北斎美術館で見た時よりもはるかに興味深く楽しく鑑賞できました。

 

何を「すごい」と思ったのか?

私は2つの経験で、何を「すごい」と思ったのでしょうか?結論を先に言うと、すごいと思ったのは「目のつけどころ」に対してです。

 

写真館での撮影の経験では、実は、出来上がりの写真を見る前に撮影現場を見ている時点で「すごい」と思いました。袖がしわにならずにピンと張って見えるように、袖の先端に板状のモノを入れていました。なるほど、こういう小道具を使って袖を美しく見せているのかと感心しました。カメラマンは、撮影の間、娘に対して語りかける口調でポーズについて絶え間なく指示を出していました。出される指示の中で特に驚きを感じたのは「左足をちょっとだけ内側に曲げて」というものでした。着物を着ているので、足を少し曲げたことはほとんど見えません。が、そのわずかなポーズの差で受ける印象が驚くほどに変わるのです。

 

どうすれば人物が美しく見えるのかについて、外からは見えない細部にまでこだわりを持って撮影するのです。その目のつけどころがすごさを感じさせるのです。

 

北斎ジャポニスム展では、北斎の作品とそれが影響を与えた作品を対比して展示することによって、西洋美術と北斎作品のどこに共通点があるのかという視点をもって鑑賞できるようになっていました。北斎が影響を与えた芸術家は、モネ、ドガゴッホセザンヌといった誰もが知る著名画家を含んで多数にのぼります。影響を与えたジャンルは絵画にとどまらず、彫刻、装飾工芸、音楽などにも及びます。影響の与え方のバリエーションは、ポーズ(ドガの「踊り子たち、ピンクと緑)、構図(モネの「陽を浴びるポプラ並木)、絵画の対象(クールベの「波」、ゴッホの「ばら」)、連作(リヴィエールの「エッフェル塔三十六景)と複数に渡ります。それぞれの共通点を探しながら鑑賞することで、北斎の影響力がいかに多岐にわたるものかもわかるような仕掛けになっています。

 

どうすれば西洋近代芸術の展開とその美術作品を誰もが面白く鑑賞できるのかを考え抜かれた展覧会でした。特に美術に造詣が深いというわけでない者にとっては、美術作品のどこに注目して見ればよいのかというのがいつも悩みの種でした。それを、北斎作品と並べることによって、北斎作品との共通点を見出すという視点を自然にもつことができる展示方法の目のつけどころにすごさを感じるのです。

「すごい」という領域に近づくためには?

「すごい」と思うのが「目のつけどころ」だとしたら、私達が「すごい」という領域に少しでも近づくために必要なのは、目のつけどころを良くすることになります。では、目のつけどころを良くするにはどうすればいいのでしょうか?

 

答えは、課題意識をもってアウトプットしようとすることではないでしょうか。私が経験した2つの事例に含まれる共通のキーワードは「どうすれば~できるのか」です。

 

どうすれば人物が美しく見えるのかについて、外からは見えない細部にまでこだわりをもって撮影する

どうすれば西洋近代芸術の展開とその美術作品を誰もが面白く鑑賞できるのかを考え抜かれた展覧会

 

両者ともに「どうすれば~できるのか」と課題意識をもってアウトプットしようとした結果にたどりついたのがあの目のつけどころだったのではないでしょうか。

 

写真館での娘の撮影を終えた後で、ダイレクトメールで送られてきていた振り袖の写真カタログを見てみると、正面を向いて立っている写真は、左足を少し曲げていることに気づきました。何度か見ていたにもかかわらず、私はそのことには気づかなかったのです。私は、どうすれば人物が美しく見えるのかの課題意識ももっていませんでしたし、人物を美しく見せるように撮影しようとしていなかったので、その細部に気づくことができなかったのです。私が人物を美しく撮影する状況に迫られていたとしたら、カタログの写真ををもっとよく見て、気がついていたかもしれません。

 

北斎ジャポニスム」展は、北斎との出会いによって花開いた西洋美術の傑作を北斎の作品と同時に展示する世界で初めての展覧会でした。西洋の美術作品を専門とする美術館である西洋国立美術館は、西洋の美術作品をどうすればもっと鑑賞者に楽しんでもらえるかを考え続けて、あの結果にたどりついたのではと推測します。西洋美術館でありながら「北斎ジャポニスム」という展覧会タイトルをつけたのも心憎い演出です。

 

目のつけどころを良くする、言い換えるとセンスを磨く方法は、漠然と考えているだけでなく、アウトプットしてみることに尽きるのかもしれません。

今なぜプログラミングなのか?

2020年から小学校教育で必修化されることになっているプログラミング。今なぜプログラミングが注目されているのかを、ものづくりイベントと同時開催したプログラミングワークショップを振り返りながら考察してみます。

 

 

プログラミングワークショップの3つの要素

前回のブログに書いたものづくりイベントの大枠が決まった後、イベントに新しい要素を加えようとして出た案が子ども向けのプログラミングワークショップでした。

前回のブログはこちらです。

iwayama.hatenablog.com

 

まずは今の小学生の保護者がプログラミングに対してどう思っているのかを知ることから始めました。小学生のお子さんがいる知り合いを思い起こしながら連絡をとって聞いてみたところ、すでにプログラミング教室に子どもを通わせている、おおいに関心があるなど、想像していた以上にプログラミングの認知も関心も高いことがわかりました。いつの間にかプログラミング教室があちこちにできていて、子どもに習わせたい習い事ランキングでも上位に入っていることも知りました。

 

ニーズはあることがわかったので、プログラミングワークショップをやると決めました。具体的にどうやるかのカタチが決まるまでには結構な時間がかかりました。プログラミング環境として何を使うか?プログラミングで何をつくるか?プログラミングワークショップで何を経験してもらうか?の3つの要素を決める必要がありました。が、これらは相互に関連しているので、ひとつずつ考えていくのではなく全体を考えていく必要がありました。また、今回はものづくりイベントのひとつの要素の位置づけだったので、大人向けのものづくりイベントとどう整合させるかも合わせて考える必要がありました。

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  プログラミングワークショップの3つの要素

 

プログラミングワークショップの講師を引き受けてくれた人、ものづくりイベントの担当者とあーでもないこーでもないと議論した先にようやくカタチを決めることができました。

 

何を使ってプログラミングするか?

子ども向けのプログラミング環境は大きく2種類に分けられます。1つは、プログラミングのアウトプットがコンピュータ画面上で実行されるソフトウェアだけに閉じたものです。代表的な子ども向け環境にScratchがあります。もう1つは、プログラミングのアウトプットが現実世界で動くフィジカルコンピューティングと呼ばれるものです。代表的な子ども向け環境にIchigoJamがあります。

 

ものづくりイベントの方では、工作機械を使って精巧なカタチをつくり出すにとどまらず、フィジカルコンピューティングを使って今までにないものが生み出されることが予想できました。また、これからおこるとされている社会変化のキーワードであるIoTやロボットもフィジカルコンピューティングをベースにしています。さらに、前回開催したものづくりイベント時に私自身が初めてフィジカルコンピューティングを体験して、フィジカルコンピューティングの面白さを実感していました。そのことを書いたブログ記事はこちらになります。

iwayama.hatenablog.com

 

こういった背景があって、プログラミングワークショップで使う環境はフィジカルコンピューテイング1択でした。ただし、実際にどの環境を使うかについては選択肢が複数あり、何をつくるかにも関わってくるので、すぐには決まりませんでした。

 

子ども向けのワークショップでは、特に、プログラミングの世界への入り口の提供やプログラミングの世界の理解が重要になります。プログラミングの世界の理解のためには、実際に自分の手を動かしてプログラミングをすることになります。プログラミングのそのものを覚えるのに時間をがかかったり難しかったりすると、そこでつまづいてしまって、プログラミングは難しいという印象だけが残ってしまいます。1回のワークショップでも、プログラミングに関して「できる」という体験が必要でした。コンピュータへの命令が視覚的なブロックで表現され、ブロックをマウスで操作して組み合せたり順番を入れ替えたりすることでプログラムが組めるビジュアルプログラミング環境が開発されていて、子ども向けではそれが主流になっています。プログラミングが「できる」体験のために、ビジュアルプログラミング環境であることは必須条件でした。

 

関係者で議論をする中で、ビジュアルプログラミング環境を備えたものとして、Studuinoはどうかという案も浮上しました。講師担当者が、「日本に上陸して間もないmicro:bitという教育用マイコンボードはどうか」とぽろりと口にしました。その場ですぐにmicro:bitの開発環境を立ち上げて画面上で動かしてみました。ソフトをインストールする必要もなくブラウザ上でプログラミングできる手軽さに加えて、マイコンボードがなくても画面上で動きを確認できて「これいいね」となりました。さらに、micro:bitの小さなマイコンボードには、加速度センサー、コンパス、光センサー、温度センサー、ボタンやLEDがあらかじめ搭載されていて、Bluetoothで通信する機能までついています。とっつきやすさのハードルは極めて低く、できることの可能性は極めて高く、関係者一同、自分自身がこれを使ってみたいと思ったことと、まだ日本ではワークショップであまり使われていない目新しさがあることが決め手となってmicro:bitを使うことに決まりました。

 

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       教育用マイコンボードのmicro:bit

 

micro:bitを使うことに決まった後、すぐにmicro:bitを購入しました。自宅にmicro:bitが届いた後は、仕事を終えて帰宅してから、実際に自分の手を動かしながらmicro:bitでつくることをあれこれ試しました。プログラムを組むことはもちろんのこと、組んだプログラムをmicro:bitに転送して単体で動かすことの動作などを自分の手で確かめながら、そのよく練られたインタフェースに感動したものでした。ビジュアルエディタでプログラムを組むことはコードを書くことに比べて10倍の取っ付きやすさを感じました。また、あらかじめセンサーが組み込まれていることで、Aruduinoを使ってブレッドボード上にハード的に配線することに比べて、心理的かつ物理的なハードルが10倍下がりました。要するにArduinoでのプログラミングに比べてmicro:bitは100倍簡単という感覚だったのです。それなのにできることの制約はそれほど感じませんでした。

 

プログラミングで何をつくるか?

プログラミングでは作ろうと思えば、様々なことができます。言うなれば、何をつくるかは無限の中から選ぶに近いことです。今回は、ミニチュア地方車と鳴子をつくるという大人向けのイベントとの整合性という制約があったことで、つくるものを考える範囲を絞り込めました。

 

フィジカルコンピューティングでは、現実世界でのカタチあるものと組み合せる必要があります。が、短時間のワークショップの中で物理的なカタチをつくることとプログラミングの両方を行うことはやめにして、すでにあるものとプログラミングを組み合せることにしました。ものづくりイベントとの整合性からして、組み合せる対象はミニチュア地方車か鳴子の選択肢がありました。

 

はじめは、大人がつくった地方車を子どもがプログラミングで動かすことを検討しました。かなりの重量になることが予想された地方車をモーターで動かす仕組みをつくるのが大変なこと、うまく動かなかった場合にアウトプットできたという達成感をもたせられない可能性があることなどから、この案はなしになりました。

 

残る選択肢の鳴子と組み合わせようかという話を始めた時に、プログラミング環境としてmicro:bit案が浮上して、鳴子は振る楽器であることとmicro:bitの加速度センサーの組み合わせで何かしらできそうだという方向性が見えてきました。

 

自宅でmicro:bitのプログラミング環境を試すと同時に、アウトプットをイメージしながらあれこれ動かしてみました。鳴子を振ったことを加速度センサーで検知することはすぐに決まりました。検知した結果、LEDを光らせることもほぼ決まりました。光るというアクションはわかりやすく、子どもの興味をひくと考えたからです。さらには、音が鳴る鳴子に光るという新しい価値を出せるプログラミングの世界を理解してもらえると考えたからです。

 

micro:bitには5×5のLEDがついていて、どのLEDを光らせるかを制御できるようになっています。25個のLEDがあるのだから、単に光るだけというより、何か意味のある内容を光で表現した方がいいと考えて、今回のイベントの主催者である高知県のコンセプトコピーである「高知家(こうちけ)」を表すことにしました。私達にとっても初めてのプログラミングワークショップ開催だったので、目の届く範囲として4人を募集しようと考えていました。「コ」「ウ」「チ」「ケ」の4文字が光るプログラムをそれぞれにつくってもらい、合作として「高知家」が表現できるようにすればいいなと考えました。実際に4文字を25個のLEDで表現してみましたが、「コ」のような単純な形は簡単でしたが、「ウ」と「チ」と「ケ」は簡単にはできずに試行錯誤しました。プログラミングの良いところは何度でもやり直しができて試行錯誤できる点にあるので、この難しさはワークショップで試行錯誤するのにちょうどいいなと思いました。

 

micro:bitをPCから切り離して単体で動作させるためには電源が必要になります。micro:bitと同時に購入したコイン電池を電源として動かせる電源ボードにはスピーカーがついていて、音が出せることがわかりました。今回のものづくりイベントのテーマが「よさこい祭り」だったので、よさこいのメロディを鳴らせるかを試してみたところ、ちゃんとメロディが鳴りました。メロディを奏でるには1音ずつの音の高さと長さを組み合せることになります。また、LEDを光らせることと音楽の組み合わせとも合わせて、プログラムは単純なことの組み合わせで複雑なことをできることの理解にもつながると考えて、メロディを奏でることもアウトプットにしました。

 

プログラミングで何を経験するか?

何を使って、何をつくるかが決まればプログラミングワークショップができるというわけではありません。プログラミングをやってみて、何かが動けばその時は楽しいと思うでしょう。楽しかっただけで終わらせず、それを作る意味を理解してからつくること、つくったものに対するフィードバックを受けること、プログラミングでこんなこともできるんだと可能性を感じてもらうことを目指して、ワークショップの組み立てを行いました。

 

[つくる意味の理解]

つくる意味を理解してもらうために、プログラミングの対象となる鳴子そのものについて理解してもらうプロセスを入れました。よさこい祭りの動画を見てもらい、そもそも鳴子が何をするものかを知ってもらいました。また、子ども達にも鳴子を振る体験をしてもらい、鳴子を振るという動作を身体的に理解してもらいました。

 

[つくったものに対するフィードバックを受ける]

つくったものを誰かに見せるという場面をつくることで、きちんとアウトプットする必要性がある状況をつくりました。つくったものに対するフィードバックを受けることはつくることの基本でもあり喜びでもあります。

 

[プログラミングの可能性を感じる]

短時間のプログラミングワークショップでできることは限られています。プログラミングの可能性を感じてもらうためには、プログラミングの作例を見せるのが一番です。今回は同時開催のものづくりイベントで、フィジカルコンピューティングを利用して大人でも驚くようなアウトプットが生み出される可能性がありました。ならば、そのアウトプットを見てもらわない手はありません。プログラミングワークショップをやると決めた時、子どもと大人の発表を合同にすることも同時に決めました。さらに、同じ会場内でものづくりが行われている過程を見てもらうまたとない機会を逃すわけにはいきません。どうやってつくっているのか、つくっている大人達がどれほど真剣かつ楽しくものづくりしているのかを見ることは、アウトプットだけを知ることに比べて何倍も深い体験になるだろうということは容易に想像できました。

 

子どもたちの反応は?

私達にとっても初めて開催するプログラミングワークショップでした。提示する資料にはすべてふりがなをふり、使う言葉も難しくないものを意識して選びと、大人向けとはまた違う部分に気をつける必要がありました。あーでもないこーでもないと議論を重ねてあれこれ手探りで進めて、期待と不安の入り混じる気持ちで当日を迎えました。募集人数の4人を超えた6人の子ども達が応募してくれたので、LEDで光らせる2文字をあわてて追加で考えるという嬉しい誤算もありました。

 

考えられるだけの準備をして臨んだプログラミングワークショップは、ガラス超しに見える隣りの空間で大人達のものづくりが佳境に入るのとは対照的に、子ども達の緊張が感じられる空気の中で始まりました。2年生~4年生の6人の小学生は全員がプログラミング初心者でした。緊張がゆるんで雰囲気が和らいだのは、みんなで鳴子を振ってみる段になった時でした。

 

そして、空気が一変したのが、今日使うコンピュータのmicro:bitでどんなことができるかを講師がデモした時でした。1個のmicro:bitをリモコンとして使い、もう1個のmicro:bitはリモコンからの通信を受信してモーターを動かして車を進ませたり、左右に曲がったりするデモでした。子ども達のプログラミングへの好奇心がぐんと高まったようでした。その様子がこちらです。

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この好奇心が高まった状態で、プログラミング環境の使い方を説明した後に、自分でLEDを光らせてみようとなった時は、やってみたくてうずうずしていた気持ちの堰が切れたかのように、どの子も真剣な眼差しで画面を見つめてマウスをすいすい動かしていました。micro:bitのLEDが光ることを確認した時は「おーっ」という喚声があがりました。ここでいったん休憩をとることにしましたが、文字を次々と変えて光らせることに取り組んでいる子どももいました。

 

子ども達にLEDを光らせてどの文字を表示するかを選んでもらいました。自分が選んだ文字が浮き上がるように、点灯するLEDの位置を画面上で選ぶことに集中して取り組んでいました。できなかった場合のことを考えてカンペも用意していましたが、必要になることはありませんでした。LEDで文字をつくった子どもは早く次に進みたいと、講師が説明をする前に音を鳴らすプログラムを組み始めました。よさこいのメロディに関しては、1音ずつの音の高さと長さを書いた手引きをつくって渡し、それをもとにプログラミングしてもらいました。

 

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  よさこいのメロディの手引き

 

想定していた半分以下の時間で、全員が予定していたプログラムを組み終えてしまいました。その後は、ネジ留めしてmicro:bitを鳴子と合体させて、全員で並んで発表の練習をしました。

 

今回のプログラミングワークショプでは、講師の他に若いお兄さん2人がサポーターとして参加してくれました。もし、子どもがプログラミングで行き詰まっていたらサポートしてもらうことにしていましたが、プログラミング時の出番はありませんでした。大人のサポートを必要としないくらいに子ども達だけでプログラムを組むことができました。サポーターのお兄さん達は、プログラミングの場面ではなく、場所の移動時や発表時のかけ声などでのサポートで活躍してくれました。

 

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 子ども達がプログラミングワークショップでつくった作品

 

大人のものづくりワークショップも制作時間が終わり、大人も子どもも全員揃っての発表の時間になりました。大勢の大人が見守る中で、6人の子ども達はものおじせずに鳴子を振ってプログラミングの成果を発表してくれました。大人達から喚声と拍手を浴びて、達成感を感じてくれたことと思います。

 

その後は、大人がつくったアウトプットの発表を最前列でかぶりつきで見ていました。どれもがプログラミングが組み込まれた動きのある作品で、子ども達は思わず立ち上がったり、覗き込むようにして発表に見入っていました。プログラミングでできることの可能性をおおいに感じてくれたに違いありません。大人も子どもに語りかけるように発表してくれて、大人と子どもの合同発表はとてもよい雰囲気になりました。

 

大人のものづくりイベントとプログラミングワークショップの様子の動画はこちらです。

www.facebook.com

 

今なぜプログラミングなのか?

プログラミングワークショップは思った以上に子どもの飲み込みが早くて時間が余るというハプニングはありましたが、大きなトラブルもなく終えることができました。プログラミングの面白さにはまって帰宅してから話がとまらなかったという話や、その後にmicro:bitを購入して親子で楽しんでいるという話も聞きました。数時間というわずかな時間でのワークショップでしたが、プログラミングへの入り口を提供できたようで、とても嬉しく思っています。

 

私達にとっても初挑戦となった子ども向けプログラミングワークショップをやってみて、今なぜプログラミングなのかがわかった気がします。

 

プログラミングは簡単な機能を組み合せて複雑な機能を実現します。つまり、大きなタスクを実現するためには小さなタスクに分けて、小さなタスクの順序や関係を明らかにしてから、それをプログラミングで組んでいきます。これは、プログラミングに限らず、何かを実行しようとする時の考え方や手順としても使えるスキルになります。

 

プログラミングでは、一度で正解にたどりつく必要はなく、何度でもやり直しができます。だから、熟考を重ねる前にまずやってみて、その結果をもとに軌道修正をかけていくというやり方が結果として正解にたどりつく近道だったりします。これもプログラミングに限らず、今の時代に普遍的に通用する考え方になります。

 

今や生活の中のあらゆるところにプログラミングが入りこんでいます。プログラミングを全く知らなければ、それらがどういう仕組みや原理で動いているかを想像することができません。少しでもプログラミングを知っていれば、自分で同じプログラムを組むことができなくてもおおよその原理を理解することができます。また、プログラミングをした経験があれば、プログラミングでどんなことができて、どんなことはできないのかも感覚的にわかります。これからますますIoTやロボット、さらにはAIが社会に実装されてきても、不必要に怯えることなく、人間にしかできない領域で力を発揮していこうと思えるはずです。

 

要するに、プログラミングは現代社会を生きていくために必要な力を身につける恰好の手段と言えるわけです。もちろんこれはプログラミングを学ぶ重要な理由ではありますが、プログラミングの最も重要な点は子ども達の好奇心をかきたてることにあるのではないでしょうか。自分が組んだプログラムが現実の世界での動きになって見えるフィジカルコンピューティングでは、好奇心への働きかけはより大きくなると言えます。

 

プログラミングの対象を現実世界の仕組みとリンクさせることで、関心をもって仕組みを理解することができるようになります。言葉で説明されて仕組みを理解するのと、自分でプログラムすることを通じて理解するのとでは、理解の深さも対象への関心の深さも大きく違ってくるでしょう。

 

プログラミングは表現手段のひとつでもあります。プログラミングという表現の手段が増えることで、できることの世界は確実に広がるはずです。

 

今、なぜプログラミングなのか、その答えを教えてくれたのはプログラミングワークショップに参加してくれた子ども達でした。役に立つことよりも好奇心をかきたてられることに子どもは正直に反応します。教科内容の理解にプログラミングへの関心をうまく利用することで、プログラミング的思考力と教科内容の理解の両方を育むことができる、いわゆる生産性の高い教育ができるようになるというのが、今なぜプログラミングなのかに対する私の答えです。

ものづくりイベントを成功に導くもの

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高知県富士通が官民恊働で行うものづくりイベントをこれまで3回開催してきました。ものづくりイベントはカタチのあるアウトプットが生み出されることが魅力ですが、同時に成否がアウトプットのカタチとなって見えるということでもあります。3回目となるものづくりイベントでも素晴らしいアウトプットが生まれました。その理由について考察しました。

 

 

ものづくりイベントの仕組み

3回目となる官民恊働のものづくりイベントを11月18日と12月2日に開催しました。イベント開催の目的は、ものづくりを通じて首都圏の人に高知県産品である土佐茶と高知トマトを知ってもらうこと、その取り組みの発信を通じてこれらの産品を知ってもらうことでした。ものづくりイベントの内容は、土佐茶と高知トマトの魅力を高知県で生まれたよさこい祭りの必須アイテムである地方車(トラックに装飾をしたもの)と鳴子をつくることでした。

 

ものづくりイベントは、インプット情報とものづくり環境を準備し、イベントの出口を設計し、インプットからアウトプットのアイデア発想に至るプロセスを設計することが運営サイドの行うことになります。

 

インプット情報として用意したのは、よさこい祭り、土佐茶、高知トマトのそれぞれに詳しいゲストの方からのトークに加えて、実際の地方車や鳴子の写真、土佐茶や高知トマトの試食・試飲でした。

 

つくるにあたって用意したものづくり環境は、高知県産の土佐材と土佐和紙、ものづくり工房であるTechShopの工作機械の教育受講権と使用権、ミニチュア地方車の設計図、鳴子の制作キットでした。あらかじめ用意された制作素材以外に参加者の素材持ち込みも可としました。

 

アウトプットはミニチュア地方車と鳴子とし、それらを高知県にあるよさこい情報交流館に展示して、来年よさこいチームを立ち上げる人達の参考にしてもらうことをイベントの出口としました。

 

これらをまとめると下記の図になります。地域と都市、行政と民間がそれぞれの資源を持ち寄って参加者のアイデアとスキルを発揮する場をつくり、そこから生み出したアウトプットを地域に活かすというのがものづくりイベントの仕組みです。

 

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          ものづくりイベントの仕組み

 

過去2回のものづくりイベントでもアウトプットの展示は行いましたが、今回は展示したアウトプットを来年のよさこいチームに参考にしてもらう目標を新たに加えました。この目標を加えたことで、アイデア発想のプロセス設計が思いの外難しくなりました。この手のイベントでは今までにない未来志向のアイデアを出すことが面白さであり、参加者も自由に発想することを楽しみに参加します。けれども、今回は未来志向のアイデアと来年に現実世界で参考になるアイデアという一見矛盾したアイデアを出すようにプロセス設計する必要がありました。一緒にプロセス設計したTechShopの担当者と一番議論をしたのは、自由度と制約をどう調整してこの矛盾を解くかという点でした。

 

ものづくりイベントのアウトプット

ものづくりイベントなので、まずはそのアウトプットがどうであったかが問われます。今回は先に書いた矛盾の懸念に加えて、ミニチュアのトラックをつくるというハードルがあり、アウトプットがどうなるのかわからないという不安を抱えてイベント当日を迎えました。

 

結果的には私たち運営サイドの懸念は全くの杞憂に終わり、3回のものづくりイベントの中でも最もクリエイティブなアウトプットが生まれました。どんなアウトプットであったかは、その制作過程も含めた動画で紹介します。

 

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ものづくりイベントの成功要因

今回のものづくりイベントはアウトプットからして成功と呼べる結果であったと言えます。その成功要因は何だったかというと、参加者に恵まれたことに尽きます。東京では毎日のようにどこかしらでイベントが開催されています。そんな中で2日間の参加が必須となるイベントの参加者を集めるのは並大抵ではありません。今回のイベントも集客が簡単だったかというと決してそんなことはありませんが、幸いにも定員を満たす方に集まっていただくことができました。さらに、無料のイベントにも関わらず、ドタキャンする人が一人もいなかったというのはすごいことでした。

 

参加者がものづくりイベントで行うことは、インプット情報を得て、ものづくり環境を使って、定められた時間内に定められた条件を満たすアウトプットをつくり出すことです。アウトプットをつくり出す過程はアイデア発想と、メイキング(アイデアをカタチにすること)の2つに分けられます。どんなに斬新なアイデアが出ても実際にカタチにするナレッジやスキルがなければいいアウトプットにはなりません。どんなにナレッジやスキルがあっても貧相なアイデアではいいアウトプットにはなりません。つまり、いいアウトプットができるためにはアイデア発想とメイキングの両方の質が高い必要があります。

 

ものづくりイベントの運営者はアイデア発想のプロセス設計を行うので、アイデアの質はプロセス設計にも依存します。が、メイキングは完全に参加者に任せられます。つまり、ものづくりイベントの成否は参加者によって決まると言えるわけです。

 

参加者の何がものづくりイベントを成功に導くのか

ものづくりイベントの成否をわけるのは参加者であることがわかりました。では、参加者の何がものづくりイベントを成功に導くのでしょうか?チームで行うものづくりを観察していると、興味深いことが発見できました。

 

[チームマネジメント]

実際にメイキングの作業を行う過程になると、どうしても分業が必要になります。その日初めて会ってできたチームにも関わらず、それぞれができることをチーム内で共有してスムーズに役割分担を決めるチームマネジメントがどのチームでも自然と行われていました。中にはリーダー的存在がチームのパフォーマンスを最大化するように、それぞれに適したタスクに分解して振り分けるというマネジメントが行われていたチームもありました。チームで出したアイデアを実現するという共通目標と限られた時間という制約と創作意欲をもった参加者が揃うと、チームマネジメントがうまくいくように思います。

 

[ナレッジのシェア]

役割分担のもとに分業を行うとはいえ、実現に向けてそれぞれがもっているナレッジをチーム内でシェアして、いかにして実現するかを全員で考えようとする動きが見られました。さらには、各チームで共通に必要となるミニチュア地方車の設計図を一番先につくった参加者がイベント参加者全体に設計図をシェアしました。同じテーマのものづくりに取り組むことで、チームは違ってもイベント参加者がナレッジをシェアして全体としてよりよいものを生み出そうという雰囲気がありました。

 

[若手へのスキル伝承]

ものづくりは基本的に分業制で行われるため、制作時間は各自の作業に没頭するシーンがほとんどですが、今回は熟練エンジニアが若手エンジニアにナレッジやスキルを伝承するシーンがよく見られました。スキル伝承を受けて制作に取り組むことで若手エンジニアにも活躍の場面ができると同時に制作も進みました。

 

[オーバーアチーバー]

そして、特筆に値するのが、オーバーアチーブする参加者の存在です。今回のイベントはコンテストでも何でもなく、賞金が出るわけでもありませんでした。にも関わらず、11月18日と12月2日の間の試作期間中に、就業後や休日にTechShopや自宅で制作を進めたり、中には徹夜で制作を進める参加者もいました。オーバーアチーブする参加者を特徴づけるのは成長意欲と貢献意欲です。素晴らしいアウトプットを生み出しても、次回はさらによりよいものを生み出したいという無限の成長意欲をもっています。自分のスキルや生み出すもので社会の役に立ちたいという純粋な思いをもっています。こうした参加者の熱が同じチームの参加者にも伝播してアウトプットの質があがり、イベントが熱量を増しました。

 

最後に、参加者の創作意欲をより引き出したのは、アウトプットを展示する場を調整した主催者である高知県の功績にもあることを付け加えておきたいと思います。組織の縦割りが色濃い自治体において、イベント主催部署とは異なる組織に対して展示の調整を行うのはそう簡単なことではありません。

 

お披露目の場を用意した主催者と、誰一人ドタキャンすることなく自分の時間をものづくりに費やす創作意欲をもった参加者の両方が揃ったことで、いいイベントになりました。参加者からの「次回も楽しみにしています」の声は、参加者にとってもいいイベントであったことを物語っていました。