本の読み方を選ぶ時代へ

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孫子女子勉強会仲間の柏原さんがファシリテーターデビューしたABD読書会に参加しました。この日の読書会の対象書籍は仲山進也さん著作の「組織にいながら自由に働く」でした。ABDは私にとって新しい読書体験でした。ABDを体験して得られた本を読むことに関する新たな気づきを記します。

 

 

ABDとは

ABDとは、アクティブ・ブック・ダイアログ®の略称で、1冊の本を複数人で分担して短時間で読む読書法です。

 

ABDが開催される会場に着くと、4人ずつのグループに席が分かれていてました。グループ分けはカードをひいて決まるくじ引き方式でした。

 

ABDの流れはこんな感じでした。

(1)ABDの紹介

(2)自己紹介(グループ)

(3)「はじめに」のパートでABD体験(グループ)

(4)担当パート決め(全体)

(5)担当パートを読み、指定枚数以内でA4白紙にKP法でまとめる(各自)

(6)各自のパートをKP法でまとめた用紙を使ってプレゼン(全体)

(7)読後の感想等シェアタイム(グループ)

 

(1)のABDの紹介で、ABDの特徴はKP法とジグソー法の組み合わせからなるとわかりました。

 

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   KP法とジグソー法をKP法で説明したもの 

 

KP法とは「紙芝居プレゼン」の略で、読んだ内容を思い切り削ぎ落し、A4白紙の用紙に要約する方法で、図やイラストもOKと説明がありました。白紙にイラストOKの表現と聞いた瞬間、私にはグラレコの4文字が浮かびました。 

 

ジグソー法は、協同学習を促すために編み出された方法で、1つの長い文を3分割して、3人がそれぞれに担当部分を学び、学びをもちよって紹介するものです。分担したものをもちよることによって、ジグソーパズルを解くように全体像を浮かび上がらせる方法です。これを応用して、ABDでは、1冊の本を参加者人数分に分割したパートをそれぞれが読み、それぞれの要約を全員でシェアすることで本の全体像がわかるという仕掛けになっています。 

 

ABD体験

ABDの紹介を聞いて、ABDの手法はだいたいわかりました。が、実際に体験してみると、色々な気づきを得られるのが体験することの面白さです。

 

 (3)のABD体験では、本の「はじめに」のパートを4分割した原稿がテーブルに置かれていて、4人それぞれが各自のパートを読んで1枚の白紙に要約をまとめます。私のグループには3人しかいませんでした。あらかじめ想定した人数分に分割されているので、人数が足りない場合は成立しないのがABDの難しいところです。そこは、運営スタッフが参加することで人数あわせを行うように調整されていました。

 

 2ページという短い文章を読んで1枚の白紙に要約するのですが、3分という短い時間制限の中で行うので、いつにない集中力を要しました。私は、読みながら要点部分に線をひき、自分のパートを読み終えた時点で線を引いた部分からさらに厳選した内容をA4用紙に書き出しました。その際、イメージしやすくなるように、下手ながらにもイラストを加えました。文字だけで書かれたパワポがいかに興味をそがれるかを実感していたからです。 

 

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             はじめの部分をKP法で要約した例 

 

本の「はじめに」の部分には、その本が書かれることになった背景が記されています。この部分をABD体験で全員で共有すると、その後の本文をジグソー法で読む下準備になります。 

 

「はじめに」の部分を除いた本文の原稿が、参加者人数分の担当パートごとに原稿が分割されていました。書籍をコピーして分割するのは準備が大変です。参加者に書籍購入や持参を要請すると、興味はあるけど購入には至っていない参加者への門戸が開かれません。そこで、「組織にいながら自由に働く」の出版社は、ABD開催向けにゲラを無償提供しています。こういう出版社の後押しがABD読書会の広がりを後押ししていくことになると思います。

 

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  目次と担当パートごとに分割されたゲラ

 

 (5)の各自の担当パートを読む際に、私が担当したページは13ページでした。13ページを読んで5枚以内に要約する制限時間は20分でした。仲山さんの文章は読みやすいとはいえ、かなりハードなワークです。時間が制限されていたので、まるでセンター試験の問題を解くかのような集中力で読みました。さらに、アウトプットする前提で読むので、短時間でも読み飛ばしでなく理解しようという意識が働きます。この部分は個人ワークなので、自宅で読む時にも使えそうな気がしますが、みんなでやるからできるという集団のパワーがあってこそだと感じました。

 

 (6)のプレゼンタイムは、本の内容順に各自のパートを全員の前で90秒ずつで紹介します。これによって、自分が読むのは一部のパートだけでも全体像がわかるようになります。

 

 (7)の読後のシェアタイムでは、みんなで1冊の本を読んで終わりというだけでなく、気になったことや感想をシェアします。これはみんなで集まったからできる読書会の大きな利点です。

 

 ABDはワークショップ型の読書会で、個人ワーク、グループワーク、全体ワークがバランスよく混在していて、限られた時間の中で1冊の本を読むことと本を読んだ個人の感想をシェアすることまでができるようになっています。 今回の対象書籍は「組織にいながら自由に働く」で、この本はどこから読んでもわかるようになっていました。が、本によっては、前から順番に読んでいけば理解できるけれど、途中から読むとなんだかわからないというものもあります。例えば、小説などがそうでしょう。ですから、ABDに向く本とそうでない本があるように思います。ABD読書会がうまく機能するかは、そのプログラムの組み立てのみならず、どの本を対象にするかも大きな要因だと考えられます。ここは、ABDファシリテーターの力量が試されるところでしょう。

 

 広がる読書法

 

自己紹介をした時、同じグループになった人から読書に関して下記のような話を聞きました。 

・本を読むのが遅いので時間がかかってしまう

・最後まで読めずに途中でやめてしまう

  

読書が嫌いなわけではないけれど、なかなか本が読めない理由としてよく聞く話です。

 

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        様々に広がる読書法

 

読むのが遅いという課題に関しては、速読法やオーディオブックという読み方が開発されています。最後まで読み切れないという課題に関しては、みんなで分担して読む輪読や読書会という読み方が開発されています。 「1人読み」という読書法から、速く読むという方向性とみんなで読むという方向性の2つの方向に読書法が広がっているように思います。この中で、ABDは両方向への広がりをもった読書法と位置づけられます。最近、ワークショップ型の様々な読書会の開催案内を見かけますが、細かい手法の違いはあれ、おそらくはそれらも速くとみんなでの方向性に位置づけられるものと推測されます。 

 

本というメディア自体は変わらないのに(電子書籍という形態の変化はありますが)、その読み方のバリエーションがこれほどまでに広がっているのは、本には大きな価値があると認めているからでしょう。そして、その価値を様々な方法で引き出そうとしているからでしょう。本に変わる新しいメディアが次々に誕生しても、本というメディアの価値は他には置き換えられないものであることの証左であるとも言えます。 

 

本の読み方を選ぶ時代へ

ABDは1人読みに比べて、速くみんなで読めるという特徴があります。1人読みよりもいいことづくめのように見えますが、果たしてそう単純に片づけられるものでしょうか。ABDで確かに全体像はつかめますが、一言で言うと「目次以上全文未満」です。私達が本を読むことを通して吸収するのは本の内容だけではありません。文章の中に現れる珠玉の言葉や文体といったものも本を通して自分の中に取り入れていきます。ABDでは、自分が担当したパート以外は、要約はつかめても著者が魂をこめて精選した言葉や文章に触れることはできません。また、本を通してひとりでじっくりと自己と対話することもABD読書会の短時間の中ではできません。 

 

ABDを含んだ読書会は、他者を必要とします。そうなると複数人が集まる読書会の場所が必要になります。読む時間を自由に決められず、複数人の予定があう日程の調整が必要になります。一方、1人読みはひとりでじっくりと読む時間を要します。本を通じて徹底的に自分に向き合うことが必要になります。つまりは、ABDと1人読みはどちらが読書法として優れているかではなく、トレードオフなのです。だとすれば、どちらかをあきらめるというのではなく、まずはABDでざっくりと全体像をつかんでから、気に入った本はさらにじっくりと1人読みするという組み合わせもありです。 

 

新しい読書法が開発されたおかげで、私達は本を読むことに関して更なる自由を手に入れました。これからは、どの本を読むかだけでなく、どのように読むかも選べる時代になったのです。 

 

発見と学びの旅はこれからも続きます。

アドラー心理学に学ぶ人間理解

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2019年初回の孫子女子勉強会は、特別講師として熊野英一さんをお迎えしての勉強会でした。熊野さんは、田中先生の教え子であり、かつ、アドラー心理学にもとづくコミュニケーションを伝えるプロフェッショナルということで、この日のテーマは「アドラー心理学に学ぶ勇気づけコミュニケーション」でした。

 

このテーマへの関心が高い人が多く、参加者はいつもにも増して多く集まりました。私もこの日は何としてでも参加したいと積み上がる仕事を投げ打って、開始時刻に間に合うようにと会社を出たにも関わらず、こともあろうに反対方向の電車に乗ってしまい、結局は30分も遅刻してしまうという失態をやらかしてしまいました。あーやってしまったという何とも残念な気持ちを抱えたまま、いつもの貸し会議室に入りました。急いで席について、話に耳を傾け始めるやいなや、電車の乗り間違えなどはすっかり忘れてしまうほどに熊野さんの提供する話題に夢中になりました。

 

 

アドラー心理学とは

アドラー心理学オーストリア精神科医であるアルフレッド・アドラーが打ち立てた心理学の理論です。「勇気づけ(encouragement)」がキーワードになっています。

勇気づけとは、

・困難を克服するチカラを与えること

・自分の課題に向き合えるように援助すること

とされています。

 

親子関係で言うと、ほめない、叱らない、教えすぎないことを推奨し、子どもを操作できる対象とみなさないという立場をとります。

 

放任と見守る

私が大部分を聞き逃した前半のお話が一段落したところで、質問タイムがもうけられました。孫子女子勉強会では、聞きたいことがまとまっていなくても自分の思うがままの質問を発することができる心理的安全性が保たれています。この日は、それぞれに日頃から抱いていた疑問が場に提供されました。

 

興味深かったのは、「◯◯は英語では何と言われていますか?」という質問が複数出たことです。日本語は多義性に富んだ言葉が多くあります。外国からもたらされた新しい概念は、訳された日本語の言葉だけではどうも意味がつかみづらい時があります。そんな時は、訳される前の言葉を知ることで、概念を正しく理解できるようになります。アドラー心理学をより理解したいという知的欲求に満ちた空気が感じられる勉強会でした。

 

私も積年の疑問が解けそうな気がして、質問しました。

子どもがお世話になった高校は本当に素晴らしい高校でした。入学式の日、生徒が担任の先生に連れられて教室にもどった後、保護者は体育館に残って学年主任の先生からのお話を聞きました。その時に、言われました。

「これからは、お子様の自立に向けて保護者の皆様は3Mを実践してください。3Mは『待つ、任せる、見守る』です。もし、子どもが成績表を親に見せなかったとしたら、『見せなさい」と言って無理矢理見ようとせずに、見せたくないんだなと思ってそっとしておいてください。お子様の学習については私たちが責任をもちますから」

 

私たち保護者は先生がおっしゃったことを忠実に守って、子どもが見せなかった成績表を見ることもなく卒業を迎えました。3年生になるまでは子ども達は、部活や遊びにあらん限りのエネルギーと時間を注ぎ込んでいました。3年生になると、クラスの中から1人、2人と勉強に向かい始める生徒が現れ、その影響が波紋のように広がって、最終的にはクラスが集団となって受験に向かう態勢ができていました。

 

先生がおっしゃった3Mを保護者が実践したことが、子どもの自立を支えたのだと思います。入学式で3Mのお話を聞いた時、確かにそれが保護者としてとるべき姿勢だと感じました。が、一方で、3Mは放任ではないかということがずっと引っかかっていました。この違いは何でしょうか?

 

熊野さんは、ホワイトボードに「待つ、任せる、見守る」と「放任」と書いて、まるで私の質問を事前に知っていたかのように、「この2つの間には明確な違いがあります」と即答しました。結論としては、関心を持っているか、もっというと、相手の関心に関心を持っているかどうかの違いとのことでした。

 

放任と3M、付け加えて過保護との関係を図で表すとこんな感じです。

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放任と3Mは違うことは理解していましたが、その違いを明確に言語化できないモヤモヤをずっと抱えていました。熊野さんの解説で積年の疑問がスカッと晴れました。

 

信用と信頼

放任と3Mと同様に似て非なるものに、信用と信頼があります。信用と信頼についても、熊野さんはその違いをすっきりと説明してくれました。信用と信頼の違いは条件の有無にあると。

 

信用と信頼の違いを図に表すと、こんな感じです。

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その話を受けて、勉強会仲間がすかさずに補足のコメントをしました。

「相手を信頼していることは説明できない。根拠がないんです。説明できるとしたら、その説明ができなくなったら信頼しなくなるということですから。それは信頼じゃないんです」

さらに続けて、田中先生が「信頼」について非常に深い示唆的なコメントをくれました。

「英英辞典で信頼を調べたことがあるのですが、信頼というのは、される側のことを指すのではなく、信頼する側の腹のすわり具合のことを指すと書かれてあるんですね」

 

私が孫子女子勉強会が大好きなのは、こんな風に、講師からの話をただみんなで聞くだけでなく、それぞれが自分の考えや関連した内容ををその場に差し出すことによって学びの深度がぐんと深まるからです。それは自分一人だけでは決して得られない学びの感覚です。

 

この話を聞きながら、私は自分が子育てのまっただ中にいた時の気持ちを思い出していました。子どもは色んなことをやらかします。時には子どもらしいことを、時には全く理解不能なことを。そのたびに私の脳裏には「私は今、親として試されている。この状況でもこの子を信じられるかを」という言葉が浮かんでいました。子どもが何をしでかそうと子どもを信頼できるかを何度も試され、そのたびに私は信頼するということを体得していったのです。

 

勇気づけ

アドラー心理学のキーワードは勇気づけです。人間は自己理想に向かって伸びていこうとするチカラを本質的にもっているのだから、他者は手を貸すのではなく、勇気づけによって自走することを後押しするというのがアドラー心理学の立場です。

 

アドラー心理学では、勇気づけは「困難を克服するチカラを与えること」とされています。このお話を聞いた時、熊野さんも書籍で書かれているように、アドラー心理学は子育ての心理でもあるとわかりました。私が子育てでぶつかったエピソードを思い出したからです。

 

子どもがいよいよ高校受験の志望校を確定させなければいけない時期にさしかかった頃でした。塾には通っていませんでしたが、せめて冬期講習ぐらいは行ってもいいのではと、冬期講習の説明会に子どもと参加しました。参加者アンケートで志望校を書く欄で、子どもの手がとまっています。子どもの志望校はかなり前から1校にしぼられていたので、おかしいなと思って尋ねました。

私「志望校、書かないの?」

子「もうあの学校には行けない」

私「どうして?」

子「内申点が悪かったから、もう無理」

私「・・・」

 

そんなことならもっと早く言えばいいものを、なぜこのタイミングまで黙ってたのかと言いたい気持ちをぐっとこらえました。私もショックを受けましたが、それ以上に子どもはショックを受けていたであろうことが想像できたからです。

 

子どもの前に立ちはだかった試練に対して、親としてどう向き合うべきかに悩みました。「内申点が悪くても志望校を受験するよう励ましても合格する確率は低い。不合格のつらさを味あわせるよりは、無難に合格できる高校へと進路変更を促した方がいいのだろうか。そうやって困難から逃げて、志望ではない高校への合格を果たしたとしても、それが子どもにとって果たして良いことなのだろうか」そんなことが頭の中をぐるぐるかけ巡る日々でした。

 

そうやって私が悩んでいた時にある言葉に出会いました。その言葉はまさに「勇気づけ」のことを指していました。そして、私の腹は決まりました。

「教育とは子どもに困難をさせないことではなく、子どもに困難を乗り越えさせることだ」

 

また、勇気とは不完全な自分を認めることとされています。つまり、不完全な自分を認める勇気をもつからこそ、その不完全さを埋めるべく伸びていこうとすることができるのです。

 

自分が完璧な人間だと思っていたら、もうそこから先の成長はありません。人間は決して到達し得ない理想に向かって永遠に成長し続ける存在であり、だからこそ生涯学び続けようとするのです。自分が不完全であることを恥じる必要など全くなく、むしろ、不完全であるからこそ成長しようとするのです。不完全であるからこそ、お互いに助け合おうとするのです。

 

アドラー心理学に学ぶ人間理解

勇気づけによって精神的に自立した人間になることができるとアドラー心理学は説きます。子育ては子どもの自立に向けた営みです。つまりは、言葉で言ってしまうならば、「親から子どもへ勇気づけのコミュニケーションを行うこと」というたった27文字で表せることです。けれども実際には、これほど難しいことはないと思います。なぜならば、子育ては、この世で最も愛おしい存在である子どもが自分から離れていくことを目指す矛盾をはらんだ営みだからです。子育ては親育てであると言われるのは、この子育ての矛盾を昇華させるプロセスで親自身が人間として成長していくからです。

 

アドラー心理学は人間への絶大なるリスペクトをベースにしているというのが私の理解です。手を差しのべなくても、自分のチカラで自立していくのが人間であるという信念をベースにしているのがアドラー心理学です。たとえ今がどうであろうと、信頼することによって信頼にたる存在になっていくのが人間であるという信念をベースにしています。

 

アドラー心理学に関心をもつ人が多いのは、人間の悩みの大部分を占める人間関係にダイレクトにきくコミュニケーションを扱うものだからでしょう。今回の勉強会でコミュニケーションへの理解が進みましたが、わかるとできるの間には大きな隔たりがあります。アドラー心理学で学んだ勇気づけのコミュニケーションを実践できるように精進しようと思います。

 

発見と学びの旅はまだまだ続きます。 

パフォーマンスを上げる最強の方法

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慶應SDMの前野先生のFacebook投稿で、フローに入るメソッドを体験できる「フロー体験ワークショップ」が開催されると知って、直感的にピンときました。直感は大当たりで、想定外含めて多くの気づきが得られました。

 

 

フローの概念

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       フローについて説明する前野先生

 

はじめに、前野先生から、チクセントミハイ教授が提唱したフローの概念の紹介がありました。フローとは「タスクに集中し、時間や身体感覚がなくなるほど没入している状態」を言います。スポーツの分野ではゾーンと呼ばれたり、働き方の分野ではワークエンゲージメントと呼ばれたりします。

 

フローといってもその没入感には濃淡があり、集中力が増している小さなフロー状態から、完全没入の大きなフローまで色々あります。

 

チクセントミハイ教授はフローになる条件として下記3つをあげました。

(1)目標が明確である

(2)迅速なフィードバックがある

(3)スキルとタスクの難易度のバランスがとれている

 

特に(3)の条件の調整が重要であり、スキルに比べてタスクの難易度が低ければ退屈になり、反対にタスクの難易度が高ければストレスになります。退屈ゾーンにいるならば、難易度の高いタスクにチャレンジすることでフロー状態になれるし、不安ゾーンにいるならば、スキルをあげてタスクに取り組むことでフロー状態になれるとしています。

 

フロー体験エクササイズ

ここからは前野先生のもとでフローへの入り方を研究している針谷さんにバトンタッチになりました。針谷さんはこれまでに3回、フロー体験をしたことがあるそうです。

1回目のフロー体験は7歳の時。小学校の運動会のリレーで、2位でバトンを受け取った針谷さんは、あるコーナーを回ったところでそれまで聞こえていた応援の歓声が全く聞こえなくなったそうです。それから、自分の前にいる1位の選手が動きがスローモーションで見えて、自分はそれまでと同じスピードで走っているので追い越せると確信して実際に追い越したそうです。追い越した後は、聞こえなくなっていた歓声がまた聞こえるようになったそうです。

 

音が聞こえなくなるとか、スローモーションで見えるとか、7歳にして完全没入のフロー体験をされたことが針谷さんをフローの研究に導いたのでしょう。

 

f:id:n-iwayama:20181202231804j:plain        エクササイズについて説明する針谷さん

 

針谷さんのフロー体験の紹介の後は、今日のワークショップの流れの説明に移りました。7つのフローに入るエクササイズを行い、それぞれのエクササイズの後で2桁の足し算20問を時間を測って解き、答え合わせをするというのが大まかな流れでした。

 

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    フローへの入り方について書かれた本

 

7つのフロー体験エクササイズ

① 呼吸法 by 石川善樹さん

② シンクロジャンプ by 松葉健司さん

③ レジェンドブレス by 葛西紀明さん

④ 雑談 by 茂木健一郎さん

⑤ 呼吸法 by 室伏広治さん

⑥ 呼吸法 by パトリック・マキューンさん

⑦ コピー&シンクロ法 by 針谷さん

 

①~③、⑤~⑥は個人エクササイズで、指示通りに呼吸法等をやってみましたが、特にフロー的感覚の変化を感じることはありませんでした。

 

④と⑦は近くの人とペアを組んで行うエクササイズ。④の雑談エクササイズは、ペアを組んだ人と5分間何でもいいので雑談をするというもの。⑦のエクササイズは、はじめの1分は一方の身体の動きをコピーして同じ動きをし、次の1分は立場を交代、最後の1分はどちらがリードするわけでもないけれどもお互いにシンクロして同じ動きをするというもの。

 

たまたま私の前に座っていたのが、なんとあのオリンピックメダリストの田中ウルヴェ京さん!ということで、私は京さんとペアを組んでエクササイズを行うという幸運に恵まれたのです

 

⑦のエクササイズは身体を使ったもので、こんなポーズ、あんなポーズとお互い笑いながら楽しく取り組みました。最後の1分のシンクロエクササイズは、シンクロナイズドスイミングのプロフェッショナルである京さんとシンクロな動きをするというこの上ない光栄な機会でした。どちらがリードするというわけでもなく、なんとなくシンクロした動きになるのが不思議な感覚でした。身体を使うということもあって、フローとまではいかなくてもかなり夢中になって楽しめました。

 

⑦のエクササイズにも増して、夢中になったのが④の雑談エクササイズでした。お互いに挨拶をしてから、「何について話しましょうか?」と京さんが言ったので、私は間髪をいれずに「今日のテーマであるフローについて話しましょう」と提案しました。そこから、京さんのフローのお話を独り占めして聞くことになったわけです。

 

あえてフローに入らない

京さんの話しはじめの一言が衝撃的でした。

私はあえてフローに入らないようにしています

と京さんは言いました。

 

えっ、フローに入らないようにしている?この時、何の疑いもなく、フローに入ることはいいことで誰もがそれを望んでいるという前提をおいてしまっている自分に気がつきました。誰もそんなことは言っていなかったのに。この瞬間から、著名人とお話できてラッキーなどという気持ちはすっとんで、京さんが語る言葉にぐいぐいと引き込まれていきました。

 

18歳のオリンピック競技中にフローを体験しました。自分で身体を動かしているのではなく、身体が自然と動いている感覚でした。その時の評価は高かったです。でも、22歳のオリンピックの時にはあえてフローに入らないようにしました。ひとつひとつの演技を自分で丁寧に行いたかったからです。

 

私は

「フロー状態になると無意識的になると言ってましたよね。それは自分でコントロールしているという感覚とは違ってきますよね」

と相づちをうちました。

 

フロー状態でパフォーマンスが上がることよりも、自分の意識下で自分の納得のいく演技を行うことに価値をおく。超一流の思考は私達の想像を超えたところにありました。

 

その後は、フローへの入り方は画一的ではなくその人にあったものがあるのではないかなどと、フローに関するお話をあれこれしていたら、あっという間に5分が経ってしまいました。

 

パフォーマンス向上体験

そして、雑談を終えた後に、さらに京さんの驚異的な能力を知ることになったのでした。

 

ワークショップでは、フロー体験の効果測定のために、エクササイズ直後に20問からなる2桁の足し算の課題に取り組む必要がありました。私は与えられた課題として淡々とこなしました。①~④のエクササイズ後の計算に要した時間はどれも約50秒でした。

 

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        課題となった計算問題

 

久しぶりにこういう計算をやると計算の感覚忘れてるなあとか、計算遅くなったなあとか、使わないスキルは衰えるんだなあという、フロー体験とは全く関係のない感想が自分の中にわきあがりました。

 

そして、そもそもこの計算課題でフロー状態に入るということに無理があるのではないかという疑問がよぎりました。京さんとの雑談エクササイズ後の計算課題を終えた時、同じく課題を終えていた京さんに

「このタスクでフローに入るというのも難しいですよね」

と話しかけました。それに対して返ってきた答えが、

「私、この計算問題に楽しんで取り組んでいるの。1回目のタイムは1分28秒だったんだけど、今のタイムは39秒まで短縮したの♪」

だったのです。満面の笑みを浮かべながら。

 

ええっ!!!たった数回でタイムが6割以上も短縮された?!京さんの驚異的なパフォーマンス向上に、あえてフローに入らないと聞いたこと以上に衝撃を受けました。超一流のアスリートはその競技種目に対してのスキルが高いだけでなく、どんなことにも取り組む姿勢そのものが優れているのだと感動しました。

 

京さんの驚異的なパフォーマンス向上の話を聞いて、私の好奇心はおおいに刺激されました。5回目の計算課題に取り組む時、せっかくのこの時間を単にやらされ課題として取り組むのはもったいないと思考を転換し、課題に取り組む時間を楽しむことにしたら何がおこるかを試してみたくなりました。試してみることで何がおこるかと思うと、計算問題に取り組むことにワクワクした気持ちになり、実際、それ以前よりも明らかに夢中になって取り組めました。その結果、なんと28秒というタイムが出ました。京さんほどではありませんが、50秒から28秒ですから、約4割もタイムが縮まるという結果になったのです。これには私自身が驚きました。

 

4回目まで計算課題に取り組んだ際、決して、手を抜いていたわけではありません。でも、自分の全力は出し切っていなかったのでした。5回目はおそらく全力を出し切れたのだと思います。手抜きしているわけでなくても全力を出し切れない時があり、全力を出し切れる時とではこんなにもパフォーマンスは違ってくるものなのです。

 

パフォーマンスを上げる最強の方法

これほどのパフォーマンスの違いが出たからには、何が理由だったのかを明らかにしないわけにはいきません。そもそものフロー理論とあわせて、パフォーマンス向上へのアプローチを整理してみました。

 

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    タスクのパフォーマンス向上へのアプローチ

 

もともとのフロー理論では、タスクの難易度とスキルのバランスがとれているとタスクに没入するフロー状態になるというものです。ここでは、タスクに没入するとタスクのパフォーマンスは上がる前提で考えます。したがって、タスクのパフォーマンスを上げる問題は、いかにしてフロー状態に入るかという問題に置き換えられます。

 

フロー状態はタスクの難易度とスキルのバランスによるものなので、タスクの難易度かスキルを調整するとフロー状態に入れることになります。ところが、私たちが日々向き合う仕事や生活上のタスクでは、その難易度を調整するのはなかなか難しかったりします。また、スキルも一朝一夕には向上するものではありません。そうすると、現実問題としてフロー状態に入ることは難しくなります。

 

そこで、タスクやスキルとは関係なくフロー状態に入る方法を使うことが考えられます。今回のフロー体験ワークショップでは、針谷さんが編み出したメソッドを含めて、フローに入るメソッドを体験するものでした。が、体験してみた実感としては、どのメソッドでもフロー状態に入ることはなかなかに難しいということでした。京さんとペアワークを行った④と⑦は、そのエクササイズそのものに夢中になれた感覚はありました。これをフローと呼べなくもありません。けれども、その状態がその後に行う計算問題を解くというタスクを行う時にも続いているかというと、決してそんなことはありませんでした。異なるタスクに切り替わった途端に、夢中になれた感覚は消えていました。

 

京さんの驚異的なパフォーマンス向上のお話を聞いた後、計算問題のタスクの難易度も私のスキルも全く調整していないにも関わらず、私もパフォーマンスが明らかに上がる体験をしたということは、私がフロー状態になったからと仮定をおくことができます。では、なぜフロー状態になったかと言うと、取り組むタスクにお試しの要素を自分で追加したからです。私の場合は、京さんに触発されて、課題を楽しんでみるというお試し要素を追加しました。人間は試したことの結果を知りたくなるものです。結果に関心が向くということは、そのプロセスに夢中になる、つまりはフロー状態になるということです。

 

このことから言えるのは、取り組むべきタスクが例えルーチン的なものでも、何かを試すような要素を追加してみることで、小さくてもフロー状態をつくり出し、パフォーマンスを上げられるということです。お試し要素を追加することは、タスクに意味を見出すこととも言い換えられます。タスク自体にも自分のスキルにも変わりがなくても、自分の思考をほんの少し転換するだけでフロー状態に入れるのですから、最小コストでパフォーマンスを上げられる最強の方法と言えます。

 

仕事にも日常生活のタスクにもこの考え方を取り入れれば、パフォーマンスをあげられるだけでなく、楽しく取り組めそうです。早速、色々と試してみたいと思います。そう思っただけで、ワクワクする気持ちがわいてきます。ああ、直感に従って、ワークショップに参加して本当に良かった。これからも直感に従うことを大事にしようと思います。

面白くなければ伝わらない

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孫子女子勉強会の講師である田中先生の最新刊「会計の世界史」の出版を記念した講演会があると聞いて、仕事が終わった後にいそいそと出かけて行ったのは11月20日のことでした。単なる出版記念講演会と思いきや、そこかしこに散りばめられた仕掛けと学びにあふれたエンターテインメントでした。

 

 

出版記念講演会

出版記念講演会なるものに参加するのは、実は、今回が初めてでした。ですから、出版記念講演会とはどういう感じで行われるのか、本の一部を紹介するのか、はたまた本ができるまでのエピソードを紹介するのか、一体どんな話をするのだろうと、高まる好奇心とともに会場に向かいました。高松に住んでいた期間は孫子女子勉強会にもすっかりご無沙汰しており、田中先生にお会いするのはお久しぶりのことに加えて、スペシャルゲストの講談師神田京子さんにも久しぶりにお会いできるとあって、会場に向かう足取りは自然と軽くなったものでした。

 

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出版記念講演会場となった八重洲ブックセンター8階奥のイベントスペースには、真っ赤な毛氈が敷かれた高座が用意されていました。さらに、珍しく田中先生がパワーポイントを使った講演をするとのことで、パソコンと大きなスクリーンも用意されていました。パソコンの横には守屋先生ご夫妻から届けられたお祝いのお花が飾られていました。よくある会議机の上に置かれたこれまたよくある黒いPCという味気ない小道具の横に、お花がおかれることでこんなにも雰囲気が変わるのかと驚きました。ご自身も書籍を出版されている守屋先生だけあって、出版記念講演会に花を添える演出をよくご存知です。

 

会場に並べられた椅子の数はざっと見たところ5~60脚。私が会場に着いた頃には半分くらいの席が埋まっている状態でした。今回は出版記念講演会初参加だったので、色々観察したいという欲求もあって、運良くあいていた最前列の席をゲットしました。その後、続々と人が集まり、講演が始まる頃には満席になりました。ビジネス関係の講演会によくあるように参加者は圧倒的男性多数という状況とは違って、聴衆の男女比は6:4くらいでした。男性だらけの聴衆が集まる会では、ダーク系のスーツのおかげで会場が黒いイメージになるのですが、今回は女性参加者が多かったため、華やかな雰囲気になりました。華やかさの演出には、会場にかけつけた孫子女子勉強会仲間もおおいに貢献しました。

 

講演会が始まる前に、注意事項として撮影・録音は禁止の旨が告げられました。なので、残念ながら、京子さんの講談中のナイスなショットも田中先生の講演中のショットも撮影することはできませんでした。

 

講演会開始の時刻になると、紫のストライプが目を惹く着物に身を包みいつものようにおだんごに結い上げた京子さんとスカーフをおしゃれに首に巻いた田中先生が舞台裏から登場しました。田中先生が今日の講演会のトピックスについて軽く解説をしました。

 

田中先生の横に立った京子さんは、ニコニコ笑いながら、時折、深く大きくうなずいて田中先生の話を聞いていました。聴衆の中にこういう風にうなづいてくれる人がいるとどれだけ話しやすいことかと思うモデルのような傾聴ぶりでした。田中先生は聴衆の方を見て、隣りの京子さんを見ていないにも関わらずです。講談師は話のプロですが、話し上手は聞き上手でもありました。

 

新刊は、会計を500年の歴史から紐解く壮大な物語ですが、この日は16世紀に焦点をあててのお話になるとの紹介がありました。16世紀といえば、日本では戦国時代。ということで、京子さんの「山内一豊の妻」のお話から講演会は始まりました。

  

講談という伝え方

高座にあがった京子さんは、講談は講談師によって話がデフォルメされていますよという前置きをして、張り扇で釈台を小気味よくポンポンと叩きながら、はりのある声で話し始めました。

 

話している言葉はまぎれもなく日本語なのですが、日本語とは別の言語のようにも聞こえます。話しているというより歌っているように聞こえるという方が適切かもしれません。リズミカルにテンポよく、言葉がよどみなく流れていきます。物語を頭で理解しているというより、身体に沁みてくるような感覚でした。聞こうと意識せずとも自然と聞き入ってしまうのです。

 

京子さんの講談は「山内一豊の妻」と「レンブラント」の2席。2席を聞いて分かったのは、話の筋書き以前に、講談という伝え方に引き込まれてしまうということでした。耳からテンポよく入ってくるだけでなく、京子さんの顔が表情豊かに七変化する様に目も釘付けになりました。耳も目も身体全身が自然と京子さんに集中してしまうのです。かといって、極度に集中してしまうのではなく、ところどころに笑いを誘うところがミソです。笑いの瞬間にふっと緊張がほぐれるので、話を聞き続けられるのです。話の最初から最後まで、筋書きの大事な部分を集中して聞けてしまうが故に、結果としてストーリーがスーっと入ってくるのです。

 

山内一豊の妻の話は、要約すると、こういう話でした。

一豊は市で名馬で見つけて一目惚れし、馬揃え(騎馬を集めて優劣を競いあう行事)のために是非とも手に入れたいと思うが、お金がなく断念した。家に帰って、妻の千代にそのことを話すと、千代は何かあった時のためにと嫁入りの時に渡されていたへそくりを一豊に差し出した。そのおかげで、一豊は名馬を買うことができ、名馬に乗って参加した馬揃えで衆目を集め、信長の目にもとまって出世できた。

 

 

実は、私はこの話は知っていたはずなのです。なぜなら、仕事で何度か訪れた高知県にある高知城に千代と馬の像があり、私はそれを見たことがあるからです。その像の前にある解説文も読みました。でも、記憶に残っていませんでした。山内一豊の名前はもちろん知っていましたし、土佐にゆかりのある人だということまでは理解していました。が、その妻の話はすっかり抜け落ちていたのです。それほど複雑な話ではなく、一度聞けば覚えられる話のはずなのにです。

 

けれども、この先はもう二度と忘れることはないだろうと思います。京子さんの講談で、腹の底に染みわたるように入ってきたからです。講談というのは、伝え方としてすごいフォーマットなんだなと驚嘆しました。

 

画家の人物秘話という構図を用いた伝え方

京子さんの2席が終わった後は、新刊の著者である田中先生にマイクが渡りました。マイクを握った田中先生は、京子さんの講談を褒めちぎりました。

「初めて京子さんと会った時はまだ二つ目だったんですが、その頃から比べると、どこがどうとは言えないのですが、抜群に上手くなりましたね」

と。それを聞いた京子さんは、すかさず

「今は真打ちですから」

と合の手を入れて、会場に笑いがおこりました。

 

前方の大きなスクリーンにはパワーポイントが映し出されています。田中先生がパワーポイントを使ってお話をするのは珍しく、私はどんな内容がパワーポイントに書かれているのか興味津々でした。

 

表紙のスライドには「Gouden Eeuw」のタイトル文字が書かれていました。オランダ語で黄金時代という意味です。1枚目のスライドはヨーロッパの地図。オランダの位置が色づけされていました。

 

その後のスライドには次々と絵画が映し出されました。宗教改革で二分した、カトリック系の画家ルーベンスが描いた教会に飾られる巨大壁画と、プロテスタント系の画家レンブラントフェルメールが描いた市民の肖像画を並べて対比できるように。そして、ここがこう違う、この絵が描かれた背景にはこんなことがあるという話が田中先生から解説されるわけです。「へえ」「なるほど」と聴衆の目はスクリーンに耳は田中先生の声に集中する状態が続きます。集中するということは、京子さんの講談と同じように、その話を理解する結果につながるのです。

 

冷静になって考えてみると、「会計の世界史」という新刊の出版記念講演会のはずが、なぜにオランダ絵画の解説が中心のお話だったのか。もちろん新刊でも第一部は絵画に絡めて構成されていますが、今回の話ほど詳しく絵画について解説されているわけではありません。確かに、この日の田中先生の話は面白く聞き入りましたが、出版記念講演会は書籍の内容の紹介ではないのかという疑問が頭をよぎりました。

 

「以上、オランダ物語外伝でした」

講演の最後を田中先生はこう締めくくりました。なるほど、出版記念講演会のお話は、著作におさめきれなかった内容だったのだと納得しました。

 

さらには、よく考えてみると、話の中に会計に絡んでの先生のメッセージがこめられていました。

「歴史を動かすのは商人です」

と力強く言った後、この時代のオランダでは、市民がまちで絵画を売買・取引するようになり、世界で初めての株式会社と証券取引所がオランダにできたと話されました。絵画は商売につながる話だったわけです。

 

先日、映像制作を職業としている方から、

「どう伝えたいかによって構図が変わってくる」

というお話を聞きました。田中先生は、16~17世紀のオランダにおきた商売にまつわる出来事を好奇心とともに理解するように伝えたいがために、その当時の画家の人物秘話という構図を用いてお話されたということだと私は理解しました。

 

面白くなければ伝わらない

「面白くない話に集中することは、人間としては難しいことです」

とは、国語教育研究者であった大村はま先生の言葉です。

 

誰かに何かを伝えようと思うなら、まずその話に耳を傾けてもらわなければいけません。その話に集中してもらわなければなりません。けれども、面白くない話には集中してもらえないのです。言い換えると、面白くなければ伝わらないのです。

 

京子さんは講談というフォーマットを用いて、田中先生は画家の人物秘話という構図を使って伝えることで、面白さを演出しました。その目論見は見事に当たりました。どちらも人物のストーリーに焦点をあてています。今から何百年も昔の人物のことであっても画家という職業の人物のことであっても、いつの世でも人間ドラマに人は興味をそそられるものなのです。

 

京子さんの2席のお話と田中先生の講演、それぞれが面白いだけでなく、講演会全体の構成としても実によく練られていました。

 

京子さんの2席目のお話は「レンブラント」。講談という日本の伝統芸能の枠組みを用いてオランダの画家であるレンブラントのストーリーを伝えるという試みでした。それにはもちろん理由がありました。その後に続く田中先生の講演がレンブラントにまつわるものでしたから、そこへの伏線として演目が選ばれていました。じゃあ、なぜ、「山内一豊の妻」の演目が選ばれたのかというと、山内一豊レンブラントもともに、妻の内助の功があってこそ偉業を成し遂げられたという共通点があったからだと推測されます。

 

田中先生のお話がオランダ絵画に中心におかれていたことにも理由が考えられます。講演のテーマは、今現実におこっていることにつながっている話の方が面白いのです。ルーベンスフェルメールはどちらも、今、東京の美術館で企画展が開催されています。「是非、実物を見てください」という田中先生の声を受けて、この講演会の翌日に展覧会に足を運んだ人もいました。だからこそ500年を描いた著書の中からこの時代を選んだのだと、これまた講演会の構成の絶妙さにうならされました。

 

懇親会こぼれ話

1時間半の濃厚なエンターテインメントを堪能した後、孫子女子勉強会仲間とともに懇親会に参加しました。懇親会には、田中先生はもちろん、京子さんも、今回の新刊の編集者さんも参加していました。

 

聞いてみたい質問を率直にぶつけられるのが懇親会の醍醐味です。私はまず、京子さんに、田中先生が、どこがとは言えないが京子さんの講談が上手くなったという理由を京子さんご自身はどう分析しているのかを尋ねました。その答えに、思わずなるほどと膝を打ちたくなりました。京子さんの答えはこうでした。

「自分と話の位置関係の違いですね。はじめの頃は、自分より話の方が上にあって、話をするので精一杯でした。今は、話より自分が上にあって、その話を自分の中に完全に落とし込んで、自分を出しています

同じ話をしていてもこの違いは大きいに違いありません。講談というフォーマットの面白さに引き込まれるのは、もちろん後者の場合のはずです。

 

編集者さんには、発売から1ヶ月未満で増刷を重ねた今回の新刊の売れ行きをどうよんでいたのかを聞いてみました。

「本が仕上がった時、面白い本ができたとは思いましたが、正直言ってどれくらい売れるかは予想がつきませんでした」

とのこと。商売とはやってみないとわからない部分が多いのですね。なるほどなるほど。

 

続けて、編集者さんにぶつけた質問は

「今まで手がけた本で最も印象に残っているものは?」

でした。てっきり、今までで一番売れた本かと思いきや、「新しいジャンルを切り開いたと思えるものですね。今回の『会計の世界史』もそれに当てはまります」と。

 

あー、なんと的確な打ち返しをしてくれる編集者さんでしょう。新しいジャンルを切り開く、それは、数が売れることよりもはるかに面白いことでしょう。会計の本といえば、それこそすでに山のように出版されているでしょう。もう掘り尽くされて何も残っていないと思うような分野のようにも思えます。それでも、まだまだ切り口を変えて新しい伝え方ができるのだと「会計の世界史」は勇気づけてくれました。

 

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田中先生にいただいたサインと編集者さんが用意してくれた白い用紙

 

田中先生が近くの席にいらっしゃった時、この機会にと書籍にサインをいただきました。田中先生がおもて表紙の裏にサインを描き終えるのを見計らって、編集者さんは自分の鞄から白い用紙をそっと田中先生に差し出しました。それを受け取った田中先生は、サインを描いたページの間に用紙をはさみました。サインが閉じたページの反対側にうつらないようにするための用紙でした。編集者さんは、そういう用紙を常に持ち歩いているという発見ができた懇親会でした。

 

私が孫子女子勉強会に参加し続ける理由

懇親会で隣りの席になった方に田中先生とのつながりを聞かれました。「孫子女子勉強会のメンバーです」と答えると、「ああ、孫子女子勉強会ね」との応答があり、田中先生周辺での孫子女子勉強会の認知度の高さを実感しました。

 

「あの勉強会、もう10年くらい続いてるんですよね?」と言われましたが、さすがにそこまで長くは続いていません。ちょうど5年が経ったところです。にしても、4~5人から始まった勉強会が5年も続き、その人数も参加者が住む範囲も広がり続けているのはなんともすごいことです。始めることはできても続けることは実に難しいからです。

 

勉強会が続くためには2つの条件が必要です。1つは講師である田中先生が続けたいと思うこと、もう1つは参加者が参加し続けたいと思って参加することです。高松に住んでいた2年半のブランクがありながらも、私が孫子女子勉強会に参加し続けたいと思う理由が、今回の講演会ではっきりしました。

 

田中先生のお話は何よりもまず面白くて聞いてしまうのです。その結果、新たな知識を得ることができるのです。でも、それだけにはとどまりません。勉強会での田中先生からの知識提供や参加者の応答に知的好奇心が刺激されて、勝手に思考が動き始めるのです。今日聞いたことは実はあのことと同じじゃないかとか、あれをもっと突き詰めるとこうも言えるんじゃないかとか。そうやって世界を見る新しい視点を得られることが面白いのです。面白くなければ聞けない。面白くなければ考えられない。学ぶことにおいて「面白い」は正義なのです。

選ばれるプロフェッショナル

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医師は間違いなくプロフェッショナルと呼ばれる人です。かかりつけの歯医者に行った時の体験から、プロフェッショナルも選ばれる側にいると感じました。優れた専門的な知識と技術をもつだけでは選ばれるプロフェッショナルにはなれないとしたら、何が選ばれる決め手になるのでしょうか?

 

 

選ばれるのは組織ではなく人

東京に超してきてから初めて行った歯医者はネットで検索して見つけました。もちろん評判も見ましたが、平日は夜9時まで、土日祝日も診察を受けられる便利さで選びました。その歯医者には複数の歯科医師がいて、はじめに担当してくれた歯科医師A先生が担当医になって、次回以降の予約はA先生の予約をとるシステムになっていました。治療や定期検診でしばらくその歯医者に通っていました。要するに、その歯医者に特に不満はなく、他の歯医者に変えようと思わなかったのです。

 

ある日、いつもの歯医者に検診に行ったら、A先生が歯科医院を独立開業したので、今回から担当医が変わると告げられました。その日は検診を受けて帰りましたが、次回以降、その歯医者に行くかどうかをに迷いがありました。その時、私は、診察の受けやすさというシステムがある歯科医院ではなく、A先生を選んでいたのだとはっきり認識しました。

 

A先生の名前をネットで検索して、開業した歯科医院を見つけました。そして、それ以降の検診はA先生の歯科医院で受けるようになりました。私がA先生の歯科医院に初めて訪れた時は開業してまだ日が浅かったせいか、それほど混んでいませんでしたが、今では検診の予約をとろうとすると1ヶ月先になるほどの繁盛ぶりです。おそらく、以前の歯科医院から流れた患者さんも多いだろうと推測しています。

 

A先生を選んでいたことはわかったのですが、A先生の何を選んでいたのかはあまりはっきりしていませんでした。歯科医師としての技術が優れていたかと言われると、正直言ってわかりませんでした。特に問題を感じなかったので技術的な点でNGではないということはわかりましたが、同じ治療を他の医師が行えばどうなるのかは比べようがないからです。A先生とは話しやすいとは感じていました。

 

専門的な内容をわかりやすく伝える

今回、かぶせもののセラミックの一部が欠けてしまったために歯科医院を受診しました。その時のA先生の対応から、これがA先生を選んだ理由だとわかりました。

 

欠けた部分の補修をしてもらった後で、A先生と私の会話が始まりました。

 

A先生 「マウスピースはしてないんでしたっけ?」

私 「していません」

A先生 「マウスピースをした方がいいかもしれませんね」

A先生 「1日24時間のうち、上の歯と下の歯を噛み合わせる時間はどれくらいだと思いますか?」

私 「食事の時だけですよね?」

A先生 「食事の時だけだと7分くらいです」

A先生 「夜に歯ぎしりを噛む人がいますよね。そうすると噛み合わせる時間が増えて、歯に負荷がかかります。それで人工物であるセラミックがその負荷に耐えきれずに破損することがおこります」

A先生 「デンマークフィンランドで歯ぎしりをやめさせる実験を行い、その結果、歯への負荷が軽減されたという報告が学会でされています」

A先生 「ところが、歯への負荷はかからなくなったのですが、その実験に参加された方はみな精神的な不調をきたしてしまったそうなんです」

私 「へえ。そんなことがあるんですね」

A先生 「日本の学会では、その結果を受けて、歯ぎしりは悪いことではないと考えました。歯ぎしりを無理にやめさせようとするのではなく、歯ぎしりをしても歯に負荷がかからないようにすればよいと考えて、マウスピースを勧めています」

 

「マウスピースをした方がいいですね。どうしますか?」とだけ言われていたら、どうだったでしょう?私はマウスピースを売りつけられるのだろうかと不信感を抱いていたかもしれません。実際には、学会での情報をもとにマウスピースの必要性を難しい専門用語を一切使わず説明してくれたので、私はマウスピースが必要な場合があることを深く理解しました。が、私がその場合にあてはまるのかどうかはまだ確信が持てませんでした。なので、臆することなく質問しました。いつものようにこの日も予約でいっぱいで、A先生が忙しいことはわかっていましたが。

 

私 「マウスピースの必要性はよくわかりました。でも、全員がマウスピースが必要というわけではないですよね?」

私 「マウスピースをした方がいいかどうかの判断はどうやって行うのですか?」

A先生 「ちょっと口の中を見せてください。ああ、ここにぼこっと飛び出ている骨隆起がありますね」

A先生 「砂浜に棒を立てたとします。棒が倒れないようにするためには、棒の根元のところに砂を集めてかためますよね。それと同じように、歯に負荷がかかって支えるのが難しくなると、骨が歯の根元に集まって塊をつくるんです。それが骨隆起とよばれるものです」

私 「へえ、そんなことがおきるんですか」

 

今度はA先生は私の耳の下の顎の骨をおさえながら、

A先生 「ここは痛くないですか?」

私 「少し痛いです」

A先生 「強く噛み合わせる時に、ここの骨に力がかかって痛くなるんです。肩こりと一緒ですね」

A先生 「このように、骨隆起や顎の骨のこり具合をみて、マウスピースをした方が良いかどうかを判断します」

私 「なるほどー」

 

A先生は私の質問に対して、嫌な顔ひとつせずに丁寧に答えてくれました。この時も専門的な内容を噛み砕いてわかりやすく説明してくれたので、A先生の回答を聞いて、私は自分がマウスピースをした方がいいのだということを十分に納得しました。

 

選ばれる決め手はコミュニケーションにあり

今回の受診を経て、私がA先生を歯科のかかりつけ医として選んだのは、この先生とならコミュニケーションをとれると思っているからだとわかりました。A先生と会話しながら、自分の症状を正しくA先生に理解してもらえるように伝えることができると思え、自分がどういう治療を受けるのが良いかを私が十分に理解して納得できると思えるからです。

 

もちろん専門的な知識や技術を持っていることは大前提です。けれども、それ以上にコミュニケーションをとれるかどうかが大事なのです。なぜなら、専門的な知識や技術を発揮してもらうためには、コミュニケーションによって私自身の状態を正しく把握してもらう必要があるからです。

 

と思ったところに、図書館でたまたま見つけて読んでいた本「医者は現場でどう考えるか」にも同じことが書かれていました。

 

医師のすることの大半は、話すことです。コミュニケーションは、優れた医師から切り離すことはできません。診断を得るのに情報が要るし、情報を得る最善の手段は患者との信頼関係です。医師の能力はコミュニケーション能力と不可分のものです。

 

さらにもっと言うと、医師と患者である前に人間と人間なのです。あの人とは話しづらいと感じる人に何かを依頼したいと思うでしょうか?たとえ、その人の専門的な知識や技術が優れていたとしても。プロフェッショナルであることは、時として近寄り難い印象を与えてしまうことがあります。が、選ばれるプロフェッショナルとは、専門性をもちながらも親しみを感じさせる人だと思うのです。

プロフェッショナルとは何か

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2年半の高松での単身赴任生活にピリオドが打たれ、いよいよ引っ越しの荷物が運び出された日、こういう人をプロフェッショナルというんだなという引っ越し担当者に出会いました。その担当者の立ち居振る舞いに、自分の引っ越しであることを忘れるほどに興味をひかれ、その言動を観察するにとどまらず、おそらくは聞かれたことがないであろう質問までしてしまいました。そのおかげで、彼がまさにプロフェッショナルであることがわかりました。

 

 

プロフェッショナルのスキル

2018年10月21日(日)の朝、約束通りの時間に引っ越し業者さんが3人チームでやってきました。3人のうちの1人のリーダーとおぼしき人が、荷物の運搬についての条件を簡単に説明し、詳細を書いた用紙を読んでサインをするようにと言いました。搬出する荷物と部屋のつくりを確認した後は、残りの2人の人に運搬通路に傷がつかないようにする保護シートを貼ることや台車を持ってくるようにとテキパキと指示を出していました。

 

リーダーはずっとはじめから最後まで部屋の中にいて、箱詰めされた荷物に番号シールを貼って、残りの人に手渡した後は、箱詰めされていないものをエアキャップや再利用のダンボールを使って、それはそれは見事な手さばきで梱包していきました。エアキャップをカットする分量、流れるように梱包する動作、計算されつくしたように無駄のない動きと手際のよさは、見ていて惚れ惚れしました。私がこのリーダーに興味を抱いたのは、このあたりからです。

 

チームマネジメントと教育指導

梱包した箱が運ばれ終わった後は、梱包資材をカットするところまでを行っておいて、自分が行う梱包作業にとりかかりました。残りの作業員が部屋にもどってくると、カットした梱包剤を使って梱包するように指示を出し、複数人で同時並行での梱包が行われていきました。梱包資材は巻物状態でひとつだけが持ち込まれているからか、それをカットする部分はリーダーのみに任され、後は梱包するだけという状態で残りの作業員に渡されるという仕組みでした。2人の作業員が手持ちぶさたになる時間をつくらないようにマネジメントしながら、自身の作業も行う様を見て、リーダーなる人物への興味はさらに高まりました。

 

照明器具を梱包する時のことです。エアキャップをカットして照明器具にかぶせた状態をつくっておき、作業員が荷物をトラックに運び終わって部屋にもどってきた時に、照明器具を梱包するように指示を出しました。指示された作業員はエアキャップで梱包した後、再利用のダンボールを2つ重ねた中に照明器具を入れました。ダンボールには内容物を書く必要がありましたが、作業員がマジックをもっていないことを知ったリーダーは腰につけた道具ホルダーからマジックをとって渡しました。この後の作業員とリーダーの会話がまた興味深いものでした。

 

作業員 「何て書けばいいですか?」

リーダー 「照明」 

ここで作業員のマジックをもった手がダンボールの上でしばしとまりました。

リーダー 「漢字がわからんかったらひらがなでええ」

リーダー 「ひらがなで書くのが恥ずかしかったら勉強しい

リーダー 「漢字ドリルを買ってやったらええ」

 

ひらがなでいいという指示の後、作業員が成長できるように具体的な行動を促す教育指導がなされました。決して威圧的に強制する口調ではなく、かといってただただやさしいだけの口調でもなく、厳しさとやさしさの程よい塩梅で。

 

その後も、作業員がダンボールにマジックで書く必要が生じた時には、必要なタイミングで何も言わずにマジックを渡していました。

 

自分が優れたスキルを持っているだけではなく、チーム全体のマンジメントを行い、さらにはメンバーの成長に向けた教育指導も同時並行で行っていました

 

プロフェッショナルの気遣い

部屋の中にあった荷物がすべて運び出され、保護シートを貼付けていた養生テープをはがす段になった時には、さきほどまでのリズミカルでスピーディーな手さばきとはうってかわって、丁寧にゆっくりとはがしていました。

 

すべての保護シートをはずし終わり、後は駐輪場にある自転車をトラックに乗せるだけとなり、リーダーと私が一緒に玄関を出て駐輪場に向かうことになりました。先に玄関を出たリーダーは、脇によせてあった私の靴を履きやすい位置にもってくることを忘れませんでした。ごく自然にあたり前のように靴を移動する所作は、考えて行っているというより、身体にしみついているようでした。

 

プロフェッショナルとは哲学

引っ越し作業の一部始終を見てきて、私のこのリーダーに対する興味はマックスに達し、駐輪場まで移動する間に観察だけではわからないことをどうしても知りたくなって、質問しました。あまり聞かれることのない質問だったようで、少々面食らったような表情をしましたが、真摯に答えてくれました。

 

私 「このお仕事は何年くらいされているんですか?」

リーダー 「3年くらいです」

私 「この仕事で一番大事にしていることは何ですか?」

リーダー 「ぼく自身がですか?」

私 「そうです」

リーダー 「もちろん一番はお客様のお荷物や建物を傷つけないことですが」

リーダー 「引っ越しはお客様にとって大きなライフイベントです。僕たちはただ荷物を運ぶだけでなく、お客様も含めたチームとして、引っ越しというライフイベントを気持ちよく行いたいと思っています

 

この考え方こそがこのリーダーのプロフェッショナルを成り立たせているものだと感じました。こんな質問はそうそうされることはないと思いますが、とっさの質問にも関わらず、よどむことなくはっきりと答えてくれたということは、日頃からその心持ちを持っているからでしょう。

 

どんな領域であってもプロフェッショナルと呼ぶにふさわしい人がいるものです。この仕事を始めてから3年目という、おそらくはまだ20代と思われる引っ越し業者のリーダーは、まさにプロフェッショナルでした。プロフェッショナルとは何かをこの引っ越し業者のリーダーから学ぶとすれば、そのスキルやマネジメント、気遣いもありますが、自分がやっていることの意味を自分なりに語れること、言い換えれば自分なりの哲学をもっていることと言えるでしょう。

 

もし、また引っ越しをすることがあるとすれば、この引っ越し業者というより、この人にお願いしたいと思いました。が、それが叶うことはないでしょう。せめてそう思った気持ちを伝えるべく、最後の荷物である自転車が引っ越しのトラックに積まれた後、「ありがとうございました。気持ちよく荷物を出すことができました。よろしくお願いします」とリーダーに伝えました。

記録のチカラ

Facebookを開くと、2年前の今日は奇麗な青空に感動し、5年前の今日は玄田有史先生の講演に感動したと教えてくれました。日々の暮らしの中ではすっかり忘れていましたが、2年前の写真を見ると、5年前の文章を読むと、その時の感動が鮮やかによみがえってくるのです。記録をすると、過去の自分からプレゼントがもらえるというわけです。

 

写真の記録

何がしか自分の気持ちが動いた瞬間を切り取って撮影した記録が写真です。記録として残るのは視覚的な情報だけですが、その記録を再び見た時には撮影した時の気持ちも一緒に記憶から引き出されます。写真はモノであり記録されるのはモノですが、記録から記憶が引き出される時にはコトになります。

 

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2年前に撮影した写真を見ると、思わずシャッターを切った時と同じように空の美しさに心が洗われるような気持ちになりました。

 

文章の記録

自分が大事だと思ったこと、記憶しておきたいと思ったことを書き留めた記録が文章です。記録として残るのは文字情報だけですが、その記録を再び読んだ時には書き留めた時の思いも一緒に記憶から引き出されます

 

5年前に自分がFacebookに書いた記事を読むと、玄田先生の講義を再び聴いたかのような感覚になり、わからないことにもひるむことなく向かっていこうと前向きな気持ちになれました。書いておいてよかったと思います。これが記録のチカラです。

 

【タフネスなリーダー】

予備校主催で行われた東京大学玄田有史先生の講演を聞いてきました。参加者の大半は高校生で、保護者の参加も少しだけありました。

 

パワーポイントは使わず、時々、黒板に大きな文字を書き、教室の中を歩きながら会場への問いかけを交え、情熱的に語り、笑いを誘い、東北弁で釜石の人の言葉を紹介する。話を聞きながら何度も胸が熱くなり、世界一受けたい授業を受講した気分になりました。

 

東京大学には憲法といえる東京大学憲章が定められています。東京大学の教育目標として、「開拓者精神をもった各分野の指導的人格を養成する」と書かれています。つまり、タフネスなリーダーを育てるということです。

 

「リーダーとはどんな人だと思いますか?」

 

リーダーだと思う人として、次々に生徒があてられましたが、答えた生徒は5人とも「総理大臣」と答えました。

 

リーダーとは、人を引っ張っていく人ではありません。リード・ザ・セルフ、つまり、自らを導いていく人のことです。自分の信じる道を自らを鼓舞して進み、それをもとに人を動かしていく人のことです。

 

筑波の先生に、宇宙飛行士の選び方を聞いたことがあります。最後の面接で大事な質問が1個あるそうです。


あなたは人生を振り返って、どちらの生き方に共感しますか?
1.
桃太郎
2.
浦島太郎

 

桃太郎は、明確な目標をもって実現し、自分にたりない部分を知って協力をあおぎ、きびだんごを渡すというおもてなしの心も持ち合わせています。一方で、浦島太郎には目的もなく、ニュートラルに生きています。

 

JAXAが選ぶのは、浦島太郎の生き方に共感する人です。宇宙はわからないことだらけです。わけのわからないことに向かっていく勇気、好奇心に素直に従うこと。それが宇宙飛行士に求められるものです。

 

タフネスというのは、わからないときに挑んでいく勇気のことです。

 

時々、中高生に進路相談を受けることがあります。得意だからや理解できるからという分野に進むのはやめた方がいい。得意だと思っていても、上には上がいる。わからないと悩んでいたこと、知りたいと思ったことにトライした方がいい。

 

ある中学生に「勉強する意味がわからない。勉強なんて役に立つのか?」と聞かれたことがあります。「勉強しても役に立ちません。勉強はわからないことから逃げ出さない練習です」と答えました。社会に出て大事なことは、わからないことから逃げ出さないことです。

 

2005年から希望学を研究しています。希望はつくれます。希望は4つの柱からなっています。希望がないと感じているなら、4つのうちの何かが足りていないのです。何が足りていないのかを考えれば、どうすれば希望がもてるかが見えてきます。

 

Hope is
a Wish 気持ち
for Something  具体的な何か
to Come True 実現しようとすること
by Action.  行動すること

 

希望学の研究で釜石に通い、そこで聞いた言葉があります。
「希望に棚からぼた餅はねえな。与えられた希望は本当の希望でねえ。動いて、もがいて、ぶちあたって、そん時に見つかるもんだ」
これを聞いて、希望の柱に by Action を付け加えました。

 

希望は社会を動かす原動力です。

 

今の世の中で、わかりやすいのがすべてになっていることに恐さを感じます。わかりやすいことは、何かをスキップしていて、ウソがある。わかりにくいことを追求する中に大事なことがあります。

 

オンライン教育では代替できない授業がある。そう確信させられる時間でもありました。

 

 

ブログという記録

私がブログを始めたのは2016年10月23日、約2年前です。その時は蓄積すること、すなわち記録することの価値を確かめてみようと思って始めました。どこまで続くかわからないと思いながら、なんとか2年間続けてきました。

 

iwayama.hatenablog.com

 

 

私のブログの更新はだいたい月一ペースです。Facebookで更新のお知らせをするので、当然のことながら更新した直後はブログへのアクセス数が伸びます。数日するとアクセス数は落ちてきます。

 

ブログを始めた頃はアクセス数がゼロになることも珍しくありませんでした。けれどもブログ記事を積み重ねていくにつれて、更新しない日でもゼロになることはなくなりました。必ず毎日、誰かがブログの記事を参照してくれているのです。

 

また、ブログを始めた頃はブログへの流入経路の大部分はFacebookからでした。Facebookでブログ更新を知らせたのを見たFacebookでつながっている友達が読んでくれたのでしょう。ところが、ブログ記事が蓄積されてくると、自然検索での流入経路が一番多くなりました。自分とつながりのある人だけでなく、全く見ず知らずの人からも参照されるようになったということです。続けてきた結果わかったことは、記録したものは共有され続けるということです。これが記録することのチカラです。

 

経験という記録

写真や文章、はたまた音声や映像といったように外部に対して行われるものばかりが記録ではありません。日々の暮らしの中で経験したことは、その人らしさをつくる記録として蓄積されてゆきます

 

人となりをつくるものとして記録された経験の引き出され方は他のものとは少し違っています。写真や文章の記録は引き出すフックになるものがあって初めて引き出されますが、経験の記録はその人の発する言葉や仕草や行動に自然と表れてきます。経験の記録ほどチカラを発揮するものはありません

 

記録のチカラ

記録は、記録した時ではなく、それが引き出される時にチカラを発揮します。忘れてしまっていた感動を思い出したり、他の誰かが知りたい情報として参照されたり。

 

今、IoTやビッグデータなどデータの蓄積に関する言葉が話題になっていますが、これらの本質も、データの蓄積、すなわち記録をしておくと、それが引き出される時に価値を生むからなのです。